2002年8月の日誌
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8 月 25 日 (日)  



 昨晩の雷雨は全山を洗い流した感じです。さっぱり聞けなくなったセミがここでは鳴いています。仙台市内での別天地です。

 日○○景バス2台が開門早々に参りました。ガイド嬢は手水鉢でお清めを薦め。本殿で拝礼をした後に車中に続いてのガイドをしていました。このバスでこのガイド嬢での観光なら、ポイントの見落としも無く、愉しく観光出来るでしょう。あかとんぼはツァーに参加しますが、ガイド嬢の巧拙が旅の楽しみに影響します。客は旅行会社を選べますが、ガイド嬢は選べない。この当たりはずれがまた旅の楽しみでしょうか。

 久留米からの方、建造物の材質にこだわっておられました。涅槃門は青森檜葉と楠で拝殿と本殿の駆体はコンクリートと申し上げたら納得されました。大工さんですかと尋ねたらイヤと否定されていましたが、どうしてでしょう。
 別の方からヒバとヒノキの違いを質問されましたが即答出来ませんでした。青森檜葉・秋田杉・木曽檜の日本三大銘木の特性をさっそく調べます。お待ち下さい。

 涅槃門の潜り戸で、若い女性3人が敷居に立って頭が着くかどうかを競っていました。敷居を踏むなと躾られたあかとんぼとしては、敷居を踏み、身長測定の場面には、日本人として体位は向上したものの、中身が薄くなったのかなと感じました。

 本殿等が綺麗だとの感嘆の声に、昨年春までに1年余の時間と1億円超の経費で化粧なおしを致しましたと申したら、顔を見合わせているご夫妻が居られました。昨晩でも家計費に占める化粧品代について討議されたのでしょうか。そんな感じでした。

 胸のプレートを見て「NPOなのネ。NPOの税金というテーマで会議に参加し、途中から見学に来たの。とっても良いガイド」とお褒めと名刺を頂きました。さいたま市の美人税理士さんでした。

 中学生の母親の方から夏休みの美術の宿題にこのホームページの天女さんの写真等を使いました。本25日訪れたいものだとのメールを頂いておりましたので心待ち致しましたが、お見えになりませんでした。それは残念でしたが、このページが宿題に役に立ったとは嬉しい限りです。

 窓口そばのモミジの枝、先と別の枝が紅葉しました。表紙に写真を掲示しました。



8 月 19 日 (月)  



 7月14日の日誌に、「この御一行は若く無い年齢のせいか、ご質問もズバリとしたもので、ご婦人から殿様だからお妾がいたでしょう、何人いて、子供はどうしました。と大きい声で聞かれました。政宗公の時代は側室がいるのが当然の時代ですから居たでしょうが、詳しいことは勉強していませんと、お答え致しました。予想しないこの様な質問にはドキマギします」と記載しました。
 他人のプイバシーでないかと思いましたが、当時はお家の繁栄に関わる一大事であり、資料も公開されているので、それによりメモしました。

 側室
 政宗公には8人いたそうで、記録では16人とか、文献によっては20人とか。
 父の輝宗公にはいなかった。
 祖父の晴宗公には20人余。
 曾祖父の稙宗公は30人位。
 以上は伊達篤郎氏の著書「遙連」昭和62年東北大学同窓会講演記録によりました

 子供
 政宗公の子供は14人。正室田村氏愛姫の子は4人です。子の母親として出身氏が明確な側室は6人で、その子供は10人です。
 二代藩主忠宗公の子供は10人。正室徳川氏振姫の子は4人です。子の母親として出身氏が明確な側室は4人で、その子供は6人です。
 
 年齢
 政宗公の第一子は、23歳の時1590年6月8日、末子は58歳の時1655年8月7日です。
 以上は伊達篤郎氏の著書「虎栽宗乙」に基づきました

 側室の数と子息の数について、側室の項と子供の項では2人の相違があります。H代表の資料によれば秀吉から貰った「香の前」とその子供、そして遣欧派遣のきっかけになった名の不明の女性、この2人と子供です。



8 月 18 日 (日)  



