2003年9月の日誌
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9 月 29 日 (月)  



 爽やかな秋晴れの天候です。瑞鳳殿ボランテイアガイドの仲間「ぐるーぷ・よっこり」の勉強会が松島町でありました。参加者は過去最高の40人余でした。その構成は瑞鳳殿で常にガイドしている人、勉強会専門の人、メンバー以外で散策気分の人とほぼ三等分の比率でした。

 勉強した箇所は、陽徳院です。
ここは1650年に政宗公正室愛姫によって瑞巌寺塔頭、一門格で開山され、1653年1月24日86歳で江戸屋敷にて亡くなられた愛姫は、陽徳院殿榮庵壽昌大姉の法名が贈られ、1660年に創建された御霊屋「寶華殿」に祀られました。陽徳院は1875年廃寺になり、現在は瑞巌寺の鍛錬道場になっています。
 この境内に愛姫の御霊屋「寶華殿」があります。普段は非公開ですが今回は特別に参拝が許されました。鍛錬道場の横の湧水の流れ落ちる石段と苔むしてつるつるの石段数十段を登った森の中に鎮座していました。その昔 瑞鳳殿と同じように絢爛豪華な塗りがなされていたでしょうが、その面影はありませんでした。特別に開扉されました。参拝しました。
 御霊屋「寶華殿」については、別にページを開きます。続きはそちらをご覧下さい。

 瑞巌寺宝物殿「青龍殿」で堀野学芸員から瑞巌寺の歴史を90分拝聴し、展示物を拝見、本殿を参拝しました。続いて「五大堂」「観瀾亭」「松島博物館」を参拝・見学しました。

 見学・拝観の折々、諸先輩からの解説は大変参考になり、認識を新たにしました。瑞鳳殿でのガイド内容も精査された感じです。
 一番の感激は御霊屋「寶華殿」の参拝です。二番は松島町に残っている龍頭2頭との久々の対面でした。



9 月 23 日 (火)  



 爽やかな晴天です。明け方は寒気を感ずる冷え込みで心配しましたが、全国から多数の方々が参拝に見えました。

 広島からの女性、日本三景観光達成を目的に、昨日松島を訪れたが寒くて船室内から観光したのみで、高いところからの島々が点在する景色を楽しむ展望はしないでしまった。でも、今日晴天に輝く瑞鳳殿をガイド付きで参拝出来てヨカッタ・ヨカッタと何回となぐつぶやき、熱心に合掌参拝していました。

 手水鉢で小学校高学年の息子に作法を教えていたご両親から、来週北海道から来る80歳の伯母を筆頭とする尊属を案内するが、「所要時間と見所要点は」のご質問がありました。涅槃門から本殿までポイントをガイド致しました。長く又厳しい石段がありますので、高齢者をご案内するときは、それなりの時間を見て頂ければと申し上げました。案内されるお客様は昔日、仙台にお住いになっていて、是非瑞鳳殿を参拝したいと注文があったので、今日勉強に来たと熱心に聴いてくれました。土日なればメンバーがガイドしますと申したら、平日との事でした。残念です。

 3人連れの若い女性から、「タクシー待たせているけどガイドして欲しい」と声をかけられました。ガイドして欲しいと声をかける人は珍しいです。又タクシーで来て、運転手にガイドさせないのも珍しいです。短時間で簡潔にガイドをして欲しいの要望と理解し、見所要点を少々早口でガイドしました。終わるとリダー格の女性がバックから財布を取り出しました。先日仲間のVさんがチップを貰った話しをしていましたので、チップを出されれば困ったな、ナント断ろうかと一瞬脳内を電波が巡りました。出て来たのは名刺入れでした。ホットしました。金沢観光ボランティアガイド「まいどさん」のM・K子さんでした。:現在百貨店で開催中の「加賀百万石観光と物産展」に市観光課と観光協会の方々とお出でになったのでした。「金沢観光ボランティアガイドと事前に話してくれればもっとガイドの仕様があったのにあったのに」とボヤイたら、「余所のボラガイドを聞く事は勉強になります。要領よくガイドして頂きよかったです。ボラガイドの全国大会に参加されますか、金沢は予約制で、メンバーは100人いますが実働は40人位です。・・・」と話されました。

