2002年12月の日誌
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12 月 22 日 (日)  



 温暖な日です。参拝客は疎らです。昨晩の観光客の皆様は何処に行かれたのでしょうか。
 各涅槃門には門松が飾られました。瑞鳳殿の涅槃門と拝殿には幔幕が張られました。

 小学校高学年か中学生か、この年代の男の子の年齢の見極めはあかとんぼには、難しいです。この子と姉と父母の家族連れを石段の初めからガイドをしました。石段を数えて登って頂きました。その数と、パンフの電話番号の意味、62萬.54石の禄高に対する、こだわりに歓声を上げていました。入り口のプレートから涅槃門に拝殿、本殿とガイド致しました。プレートで肖像画や配置図を観て頂きましたので、全てご理解が早く、楽しいガイドとなりました。冬休みのレポートに政宗公を主題にする、それで仙台城資料館で政宗公関係図書数冊求めて来たとの事でした。禄高と石段もレポートに記載したいとの事でしたので、本ホームページも参考になればと、名刺を差し上げました。どんなレポートに纏められるか、将来 政宗公の様な歴史に残る指導者になるのか、楽しみです。

 津軽・弘前からお出でのご夫妻、政宗公の片目失明の原因を問われ、津軽家のお霊屋は長勝寺・革秀寺等にあると自慢され、仙台城まで歩いて行くとの事でしたので、博物館の敷地は三の丸であり、観るべき物が数々あり、奥の清水門跡から、野面積みの石垣を観ながら登りますと本丸に直ぐに至りますとガイドしたら喜び勇んで行きました。

 仙台市荒町の60歳ですと、女性の方から「子供の頃、大年寺山の伊達家の墓所から経ケ峰の地迄、墓所の移動を手伝った。どなたの墓所であって、それは現在どこにありますか。」と聞かれました。初耳で雲をつかむ様な話しで、わかりませんとお答えしました。何方かご存じ方教えて下さい。

 本日で本年通算54回日。目標の52回日を2回日超過。本日で本年のガイドを終わりと致します。来年は1月2日の藩志會の拝礼式を拝視し、ガイドは5日から始めたいと思っています。

メモ
 伊達家の最終的に確定した禄高・所領は62萬石。
内訳・概算は
 陸奥国  21郡 内970村 60萬石
 常陸国    3郡 内017村 1萬石
 下総国    1郡 内001村 270石
 近江国   2郡 内020村   1萬石
正確には 620,054石5斗4升4合
以上は高橋富雄著県史シリーズ「宮城県の歴史」によりました。
なお、仙台市史近世Tには、「下総国 1郡 内001村 270石」は記載ありません。

 事務所の022-262-6250は禄高にこだわって獲得した番号であると、岩出山伊達家末裔・瑞鳳殿再建期成会事務局長伊達篤郎氏は2001年6月21日仙台市北山市民センター講座で明言しています。



12 月 21 日 (土)  



 瑞鳳殿ガイドの大先輩のNさんから、今日本年最後のガイドをすると約束していたが風邪気味なので中止します。来年又宜しくと 朝早々に電話を頂きました。先輩の得意は生粋の仙台弁でのガイドです。遠方の方、若い方には、時には理解出来ない事も有る様ですが、生粋の仙台弁を語れる人は少なくなっており、貴重な文化財的な方です。高齢ですので、お大事にと年明けの再会を約束しました。

 本ページの愛読者で、ガイド仲間で只お一人の女性美人ガイドのYさん。仙台には「せんだいこうれん」がありますと、沢山持参され、昼開かれたパソコン研究會の皆様に振る舞われました。松島の「おこうれん」とは違っていましたが、美味しく頂きました。
 松島の「おこうれん」は芭蕉煎餅と説明した方が、他の土地の方には理解して頂けるのではと、愛読者のITさんからアドバスを頂きました。

 シニアネット仙台事務局から「あかとんぼさん 忙しくなるよ、よっこより にガイド依頼の電話が連日数本あります」と言われました。ガイド依頼した方々は熱心に聴いてくれます。事前の勉強も必要ですが、ガイドの充実感を感じます。その様になれば嬉しいです。

仙台の年末風物詩の光りのページェント見物に七夕期間以上の人々がお見えになっています。昼は瑞鳳殿等を巡るループルバスは夕方から光りのページェン会場巡りになります。このバスを待つ人々は長蛇の列でした。仙台駅前から主会場の定禅寺通りを過ぎるまで2キロびっしりと渋滞でした。多数の観光客の皆様、明日は瑞鳳殿にお出で下さい。私あかとんぼも参ります。



12 月 16 日 (月)  



