2004年8月の日誌
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8 月 31 日 (火)  



 日本海を北上した大型台風。昼近く迄強風が吹く中、天気予報を信じて瑞鳳殿に。
 境内は折れ枝等が散乱していましたが、予報のとおり風が治まり、青空になりホッとしました。

 H代表は中国長春市からの賓客をガイド。通訳を介して40分、実説明時間20分。文化の異なる外国の人々に、如何に理解して頂けるか、H代表でも難しいのでは。

 あかとんぼは、30分後に、仙台市主催の施設を見る会、「宮城野区○○町内会」様御一行35人を1時間でガイドしました。1時間でフルコースは少々厳しかったですが、厳守しました。
 皆様は伊達領内の方々ですので、政宗公・戦災で焼失した・領民のご寄付で再建した・仙台城下開府400年記念に化粧直しをした等全てご存知の方々ですので、ご理解が早い故に指定時間内でガイド出来ました。

 1945年に空襲で焼失したのを兵隊に行っていて知らなかった。仙台の街並みが燃え空が真っ赤になったのが家から見えた。田圃に逃げた。子供の時(戦前)に兄とお詣りをしたが、あの時も、こんな長い石段があったのかしら。生家の紋は二引両で婚家は竹に雀の紋です、今は紋しか残っていない等を明るく語られました。さすが人生の達人です。ガイトがありよかった、でももっとゆっくり見たかったとの感想に、毎日曜日ガイドしていますので、又お出で下さいと申し上げました。

 62の石段の登り口でお別れしました。そこに女三世代と家長の家族が登ってきて、見学時間は幾らかかるかと問われました。御客様の都合次第です。最低40分です。と応えて石段を数えて登って頂きました。岩手県からおいでとの事で、南部ですか伊達ですかと聞きましたが、返答ありませんでした。岩手の人は奥ゆかしいのか応えない人が多いです。青森の人は、すぐ南部・津軽と答えます。

 農協観光の企画担当と窓口で自己紹介していましたので、プレートから本殿までガイドしました。これで丁度30分です。資料館は最低30分は必要です。先程の御一行さまは健脚でながらフルコース1時間は厳しいと洩らされた事ご理解頂けたでしょうか。 本格的に参拝されるなら、最小限90分は必要ですと申し上げました。

 伊達文化の見所は後なにがあるか、所用時間は、と聞かれました。窓口でツァーの下見と話していましたが、下調べがこんなに不十分では、本当かなと思いました。
 でも、今回で瑞鳳殿をご理解頂いたので有れば幸いです。



8 月 29 日 (日)  



 大雨の予報でしたが、降らず・照らず、暑からず・肌寒からず のお天気でした。

 台風接近の予報の効果か、お盆休み過ぎの効果か、団体のバスでの参拝はありませんでした。
友人連れ・家族連れが主体で、ガイドを聞きましょう、ゆっくり参拝しましょうの様子の方々が多く、ガイドをして欲しいの申される方が立続けに3組もありました。珍しい事です。嬉しい事です。有り難いことです。

 「どちらからお出でですか」「福岡です」「名古屋です」「それはそれは、遠方 朝早くから、政宗公のお墓参りにおいで頂きましてありがとうございます」
 朝早い参拝者との会話です。あかとんぼがお礼申し上げると一様にアレーと云う顔をされます。
 ループルバスの車中ガイドで、瑞鳳殿とは仙台藩祖政宗公の御霊屋と聞いても、イコール墓所とは結びつかず、どうも仙台一の観光名所らしいと訪れた方々にみられる現象です。
 でも、本殿前でガイドが終わった時には、「聞いてよかった」と云って頂けます。

 伊達家の紋所「三引両」と仙台市の紋章との関連をガイドしたら、、前田家と金沢市の紋章の話を一段と賑やかにされる一団がおりました。還暦過ぎの男系のご夫妻の兄弟会の雰囲気の12から14人の小団体でした。
 仙台市の紋章を確かめたい、見たいとの事でしたので、マンホールの蓋をご覧くださいと申し上げましら、喜び・張り切って行かれました。車には お気を付けください。

