2003年5月の日誌
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5 月 28 日 (水)  



 五月晴れの暖かい日です。
 
 福島県相馬市日立木の生涯学習団体40人程が瑞鳳殿参拝にお見えになりました。百尺観音や松川浦で有名な所からのお出でです。初めて参拝の方が多数との事でした。相馬氏と伊達氏は政宗公の時代まで幾たびか対戦しており、対戦相手の殿様の墓参に至らなかったは当然です。はじめ62の石段に恐れをなした方に、殿様の気分でゆっくり登って下さいと申し上げましたら、結果的に元気に三廟を参拝して頂けました。よかったです。
 当初、ご挨拶の際脱帽し、皆様と同年配でしょうかとお尋ねしたら、「イヤイヤ」との答え。これは若い・若くないの何れでしょうか。引率者から高齢者も居るのでゆっくりとの注文もありましたので、拝殿で腰掛けて頂いてガイド致しました。結果的に約束より40分オーバーの90分ガイド致しました。
 26日の地震災害の倒壊した寶筺印塔をご案内したのち、被害をお尋ねしたら、被害は無かったが、たまたま水田で作業していたら、一斉に波立って怖かったと語られていました。

 ご依頼ありました相馬市の人生の先輩をガイドしました、その前後に、日本の未来を背負う、福島県郡山市、須賀川市から中学生の修学旅行生にもガイドしました。郡山・須賀川の藩主は何万石かあかとんぼ自体記憶しておらず、、又彼等も知らないため、伊達家の家禄62万石と申しても、何のことか簡単に理解して貰えませんでした。理解して頂けるガイドのありかたが反省点でした。

 伊達藩志会会長・瑞鳳殿再建事務局長伊達篤郎氏がご高齢ながら運転され、お出でになりました。26日の地震災害の倒壊した寶筺印塔が心配で、現地確認に見えたそうです。相馬市から見えていますと、紹介しましたら大変喜ばれて、引率の公民館長に名刺を差し上げていました。



5 月 26 日 (月)  



 瑞鳳殿ガイド仲間「ぐるーぷ・よっこより」の勉強会が新緑の映える仙台城三の丸と本丸で、30人ほど参加して行われました。講師は瑞鳳殿と博物館と両方でガイドをしているNさんです。今回は観光バスが案内しないところ、徒歩でなければみられない所を重点にしましたので、参加した皆様には、知人を案内した際に博識と褒められる様な意外な発見が在ったのではないでしょうか。

 ぐるーぷ・よっこよりのページに勉強会の写真を掲載します。



5 月 25 日 (日)  



 昨日の賑わいと対照的に閑静な日でした。

 献花を見て、アレーと云った表情の方、第18代当主伊達泰宗の名札を読み、伊達家は未だ続いていたのですか、わざわざ仙台においでになったのですか等を呟かれている方がおりました。
 昨晩のテレビを見たので来たと云う方もおりましたが、昨日法要があった事を知らないでおいでになった方が殆どで、涅槃門を潜れ、本殿の御木像を直々に参拝出来た千載一遇の機会を1日の差で逃がした事を知って残念がっていました。

 北海道登別中学校の修学旅行生の3〜5人の小団体での参拝がありました。北海道開拓と伊達藩の関わり札幌市白石区、伊達市等、そして白老町の陣屋、択捉、国後の2島は伊達領であった等をガイドしました。白老町は登別町の近隣なので興味を示すかと思いましたが予想は外れました。後方で聞いていた若くない女性が肯き聞いていたので、さすが先生と思ったら、一般参拝の方で時間がありますと一人ゆっくりガイドを聞いてくれました。

 朝一番の方、清掃担当に質問をして、ガイドに聞いてとふられてきました。この方は自分の話をする方でした。たとえば 伊達家の一番古い家紋「三引両」の説明で1189年の平泉侵攻を口にしたら、〇〇年に平泉に旅行して・・・、東北道を走らないでどこ経由で来た・・・等々延々と語ります。独居高齢者のお話聞きボランテイアになった気分になりました。

 津軽家から皇室に嫁しているが伊達家からは、いるかのご質問がありました。この方の大名家の基準は皇室との血縁を重視している感じでした。いるとの記憶はありませんと答えました。皇室の血脈は神武天皇以来公開されていますのに、そして現代は皇室との血縁を誇示する時代ではないのにと、ご質問に内心釈然としませんでした。

 拝殿の扁額の塗料・絵の具は何でしょう。伊達家は三大大名の三番目です。伊達家の権勢最高の時代です。当時の国産で高価な物です。皆様のコレクションの品かも。さて何でしょうと問いますとご婦人の大方は口紅とお答えになります。このヒントと実物から、どうして口紅に結びつくのか、あかとんぼには不可解です。

