2003年12月の日誌
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12 月 28 日 (日)  



 車の雪を払い、圧雪に注意しながら普段より遅めに出掛けました。瑞鳳殿は全く雪がありませんでした。これは御城下と在の違いでしょうか。
 お昼時間で参拝者がピタリの停まりました。

 中国・瀋陽から2組の参拝がありました。案内されている方が通訳出来ないとの事でガイド出来ませんでした。一瞥し記念写真を撮されて降りていきました。11月30日のお嬢さんも瀋陽からでした。瀋陽では仙台を訪れる事がブームになっているのでしょうか。

 若くて、綺麗で、学のあるお嬢さん5人を久々お子様御廟迄ガイドしました。
 仙台育ちで地元マスコミにお勤め方が東京の大学時代の友人を案内されての事で、ガイドの途中に正室愛姫の御霊屋「寶華殿」は瑞厳寺境内に在って非公開ながら参拝された話、又政宗と愛姫との娘五郎八姫(いろはひめ)と家康六男忠輝との関係を友人に語るなどの雰囲気の中で、感仙殿前の板碑についても皆さん熱心に聴いてくれました。
 又善応殿で「故あって逼塞」の故とは何か、なぜ伊達騒動と云うのか等の要を得た質問をされますので期待に応えるべくガイドしました。
 NHK大河ドラマ「樅の木は残った」の放映後の世代とかで、放映後の時間の経過を痛感しました。
 日曜日には珍しい長時間の拝見・見学でお昼を大部過ぎており空腹を感じたか飴玉を舐めはじめ、1個呉れました。有り難く頂きました。
 「どうしてボラ・ガイドしているのでか」と問われましたので「健康管理のため、毎日曜日しています」と答えましたら意外そうな表情をしていました。そうです、未だ健康管理に考えの及ばない若々しい人々でした。
 H代表からの「盛り上がっていましたネ」に「ハイ熱心に聴いて頂けると嬉しいですネ」と答えました。

 1979年以前に新婚旅行に訪れて以来と申すご夫妻がお出でになりました。「当時は木柱が立っていたのみでした、立派に復元されました」と感慨に耽っていました。
 「些か歴史に興味があり仙台市博物館を見たくて仙台を訪れたが、博物館が閉まっていたので、仙台城に登って再度訪れたが開館していなかった。官営施設なので年末年始の休館に入っていた。長い休日を利用して訪れる観光客もいるのに、残念だ・残念だ」と繰り返していました。ご指摘当然と思います。
 私のガイドを聞いて資料館を見たので、少々は満足したと申されました。俄造りの施設はイヤだとの事で「仙台・東照宮」の参拝をお奨めしました。「大崎八幡宮」の修復工事が完成すれば 、こちらもお奨めします。難点はループルバスは利用出来ずタクシーになる事です。

 本殿に献花・献茶し、布を敷き座して10分ほど熱心に祈られているご婦人が居られました。花は丈の短い洋花、お茶は缶で持ち帰りました。政宗公とどんな御縁の方でしょうか。

 大晦日23時から元旦4時までの参拝の方々には 涅槃門を特別に開門するそうです。みなさま是非 お出かけ下さい。普段は開かずの門です。絶好の機会です。
 事務所では新年を迎える準備で忙しそうでした。

 今日で今年のガイドを終了です。今年は65日回、昨年は60日回、1昨年は51日回でしたから記録は着実に更新しました。来年は何回出来るでしょうか。年齢と同じ日回を目指しましょうか。



12 月 21 日 (日)  



 昨日は今季初の大雪・吹雪でした。5〜10センチの積雪となり、今朝は全面凍結のツルツルの路面となりました。
 門前の道路を除雪してから出掛けましたので、常より1時間の遅刻となりました。

 瑞鳳殿参拝者の通路は除雪されましたが、路面凍結の箇所が所々にありました。本殿前では目ら見えない氷結膜で滑り易くなっていました。転倒者も居ましたので、事務所に融雪剤の散布をお願いしましたら、資料館長自ら散布してくれました。

 昨日の大雪で少ないの予想は外れ、切れ間無く海外から、国内で最遠方は沖縄からと多数の参拝者がお出でになりました。コースとして昨日は塩竃神社、松島湾内遊覧、瑞厳寺参拝、夜は光りのページェント見学。今日は瑞鳳殿と仙台城のコースが大方でした。松島遊覧の際に雪に見舞われましたが、雪は珍しく、よいものが見れた、風情があってよかったと、昨日の吹雪は好評でした。あの風雪も観光の人々には馳走となるのです。

 東京からの方のリピターが2組ありました。夏にお出でになり、光りのページェント見学にお出でになったそうで、ガイドが変われば又新しい話しが聞けると喜んで頂きました。一組は感仙殿から瑞鳳殿に戻られ、なるほど納得したと肯いていました。

 秋田市からお出での方、佐竹家の廟所は、文化財の指定も無いので行政の保護も無く、手入れされて居らず有識者は心配している。伊達家は羨ましいのご発言がありました。

 境内には山茶花が美しく咲いています。寒椿かとお尋ねなる方お出ででした。

 19日はすすはらいが行われ、涅槃門、拝殿には幔幕が張られ、門松も立てられました。もうすぐお正月です。

 切れ間無かったので昼食抜きで午後一杯ガイドしました。帰り事務所で「寒いのにご苦労様」と温かい美味しいコヒーをご馳走になりました。



12 月 10 日 (水)  



 2003年9月7日に若々しい高齢のご婦人3人をガイドしました。実年齢をお聞きし驚きました。運動による暦年齢との乖離です。記念にトップページを飾らさせて頂きました。ご記憶あると思います。この方 ご自分のHPに「杜の都仙台」と題して写真と感想を掲載されました。
 「伊達政宗公霊屋 瑞鳳殿 豪華絢爛の中に粋な感じに見えました。素敵なボランティアガイドさんの案内で細部まで親切な案内をしていただき感激の拝観でした!」とコメントを頂きました。私も感激です。
 URLは http://www.geocities.jp/sanzasijp/sanzasi/sanzasi0.htm



12 月 7 日 (日)  



 断続的に雨です。昼頃には強い雨となり、夕方には雪が舞いました。参拝客の出足は遅く細くなりました。発券・清掃・駐車等の管理事務所の体制は冬型になりました。

 紅葉は完全に終わりました。敷石は落ち葉の絨毯になっています。それでも拝殿から涅槃門の方向を見て写真を撮られている何人かおりました。名古屋からお出でになったそうです。

 「御朱印所はどこですか」と尋ねられました。「此処は御霊屋・墓地です。下の瑞鳳寺でお尋ねください」とお答えしました。初めての質問です。
 今一つ、初めての質問で盛年男性から「なぜ、皆さんはお賽銭を上げるのですか」というものでした。この疑問は以前から私も持っていたものです。最近○○新書で「なぜ日本人はお賽銭をなげるのか」と題する本が発行され、読みました。「日本人の民族性である」としか理解できませんでした。「日本人の民族性ではないでしょうか。お客様の中には御縁がありますようにと五円玉を上げられる方もおります。政宗公に具体的にどんな御縁を求めているものなのかわかりません」と答えました。満足された様で頷き、お賽銭を上げないで、拝礼する事もなく降りて行きました。

 11月30日生花の供花。高価な良い花と褒められましたが、供花は無く香炉のみとなっています。清掃担当によれば花器の凍結防止「冬型管理」からの様です。

 

 





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