2002年2月の日誌
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2 月 24 日 (日)  



 初めて拝殿の扁額を説明しました。「赤色の下地は赤珊瑚の粉末を数回塗り重ねたもの、瑞鳳殿の白文字は木彫りの上に真珠の粉末を用いた」とガイドしたが、「エィそんな高価な材料を使っているノー、驚いた。」の反応がありませんでした。政宗公だから当然なのか、驚いて声が出なかったのか。次回はどんな反応があるでしょうか。楽しみです。

 本殿で、熟女の方が墓石にこだわられました。
「ここは伊達政宗公のお霊屋です。」〔?〕「ご廟です」〔?〕・・・「墓所です。この建物がお墓です」〔石はどこにあるの。石が無くて何で墓所なの?〕・・・・・
以前 若者に同様の質問された事がありますが、今日はそれ相当の年令の方でした。
在日外国人の「なんか変なの日本・日本人」と云う趣旨の本で、生活風習の面で彼等の文化との相違点から感じた事を書いた本に、「日本人は石を崇拝している。」の一文があった。吾々は墓石碑に向かって、そこに眠る先人を拝んでいますが、文化の異なる方には石そのものを拝んでいる様に見えたらしいのです。
墓石が目的でなく手段です。墓の材質は本来自由と思いますが。あかとんぼもこだわっているのかナ。

 小学生がホームページをつくるとビデオカメラ持参で取材に来ました。クラスでいくつか分担しての取材との事で、質問に答えました。あかとんぼがヨチヨチ作っている時、小学生が学級で作るとは、驚き感心しました。夕陽の世代のあかとんぼは、孫の世代と競争?ガンバルゾー。



2 月 17 日 (日)  



涅槃門で「イイ細工の彫り物!」と大きい独り声。自慢の彫り物を見て、本殿に。早々に降りて来て「内地はヨイものがある」の一声を残し、彫り師?と問えば、北海道の石屋と答えて北風の如く去っていった。若者は風の又三郎?それとも北風の勘太郎だったのかナ。

仙台の観光バス。1台半の客。車中で話してきたか本殿前では簡潔なガイド。定期観光の人々は忙しい。

愛媛・福岡・千葉・山形からの人々、熱心に聞いてくれる。「丁寧なガイドよかった、一緒に記念写真に」と云われて戸惑う。あかとんぼは豪華絢爛な廟と美人の引き立て役と快諾。

テレビドラマ「○○殺人事件」の下見があった。事件現場に設定されるのはチョットの思いがあるが、有名熟女女優か主演と聞けば、撮影地に決定を期待する気持ちにもなります。



2 月 13 日 (水)  



「ぐるーぷ・よっこり」の延び々になっていた、勉強会が24人参加し開催しました。
政宗公を崇拝する気持ちから、マサムネと呼び捨てしたガイドに注意しようと、その仕方を誤りトラブッタ話
急傾斜の石段が厳しく体調と気候の回復を待っている等のお話がありました。
ガイドしたいとの希望のご婦人がおり、何も知らないので、質問されれば大変。のお話がありました。知らない事は知りませんとお答えして、後で勉強すればよいことです。私はこれの繰り返しです。
ご都合よい時に ゆっくりご案内しましょうと伝えました。



2 月 10 日 (日)  



 札幌の雪祭りの帰路と見受けられる方等、小雪の舞う寒い中多数の参拝がありました。
今日は代表のHさんと、涅槃門から本殿までの単位で、交互にガイドをしました。

 煙と○○は上に急ぐの諺がありますが、瑞鳳殿の参拝客の中にも、上に上にと只々急ぐ方がいます。
涅槃門を潜ると涅槃の世界です。現世から涅槃の世界に行って、また現世には普通は戻って話は余り聞きません。「デモ此処では極楽を拝見し現世に戻れます。」とガイドをすると、涅槃の言葉を知っている方はニッコリ笑みを浮かべます。この方々に、急く方が見逃した門内上部・側面・そして正面の透かし彫りや立体彫りや緻密な細工彫りを丁寧にガイドしました。
一見、工芸品に興味なさそうなオジサンが熱心に聞き、見てくれました。嬉しかった。
 あかとんぼは、美術工芸品には誰でも興味はある筈なのに、余裕の無い人は見逃しています。時間と拝観料を無駄にしてザンネンな事だと思っています。

 涅槃門の美しさは、いずれ写真のページで紹介いたしたいと思っています。



2 月 3 日 (日)  



 福岡からのご婦人の小団体やタクシー5台での団体等の外、四世代揃っての参拝と、お客様は途絶える事なく、お出でになりました。
 観光タクシーの運転手さんは、大抵ご自分でガイドされますが、今日は専門のガイドさんが居る、宜しくと頼まれました。観光バス等のプロの方が案内されている時は、後方に下がる様にしていますが、今回は頼まれましたので、胸を張って?ガイドしました。
 欧米系のご婦人から 通訳を通して、「政宗公は神様か佛様か」のご質問がありました。
豊臣秀吉は1559年4月17日「豊國大明神」の神号を後陽成天皇より授与されています。徳川家康は1616年5月に「東照大権現」の神号に決定しています。これを踏まえて、偉大なる政宗公であるから、当然に神に成ったのかの質問かと理解しました。これには「いえ佛様です」と答えました。
 政宗公の戒名は「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」です。菩提寺が松島・瑞巌寺です。

 あかとんぼは、神か仏と改めて聞かれて、成仏してネと拝んでいますことから、当然仏教徒は死ねば当然「佛」になると思っていました。であればキリスト教徒は「神」に成るのだろうか。それ以外の教徒は何になるのだろうか。さてと、考え込みました。





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