2002年7月の日誌
| 前々月 | 前月 | 翌月 | 翌々月 |




7 月 29 日 (月)  



 快晴なれど爽やか日でした。
 前から自前のガイドブックを作り、勉強していたYさんのガイド初デビューです。お客さんはシニァネット仙台のパソコンクラブのメンバーであるY・Tさんとその友人のOさんです。私はサポターとしてお供致しました。
 Y・Tさんは視力に障害があり白い杖を使っています。62.5段の参道を登る際に敷石が不規則であり、踏み込みが長い事から心配しましたが杞憂に終わりました。歩行は高齢者より遙かにスピードがありました。でも、3時間かかりました。それはY・Tさんが私共のガイドを熱心に聞いて且つ質問してくれたからです。ガイドした者としては充実したガイドとなりました。

 涅槃門の所で、「このモンは四脚モンであって、材質は青森檜葉です。このモンは・・・・・」とガイドし門柱に触って貰いました。そこで初めて納得された様です。「この門は四本足の門ネ。後の紋は紋章の紋ネ。耳からのみ理解しているのでネ」と 申されてハッとしました。これからは「ここは涅槃門で門構えは四本の柱からなっているので四脚門で、この家紋は・・・」とガイドします。

 拝殿・本殿の扁額のガイドの際、扁額と申したらどんな字を書くのか聞かれました。Yさんは直ぐ説明していましたが、いつも機械で変換している私は一瞬手書きに詰まりました。この扁額の色彩と材質は真珠・珊瑚・孔雀石を粉末にして、何回も塗り重ねたとYさんがガイドをしたら、色と高価な貴石等を使用している事をすぐ理解して頂けました。
 伊達家の代表的三家紋は黒御影石の手水鉢の壁面に彫られており、ここを撫でて理解して頂きました。

 本殿横の寶篋印塔「ホウキョウイントウ」のところで、政宗公の生前にお許しを得て殉死をしたとYさんが申したら、「胡麻擂りがでるのでは」の質問から「商い腹」と「乃木将軍」が話題になりました。

 ガイドを聞いて頂く方々に簡潔に理解して頂くガイドのあり方が反省した日でした。Y・Tさん、Oさん、Yさんに感謝致します。

<メモ>
 涅槃門の素材は樟ノ木ではないかのご質問がありました。
樟ノ木は頭貫、冠木、台輪、外桁の透彫りに使用されており、以前は白檀「香木」を素材としていました。今回は上記以外の柱等に青森檜葉が使用されています。

 本殿の扁額
 焼失前のものは二代藩主忠宗公の書と伝えられ、これを模したもので、文字は金箔、地は群青「孔雀石の粉末」、額縁の龍は起き上極彩色です。縦68センチ、横108センチの大きさです。
 拝殿の扁額
 佐々木文山の書を模したもので、文字の白は「真珠の粉末」で木彫りの上に書いたもの、地の赤は「赤珊瑚の粉末」で数回塗り重ねたものです。縦70センチ、横100センチの大きさです。

 殉死
 古から武士のしきたりとなっていて、名誉な行為として殉死者の地位と家禄が次代に相続され、恩賞を伴うこともあった。ここから「商い腹」と云われる殉死もでた。又先君の忠義の証はであっても新君に対する反逆ではないと解釈もあり、1663年に武家諸法度改定の際に禁止になりました。

 



7 月 28 日 (日)  



 暑い夏の筈ですが、瑞鳳殿の境内は意外と涼しいです。
 博多・広島・山梨等からお出でになった方々、涼しいですネーと洩らしていました。

 広島からお出での方は、安芸の宮島は維持・補修の苦労は大変なもので、伊達様はこんなに豪華絢爛な廟を現在も維持しておられて凄いものだと独りで感心しておられました。
 連れの方が記念写真を撮りたいと申したら、墓所で写真は失礼だから駄目となだめていました。いろいろと考え方があるものです。

