2005年1月の日誌
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1 月 30 日 (日)  



 大寒 寒いのは当然かも。極寒です。39.6メートルの強風。気温0度。暴風警報が発せられました。境内の樹木は天空で呻り、小枝と小雪が舞いました。

 1月のボラガイド。出勤表にサインがあるのは我一人。ボラガイドは寒修行する必要は無く、無駄な抵抗をしているのかと感じ、今日は止めようかなと思った途端、H代表が登ってきました。それではと暫くガイドしました。

 結局、11時30分切り上げました。お湯の入った魔法瓶の持参を忘れましたので、車の暖房で体を温めてから帰宅しました。魔法瓶とホッカロンは必携です。

 防寒衣無しの若いペア。「ガイドして頂いてドーモ」と礼の言葉。「どちらから」「九州から」。瑞鳳殿参拝が主目的らしく、政宗公について知識がある反応がみられました。なにが、この極寒の季節に、防寒衣を着用しない九州の若いペアを政宗公の墓参にかきたてたのでしょうか。

 参拝者。地元・東京圏以外の方の比率が高かったです。「どちらから」「ノースカロライナから」「とーい所からドーモ」とお礼を言ったものの、軽く考え込みました。何故アメリカと言わずノースカロライナと答えたのか。我々が国内旅行で「とぢらから」と聞かれれば「宮城」「仙台」と答え、海外で初めて「日本」と国名を答えます。この感覚すれば、日本をアメリカ人は國外と見なさずアメリカ国内と見なしているのかなと思ったのです。
 
 「暫屈」(04年12月19日日誌記載)について、先にH代表からご教示頂いて、その旨を記載した所ですが、今日、「瑞鳳殿御霊屋絵図」(寛文〜天和御修復帳載)・宮城県図書館蔵)のコピーを持参され補足説明をして頂きました。ありがとうございます。

 伊達家の始祖、家紋等が 話題になった折り、H代表より「伊達家史叢談」を読むように勧められていました。18代御当主の曾祖父で、14代当主宗基の弟である邦宗氏がまとめ、謄写版刷り20部作製し、秘の朱印が押されていた。原稿は東北大学付属図書館に保存されていると聞いていました。諦めていました。
 今回、広瀬図書館で2001年に復刻刊行された本書を発見し、早速借り出しました。春を待ちながら読みます。どんな発見があるでしょうか。期待ムンムンです。



1 月 24 日 (月)  



 「政宗公と殉死者たち」と題して、瑞鳳殿でのボラガイドをしている仲間「ぐるーぷ・よっこより」の勉強会が、本日13時から2時間 開催されました。

 参加はボラガイドをしている仲間の外に、演題から殉死者の末裔と称する方等38人と盛会でした。

 講師のH代表は、U氏作製の瑞鳳殿寶筺印塔の配置図と、木村宇右衛門覚書・伊達政宗言行録を元に 殉死の様子等を切々と語りました。壮絶な殉死の場面には、資料を読む講師も詰まり、会場咳声が途絶える瞬間がありました。

 U氏から殉死者15人の中の加藤十三郎安次と青木忠五郎友重に入生田三右衛門元安の末裔の方と交流されたとの報告がありました。
 あかとんぼは、2002年11月3日にお詣り見えた入生田三右衛門元安の末裔の方々の代表と往復を致しました。

 修復の終わった02年には末裔の方々の参拝がありました。それ以降はお会いする事がありません。



1 月 23 日 (日)  



 最高気温4度 青空 温かく感じられました。

 東京圏から壮年期の男性10人ほどの団体が何組か、参拝に見えました。
入場券を求めた際、「高い、参拝者が少ないからか」と大声で独り言を申していました。プレートから本殿までガイドし、資料館を出て来た時には、「入場料は安い。これ程のガイドがあって、資料館をみて。満足」と申されました。よかったです。

 北関東圏からの壮年男性から「この裏にお墓があるのか、火葬かミイラか」の質問がありました。「日光でも久能山でも、御霊屋の裏手に円筒型の遺骸を埋葬した廟所があるではないか。家康・家光公と同じ様式でないのか」という趣旨でした。
 「ここ伊達家は遺骸を埋葬した墓室の上に御霊屋を建てています。火葬ではなく、敢えて言えば生葬です。御遺骸の周囲に牡蠣灰等を詰めています」と答えました。納得したのか肯いていました。

