2007年9月の日誌
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9 月 30 日 (日)  



 萩が満咲です。薫っています。
 「何の香りでしょう」のお尋ねに、「萩です。宮城県花は、ミヤギノハギです。王朝の歌枕で知られる秋の名花です」 ハアー

 行楽の秋でしょうか。釧路・神戸・千葉と各地から沢山の方がお見えになりました。
 釧路の方、涅槃門でご依頼があり、「先祖は登米の笹●です」と語り始め、涅槃門の珊瑚・真珠の説明終わり頃になると、「県美術館に行く時間だ」と打ち切り宣言されました。これから本殿・政宗公像等を紹介しようとした矢先の断られでした。伊達家家臣の末裔であれば、当然 御霊屋本殿を丁寧にお詣りするものと思っていましたので、二階に上げられ梯子を外された気分でした。

 ガイド内容には、特別な言葉を付け加えていません。通常のガイドと同じです。にも関わらず、突然の打ち切り宣言。最近、老人の突然の爆発が多発しているそうで、分析・解説の「暴走老人!」なる本が売られています。読む必要があるのかな。

 千葉からのお嬢さん二人。どちらから「千葉県は竜ヶ崎市から」 「それは それは。政宗公 伊達家と御縁の深いところから お出で頂きまして」 彼女等はどんな御縁か知らないらしくポカンとしていました。

 竜ヶ崎は、1606年3月3日 常陸國河内郡竜ヶ崎村で1,238石 竜ヶ崎村以外の河内郡12ケ村3,473石 信太郡13ケ村5,345石 合計10,057石が 政宗公に与えられました。この年、家康6男松平忠輝と政宗長女五郎八姫の婚礼があり、その祝儀とする説もありますが、大方の説は、江戸まで14里(約53km)と近距離にあることから「江戸賄料地」です。

 当初1606年から竜ヶ崎村に伊達家の陣屋が置かれ、幕末の1868年8月まで262年間伊達家が統治してきました。常陸國内では万石クラスの大名の転封が度々行われており、伊達家は極めて稀な事例です。伊達家62万石に対して 幕府は一目置いての証明でしょうか。

 1606年は、400周年に当たることから、竜ヶ崎市歴史民俗資料館では、「伊達政宗にはじまる竜ヶ崎領」なる特別企画展を開催しました。

 以上の概略を伝えたら、沸々と興味が湧き出たらしく 頭を深く垂れてから本殿周囲をも 拝観していました。

 準高齢のご婦人10人余の1人。涅槃門から出て「アラ 失敗した ボラガイトさん居たの。パソコンで調べて印刷して来たけど ボラガイトさんから聞くと聞かないでは 理解が全く違います。又 出直して来ます。いつも居ますか」

 「私は日曜日午前は 確実に居ます。土・日は仲間がいますから 声をかけてください」 パソコン出力資料に このあかとんぼの日誌がありませんでしたので、厚かましくも自己宣伝しました。ご参考になると自負しています。

 中高年のご婦人二人、一人は反応のよい方 今一人の方は無反応です。50%の支持があればとガイドを続け 語り終わった所で 無反応婦人から「よいお名前ですネ 政宗公の末裔ですか 僧侶ですか 長男ではありませんネ」のお言葉。
 胸の名札をガイド中 ジッと見ていたので無反応だったのでしょうか。 

 資料館で「綱宗と伊達騒動」と題する企画展が始まりました。  



9 月 24 日 (月)  



 グループの勉強会が大年寺跡と伊達家墓所「無尽燈廟・法華林廟」とで行われました。

 大年寺は、1695年11月24日(太陽暦12月29日)4代綱村公 自ら鍬入れ式を挙行開山した黄檗宗の寺で、一門格の高い処遇を承け、4代綱村公 歴代とその正室等の菩提寺でした。明治維新で、伊達家は家禄を失い、又 神祭式に転換したため、寺は伊達家の庇護を失い、廟門・仏具まで売却し、廃墟と化しました。現在 旧大年寺唯一の遺構は、惣門と200余段の石段のみです。