 山梨からのお嬢さん達に、ガイドの途中に突然に理解して頂けない状態になりました。それは「政宗公は47個の切り石で作られた石室の中に座棺に・・・」と申しまし、座棺とは 昔の風呂桶の様な形の・・・と説明を致しましたが、ピンと理解していない様子でした。この様な状態になるとは予想していましたが現実になりました。今後はスケッチを手持ちする事を考えないといけないのかナ。

 天女さんをガイドしている際、足の裏を見せている事に、谷崎文学「細雪」に出てくるそうですと申したら川端文学「雪国」にもあると云われました。今「細雪」を確認中ですが、更に「雪国」も確認する必要となりました。細かい字が苦手になりました身には大変な事です。

 参拝客の方に本殿の前で、私をモデルに記念写真を撮られましたお嬢さんに、どちらからとお尋ねしたら、名古屋の○○で、400年前に入りました、父が祖先の 足跡を調べていると申されました。羨ましい親娘姿です。

 瑞鳳殿のプレートの所のモミジが一枝 紅葉していました。どうしたのでしょうか。
表紙に写真を掲示しました。ご覧下さい。

 今日は参拝客は途切れる時刻もありました。

 
 



7 月 22 日 (月)  



 暑い夏となりました。本日はぐるーぷよっこよりの勉強会兼懇親会がありました。
N先輩のガイド振りを拝見し、ガイドを志願するY氏に私の経験をお話しました。
デジカメを屈指して自分用ガイドブックを制作されたAとYのお二人も来週にはデビューする事に決め、補助者依頼があり快諾しました。ガイドをする方が増える事、賑やかな事は結構な事です。

 市博物館で開催中の大崎八幡宮展が話題になりました。
現存する桃山様式の建物。美術工芸品が至近距離で拝観出来ます。天女さんは両足の裏を見せている等、瑞鳳殿とは相似であっても同一では無い。こんな事も楽しめます。
 これらの美術品は 修復が完成すると一般の人々の目には届かない所に安置されるでしょう。8月11日迄です。お薦めします。



7 月 21 日 (日)  



 奥州仙台も梅雨が明けた様で暑い日でした。
 朝一番、仙台市の団体で婦人を主体とする約50人ばかりが見え、瑞鳳殿事務局次長自ら案内されておりました。前に私のガイドを聞いた、今又ガイドをしてくれと申すご婦人がおられましたが、瑞鳳殿の管理の責任者がガイドをしている際に、素人の私が割ってはいる失礼な事は出来ませんので丁重にお断りをして、対話形式の補足的なガイドを致しました。

 紋のガイドで、新田家の子孫と名乗る方が見えましたと話をしたら、私もそうだ。矢口神社として祭っており、昨年何百年祭を盛大に催したと語られました。どこに所在する神社で、何百年祭なのか聞き返せないでお別れしました。どなたかお解りの方教えて下さい。新田家についての知識は、源義家を始祖とし、19の支家があり、1333年5月22日に新田義貞が140年続いた鎌倉幕府を滅亡させた。の3点のみです。よろしく、ご教示ください。

 拝殿に仙台七夕の原型が展示されています。多くの方が見入っています。写真はトップページにあります。どの様な由来があるのでしょうか。
短冊・・・・・・字が上手になるように。
着物・・・・・・子供が丈夫に育つように。
千羽鶴・・・・延命長壽でありますように。
巾着・・・・・・金持ちになりますように。
屑籠・・・・・・物を大切にするように。
投網・・・・・・大漁でありますように。
吹き流し・・・機織りが上手になりますように。

 オバサン4〜5人のグループ。お一人が仲間をガイドしていました。大きい声なので聞こえて来ました。「伊達政宗は海外貿易で富を築いた、支倉氏がローマに行ったでしょう」これは短略過ぎる発想だと思いましたが、即反論出来ませんでした。
文禄の役の出兵、瑞巌寺・国分寺・大崎八幡宮等の桃山様式の豪華・巨大建築物の相次ぐ建築の経費を如何に財政的処理をしたのか、直接税で賄ったのか、国債の様なものを発行して賄ったものか、わからない。それで黙って聞いていました。又宿題が出来ました。



7 月 17 日 (水)  