 10時頃感仙殿前の広場に救急車が入りました。長くて急な石段をどうして登ったか一瞬驚きました。昨晩から行方不明になっていた高齢者が一晩裏の原生林をさまよい、感仙殿本殿前に空腹と疲労からふらついて出てきたところを参拝者が発見し、不審に思い事務所に連絡した結果でした。この歴史公園の霊気に誘われ山中に、そして伊達家三代のご遺徳で救われたのでしょうか。結果無事でよかったです。

 本日も、色々な方々との出合いがあり楽しい日でした。



5 月 24 日 (土)  



 本日は伊達政宗公の368回忌の法要が11時から廟所で厳かに催されました。

 11時 「仙台藩志会」「殉死者子孫」「大年寺」の3本の幟を先頭に、導師・住職10人余に第18代ご当主、そして幟等の関係者が傘・羽織袴・裃・脇差し・雪駄の伝統の衣装で、ご婦人は伊達文様の羽織姿で62の石段を登られ、本殿前に参列しました。
 献茶・献香に続いて読経、11時20分に焼香 ご当主は本殿祭壇で焼香 関係ご婦人お二人は段後で拝礼されました。続いて各代表が祭壇で焼香 以外の人々はその場で拝礼されました。
 11時30分 開扉され鎮座する御木像政宗公の視線を背に、関係者と一般参列者に第18代ご当主が368回忌法要が無事執り行われた謝辞を述べられました。

 ご本殿と拝殿に見事な:献花が4器、本殿左右の各寶筺印塔、そして感仙殿、善応殿にもそれぞれ花が手向けられました。

 本日は政宗公の御命日で法要が在るとは知らないで参拝された方々が多数おられ、時間に余裕のある方々は千載一遇の機会と法要の始まる前に感仙殿、善応殿も参拝され、登段してくる行列を見られ法要に参加されました。

 法要の直後に参拝した方々は、本殿内に鎮座する御木像政宗公を直々に拝まれ、本殿の側を一周され間近に飛天様を目にされ、そして年間6時間しか開かれない涅槃門から現世に戻られました。この真に幸運の方々はバスでの100人程の方々です。この人々は2列に並び お賽銭を上げ合掌した上で飛天様巡りをされました。拝礼もしない人々が居る世に、この人々は知性と教養がある様です。動きが早く充分にガイド出来なく、この幸運である事を伝え切れなかったことは残念でした。

 藩志会員の脇差しは真剣でしょうかと参拝者から尋ねられました。わかりませんので会員の方に恐る恐るお尋ねしました。「真剣を携えている方もおいででしょうが、大方は占領軍の刀狩りで没収された等で真剣では無いです」との事でした。。

 午後から赤とんぼは、ガイド仲間の「ぐるーぷ・よっこより」のネットである「NPO市民のためのシニアネットワーク仙台」の年次総会が在るため、事務所にガイド終了の挨拶をしましたら、施主と住職と関係者のお斎に参加出来ない人用のお料理の折りを頂きました。総会準備会場に持参にYさんを初め皆様にご披露し記念写真を撮影致しました。さすが政宗公のご法要・お斎の料理折りです。吟味された食材で美しく美味で高価な料理折りでありました。
 シニアの健康管理と些かの社会奉仕になれば行っているボランテイァガイドに、斯様なお心遣いを下された、ご当主と事務所の皆様に厚くお礼申し上げます。
 



5 月 18 日 (日)  



 今日は第19回目の仙台・青葉まつり日です。そもそも青葉まつりの起源は1655年9月仙台・東照宮の祭礼として始まったもので、1874年に政宗公を祭神とする青葉神社が創建され、翌年からご命日の5月24日にまつりが行われるようになった。現在の姿に復活したのは、没後350年にあたる1985年でした。現在は青葉神社の御神輿渡御が有りながら、御命日(5月24日)に関係なく5月の第三日曜日に行われています。

 その様な事からか、参拝に訪れた方々は新潟、横須賀、北海道、秋田等々からでした。ポーランドを初めとする欧米からもおいでになりました。中華民国・中華人民共和国等は出國禁止処置をされているのか、お見えになられなかったようです。

 青葉まつり関連行事として、涅槃門前広場で伊達家十八代御当主を総大将とする「五葉山火縄銃鉄砲隊」の出陣式がありました。総大将は参拝後、御神酒・勝栗等を古式に則り食された後、勝ち鬨を上げ、隊列を組みご城下を目指して進軍して行きました。鉄砲隊支援隊のオバサンから総大将が召された御神酒が祝儀として振る舞われました。 表紙トップページに写真を掲載しました。