 「此処は殿様のお墓だろう。何故明治時代に発掘しなかったのか」と非常識な暴言を申した人がおりました。かえす言葉がありません。

 盛年の女性は、NHKTV「独眼流政宗」をつぶさにご覧なられたそうで、政宗公の小田原参陣の際の秀吉との駆け引き・交渉に驚嘆し、片倉小十郎等の優秀な重臣の重用等の統率力に感心していました。現代社会・勤め先に何か物足りなさを感じていてのお褒めになったのでしょうか。
 「向い揚羽蝶のデザインは創建当時と同じか。非常に斬新だ」とお褒めがあり、センスの良い服装をしていましたので、デザイン関係のお仕事ですかと、ツイ、聞きましたら「イイェ」否定されました。

 中国語を話す若い女性二組四人見えました。一眼レフ(フイルムカメラ)で撮りまくっていました。「中国? 台湾?」の問いに「タイワン」と返ってきました。英文パンフを持っていました。それ以上の出番はありませんでした。

 政府はプロの通訳ガイド、免許取得者9051人を大幅に増員するとともに、無資格者には罰則を強化する改正案を国会に提出するそうです。
 プロに無資格者はいるのか、それともボラガイドを排除するのが政府の目的なのか。中国語の出来る人の参加を呼びかけようと思ったが。無理か。

 「伊達家は幕末で、断絶したんですよね」と突然に言われました。「いや、本家、政宗公直系は18代で健在です。当資料館長です。ご一家の登米伊達家の当主は宮城県図書館長、岩出山伊達家の当主は仙台藩志会会長とそれぞれ要職で活躍中です」と返事をしたら驚いて「しつれいしましたー」と急ぎ下りて行きました。今朝ご挨拶したご当主が突然断絶させられたにはビックリしました。
 



1 月 16 日 (日)  



 大雪で本日のガイドはお休みです。
夜来の雪は夜が明けても、日本海側内陸部の降り方と同じで日中も深々と降っています。9時40分現在20pの積雪です。雪道走行の危険と参拝者の僅少予想から瑞鳳殿でのボラガイドはお休みにしました。

 昨日、政宗公が城下の人々の生活水供給の目的で作らせた「四ッ谷用水」の歴史的遺産を残し、伝えようとする市民運動の先駆者S氏が、その効も評価されたか瑞寶小綬章を受勲し、お祝いの会がありました。
 受章記念の品を頂きました。金箔で16弁の菊の紋章が押刻してありました。皇室は16の重弁です。

 伊達家の菊の紋章。かの仙台城大手門、松島瑞厳寺のものは20弁の豪華なもの。現在瑞鳳殿涅槃門の菊の紋章は、何故か16弁の単弁です。それ故に県外からのバスガイドは伊達家の紋章とは説明せずに、皇室の紋章、即ち御成門とガイドする事がママあります。

 さて、受章記念の品「金箔で16弁の菊の紋章」は、政宗公の遺徳を偲んてか、単に業者が皇室を模しただけなのか。ハテハテ。
この項 追記
 愛読者から「受章記念の品として頂いた物の菊の紋章は、全て16弁の単弁です。政宗公とは無関係の筈です」とお知らせがありました。

 
 昨夕、高齢のパソコン族の新年会がありました。その席上で「今度、ぐるーぷ・よっこよりに入り、瑞厳寺で常時ガイドするグループを立ち上げる。参加しないか」と言われました。即 断りました。

 他人の行動はとやかく申しません。でもあかとんぼは受け入れらません。それは、
1.瑞鳳殿でボラガイドしているのは、社会奉仕と健康維持から行っているものです。
2.瑞厳寺では、職業にしているガイド10人以上います。ボラガイドは他人の生活権を侵すべきでないと思います。
3.現在、52週の毎日曜日と祝日のガイドを目標にしているが、昨年は体調を崩して休があった。休む事は参拝者と瑞鳳殿の期待を裏切る事になります。常時365日は望めない事です。
4.仙台市で訪れ人の一番多い瑞鳳殿でのガイドは現在 手薄です。市長から依頼されたわけではありませんが、投げ出す事はできません。



1 月 9 日 (日)  



 小寒です。さすが寒いです。

 今晩からNHK大河ドラマは「義経」です。1189年の源頼朝の奥州侵攻で、伊達家が伊達氏を名乗るきっかけになった、厚樫山の決戦の場面が、ドラマとして放映されるか興味津々な所です。
 家紋「三引両」でのガイドの際に、この事を今日は話題にしました。

