2003年8月の日誌
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8 月 31 日 (日)  



 冷たい夏八月の最終日。午前はバケツをひっくり返した様な大雨でした。参拝客が途絶える事もありました。でも、東京、新潟、石川、香川、愛媛からお見えになりました。
 今日の愛媛の方は瀬戸内の人なのか、宇和島の話しに至らなく、家紋のお話もしないで終わりました。拝殿の扁額に珊瑚と真珠が使われているとお話をしたら、産地は高知と志摩かと聞かれました。さてどこでしょうか。

 ガイドブックを持参した熟年3人連れの方に、「この極彩色の部屋はどこですか」と尋ねられました。見ましたら、松島瑞厳寺の襖絵でした。瑞鳳殿の本殿等の写真と同じページに桃山様式の豪華絢爛を強調した故に瑞鳳殿と瑞厳寺を混同したのでした。昨日、瑞厳寺を参拝しましたが「あったかしらハテナー」と申していました。
 3人の中から、「何故此処は空襲されたのか」のご質問がありました。「誤爆でしょう。軍事施設でなく、墓地ですから」とお答えしたら、「それで、誤爆と言えるのか」再度言われました。黙りました。この様な政治的、思想的な面を秘めてのご質問には対応できません。観光地以外で質問して頂きたいものです。

 東京の親娘、豪華絢爛と大変喜んでいましたので、「松島瑞厳寺も桃山様式の建築で、又異なった美しさがあります、ドウゾ」と申したら、「今日は塩竃迄行って、壽司を食べて帰ります」との事でした。塩竃の壽司はテレビ等のグルメで紹介され、全国区と聞いてはいましたが、松島観光、瑞厳寺参拝より優先度が高いとは初めて知りました。



8 月 25 日 (月)  



 グループの勉強会がありました。題は「空襲前後の仙台のまちと史跡」で、講師は1929年生まれでした。瑞鳳殿等が空襲で被災する前後の様子が聞けるかと期待して参加しました。でも仙台空襲の一般的な話で、瑞鳳殿の被災の話はありませんでした。空襲で逃げた話なら私にもできます。8月14日晩の日本最後の空襲で逃げています。
 1945年7月10日の仙台空襲を経験した別の先輩の解説によれば、瑞鳳殿の西側の二の丸には陸軍第二師団があり、南側の丘陵には陸軍幼年学校があり、これら軍施設の中間に瑞鳳殿が位置していたための誤爆・誤投ではないか、とのことでした。



8 月 24 日 (日)  



 曇り時々小雨の天候です。参拝者は少ないです。

 信州からマイクロバスで、一昨日は瑞巌寺、昨日は平泉を参拝され、昨晩は秋保温泉に宿泊された7人様、墓室の石は、秋保石ですのガイドに、伊達様にどっぷり浸かったと満足の様子でした。今日はガイド付きで参拝できたと大変な喜び。恐縮してしまいました。
 観光客の宿泊は仙台城下が多く、近郊温泉地の秋保・作並の両温泉に投宿とお答えなる方は誠に少なく、この方々は伝統しきたりを尊重する優秀な観光客と私は賞賛します。

 ガイド嬢が全くガイドしない一行を石段の登りからガイドしました。「どちらから」「新潟から」「アー田中さんの所ですネ」「はい私タナカカクエイです」の問答をしながらガイドしました。一番喜んでいたのはガイドしないガイド嬢でした。私の話をドンドンとメモしていました。

 欧米系の若いペア 2組別々に参拝に見えました。拝殿に座して、何れもガイドブックと鑑賞パンフを読みながら、色々指差しながら熱心に鑑賞していました。
 中国語を使用する一族郎党の団体も解説器を聞き、資料館を見て、再び本殿等を鑑賞していました。
 この点、日本の人々は誠に淡泊です。本殿前60秒も滞在しない人もいます。時間と旅費がもったいないと思います。私の知っている範囲で幾らでもガイドしますのに。

 本日、ご当主様自ら2組も直々にガイドしていました。その割に熱心にまじめに聞いている様子がありませんでした。何れの素性の者なのか。もったいない、もったいない。

 七夕期間中の灯明照らし等の企画で、19時から21時までの2時間で1日400人の参拝があり、賑やかで企画は成功したと事務所で喜んでいました。よかったです。

メモ
 秋保温泉旅館から秋保石の採石場跡が見えます。墓室の石材は疑灰岩(秋保石)で、47個が漏水投のない様に切り込みで組み立てられています。
 礎石上端から底面まで3m 内法1.82m 幅1.18m 深1.14mです。



8 月 17 日 (日)  