 事務所主任から、先日の葉書受領と31日のガイドの確認のお話がありました。感謝致します。
 ガイドのIさんは「今朝 ご当主から 声をかけられた」と大変に喜んで、ガイドの切れ間に大事そうに教えてくれました。よかったですネ。

 だそく
 「兄弟会と何で推定できるのか」のメールを頂きました。
 1.オジイサン達の顔が、人形焼きの様にみんなそっくりでした。
 2.年長者の一声で、みんなが動きます。
 3.一番若い人、末子と思われる人がいろいろ御世話をします。
 4.ポロッと「宮城県で有名な川と同じ名の一族」と若手の女性が洩らしました。



8 月 23 日 (月)  



 処暑 肌寒さを感じました。

 ボラガイドの会「ぐるーぷ・よっこより」の懇談会が会員41人中26人が参加し開催されました。
 H代表から、「瑞鳳殿を拠点にガイドしている事が社会的に認知され、依頼・要望が寄せられている。自分の為にとガイドをしてくれる人が増えるとうれしい」との要望がありました。
 七夕期間中のライトアップについての感想、ガイドの方法、重臣の屋敷の変転の研究発表等、皆様から活発なご発言がありました。

 教師等人前で話す職業であった人以外は、人前で話すをするに踏み切るに抵抗があります。何人が踏み越えて参加して頂けるか、楽しみです。

 「ガイドに参加していませんが、このページを読んでいます」と、声をかけて頂きました。感謝です。感想等を寄せて下さいとお願いしました。間違い等ご指摘をお願い致します。メールお待ちしています。



8 月 22 日 (日)  



 誠に爽やかな青空です。

 愛読者の○さんから、夫妻で参拝し、写真を撮りたいとのお話がありました。市内で朝食を馳走になり、開門と同時に入りました。狙い通り、早朝で参拝者が少ないです。あかとんぼの推薦ポジションをご紹介し、お二人にデジカメ記憶容量一杯撮影して頂きました。
 瑞鳳殿・感仙殿・善應殿と2時間30分にわたりガイド致し、瑞鳳殿とその歴史公園の人工美と自然美を堪能して頂きました。ご満足頂けたでしょうか。傑作の発表が待たれます。

 JTBさんの団体をはじめ 沢山の方がお見えになっていましたが、ガイド・添乗員も充分なガイドをしている様子が見えなく、本日はメンバーも欠席で、参拝者は只ゾロゾロ流れていました。
 折角、遠路お出で頂きましたのに、瑞鳳殿の美しさ等を充分にご理解頂けないのに残念、申し訳ないの気持ちでした。

 事務所から葉書を渡されました。7月18日にガイドをしましたお客様からの、ガイドの礼とHPの感想でした。兵庫県の方でした。ありがとうございます。シルバーパワーで頑張ります。又、お越し頂き、お声かけください。



8 月 15 日 (日)  



 お盆です。
 佛様の霊が現世に帰り、墓所には遺骨があっても霊は不在と聞いています。 政宗公は十八代様の所にお帰りになって、廟所の霊はご不在のようなので、ボラガイドは今年も例年のとおり、お休みです。

 過日次の様な応答がありました。

1.「前のモノは火事で焼けたんだって、放火だって、だれだ」一見管理職風のご夫妻から突然言われました。ボラガイドを聞いていない様子。「火事は火事でも1945年7月10日の空襲です」「ポカーン」「大東亜戦争でアメリカの空襲で焼失しました」ふたたびポカーン。僅か59年前の日本の重大な出来事、自国の歴史をよく知らない管理職に先導される我が国の将来に、一抹の不安を感じました。
 ある国の人々は、60年前の出来事を元に、日本国歌吹奏の際、非難の大合唱を行ったそうです。それを歴史教育の成果と分析していた人がいます。その論調に立つと日本は歴史教育が不十分であったと言うことになりますが。

2.拝殿の扁額の前でガイトをしていたら、本殿から戻られる40代前半の女性から「時の権力者は、権力の象徴として 民の膏血を搾り、かような物を建造する」と左翼的思考での発言が投げつけられました。
 過去3年間で初めて、予想外の発言に一瞬戸惑いました。受けて、つぎの様に話しました。