 本日の講師はH代表です。資料の「大年寺と子院燈頭の配置図(安政補正改革仙府繪図所載)」「茂ケ崎山旧大年寺伊達家廟所(墓碑配置図)」等を配布、基に講釈。その広大な寺域を思い浮かべ、200余段の石段を下り、1986年に解体修理の行われた、旧大年寺唯一の遺構(仙台市指定有形文化財)の惣門を拝見、再び200余段の石段を登り、施錠・閉鎖された 伊達家墓所「無尽燈廟・法華林廟」を塀や門外からお詣りしました。

 質疑応答でハテと感じたこと。
1.「有数の大寺院であったが明治維新後に取り壊された」の説明を納得せず、「何故取り壊した」と執拗に繰り返し質問がありました。「伊達家の庇護を失い、廟門・仏具まで売却し、廃墟と化しました」と説明しています。廃墟と化せば取り壊しは当然の帰結でしょう。

 「瑞鳳寺と瑞厳寺は、何故取り壊しなかった」と質問を変えていました。「瑞鳳寺は1858年1896年と焼失しています。取り壊すものがありませんでした。1910年代再興されたものです。瑞厳寺は、寺を維持する力があったから荒廃・廃寺に至らなかったのでしょう」との回答がH代表からありました。

この方、各団体の歴史に関する勉強会の常連ですから、定禅寺通りの由来の定禅寺が1873年にと、寂光寺、覚性院等が廃寺になっだ事情を度々聞いている筈なのに。なぜ、斯くも執拗にH代表に迫るのか あかとんぼは首をかしげていました。。

2.「この無尽燈廟・法華林廟の敷地の所有権は誰にあるか、周囲は仙台市の公園化事業が施行されているが」の質問に、 「経ケ峯歴史公園地域は、伊達家から 仙台市に一括寄付され、現 瑞鳳殿等は財団法人で管理していますが ここは?」がH代表の回答でした。
 1982年に亡くなられた17代のお墓のある敷地を相続人が他に譲渡することが、果たしてあるだろうかと あかとんぼは首をかしげていました。

3.「4代綱村からの墓所で、5代から夫人と並列に設けたは理解したが、側室はどうなったか」と予想された質問がありました。「側室は別に。11代ご夫妻は妙雲廟界に、その側室は御子様御廟にあります」との回答がH代表からありました。

4.「5代からご夫妻並列とのことですが、正室が 殿より先に亡くなられたら、墓所の位置はどうするのか」に対して「区画が決まっていますから 殿様の墓碑の位置の隣に埋葬・設置すればよいだけです」との回答がH代表からありました。

あかとんぼ 帰宅調査結果
1.正室が 殿より先に亡くなられた事例は、13代慶邦夫人 内大臣近衛忠煕養女・綱姫以外 見当たらりませんでした。なお 後夫人は、水戸中納言斉昭女・八代姫です。
 
 法華林廟の〔前の霊屋〕に13代慶邦の、〔中の霊屋〕に綱姫の墓碑があり、並列していません。後夫人・八代姫は仙台小田原祥麟山に祀られたので、ここには墓碑はありません。なお、16代夫妻も並列していません。並列は原則の様です。
 
2.側室は別 との事ですが、6代宗村の側室で7代重村の生母坂信子(性善院)、7代重村の側室で8代斉村の生母喜多山郷子(正操院)の二人の墓碑は〔中の霊屋〕にあります。 13代慶邦の側室 岩間包子の墓碑は別区画に、歴代側室その他の墓は又 別区画にと、何れも法華林廟にあります。
 生母になった側室は、当然 正室に準ずる扱いされたのでしょう。

 以上は 本日配布資料・仙台藩歴史事典・宮城県の地名に蓄積資料によりました。



9 月 23 日 (日)  



