2005年7月の日誌
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7 月 31 日 (日)  



 梅雨明け宣言は有りませんが、暑い夏です。日焼けしました。
 涅槃門の左右の空は開けました。涅槃門から資料館が一視できます。答えは末尾に記載しています。

 朝一番、○藤学芸員が6年生の一団を、窓口横のご寄付者名板から、順次、丁寧に、分かり易く、詳細に説明し、案内していました。
 小学生にガイドをする時はかくあらねばならぬか 勉強になりました。○藤学芸員は小学校の先生であったのでしょうか。
 いずれにせよ、3ケ月で斯くも濃いガイドされるとは、ボラガイドとは習熟のスピードが違います。当然かも。

 七夕の由来、「折り鶴は長命長寿を願って、そのお宅の最高年齢の方の年齢と同数を飾ります」と語り、ここで、「お幾つですか」と、男性の年長の方にお尋ねしたら「78歳」「84歳」と返ってきました。本当の高齢者・長命長寿の方です。デモ何れの方も70代前半にしか見えませんでした。あらためて驚きでした。

 拝殿の七夕飾りの横に、願い事を記載する短冊と預かり箱が用意されました。6日からの本番の笹にで飾られるそうです。今年も飾りは事務所の人々が仕事の合間に作ったものものだそうです。今回は短冊を募ると、新規趣向をこらしています。

 願い事を短冊に記載容易にと机が用意されています。そこで願い事を書かないで、拝殿に上がり込み胡座の姿勢で願いごとを書いているお嬢さんが何人がいました。天女さんは願い事を叶うようにする判断基準に、願い事を記載する時の行儀は入っていないでしょうか。

 今日も、ご質問がありました。
 何故、夫婦一緒に祀らないのか、同室は無理なら、御霊屋を2棟並べて建てれば良かったのにと申される方がおりました。
 今一人は、3段1段の石段は急勾配である。昔の人の脚は短いのに。何故かと言うものでした。
 地形をご覧なり、又、昔の夫婦間のあり方等は現在と同じでない事を斟酌して頂ければ、ご理解頂けることです。でも斟酌しないで質問を発せられる所に、ボラガイドの存在価値があり、有り難く質問を受けています。

 「昨晩、仙台駅東口広場の雀踊りをみました。由来は政宗公に関係あるそうですが、本当のところはどうでしょうか」と50代後半のご夫妻からお尋ねがありました。
 「通説では、仙台城完成の際、祝賀の宴席で石工達が即興に踊ったものとされています。
 学者の説では、「仙台城築城の際、石切、石工が和泉国堺から招かれ、石切町に住み、石工の守り神〔瀬田谷不動〕を祀った。この祭礼に神楽を奉納していた。この祭礼終了後に、神楽の舞人全員が踊った〔はねっこ踊り〕が原型ですと言われています」とお答えしました。ウーなるほどと納得されました。ヨカッタ。

メモ
 学者の説は、東北大学付属図書館長千葉正樹教授が「四ッ谷用水復元市民の会と宮城歴史科学研究会との四ッ谷用水共同探査会(05.07.30.開催)」の席上発表によりました。
 
 涅槃門から資料館が一視出来る様になったのは、涅槃門左右の石垣の上の櫻の大木が伐採されたからです。来春からはブルーベリと誤解されたサクランボ(櫻の実)を踏みつける楽しみが無くなりました。
 



7 月 26 日 (火)  



 台風接近。嵐の前の静けさです。

 昨25日、午前中、大崎八幡宮で、「ぐるーぷ・よっこより」の勉強会が開かれ、32人参加しました。

 大崎八幡宮は、政宗公が1602年に遷宮し、1604年に社殿の造営を始め、1607年8月に落成したものです。壮麗な社殿は、我が国最古の桃山様式権現造りで、1952年に國寶に指定されています。
 日光東照宮より20年早く創建され、京都北の神社と共に現在最も古い権現造りの典型として極めて貴重な遺構です。(この項は代表配布資料による)

 昇殿し、玉串奉奠の後、左甚五郎作と称される(?)猫の彫り物を始め、拝殿に石の間の金箔・極彩色であった数々の絵、外飾りの配色等について、宮司から90分に渡る丁寧な解説を頂きました。

