2009年1月の日誌
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1 月 27 日 (火)  



 昨秋開催のDC関連「まち歩きボランティアガイド」の総括が市役所本庁舎で、35人参加し開催されました。
 参加団体は、瑞鳳殿を主体に仙台市内全域対応の「ぐるーぷ・よっこより」、仙台城址専門と博物館内専門の計3団体はガイドボランティアで常時活動している団体。他は横目に見たところ「生涯学習・歴史好」の団体でした。

 生涯学習・歴史好の人々に、会議の場と知識披露の場と誤解され、延々歴史解説される方がいまして、時間切。当局の結果分析が大幅省略されました。効果は広く・厚く 恵みが万民にもたらされたか。資料を読む限りでは??? 瑞鳳殿の参拝者数は、あかとんぼ推定では、対前年比プラスとなっていますか。

 09年度も市では事業を継続したいと発言していました。対象者は誰か。何を発信させるか。キッチリ定めて対応すべきと思います。私は、宮城県外からの人を年頭に「伊達62萬石の城下から100萬都市へのタイムトラベル」の自称サブタイトルでガイドしました。市から委託されたガイドですから指定コースをガイドしました。瑞鳳殿はコースに外れていましたので、別途参拝を薦めました。仙台観光は瑞鳳殿を参拝しササカマ(牛タン)を食べて 初めて土産話が語れる」は あかとんぼの信条。

 今日の発言で「ポスター等で伊達にダテと振り仮名してあったのは タツタ1枚。これでいいのか」がありました。

 昨日の講話で「伊達は、古事記の世界、イザナギ・イザナミの両神の孫の五十猛神(イタケルノカミ)の名前から転化したもの。射楯、印達、伊太氏、因達、とも書いた。また、伊達家はイダテであり、ローマ法王宛書簡もIdate MasamuneとMatcundayra Mutcunocamiと署名しており、いだてと振り仮名する事は故実として幕末迄続いた」と発表した所です。

 確かに、伊達はダテ以外の読み方はありますが、振り仮名必要であるは意外な思いでした。NHK大河ドラマも見ない、スポーツニュースも見ない人もいるのかと、内心驚きました。振り仮名すれば 未曾有の親切でしょう。本頁も検討しましょう。



1 月 26 日 (月)  



 ガイド仲間30人程の勉強会。「伊達氏の興り」と題して、仙台メディアテーク7階会議室で90分間語りました。基礎資料は30世14代伊達宗基が伊達家家扶作並清亮をして編纂させ、1922年刊行された「伊達略系」です。

 伊達家の系図等は2002年発行「仙台藩歴史事典」が最新であり、色々発刊されています。
 本「伊達略系」は、藤原鎌足から始まって「朝宗」を第一世としています。大方の系図は「朝宗」から始まっています。鎌足からの系図には正確かの疑問符がありますのは重々承知しております、しかし、伊達家の系図は伊達家で編纂した最新のものでの拘りから「伊達略系」を使用しました。

 鎌足から17代が伊達家第一世朝宗です。鎌足の生誕地は大和國高市(タケチ)現奈良県橿原市ですに始まり、次記の要旨を語りました。

 「住常陸國伊佐荘中村故称伊佐或中村氏とあり、これは現在の何処か」
伊佐と中村は約8km離れています。

伊佐は常陸國真壁郡 現在の茨城県筑西市(下館市)中館522番地
伊佐城址碑・観音寺が所在。
中村は下野國芳賀郡 現在の栃木県真岡市中2406番地
中村城址(遍照寺・小太郎神社)が所在。

08年11月15−16日「伊達氏の源流の地」著者土生慶子先生と訪れ現地確認しました。本日誌に記載しております。


「伊達氏はいつ、だれが常陸國等に入ったのか」
1111年に鎌足から13代實宗(サネムネ)でしょう。「公生於常陸國領采地 住真壁郡中村」と「伊達略系」にあります。が諸説あります。

「伊達の地には、いつ、だれがはいったか」
 文治五年の戦いに、朝宗が源頼朝に従軍したか、石那坂の戦闘に朝宗が参戦したか読み切れない。疑問符が付くが、褒賞として伊達郡を貰ったは確か、呼称の変化から伊達郡の領主と認められて居る。