 秋分の日 彼岸の中日 三連休の中日 故でしょうか 参拝者は、開門早々から波濤如くでした。

 在仙○●大学生が、開門と同時に来ました。彼は、「シニアのための市民ネットワーク仙台」のサロン活動に参加し、シニアのボラティア活動とは「これだけか」と軽い疑問を持った折り、○●副理事長から、屋外での活動として「観光ガイド」を実行している人々がいますと、紹介され訪れたものです。

 ガイドの目的は、シニアの社会還元活動として、仙台を訪れた日本国内外の人々に仙台を正しく理解・認識していただくため、仙台市内の史跡や観光地等を案内・紹介するにあります。

 その勉強の場として、ここ瑞鳳殿をお借りして土日 ガイドしています。瑞厳寺等には有料のガイドがいます。我々は、シニアの社会還元が目的ですから無料です。求められればガイドします。売り込み・つきまといは全くしません。でも ガイド始めたら 聞いてくれた方々が 満足し よかったの感想頂ける様に誠心誠意ガイドします。

 旅行社からの依頼でガイドする際は、交通費と時間の実費は頂きます。なぜボランティア活動なのに実費を請求するのかは。それは能動と受動の違いです。明日の日本を背負う学童・生徒等の場合 実費頂かないこともあります。

 以上 基本を説明し、立看板、指示棒の設置のガイド準備を一緒に、後は あかとんぼのガイドの様子を見学して貰いました。

 冒頭 あかとんぼと同様に「腕章と首輪を着用したい」と言いました。「駄目です。史学部の学生で、博物館学芸員資格取得研修生でも ガイドはできませんでした。腕章をつけ お客様から求められ 出来ませんの返事をされては、腕章の信用に関わります。着用はお断りします」 

 瑞鳳殿は、初めてとの事で 他のお客様と一緒に感仙殿等に お子様御廟まで フルコースのガイドしました。

 彼の感想は、「仏蘭西・韓国と外国から こんなに沢山訪れる事、バスガイド等とは異なり味のあるガイドする事に 驚いた」 でした。続きあったようですが、依頼が入り 中断したところで去って行きました。

 今日 こんな話題。
1.感仙殿の前で「高野槇 高野山に多成しているので高野槇と云われ、仙台あたりが北限です」とたん 「八戸にも 弘前にも あります」と 即 反応がありました。でも、樹高30mはなく 自然木では無いとの事でした。ホッ

2.「我が家の墓石は自然石です。数あります。お盆に墓地の草取りをしていたら、突然 地面が割れ 腰の上迄 埋まりました。付近の人々に助け出され〔長生きする〕と云われました。本当に その様で高齢になりました。50年以上前の出来事です」と突然語られた方がいました。土葬の陥没でした。実話として初聞きでした。

 お子様御廟は、墓石に灯籠2組の組合わせの区画が整然と並びされ、かれこれ300年前に造られたを知り、歴史の長さは同じでも、領主と領民の違い 祖先との繋がりの深さを思いめぐらしている内に 思わず語ったのでしょうか。

3.お嬢さんが寶筺印塔に興味を示し撮影されていました。「○○大学生です。墓石から性別・寿命等を調べ 人口動態の変遷を研究しています。お墓詣りお参り大好き」のご発言がありました。それではと、通常はガイドしないお子様御廟までご案内しました。学術資料の収集にお役に立ちましたか。



9 月 18 日 (火)  



 続 牡蠣

 読者のYさんから「oyster(オイスター)というと大概の人にはお分かりいただけるようです」とアドバイスを頂きました。感謝です。23日早速 試します。

 フランス料理にフランス牡蠣は有名ですよネ。牡蠣と言えば「牡蠣フライ、牡蠣酢」しか思い浮かばないのは、あかとんぼの年齢、生活レベル故か。若い人、都会風の人には、「oyste」と話ししましょう。通ずるか不安もありますが。



9 月 17 日 (月)  



 昨日は真夏日、本日は一転 雨です。
 敬老の日 祝日です。自称 ボラガイド支援機構理事長から 「ガイドに行ます」と問われ、「休み」と答えました。理由は、雨の日は、手不足になり、聞いて下さる方に十分満足して頂けるガイドが出来ないからです。

