2004年12月の日誌
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12 月 26 日 (日)  



 早12月最終日曜日です。

あかとんぼまごとんぼの子守のため 瑞鳳殿のボラガイトは休みです。
今年は59日ガイドしました。目標の年齢と同数には達しませんでした。
原因は気力はあっても 体力は年齢相当に衰えていたのにかかわらず、気か付かずに黄金週間に頑張り、猛烈な腰痛で長期に休んだ事にあります。

 ボラガイド満4年、此の日誌も満3年を経過しました。
いろいろ考えなくては ならないと思っています。

ヾ(^.^;)
 



12 月 19 日 (日)  



 温かく穏やかな日です。昨日の寒気は嘘の様です。

 涅槃門・拝殿に幔幕が張られ、門松がたてられました。歳末となりましたが、参拝の方々は大団体や小人数のグループと途切れる事無く見えました。

 湯殿山修験行者満海上人の供養碑が何故あるのか。出羽三山(湯殿山・羽黒山・月山)の月山が秋田・青森にあるが何故か。「暫屈」跡に供養碑を建てたとあるが「暫屈」とは何かのご質問が津軽から参拝の若い男性からありました。

 JTB東京の添乗員をガイドしました。政宗公の正室愛姫の御霊屋寶華殿は松島瑞厳寺に所在していますとガイトした事から、彼女の祖母は現在も正室愛姫の故郷三春に住まいしている、常に祖母から聞かせられていると話になりました。そこから、実家田村家は愛姫の孫宗良によって再興されています。間もなく陰暦・陽暦の違いが有りますが、赤穂浪士の乱入の日が参ります。この発端となった浅野内匠頭が切腹したのが奏者番であった田村建顕(たけあき)の江戸屋敷です。田村家の屋敷のあったところが田村町として有名でハトバスは必ずガイドしたものでした。住居表示でサテ何と変わったか。
 三春に縁故があり、現在東京に足場を置いて、世界に羽ばたいている彼女からは「わかりません」の返事でした。当然のことでしょう。

メモ
1.湯殿山修験行者満海上人の供養碑が何故あるのか。
  ここは経ケ峯と称される地で、満海上人が此処で修行し、大般若経を治め、世の平穏を祈ったことに由来されるとしている。政宗公は承知の上で終の棲家をここと定めている。先人の功績を称え、敬意を表する為の供養碑と理解している。
2.出羽三山(湯殿山・羽黒山・月山)の月山が秋田・青森にあるが何故か。
 月山は三山の最高峰の山で標高1984mある。修験道の道場として古来より栄えている。
仙台市内には修験道としての出羽三山との関係を示す遺跡等がある。同じ日本海側の秋田・青森では仙台以上に関係が深かったのではないか。それに由来しているのではないか。
3.「暫屈」とは何か
 殿様のお付きの者のお供所の跡を指しているとH代表からご教示を頂きました。何故暫屈と称するのか。暫屈なる用語は国語・漢和・歴史等の辞書を調べましたがわかりませんでした。伊達家特有の用語なのか疑問の残るところであります。
4.田村家の屋敷のあったところが田村町
 田村右京大夫の屋敷は愛宕ノ下大名小路にありまして、現在の西新橋二丁目です。



12 月 12 日 (日)  



 暖かかった秋も終わり、寒い冬の兆しが顕著となり、山は森から林になり、透けて尾根が見えました。

 所用のため早朝90分ガイドをしました。この間に定期観光1台の外観光バスが3台入りました。定期観光のガイド嬢の成長は目覚ましいものです。予約はゼロで走れるか心配していたら、30余人の乗客があり、ガイドが楽しいと張り切っていました。
 観光バス2台は切符売り場からガイドも添乗員も案内を放棄していました。ガイド中でこの人々にガイド出来なく気の毒であり、残念でした。

 11日の地元新聞の読者投稿欄に「瑞鳳殿に手すりを」と高齢者からの投稿がありました。高齢のご婦人の参拝が多数ありました。中にはバスに杖を忘れたのか、途中の生け垣から抜いた様な竹を杖にして登って来た方がおりました。投稿は成る程と思います。
 1945年8月15日を境にして、参拝者の質と数は絶対的変化を遂げていると思います。創建当時からの雰囲気を保ちながら、参拝者に優しい環境整備が必要と思います。

 マスコミの歳末風景 恒例の瑞鳳殿の煤払いは15日に行われるそうです。



12 月 5 日 (日)  



 12月には珍しい台風襲来の前兆でしょうか、夜明けまで強風・大雨でした。瑞鳳殿に着いた頃はお日様が燦々と輝き、温かく上着を脱ぎセターでガイドしました。
 南からのお客様から仙台は温かいですネと云われました。

 長崎県から団体を案内して来た山○バスのガイド嬢が、栞を渡して自由参拝を宣言しましたので、お断りしてプレートからガイドしました。真面目に聞いて頂きました。名札を見て手の平にメモしている方がおりましたので、何で私の名前をメモするのか不思議に思いながら、手を洗えば直ぐ消える儚い命と、必要ならば名刺有りますと申し上げたら、諫早観光協会のボラガイドさんでした。
 今日はたまたま名刺交換になりましたが、全国のボラガイドの諸氏は黙って私のガイドを聞いてなんて下手ダァーと帰っているのでしょう。
 全国ボラガイド豊橋大会にこの方々は参加されていませんでした。
 全国のボラガイドさん。瑞鳳殿にお出での際は、事前にお声を掛けてください。

 お客さんから、仙台の観光の在り方について注文・意見が2点ありました。
 その1は、バス停にコイン式の荷物預かりが欲しい。この方は昼の飛行機で大阪に帰る寸暇を利用して参拝に見えたと重そうな荷物を持っていました。
 その2は、観光客を考えて店を休みにして欲しい。この方は仙台箪笥の老舗の製造から見たくて、秋保の工芸の里を見ないで旧市内の老舗を訪れたら休みであった。工場が休みでもショールームのみでも開いておいて欲しかったというものです。
 
 これ同様に、従前から云われて当事者が判っていても解決されものに、県・市が運営する博物館・美術館・科学館等の施設が一斉に月曜日を休館日としていることです。これは観光客のみならず生涯学習者も不自由しています。声なき声でしょうか。聞き届けられません。

 とあるバスのガイド嬢から「名古屋は何万石でしょう」と聞かれました。東北の雪深い土地の団体を名古屋までガイドした際に聞かれて、お客さんから「そのくらい勉強して来い」と云われた。おじいさん教えてと云うことでした。

 11月28日は「龍と皇帝との関係」の現地研修に代表と共に参加しましたのでガイドを休みました。

メモ
 尾張(名古屋)藩は61万9000石です。なお仙台(伊達)藩は62万5000石です。
大名の日本地図 中嶋繁雄著によりました。





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