 現物を前にして、識者の生の懇切な説明は、図録等による独習では習得出来ない数々を指摘・教示してくれます。

  「司馬遼太郎曰く、現存する桃山様式の建造物を見るなら、奥州仙台・大崎八幡宮に行け」と宮司は語りました。
 成る程とうなずける、豪華壮麗な建造物です。創建を企画し実行した政宗公の偉大さに、驚きます。 

 「ぐるーぷ・よっこより」の現地勉強会、これで連続3回とも雨の中です。



7 月 25 日 (月)  



 台風接近が伝えられる雨の日です。

 午後、(財)瑞鳳殿の事務局長・次長とボラガイド「ぐるーぷ・よっこより」代表との懇談会があり、陪席しました。

 事務局長から次の様なお話がありました。
1.感仙殿・善應殿が剥離している等の状態を、2007年までに再建時(創建時では無い)の状態迄戻すを目途に調査に入ります。
2.市民が再三訪れ、仙台開府の歴史等を知る学習の場を目指ます。その為、政宗公を初め藩主の功績を容易に理解できる展示を検討しています。
3.樹木の選定・伐採をして、明るい環境・景観の整備をします。

 H代表から、次の様な話をしました。
1.資料館には、発掘調査の際に発見された副葬品を数多く展示されていますが、黒漆に金蒔絵の美しい文箱類の素晴らしさを、参拝者に見て頂きたいと思います。当然レプリカでしょうが、ご検討を頂きたいです。
2.鎧(よろい)の重量は一瞥(いちべつ)では無理です。試着は困難としても、重量を容易に確認出来るものがあれば、政宗公を初め昔の人は、体力があった事が理解できるのはないでしょうか、ご検討を頂きたいです。
3.仙台の郷土料理は何かと参拝の観光客に問われた時、金沢・京都に比較して淋しい思いをします。政宗公の豪華な正月料理が、復元試作されています。それを参考に「仙台の郷土料理」として特定されるような料理を創作できないものでしょうか。観光関係の会合で提案を考えて頂きたいです。
4.本殿周囲の玉石は厚く敷かないと、参拝者が滑って怪我をする恐れがあるので、周辺に寄ってしまった玉石を戻せるように、熊手等を容易してもらえればお手伝いできますが。

 2時間余の懇談の中で、上記の事が特に記憶に残りました。事務局長からは前向きな回答を頂き心強く感じました。

 最後に、次長から七夕期間中の行事等の説明と案内がありました。
1.瑞鳳殿本殿を開扉し、本殿のライトアップをします。
2.駐車場からの参道等に、竹筒蝋燭照明をします。
3.七夕飾りを涅槃門前、拝殿、資料館の3ヶ所に飾ります。全て事務所職員の手作りです。
4.18時から20時迄、日替わりでチェロ・アルト・ヨーデル・マリンバ・篠笛の演奏会を開ます。
5.日中、西広場にて、お茶席を開きます。
6.ループルバスは夜間の特別運行があります。
以上の通りです。ボラガイドの皆様のお出でと、又参拝者にご案内を宜しくお願いします。



7 月 24 日 (日)  



 曇りで肌涼しい日です。

 あかとんぼの住みかは城下の北方の在郷です。山を越え、政宗公の葬祭場跡、灰塚を右目に眺め、城下町並みを南下し、瑞鳳殿に参ります。
 城下は人・車ともに数少なく、信号機も次々青に変わります。本日の参拝者の出足は?と案じたら、そのとおりでした。

 18日の参拝者は休日にしては、予想外の人出だったそうです。
 ある人の分析では、夏休みに入ったので、親子にジジババとも宿題をかたづけてから、参拝しましょうとなったと云うものでした。そうでしょうか。
 

 三重・名古屋・山梨・横浜に東京からお出で頂きました。日によって、同一地域からの方が連続多数の事があります。山梨県で「奥州・仙台に行こう」のキャンーペンが行われているのでしょうか。今月は山梨からと申される方が多いです。