 手不足とは、千手観音ではなので、傘を差し、資料を持つと両手が塞がります。麒麟の彫刻等を指さす事が出来ないです。これでは参拝者は ドコを見たらよいかウロウロします。マイクを持てません、使用できませんから肉声が届きません。

 過日、ある野外石仏講座に参加しました。雨です。講師は高齢者です。講師は熱弁を揮っている様子ですが、お互いの傘が邪魔になり視界不良となり、対象物が見えず、解説は、老人特有のボソボソした発声で、断続的にしか聞こえません。十分に理解できずに、遂に中途脱落しました。この聞く立場からの経験から、自己満足のガイドでは駄目、聞く人が満足できる態勢で臨まないと反省して休みました。


 昨日の補足

 「政宗公は火葬か 土葬か」と質問があります。「生葬です。棺桶に入って周囲に牡蠣灰を詰め、石積の墓室の中に埋葬されています」と答えます。次に、「牡蠣灰とは」の質問になります。

 アクセントの関係があり、「カキとは、山のカキではなく、海のカキです」と話しします。ここで半分の人は「牡蠣」と理解してくれます。理解してくれなかった人に続けます。「牡蠣フライ、牡蠣酢、牡蠣の土鍋の牡蠣です」これで 又半分の人が理解してくれます。ワカッタの表情されない残り4分の1の方々は、宮城・広島の県以外に居住し、かつ酒席の機会が少ないと思われる方々です。

 食べ物に地方色があります。冷凍技術と物流が進歩した現在でも、季節になっても 主産地の宮城・広島以外の日本全国の人々が牡蠣を楽しむ訳でないでしょうから当然かも。
 牡蠣を知っている、食べている人でも、生牡蠣もむき身のもの、調理された牡蠣にしか 目にしないが普通です。当然、牡蠣殻を見たことも、想像出来ない人もおります。

 牡蠣を知らない人、牡蠣殻を知らない人の為、牡蠣の季節になったら 撮影し、提示しながらガイドしなければならないか 感じています。 



9 月 16 日 (日)  



 快晴。暑いです。手紙挨拶用語に「暑さ寒さも彼岸まで」があります。その通りです。
 9月15日は本来「敬老の日」です。今年は2日日延べして明日17日だそうです。365分の1日だけ敬られる日が日延べしても、1日のみしか敬られない日です。でも、敬られるうちが華です。
 
 瑞鳳殿には、1日だけ敬られる後期高齢者(75〜84歳)の方が、前期高齢者(65〜74歳)の方々から、両脇を抱え上げられながら参拝に見えました。ここ10年から20年振りに、暑さの中 高段差の階段登り等の過酷な体験に明日は、双方共々老々介護、整形外科の御世話になるのではと 密かに心配しました。
 現在なら前期高齢者で亡くなられた政宗公(行年70歳)のご加護を期待します。

 本日は、東京・千葉・高知等から、マイカーで来たからと時間無視で聞いてくださる方何組かおり、仙臺東照宮、大崎八幡宮、仙台城址に、瑞厳寺を参拝されてから、〆が瑞鳳殿参拝と申される方もおり、休みなく じっくりガイドしました。
 東京と称される若い方々は、伊達家家臣の末裔と祖母から聞いていた。イヤー懐かしいとなり、手持ち資料の仙台の古地図、現代図を広げ、片平丁は大名小路とも称した。その名残で、仙台高裁に、東北大学の正門は 仙台城の方向を向いている。TVカメラは裏門を正門と誤解して撮している等の話しに飛びました。

 過日、美人ガイドのYさんが「樹上の栗鼠」の撮影に成功し、ブロクで公開しています。あかとんぼも撮影に挑戦しましたが現れません。職員のHさんにシカジカと話ししたら「今朝 ドングリ食べていましたよ。若い雄の栗鼠ですからオジイサンには興味ないのでは アハハ」