 本日もガイド休みました。

 今日も雨が上がりません。孫滞在中は晴天が無くガイドする事が出来ませんでした。残念でした。
 パソコンウイルスの攻撃を受けました。全くの使用不能となり終日、修復作業に暮れました。完全修復出来ませんでした。日誌の発信も出来ません。



8 月 10 日 (日)  



 本日のガイドは休みました。
 昨日発売のある総合雑誌の「安心して年のとれる地域社会を目指して」の論文の中で、高齢者の社会活動の事例として「雨の日であろうが、観光客の少ない冬場であろうが、日曜日になると必ず瑞鳳殿に出掛けていく」と紹介されました。こうなると休み難くなりした。
 また、、仙台市内某大学生からボラティアガイドを本日実地調査したいとの協力要請があると、代表から連絡を受けていました。これまた休み難くなりした。
 でも、休みました。1年振りに孫の来仙出迎えと競合したからです。滞在中にガイドする予定です。



8 月 8 日 (金)  



 一度は雨に見舞われるジンクスのある仙台七夕、3日間一度も雨に降られず、炎暑にもならず、観光客や、七夕七ツの願いならぬ、商売繁盛と八ッ目の願いをした人々に、大変喜ばれた七夕でした。瑞鳳殿の参拝者も切れ間なくありました。

 瑞鳳殿の灯籠やライトアップの催しも好評で、3日間で夜間の参拝客が1000人を越えるそうとのことでした。ループルバスの増便、3年目である、天候に恵まれた等が効をそうしたのでしょうか。

  定期観光バスのベテランガイド嬢から、「本殿の扁額横の紋をナント説明すればよいでしょうか、お客様から実家の紋があるが」の質問が飛んできました。「圓紋です、紋を模様として配置したものです」と代表が回答してくれました。乗客は昨日よりは少ないとの事でした。

 バッチを着けた方々は昨日同様多数でした。石段の竹と蝋燭を見たご婦人は、さらに名札をみて、「アラー ボランティアですか、私は神戸でボランティアしています。1月17日夜に上空からみてわかるようにして蝋燭を灯し、震災の犠牲者を弔っています。頑張って」と激励されました。
 連れのご婦人はユニークな方で、拝殿の扁額のガイドを聞いて「珊瑚ネ、一杯持っていたけど捨ててしまった。ここに寄付すればよかったネ。」「逆鱗に触れる四国宇和島にながされたのヨ」等申されました。

 会津若松からの三世代の祖父から5歳の孫に、政宗公・御木像についてガイドしてくれと頼まれました。5歳児にガイドは苦しかった。孫は理解したかは些か疑問ですが祖父は納得されました。弔霊碑の在処と由来を申し上げたら大変喜んでいました。会津の人は100年余経っても「嗚呼鶴ケ城」です。

 小学生と訪れたご婦人、「岡山から来ました、殿様は池田公です。天皇陛下の姉様がご降家しています」とペラペラ。続いて「政宗公はどんな人だったか、この子に教えて」とのことでした。「剛胆な性格で文武に優れた人です」と代表から教えました。「岡山は後楽園、庭も庭からのお城も素晴らしいですネ」と申したら、岡山をご存じですかと桃太郎のような顔で喜んで下りていきました。

 九州からお出でになったお嬢さんと七夕飾りから柳川の飾りのお話になったら、それは「サゲモン」と言い、座敷一杯に飾り、お客様を招いてご披露します。着飾った幼女の船下りもありますと3日の話しの続きを教えて貰いました。
 
 メモ
 四国宇和島の伊達家の藩祖は側室との間の長男であり、秀吉の猶子となり秀宗と改めている。これらの事情に有りながら10万石の大名に分家独立したのは、政宗公の政治力の勝利として理解すべきである。逆鱗に触れた者が10万石の大名になれるだろうか。、



8 月 7 日 (木)  



 今日も曇りで、誠に凌ぎやすい気温です。
昨晩のライトアップに350人の参拝があったそうです。多数の方が幻想の世界を楽しみながらの参拝に喜ばれたでしょう。ライトアップは明日までです。

 定期観光バス、今日は一台で、ベテランガイド嬢の案内で、丁寧にガイドしていました。このようなベテランガイド嬢にあたったお客様は幸運です。陸奥の国から来た観光バスのガイド嬢はなにもガイドしませんでした。「私なにも知らないの、付いていけば良いと言われて来ました。ガイドがいるなら頼めばよかった」と。それは後の祭り。お客様は気の毒。

 涅槃門の前にベンチを特別置いています、同年配のご婦人、疲れたと腰をかけ、ガイドの続きを所望されました。三世代七人で昨晩奈良を発つて、今朝仙台に着いて、市中の仙台七夕を見学し瑞鳳殿に見えられたそうで、しっかり疲れた様子でした。今晩動く七夕を見学し、22時集合、夜行バスで奈良に帰るそうです。二泊三日で七夕見物は宜しいにしても、二泊ともバスの中とは驚きました。JTB等旅行会社のツアーバッチを着けた方が三々五々みえましたが、こんな強行軍のツアーが沢山あるのでしょうか。

