2006年4月の日誌
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4 月 30 日 (日)  



 櫻吹雪は櫻絨毯となりました。新緑が芽吹いています。

 連休2日目、ゾロゾロを予測し早めに待機しました。でも予測は外れました。

 いつも明るく正確にガイドする観光タクシー氏、この度、個人タクシーに独立しましたとご挨拶と名刺を頂きました。キツト会社は顧客減少し打撃でしょう。
 「本殿の天女さん等の彫刻の作者は誰ですか、生地は宮城県の人と記憶しているが」と問われました。即答出来ませんでしたので、調べますと答えました。あかとんぼは瑞鳳殿中心 この方は広く仙台圏をガイドしての質問。プロです。

 三世代、長老夫妻は四国から、東京圏から子供夫婦2組に孫と計10人の団体。涅槃門からご案内しました。長老の人柄か 和気藹々で、互いに絶えず撮影しあっておりました。10代から70代迄の方々 一緒にガイドはそれなりに気を遣います。でも ご満足頂けた様で「漫然と見ることなくよかった」のお言葉とお茶のボトルを頂きました。

 風貌は日本人の男性2人、ボラガイドしましょうかと声をかけたら「english」と即答され「no english」とH代表と顔を見合わせました。胸に「press」と大きく表示されたプレートを下げて、手水鉢で竜頭越えで撮影し、歓声を上げていました。瑞鳳殿は国際的です、何処の国の報道機関であったでしょうか。

 ガイド養成講座修了生のご婦人、母親を同伴し勉強に見えました。K学芸員推薦図書を購入 勉強をしているそうです。やる気満々です。期待しています。

 昨日HG先輩が午後から、今日はH代表とL先輩が朝からです。
 H代表から7月の予約照会があり、メールで都合を尋ねたが返事がないとの事。不思議、メールが届いていないのです。どーしたのでしょう。



4 月 29 日 (土)  



 今日からゴールデンウィークです。最長9ケ日休日の人も居るそうです。あかとんぼ の休日は365日です。祝日赤表示の日はガイドに出ます。

 櫻吹雪 見事です。盛り吹雪いている最中はガイド中で撮影には失敗しました。

 朝一番 TVカメラ持参3人組の男女。一見して外国人。「どちらの国から」「china」 「peking」 「オオー北京」「no japanese」。デレクター女史の資料には「瑞鳳殿・魯迅」の日本文字が散見され、気ままに撮影していました。

 ご婦人おひとり。長崎から、息子が全国バトミントン大会に出場でその応援とか。応援前の一刻「瑞鳳殿に参拝し、牛タンを食べてお出で」が宿題とか。午後からの応援には気力体力満々でしょう。

 名古屋から社長風の方のガイド、タクシーの運転手からの振られました。知っていられる方で慎重にガイドしました。次の様なアドバイスがありました。

1.屋根の龍は何で出来ていますか。青銅であれば注意して絶えず補修しないと穴があきます。今の空気は汚れています。雨は酸性雨です。危険です。

2.本殿出来て何年になりますか。コンクリートの建物30年が寿命です。塗りは何ですか。在来工法の漆ですか。年増の厚化粧の様に何度も塗り重ねが必要です。さすれば延命効果あります。

3.石段に手すりが必要ですネ。これからの日本は年寄りの国になります。大事にしましょう。手すりはステンレスでは無く木製にすべきです。基礎を銅板で包み、漆塗りにするとよろしいです。

 「今度は家内を連れてきます。その節はよろしく」「ハイ お待ちしてます」

 お嬢さん スケッチしていました。和紙に描く日本画の大作に挑戦するそうで、この期間中通うそうで明日の再会を約しました。

 ガイド養成講座終了しました。受講生の内 何人がガイドをしてくれるのか、楽しみです。本日は見えませんでした。K学芸員から講座資料を頂きました。感謝。

 本日は誠に温暖です。H代表、U・N先輩も見えました。南参道には2メートルの大蛇がでました。関係者以外通りませんから騒ぎにはなりませんでした。自然豊かな瑞鳳殿としての記録として撮影しました。ご希望の方に写真差し上げます。



4 月 23 日 (日)  