 視覚に障害を持つ方々が付き添いの方と5組参拝お見えになりました。涅槃門から本殿まで、具体的に個別名称でガイドしたつもりでしたが、本殿の大きさ「幅や高さ」を計数で聞かれました。瑞鳳殿本殿は三間四方(間口5.88m.奥行5.86m)34.46u(10.44坪) 中央の間7尺 脇間6尺 正面中央の間に桟唐戸、その左右に花頭窓 屋根は寶方造り銅瓦葺き 軒の出2.6mと手持ち資料を開き答えました。
 最後に「政宗公は独眼龍として有名であるが、なぜ独眼になったのか、絵画・像は独眼でなく描かれている訳はなぜか」と質問されました。果て困ったなと思いましたが、健常者にガイドしているとおりガイドしました。真ん前のご婦人は「私も中途失明です」と申され、淡々と聞いてくれました。
 気分を良くされたか、バスを予定時刻より後にしようと資料館に向かわれました。一行の案内者はボランティアで神奈川県から見えたそうです



9 月 21 日 (日)  



 お彼岸です。御霊屋、満海上人供養費、弔霊碑の何れにも、真新しいお花が手向けられていました。

 朝早い団体は未だ酔っぱらっていました。大声で騒ぎながら本殿を背景記念写真を撮って、早々に下りていきました。職場単位で、二日酔いでなく、未だ酔っぱらう程の団体旅行をする会社があるとは珍しい。伝統を固守する会社なのか、業績が回復した会社なのか。

 ここは「私の生まれた年に建設された」と云いながら登壇してきた青年がおりました。1979年生まれで24歳でしょうか。瑞鳳殿の再建年次を承知しているからには、全てわかっていると思ったら、「此処は何でしょう。伊達政宗が建てた由緒ある建物ですか」の質問が続きました。「再建時の土地買収費は幾らですか、現在観光の目玉ですネ、商業観光施設として成功しましネ」とユニークな質問が続きました。岐阜から見えたそうで、ガイドのし甲斐があり、ガッチリとガイドしました。

 「私外国人です」と日本語で話しかけて来た人生の先輩がおりました。台湾省台南市から来ましたと、台湾と称す地名の発祥の経過を語り、加藤清正公のお墓の話をし 政宗公の生涯も知っていました。感心をすると、昔日本人でした。生まれは大正00年 家内は昭和00年です。とよどみなく話されます。現在の日本の若い人々以上に、日本の歴史に精通しています。台湾総督府あった時代の教育の成果が表れています。教育の大切さ、偉大さを実感しました。

 瑞鳳殿と瑞厳寺、又 瑞鳳寺との関係を問われたご夫妻がおりました、本殿前で見上げて、直ぐ下りてきました。小田原から来たが、その言い訳でした。たしかに、確かに、1590年6月5日小田原攻めの秀吉公の元に参陣していますが、同月25日には居城黒川城に帰着しています。政宗公の小田原参陣は秀吉公の臣下に服するためが目的であって、攻撃軍ではなかった筈。参拝される方の考えです、言い訳は自由です。

 14日に「ガイドしていたYさんから、涅槃門の彫刻「唐獅子と牡丹の花」表裏一体 組みになっていますが、その意味合い何でしょう、お客様から聞かれたので教えてと云われました。・・・勉強してきます」と早々に退散しました。これから調べます。」と日誌に記載しましたら、早速に代表から「資料を配付しています、読んでいないのですか、失念したのですか」のメモが付いて資料が届けられました。恐縮です。失念です。高齢者特有の現象の一つです。

メモ
 涅槃門の妻の牡丹と唐獅子は、何故唐獅子なの?
仏教では、牡丹は(イシュタル)を佛陀とし、獅子を佛母 摩耶(マヤ)としており、牡丹と唐獅子の文様は「佛陀を護る佛母 摩耶」の文様として作成されている。



9 月 15 日 (月)  



