2009年5月の日誌
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5 月 31 日 (日)  



梅雨? 霧雨に青葉が見事です。

傘を持たず8時55分ペア1組が登って来ました。新潟から車で来たそうです。続いて茨城から熟女2人。ガイド一言に質問3言。興味あるから 又 ガイドを気に入っての質問でしょうから 即受けました。内心 ガイド一段落した所でご質問頂ければ と思うところです。2組終わった所で10時40分。

10時45分岐阜からのペア。涅槃門の彫刻 丁寧に撮影しています。透かし彫りで、焼失前の材質に「白檀」が用いられていました等を説明し、撮影ポイントをガイドし本殿まで。写真をブログに乗せるそうです。検索します。期待していますと伝えました。
続いて栃木からの小学6年生と両親からのご依頼。子供を中心か、親が中心か ガイドの主体をどこに置くか悩み、時々 子供に声をかけ、父親は撮影に懸命なので 母親を主体に説明しました。聞いて頂きました。
12時15分です。

小学生を同行された場合、常に悩むところです。結果的に子供の顔を見ながら 親に説明する事になっています。その道も専門のEさんが やはり子連れにガイドを終わったところでしたので 尋ねました。「そーだよネ」の返事を頂きました。是認されたと理解しました。「学生の1学年の違いは大きいよ」との補言。「生徒」の場合は はたしてどうでしょうか。

3時30分連続のお喋り。口中渇き 飴玉を銜えたトタンに 依頼され、まいりました。マイッタ。
雨模様故か参拝者が途絶えましたので、12時25分終わりにしました。


松島・瑞厳寺・寶華院・円通院。
栃木の方。寶華院を参拝した。豪華な色彩であったと申していました。本堂の修復が本格化する9月から公開すると聞いていましたが、もう始まったのかでしょうか。参拝出来たは 結構な事です。
円通院で数珠作りをしたそうです。でも、光宗公の殉死者の供養碑 そして政宗公の娘五郎八姫の御霊屋をお詣りした様子はありませんでした。

岐阜の方。本堂はお詣りしたが寶物館「青龍殿」知らなかった。見なかったとの事。政宗公御木像を直々に拝謁しなかった訳です。話ししたら 大変残念とボヤいていました。
栃木の方も寶物館に入館した様子ありません。知らなかったのか。時間はあったでしょうに。

時間と経費を費やして 見落とされるとは モッタナイです。瑞厳寺はプロ(有料)のガイドいます。云わなかったのか。ガイドを依頼しなかったのか。 



5 月 30 日 (土)  



戊辰の役

弔魂碑の碑文を熱心に読んでいる方おりました。そして、「何を意味しているのか」と尋ねられました。
26日12時JTBご依頼ガイドの帰路でした。

「ご承知とは存じますが 140年前 戊辰の役と称される内戦で 攻められ やむ得ず郷土防衛の為 闘い敗れ 戦死された伊達家家臣の方々等1260余人の方々の供養碑です。・・・昨年10月10日供養祭を催しました。同じように無念の思いで散った会津若松松平家の末裔の方々が お詣りにお出でになります。会津の方ですか」に、

「千葉から孫の運動会の応援に来仙 お詣りしたところです。140年経過しても 供養祭を催す、お詣りに来られる。その無念の思いとは脈々と伝わっているのですね。靖国神社の経緯は承知しています。歴史の正史は勝者に造られても、敗者側の歴史もある訳です。表裏あるとは承知していたが 史蹟として存在しているとは意外であった」と訥々と語られました。

昨29日 戊辰の役研究の木村氏が「東北から見た戊辰戦争」と題する小冊子を届けてくれました。簡潔かつ丁寧にまとめられています。

小冊子の中に、評論家櫻井よし子氏が仙台の講演会で「歴史を知らない人は豚と同じで、ただハッピーにいるだけ、明日の事も昨日の事も考えない。先祖は何を誇りにし、何を大事にしてきたかを知らねば、根なし草と同じだ・・・」と論じたと記載ありました。

