2005年8月の日誌
| 前々月 | 前月 | 翌月 | 翌々月 |




8 月 31 日 (水)  



 仙台市役所行政情報センターを訪れ、公開されている平成16年度財団法人瑞鳳殿の事業報告書を閲覧してまいりました。

 発表様式は微妙に替わっていましたが、知りたい事、例えば参拝者人数やお賽銭の額は記載されていました。 一目したところ、大きい増減が無いようです。

 15年度報告書では、三陸南地震に於ける寶筺印塔等の修繕費に予備費から50万円振り替えています。しかし、寶筺印塔等の修繕費に総額幾ら必要としかはわかりません。蚊帳の外の心配は、8・16宮城地震による寶筺印塔・灯籠倒壊等の修繕費の総額は幾ら必要となるのか、予備費の範囲内で修まるかです。

 事業報告書等の内容を詳しく知りたい方は上記箇所で閲覧するか、瑞鳳殿のHP「公益法人の業務・財務に関する情報公開」をご覧ください。但しHPは本日現在14年度決算報告です。

 シニアネット仙台の事務所で、留学生等の世話をしている○○市議から「あかとんほさん 車椅子の方を案内したいが、62石段は登れない。よい方法は無いかしら」とのお尋ねがありました。「職員駐車場を経由すれば涅槃門の前までは車は入れられます。涅槃門から本殿迄は、ご承知のとおり背負わなければ登り降りはできないでしょう。高齢者のボラガイドでは、日本語のガイドは出来ても背負う事は無理です」との答えに「よいアドバス」。はたして実現にむかうでしょうか。



8 月 29 日 (月)  



 いささか残暑厳しい日です。

 ボラガイドの仲間「ぐるーぷ・よっこより」の勉強会が仙台・東照宮で開催されました。講師は瑞鳳殿等の発掘調査を担当された経歴の○○先生で、40余人の参加があり、熱のこもった講義と質疑がありました。

 先生は瑞鳳殿・大崎八幡宮・仙台東照宮を「桃山風建築」と説明されました。之まで「桃山様式の建築」と理解し、其の様にガイドしてきました。正解はとぢらでしょうか。「様式」と「風」では違うと思います。
 「稲庭饂飩」と「稲庭風饂飩」とでは似て非なるものです。美味しさも値段も日持ちも違います。

 仙台・東照宮は拝殿・唐門・本殿で構成されています。この構成に意味があるかと質したところ、「桃山風建築の様式である」との回答でした。「瑞鳳殿では、唐門が何故再建されなかったのですか」これには明確な回答を頂けませんでした。

 ブログを検索したら、「瑞鳳殿のガイドのオジサン声が低くて聞こえなかった」の記事があり、昨日は声を大きくガイドしたら、ご依頼以外で、途中から聞き寄せられたご婦人からガイド中にチャチャが入りました。中断する事なくガイドを続けたら、「なぜわたしをガイドの対象中心に切り替えないのか」と非常に不満な表情を見せられ、意外な思いをしました。
 本日 7割がご婦人でしたが、講師の講義途中にチャチャを入れ、講義の流れを止め、自己中心の雰囲気にしようととする非常識な人は皆無でした。流石、「よっこより」の会員です。

メモ
 仙台東照宮は二代藩主忠宗公が三代将軍家光の許可を得、1649年8月普請を始め、1654年完成、総工費22,443両です。(1両50万円で換算すると112億2150万円。5年の工期 最大の公共工事と評価するか?)
 本殿・唐門・透塀・鳥居・随身門・附厨子1基・棟札1枚・石灯籠34基は国指定重要文化財



8 月 28 日 (日)  



 爽やかな気候となりました。参拝者は最盛期比一段落です。

 朝一番 岐阜からの団体、「ボラガイド居ます」の札を立てた途端 「アッ ボラガイド オネガイ」でガイドしましたが、反応は静かなものでした。岐阜は戸田様の御城下故に、満足されなかったのかと思ったら、最後に「ガイドあってよかった。ありがとう」と申されました。安堵しました。

 お嬢さんから「ガイドお願い出来ます」のお声。単独参拝のお嬢さんからのご依頼は珍しいです。普通はオジイサンガイドを敬遠します。当然のことです。
 「どちらから」「札幌から」「もしかしたら白石区から」「ハイ白石区です」再建の際のご寄付・伊達家・片倉家との関係をご存じでした。今回で2度目、前回はガイドなしで眺めただけであった。今回は華麗な御霊屋を撮影が目的で、ガイドでポイントが絞れ撮影出来たと喜んでいました。