 櫻花爛漫。

 朝一番。「ガイドしましょうか」「お話できません」・・・「どちらの国から」「台湾から」
「バンフ 英文 貰いました」「まだキッフ買っていない」・・・・・「では どうぞ ここで」「台湾のかたです。英文パンフお願いします」
 此処まで会話出来ました。あかとんぼと同年輩であれば、同じ日本人であった故込み入った会話もできましたが、若い人々でしたから、これが限度でした。

 仙台市内の11歳のガールもいるボーイスカートの一団15人程。リィダーは入場券買い与え自由と指示していました。それではと「明日の日本を築く少年少女の一助なれば ガイドしたい」と了解を求めましたが無視された。黙認あったと理解しプレートから資料館迄ガイドしました。宿題を持っていました。「伊達政宗・漢字で書きなさい」「政宗の幼名・正式名・号・戒名・神号は何と云うか」「政宗の奥方の名前は」「現当主は何代目で其の名前は」と云うようなもので資料館を見てもわからないものでした。彼等と答え合わせをしました。満足したのか後は、のんびり拝殿前石段に腰掛け、櫻花爛漫を観賞していました。

 新潟・長岡からの16人、入場券を求めながら「ボラガイド居るそうですが」と大声で尋ねていました。何で調べて来たのでしょうか。殿様は「牧野様 親藩です」と。プレートから本殿迄ガイドし、資料館は自由で、ゆっくり時間を費やしての参拝でした。
 本殿前で拝礼を求めたら「お賽銭上げたいです」の声「どうぞ。ボラガイドとしてお賽銭を強要できません。でも たっぷり上がれば 殿も喜ぶでしょう」みなさんニッコリ。たっぷり投じていました。

 お嬢さん 本殿の豪華がエラクお気にめした様子。最高の撮影位置を教示しました。悦びパチリパチリ。続いて資料館に入りました。涅槃門前に立って居たら、青い顔して降りてきて、東参道に向かいました。「順路逆ですヨ」「怖い、ここがお墓とは知らなかった。イイデス」との事でした。「御霊屋・御廟とはお墓ですヨ」「知らなかった」 バスのアナンゥスもパンフ「伊達家の御霊屋」と申しています。自己知識の問題です。誰も騙していません。

 でも、怖がる事は無いと思います。墓室に入った人はワルサをしません。現世の未練が断ち切れずに怨霊ででた場合以外は。悪さをするのは生きている人です。お嬢さん 桃山様式の美を楽しんでください。

 本日はH代表、U・L・HGの各先輩が見えました。H代表の提示資料はB4版と大型になりました。A4と異なり迫力があります。説得力があります。大型化はテレビだけでなくなりました。

メモ
 長岡 牧野
 牧野家74,000石。戊辰の役で名を残した河井継之助は執政であった。長岡城の遺構は無く、長岡駅前に碑が立つのみ。



4 月 22 日 (土)  



 政宗公の灰塚の隣、北山市民センターの生涯学習講座に参加しました。「今も瑞鳳殿にいっての」と諸姉様に問われました。何回かガイド体験を講座・会報で発表しましたからです。 
 続いて「先日 瑞鳳寺の茶会に続いて 久々に政宗様をお詣りしました。さっぱりしました。でも帰りの石段 コロゲルかと思った。歳を感じましたよ。よく おやりなさってますネ」と。また、「近い御縁のある弔魂碑を真っ直ぐにお詣りして それから 大きい御縁の瑞鳳殿を参拝しようとしたら 又入場券購入を求められた」とも云われました。

 諸姉様はいずれも大正年間のお生まれ。被災前を知る 生粋の伊達娘。瑞鳳殿参拝は、自分先祖のお墓をお参りすると同じ感覚の方々です。
 被災前については「子供であった。下々がお詣りに行けなかった等」申して語ってくれません。

メモ
 政宗公灰塚
 所在は仙台市青葉区新坂町7−1増上山大願寺です。政宗公は1636年5月24日
江戸櫻屋敷で生涯を終え、6月3日覚範寺に入り、翌日経ケ峯(現瑞鳳殿)に埋葬され、6月23日原野であった本地で空柩でもって葬儀が催され、葬儀後焼却され、其の灰を銅器に納め、円塚を築き30m四方の方形の土塁と濠を巡らしました。
 近年、仙台市は濠を浚い 表示板を新設し 整備しました。