 170センチ以上の長身の東京からのお嬢さん2人。いろいろゆっくり語って行きました。
 涅槃門で麒麟の彫り物を見て、「昨日は麒麟麦酒仙台工場を見学してきました。おいしかった。なぜ、此処に麒麟がいるの。麒麟は霊獣でしょう。」
 拝殿の七夕を眺め、「なぜ 紙が主体なの。いつから誰が作るの。七夕終わったらどうするの。川に流すの。オジサンも作るの」「仲間が今日も作っています。ご一緒に作りませんか」シニアネット仙台のパンフを差し上げました。
 「折り鶴は、本来 そのお宅の最高年齢者の歳の数だけ飾り、長命長壽を祈ると言われています」「アッ ウチ父67歳。67羽だ」即 父親の年齢が出てくるとは。親娘関係 非常によろしい証拠。結構なことです。
 本殿では、「なぜ 龍が載っているの。火葬なの、土葬なの。ご遺体に牡蠣灰を詰めるのは一般的なの、仙台では普通なの」
 ループルバスの地図を開いて「次はどこで降りようか。お昼は何を食べようか。牛タンは昨日 一番に食べたし」「それでは冷やし中華は如何でしょうか。牛タンと同じく仙台発祥です」
 薄日が射すと、サっと日傘を開き、ストールほ纏いました。瑞鳳殿の天女さんと違います。お仕事はモデルでしょうか。

 ガイドしている傍らで、腰と脚をひねり、仲間に「この 天女さんはオカシイ」とブツブツ申しているお嬢さんが居ました。
 「余所の天女さんに比較して 三点の特徴があります。其の一点が脚をひねり、足裏を見せていることです。スゴイ観察力ですネ」
 ガイド5年目にして、初めてです。お客さんから天女の特異点を指摘 発言されたのは。最近 天女さんをあっさりガイドしているので、丁寧にガイドする様に、天女さんが使わして寄越したのでしょうか。

 本殿前で、老高年齢の家族の一団「なぜ 真ん中の天女さんは 楽器を持たないで手ぶらなのか」答えて曰く「指揮者だから」「声楽家だから」「楽器を持たせるのを作者が忘れたから」等 賑やかに話合っていました。
 
 



7 月 18 日 (月)  



 今日も暑いです。

 祝日 海の記念日です。本来20日でした。その由来は1876年明治天皇が東北巡行の帰途、汽船で横浜に上陸したにあり、1941年に制定された由緒ある記念日です。その記念日が毎年、日替わり定食の様に変わるのは 何故でしょうか。

 埼玉の方から、「天女さんを検索し、たどり着きました。感動しました。是非、家内と瑞鳳殿を訪れ、ホンモノを拝観したい」とメールを頂きました。
 この方、天女さんを描き、展覧会に出展したそうで、天女さんに入れ込んでいる様子。お出でになった際、どの様に話は飛躍するか楽しみです。

 マゴ台風の急襲で、ガイドは休みました。



7 月 17 日 (日)  



 暑い。猛烈に暑いです。真夏の気温です。

 参拝の方々は、9時05分から怒濤の如く続きました。暑さと絶え間ないガイドで口の中はカラカラでした。水筒持参は正解でした。

 扁額の下地の色。拝殿は朱で、本殿は群青です。何故その様な配色になったのかと問われました。「わかりません」と答えました。背景になる建物の装飾色等との兼ね合いと思いますが、想定外の質問でした。

 「菩提寺の瑞巌寺は何宗だ」「ハイ 臨済宗妙心寺派です」「イヤ 天台宗だ。よく覚えてオケ」スタスタ・・・
 信教の自由は憲法で守られているからと申せ、余所の宗門を勝手に変えられては困るんですが。

 「なぜ ここに麒麟が居て、反対側は瑞雲なのはなぜか。わからないのか、勉強不足だな」と答えるヒマなく言い放ち、「女は駄目だ」と云わんばかりの風情で、奥さん風の連れを伴った管理職風のオジサンは去って行った。対応した美人ガイドのYさんは「オジサンはキライ」とブツブツ申しました。