 昨日に続き爽やかな晴天。敬老の日です。全国から元気な老人が続々と参拝においでになりました。タクシーの運転手さんが案内は1組も見えませんでした。昨日の今日、不思議です。

 優雅なオバサン族10人位、ペチャクチヤと登ってきて、拝殿で横2列に並び、一斉に右手をヒットラーユーゲントの如く高く上げました。ジーバシャ・ジーバシャの音の連続です。驚いて振り返えりましたら、携帯電話で一斉に本殿を撮影をしていました。通常は団体で記念写真を撮ります。団体写真を撮らないで個別に撮影するのは自立した婦人を表現・主張しているのでしょうか。オジイサンにはわかりません。

 本殿前で、ピチピチしたお嬢さん「ここなんですかー」と大きい声で質問されました。「伊達政宗公のご廟、お墓です」「ハイー」と返事されました。伊達政宗公の人・生涯は無理として、名前だけも知っているのか心配になりました。でも、それ以上はガイド出来ませんでした。

 30代の女性、本殿の豪華絢爛な装飾を前にして、「修学旅行で東照宮に行ったヨネ」それから話しがかみ合わない様子でした。正解は小学校の時の「宮町の東照宮」と中学校の時の「日光東照宮」とのすれ違いだったようです。日本各地に東照宮があります、参拝者が自分の居住地の東照宮を連想されては、このお二人の様にすれ違いになりますので、私は「日光東照宮」とはじめから「日光」と申し上げています。

 東京・府中からお出でになった方、何故菊の紋章があるのか、皇室との関係はとの質問がありました。そして御神輿は雷紋が普通であるが、自分の神社の御神輿は菊の紋章で、外と違うと自慢されました。仙台は御神輿をあまり担ぎませんので、気が付きませんでした。知っている方如何でしょうか。御神輿は雷紋が普通でしょうか。

 欧米系の老男女を日本の大学院生風の方が案内してみえました。本殿を背景した記念写真の位置を決めかねていました。ベストポジションを教えましたらエラク喜んでくれました。以後、大学院生風の方を通してガイドしましたら、女性の方から「マサムネ、ハラキリ」等の単語が飛び出し、理解が早いようでした。「日本の歴史にくわしいですネ」と申しましたら、親指と人差し指を丸くし、3センチ位間をあけ、「チッピリネ」と返ってきました。男性は在日占領軍の元兵士で、50年位前に来た時は木柱しかなかったと、学院生風をとおして返ってきました。最後に3人それぞれお賽銭を入れ、手を合わせ頭を垂れ政宗公に敬意を表され、にこやかに「サンキュー」と下りて行きました。

 昨日、お賽銭箱に 1000円札が下りきれないで引っかかっていました。日本人にはお賽銭上げない、敬意を表さない人が結構います。下りきれない1000円札を寄進下方はいずこの人でしょうか。

メモ
 財団法人瑞鳳殿の14年度決算書によれば、「お賽銭」は1,717,436円と報告されて居ます。参拝者は164,520人です。単純に1人当たりのお賽銭は10円44銭となります。1日当たりは4,718円です。
 財団法人瑞鳳殿の事業報告書をご覧なりたい方は仙台市行政サービスセンターで閲覧できます。



9 月 14 日 (日)  



 久々の晴天です。瑞鳳殿を取り巻く原生林?からは、蝉時雨がこだましておりました。蝉は久々の暑い青空に夏が来たと思ったのでしょうか。デモ秋が近く迄来ているのか風は爽やかです。

 名古屋からお嬢さん達が参拝に何組か見えました。飛行機・新幹線そしてフェリーです。車と徒歩はおりませんでしたが、名古屋から色々な交通手段で仙台を目指しておいで下さるのに感心しました。

 フェリーでおいでのお嬢さんは、一昨日に仙台港に上陸、塩竃から松島に廻られ、観瀾亭の座敷から松島湾内を眺めながら「抹茶」を馳走になり、殿様になった気分を味わい、同邸内の博物館で阿吽の龍頭を拝見して来たそうで、本殿前の竜頭を見て「あれーここにも」と驚いていました。本殿の屋根の上を指差して、本来は8頭いますが、1945年7月10日の仙台空襲で被爆焼失した際に、6頭だけ助け出され、4頭が松島の博物館に避難し、2000年の年に2頭が此処に里帰りし、本殿前と資料館に居ます。避難しなかった残る2頭は麓の瑞鳳寺本堂前に鎮座しています。全頭にご対面してくださいとガイドした喜んでいました。この方々は昨晩は秋保温泉に宿泊されたそうで、政宗公の墓室の石材のガイドもスンナリ聞いて頂けました。