 途中から一緒に聴いていた高齢ご婦人。塩竃市から初めてお出でになったそうで、家紋三引両を指差して「子供の頃から知っている」「生家は石巻で、近所にこの家紋を表示した家があり、其の家は殿様が石巻まで出陣した際の休憩する家と聞いて育った」と云うことでした。現存するか、所在は等は聞けませんでした。

 地元テレビ局の撮影がありました。御木像撮影に開扉されました。居併せた参拝者の皆様、一斉にカメラ・携帯を御木像に向けました。「殿に御挨拶してくださいヨ」と鍵持ちに代わり一声発しました。大方の方は拝礼しました。「お賽銭入れました」の声がありました。お賽銭を入れないより、入れた方がよいでしょう。あかとんぼは敬意を表してから撮影すべきとの思いからの発言でした。でも、この返事は。

 撮影中なのにお話する人、お賽銭をジャラジャラとわざと高音で入れる人。テレビ局の人に「大丈夫か」と聞いたら採音は停めているとの事でした。それでは安心とガイドを続けました。
 デジタル放送の準備とか。モニター画面を見せて貰いましたら、誠に鮮明です。「屋根の龍頭の埃が映る 困った」「雨上がり 出直しですネ」「ウー」過ぎたるは及ばざるごとし。

 新しいパンフレット。内容は格段の充実です。これを読んでお出でになればボラガイトは不用です。普段 ガイドで語り切れない内容がギッシリです。
 拝殿の扁額「珊瑚と真珠」と説明し、本殿の彩色の顔料について質問され、手持ちのパンフの「瑞鳳殿コラム1」をお読み頂ければとガイドしました。納得頂きました。

 今回のパンフには政宗公の御尊顔が掲載されていません。ガイドの活躍の余地を残すべく配慮されたのでしょうか。感謝します。



8 月 22 日 (月)  



 各地の愛読者の方々から 瑞鳳殿被災お見舞いのメールを頂いております。

 立ち入り規制で参拝出来るのか。見学出来るのか。被災前に参拝してよかった。もう、あの豪華絢爛な瑞鳳殿は見られないのか。と申すご心配を頂いております。

 危険立ち入り規制のロープは張られていますが参拝に支障は全くありません。又被災の中心は周囲の寶筺印塔・灯籠であって、豪華絢爛な瑞鳳殿本体は何らの損傷はありません。どうぞお詣りにお出でください。あかとんぼも体力の続く限り毎日曜日 お待ち致しております。


 倒壊した寶筺印塔等の復旧にボランティアを募集するのかのお尋ねがありました。復旧には石工さんの技術が必要です。体力も必要です。ボランティアでは無理です。お邪魔でしょう。よって募集は無いでしょう。

 瑞鳳殿被災お見舞いのメールをくださった方々、心配して下さった方々。 管理事務所に勝手に成り代わりお礼申し上げます。



8 月 21 日 (日)  



 夏が戻りました。灼熱の暑さです。

 所要と暑さで100分間のガイドでした。時間の半分は地震被害のガイドでした。参拝の皆様の興味の中心は、全倒の寶筺印塔の現状にありました。

 「寶筺印塔の全倒」「石組み階段の剥離」「地割れ線」をガイドしたら、懸命に撮影しているあかとんぼと同年輩のご夫妻は「昨日は山形の山寺、今日はここ瑞鳳殿。ここ最高」と申しました。何が最高かお尋ねしたら「豪華絢爛な建造物もすばらしいが、地震被害の生々しい姿を、こんなに間近に見たのは始めて。ヨイ記念になる」との返事でした。
 この方々は、名古屋の方だそうで、「パソコンに向かっていたら、揺れたので、自分が体調を崩して目眩をしているのかと感じ、机に掴まりました。間もなくテレビで地震と知り、かつ震源地が遠い北の彼方の仙台で、それが名古屋まで伝わってきたと、知りビックリした。急遽、東北旅行を思い立って来ました。」と語られました。