 メモ
瑞鳳殿建築した棟梁を教えてとの宿題。現在まだです。政宗公時代の主な建造物と其の担当者は次のとおりです。
作事              担当者
仙台城本丸大広間     棟梁 梅村彦左衛門家次
                 匠人 刑部(おさかべ)左衛門國次「紀伊」
                 画工 佐久間左京
大崎八幡神社        大工 日向守家次「山城」
                 棟梁 刑部(おさかべ)左衛門國次「紀伊」
                 棟梁 梅村左衛門頼次
瑞巌寺方丈          棟梁 梅村左衛門頼次 
                 匠人 刑部(おさかべ)左衛門國次「紀伊」
松島五大堂          匠人 鶴右衛門「紀伊」
塩竃神社           匠人 鶴右衛門「紀伊」
陸奥国分寺講堂       大工 駿河守宗次「和泉北根」
いずれも 中央の美術・建築・技術の直接導入である。
以上は宮城県の歴史 山川出版社版によりました。



5 月 11 日 (日)  



 瑞鳳殿の緑も段々濃くなってきました。
参拝者はJTBのバス3台が多所で、それ以外は少なく1人でほぼ全員にガイド出来る状況でした。

 津軽からのお嬢さん、今日から大相撲が始まりますが、津軽出身でNHKTVでも人気者「高見盛関」を知りませんでした。相撲の人気は郷土の英雄も蔭が薄くなる程ないのでしょうか。
 でも、涅槃門のヒバの感触だけはしっかり楽しんでいました。やはり津軽の娘でした。

 静岡からの人生の達人を案内された女性「英語でガイド出来ますか」のお尋ねがありました。外国人をご案内する予定があるのだそうで、今日は勉強になりましたと礼は申されました。
 ここ瑞鳳殿に日本語圏外からの参拝者がそれなりにおいでになります。仲間のYさん「ガイドしましょうかと声かけしようとした瞬間、相手から日本語以外の言葉が出てきた。声をかけなくて良かったのよ」と先日洩らしていました。Yさんは早速英会話の講座に参加しています。私は英語でガイド出来れば良いな、でも・・・の状態なのです。
 日本と相手國と同一年代の出来事が瞬時にスライドして相手國の言葉でガイド出来る方、仲間になってガイドして頂ければ最高です。何方おいでになりませんか。

 



5 月 5 日 (月)  



 目に青葉 燦々と陽光は眩しいです。

 昨日までが大波・怒濤なら、今日は小波・渚です。定期観光バスのガイト嬢は「今日は18人、昨日・一作日はバス2台でした、遠来の方々は帰られたのかな」と申していました。その様に感じます。

 感仙殿前の解説プレートを読んでいた中年の逞しい体格の団体の一人が、「あれー 2代目は政宗の子供で無い」と仲間に大きい声で語っていました。とんでもない発言に飛んでいきました。1599年大阪で生まれたの解説を読んで、政宗公は仙台の人、大阪生まれなら政宗公とは血の関係無い貰い子であると、現代的解釈での発言とわかりました。「忠宗公は秀吉公の元に実質人質として大阪に滞在していた正室愛姫との長男です、政宗公からは次男になります。長男は四国宇和島藩主になられています」「次男だから仙台の田舎に流されただんだ」「仙台は伊達家の本家62万石、宇和島は10万石、分家です。分家が認められた事は政宗公の凄い政治力を示すものです」充分に納得され無かったたようです。
 今ひとり、善応殿の解説プレートを読んで、「あのー何とかという字はナント読むのか、意味は」と問われましたので「逼塞 ヒッソクと読みます。意味としては公職追放・軟禁が近いでしょう」とお答えしました。何となく納得したようです。
 なかなかユニークな発想の方々なので、幹事格に「どちらからおいでですか」と尋ねたら「淡路島・昔からの家柄の坊ちゃん達です」お返しに「アー上沼恵美子さんの島民ですか」と申したら苦笑していました。

 涅槃門で「麒麟」と一発で答えたのは女三世代の三世代目でした。本殿までの間のお話で、近頃の若い人に珍しく、中年男性よりもよく知っていると思い尋ねたら、東北大学生との事でした。史学科ですかと尋ねたら経済学部とのことでした。東北大学生はさすがです、並の大学生とは異なるようです。

 石段の登り口で、案内板をメモしていた若い女性から「瑞鳳殿の設計者、敷地面積、建築年次」を教えてくれと云われました。「創建当時の普請奉行なら「奥山大学」ですが匠については勉強していませでした。敷地面積の範囲を瑞鳳殿そのものの敷地なのか、瑞鳳殿全山を含めた広義の瑞鳳殿でなのか、いずれにせよ資料の手持ちが無くわかりません。建築年次は瑞鳳殿は1637年10月24日に落成しており、空襲で焼失し再建した現在の瑞鳳殿は1979年11月31日の竣功です。レポートでも書くのですか」「ハイ東北工大生です」。30分一巡の入場パンフと案内板で瑞鳳殿についてのレポートを書くのは文学部なら可能でしょうが、工学部のレポートは無理ではないでしょうか。今の大学はこれで通用するのでしょうか。幾ばくかの参考になればと本ページを教えました。
 メモ
現在の本殿面積は33.64u 拝殿は51.84u 涅槃門は10.85uです。瑞鳳殿再建期成会資料によりました。