 灰塚を築く伊達家独特の風習は四代藩主迄続き、戦国時代の遺風で、無益であると五代吉村公の時代に廃止されました。

 政宗公の生母義姫(保春院)は1623年に亡くなり、その灰塚は青葉区新坂町18−1通寶山永昌寺に現存しています。

 二代忠宗公は1658年に亡くなり、その灰塚は青葉区三条町9仙台市立三条中学校庭になり痕跡はありません。

 三代綱宗公は1711年亡くなり、その灰塚は青葉区北山二丁目の市道敷になり痕跡はありません。

 四代綱村公は1719年亡くなり、その灰塚の所在は確認出来ておりません。どなたかご存じの方教えてください。

 大願寺山門
 四代綱村公正室稲葉氏仙姫の御霊屋門を小田原・満壽寺から移築したもので、1986年仙台市有形文化財に指定、創建時の豪華なものに修復された。



4 月 19 日 (水)  



 昨日来 ゴビ砂漠から黄砂が来襲しているそうでドンヨリと視界不良です。

 財・瑞鳳殿主催のボラガイド養成講座3日目で、期待のK学芸員の講座日です。講座開始前90分ガイドしようと、定時に巣をでました。
 あかとんぼ の在所から城下に抜ける道は、政宗公が仙台の町を開く以前からの道「古海道」の峠越えです。事故閉鎖です。1q前から渋滞で、峠の口に達した時点で警察官から「事故閉鎖・迂回」を指示されました。

 政宗公が開いた「奥州街道」を目指し、迂回しました。漏斗の口の様に全ての道から全車両が集中していますので、此また進みません。

 城下に入った途端、消防自動車に追い越され、道を塞がれ、又迂回です。
 北七番丁から四番丁迄渋滞、進みません。既に120分を経過し、講義開始時刻です。警察・消防・渋滞と念入りに進路を塞がれます。ここから瑞鳳殿までの間、今度は何が起こるでしょうか。恐ろしくなりました。たとえ到達しても講義は終わっているでしょう。北六番丁で断念 帰巣しました。
 先短い人生・時刻の無駄使いでした。

メモ
1.古海道について
  輪王寺(曹洞宗 金剛寶山輪王寺 北山1−14−1 九世政宗公夫人菩提寺)西側の道で、至る道は仙台城下開設の宅地造成で痕跡不明です。ここから北に至る道は残っています。城下図にも記載されています。
 古海道の地名は住居表示実施までバス停表示にも使用されていました。
 海道は街道の転換誤りではありません。
2.奥州街道について
  仙山線北仙台駅西の踏切の道です。踏切は「奥州街道」と表示されています。
 この道は、仙台城下開設に伴い開通したものです。
3.北○番丁につて
  北一番丁から北九番丁までありました。番丁間は約150mです。



4 月 17 日 (月)  



 午後 ボラガイドの仲間「ぐるーぷ・よっこより」4月例会が開催されました。
 H代表から「瑞鳳殿の建造物」と題して講演がありました。質問と問われましたので、
@現在の事務所の位置に〔御厩〕があったとありますが、馬繋ぎでなく厩があったのはなぜでしょうか。
A石段登った位置に門と下乗札があったとのことですが、下乗札と下馬石との関係、設置年次はどうでしょうか。
B子孫である歴代の殿様の公式参拝は各人別に何回あったのでしょうか。
Cその際の乗り物は馬か駕篭であったのでしょうか。
Dその際Aに関連して 何処で乗り物から降りたでしょうか。
以上の疑問を持っています。いずれ調べたいと思っています。と発言しました。
下乗札と下馬石と 設置年次は異なりますとの回答を頂きました。感謝。

 本年度の学習計画が発表になりました。概要からして 今年も皆勤を目指さなければの決意させるものでした。日時等の詳細は「ぐるーぷ・よっこより」に記載致します。

 L先輩は「13日の投稿されたボラガイドは自分です。ガイド当日に投稿者から茶瓶を貰いました」と披露し、拡大コピーを参加全員に配布しました。

 昨日ガイドした少年からメールが入りました。小学6年生でした。12歳心身共に成長逞しいと感心しました。
 政宗公の年譜では、1577年11月15日10歳で元服藤次朗政宗となり、1579年冬12歳で田村清顕女愛姫を娶っています。
 さてさて いかに評価すべきでしょうか。



4 月 16 日 (日)  



 臥龍梅が満咲となりました。水仙も満開です。
 竹林前の早咲きの櫻の大木、今年は無く、知っている方から「いい櫻あった筈。どうしたのか」と尋ねられました。どうして無くなったのでしょうか。淋しい限りです。残る櫻は まだまだです。御城下は櫻花爛漫です。