 18代ご当主陣頭に11時から恒例の煤払い行事が行われました。駝鳥の毛で出来た毛羽たきや日本画の筆を使い、本殿を彩る鳳凰等の彫刻、金箔の汚れを、傷つけないように慎重におとした。彫刻の隙間の虫の死骸はピンセットで取り除いた。と河北新報18日朝刊が報じました。
 あかとんぼはお手伝いに駆けつける気持ちでおりましたが、些か不調であり断念致しました。

 15日日誌記載の「象潟町は瑞厳寺のある松島町と姉妹都市の関係にある。その縁は象潟から松島に嫁いで来て、尼になった「紅蓮尼」にある。」について調査結果を補足します。
 紅蓮尼の墓碑は瑞厳寺の三聖堂の傍らにあって「心月紅蓮尼 嘉暦4(1329)年8月13日・・・」刻まれている。その履歴は出羽国象潟の娘「たに」の父親が旅先で松島の豪商蜂谷掃部の息子小太郎に嫁入りを約束。「たに」が嫁入りした際、既に小太郎は病死していたが、そのまま婚家に留まり、一面識も無い亡夫とその両親に貞節と孝養を尽くし、父母亡き後に瑞厳寺明極禅僧のもと仏門に帰依し、紅蓮と名乗り庵を結び、供米の米を粉にして煎餅を焼き、人々に施した。この悲恋と孝養の美談が伝わり巷の名物となった。
 1987年8月1日象潟町と松島町で「夫婦町」を調印、以来各団体の相互訪問が行われている。又、毎年8月15日には墓前で観光協会主催で供養が行われている。
 以上の要旨は、宮城県立図書館所蔵「歴研みやぎ」によりました。
 



12 月 15 日 (日)  



 8日は依頼客が約束の時間には未だ松島にいるとの事でキャンセルになったと理解し、又事故のショツクもあり早々に切り上げました所、大幅に遅刻した団体がお出でになった際に探されたとの事で、財・瑞鳳殿に朝一番で陳謝しました。
 8日の事故は瑞鳳殿に向かっていて信号待ちで停車中 ドスンと追突されました。事後処理として、意外に高額な修理費は加害者側が保険を適用するとの事で、車の修理も終わりました。本日ガイドしましたが体に特段の異常を感じませんでした。この儘後遺症が無く終われば良いと思っています。
 生命の危機に至らなかったのは、政宗公のご加護と感じて感謝しております。

 参拝客は疎らでした。熊本や宇和島からの方もおられました。熊本の方は東京出張のついでに寄られたそうで、政宗公の御木像を直接拝めなかった事を残念がっていましたので、「東京から2時間かかりませんから仙台七夕の際に 再度お出かけ下さい」と申したら、ソウダナと納得されました。宇和島の方は同じ紋所があると不思議な表情でいましたので、政宗公と宇和島初代藩主との親子関係をお話しましたら、予定変更してお参りして良かったと大喜びでした。11月17日にも宇和島生まれの方が見え、今日と同様でした。幕末の宇和島伊達家の活躍から、本家仙台の伊達家は宇和島では陰は薄いのでしょうか。

 少々足の不自由な母と娘、昨日駆け足で参拝したので、今日はゆっくり参拝するとの事で感仙殿地区迄ガイド致しました。
 定禅寺通りを始めとする「光りのページェント」を見るために秋田県象潟町から来ました。ホテルには同様の観光客が沢山居ました。ループルバスで昼は歴史の観光を、夜は「光りのページェント」を見学をした。
 象潟町は瑞厳寺のある松島町と姉妹都市の関係にある。その縁は象潟から松島に嫁いで来て、尼になった「紅蓮尼」にある。松島のお土産で有名な煎餅の「こうれん」は「紅蓮尼」に由来するものです。私達は「おこうれん」といっています。
 等々を語りながら満足して石段を下って行きました。私も満足しました。

 感仙殿の俗名「油井茂兵衛直元」の寶篋印塔の前に可愛い花束が供えられていました。御子孫の方が最近お参りされたのでしょう。

 メモ
 俗名「油井茂兵衛直元」は、法名「雄岩瑞英禅定門」没年「万治元年(1658)8月5日」行年「58歳」殉死場所「私宅」です。
 その履歴は「寛永13(1636)年8月忠宗公特に禄を給し定供に挙げ、再び禄を増して三百余石となり、小人頭に遷る。 辞世は『今日のみと待ちうけたりし身なりせは何か迷はん君の行く道』。直元の子元長は足軽頭より累進し脇番頭に至る。」
1933年8月発行、菊田定郷著、仙台人名大辞典に寄りました。

