2004年11月の日誌
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11 月 22 日 (月)  



 小春日和です。

 ボラガイドをしています団体「ぐるーぷ・よっこより」の現地研修が、国宝大崎八幡宮において40人参加して行われました。

 大崎八幡宮を経由する市内循環観光バス「るーぷるバス」のコースが新設されました。又平成の大修理も終わりました。これらからガイド要望が増加するだろうから勉強し備えましょうが目的でした。

 社地には四ッ谷用水をはじめガイド対象物がたくさんありますが、興味を渙発させながらのガイドは更なる勉強と技法の修得が必要と感じました。

 愛読者Mさんから、「この日誌を読み、本日早速瑞鳳殿に駆けつけ撮影し観賞して来ました。紅葉が最高でした。役に立つホームページです」とお褒めの電話がありました。恐縮です。

 メモ
 国宝大崎八幡宮は1602年に政宗公が、城北の高地の本地に遷宮し、1604年社殿の造営を創め、1607年8月に落成したものです。この壮麗な社殿は我が国最古の桃山式権現造りで、1903年特別建造物に、1952年に国宝に指定されています。

 政宗公は仙台城築城・城下町の建設に伴い、松島五大堂・瑞巌寺・陸奥国分寺薬師堂・奥州一宮塩竃神社など、歴史的由緒ある寺社の造営・再興を推し進めました。大崎八幡宮の造営も、その一連の事業のなかに位置づけられるものです。
 神社発行 国寶大崎八幡宮と研修資料によりました。



11 月 21 日 (日)  



 小春日和の温暖な日和です。

 9時に、新潟からの観光バスが入って来ました。「地震の被害は無かったのですか」「ウン無かった」と。被災地の人々は観光どころか、後片付けと生活をどうするかの思案でいっぱいな筈。新潟イコール地震と単純な発想と詰まらない質問に我ながらガッカリ。
 ガイド嬢が最後尾からトボトボと。お断りしてガイドしました。男職場の40人、飲酒しておらず真面目に聞いてくれ、最後に拍手をしてくれました。朝からテレます。

 仙○定期観光の○賀嬢。一段と上手になったと聞いていましたら、ツァーの盛年女性から「このガイドさん何ヶ月ですか」とのご質問。「独り立ちして3ケ月でしょうか」「発声練習をしっかりしており、よいガイドになりますよ。私は同業者なの」
 此の後、お客さんからの質問に私が補足で答えたところ「プロにボラガイドの組み合わせ絶妙です。お客さんのニーズに真摯に対応しており、羨ましい」とこの千葉の同業プロガイドさんに云われました。

 ○賀嬢の襟元に政宗公のバッチを5個も付いていました。どうしたのか尋ねたら「青葉城のガラポンで取ったの。欲しいー。今度持ってきて上げる」と云われてしまいました。
 瑞鳳殿の売店は事務所内にあります。気が付かない方が多数です。この奥ゆかしさは民でない証拠でしょうか。青葉城のガラポンとは、民は稼ぐことには積極的です。

 涅槃門の麒麟を覗いているご婦人がおりました。殆どの参拝客は涅槃門を無視して、本殿を目指します。涅槃門をガイドしようにも無視されます。興味あり、聞いてくれるなとガイドしました。今一人のご婦人も私も一緒にと申され、本殿までガイドしました。涅槃門と本殿のの扉が開のは「正月2日の拝礼式と5月24日の御命日の2日3時間限りです」と申したら「何時から」「10時30分までお出で下さい。45分に隊列を組んで上がって来ます。是非お出かけ下さい」「ハイ来ます。一緒にお詣りできますネ」と念を押されました。
 お二人の方、来年正月またお会いしましょう。

 境内の楓も一段と色づきました。ぜひ お出かけください。



11 月 16 日 (火)  



 御佛縁がありまして、日蓮宗(身延山派)の秋田県下の寺庭さんの研修の御一行をご案内致しました。

 孝勝寺(日蓮宗・身延山派の東北本山)での研修を終えてからお出になり、お日様は西に傾いており霊気のみならず寒気が感じられ、30分での要望でした。でも、62の石段等で、360年前の創建当時の古を味会う方もおり、結果的に40分でご案内しました。

 政宗公の戒名は「瑞巌寺殿貞山大禅居士」と申して「寺殿」をお持ちですとガイドしたら、他宗門ながら当然、一発で最高の戒名とご理解頂きました。
 涅槃門を潜る際、只の一人も敷居を踏みませんでした。又、皆様は本殿で手を合わせ頭を垂れました。流石です。日本文化の伝承者、礼法・作法の御指南の方々です。

 涅槃門・本殿装飾(極楽図)・墓室・副葬品・戒名等に扁額の書体と全てを、日々御仏に仕える、大黒さんとしてお寺の支えている方々に、素人の私がガイドするとは恐ろしい事です。バスを御見送りした後で脇の下がヒンヤリしました。