 「二代藩主忠宗公が創建されました。同公は軍政から民政安定に転換期の藩主であり、その治世は評価されています。瑞鳳殿創建の為に特別税を設けて徴集したとの話も一揆が起こったとも聞いていません。民の膏血を搾り と言う表現は当たらないと思います。
 政宗公の戦乱の時代に、軍資金として貯えた資金を放出し建造した事は、民政安定・経済の活性化に寄与した事になると思います。
 これだけの美術品的建造物であれば、建築に至る以前からの百般の技能者・労働者がかかわったと思います。その人々に就労の機会を与えた事になります。民政安定であり、 これは現在の不況対策の公共事業に相通ずる所があると理解しています。
 戦乱の世であれば、これ程の美術品の創作は行われません。370年前創建された事は平和な時代であった事を示していると思います」

 「アッー ソンナ考えもあるのネ」でかたづけられました。



8 月 8 日 (日)  



 孫が昨晩来仙し、早々体調を崩しまして オロオロの一日。ガイドを休みました。

 先輩から電話がありました。その内容は、
 「秋田の竿灯見物に行って来ました。3時間の市内観光バスに乗車したら、ボラガイドが車内で、下車観光の「煉瓦館」と「天徳寺の佐竹家廟」では、それぞれにボラガイドがいてガイドしたそうです。 商業ガイドでないボラガイドのガイドには「情」を感ずる。
 仙台は瑞鳳殿に2〜3人で、他の箇所には居ない。ガイトすべき箇所も少ない。誠に残念だ。せいぜい、頑張ってください。」と言うものでした。ごもっともです。



8 月 7 日 (土)  



 今日も蒸し暑い日です。

 「商船○○」の旗を持ったガイド嬢。珍しい旗ですネと声をかけましたら、船で日本一周の旅の御一行様との返事。そう聞いた故か、なかなか優雅なご様子の御一行さまでした。

 金の六角堂は何処にあるのか、一番奥にある筈 今日は何処に行った。と立て続けのご質問。さてさてと考え込みました。ひっとして「平泉・中尊寺のことでは」と申し上げましたら、「アッそうだ」の返事。東北という言葉で全てをまとめられたらしいです。

感仙殿の方向を指差して、「アッチから青葉山に歩いて登れますよネ。2年前に登った」とのお話に。「間に広瀬川が流れています。バスでおいでください」と返事したら変な顔していました。私は不思議な思いの顔をしました。

 七夕に訪れた親戚・友人を案内しての一行様、数々見えました。仙台地元の人がご案内の場合は、ガイドしないで、漏れ聞いています。情報・勉強不足からでしょうか、なかなかユニークな奇想天外なお話を語られます。黙って楽しく聞いています。

 あまり暑いので帽子を脱いで、タオルで頭を拭いていたら、Yさんから「遂に悟られ、得道したの」と云われました。
 単に暑いので 孫と一緒に 丸刈りにしただけです。

 Uさん 昨晩「七夕ナイト」よかったと洩らしていました。一面の竹筒と蝋燭をけっ飛ばして歩いている方がおりました。そんな事しないで 夜又お出かけください。



8 月 6 日 (金)  



 蒸し暑い日です。汗が頭のテッペンをはじめ全身から吹き出ました。

 仙台七夕が始まりました。各旅行社のツアーバッチを着けた方々が続々と参拝にお見えになります。
 宮○定期観光バスは午前・午後の便とも満員でした。午前も午後もガイド嬢は同じ人、彼女はガイド歴何ケ月なれど、基本に忠実で、声も大きくとおり、末楽しみです。

 大分県臼杵市の健歩会の方々、稲葉家臼杵藩5万石、その昔キリシタン大名として有名な大友宗麟の本拠地であったと自負され、仙台七夕見物は付録で、参拝が本命と申されるお世辞の上手な方がおりましたので、扉を特別に開きました、政宗公に直々のお目通りをしてくださいとお返ししました。