 本日午後は一人、午前はHGさん、Yさんと一緒で「ぐるーぷよっこより」のページ掲載用の撮影も致しました。昨日はUさん、Nさんと一緒でしたが撮影の機会がありませんでした。又の機会に撮影します。



5 月 4 日 (日)  



 初夏、陽光は眩しく暑いです。

 循環観光バス「ループル」は、黄金週間中は1時間に2本から3本に増便されまして、切れ間無く参拝者が見えました。昨年の様に乗り切れない人々を炎天下30分も待たせた事態は改善されたようで結構な事です。いつもお逢いする観光タクシーの運転手皆様は実に適切・丁寧にガイドされていました。私は瑞鳳殿だけですが仙台圏をガイドするのですから感服します。

 新潟から見えた親娘3人の方、石段62段を登った処プレートからガイドしました。涅槃門・本殿とガイド内容を克明にメモされ、質問もされました。最終的に社会学級でも案内することが少ない、お子様御廟まで約90分ガイド致しました。お子様御廟までガイトしたのは、仙台城は何故青葉城とも名乗るのか、何故政宗公は本地を墓所と定めたのか等の質問の答の一つとして、樹間に仙台城の見える場所を案内したものです。
 彫り物にも大変興味を持たれてましたので、このホームページをご覧頂ければ、語りきれない分をご理解頂けるでしょうと名刺を差し上げました。

メモ
 ご質問あった九曜紋について補足説明致します。
真ん中の大きい○は土星で、その真上12時の所が水星、以下時計回りに、「羅」「木」「日」の順で、6時の位置が「火」で続いて「計」「金」「月」の配列です。
 この紋章は古くは印度に発した星に象ったもので、又これに佛を配して天地四方を守護するという所から九曜曼陀羅が生まれた。
 九曜の星の名称に佛名をあてると、水曜(弥勒)羅候(不動)木曜(薬師)日曜(千手)火曜(虚空蔵)計都(釈迦)金曜(阿弥陀)月曜(勢座)土曜(聖観音)となる。
 以上は菊地勝之助編「名数 みやぎ郷土小事典」等によりました。



5 月 3 日 (土)  



 新緑青葉茂れる瑞鳳殿。山櫻も咲いています。
黄金週間後半初日。朝早く世界各地から参拝にみえました。

 若い逞しい体格の男性20人余、2列で、の号令で登段し、本殿で深く頭を垂れた集団がありました。名門常総高校ラクビー部一行と、茨城県から見えたお客様が教えてくれました。行動は統制のとれたものでした。奥羽の覇者「政宗公」に高校ラクビーの覇者ならんを祈願したのでしょうか。

 若い女性3人連れに写真のポイントで説明し、シャッターを押しました。「天女さんとどちらが綺麗でしょう」と申してら「それはわたしです」と即返ってきました。なかなかハッキリした人です。通常は「いやいや、とても」と申します。本殿前でガイドしたら段々真剣に聞き始めました。仙台の娘だそうで、肌色の濃い娘は友人であり、案内してきた。との事で、今聞いたとおりをガイドしていました。国際交流・親善と叫ばなくとも、若い人々は自然に行っていると認識を新たにしました。

 若いペア、青森から1泊2日の観光との事でした。涅槃門で柱は「青森檜葉」と説明したら、喜んで柱に触り、女性は木の香りを嗅いでいました。やはり「青森檜葉」の特性を知っています。この様に知っている人にガイドをすれば反応があり、嬉しくなります。

 ガイドブック持参の方、何組かおり、仙台は牛タンが名物だそうたが何故か、仙台の牛の舌は特別か、舌だけとれる牛が居るのか「そんな二枚舌の牛がいるの?」等のご質問が相続きました。

 今日も、拝礼するに手を叩くのか、合わせるのかのご諮問が久々にありました。政宗公はお佛様になりました。とだけ応えました。



5 月 2 日 (金)  



 今年も仙台西高等学校1年生の経ケ峰歴史公園の課外学習があります。昨年は240人の全員には望めませんが、何人かが現在生活している仙台の地理・歴史に幾ばくかの興味を持たれ、これからの人生の糧になれば幸いとの思いから、それなりに真剣にガイドをしました。理解してくれた高校生から、お礼に握手を求められ感激しました。今年もこの感動を味わいたかったのですが、思わぬ所用の為ガイド参加出来ませんでした。幾ばくかの心残りを感じています。
 





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