 ここ経ケ峯は、市街地の真ん中にある森ながら貴重な動物の宝庫と云われて、「アオスジアゲハ」「ムササビ」「アオゲラ」「チョウゲンボウ」に「ニホンリス」等が生息していると云われています。
 Eさんは「ニホンカモシカ」、Yさんは「ニホンリス」にご対面しています。あかとんぼ大蛇の「アオダイショウ」等の蛇だけです。この格差は何でしょう。



9 月 9 日 (日)  



 台風一過 晴天。瑞鳳殿等では、樹木が触れ合って小枝が折損・落下が数ありましたが、風倒木も建造物等の被害も皆無との事でした。

 台風一過 一斉に旅に出たのでしょうか。参拝者は怒濤の如くです。

 「京都・伏見は正宗から車で来ました。政宗公の銅像 近所にありませんか。そこは時間制限ありますか」 腕時計を見ましたら16時に間近でした。16時30分が閉門時刻です。
 「仙台城址は、三の丸 博物館の裏庭の胸像と本丸の馬上の2銅像は時間制限ありません」と紹介しました。
 伏見の正宗 正確には、京都市伏見区桃山町正宗です。近所には桓武天皇陵・伏見桃山陵があります。

 高齢者ご夫妻、カメラ三脚持参です。「仙台探索三ケ日目です。仙台・東照宮に行った。よかった。日光・東照宮はケバケバしい」のお話。
 瑞厳寺・塩竃神社・大崎八幡宮・仙台城址には行かないで、仙台・東照宮を参拝されるはお珍しい。瑞鳳殿を 忘れないでお詣り頂くは有り難いです。感激し「ガイドします」に 「不用」と軽く断られました。
 結果的に、涅槃門の素晴らしい透かし彫りの彫刻を一別もなく、撮影することもなく、本殿に向かいました。本殿で「ケバケバしい」と洩らされたのか。
 豪華絢爛な桃山様式の建築も、趣味が違えば「猫に小判」でしょう。

 東京から来たと称する男女10人ほど。「東京の人なら寄席に行った事ありますよネ。この涅槃門は一見 簡素で面白味が見えませんが、落語に出てくる長屋の大家さんの羽織です」 「ヘッ それなに」
 目線から外れた所(多くの参拝者が見逃す見所)の彫刻 麒麟と五色の瑞雲に、左右の牡丹と唐獅子の透かし彫りに、内部の絢爛・精細な彫刻等を説明しましたら、さすが江戸っ子です。ヘヘーと納得してくれました。
 現在の柱は「青森檜葉です」 トタン 「ヒバ ヘバ シバ」のかけ声。あかとんぼ はヒバと発音しているのにヘバと聞こえるのか 江戸っ子なのでシバと聞こえるのか。和気藹々の集団です。

 ガイドブック持参の新婚ムード。涅槃門から真剣に聴いて呉れます。家紋で「三引両」を語り始めたら ご夫人「我が家は縦の三引両」 「伊達家も当初は縦でした。お宅は由緒ある家門でしょう」 「○浦と申し 本家は秋田県○○市・・・・」との事でした。



9 月 7 日 (金)  



 「藩祖伊達政宗公瑞鳳殿ボランティアの会」 夏の定例会開催日でしたが、台風襲来で、急遽中止の連絡がありました。
 強風雨で、雨風が吹き付けます。戸を開ける余地がありません。本一日 閉門蟄居 で過ごしました。

 瑞鳳殿の森 風倒木がないでしょうか。



9 月 4 日 (火)  



 晴れ、晴天です。洗濯日和です。

 午後からの依頼ガイドです。県北のJA観光経由のご依頼なので JA婦人会の研修会と1人合点し、町の歴史「多賀城時代から 伊達時代まで」を丹念に調べ、早めに瑞鳳殿に行き、再建寄付芳名録を調べて待機しました。

 18年前の農林省主催会合を共にした全国の指導者層のご婦人の年次会議で、宮城県の方が偶々 幹事で、仙台近郊の視察は唯一 瑞鳳殿でした。
 南は沖縄、九曜紋・細川家の熊本、戊辰の役の長州、秀宗公の宇和島、伊達家始祖の茨城、北は北海道 伊達家縁(ユカリ)の地を網羅した、各地選抜の指導者層のご婦人です。挨拶終わった途端 質問等の集中砲火です。