 1189(文治5)年以降、朝宗、宗村、實綱と一族郎党が移住した。
朝宗は、高子岡に築城した。現在の福島県伊達市保原町上保原字丹露盤。
實綱は、伊達郡伊達崎邑に居住した。現在の福島県桑折町。

「源頼朝との関係は」
祖父を源為義とする従兄弟関係にあり、母方系の曾孫(大進局)と父方系の孫(頼朝)が男女関係になり、子(貞暁)を成した。頼朝の第3子で鎌倉幕府・征夷大将軍にモシ就任すれば、外戚としての発言があったか。

「伊達郡の地名由来と読みは
 古事記の世界、イザナギ・イザナミの両神の孫の五十猛神(イタケルノカミ)の名前から転化したもの。
播磨國飾磨郡が大元。シカマの同音から「陸奥國色麻郡(現加美郡)に至り、色麻町四竃字香取に、792年坂上田村麻呂東進の際、播磨國飾磨郡からの移住者が遷宮した伊達(イダテ)神社がありました。

伊達はイダテが正解です。1613(慶長18)年支倉常長を使してローマ法王宛書簡のローマ字サインはIdate MasamuneとMatcundayra Mutcunocamiとあります。仙台博物館でご確認下さい。
 伊達に「いだて」と仮名をふることは、故実として幕末まで守られました。

以上は、伊達略系・伊達氏の源流の地のほか、小林清治著伊達政宗、山川出版社刊茨城県の歴史他、梁川町史等を参考に致しました。

 昨日の日誌を読まれたNさんから瑞鳳寺に所在する筈の「槍型墓」の資料を頂きました。興味津々の内容です。
仙台三奇墓として@越路・瑞鳳寺 槍形碑 A石名坂・円福寺 遊女石名の墓 B宮沢宗禅寺 鶏塚 とあります。名数みやぎ郷土小事典(編菊地勝之助)には 記載ありません。何れ、人物・系図についてと併せ あかとんぼ なりの確認の上、掲載します。



1 月 25 日 (日)  



 天満晴朗なれど寒気厳し。昨冬まではノーテブクロでしたが、今冬から手の平にゴムイボのある手袋を使用しています。指無し手袋は親指が猛烈に冷たいので使用中止しました。(この項、了解出来ない方メールください)

 「ジックリお詣りしましょう」のお客様ばかり。午前 3組9人ガイドで終わりました。独逸国1人、北関東圏6人、宮城県大崎市1人、仙台市内1人です。先手先手の質問です。国宝時代の写真・図等 手持ち資料広げてのガイドでした。

 家紋の歴史に迄及び、独逸国には「家紋はあるか」に至りました。「貴族はあってかも、現在の生活では記憶に無い」の回答でした。日本でも、普段の生活では家紋は使われていません。意識の外ですが、伊達家の家紋に触発されたか、「我が家の家紋は・・・」の発表会になりました。独逸の方との会話は独逸語ではありません。

 瑞鳳寺の墓地には、着座9番、丸森預、3000石、奉行職を務めた佐々家の墓所があるのは知っており、佐々家末裔の方をご案内したことがあります。が、「政宗00人衆と言われた富塚家の槍形の墓碑があるそうだが」と問われました。初耳です。「知りませんでした。資料を調べ、温かくなりました現地確認します」と。

 資料館に政宗公と草創期ともにした24武将の掛け図があります。この中に居ると記憶していますが、一門から平士50貫文以上の伊達家家臣名簿には富塚姓は見当たりません。なんらかの事情があったのでは等、精査してみます。 本日、最大の宿題です。

 今日もコヒーを馳走になりました。有難いです。仲間のNさんから「明日の勉強会参加しますか」と問われました。どうしましょうか。明日の講師は相当にカゲの薄い人の様です。H代表から「申込30人」と連絡入っていますが。



1 月 18 日 (日)  