 年始匆々、偽一万円札が、三大稲荷と称されている、岩沼の竹駒神社の露店で発見されて以来、北海道神宮社務所等の全国で発見が相次いでいます。瑞鳳殿においてもお賽銭箱で発見されていないか、お尋ねしましたら、贋札は無かったとのことでした。
 当然かも知れません。贋札は釣り銭で真札を取得するのが目的でしょうから、釣り銭の無い、お賽銭に贋札は使用しない筈です。又、神・佛を騙した場合は、その祟りが大きいでしょうから、日本人なら贋札で祈願しないでしょう。納得。

 定期観光バスは冬休みの様です。三連休と云われますが、団体の観光バスは来ませんでした。ループルバスの都度、絹糸の様な流れの参拝です。東京の人もおりましたが、予想外に仙台市内の方が意外と多く居りました。

 2日の拝礼式後の集合写真、A4版に出力・持参し、伊達家十八代御当主にお届け頂きたいと、事務所にお願いしました。

 本日地元新聞、読者投書欄に、「瑞鳳殿の階段 手すりつけて」(12月11日)「瑞鳳殿の階段 高齢者大変」(12月17日)の投書について、「市史跡指定区域であり、遺構の保存、景観などに配慮し提案は困難である」の回答が記載されています。
 回答は何故か、現地管理者の財団法人瑞鳳殿の責任者でなく、仙台市経済局課長なのです。。62の石段は確かに高齢者でなくとも登りにくいです。石段の横を登る人が多くて植栽が破壊・壊滅しています。これらの保護と崖下転落防止も併せて左側に手すりの設置を考慮すべきと時に至っていると思います。確かに景観は、現在に比較し不良となりますが、目の慣れです。市バス車体の全面広告も違和感が無くなったのと同様と考えます。この点 併せて 回答に不思議が残ります。

 瑞鳳殿は真冬日です。雪が降ってきました。脳の中まで凍結してきた感じしましたので、常より早めにお終いにしました。



1 月 2 日 (日)  



 日本晴れ。本日は年賀拝礼式日です。

 10時45分仙台藩志会の旗を先頭に瑞鳳寺御住職、藩志会幹部、伊達家御当主、藩志会、殉死者末裔、その他関係者が、62の石段を粛々と登り、本殿で法要が行われました。

 法要終了後、涅槃門前での集合写真の撮影となりましたが、プロが不在で、一介のボラガイドのあかとんぼが3年連続、撮影する栄によくしました。

 例年の撃剣十番の奉納は、剣道の達人、不調による取りやめとの事でした。藩志会の人々も毎年加齢します。会長もご高齢です。条件が厳しいでしょうから簡単に新規加入を認めないでしょうから将来は?

 中国からの留学生。2組参拝に見えました。音声ガイドに案内しましたが故障中でした。パンフは日本語でした。急いで受付から英文パンフを貰い渡しました。受付は入場券を買える程度の日本語の場合は日本語圏外の人と区別がつかないで、日本語のパンフを渡してしまいます。「英文パンフあります」の掲示があれば親切というものでしょうか。
 昨年の拝礼式の写真と腕時計の文字盤を示して、間もなく拝礼式の行列があると話をしたら、日本語判りませんと云いながら理解してくれました。
 愛読者のMさんは中国語の達人。中国からの参拝の方が多くなりました。一緒にボラガイドをして頂ければ、最高ですが。
 笠、羽織袴、裃、雪駄、脇差し姿 百余年前の武士の正装を見て、どの様に理解したのかわかりませんが、「ありがとうございました」と礼を述べ下りて行きました。孔子の国の若く学ぶ人は礼儀正しい。

 観光客の少ない日でした。○交定期観光バスが入りませんでした。大手旅行社のワッペンを着けた高齢者ご夫妻がブツブツ言っていました。聞き返しましたら「伊達家の当主は十八代。何故だ。我が藩は十四か十五代の筈」「どちらご家中で?」「土佐・山内家」 かの有名な一豊から数えているらしいが、これは御家の事情でみな異なると思いますが。

 ボラガイドは五年目に日誌は四年目に入りました。。今年の目標は、ガイド回数を年齢と同数達成に、そして本ページの改定「リニアール」です。





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