 お盆も終わりすっかり涼しくなりました。参拝の方々は盆・夏休みの方が見られました。ツァー等の団体はお出でにならなかったようです。

 本殿前の豪華な鎚起銅製大香炉と香炉舎の各一対は、鋳型を使って作ったものでなくて、銅板を叩いて作った昔ながらの手作りで、1976年11月8日に仙台市内の老舗銅器店から寄贈さたものです。これだけのものを作る技術スタッフを確保し将来も作れるでしょうか。とガイトをしたところ、25年前の作品かと驚嘆し、継ぎ目はどこか、脚と本体の接続は・紋の打ち出しはどうしたのか等を丁寧に観察されたご夫妻が居られました。直接の技術者ではないが興味を持ったとの事でした。、「どうしたのか」についての見解は教えて頂けませんでした。

 1940年代に本殿まで拝観をした申す参拝客が居られました。でもこの方は私と同年輩に見えましたので、そうですかでお終いしました。H代表に話しをしたら全てを了解されニコッと笑われました。

 瑞鳳殿の再建の際に伊達家関係者のご寄付・ご協力を頂いたと話をしたら、北海道・伊達市から来ましたと、若いお嬢さん。伊達市の開発は亘理の伊達邦成「ダテクニシゲ」の家臣団によるものと、クニシゲとさらっと発言しました。でも開発に携わった人々の子孫でないのか、聞いていないのか、伊達邦成の地「亘理」には興味を示さずに、瑞鳳殿を参拝し満足して階段を下りて行きました。

 夏休みの旅行の方々、ループルバスでの一番目の下車観光地。瑞鳳殿とはの知識ゼロの方が多く、「日光みたい」の喚声は多いの当然として、中には「日光に対抗して作った」と同行者に解説いる方がいました。ガイドを聞いて「嗚呼此処は伊達政宗公のお墓であったか」の独り言が聞こえました。先日ガイド仲間のYさんから徒然草に「少しのことにも、先達(せんだつ)はあらまほしき事なり」の一節があると教えられました。本当だと感じます。

 文化財ボランティアガイドのKさんが週末に70人を案内するからと勉強に見えていました。一緒に常時瑞鳳殿でガイドしませんかと誘いましたが、お忙しいのか、無料奉仕なるのでか、返事はありませんでした。

メモ
伊達藩士の北海道開拓 1881年の実情
     移住戸数   移住人数     開拓面積「町歩」
亘理    579     3078        1403
岩出山   150      689         188
角田     97      331          82
白石     59      211          42
図説宮城県の歴史「河出書房新社」による

 



8 月 11 日 (日)  



 暑さも、参拝客も一段落のようです。あの強烈な暑さはなく、七夕期間中の人出は夢のようです。涅槃門の門前の七夕も撤去されました。

 間もなく3歳になる幼児を連れた夫妻をガイドしました。、幼児は62段の石段も、拝殿の石段も、モノともせずに登りました。さすが桃山建築に興味は無く砂利に戯れていました。母親は本ページの愛読者で、これがスライドショー化している天女さんですかと、熱心に鑑賞したい様子なれど主瞬発力に優れた幼児には目を瞬間も離されずに、残念そうでした。

 体格良い親子。一気に本殿まで駆け上り、これで終わりかとの質問。羽黒山神社と勘違いされてお参りに来たのか。がっかりして降りていった。私もがっかりした。



8 月 8 日 (木)  



 猛烈な暑さです。瑞鳳殿は比較的涼しい所ですが、本日はクラクラする暑さなので、3日目にして午前でダウン致しました。一緒のUさんは午後から瑞厳寺にのイベントに参加するそうでタフなのには負けました。

 7月14日に瑞鳳殿に奉納された金の千羽鶴をシニァネット仙台の七夕飾りに生かしてと頂きました。6日から3日間、シニァネット仙台の七夕に飾りましたので、その写真を事務所にお届け致しました。奉納された方の気持ちが仙台七夕の観光に訪れた世界各国の人々の目にふれ、十分に通じたのではないでしょうか。事務所の方々も喜んでくれました。奉納された方には別途ご報告致します。

 涅槃門での麒麟の説明で、これは何でしょう、動物です。と話した途端に「麒麟」の声が返ってきました。初めてです。答えて「龍」が99人なのに、一発「麒麟」には驚きました。本殿迄気持ち良くガイドを致しました。