 晴天、寒冷、凍結しています。

 朝一番、涅槃門の外妻の彫刻を丹念に撮影しているお嬢さんに、「こちらから撮影すると涅槃門南側の彫刻を含めた全景、光輝く竹林、御供所、拝殿まで一枚に収まります」と案内したら スッと移動し撮影。「さすがボラガイドさん」 
 「20分頂ければ 一般の観光客の皆様が素通りされる、ここ瑞鳳殿の見どころガイドします」に チラリ時計をみて「お願いします」

 「昨日、瑞厳寺、娘五郎八姫の御霊屋(天麟院所在)と孫光宗公の御霊屋(圓通院所在)を参拝したが、正室愛姫の御霊屋・寶華殿(陽コ院所在)は非公開なので参拝出来なかった。残念だった。瑞厳寺は春から10年計画で補修工事が始まると聞いたので 急いで参拝に来た」との事。
 寶華殿の写真をお見せしました。大変な喜びです。この後、資料館を見学、更に撮影をされたらしく 60分後 漸う涅槃門まで降りてきて撮影を続けていました。
 「もし 摂りこぼしありましたら」と 本頁を紹介しました。最近自己宣伝は自粛していましたが。
 
 11日のお客様。ガイド最後に「伊達政宗てっ何ですか?」 と云われガクン 意気消沈ですたが。政宗公の隠れフアンでしょうか。よく、ご存じの様子。重ね重ね 嬉しいスタートでした。

 売店で弁当を長時間広げていた新成人風の一団。ようよう涅槃門に近づいて来ました。大崎市、栗原市の一団だそうです。伊達領内の民であるのに、伊達政宗とは、よく知らない様子。ガイド中 話を聞かない、踊る 正に沖縄の成人式の一員の呈。学校の先生の経験が無く、波長の合わない、聞かない人々に語る技術が無く、涅槃門を辛うじてガイドしたところでお終いにしました。

 「ボラガイドいます」の看板をたどたどしく読んでいます。仲間内会話は外国語です。ガイドを頼みたい様子。例によって「Yours China or Korea」 「韓国です」 手持ちパンフは日本語。券売所から韓国語パンフを貰い渡しました。「ガイドは日本語ですが」 「日本語1〜2人わかるから」 ここから舌好調。同時通訳つきで25分。
 本殿を背景に記念写真も撮影しました。本殿の豪華絢爛な彩色については、我が国に この程度もものはザラにあるからと云いつつ 全11人満足された様子。感仙殿に向かう際 日本式の礼を全員でされ、握手を求めた方3人もいました。
 ウォン安円高の時勢に、わざわざ瑞鳳殿に参拝に見えた方々です。資産と教養のある人々でしょう。再来を期待します。

 12日、本殿の彩色の色別の顔料について、相当の知識を持っている様子の方からの質問に、資料の手持ちが無く、応答の深入りを避けました。Eさんが見えましたので報告したら、一枚の資料をサッと。
 古代より用いられた天然顔料一覧です。現在の本殿彩色と一致するかは別ですの注釈がありました。
 朱→辰砂(しんしゃ)
 明るい緑→孔雀石(くじゃく石)
 藍青→藍銅鉱(らんどうこう)
 レモン黄→雄黄(ゆうおう)
 橙黄→硫化カドミュウム鉱
 橙赤→鶏冠石(けいかんせき)
 青→瑠璃(るり)
 白色顔料→胡粉(貝殻を焼いて作った白色の顔料)
 赤色顔料→ベガラ(黄土を焼いて作る赤色の顔料)

 拝殿から本殿前 凍結し、薄く水膜が貼っています。滑ります。昨日は石段も凍結していて怖かったとSさんが洩らしていました。お客様が転倒されないか心配でした。融雪剤を散布出来なければ砂を散布するが、ゴザ等の敷物を敷くかの方法で危険防止が必要でないか。又 屋根から絶えず雪解け水が垂れて来ます。これ対処方法は、どうすれば良いか。
 安全に楽しく参拝し ゆっくりガイドを聞いて頂くにはどうしたら良いか 思案に明け暮れる季節になりました。



1 月 17 日 (土)  



