2003年10月の日誌
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10 月 26 日 (日)  



 爽やかなお天気です。

 小田原から兄姉8人ばかりの小団体が参拝に見えました。本殿を参拝されてからのガイドとなり、涅槃門から感仙殿と廻りました。車との事で時間を気にせず熱心に聴いてくましたので、期待に応えるべくガイドしました。
 本等で仙台の見所を調べてお出でになり、真っ先に鐘景閣を見学されたらしく、「食堂になっている伊達家の屋敷、門前にポストは頂だけない」とのお話、「あそこは明治後期の伊達伯爵邸を移築したもので、赤く丸いポストは時代的にも一致するのでは」と申したら、「ウーン」と。「武家屋敷が残っている筈」には「金沢等と異なり、仙台は戦災で武家屋敷は残っていませんが?」と申したら、「ウーン」と。「此の後朝市に行くが何時までやっているかな。それから輪王寺にまわる」に駅前の朝市を念頭に、「朝市は夕方までやっています」と答えました、でも あとで考えたら、質問された方は郡上八幡等の朝市と同様と思い聞かれたのであれば、行ってガッカリされたのでは。困ったなと思いました。最後に「仙台は観光等の施設に行くのに案内標識が不足だ」と申されました。この提言はごもっともと思います。輪王寺を始めとする北山五山を訪れる観光客は沢山お出でですが、市内に案内標識は余り見かけません。東照宮を訪れるにしても同様です。地図とバス停が頼りです。他の都市に比較して、行政は観光からの市の経済えの寄与効果を軽視していると私も思います。
 仙台市の観光課に「市内観光のガイドはいませんか」と照会したら、「いません」と軽く云われたが、ここで、こんなに熱心で迫力あるガイドに会えてよかったと、喜ばれました。六十二の石段登り口迄送ったら、これから登るご婦人の団体に「このガイドさんと登ると楽しいよ」と推薦してくれました。

 この10人の団体は横浜からお出でになったそうで、石段を数えてなから登って頂き、案内版からガイドしました。本殿の天女さんをみて「おっぱいが出ている」と云われた方がおいででしたので、安心して天女さんについてガイドしました。「その歴史は紀元前200年代に由来します」と申したら、即座に「秦の始皇帝の時代ですネ」と返ってきました。拝殿の扁額を前に「高価な材料を使っています」と申したら、即座に「珊瑚・真珠」一斉に返ってきました。オッソロシイご婦人たちです。感仙殿地区まで案内し、お逢いした登り口まで送りながら「みなさま、どんな関係ですか」と聞きましたら「昭和八年生まれの古希です。自分でお祝いするの。同級生です、尋常小学校に入学して国民学校を卒業し・・・・・」と語られました。
 「仙台でお昼はなにを食べたらよいでしょう」のお尋ねがありました。「まずは牛タンでしょう」「硬くないですか。歯に自信が無くなりました」と申されました。若々しく見えましたが。
 今晩は秋保温泉宿泊だそうで、お風呂から採石場の跡をみて、政宗公の墓室を思い出していただけるでしょうか。牡蠣を食べて思い出して頂けるでしょうか。全然別の話しに花が咲くでしょうか。

 本殿前で、パンフを手にした、それ相当の年のスーツ姿の一見紳士に「政宗の墓はどこか」と聞かれました。日本人にこんな質問をされると、「かくも日本人の国語力が低下したものか」とガックリきます。「この本殿が御霊屋・お墓です。あの涅槃門から墓域です」と答えましたら、期待はずれの顔をして参拝どころか頭もたれないで降りていきました。益々ガックリきました。

 受付の所に「ボランティアガイドいます。お気軽にどうぞ」の看板が立てられました。この看板が出ているときは私や仲間がいます。気軽にお声がけください。

 今日も楽しい出合いがありました。



10 月 19 日 (日)  