 本殿の扉が開かれており、御木像を直々は拝観出来る事と、この熱気で5分がお互いの限度なので、天女さんを本日は殆どガイドをしませんでした。なのに、若いペァの女性が足が変だ、裏を見せていると連れに語っていました。鋭い観察力に敬意を表し、大崎八幡宮の天女さん、紀元前200年前後の遺跡等についてもガイド致しました。暑さも飛ぶ思いでした。

 女子中学生の様な方が母親に、拝殿の階段を下りながら、「中尊寺の金色堂の方が素晴らしい」と申していました。拝金主義でしょうか。桃山建築の美しさをご理解頂けなかったは、誠に残念てす。

 本日、目立ったのは若い女性が携帯電話で瑞鳳殿の素晴らしい美しさを送信している方です。10人近くおりました。携帯電話の使い方のCMでは建築現場から送信とありましたが、観光地等から美しいもの、素晴らしいものを直ぐ送信する。これはまさにIT時代は若い女性の実践で進行しているのかと感じました。

 シャッター押すを本日も大分頼まれました。押した後でこの様な構図で撮りましたと説明を致しております。成る程、焼き付けが楽しみだと 皆様が申されます。構図の説明の際、連日の暑さで天女さんの様なスタイルでお出でになる方が沢山です、それで皆さんのように夏型の感じの天女さんと申した所、人生経験から全て蓄えた様な感じの女性が「夏型の天女なんているものか」と大きい独り声を出していました。確かに天女さんに季節分類は無いです。その様に申してはおりません。
話から断片的に抜き取り、都合良く批判するのは人生経験から全て蓄えた様な感じの方がなさるとは、不快でした。でも常にH代表か資料の裏付けの無いものは推定で語るな、正確に話しをする様にと指示されているのは、これだなと自省し、資料館の冷気で冷やして本日まで3日連続の七夕シリーズを打ち上げしました。



8 月 7 日 (水)  



 暑い日でした。H代表、Aさん、Nさん、Yさんと5人で応接しました。
 参拝の方々、午前は家族で、午後はツァーの自由行動で、のパタンが多かった様です。

 涅槃門の菊の紋章をご覧になって、これは皇室の菊の紋章だと頑張る方が2・3おられました。皇室は16弁の重弁です。伊達家は本来は20弁の単弁ですが、ここは16弁の単弁ですので、その違いを容易にご理解頂けませんでした。

 瑞鳳殿裏手の所謂職員駐車場は狭くて、傾斜があり、路盤に凹凸のある駐車場です。今夏も、近江とか遠方のナンバーが入ってきてす。どうして広々と駐車も参拝も容易な専用駐車場に入らないのか不思議です。昼に近江のハナバーの人に参拝客専用の条件の良い駐車場がありますのに、何故わざわざ、条件の悪い此処に駐車するのかとお尋ねしたら、カーナビの通り来たら此処に入ってしました。との事でした。機械は情緒がありませんネ。

 瑞鳳殿の再建の際、全国の伊達家関係者からの御芳志を頂いています。と話をしたら学生の団体のひとりが、自分は登別温泉の生まれで、白石・片倉家の家中の子孫だ、でも親も祖父も御芳志は出さなかっただろうと発言しました。仲間の学生は納得したような顔をしていました。それはなんでしょう。
 昨日・今日と理工学部系の学生の団体がありました。文系は会いませんでした。文系の学生はバイトに懸命で領する余裕が少なく、理工系は仲間意識が強く、一緒に旅行をしているのでしょうか。

 境内の杉の樹齢を尋ねられました。370年前後ですとお答えしたら、そんな筈は無い、日光の杉並木の植樹と同じくらいだろう。日光は巨木ですぞ。此処は幹が細い樹齢はそんなにあるかと申されました。ハーと答えるのみでした。



8 月 6 日 (火)  



 仙台七夕初日です。暑い日となりました。全国各地から七夕見物とセットで参拝にお見えになりました。Uさんが午前ガイドを一緒にしました。

 東北の夏祭りを巡るツァーの方々。昨晩秋田の竿燈を見物し仙台のホテルにはいったのが今朝の2時過ぎでしたと、9時過ぎには参拝に見えていました、誠にタフなツァーの方がいました。添乗員が案内しないで世話役さんが門前で案内しているツァーがありました、ガイド致しましょうかと申したら、夏祭り4日目で疲れているので耳に入らないからいらないですとの事でした。昼近くにお出でのツァーの方々はゆっくりガイドを聞いて拝観したい方と一目拝観で昼食が心配で堪らない方と2派に分かれ大きい声でやり合っていました。結果、昼食派が勝って、拝観派は又お参りに参りますと残念そうに行きました。私も残念でした。