 本ページの愛読者で中国語を勉強中のOさんが、シニァネット仙台の七夕の手伝いに見えました。先日の「タイュリュン」の発音は「台湾」なのか聞きましたが、明確な答えは頂けませんでした。
 外国の人々が瑞鳳殿にたくさん見えるかのお尋ねがありました。連れの人々との会話から日本人ではないと判るもので、それなりにたくさん見えています。外国語が全く出来ない私には歯がゆい。せめて英語が出来れば。でも、英語で説明出来る様に内容を消化して、かつ参拝者の国の歴史を理解し、対比して語られなければならないだろう。とても、そこまでは出来ないと答えました。
 Oさんから、どんな国から来ますかには、英語圏、亜細亜圏、露西亜圏、阿弗利加圏から、世界各地からと答えたら驚いていました。
 Oさんから単語カード風なカードを作って会話をしたらのアイデァがありました。英語の先生であったそうなので、原稿を作り、お願いしょうかなと思っています。



7 月 14 日 (日)  



 予報は雨ながらの曇りの蒸し暑い日でした。9時開門早々に団体での参拝のお客様が続きました。メンバーのAさんとUさんと一時は3人でガイドを致しました。

 北海道全道からのツァーのお客様、再建の際のご寄付を伊達家ゆかりの方々「北海道は当別町を始め・・」にご協力を頂いたと申したら、当別町からお出でになったと申し、伊達家藩士会の会長で、岩出山の殿様の末裔の伊達様が当別町を訪問された際には親しく歓談の機会を得た、ご壮健でしょう、お会いしたいものだ・・・等のお話をされました。
 この御一行は若く無い年齢のせいか、ご質問もズバリとしたもので、ご婦人から殿様だからお妾がいたでしょう、何人いて、子供はどうしました。と大きい声で聞かれました。政宗公の時代は側室がいるのが当然の時代ですから居たでしょうが、詳しいことは勉強していませんと、お答え致しました。予想しないこの様な質問にはドキマギします。

 茨城県からお出でになったご家族一家の方、伊達様はよろしいですネと申されました。水戸徳川家の墓所は石碑であり、管理小屋があるだけ、西山荘からも遠い山中にある為、県等の行政の保護も無く、管理人も不在で荒れている。伊達家のお霊屋は こんなに沢山の方がお参りされ羨ましいとの事でした。
 地図を見ましたら水戸光圀公の墓所の表示は常陸太田市瑞龍町元瑞龍とあり、太田市街から直線約10qの山中でした。
 今週と先回と続いて水戸徳川家の墓所が話題としてお客様から提供されるのはどうしてでしょう。

 伊達家の家紋の三引両を見たお客様、我は新田義重の子孫で二引両だと申されました。これまでガイドしたなかで、これまで先祖がはっきり断言された方は初めてです。日本系譜総覧によれば源義家を始祖とし、新田家は19系統ありました。

 欧米系のペァの方々が涅槃門で写真を撮っていたので、声をかけたら撮影禁止箇所なのでレットカードを出されたのかなの顔をいていました。妻の内と外では牡丹から唐獅子に画面が一変すると教えたら、驚き感謝し熱心に撮影をしていました。

 今日の国内の最遠地のお客様は博多の方でした。

 瑞鳳殿の拝殿「休憩所」には古式の七夕飾りが飾っています。表紙に写真を掲示しました。シニァネット仙台では今年も東一番丁の地元商店街に協賛し七夕を飾ります。それに皆様の願い事を貼ります。その募集のチラシを窓口に置いて欲しいと依頼しましたら快諾されました。その際、瑞鳳殿に金の千羽鶴が奉納されたが飾る場所が無く、シニァネット仙台の七夕飾りで生かして欲しいと頼まれました。快く引き受けました。



7 月 7 日 (日)  



 天気予報は雨でしたがはずれ、蒸し暑い日となりました。今日も開門早々から多数の方々が参拝に見えました。

 運転者氏から皆様にガイドをしてくれと頼まれました。会津若松からおいでの7〜8人のご婦人の団体でした。瑞鳳殿をガイドして感仙殿に移動する前、特に弔魂碑をご案内しました。戊辰の役の被害者に同じく連なる者として頭を垂れて居られました。