 市当局が瑞鳳殿の被災状況を全国ネットに流した効果があったようです。「災い転じて福となす」の作戦は成功したようです。想定外の効果に脱帽です。

 涅槃門からガイドをしました東京・荒川区からの若い女性集団。参道の倒壊・落下した灯籠を始め、寶筺印塔とガイドしたら、「いつの地震ですか」「どうして修理しないのですか」のご質問。未だ一週間にもならない「8・17宮城地震」を遠い昔に葬り去った様子です。
 でも、これ「若年性高齢化」ではないでしょうか。昨晩の献立を忘れる高齢者に似ていると感じました。

 H代表に「皆様 被災状況 非常に関心が高く、時間が取られます」と報告したら、「他人の不幸はおいしてものです」と返ってきました。
 H代表は悟りの境地間近でしょうか。味のあるコメントです。



8 月 18 日 (木)  



 清涼な気候です。

 17日のNHKTVでは、寶筺印塔の倒壊の様子を何度も放映していました。

 18日の地元新聞は、「石塔62基倒れる 瑞鳳殿」の見出しで、「市観光交流課によると、被害が出たのは供養塔と灯籠で、9基は根元から倒れて全壊、53基は石の一部が落下するなどした」と報じています。
 なぜ、発表が瑞鳳殿管理事務所でなく、仙台市の行政当局なのでしょうか。

 マスコミに積極的に被害情報を流すのは、「災いてんじて福となす」の策、「瑞鳳殿の参拝と同時に、地震被害を実視出来ます。多数 お出でください」でしょうか。

 協力の意で、表紙に被災写真を掲載しました。



8 月 17 日 (水)  



 大雨・地震も去って、残暑厳しいです。

 昨16日の地震。瑞鳳殿の被害皆無を願いつつ参上したら、事務局長陣頭に○田さん○藤さん等が被害の詳細を調査中でした。
 あかとんぼがボラガイドを始めてからでは最大の被害です。03年6月26日18時24分発生の三陸南地震に比較して、大被害です。

 参拝者を始め怪我等の人的被害が無かったのが「不幸中の幸い」と事務局長が申していました。そのとおりです。
 寶筺印塔・灯籠の倒壊、地割れの被害を目の当たりにして、よくぞ怪我人が出なかったものだ。やはり政宗公のご加護と思いました。
 それにしても、瑞鳳殿地区が感仙殿地区より被害がなぜ大きいのか。人物と被害とは比例しないと思いますが。

 参拝者は続々と見えていました。危険箇所の「立ち入り禁止」の札と、ロープで規制された中の昨日の地震被害に、あらためて驚いていました。

 被害写真の撮影と全山の確認を急ぎましたので、3分間ガイドにとどめました。聞いてくれた千葉からの女子中学生3人連れは それでも納得・喜んでくれました。

メモ
 
被害概要(あかとんぼ一目調査)
瑞鳳殿
 灯籠    奥山大学常長 古内主膳重広 茂庭周防守良綱寄進の灯籠倒壊・落下
 寶筺印塔 全20基 倒壊又は上部落下 若しくは移動 被害皆無はゼロ基
 地割れ   拝殿左広場に2ケ所 南東から北西方向に地割れ線
 ズレ    涅槃門透かし塀に灯籠が激突し 基礎木部にズレ
感仙殿
 灯籠    寄進者不詳の灯籠 上部又は下部にズレ 

瑞鳳殿地区が感仙殿地区より被害が大きい事の原因 素人予測 
1.断層線が瑞鳳殿地区を走っているのか?
2.1940年代の採掘の亜炭廃坑が起因しているのか?
3.人物の大きさと地震被害は比例するのか?

地震の記録
命名 8・16宮城地震
発生 05年08月16日11時46分頃
震源 宮城県牡鹿半島東南東80q
震深 42q
規模 M7.2



8 月 14 日 (日)  



 あかとんぼの先祖墓参のためガイドを休みました。

 俗説に 佛はお盆13日にその一生を終えた地、祭祀継承者の元に帰る。16日に再び終の棲家に帰ると申します。14日の墓参では「霊」は留守中との事。それではと遺骨の墳墓と霊の帰った祭祀継承者宅を訪れ、お詣りしてきました。

 さて、政宗公の菩提寺は松島瑞巌寺。此処は臨済宗妙心寺派。伊達家は明治に神道に転じたと本等に書かれています。現御当主の信仰は、当然のことながらわかりません。

 上記、俗説は仏教界の話です。政宗公は、お盆を如何されたか いささか心配です。



8 月 10 日 (水)  