 中学1年生位の男の子と両親。案内板から本殿迄ガイドして、資料館は自由に見て頂き、出てきてモジモジしています。「どうしました」「鉛筆を忘れて来たのでメモが出来ない・・・」「ボールペンお使いください」ガイトで聞いたこと、資料館で見た事を手帳にメモ始めました。母親曰く「私は、歴史は入試用で現在さっぱりなの。この子 政宗に夢中なの。仙台市博物館が開館していて、父親の時間の取れる今日、伊達家の故郷から来ました」と。
 石那坂古戦場跡(福島市蛇石・福島トンネル上)や阿津賀志山古戦場跡(福島県国見町)に、そして伊達家と共に移転した地名の青葉山・広瀬川の源の梁川町にも既に訪れている様子。

 「政宗公の身長・血液型は資料館で知りました。亡くなった病名は何ですか。亡くなる前の様子わかりますか」との質問。手持ち資料を開示しました。懸命にメモしていました。

 先日は「此の子が政宗に夢中なので、伊勢桑名から連れてきました」とやはり中学1年生位の男の子と祖母が見えました。U先輩が熱心にガイドしていました。

 今、この年代の男の子には「政宗ブーム」が起きているのでしょうか。その背景はなんでしょう。強い男に対する憧れでしょうか。

 入口に2m高の古木を活用し、達筆で金文字の「瑞鳳殿」の見事な表札が設置されました。「ボラガイドいます。声をかけてください」札を傍に立てて待機していたら、若い4嬢から、早速「ガイドして頂けますか」と「どちらから」「さいたまから」若い人は「ダサイタマ」と云われるのを懸念してか「トウキョウ」と答える方が多いです。はっきり「さいたま」と答えるは郷土愛に溢れて頼もしいです。寶筺印塔のガイドが終わったら「アラ 私たちと同じ」・・・・ヘイー20歳と何ケ月なの。話終えたら一斉に「ありがとうございました」と一礼をされました。
 この年齢でこれ程の礼儀とは、両親の躾の素晴らしさに驚嘆しました。

 バスガイドと共の酒臭い一団。ガイド嬢に「どちらからですか、お客様は」「36人神奈川県の川崎です。宮城県の川崎でありません」「神奈川県の川崎なら、会社は○○ネ」「アラどうして ○○とわかるの」と。宮城県の川崎でありませんと念入りに話されれば、こちら田舎者故多少ムキになります。

 事務所 雰囲気が違っていました。売店を改装中との事。「新聞みましたか、瑞鳳殿の評価にもなります。よろしく」と○主任から激励を頂きました。励みになります。で、所用で遅刻しましたので夕方 人出が途切れる迄ガンバリました。

メモ
1.石那坂古戦場等について
  平泉を目指す関東鎌倉軍と郷土防衛の奥州藤原軍との緒戦の地であり、防衛に破れ滅亡に至る契機となった地であります。
  吾妻鏡(鎌倉幕府の事跡を記した史書)1189年8月8日の項によれば、
 石那坂に陣した奥州藤原軍の信夫佐藤庄司等を、伊達家祖常陸入道念西の子息為宗等が伊達郡澤原に進み先登し、佐藤庄司等18人の首をとり、阿津賀志山上の経が岡に梟した旨記載されています。
  阿津賀志山古戦場については、同日の項で、関東鎌倉軍が数千騎阿津賀志山の前に陣する。卯の刻(午前6時頃)戦闘開始し、巳の刻(午前10時頃)に奥州藤原軍敗北した旨記載されています。
 この項は、U先輩提供資料を基本としました。

2.政宗公の亡くなった病名等について
  少年に開示した内容の主なもの
  @死因 噴門癌 腹膜炎併発
  A逝去 寛永13年5月24日(太陽暦1636年6月27日)享年70歳(満68歳9ケ月)
  B見舞 将軍家光自ら 5月21日伊達屋敷を見舞う。社寺に平癒祈願を命ずる
  C帰仙 当日午後8時頃発 8泊9日を要し 6月3日仙台北山覚範寺着、翌日   当経ケ峯に埋葬。



4 月 14 日 (金)  



