2003年2月の日誌
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2 月 23 日 (日)  



  春の訪れを感ずる陽気となり、体も口も幾分軽くなった感じでした。

 小泉首相は日本人は海外に旅行にどしどし出掛けるが、日本を観光に訪れる人々が少ない、この逆転現象を是正し 日本を好く理解して貰う為、国際観光交流の推進を提唱し、関係機関に実施を指示したと聞いています。その効果が早速現れたか、国際交流日でした。
 中華民國・台湾からの三世代の家族連れ、中華人民共和国・北京からの盛年三人連れ、アメリカ合衆国の子連れのご婦人と連続して参拝においでなりました。「私の日本語がわかりますか」と聞いたら、「わかる」との返事でしたので、本殿を中心にガイドしました。「飛天の足の裏を見せていることについて紀元前200年前の中国大陸の遺跡に、その源があるようだ」と申しましたら、あらためてうなずいていました。1800年後に奥州に花開いた自国の文化に、伊達家中の学識に驚嘆したものか、連綿たる中華思想を納得されたものかは、私にはわかりませんが、満足していました。北京からの方は私を挟み写真を撮り、北京観光を勧めて機嫌良く石段を下りて行きました。
 この方々は私とは日本語で、仲間や家族とは自国語で話ししていました。外国旅行するには、訪れる國の言葉を勉強していればこんな楽しみもあると感じました。
 国内では、香川、福岡から見えていました。東京・関東を除いて多い名古屋からの方はいませんでした。どうしてでしょう。

 本殿脇の寶篋印塔を指して「以前は石仏でなかったか、何時この様に変わったのか」と尋ねる方がおりました。「以前からこの様で本殿再建の際、建て直されており創建当時とは寸法は多少は異なるかもしれません」と応えるとまだ不思議そうにしておりました。「片倉家の墓所と混同されたのでは」と話すとうなずいて去られました。暫くすると「ねこ御前・飯坂の局のお墓はどこにあるのか」と戻って参りました。「吉岡・天皇寺にあります。政宗公の三男、吉岡邑主三萬石の宗清の生母であり、お二人と殉死者の墓所があります。大和警察署の次の交差点を左折すれば、間もなくです」と答えました。喜んで去り、再び戻ってきませんでした。

 寶篋印塔の前で父親に「殉死とは」と尋ねているお嬢さんがおられました。「お幾つですか」「26歳です」「殉死者の最年少者は22歳です」この後は親娘の対話に譲りました。昔の若者 22歳で自立しており、この前途洋々たる若者を殉死するに至らせた政宗公の魅力とは、と考え込みました。

 「政宗公の体重は」 H代表が小学生から色々質問された中の一つだそうです。身長は159p、血液型はA型と判明していますが、体重の記録には接していません。米は量目で量っていて重さで量っていなかった。サテ体重を量る風習があったか、体重計の無い当時、体重を量るとすればどんな秤があったのか等、12時参拝客が途絶えた合間の会話でした。

 善応殿と感仙殿の裏の原始林に入って行ったペァがありました。森林浴の季節でもないこの季節です、眺めも良くありません。不思議に思いました。でも、この時刻と天候では遭難する心配もないし、「人の恋路を邪魔するな」と刺されてもつまらないので、声をかけませんでした。



2 月 16 日 (日)  



 肌寒い曇天の日でした。暦の上では立春になったためか、参拝の方々の人数に春の兆しを感じます。大阪、名古屋からお見えになっていました。

 開門早々 団体が連続しました。ガイド嬢の付かない団体に断片的なガイドを致しました。若い男性の団体で足が速く一気に本殿に到達されため、涅槃門からの定食的ガイドをする機会を失しました。断片的ながら質問もあり、皆さん満足された表情でした。
 この連続したバス3から4台の方々は仙台市内に宿泊されたそうです。市内のホテルは過剰との話しもあり、ウィークディ以外は割安料金なのでしょうか。土・日に割高料金になる郊外の作並・秋保の両温泉旅館は困るのではないでしょうか。若い人々には温泉は魅力がなく、眩しく輝くネオンに魅力があり、経費を負担する方は幾らでも安くて良質の宿泊施設を求める結果でしょうか。

 弔魂碑についてガイドを求められました。「戊辰の役」での伊達家家臣の犠牲者の供養碑と申したら、「戊辰の役」とはと首をかしげておられました。学生かと聞いたら社会人ですと答えが返ってきました。大東亜戦争も知らない世代の人に1868年8月から9月にかけての凄惨を極めた歴史事実を簡潔・正確にガイドするには如何にまとめたらと自問しています。

 9日と11日「建国記念日」のガイドと本ページの更新を休みました。多数の方からインフルエンザに倒れたかと安否を問うメール等を頂きました。参拝客が少なく春の兆しを感じたこの時節を利用して、実は甲府盆地に武田信玄の蔭を求めて参りました。ご心配頂きました愛読者の皆様にお詫びとお礼を申し上げます。



2 月 2 日 (日)  



 寒さがじわりと身に浸みる日でした。
さすが観光で仙台を訪れる方は少ない様で、定期観光循環バス「ループル」で訪れた方は1台で10人ほどでした。タクシーで訪れ乗務員が案内は2台でした。新顔の乗務員で周囲に注意を払う様子も無く積極的にガイドしていました。

 ロシアの方らしい7から8人の方々が売店で「伊達グッズ」を手にして語っていました。ご婦人達は素敵な毛皮のコートを召していました。自国産の品でしょう。日本人には毛皮のコートは目にしません。どうしてでしょう。自国産の品の愛用、愛国心に目覚めたのでしょうか、それとも動物保護の世論に負けたのでしょうか。

 1月12日の日誌に「瑞鳳殿で瑞鳥獣の口は全て右左上下の流れで阿と吽となっていますと、ガイドしてなるほど理解して頂いて、感仙殿の瑞鳥を見上げていた一行から左右と流れが反対です、何故ですかの質問がでました。」と記載しました。正面のみならず四面とも左右と流れが反対です。財・瑞鳳殿刊行の再建の経過を記載した小冊子には「感仙殿の装飾は焼失前の写真があるので、それに基づき復元することにした」ありますが、資料館に掲示されている焼失前の写真では不鮮明で確認出来ませんでした。H代表にお尋ねしましたが確答は頂けませんでした。杓子定規でないミステリーなところが味のある所でしょうか。

 御本殿の扉は常には閉じています。「何時開きますか」のご質問があり、「正月2日と5月24日御命日の法要の際と、仙台七夕の期間中に開扉され、御木像を拝めます」と答えましたら、「ハァー7月ですか」と返ってきました。
日本一の仙台七夕は8月と知らない人がいる現実と、東北各地の夏祭り「ねぶた・ねぶた・竿灯」そしてお盆にと連続するのが8月で、日本の常識と思っていましたので、ショックでガクンと来ました。

 旧暦・太陰暦には閏月があります。気候の大きい波を読みとる必要のある農作業や衣料品の販売戦略には、旧暦・太陰暦の閏月の存在を了知して計画を組むと成功の確率が高いと先日NHK図書で読みました。昨2月1日は旧の元旦でした、あかとんぼの仲間は新年互礼会を開き歓談しました。明日は節分です、落花生が売られていますが、でも煎り大豆を噛みながら暖かくなる日、沢山の人々が訪れるを待ちます。





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