 徳島からの団体が2〜3ありました。仙台と姉妹都市になっており、七夕パレードに参加される方、一緒に観光の方々でした。
 静岡からの方もおいでで、久能山東照宮話題に致しましたが、とおくのかみさまの言葉のとおりか、静岡では評価されていないのか盛り上がりませんでした。

 各旅行社のバッチを付けた方々が三々五々と見えました。何時迄自由行動との事で、七夕を見物されてから参拝に見えたとの事でした。この後は青葉城にとの事で「博物館の中庭」も見所で、見物コースそのままお城に登れます。と案内を致しましたら喜んで居られる方もいました。

 観光案内の略図をご覧なりながら、仙台駅まで歩いて20分位で行けるかのお尋ねがありました。仙台市街を随分過小評価されたなと思いましたが、ここは堪えてタクシーの利用がお嫌いなら、御霊屋橋迄下がられて路線バスを利用されたら如何でしょうかと、略図でバス停を示しました。

 夕方に30人近くの県外のバイガイドさんの一行が見えました。本殿を参拝されずに資料館に直行されました。この繁忙期の研修と資料優先には驚きました。これが現在の教育の方法なのでしょうか。

 本日は本殿の扉が開かれ、政宗公の御尊顔を直々に拝めました。本来は元日と御命日の2日しか開かれない扉です。ご尊顔は骨格を元にしており、年齢は別にしご尊顔そのものです。とガイド致しました。皆様感激されて居られました。8月4日にお出でになり、本日再度お出でになった方がおられ、ホントと大きい声で案内した友人の方に告げて居られました。

 7月28日に日誌に記載した一枝だけ紅葉したモミジ。緑に戻っていました。これまたどうしたのでしょう。不思議な植物「モミジ」です。

 



8 月 4 日 (日)  



 瑞鳳殿の境内は涼しい気温でした。涅槃門の前には七夕飾りの太い竹が交差する様にたてられました。間もなく仙台七夕本番です。
 H代表と2人でガイドしました。夏休みなので小学生連れが目立ちました。

 伊達資料館長が御供所であった所で説明をされておられました。博物館の学芸員の資格取得を目指す大学生の実習生5人でした。彼らは何を専門とするどんな学芸員を志しているのか、瑞鳳殿は現在は国宝ではないが、歴史的、美術的 価値をどの様に認識しているかを、折りを見て聞きたいものです。

 開門早々に韓国と台湾からの方々が見えました。日本語と三ケ国語を話せる方が一行におり、パンフレットに記載のない扁額の絵の具?真珠や孔雀石の話をご婦人に通訳してくれました。装身具に使用する高価なものが顔料にしている伊達家の剛胆さにあらためて驚嘆の表情をされていました。

 坊主頭と粋な格好のペァ。お仕事は「役者」との事でした。舞台を務める方ならと天女さんの足裏に居たり、文禄の役の際の政宗公一行の軍装から「伊達男・伊達者」の言葉が定着したとの話になり、「伊達巻き」もソウカと問われました。これで2回目のご質問です。サテゆかりませんと又お答えしました。
 帰宅し調べたら、伊達巻きに @婦人が着崩れを防ぐため帯の下に締める幅の狭い細帯 A擂り潰した魚肉と卵を混ぜ、焼き、すだれで巻いた料理、とありました。帯も料理もその語源に至りませんでした。でも、お尋ねはとっちだったでしょうか。

メモ
 御供所は現在の資料館の場所にあった建物。焼失前の建物は政宗公の晩年の居館若林城の書斎を移築したと云われ簡素な素木造りであった。元来は神饌を調整するための施設であったが、拝殿と廊下で連絡をしていたことから、後には控所を兼ねる様になったものと思われる。
 現在の資料館の駆体は鉄筋コンクリートであるが、外観は木造の趣を十分に表しており、往時の一端を偲ぶ事が出来ます。





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