 12・13日と研修に参加しました。

 12日は越後高田城址です。
 家康六男松平忠輝(政宗公の娘五郎八『イロハ』姫の配偶者)の居城として、1614年政宗公が総普請奉行となり、前田・上杉など13大名による國役普請で、4ケ月で竣功させたものです。

 外濠・内濠に二の丸・本丸が現存し、その広大な敷地面積を散策し、政宗公の総普請奉行としての意気込みを体感しました。

 現在は城址公園で、三大夜桜百万人観櫻会会場です。ライトアップされ濠に映える櫻は質・量共 ナルホドです。百万人観櫻はあながち誇大では無いようです。 なお、後の二大は、上野恩賜公園。津軽・弘前公園だそうです。

 13日は信州高遠の絵島囲み屋敷です。
 常に拝殿扁額で「当時高齢78歳の佐々木文山なる師匠が500両のご褒美を頂き、長持2棹練習した上の文字です」の要旨の説明をしています。

 長持は大人が入れる大きさで、実際に人が入った事件として、1714年の絵島生島事件が語られています。俗説では大奥数百人の女中の頭 主席大年寄の繪島が「役者生島新五郎を長持に入れ、江戸城大奥に密か運び入れ、情を交わした」と云われています。真偽は?です。

 事件発覚し、死罪から遠流(おんる)となり、はめ殺しの格子の八畳間で33歳から1711年4月10日61歳で亡くなるまで28年間過ごしたそうです。現在 菱垣等三重に囲まれた専用刑務所的屋敷の一部が高遠城址公園に復元されています。

 現在の高遠城址は櫻の名所ですが、雪深く寒さ厳しい信州伊那の監禁された室の格子から、何が見えたでしょうか。

 高遠から仙台迄 高速バスで8時間余要しました。遠いです。



4 月 13 日 (木)  



 「瑞鳳殿見学し歴史にも興味」と題して地元紙朝刊読者投稿欄に、松島町在住37歳主婦の方の「結婚して宮城県民となり、初めて瑞鳳殿を訪れ、ボラガイドが分かり易くガイドしてくれ楽しかった。宮城県内には歴史的建物・資料館が多く、これらに自然に興味持てる様になった」の投稿が記載されました。

 我々のボラガイド活動が、此の様に評価頂きますこと誠に嬉しい限りです。

 U先輩から「新聞読んだか、心当たりあるか」と電話ありました。果たしてあの方でしょうか。9日熱心に聴いて「政宗は酷い事もしたのねと勉強している様子」の方いましたが。



4 月 10 日 (月)  



 本日 「とうほく藩主の墓標」なる本が発行されます。著者は加藤貞仁さん、発行者は無明舎出版です。ISBN4-89544-421-X です。

 松前・奥州427名の藩主の墓所を訪れ 200余葉の写真と文章で構成されています。それぞれの地域の江戸時代の簡略な歴史にもなっています。

 本図書の発行企画を2年前に知り、著者とメール交換していた御縁で、6日発行者から有料で送本ありました。

 伊達家は瑞鳳殿地区、大年寺山地区、東京港区高輪・東禅寺、一関・田村家の雲寺、伊達村和(ムラヨリ)の仙台・東昌寺まで、8頁にわたって記載されています。

 資料として、各家の殿様の名前、生年月日、没年月日、法名が一覧で記載されています。

 この法名の記載 政宗公の場合、仙台郷土史研究会編「仙台藩歴史事典・歴代藩主年譜」によれば「瑞厳寺殿貞山禅利大居士」です。これと若干異なる表現で、歴代の殿様も同様でしたので、ご教示を乞うたところ『藩史大事典』(雄山閣)を基本にしましたと教示頂きました。

 併せて、「伊達家の廟所は立派ですね。 これほどの大名墓所は、ありませんでした。 でも、新庄藩の戸沢家とか、福島県の相馬家とか、それぞれに威厳のある墓所も少なくありませんでした。機会があれば、お尋ねすることをお勧めしますよ。」と頂きました。
 
 「伊達家の廟所は立派ですね」は 現地でボラガイドしている者としては嬉しいですね。 



4 月 9 日 (日)  



 臥龍梅が咲きました。朝2輪 昼には5・6輪咲きました。
 「梅も咲かない地なのか」ともう 云われないと思います。この梅が咲いたからには、仙台の櫻の開花宣言があるでしょう。いよいよ春です。人出がありました。