 とある会合で、「あかとんぼ瑞鳳殿ガイド日誌」時たま読んでいます。とご挨拶頂きました。早速 御礼申しあげました。が 続いての一言で沈黙の世界に。
 続いての一言。「調べて 色々書いているが 覚えていないでしょう。ガイドの際 話しているの、していないでしょう」でした。

 調べが時間を経過・継続したものは、区切りの良いところで総括まとめ、掲載し、資料館に頁を新設するケースもあります。調査・総括した事は記憶しています。詳細は忘れる事はあります。その際は、出力資料等で復習します。
20分間のガイドの際、詳細を語る時間がありません。エキス・ポイントを事例により話しします。

 8年を経過し、同様の題材が掲載はされています。千差万別多数の方々との出会いです。全く同じはありません。
当然、違いはあります。当初と現在では書き方は変化しています。日々試行錯誤です。

 非常に辛口な、一見ムカッとする発言です。デモ、この様な意見でも頂ける内がハナです。感謝します。



1 月 12 日 (月)  



 今年も日曜・祝日の午前は瑞鳳殿でガイドをすると決めました。今日は祝日・成人の日です。

 間断なく全国から、市内から参拝に見えました。和歌山県、長崎県からも見えました。参拝者希少の感じの県です。長崎も降雪があるそうで、仙台は温かいと申していました。意外な感じです。

 政宗公尊像、壁面彫刻の作者のお尋ねがありました。珍しいです。
@政宗公尊像は、阿部正基氏 1978年卒。A瑞鳳殿本殿壁面は、宮窪繁氏 1989年卒 B涅槃門の彫刻は、林鳳雲氏2006年卒です。これは手持ち資料で答えました。

 本殿の彩色の色別の顔料についての質問、相手は相当の知識を持っている様子、当方資料の手持ちが無い、色彩に強いEさんは不在なので、応答の深入りを避けました。国宝時代に興味を示されましたので、全景・拝殿・御供所・唐門等の焼失前の写真をお見せしました。熟視され 「ありがとうございました」と。 此がガイドの醍醐味でしょうか。

 札幌・白石区の近所の方々で、深みにはまった方は、当初ボラガイドなんかとあまり期待しない風情で、同行の若い女性がガイド依頼されました。白石区の開拓は白石・片倉家家臣の方々ですと、話が深まっていくつれ、若い女性は退屈したのか地団駄鳴らしていました。ガイド切り上げようかなと思いましたが、質問者が悠然としています。続けました。弔魂碑迄ガイドしました。

 予想が外れ 参拝者が多く、UさんOさんと情報交換する余裕もありませんでした。渇いた喉と冷えた体 事務所で熱いお茶を頂き ホッ。感謝です。
 密かに期待した盛装した新成人の参拝は ガイド中は見えませんでした。

08年12月25日日誌標題誤記しました。本日Uさんから確認求められました。訂正しました。正しくは、善應殿 です。



1 月 11 日 (日)  



 昨晩は暴風警報が出ました。小雪が舞っています。寒気が厳しいです。
 「参拝者は計画のとおり行動をする。多少の天候悪化でも変更しない。自己都合でガイドを休むは、期待を裏切るものだ」と常にH代表は言っています。まったく その通りです。ボラガイドでも 多少のプロ魂が必要です。
 参拝者は、絹糸の如くお出でになりました。決して凧糸・ロープの如くではありません。福の神も福娘もお休みでなったからでしょうか。あかとんぼ 4組22人をガイドしました。

 一番のご夫妻、涅槃門で麒麟、拝殿扁額で珊瑚・真珠と即答され、質問しようとするとガイドが説明をしてしまうと申す、ノリの良いご夫妻です。乗せられたか、乗ったか、善應殿・妙雲廟界までご案内しました。

 京都の大学院生5人。涅槃門の透かし彫りの説明。「かっては日本三大透かし彫りと称された。京都は高台院と二条城そして奥州・仙臺・瑞鳳殿です。高台院と二条城の透かし彫り ご覧なっているでしょう」に全員 首を横に振りました。そんなもんでしょう。
 理系が4人、他は美術系とか、天女さんの特徴、陣羽織のデザイン、瑞鳳殿の構造と化粧直し等を追加ガイドしました。なにがしの参考になったか、「オーキニ」?と 喜んで頂きました。