 本日は特別に本殿が開かれ、御木像を直々にお詣り出来ますが、ご案内しないと気がつかない方がそれなりにおりました。もったいない。

 出口から入場して、「これだけか」と申される方が居りました。「あちらが入り口で、拝観券の受付です」と申したら「私らは脚が悪いから」と返ってきました。
 入場料を払って「これだけか」なら理解出来ますが、払うもの払わないで、ケチを付け、関係ない理屈を申すとは。呆れまして、之限りに応答を止めました。

 浴衣にハイヒールで参拝に見えたお嬢さんが居られました。62の石段、3段1段の石段と足場の良くない環境に、果敢な挑戦をされたお嬢さんの、その元気には敬服しました。

 11時半頃、ベテランの東○交通の○藤さんが携帯電話2台をそれぞれ左右の耳に当て、拝殿前で交信していました。お昼を牛舌定食を食べたいとの急のリクエストに応じていたのです。15人の席、予約出来たそうで良かったです。瑞鳳殿参拝と青葉城見物に牛舌定食が仙台観光の定番のようです。七夕見物の際には、これに笹蒲の立ち食いが入るのでしょうか。七夕の下を潜り抜けながらの笹蒲はオイシカッタの声があります。

 今晩19時から21時まで「七夕ナイト」が始まります。蝋燭で参道を照らし、御霊屋をライトアップします。併せてコンサートもあります。今晩は「フルート」演奏があります。



8 月 1 日 (日)  



 爽やかな真夏日です。暑い暑いと云いながら参拝の方々が登って参ります。

 蝉が鳴いています。福岡からおいでのご婦人に「何という蝉ですか、福岡の蝉とちがいますネ」と聞かれました。「ニイニイゼミ」かなと思いましたが、不確定な事はお答えしない様にとのマニアルに従い、わかりませんと答えました。
 帰宅し子供の昆虫図鑑で調べましたら「ニイニイゼミ」で正解のようです。関東以南と東北では主たる蝉が異なる事も遅ばせながら知りました。

 北海道白老町から小学生20人程の参観がありました。初め資料館長が説明していましたが、急用との事で続きを、白老からとの事で丁寧にガイド致しました。
 白老の町は伊達家とゆかりのある町です。1856年には白老から国後択捉迄の間を警備する伊達家の陣屋が設置され、寒気厳しい中でのされ幾多の犠牲のもとに警備した事績があり、1869年には一関・田村家が白老郡の支配を命じられています。また瑞鳳殿再建の際は白老町もご寄付されています。
 
 拝殿に仙台七夕が飾られています。仙台和紙の美しさと七つの願い事の謂われを聞いて必ず驚嘆の声が挙がります。
 20代後半の男性が吹き流しに触って、一人でしきりに驚嘆していました。どうしました聞きましたら「自分は紙屋です」との事。プロの目から見ても、紙の芸術には驚嘆に至った様です。
 壮年の男性から「仙台七夕は平塚から持ってくるそうですネ」のお言葉。「仙台七夕は、仙台和紙の美しさと七つの願い事を基本に、現代風に変化したものが飾られています。平塚のものはビニール製が主流と聞いています。意匠と材料が異なります。仙台商人にも意地と名誉があります。この週末 本番が始まります。是非 お出でになり確かめてください」と申し上げました。

 仙台市内に「上杉(ウエスギ)町」があるが米沢の上杉家とどんな関係かと、立派な紳士からご質問がありました。ハテ々と考えました。カミスギ町の事でした。「城下の北の方向にに杉の森があり、杉山台と呼んでおり、そこに至る通りを「上杉・中杉・二本杉」通りと申しており、現在の住居表示で上杉町が出来ました」とお答えしましたら納得頂けました。文字としては簡単ですが、容易に誤読される町名にはフリガナが必要と痛感します。

 暑い々と汗を拭き々登って来た方々は、真摯に参拝されます。一組だけ「コレダケ」と申して、登って来て直ぐ降りていった親娘がおいででした。ガイトする余地はありませんでした。なにと勘違いして暑い中登壇されたのでしょう。残念な事です。

 NPOシニアネット仙台の七夕の短冊募集り締め切りが昨日でしたので、置かせて頂いた募集チラシをお礼を申し上げ回収しました。





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