、若いオジサンは、暑さに負け気味のオジイサン・オバアサン相手に暑気払いのつもりかでしょうか、いささか厳しいです。

 「保科正之の信州高遠から」「武田信玄の甲州から来ました」と、それぞれ殿様と地名を名乗られる小団体が続きました。
 あかとんぼが研修で訪れた地ばかり、「恵まれた風土。遠方から政宗公をお詣りにお出で頂き、・・・・・」非常に和気藹々、皆様満足された様子でした。

 江戸時代、初対面の自己紹介の際「拙者 奥州 伊達家中の○○と申す」「拙者 信州 ○○家中の△△と申す」と名乗ったそうですが、今日の参拝者の皆様は、日本伝統守る会員の方々であったのか。

 涅槃門で胸の名札をのぞき込む方がおりました。ガイドしましょうと話かけると、手をグルグルと回しました。聴覚に障害を持つ成人男女4・5人の小団体でした。
口を大きく開け、ゆっくり話しますと話しました。でも、首と手を振りました。
 手話を取得していなかった事、お互いに残念なことです。

 以前、視覚に障害を持つ方をガイドした経験があり、別途 ガイドブックの作成の必要を感じていました。手話の勉強も必要の様です。



7 月 11 日 (月)  



 瑞鳳殿ボラガイドの仲間「ぐるーぷ・よっこより」の懇親会が開かれました。

 勉強会を「政宗公」中心から、範囲を拡大して欲しいの提言がありました。
 観光の対象となる史跡は「仙台東照宮」以外は、全て政宗公の時代のもの。仙台から政宗公を除けば何が残るだろうか。400年この方、政宗公の名と恩恵で生活の糧を得ている町。仙台。 代表は如何に判断するのか たのしみです。

 娘さんが仙台でフリーのバスガイドをされていると申す、ご婦人。瑞鳳殿ガイドに興味を示されたので、是非とお誘いしました。現在 女性ボラガイドは一人です。非常に評判がよろしいです。美人ガイドが増えて、禿・白髪のオジイサンガイドが「ブツブツ」やっかみを云う日の実現が待たれます。

 Iさんから四ッ谷用水にかかる宿題を頂きました。これも政宗公の遺産です。

 瑞鳳殿ガイドについて、ガイドしている人、していない人、何れからも要望・苦情はありませんでした。



7 月 10 日 (日)  



 今日7月10日は、ここ瑞鳳殿・善応殿・感仙殿の伊達家三代の御霊屋を初め、仙台城大手門に、市街地を焼き尽くした仙台大空襲から60年目の日です。
 この空襲はB29 123機が参加、投下した爆弾10961発912屯。当時の市街面積の17%、被災戸数は23%に当たる10933戸、被災者は26%の50321人、死者1442人と伝えられています。
 戦災復興記念館を中心に偲ぶ行事が行われました。

 参拝に訪れた方に、今日は瑞鳳殿が空襲で焼失した60年目の日ですと申し上げても、特段の反応がありませんでした。当然かもしれません。
 あった反応の一つに「東北に空襲はあったのか。沖縄と東京だけでなかったのか」と、正に「白河以北一山百文」「東京だけが日本」です。

 東北で空襲・艦砲射撃を受けた代表的都市は、仙台・釜石・青森・秋田と記憶しています。仙台は軍都、釜石は製鉄所があり艦砲射撃を、青森は青函連絡船、北海道からの食糧搬入の港、秋田は当時日本一の産油地、精油所がありました。と申したら、ウーと驚いていました。

 寶筺印塔についてお尋ねがありました。「これは何というものですか」「寶筺印塔と申しまして、殉死者の供養碑です」「この形が非常に面白いと云うか不思議な形である。五輪塔でもない」と下段の上と中段の上の部分について指摘されました。
「戦災で損傷し、実測図があり、それに基づいて復元されたものです。なぜ、この形になったかは定かでありません」と手持ち資料を開示しました。
 「この方面の研究者ですか」と尋ねたら「イヤ JICAです」と返ってきました。ズバリ勤務先が返答されたのは初めてです。日本を代表して派遣される人々に、日本文化として、この様な事も教育しているのでしょうか。驚きました。あかとんぼがシニアに応募しても合格しないのは当然です。