 今一組、名古屋のお嬢さん、「豪華絢爛な建物ですネと」のご発言がありましたので、「ハイ桃山様式と称する建物で、秀吉公時代に花開いた桃山文化です、秀吉公生誕の地である名古屋には、この様な桃山様式の建造物が沢山あるでしょう」と申したら、「豊国神社の近所に住まいしていますが・・・・」モゴモゴと濁されました。地元文化軽視遠くの神様有り難いのケースでしょうか。

 タクシーの運転手さん案内が数多くありました。手水鉢の紋所から多くの方はガイドをします。当然62の石段もガイドして来ての続きです。初めて会った運転手さん、全くガイドしない無言で、ドンドン涅槃門を潜って行きました。後を付いていくお客さん「どこからガイドしてくれるんですかー」と叫んでいました。ボラガイドの私が、それではとガイドする訳にはいかず、困ったなと眺めていました。

 ガイドしていたYさんから、涅槃門の彫刻「唐獅子と牡丹の花」表裏一体 組みになっていますが、その意味合い何でしょう、お客様から聞かれたので教えてと云われました。「牡丹と唐獅子は花札に入れ墨と 昔からの組み合わせですヨ」と一瞬返事したものの、「勉強してきます」と早々に退散しました。これから調べます。

 下馬石が市道にあって、参道両脇が見事な杉並木・森であった時代の瑞鳳殿参拝記念の絵葉書の写真が手に入りました。コピーをUさんにさし上げたら、「ウー、ウンー、これは1910年代のものかな」と申していました。写真になっていて少々不鮮明なので、是非絵葉書現物を見てみたいものです。

 7日号のトップの写真について、ご本人を始め多数の方から、良い写真だ・若い・凄い等のメールを頂きました。



9 月 7 日 (日)  



 またまた梅雨の様な天候になりました。でも世界各地から参拝の方々がお見えになりました。

 仙台で全国シニアテニス選手権大会が開催されたそうです。この大会に参加し、今日は試合の無いお姉様3人を涅槃門からガイドしました。流石テニスの全国大会に参加される方です。門から拝殿までの段差の厳しい階段を奥方になった気分でゆっくりドウゾ登って下さいと案内する必要がありませんでした。軽々と口も達者に登りました。涅槃門から本殿と、ゆっくりガイドを聞いてくれました。私もボラティアガイドとして楽しかったです。瑞鳳殿の美しさ等で、時間的に見切れなかった所はホームページをお孫さんに頼み見て下さいと申したら、名刺を頂きました。顔写真入りの非常に垢抜けしたハイセンスの名刺でURLも記載されていました。帰宅早々にURLを開きました。センスが良くて内容の充実したホームページでした。私のこのページは完敗です。同年配かと思いましたがご本人が姉様だ申しますので、実年齢はとお尋ねしたら83.78.77歳との事でした。これまた驚きました。表紙に写真を特別掲載しました。若さと美貌にホームページと輝くシルバーに完敗を感じました。

 川口市からお出でになったご夫妻。本殿前の豪華な鎚起銅製大香炉の前で、「川口市は昔、鋳物の町でキュウポラのある町として映画にもなりましたネ、今は火鉢は作っていないでしょう」から「今火鉢はインテリアとして、炭を脱臭剤として置き、飾られてそれなりのブームです」と語られました。
 豪華な鎚起銅製大香炉を作った仙台の銅細工の職人の技能に賛辞を述べ、次に向かわれました。

 先月、「栗鼠がいる」の子供達の話し声を聞いています。又代表も見たとの事から、参拝者の少ない早い時間に行き、本殿周囲の森を観察しましたが、栗鼠に会えませんでした。





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