 大阪からお出でのペァの方、涅槃門から要所々でビデオ撮影をして、熱心に、素直にガイドを聞いてくれましたので、善応殿までガイドをしました。先に先輩が秀吉と敬称を付けないで涅槃門の菊の紋章をガイドして、クレームが付いたとの事で、大阪からと聞いたので「太閤さん」から頂いた紋章ですとガイドしたのもよかったのか自省しています。

 ガイドブック持参で、昨日は瑞厳寺を参拝されてきましたと申す方3〜4組おいででした。ここは政宗公のお霊屋で正室愛姫に、娘の五郎八姫のお霊屋は瑞厳寺の左右にありますと申すと、知らなかった、お参りしたかったと申される方がおられました。
 確か、正室愛姫の陽徳院霊廟は非公開と聞いています。娘の五郎八姫の円通院霊廟は公開しています。
 殿と奥方のお霊屋が遠く離れて「気の毒に」と、あるご夫妻が洩らしておいでになりました。私もそう思います。

 ループルバスでお出での方々には 次のバス時刻までに参拝を済ませたいと駆け足の方がおります。なかには仙台城に登れば満足で、ここ瑞鳳殿はカットしようと思ったが参拝してよかったと申された方がおいででした。折角ですので時間を気にしないで参拝してください、博物館は庭にも見るべきものがあり、先に庭をみられたらとアドバイスを致しました。



7 月 5 日 (金)  



 久々の連続の晴れ間、既に日照不足が懸念されていますが解消されるでしょうか。

 シニァネット仙台の仲間のMさんから瑞鳳殿のガイドを依頼されました。幼少の頃は瑞鳳殿地区でスキーや栗拾いをして遊んだと語る、私より人生2年先輩の方々です。国民学校への通学路でもあった瑞鳳殿の坂を登り、通学途中に横目に見た、今もある有名な鹿落温泉で同級会を催すますが、その前に現在の瑞鳳殿に参拝したいとの事でした。幾分ビビリましたが、戦災焼失前の様子を聞けるか期待をして引き受けました。
 見事華麗な色彩に驚嘆されていました。灯台元暗しで最近は参拝されていない方が結構おられたようです。現在の瑞鳳殿の再建の費用や工法に工期等の質問もありました。
 焼失前の拝殿は見事であった、弔魂碑の前に大砲があった筈、下馬石は麓にあった等・・・いろいろ聞かせて頂きました。
 皆様も私も、語り切れなかったので、再会を約しました。

 ガイド嬢がガイドしない一行が見えました。何故ガイドしないのと尋ねたら、東京から来たのでガイドが出来ないとの事で、ガイド嬢にガイドをしたら一行の皆様も熱心に聞いてくれましたので、善応殿地区迄ガイドしました。
 一行は会社の慰安旅行で、私が社長と申される方は、水戸徳川家の墓所は黄門様が一番上で、明治までの歴代が、上から下に順に配置されている。ここもそうかの質問がありました。瑞鳳殿より善応殿地区は位置的に下に配置されていますので、そのとおりですと答えました。
 社長やガイド嬢から、仙台で一番印象に残ったと丁重にお礼を云われて恐縮しました。

メモ
 現在の瑞鳳殿は1974年9月11日再建起工式を、1979年12月4日落成式を挙式しており、5年の歳月をようしております。総工事費予算は7億55百万円です。構造は鉄筋コンクリート造りです。涅槃門は青森檜葉使用の木造です。
 鉄筋コンクリート造に漆塗りの塗装は日本で初めての試みであって、この方面の学会・業界では注目を集めた工法だそうです。
 2001年5月まで、約1年の工期で本殿と拝殿は補修と塗装の工事が行われました。その結果、1637年創建当時の色合いを皆様に楽しんで頂いております。

 瑞鳳殿は1637年10月24日に落成しており、政宗公は1636年5月24日に江戸で亡くなり、10日目の6月4日にここに葬られています。1年余で造営されました。
 1636年5月は29日が月末で、30日は無く6月1日になっています。





inserted by FC2 system