豚と同じは ないにしても 過去があり 現在があります そして未来があります 至言と思います。
「ガイドは正確でなければならない」は 我がガイド仲間の鉄則です。熟読の上、表裏片寄らないガイドに活用致します。



5 月 29 日 (金)  



「瑞鳳殿ボランティアの会」の総会が開催されました。

E会長から、次の様な挨拶がありました。
@現在の瑞鳳殿のボランテイァガイドは、2000年正月から、土日祝日と限定し、NPOシニアのための市民ネットワーク仙台の活動グループ「ぐるーぷ・よっこより」の観光ボランティア活動の場として認められた活動です。

A本日の会「瑞鳳殿ボランティアの会」は、2006年7月20日に、之までの活動が評価され、財団法人瑞鳳殿の肝煎りで結成されたものです。

B会員の資格は、次の通りとなっています。
(1)本会の目的及び事業活動に賛同する者〔ぐるーぷ・よっこより会員〕
(2)(財)瑞鳳殿から推薦された者〔養成講座受講者〕

C先般 Sさんのガイドについて 河北新報に「お客様からのお褒め」が投稿された。ガイド歴の短いSさんの高い素質と、努力、人柄が評価されたものです。

D各自とも知識を共有し、レベルの向上を図りたいので、お客様からの質問等は、連絡帳に記載して下さい。

以上を念頭に、お客様と(財)瑞鳳殿から信頼されるガイドに今まで同様努めてください。

資料として、次葉が配布されました。
@瑞鳳殿ボランティアの会会則・要領
A会員別・月別活動実績表
B仙台市観光ボランティアガイドネットワーク移動研修会案内。

M副会長から、ガイド時着用「陣羽織」の保管状況の確認がありました。
 (財)瑞鳳殿に据置き3人、持ち帰り7人 2008年10月1日に貸与された10着と一致。
 確認の要旨は、昨秋に不足し着用出来ないことがあった。又、据置きの本人出動していないのに「陣羽織」と名札が不明の事があった。(財)瑞鳳殿から、維持・保管は会の各自が責任を持ってくださいと口答注意されています。

Uさんから、次の資料が配付されました。なかなか 有効な資料です。
@歴研みやぎ「七士の墓」
A七士の履歴?
B書家佐々木玄龍 (拝殿扁額の書家佐々木文山の兄)

懇談にはいり、Mさんからガイドの際 注意している3点として 次のような発言がありました。
@ガイト依頼を待っている。「ガイド無料です。如何ですか」と国分町の客引きの様な事はしない。
A本殿に至ったら、拝礼を求め、即 横に移動して貰いガイドしている。これは 撮影する人に配慮したものです。
B本殿前でガイドをする際、本殿直に立ち、お客様に背中を見せないようにしてガイドしている。従前 傘の先で刺され痛い目に遭ったからです。傷害保険が給付される問題では無いです。怖くなったからです。

之に続いて、次の様な発言がありました。
@駐車場で貸し出している「竹杖」本当に必要とすると見られる高齢者等は利用していない。逆に若い人が 持てあましながら歩いている。子供が振り回している事もある。人と構造物を損傷させる事にならないか心配だ。

A石段(東参道・西参道・涅槃門から)に 安全確保から手摺りが欲しい。高齢者等のお客様の難儀している姿を見るに忍びない。国宝の日光東照宮でさえ 手摺りがあるのに 元国宝である瑞鳳殿で設置出来ないのか。

その外 記録出来ない 有意義な提言があったようです。


Uさんから次の提案がありました。
@妙雲廟界の墓碑A瑞鳳寺墓地「鹿児島七士の墓」の各裏面の調査を 25日あかとんぼ氏が披露した「片栗粉」方式で 6月に実施します。日程は講師と協議決定し、(財)瑞鳳殿の会の机に提示します。毎土日ガイドに来ないと 機会を失しますよ。

