2004年3月の日誌
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3 月 28 日 (日)  



 はるうらなお天気です。

 月初め来の発声装置の不具合、「独眼あかとんぼ」にならない手術等で長期間、瑞鳳殿でのボラガイドを休みました。この間、思いがけない方をはじめ多数の読者の皆様からお見舞いと激励のメールを頂きました。誠に感謝の極みです。有り難う御座います。  声は出る様になりました。両眼見える様になりました。本日からボラガイド一線に復帰しました。昆虫の赤蜻蛉の様に「あかとんぼ」は前進あるのみです。これまで同様のご支援を宜しくお願いいたします。

 9時開門前に事務所にて長い休みをお詫び致しました。参拝者の出足は10時頃から本格化しました。遠方からの方が多かったです。南は長崎・岡山・静岡、西は富山、北は旭川からと、何時も多い埼玉・神奈川を含めた自称東京の人は少なかったです。
 まだオバタリアンではない5人の盛年女性。標準語で話していますが何処か懐かしい発音がありました。佐竹家中ですかと聞きましたら「あら どうしてワカルノー」と。やはり出羽の小京都「角館」からのだそうで、美人の本場「角館おばこ」と「角館の櫻」の宣伝をはじめました。元気で結構なことです。

 臥龍梅が満開です。「アレー櫻が咲いている」の叫び声も聞こえました。櫻は大部膨らんでいますが未だです。梅と櫻では 花は大部異なります。もしかしたらゆとり教育の欠陥でしょうか。
 この梅をご覧下さいと声をかけました。花が特別ですか、梅干しがなりますか、の声が返ってきました。「花が特別なのでなく、出生が特別です。この木の親と申すか原木は、お金を出しても見られない所にあります」「それは文禄の役で秀吉の命で、政宗公は渡朝し、過の地から土産として持ち帰り、隠居所的な所(古城ふるしろ)と呼ばれる所に植えて楽しまれました。(古城ふるしろ)は現在の仙台市若林区古城で、宮城刑務所です」と迄語りますと、皆様納得され、あらためて写真を撮られる方がそれなりにおいででした。

 宮○バスが土.日曜日の午前と午後の2回、瑞鳳殿と仙台城を巡る観光バスが3月から運行しています。ガイド嬢、10人ほどのお客様を拝殿まで案内して来ましたが、ガイドをしませんのでガイド嬢にお断りをしてポイントをガイドしました。お客様よりガイド嬢が喜んで、午後またお願いしますと申して喜々として下っていきました。

 受付で貰う瑞鳳殿の説明と案内図のパンフフレットを持ってきて、「この字 ナンテ読むの、その意味は」と聞かれました。それ相当の年齢で、それなりの服装のおばさんでした。一瞬 ジイサン・ボラガイドだから、からかっているのかと思いました。、テストされた気分で読みと意味を申し上げましたら、仲間に戻り、そのまま知らせていました。馬鹿にしたのではなかった様です。その字は「廟」です。

 臥龍梅が見事なのでトップページを飾りたいと撮影していてフット気が付くと資料のファイルがありません。お客さんとともに移動しています。大急ぎで駆け寄り返して頂きました。「一目みて大変良い資料なので、持ち帰りと思った」と申されました。お褒め頂く事は嬉しいことですが、あかとんぼは此処まで纏めるにはそれなりに苦労しています。勘弁してください。

 手水鉢では手を清めるが主目的と思っています。朝早い時間には「酔い覚まし」の甘露と飲んでいる方がそれなりにいます。飲料水ですから結構なことです。でも、今日は「ガラガラ、ペッー」とうがいをされた方がいました。これまで清めて参拝されるには驚きました。

 資料館長から瑞鳳殿の公式ホームページに「ぐるーぷよっこより」を紹介する、リンクも考えている。代表に伝えてくれとのお話がありました。その後、代表は館長と面談したとのことです。個人のこのページのリンクは無いでしょうネ。このページは瑞鳳殿の公式ページには行けますが。



3 月 21 日 (日)  



 春うららな天候です。
 瑞鳳殿の主、藩祖政宗公は右目を失明し、故に「独眼龍政宗」と称されました。「龍」とは皇帝・君主を称します。
 「あかとんぼ」は瑞鳳殿でボラティアガイド4年目に入りました。右目の視力が著しく低下し、「独眼あかとんぼ」寸前になりました。
 瑞鳳殿でのガイドは「アシ・アゴ・ケガ・ジコ」全て自己負担です。このままガイドを続け事故・怪我をしても一切の補償もありません。それは自業自得です。でも、事故・怪我の何らかの影響・迷惑を財団等に及ぼす訳にはいきません。
 健康管理からもガイドを継続したくて、手術を決意し、手術しました。その様な訳で術後安定するまでガイドを休みます。
 



3 月 14 日 (日)  



 依然として音声装置の故障が治りません。声が出なくガイド出来ません。今週もお休みです。



3 月 7 日 (日)  



 朝からの降雪止まず且つ寒気厳しい。その上、、音声・空気清浄装置に不具合があり参拝の皆様を不快にしては申し訳ないので本日のガイドを休みました。



3 月 6 日 (土)  



 朝 大雪です。朝刊を読んでいる間も降り続き 車上は20pの積雪。ゴム長でないと歩行困難の状況となりました。
 ○○市民センター生涯学習講座の修了式で、60分間「瑞鳳殿ボランティアガイドでみたもの」と題してお話しました。
 聴衆は60人程、先の講座で士族か平民かと聞かれ、ほぼ全員が士族で手を上げていました。伊達家中の子孫です。1868年には心ならずも敵対した家中の子孫の話を聞いて頂きました。

 瑞鳳殿の参道、現在のバス停からの道の両脇は大木の美林であった。現在、瑞鳳寺の門前にある「下馬石」は参道入り口にあった。これは戦前の絵葉書で私は知りましたが、絵葉書を拡大したものをお見せしたら、その通りであったのと、多数の人々から声がありありました。
 1945年以前は荘厳な雰囲気であり、子供ながら大変なところであったそうです。

 瑞鳳殿とはなにものか、先刻承知の方々ですので、瑞鳳殿についての解説は一切しないで、全国・全世界から参拝に見えます、色々は反応があります、「弔魂碑」の前で手を合わせるのは会津から来た方々です等をお話しました。

 春温暖になったら瑞鳳殿にお出で頂き、焼失前の様子等を聞かせて下さいとお願いして終わりました。

 おまけ
 資料等をかたづけていた私に、老友がきて、「「弔魂碑」の話しをして頂きヨカッタ。曾祖父は1868年の争乱で戦死した。その際、勝者の西軍は死体を足蹴にして非常に粗末に扱ったと聞いている。国難の志士を祀る靖国・護國の両神社にも祀られていない。悔しくて涙が出る。折りをみて「弔魂碑」にお詣りしている。」と申しました。同胞の殺し合いは136年たっても、その悔いは消えないようです。





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