 霧雨です。立秋を過ぎた故か 涼しいです。天気予報は今季の暑さは、峠を越えたと報じ居ます。

 7日の方から、瑞鳳殿参拝の感想と俳句が送られて来ました。

 政宗似のガイドの汗瑞鳳殿  みさえ

 畏れ多く 冷や汗が流れる感じです。ガイドを喜んで頂けて事最高です。



8 月 8 日 (月)  



 昨日に比較して 凌ぎやすい気温です。でも汗拭きタオルは手離しなりません。

 本殿でガイドしていたら、添乗員さん「12人ですお願いします」と息を切らせて駈けのぼってきました。関西からの団体との事で、「涅槃門の菊の家紋は秀吉公から拝領したと申されています」から始めました。ツァー4日目にしては元気な皆様で、熱心に聴いて頂き、最後に拍手してくれました。本日最高。

 三世代の内、二世代祖母に息子夫婦と3人、全員デジカメ撮影しながら熱心聞いて呉れました。第三世代は赤ちゃんです。本殿・資料館ともで90分以上参拝・見学されていました。
 山口県からお出でになったそうです。故に、弔魂碑はガイドしませんでした。一般的に「戊辰の役」と「靖国神社の由来」を知らない人が多くなってはいますが、長州の人には ガイドは躊躇します。

  露天で抹茶を楽しむ「NHK道中でござる」の茶店に似た葦張りの茶店。「夕立 大変だったでしょう」と声をかけたら、他称秋田美人 ニコニコと「ダイジョウブ」と返事していました。

 昼。雷鳴です。涅槃門前の七夕飾り大急ぎで取り外ししていました。お手伝いをしました。取り付けなかなか工夫されています。収納した途端 夕立です。大粒の雨です。参拝の多数の皆様 拝殿と資料館に駆け込みました。満杯です。ここで、Uさんとガイドをしました。
 西広場の露天で抹茶を楽しんでいた方 どうしたでしょう。

 三日連続でいささか疲れました。疲れますとガイド粗雑になる心配があります。本日の2人 之にてお終いにしました。

 瑞鳳殿で見舞われた夕立は局地的なものであった様です。大名小路と称された片平丁から城下の町屋は一粒の雨の跡もありませんでした。
 日本のみならず世界各地からの多数の参拝者に感激した政宗公の感涙だったのでしょうか。


 ライトアップ撮影を予定していましたが諸般の事情で中止しました。6日の電池切れが悔やまれます。来年を期すます。
 ライトアップ等の「瑞鳳殿七夕ナイト」催事。「訪れたいが時間的に無理で残念だ」の市民の声があるのを、城下七夕撤収作業に参加して聞きました。




8 月 7 日 (日)  



 昨日より暑さは厳しいです。タオルは汗でグチヤグチヤになりました。

 参拝者はスマトラ津波の如く押し寄せて参ります。Uさん、IBさん、Yさんと4人でガイドしました。喉を潤そうと水筒を手にすると、「ガイドして」のお声がかかりました。此が「嬉しい悲鳴」と実感しました。有り難い事です。

 七夕七つの願いをガイドしたら、「七夕や 髪にふれてゆく 紙のおと  土屋薫」を頂きました。伊豆の国市の俳句同人7人仲間で、バスを遅らせて、ゆっくり拝観しましょうと、本殿等のガイドを希望されました。拙いガイドを聞きながら句作をされていました。どんな俳句が出来たのでしょうか。ご披露までには至りませんでした。

 この一行の女性の方、突然 「エライ学者を登用出来るのは優れた指導者でなければ出来ない」と申しました。そこで「この天女さんの原型〔出来ない事をして、見せないものを見せている 足裏の形〕は紀元前200年前の大陸の遺跡で発見されていると聞いています。ここは1637年に創建されています。約1800年後に、奥州・仙台で大陸文化が開花した訳です。優れた学者が居た証明になると思います。その様なエライ学者を登用した 政宗公は 此また優れた指導者であった証拠と思っています」と申し上げたら「そのとおりだ。感激した」と握手を求めました。
 ボラガイド5年目にして、初めて。それも女性から握手を求められました。キット天女さんの代理人かも。

 七夕のお客さんはお忙しく、サワリ専門の方が多い中で、窓口の「ボラガイド居ます」の札をご覧になった親娘から「出来ます」のお声で、プレートからのフルガイドをしました。「ホテルで自転車を借用し、7分で来ました」には驚きです。62石段をブツブツ申し方が多い中、自転車で駐車場まで登って、爽やかな表情とは。