  本殿の極彩色を見た欧州系の男性から「韓国・大陸系の彩色だ」の発言。「桃山様式です。大陸文化は強烈に影響しているでしょう」気がついたら日本語で会話していました。
 資料館で、復元立像をみて、「身長は?」「159.5p 160pです」「小さい」「イヤ当時の成人男性の平均身長以上です」

 展示されている綱宗公の甕棺の底に小判が5・6枚あります。日本人は鏡で甕棺底の小判を見ています。彼等は上から覗きました。確かに身長はあります。160pでは小さいとなるでしょう。彼等民族は古より  高身長であったのかな。

 「何処の国から」と尋ねましたら「ドイツ」「オオー カミソリとジャガイモの国 ドイツ」「オオ そうだ遊びこいヨ」と満足げに一行は降りて行きました。

 「ここは佛様ですよネ」と盛年女性から確められました。「佛様です。戒名は瑞厳寺殿貞山大禅利居士で、菩提寺は瑞厳寺です」「ありがとう」と手を合わせていました。

 本殿に生花2束に、お茶とお酒を紙コップになみなみと満たしお供え一般参拝者に正面を譲り、左正面で経を唱える黒服の男女一団。昨年もこの様な団体の参拝がありました。同一か別かは謎です。

 続いて、やはり黒服で、胸に黄金に輝く半月をつけた一団が表れました。参拝しガイドを聞いていた皆様は左右に分かれ、正面を空けました。引率は18代ご当主で、本殿が開扉されました。一同 手を合わせ無言で拝礼。閉扉し、何事も無かったように降りていきました。この間5分満たない 一陣の風の如く短時間です。

 半月は、政宗公の兜に輝く半月をデザインした様子。となると「政宗公を崇敬する会」でしょうか。何故 全員無言なのでしょうか。

 参拝しガイドを聞いていた皆様 怪訝な顔で見ていました。「あの方は伊達家18代ご当主で、本殿が開扉は原則年2回の短時間です。ダブルで皆様最高の機会にお詣りされました」と話しましたが、有難味 充分に理解されなかったようです。

 盛年婦人、熱心に聴きます。子育てに余裕が出来たのか、「政宗は酷い事もしたのね」と勉強している様子。仙台市内居住とか、財・瑞鳳殿主催の講座に参加し、一緒にガイドしませんかとお誘いしました。

 U先輩 久々にガイドに見え、「伊達家は陸奥國伊達郡阿津賀志山の戦闘以前、石那坂の戦いで戦功をあげている」と「吾妻鏡第9 文治5年7月の該当部分と地図」の写しを持参し、説明をし資料をくれました。勉強の為ガイドを休んでいたのでしょうか。資料と教示くださる気持ちに感謝します。

 H代表、瑞鳳殿発掘調査で、墓室が開かれた瞬間の写真B4版コピーをくれました。代表は資料を全てB4版に拡大コピーしました。非常に理解容易で、迫力あります。参拝者は喜ぶでしょう。いつも教示と資料くださる気持ちに感謝します。

 更に、「6月27日ガイドご指名があります、一緒にやりましょう」との事。指名したのは塩竃「楽しいシニア塾」のK嬢でした。以前にシニアネット仙台茶話会でガイドと此の頁を話しました。その広報の効果が漸う出てきたのでしょうか。



4 月 5 日 (水)  



 寒さが戻りました。冷たい雨です。
 冷たい雨の中を三々五々と参拝の方が石段を登って参ります。

 瑞鳳殿ボラティアガイドの養成講座が10人参加し、瑞鳳殿主催で始まりました。

「瑞鳳殿には、年間17-20万人の方々が国内はもとより世界各地から参拝に見えます。出来れば英会話も取得し、オモテナシの心でガイドして頂きたい。他人の為になるは、自分の悦びではないでしょうか」と財団常務理事から、ご挨拶がありました。

 参加者は、いずれもこの時間帯に参加出来る年齢で、自己紹介では、「近所にお住まいながら初めて訪れた、歴史が好き、伊達家御縁の地の生まれ、仙台観光に役に立ちたい等」 皆様 やる気満々です。講座修了後、ガイド仲間に是非なって頂きたいです。
 