 天気晴朗 爽やかです。日本各地からたくさんの方々が参拝にお見えになりました。

 仙台は日本の中心地なのでしょうか。全国から集まるには「おひそ」の位置なのでしょうか。北は札幌郊外、南は名古屋等からお出でになっての「兄弟会」「姉妹会」の団体が何組かありました。夫婦で集まっている様ですが、この方とこの方は兄弟と、この方は長男・長女と直ぐわかります。どうしてでしょう。

 人気歌手の氷川きよしさんに良く似た方が参拝に見えました。涅槃門からガイドしましたが、一発で「麒麟」「珊瑚と真珠」と答えられました。政宗公について良く知っており、天女さん等を丁寧に鑑賞されました。一緒の方は美人なので、テレビの隠し摂りでないと周囲を見回しましたが、それらしきカメラはありませんでした。逆に私の写真を撮られました。

 高齢者の入り口に差し掛かったご婦人「何か寶物が出なかったか。何処に納めた」と矢継ぎ早に質問をされました。この方、エジプトのピラミットの発掘調査と混同されている様子で、波長がガイトしていて合いませんでした。連れの男性はおとなしく聞いているだけです。情けない。

 本日はバスも観光タクシーも上がって来ませんでした。
楽しいふれ合いが沢山ありました。



10 月 13 日 (月)  



 連休最終日 参拝者多数の予想は的中しました。大雨の中を怒濤の如く、世界各地からお出で頂き、拝殿に本殿前と立錐の余地ない人出でした。大雨と人出の多さで本殿前でのガイドは出来なく、限られた人々に拝殿で雨を避けガイドしました。

 富山からのご夫妻に、「あと何を観る物あります」の質問に「ここは政宗公のお霊屋です、お墓です」と答えたら「アレー知らなかった、お詣りしなくっや」と本殿に進みました。人出の割に、一瞥するのみで頭をたれない方々が多い日でした。

 本殿屋根の龍はなぜ2頭いるのかのご質問がありました。「瑞鳳殿で描かれている動物は全て、動物園にいない動物で、阿吽(悟りの境地を示す)になっています」それから伊達家の紋章の話しになり「なぜ菊の紋章があるのか、使用してはならないのでないか」のご質問になりました「菊の紋章は豊臣秀吉から頂いたと云われています。ここは16弁の単花です、皇室は10弁の八重と記憶しています。菊の紋章については太政官布告で使用が規制されています、現在も使用している事はお咎め無かったと理解しています」。妹が大阪から、姉さまは郷里の大分からお出でになったそうで、ゆっくり参拝されていました。大分からは今日2組目でした。

 開門同時に、チャラチャラしないきっちりした身なりの若い男女10余人の団体がありました。会話を聞いていましたら中国語でした。話しかけましたら「わかりません」と日本語で返事されました。「中華民国台湾省からですか」と聞いたら、「ハイー」と喜んで答えてくれました。過日 台南市からの方は日本語で会話しました、あの方は人生の先輩でした。これからの世代の人の第一外国語は英語でしょうから。「わかりません」と日本語で返事されましたは当然でしょう。

 タクシーの運手者が案内してが何組かありました。いつものベテランの方の顔は見えませんでした。涅槃門を御成門と説明をしたり、本殿前でがさつな応対が見られました。仙台観光の第一線の方々です、このままで宜しいものなのか。私のガイド姿勢も宜しいのか、自省しました。



10 月 12 日 (日)  



 行秋、3連休の中日、昨日までの好天から雨模様となりました。全国から参拝の方々が9時開門と同時に続々と切れ間無くお出で頂きました。

 日本国内で最遠方は沖縄本島から2組30人余、珍しく奈良からもお出で頂きました。
 此処は神社ではないからと、同行の人々に大きいこえで注意をしている方がおりました、続いて参拝された一行は響く柏手を打っていました。極彩色の本殿をフーンと眺めて、頭も垂れない、お詣りする気持ちの無い人が多い現在、方法はいずれでもお詣りする気持ちが嬉しいです。