 これぞ「釈迦に経」と申すのでのでしょう。
 
メモ 
 孝勝寺とは。仙台市宮城野区に所在し、1295年宗祖日蓮の直弟「日門」が開山・創建した古刹です。政宗公が戦勝祈願し勝利を収めたので、光明山大仙寺から全勝寺に改めました。二代藩主忠宗公の正室徳川氏振姫が帰依し、1642年養母英勝院が亡くなると善勝寺と改めた。1659年に振姫が亡くなると、三代藩主綱宗公が、孝勝院の法名を贈り、孝勝寺と改めて現在に至りました。忠宗公は伽藍等を寄進しています。

 政岡の墓とは。孝勝寺東側にある伊達家墓所です。二代藩主忠宗公正室徳川氏振姫、三代藩主綱宗公夫人三沢初子、四代藩主綱村公正室稲葉氏仙姫の墓が三基整然とあります。仙台市の有形文化財に1972年指定されています。これが「政岡の墓」と総称されています。
 以上は、孝勝寺縁起と宮城野の散歩手帳(木村孝文著)によりました。

 寺庭(ジテイ)さんについて。
 1:寺庭・・・・、一般の家庭に対して寺院で営まれる生活をさします。
        そこで生活している親族で日蓮宗を信奉する者を寺族といいます。
        寺族のうち成年に達した女性が寺庭婦人になります。
 2:上人・・・・日蓮宗では教師をお上人とよびます。教師は、日蓮宗の僧籍があり
       僧侶としての教育を受け、日蓮宗信行道場を終えた者です。



11 月 14 日 (日)  



 曇天です。
 大小団体に、友人同士、親娘と世界各地から参拝にお出で頂きました。

 参拝順路の案内は@涅槃門A資料館B本殿となっていますが、@涅槃門B本殿A資料館の順で、先ず参拝をして、ガイドを聞いてから資料館で学習するが通常のコースです。 でも、今日は順路を遵守しなければならないと、本殿を参拝しないで、資料館の空くのを頑固に待っている若いペアの方がいました。おわかいのに。

 仙○定期観光バスのガイド嬢、快活です。「おはようございます。15人と少ないの」と声を掛けてくれ、スラスラとガイドしていました。ズック靴でなくヒールでした。

 県外バスの熟女ガイド。講釈師のようなガイドしていました。「家康公が全大名を集めて禄を与えた際、政宗31万石と申し渡した時に聞こえない振りをした。聞こえなかったのかと家康が再度、31万石と云った途端、62万石ありがとうございますと返事。此で伊達家62万石が決まった」「東北は即身佛が多く、(山形・羽黒山の話?)政宗公もミイラになった」と大きい声で語っていました。
 感仙殿に向かう際、自動扉に向かわずに作業車口の鉄扉をガチャガチャさせて、出られないブツブツ云っていました。
 ナンダ、ボラガイドかと冷たい視線を投げていましたので、事態を静観しました。

 お嬢さん2人からガイドしてと。最後に家紋の話になったら「私の家紋は九曜紋なの」「由緒ある御家ですネ」「サァー。相馬家の家臣であったが、故あって伊達家に仕え、実家は○○(宮城県北の町)、はじめ○代○姓で、後に相○姓になった」と意外な話をサラサラとされました。○代○姓も相○姓も、有名な姓でした。世が世であれば、お姫様のお忍びのお詣りであったのでしょうか。

 伊達家紋「三引両」のガイドで特段の反応を示した盛年女性が、「多賀城市に福島から通勤して時に、前方にこんもり繁った厚樫山が気になり、先日登ってきました。平泉・藤原側が作った二重空堀の城塞が残っているのも知らなかった」「〇五年のNHKTV大河ドラマは義経記です。取り上げられるでしょう」「そんな歴史的に由緒ある山とは知らなかった。又行って来ます。今日は最高の日」と大変な感激でした。

 10人程の職域団体の方々、涅槃門からガイドしました。全部で1時間の予定との事で、30分程本殿迄ガイドしました。職域団体にしては珍しく飲酒して居らず、真剣に聴いて頂けました。感想は「これ程のガイドがつけば、入場料の550円は安い」でした。

 本日の参拝の方々はガイドをチャカする事なく素直に聴いてくれました。一緒にガイドしたIさんも「素直に聴かれると熱が入ると洩らしていました。

メモ
伊達家紋「三引両」は、1189年に源頼朝が平泉侵攻の際の戦功の褒美として、伊達家始祖朝宗が貰ったもの。一説には、従軍各軍団の識別の為に与えた。これが家紋の始まりとする説がある。
 伊達家は、厚樫山(阿津賀志山)における始祖朝宗の戦功により、伊達・信夫の両郡を得て、以来「中村」姓から「伊達」姓を名乗るようになった。
二重空堀の城塞は、源頼朝が平泉侵攻の際に、平泉・藤原側が騎馬武者に対する防御として短期間に構築したもので、延長約3qあり、奥州の覇者藤原家の動員能力・財政力と非攻撃性が高く評価されている。吉井宏東北福祉大学教授の説