 瑞鳳殿のみ参拝され 感仙殿等に寄らないで帰られ、入場料高いとボヤク方が居られるそうです。東参道、62石段の登り口から西参道を下りた所までが料金区域です。それを券売所・瑞鳳殿本殿・券売所の往復では、時間距離からして高いでしょう。62石段も資料館も含まれて居ますのに。
 あかとんぼ にも高いと洩らす方がいます。 上記を説明し「 ボラガイド30分を加えると お釣りがきます」と云うと、呆れたか 納得したか 肯かれますと 情報を提供された方に お話ししましたら、此また、呆れたか 納得したか 肯かれました。

 あら ボラガイドいるわ。無料よ、頼もう! 20分頂けますか。 20分も? すでに波長が合いません。透かし彫りを説明しても 馬耳東風です。興味の対象が異なる様です。本殿に直行しました。手持ち資料で政宗公御木像も説明しました。まだ 興に乗らないようです。お客様の求めるものは何でしょうか。
 最後に質問 「伊達政宗てっ何ですか?」 ガクン 意気消沈です。本日のガイド 終了です。

 ここにお詣りに見える方々、未成年者と外国人を除けば、経歴・事績等の詳しい事は別として 伊達政宗、独眼竜政宗 等の名前はご存じでお出でになっていると思っていました。その前提でガイドしていました。明日のガイドから考慮します。
 朝刊のきょうの運勢「人を見る目が大切」とありました。このことでしたでしょうか。当たる運勢欄です。

 意気消沈して着替えしていたら、察知したのか「コヒーはいりました。寒かったでしょう」「表紙 開門から石段、涅槃門、本殿、御木像、御尊顔に御対面 工夫されましたね」のお声。身も心も温かくなりました。
 「瑞鳳殿の四季」写真募集の締め切りは月末です。お忘れ無くのお声もありました。

 皆様も 写真の応募と 表紙のスライドショウの観賞と感想をお願い致します。

 



1 月 4 日 (日)  



 ループルバスも、定期観光バスもハイヤー並の乗客数での運行です。
 深山ての孤独な修行です。東から西参道と巡り、一人ガイド、資料館でVTRを観賞。自己研修の一時。

 10時過ぎ、Sさんが来ました。福の神です。これ機会に参拝者が登って来始めました。以来、北海道と北関東圏からの1組30分余のガイドが続々と。

 北海道は札幌からの方、ループルバスに乗ったら運転手から「今日はコース内の施設は瑞鳳殿以外全て休みです」と言われた。確かに、仙台市・東北大の各博物館、県美術館も役所経営ですから正月休みです。お客様は「瑞鳳殿をお詣りしたかったから、全然困らないの」と、質問され熱心に拝観して下さいました。有難かったです。
 でも内心 仙台の観光のあり方此で良いのかと思いました。

 桃山様式の建造物です。豪華絢爛な色彩・細工をご覧ください等ガイドしているうち、伊達者・伊達男の語源に至り、突然「伊達者 派手 だから 仙台の達磨は赤では無く、青だそうですネ」とお客様から確認されました。
 確かに、城下のある通りに「仙臺四郎」の像と青い達磨を見ました。確かに派手な装飾の達磨でした。勉強不足、仙臺達磨は青の派手派手と断言出来ません。「わかりません 勉強します」と。

 Eさん お年玉ですと「涅槃門等の屋根の一番上 丸い形 何といいますか。第2問、現在の拝殿は割拝殿様式です。この真ん中の通路を何といいますか」とクイズ。
 わたしにはわかりません。その実、Eさんはお客様からの質問で、わからず調べたそうです。
 第1問の答えはトリフスマ。第2問はメドウ。漢字は馬道と書くそうです。
 詳細は、自分でパソコン検索しなさいでした。

 資料館の掲示に「大河ドラマ視聴率ランキング」がありました。
 当然 伊達政宗公が1位の39.7% 2位は武田信玄39.2%  太閤記が31.2% 徳川家康31.2% 徳川吉宗25.4%とありました。
 伊達政宗公の39.7%は、意外な感じ 現在でも再放送されます。モット高率と思います。