 「ここは政宗公の御霊屋、お墓です」「この先、地下約3メートルの所に現在もお休みです」から「牡蠣灰」の話しになります。牡蠣灰と云った瞬間、一様に「ウーそれなんだ」の表情になります。「夕べ牡蠣酢、牡蠣フライを召し上がりませんでしたか、今旬の食材です、あの牡蠣の殻を粉末にしたもの、学問的には石灰灰です」ここで一同納得した表情になります。でも牡蠣フライから蛎殻を連想出来るか些か心配です。店頭の生牡蠣も剥かれて水袋入りです。都会の人は蛎殻に入った牡蠣を見ているでしょうか。

 筋骨隆々、日焼けした顔の男性10数人が登ってきました。拝殿まで登ったところで、振り返って涅槃門や資料館に拝殿の屋根を眺め、又本殿に進んでも、碌々お詣りをしないで、本殿前の透塀の屋根の下に手を入れていました。「その道の専門家とお見受けしましたが、何屋さんですか」と尋ねたら、「屋根屋・板金職人」と返ってきました。屋根の微妙な反り具合を眺め、板金の九曜紋の飾り金物に触れ、「飾り金物 今は工場製品を使うようになった、昔は4日夜なべして作ったものだ、今も作りたいが価格で勝負に成らない」と職人の腕を発揮出来ない悔しさをにじませ「ここは、いい仕事をしている」と語りながら、一般観光客の波が引けても、いつまでも屋根・飾り金物を見ていました。

 2日にガイドした酒田の小学生から9日にメールで「政宗公についてよくわかりました」とお礼がありました。孫の年齢の方々えの説明で心配しましたが、幾分なりとも記憶に残ったようで些か安堵しました。

 



10 月 2 日 (木)  



 爽やかな季節になり、小学校の修学旅行の季節にもなりました。
 酒田市立小学校6年生の児童15名を終日(8時45分から16時5分まで)瑞鳳殿・仙台城・輪王寺とガイドしました。初日は松島瑞厳寺等を見学しており、本2日は班別見学であり、「政宗コース」を選択した児童であり、事前学習に身長・血液型まで調べておりました。

 涅槃門を潜る際に、「敷居は踏まないように」と祖父母・両親から云われた事ありませんかと問うた所、ただの一人も居ませんでした。私はその様に躾られましたと話しをしたら、後で女子児童からその訳は何ですかの質問がありました。この子は将来良い社会人・母親になるでしょう。

 非常識な質問はありませんでした。「政宗公の家臣の人数は何名ですか」之には手持ち資料に記載無く、市立博物館で調べて答えました。「政宗公乗馬の馬の色は」これは伊達家は黒が基本色ですとガイドした事に関連しての質問でした。黒と答えたかったのですが、不正確な回答すればメモされ将来に響きますので、わかりませんと答えました。

 瑞鳳殿・感仙殿・善応殿の何れでも、私のあとから手を合わせ参拝してくれました。国際的に通用する日本人です。児童達は昼食時以外、おやつを食べる等は一切しませんでした。お茶を飲みながら、はたまた、拝殿で缶麦酒を飲んでいた大人がおりましたが、この児童の行儀の良さを見習う様に、爪の垢でも預かりたい気分でした。

 仙台城本丸で、その広さは、平坦部東西245m南北267mと説明し、ハテ具体的にナント理解させたら良いかなと思ったら、付き添いの先生が我が校の校舎校庭の広さの二倍ありますと、云ってくれました。児童は納得した様で私もホッとしました。

 輪王寺の庭園で、みなさんの酒田には「本間様の別邸」と言う立派な庭園があります、それには及ばないでしょうが仙台では良く造られた庭ですと、児童のふるさとに華を持たせました。果たして「本間様の別邸」を何人が見ているかは聞き漏らしました。

メモ
 伊達家の家臣の人数は1670年に8416名 幕末9878名と 市立博物館で掲示していました。





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