11 月 10 日 (水)  



 小春日和です。

 愛読者のMさんから次の内容の電話を頂きました。

 11月7日号速報の紅葉の写真を見て、本10日9時に瑞鳳殿を訪れました。紅葉は一段と進んでいました。でも昨年の真っ赤な紅葉には至っていませんでした。事務所に断り、竹林からの楓紅葉、ドウダンと楓と、いろいろな構図の写真を撮って来ました。
 表紙の石段の写真にも挑戦してきました。楽しかったです。

 四国・高松からの方と一緒になったのでガイドしてきました。日曜日ならガイドの先輩がいます。又どうぞと申したら、栗林公園来訪を誘われました。

 以上です。この拙いHPを見て、活用され感想を寄せて下さるのに感謝と恐縮です。



11 月 8 日 (月)  



 晴天です。

 諸橋美術館迄自由勉強に行って来ました。

実は瑞鳳殿の彫刻 特に飛天には 他に見られない特徴があります。

その特徴の起原は 紀元前200年以前と云われています。
それは 通常出来ないスタイル(新体操も出来ないスタイル 骨折でもしなければ出来ない格好)で、且つ通常見せないもの(他人には見せない足裏)を見せている事です。

裸婦等を描いた世界の名画でも足裏を描いた人は皆無に近いです。
誰も描かない足裏を描いた有名画家が只一人 ダリです。

瑞鳳殿の飛天の足裏は清楚で綺麗です。不可能な格好で、見せない足裏を見せているのは何を表現しているのかは 、議論の分かれるところです。
ダリの描いた足裏は躍動感のある逞しい足裏です。ダリは何を表現しようとしたのでしょうか。飛天とは異なるものと思いますが、見当つきません。

瑞鳳殿のボラガイドでこの様な話をしていて、ダリの作品そのものに接した事無いでは、講釈師と同じになります。

足裏の作品は別として、世界有数の蒐集数と称する諸橋美術館に その実物 作風に接して参りました。感動の一時でした。見応えありました。又 行きます。

メモ
諸橋美術館の所在は 福島県耶麻郡北塩原村大字桧原字剣ケ峰1093番地23
裏磐梯 五色沼入り口です。URLは http://dail.jp
ダリとは サルバド−ル・ダリ スペインが生んだ20世紀を代表する多彩な画家。1904年生 1989年没 行年85歳



11 月 7 日 (日)  



 快晴温暖です。
 櫻等は枯葉となり舞い、敷き詰められています。参拝者が登ってくる時刻までには、担当のみでは間に合わず、事務所の人達も清掃を応援していました。

 ドウダンは色づきました。もみじはそろそろです。来週頃から見頃でしょうか。

 駐車場に見慣れない車が数台入っていました。怪訝な様子なので、「参拝ですか、ココは職員駐車場です、参拝の方々の立派な駐車場はあちらです。カーナビ誘導ですか」と話したら「そうです」と。石川県からの若手男性10人ほどでした。62段を登ってきてからあらためてガイドしました。

 仙○定期観光のガイド嬢、すっかり上手になりメモ無しに大きい声でガイドしていました。でも、全体には未だ余裕はないようです。ズック靴を履いていました。
 すっかり余裕を持ってハイヒールを履いた全国区のガイド嬢、「アラ、プロが居る」とおだてて「神戸からのお客さんをお願いします」と振ってきました。「時間はどれくらい」「短くして」誠に難しい注文です。

 JTBは今日2組入りました。最近はJTBの旗に接します。添乗員は決してガイドしてとは申しません。日本で有数の旅行会社としてのプライドでしょうか。この会社に仙台の魅力を特集した企画を持ち込み、理解を得て、全国から仙台観光を目的のツァーを募集して貰えれば幸いと思います。仙台市長如何でしょうか。



11 月 3 日 (水)  



 文化の日。祝日が曜日で決まる様になっても日替わりする事がなく、11月3日に固定していています。菊薫る文化の日は晴れの特異日である筈ですが、夜明けから雨となり、朝は豪雨となりました。

 仙台市内の主要文化財所在地では、行政の手厚い保護を受けた一日きりのガイドがあるとの広報がありました。
 それでは、文化財の指定の無い瑞鳳殿で、行政の支援が極めて薄くても、継続してボランティアガイドを実行し、些かでも文化的気分に浸ろうと思いました。

 でも、あまりの豪雨に、遠来の方々に満足なガイドが出来るかの懸念があり、取りやめました。





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