 本日の講座は、「ぐるーぷ・よっこり」のH代表の特製資料を配布、瑞鳳殿現場講義でした。 本殿は特別開扉され、御木像拝謁もありました。

 受講生の方から、本なにを読めば宜しいでしょうかと、売店で聞かれました。

 ガイドをするための資料としては、配布された資料は質的に最高です。

 復元された瑞鳳殿についてなら「瑞鳳殿 伊達政宗の墓とその遺品」が基本です。ご覧のとおり高価で、大型です。なお、市の図書館では貸出しています。

 政宗公全体では、「史伝 伊達政宗 小和田哲男著」がよろしいのでは。文庫本です。たまたま 此処には無いようです。
 H代表から、小和田哲男著は小林清治著をベースしています。小林清治著も求めたらと補足がありました。

 次回は、12日は 瑞鳳殿加藤学芸員の政宗公の先祖についてです。参加希望の方 022−262−6250にお問い合わせしてください。



4 月 3 日 (月)  



 RSS・GOO キーワード「瑞鳳殿」で検索しましたら、早速 昨夕放映のサザエさんの感想がゾロゾロ。
 サザエさんが宮城県内の主要観光地を訪れます。瑞鳳殿は2ケ所相当 2コマ(本殿全景と本殿彫り物のアップ)ありました。優遇されています。その相当の見所と評価されたのでしょう。ガイドの際の話題が増えました。

 今一つ「初めての仙台出張 仕事が早く終わったので観光すべく、先ずは食堂に。金目鯛定食750円。お奨め観光をオバサンに聞いたら、ナニモナイと云われ、ガックリ。駅観光案内で、ループルバスに乗車、瑞鳳殿参拝を勧められた。お詣りし、ズンダ餅を賞味してよかった」の記載がありました。

 あかとんぼの感想として、仙台で金目鯛を定番にする食堂とは珍しいのでは。若い人は仙台イコール牛タン定食が主流なのに、魚定食とは珍しい。
 飲食店・タクシー等に、観光地は松島だけでない。市内にも訪れる価値のある所がある。それはドコと、もっと知って貰う必要があるのでは。
 過日、多賀城にて県担当者から、ボラガイドとして県行政に望む事はなにかとアンケートを求められました。観光立県の基本は、飲食店等一般市民に「ナニモナイ」と云れない様にすべきではと思います。



4 月 2 日 (日)  



 入社・入学の年度初め故か参拝者は期待した程ではありません。傘を必要とする雨になりましたので、本日は終わりにしました。

 テレビマンガの国民的番組である「サザエさん」。冒頭の各観光地紹介が、今日から宮城県で、「瑞鳳殿」にサザエさんが参拝するそうです。朝、事務所で話題にしたら当然 知っていまして、今晩は是非 「見なくては」「みてね」と返ってきました。

 三世代の団体の小学生に、このサザエさんを紹介したら「今晩オバアサンの所に泊まるからナー」とテレビ見せて貰えるかなと心配そう。「是非見せて上げて」とオバアサンにお願いしました。

 臥龍梅の蕾に変化はありません。東京からの方でしょうか。上野公園は観櫻会で盛りだそうで、それを見終えてのか。「今 まだ 梅が咲かないとは」 何事だとの調子の独り言が聞こえて来ました。

 ガイドブック片手の若い夫妻から、「松島では、瑞厳寺の外に見たら良い所は。梅はこの臥龍梅と瑞厳寺どちらが綺麗でしょうか」と尋ねられました。

 松島の見所として、「政宗公の孫の廟所のある円通院を参拝され、秀吉公の茶室を移築した観瀾亭で松緑の島々を眺めながら 抹茶一服は如何でしょうか」と勧めました。

 「梅は、瑞厳寺は渡来したそのもので 年増であり、紅白の対です。こちらは取木の白色の若木です。それぞれ持ち味があると思います」と答えました。

 今日のご質問は、
1.妙雲界廟(9代・11代夫妻の石墓)は、なぜあるのか。
2.11代のみ夫妻であるのは なぜか。
3.夫人で祀られているのは なぜ11代夫人のみなのか。
4.菊の紋章が涅槃門の扉に、なぜ配されているのか。
5.涅槃門は、どの程度の貴人の来駕であれば、開扉されるのか。
6.感仙殿前の板碑、なぜ此処に展示されているのか。
7.資料館でも、ここでも 文字が全く読めないが、なぜ解説の表示がないのか。
8.62石段途中の手洗所跡 昔湧水があったとあるが なぜ水脈が切れたのか。





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