参加各自 30秒限度で 抱負等の披露をもって 総会を終了しました。



5 月 27 日 (水)  



本日 河北新報の文化欄に「伝承と史実 政宗ゆかりに疑問符」なる、仙台市博物館市史編纂室菅野正道氏の論文が掲載されました。

すずめ踊り、ずんだ餅にせよ 仙台の地域的特色を伝えるもの全国的に知名度がアップするのは喜ばしいことである。しかし、だからこそ 無理矢理政宗にこじつけるのではなく、それぞれが本来的にもつ伝統を再確認すべきでは無いか。がマトメです。

すずめ踊りの由来について、仙台市教育委員会の報告書で「史実や正確な伝承とは乖離したもの」と明快に結論付けている。
すずめ踊りと同様に、30数年前迄、政宗との関係が全く語られなかったものが、突然「政宗が○○したと云われている」と由来が云われる事例がある。
その事例として「ずんだ餅」。政宗が陣中で陣太刀を使って豆を潰して食したのが始まりという話しがある。そのまま食べられる茹でた枝豆を潰すのに、わざわざ大事な陣太刀を用いる事は100%あり得ない。

誠に 同感です。

すずめ踊りの由来について、誠らしく語られている内容に、「仙臺城落成の祝宴の際 政宗公の面前で石工が即興で踊ったが始まりで、その踊りに 家紋「竹に雀」からすずめ踊りと命名された」があります。

疑問の一つに、落成の祝宴の席に 施主・発注者で最高権力者と現場作業員の石工と同席が考えられるかです。県庁発注工事の落成の宴に、知事と型枠工が同席するか です。あり得ません。

昨日も お客様からの質問に すずめ踊りと家紋「竹に雀」の関係を問われました。
巷間に お客様が期待している様な話しはありますが 史実からは 関係ありと答えられませんと 答えました。

ガイド仲間の頭目 H代表は「史実に無いことはガイドするな。伝承に基づくことで反論されたら 伝承でその様に語られては いますが 史実に、証拠とするものがありませんので」と断り、正しいガイドに努めべきと 常に警告を発しています。

本日の論文は、H代表の常の警告に お上(仙台市博物館)のお墨付きが下された感じです。




5 月 26 日 (火)  



皐月晴 気分爽快です。

秋保温泉高級旅館出発のお客様からのご依頼ガイドです。瑞鳳殿到着時刻が日々刻々と変わります。平日の割に交通渋滞は無く、早めに到着 瑞鳳寺 門前で待機していました。色々な交流がありました。後述。

お客様5人に係員2人が付、更にバスガイド付です。歩行に障害ある方、重量大型貴重品を携行された方がいまして、ゆっくり 低速での参拝でした。午後 瑞厳寺を参拝するとの事で 瑞厳寺寶物館青龍殿所蔵の「政宗公木像」、愛姫の御霊屋「寶華殿」、紅白の「臥龍梅」を話題に加え、瑞鳳殿を主力に丁寧にガイドしました。

係員 至る所で 見学の様子を写真撮影しています。アルバムにして配るのでしょうか。ベストボジション2ヶ所を紹介しました。喜ばれる写真撮影できたでしょうか。 瑞鳳殿の豪華絢爛と暑さと石段に 些か応えた様子でした。

高齢のご婦人の団体。感仙殿前にたむろしています。
勾配の厳しい西参道を登り、修復が完全でない感仙殿を先に参拝されたのでは、「キの抜けた麦酒」に成ります。
勾配の緩やかな東参道を登り、100%近く 復元された 豪華絢爛な瑞鳳殿を先に参拝されるのが通例です。
印象が全く異なります。又 先人に対する敬意を表する礼儀からも 当然と思います。これは 飽くまで あかとんぼ の見解です。参拝の順序は自由です。異議・批判は一切申しません。 

小さい声で 「アレー 反対コースですね」と申したら 引率幹部諸女史から 一様に「管理事務所から許可を受けています」と強い口調。何か勘違いされた様です。バス4台 200人を越える高齢のご婦人を引率して イライラされていたのでしょうか。