 小学生の女児三姉妹が香炉から線香を点火し、拝殿周辺を走り回っていました。母親は放置し注意しません。あかとんぼ「火遊びすると寝小便しますぞ」と云ってもビクともしません。依然として徘徊しています。JICAの今一人の方「火遊びはいけません。火事になります。返してきなさい」とビシリと云い、返したかを確認に行きました。社会における教育とは「かくあらねばならぬ」と反省しJICAに感心しました。

 仙台七夕の原型が拝殿の左右に飾られました。それぞれに和文と英文で、謂われの解説付きです。補足解説しますと納得、喜ばれました。8月6・7・8日の本番に再度お出かけくださいとご案内しました。

 沙羅双樹の花が未だ咲いています。「あの花の名は、夕べの宿にもあったが」のお尋ねに「沙羅双樹です」「アッ、平家物語の祇園精舎の鐘の声・・・」「ハイ そうです。夏椿とも申す様です」「仙台は情緒のある町ですネ」と云う会話がありました。

 臥龍梅に実が一粒なっています。幾ら目を凝らしても後は見当たりません。熟して落下したら頂き、実生しようと思い、ひそかに予約してきました。数年前に実生を試みましたが失敗しました。

 基本的に名刺を持たない生活です。縦続きに3人のから名刺が欲しいと云われました。「NPOシニアネット仙台の(ぐるーぷ・よっこより)です。HPを見て頂き、お電話して頂けませんか」と返事しました。観光会社と独立行政法人に某NPOの方々で「ガイドを依頼するにはどうしたら宜しいか」と云う事でした。
 名刺をパソコンで作ったのですが、使う機会が無く、名刺入れに入ったまま紛失したままでした。幾らボラガイドと申せ、消極的対応と反省しました。

メモ
 仙台空襲被害の計数は「図説宮城県の歴史 河出書房新社刊行」によりました。
 
 手持ち資料は学術調査報告書「瑞鳳殿伊達政宗の墓とその遺品」の岩淵康治著 殉死者の墓(180〜181頁)のコピーです。



7 月 3 日 (日)  



 曇りの肌冷たい日です。
 朝一番、酒臭い団体の後は、ポチリポチリ。駐車中のタクシーは数台。

 東参道登り口で一緒になった若くないご夫妻。熱々ムードなので「ガイドします」と云えないでいたら、「ガイドして」のかけ声に、涅槃門から西参道下り口迄ガイドしました。知っているような知らないような、なんかテストされている感じ。

 24歳の4嬢、今時のお嬢さんには珍しく、天女さんより地味な服装。拝殿の扁額の珊瑚と真珠、本殿の天女さんとガイトする都度喜々としていました。「身長は」「165」「政宗公より大きいですね」「アレー オシエテ」「資料館でどうぞ。血液型も判ります」「イコ イコ。オジサンアリガトウ」

 個人情報保護と騒がれている割に、年齢・身長・居住地を簡単に語っていきました。

 「どちらからお出でですか」と聞きます。でも、身構える人がママいます。その場合はそれ以上お尋ねしません。お聞きするのは、お客さんと伊達家の接点を求めてで、お客さんが興味を持たれる様にガイド内容を変えるためです。

 例えば「札幌から」「白石区ですか」「イヤ どうして」「伊達家と御縁があります。瑞鳳殿再建の際、寄付されています」「どうして」となり、御縁を語る事により、参拝者は新たな興味が湧き上がり、ガイドにも熱が入ります。

 「なんできましたか」「参拝に来ました」と答えた人は流石いません。交通手段を尋ねていると理解し答えてくれます。「新幹線で。飛行機で」と答えられる方、たま居ます。バス、タクシー、マイカーなのかを私の知りたいのです。急ぎの参拝なのか、時間に余裕あるのかです。ガイドの長短を調整します。バスの人は時計と競争で参拝される方が多いです。5分間ガイドとなります。でも双方が物足りない、消化不良を起こします。

 本日は立ち往生する質問も無く、前半は久々のUさんと、昼は元気回復のHGさんと一緒でした。

 ループルバス1日乗車券を拾得し、事務所に届けました。落とした方バスに乗る前に気がついて、事務所に駆け込んでくれればよろしいのですが。





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