 官公庁は 明日が御用始めです。あかとんぼ の ガイド初めの日でした。



1 月 2 日 (金)  



正月晴
新年年賀拝礼式が執り行われました。

10時45分
仙臺藩志会の幟を先頭に、露払い、瑞鳳寺住職、伊達家御当主、羽織袴裃帯刀の正装の藩志会員、略装の藩志会員、水玉模様の政宗公陣羽織着用の奥方と一行70余人が登ってきました。
地元TV局、伊達家伯会、88歳高齢ご夫妻初め、多数の方々のカメラの砲列です。

11時00分
開式。瑞鳳寺鎌田住職読経。

11時10分
焼香。伊達家御当主、殉死者後裔会細目代表、仙臺藩志会古内会長、(財)瑞鳳殿鹿野常務理事の順番。

11時14分
挨拶(要旨)
 伊達家御当主
 仙臺の町の繁栄と安全を祈願しました。朝宗公から800年政宗公から400年 この伊達文化の継承のために、自身としても研鑽に努めます。皆様にはご繁栄を。
 仙臺藩志会古内会長
 平成18年より伊達起こし塾を開設したところ、会員以外の方を含め毎回50人以上と盛況です。伊達家と家臣の先人の偉業を顕彰し、知恵と文化を後世につたえる様 今年も努力します。
 (財)瑞鳳殿鹿野常務理事
 ライトアップ等で沢山の方々が参拝されました。今年は、涅槃門の改装、安全対策を実施します。市民・観光の方々に楽しく参拝出来るように環境整備に務めます。

11時23分
閉会

11時30分
 奉納演舞。涅槃門前広場。
 仙臺藩志会会員による真剣立ち会い 7態 しんけんに演じられました。

11時40分
 仙臺藩志会員の集合写真撮影。
 今年は、撮影者が多数でした。撮影者があかとんぼ只一人の年、撮影省略の年もありました。隔世の感です。

 全ての行事 終了です。
 奉納演舞中に観光客2組からガイド依頼がありました。行事終了を待って頂き、Uさんとガイドしました。

おまけ
1.仙臺藩志会奥方着用の水玉模様の政宗公陣羽織の「竹に雀」の家紋は、刺繍で黄金色です。
  我々着用のものは、袖無し(我々の希望)、家紋は銀色の染め込みです。
  「マケター 格差社会」の小さい独り言に、大きい声で「あちらは 家臣であった人々の末裔、個人負担です。我々は家臣でなかった人々の末裔、(財)瑞鳳殿から借りています」 ごもっともです。

2.正装の羽織袴裃一式 幾らか、話題になりました。中古の羽織袴で20万円しますとUさん。あかとんぼ藩志会某氏に確認しました。「総理の背広と同じです。製作に2ケ月は要します」との返事でした。麻生総理の背広は一着幾らなのか見当つきません。陣笠・刀・草履・足袋・下着等を加え、一式で小型乗用車と同額でしょうか。

3.年末から、寒気をお供にマゴ台風が飛来し、日程を立てられずいました。H代表からの「2日ガイド依頼があるが」の電話に、「無理です」と断りました。2日からのガイド依頼は初めて、「今年は春から縁起がいい」の言葉があるのに今年の福を逃がしたかなとの思い。今朝、突然マゴ台風は移動しました。瑞鳳殿に参上。拝礼式の前後ともガイド依頼しきり。福運は待ってくれた様です。アリガタイ あと71日回が目標です。

4.「昨日の参拝者1000人を越えました」と。 「ヒー、初詣 瑞鳳殿 政宗公人気 すごい」と あかとんぼの素直な感想。 別な場所で、別の人の塊、前記は同じ、  「なに 無料開放したからさ」の声。 それは無いでしょう。人気が無ければ無料でも来ません。無料だから来た人もいるでしょうが、この乱世にあって 政宗公の様な卓越した 指導者を求める無意識な 市民の言動では無いでしょうか。



1 月 1 日 (木)  



あけましておめでとうございます。
今年も、宜しく、ご指導、ご愛読お願い致します。





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