 11月30日メモ記載の「感仙殿に寶篋印塔のあった方は、俗名「田中勘左衛門良長」法名「圓福天然会通西堂」没年「万治元(1658)年8月5日」行年「47歳」殉死場所「輪王寺」でした。
 伊達家譜代の家臣田中惣左衛門 「樫崎・太田(現桃生町)等882石を領」の弟「田中勘左衛門」が1645年寺崎宿(現桃生町)を町割をした。との記録にあります。この方と殉死した方と同一の方か
」は 別人の様です。
 上記1933年8月発行、菊田定郷著、仙台人名大辞典に寄ると、「田中勘左衛門」の項に「桃生郡寺崎村(中津山村)の地頭」とあります。「田中勘左衛門良長」の項には「寛永の初年政宗公(中略)忠宗公の小姓に挙ぐ、鷹匠より申次、小姓頭に歴進し、禄を増して千四百石に至る、正保年中故ありて家禄を没せらる。是に於て髪を剃り、名を會通と改め、四方に周遊す。(以下略)」と殉死に至る経過と辞世が詳細に記載されています。この様に活躍の場が異なりますので別人と考えます。なお、「田中勘左衛門良長」の家士「芝原角左衛門」法名「誠窓士丹禅定門」行年「25歳」も殉死し、「田中勘左衛門良長」の後方に寶篋印塔があります。



12 月 8 日 (日)  



 財・瑞鳳殿から団体ガイドを依頼されました。初めてです。張り切り 向かっていましたら、片平バス停付近の信号待ちで停車中 ドスンと追突されました。依頼客は約束の時間には松島にいるとの事でキャンセルになりました。参拝者も疎らであり、精神的ショックもあり。ガイドを中止しました。今日はなんであったのかな。
 事故処理の経過は 追って報告致します。



12 月 6 日 (金)  



 観光ボランティアガイド「ぐるーぷ・よっこより」は特定非営利法人シニアのための市民ネットワーク仙台「略称シニアネット仙台」の一活動グループです。シニアネット仙台は会員の親睦と会を応援して下さる皆様との交流を目的にXmasパーテイーを本夕開催致しました。あかとんぼも実行委員として参加し司会を担当しました。
 「ぐるーぷ・よっこより」の仲間に、本ページの熱心な読者の方々を含めて100人余の方々が参加され、賑やかにお楽しみ頂きました。
 散会の際、本ページの熱心な読者で 天女さんの足裏研究者のOさんから、京都・東寺の足腰健全のお守り「佛足」を頂きました。健康管理の為にと62.5の石段の昇降を楽しんでいる身。このプレゼントに歓喜致しました。感謝致します。

 1日の日誌に転換誤りが1字ありました。毎週読んでいますとYさんから激励とご指摘を頂きました。早速訂正致しました。感謝致します。

 熱心な愛読者の皆様に感謝の夕べを開催しなければの気持ちです。ご愛読に感謝致します。



12 月 1 日 (日)  



 きやびらかな錦織りの彩りを演じていた樹々は一斉に葉を散らし、時折舞っております。清掃担当の○○さんは掃いても掃いても溜まる落ち葉と格闘していました。環境保全から落ち葉焚きが禁止され、市の清掃車に出すにはゴミ袋が何十枚になるか、袋の代金と手間が大変だ。といって参拝客の目に触れない、近隣住宅に迷惑を掛けない所に捨てたいものだが 適当な場所がなくてと悩んでいました。

 駐車場担当の○○さん。来車の人々は寒いので窓をあけないので、指で駐車番号を常に指示しているので癖になり、金融機関窓口で指で引き落とす額を示したら、聴覚障害者とみられて手話で応答されたと笑っていました。明日から春まで駐車場は無人管理になり、冬休みに入ると寂しそう語っていました。

 7〜8人の同年配の団体に瑞鳳殿の墓室の材質・構造をガイドしました。秋保温泉○○屋の紙袋を下げていたからです。40年来の仲間との事、良いお湯の温泉であったと喜んでおられました。それは結構なことでした。

 瑞鳳殿と感仙殿地区との間に森があり、各々が森にに囲まれています。誠に良い雰囲気を醸し出しています。何故、直接向き合うように造営しなかったのかのご質問がありました。当時ブルトーザが無くて山を削れませんでしたと答える訳にもいかず、どうしてでしょうとお答えしました。誠に無粋な方です。

 H代表から これからは参拝者は日当たり500人位になるの お話がありました。となると、開門時間は7時間、るーぷるバスは30分間隔の運行であり、全参拝客が利用するとすれば1回35人位。この人々を確実にガイドしないと、ガイドする機会無く ベロの凍結で終わる日もアル計算。となっても誰彼構わずにガイドする訳にはい来ません。
 本日で年間目標の52日回を達成しました。今暫く降雪季迄聞いてくださる方々にガイドを続けます。

メモ
 瑞鳳殿の墓室は47個の凝灰岩で組込式で組み立てられています。この凝灰岩は秋保温泉で採掘していた秋保石ではと言われています。
 礎石上端から墓室底面迄3メートル。内法1.82メートル 幅1.18メートル 深さ1.45メートル 地表から下は玉石と粘土を交互に4層に敷き詰めています。





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