 先祖は伊達家の家臣で「モンマ」ですと、早々に申されたので、箪笥屋さんの関係ですか、思わず尋ねたら「イイエ」。全てのガイドを終わった時「夫の先祖は門馬善兵衛○○で、相馬家臣であったが後、伊達家臣となりました」と申し、寶筺印塔の銘板に、その姓が無いか確かめて居られました。

 図書館にて「伊達藩家臣録・御知行被下置御帳」「伊達世臣家譜続編」を検索しましたが、門馬姓は見当たりませんで゛した。只「門間長衛門 相馬浪人 貞山公 元和元年 二両4人扶持 召出」の記述がありました。

 西広場に、「NHK道中でござる」の茶店に似た葦張りの茶店がでました。店頭に若い娘。暖簾の蔭にオナーのオバサンが鎮座。暖簾の蔭から「ウチの娘は秋田美人だよ」と大声で通る人々に宣伝していました。
 娘に「秋田の何処の産」と聞いたら「シラナイ」と小さい声で返ってきました。サテサテ。
 俗説に「伊達領内には、三代様の祟りで美人が居ない」があります。善應殿前での茶店なので、オナーはこれを信じての発言でしょうか。

 昼になったら雷が鳴り響き、ドンドン音が近づいて来ます。指示棒に落ちられたらコワイナー 涅槃の世界に行って帰られなくなると 急遽ガイドを中止し、車に避難した途端、バラバラと大雨です。本日のガイドは此にてお終いにしました。
 一人残っていたUさんは、ヌレネズミかカッパになったのでは。どうでした。



8 月 6 日 (土)  



  灼熱の太陽 仙台七夕は暑い暑いお日様に恵まれて開会しました。

 開門早々 ツァーバッチを着けた方々が 連続しています。何れの方々も「仙台七夕はこれからです」 中には「先ずは瑞鳳殿参拝に参りました」と、泣かせる様なセリフのお客さんも居ります。

 ねぶた・竿灯・花笠と北から東北の夏祭りを堪能する方々。昼は観光、夜は祭り見物とタフなお客に些かお疲れの様子の添乗員嬢。「アッ 専門のガイドさんがいます。みなさん どうぞ」と後方に下がり一息ついていました。オツカレサン。

 拝殿で本殿を見て「ムカツク」と大声を吐いたお嬢さんがおりました。本殿は開扉しています。御木造に砂利を投げつけるのか 心配になり注視しました。一瞥して降りていきました。ホッとしました。何故、62万石の太守の御霊屋を見て、ムカツクのかあかとんぼの語彙では理解出来ません。
 ドット 汗が流れました。タオルが重くなりました。

 9時32分 本殿の扉が開かれました。その直前まで 「ボラガイドで鍵有りません」と申していたので、女子職員が開いた途端 拍手が湧き上がりました。
 「撮影して宜しいか」のお声がありました。「お詣りして お許しを得て下さい」と申したら、皆様は手を合わせてからシャッターを押していました。
 皆さん 大変な喜びでした。

 
 極めて親しい方から、ライトアップされた瑞鳳殿を訪れたいとのお話があり、竹筒の蝋燭に点火する直前に再訪し、幻想的参道を通り、ライトアップされた瑞鳳殿ほか二殿を参拝されるのを案内しました。

 西広場では蝋燭の間接照明の中で「篠笛」の演奏がありました。なかなか優雅なものでした。

 持参のデジカメは 暑さに疲れたか、幻想的画面になったら電池キレの現象なりました。残念でした。8日再挑戦致します。



8 月 2 日 (火)  



 夏 夏の美味しい果物。なんでしょう。

 瑞鳳殿に伊達産の桃が本日 奉納されました。奉納したのは伊達みらい農協(福島県伊達郡)です。
 新聞では、「伊達氏発祥地から献上」とあります。この新聞は言葉足らずと思います。
 伊達氏は常陸國真壁郡伊佐庄中村の豪族で、1189年源頼朝の奥州侵攻に従軍、戦功により、岩代國伊達郡を得、その地名をして姓「伊達」を名乗ったとされています。
 故に、「伊達姓発祥地から奉納」が正しい表現ではないかと思います。
 奉納品の下賜を望めませんので、スパーにて奉納品種「あかつき」糖度15度を買い求め、早速おやつに頂きました。





inserted by FC2 system