 添乗員から、到着は遅れた故、短縮ガイドするように厳命。芳名録・瑞鳳殿・資料館・弔魂碑と巡り、感仙殿。善應殿・妙雲廟界は遙拝し、瑞鳳寺山門をガイドしたピタリ1時間に収めました。

 仙台近郊唯一の視察地と選択した瑞鳳殿を参拝し、皆様が、盛り上がり、満足し、ゆっくりしたい と洩らしているのに、何故急ぐのか添乗員に尋ねたら、これから蔵王に登るとのこと。
 此の夏 最高気温を記録した日、蔵王山頂刈田岳は雲海の中 視界不良で、風が強く 寒かったです。それを思い出し 「大丈夫でしょうか?」と洩らしたら「ナニ 大丈夫」と返事。「そうですか 恙なくご無事でよい旅行されますように」と内心案じました。通じないでしょう。

 瑞鳳寺山門前にタクシー 何台か待機しています。昼の休息を兼ねているからと。待ち時間 本日は15分位とか。回転がよろしいですね。
 瑞鳳殿からの行き先は、半分が仙台駅。4分の1が仙台城址。大崎八幡宮は僅か。仙台東照宮は皆無との事でした。 貸切りは、1時間5000円との事でした。
 以上は、バス遅延待機中の会話です。



9 月 2 日 (日)  



 雨です。蝉時雨は聴かれません。二百十日、秋涼を切々と感じます。定期観光バスのお客様は満席状態で見えましたが、あかとんぼは ガイド時間より待機時間が長かった日でした。

 男大学生、若い欧米系男女を連れてきました。表示板前で、「政宗は岩手沢に流され 現在の岩手県盛岡の北方だ」と語っています。地球全体から見れば些少な事ですが、あまりにも酷いです。
 「山形県米沢で1567年に生まれ、秀吉の命で1591年磐手沢(岩出山に改称)に、現在の宮城県大崎市岩出山です。1600年仙臺城に移っています。岩手県盛岡の北方ではありません。なお、岩手県北上市以南が伊達領で、以北が南部領です」と話ししました。欧米系男女は肯いて、ガイドを続けて欲しい表情をしていました。でも、男大学生 プライドがあってか 無視する 断る態度を示しました。ではと、傍観しました。彼は 露払いするだけで説明していません、欧米系男女の方 瑞鳳殿とは、桃山様式の美しさの見所 十分理解 楽しまれたか お気の毒。

 お客様本位を考えるタクシーの運転者は、ボラガイドに振ってきます。観光タクシーは、当然 自分でガイドします。今朝も 何台か案内していました。コースは、瑞鳳殿・仙台城址・大崎八幡宮の3ケ所 2時間半が標準との事でした。

 Eさんが 職員駐車場を案内していました。その訳は、「4代綱村公の御生母に縁(ユカリ)のある方の末裔で、その縁(エニシ)を伝え聞いていた。それで瑞鳳殿を参拝しなくてはと長年 思っていて 98歳の今日になってしまった。本殿まで 登れなかったが お詣りして満足した」との事で、息子さん夫妻が 車を回送し、孫さんが背負い、階段を慎重に降りて、駐車場まで連れて行きましたのを 案内したと語りました。
 98歳には見えない若さ・気力のある方でした。祖母をサッと背負う 孫様 「今時の若い者」と云われない出来た孫と感心しました。 
 
 今日は、ナンカ 蚊が多い日です。蚊に纏われる人と 蚊が相手しない人と極端にわかれます。熟女のグループで 蚊に纏われる人 「五月蠅い蚊だ」とブツブツ 云っています。「ここ瑞鳳殿の蚊は 美人が好きなのです」とささやきました。ニッコリされました。あかとんぼ もニッコリ。
 あかとんぼ の分析では 体温の高い人が蚊に纏われ、低い人は蚊に相手されない様です。





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