 拝殿の扁額の顔料はゴフンで色づけされている。政宗公は隠居したがっが幕府が許さなかった等、初めて聞く話を得意げに、連れの皆様にしているご婦人がおりました。ガイドよ 知らなかったろうと言う顔をしていましたので、聞こえないふりをしました。

 本殿が開扉され、政宗公の御木像が直々に拝めます。言われるまで気が付かない方もおります。「骨格をペースにしております絵画等と異なり、これが正真正銘の政宗公の尊顔です、伊達男と言われたのを納得頂けますか」と申しますと、なるほどと皆様もう一度お詣り直します。中には写真を撮ってもよろしいかとお尋ねがあります。ご本人にお断りしてからドウゾと言いますと、大方の方はお賽銭をバラバラと入れました。政宗公は苦笑いされているのでは。



8 月 6 日 (水)  



 今日から仙台七夕です。雨は上がりましたが終日曇りでした。例年であれば灼熱の太陽光線と人々の熱気でムンムンとした中での七夕見学ですが、今年は爽やかな気温の中で見物出来るようです。
 瑞鳳殿では今年は趣向を改め、本殿のライトアップのみならず、参道両脇、階段に蝋燭を灯し、又中庭にも竹筒の灯籠を配置しました。資料館長始め役職員一同で夕方から点灯作業をしていました。
 
 定期観光バス2台は満員のお客様を案内してきました。1925年生まれのお客様、色々と話しかけて来ました。今晩戦友会だそうで、ソ連に抑留された経験まで語りました。この方は伊達家三代の御霊廟を参拝した事で一気に昔を思い出したのか、私を同年輩と見たのか。私は軍歴の無い世代ですが。

 中国地方の市議員団一行様を二時間の短時間で瑞鳳殿と仙台城をガイドしました。伊達家との関連の薄い所からお出でですので、広島・浅野家の紋所、当該市の市章・木・鳥、国分寺等事前調査の結果を交えてガイドしました。これらの事には興味も知識も余りお持ちで無いようで反応はイマイチでした。仙台城(青葉城)には大分大きい期待感をお持ちの様子なので、大橋を渡った所から、此処は三の丸・二の丸とガイド致しました。
 ご質問の最後は仙台市の人口動態でした。



8 月 3 日 (日)  



 昨日ナガーイー梅雨が空けました。平年並みの暑さになりました。暑さに感謝しながら、急激な暑さにげんなりしています。

 東京近郊からも沢山お出でになりました。おはなしをしていて、どちらからとお尋ねすると仙台近郊「ご城下の在」の方々が、夫婦、三世代等て参拝にみえていました。近郷近在からと聞くと、一瞬ドギッとします。嘘は申してはいないつもりですが、これらの方々は政宗公以来四百年三百年と伊達家とお付き合いのある人々です。家傳の話しと異なる等の話しが出るかなと思うからです。今日の方々は近所ながら初めて参拝した、ガイドを聞いて良かったと申してくれました。ホットしました。

 本殿を撮影するポイントを紹介していたら、「オー・サンキュー」と喜んでくれました。東洋系外国のお嬢さんのようですので、先日設置された四ケ国語解説器に案内しました。大陸からのお客様でした。中国語のパンフは貰っているとの事でしたので、後はパンフを読み、解説器を聞き、実物を楽しんで頂く事にしました。この四ケ国語解説器は近来にないヒットです。
 これを見ていたUさん「ノー・サンキューでなくてヨカッタナー」と冷やかしながら一緒に喜んで呉れました。

 時節柄、七夕飾り 古来・伝統の飾りで、七夕に七っの願いを込めていますと ガイドするになるほどと多くの方々から納得の肯きを頂きました。
 福岡県柳川からお出でになったご婦人から、「数の決まりがあるのか」のお尋ねがありました。何故かと尋ねましたら、柳川のおひな様では、竹の輪に飾り物をつるすが、七個の七段にする、と7・7の49になる。その上に一つ飾りものを上げると50になる。昔人生五十年といわれたので、長命を祈り、更に一つ飾り物を足す。こんな風習があるので、仙台七夕の吹き流し等の数に七の制約があるのかなと思い尋ねましたとの事でした。仙台七夕には決まりはありませんとお答えしました。
 ガイドをしていると、こんな楽しいふれあいもあります。

 門前の七夕飾りは未だでした。表紙の写真の交換は7日になるでしょう。

 





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