瑞鳳寺門前で待機していたタクシー氏。新顔です。「オシエテー」 「ハイー」 @瑞鳳殿てなに? Aお墓はどこにあるの? Bすずめ踊りの奉納はどこでやったの? C伊達さま 今は何代目? D入場料はいくら?・・・・・・答えました。 「お客様に聞かれて何も知らないと・・・・・」 「会社で研修はないのですか」 「ナインダヨ」 メモしていました。真面目な方です 「今日は助かった ありがとー」と 城下に乗客を探しに降りていきました。頑張って。

定年退職年齢の男性。瑞鳳寺門前でブラブラしています。「下馬石」を説明したら、「京都から来ました。近所に〔伊達〕と称す美味いレストランがあった。仙台の伊達と関係あるでしょうか」 「京都には 〔伊達町〕なる地名があり ご存じでしょう。御縁は深いですが、レストランとの関係は存じません。テニスの伊達公子さんのご先祖は 何処の方か知りませんが 同じ様な血脈の方では なかったでしょうか」 

「彼女 政宗フアンで 昨日は瑞厳寺を参拝し 今日は瑞鳳殿を一人で参拝している。彼女の思いを大切にしなくては」 誠に結構なご発言です。 「アッ 来た」 彼女とは、今若い女性に多い「歴嬢」かなとおもいましたら「歴女」でした。理解あるご夫妻で安心しました。


本日 仲間のUさんの影武者がでた様です。先日は殿様と間違われましたUさん。不思議な動きが見られます。29日 真相追求・子細面談を約しました。乞うご期待。



5 月 25 日 (月)  



今朝早く 杜鵑(ホトトギス)の初啼きを聞きました。今日の運勢 吉です。

寛永13年4月18日 政宗公は杜鵑を啼きを聞きたいと、北山・西山・経ケ峰と廻り、経ケ峰を終の棲家と定めました事は有名な話しです。
そして、20日には、「参勤として若林城を発駕。・・・増田の少し此方より所とに於いて御駕の先に杜鵑啼渡る。或いは路傍の木などに止まる。杜鵑の初音を聞く事」と貞山公治家記録にあります。

政宗公の杜鵑(ホトトギス)は、郭公 です。なぜ ホトトギスと云うのかは 調べついて居ません。でも、この史実に由来したか仙台市の鳥は 郭公です。

寛永13年4月20日は、太陰暦です。太陽暦に換算しますと 1636年5月24日です。
あかとんぼ の巣は、増田より北に位置しています。1日遅れは当然として 373年後 動物の営み、自然の季節は同じ様に巡って来ました。

治家記録も初啼きを聞き 首尾・・・と期待する表現になっています。あかとんぼ の今日の運勢 吉です。

注 
杜鵑の文字 杜鵑の文字atok15手書文字入力の最似文字を採用しました。
ホトトギスは通常 不如帰か時鳥に変換します。



ガイド仲間の勉強会 仙臺城本丸で、講師はUさん。之までの講師とは視点を変えての講話。推理作家夏樹静子の弟子と云いたい位 よく調べています。使える資料です。

石碑の文字 光線の具合等で読みにくい事暫しです。あかとんぼ は「片栗粉」と「水」と「雑巾」を常に携行し、読める様、撮影出来る状態にし、確認しています。突然、その実演の指名があり 実演しました。同好の士には 既に承知の事、初めて知った方もいて、それなりに お役に立った様です。

Uさんの依頼で碑面を撮影しました。PCで確認した所 明暗で100%満足の画面でなく、内心 ガックリ来ました。
本丸の駐車場、従前は1日料金でした。今日から時間料金になりました。些か計算が狂いました。



5 月 24 日 (日)  



政宗公374遠年忌法要が催されました。

9時45分仙臺藩志会の幟を先頭に、瑞厳寺等伊達家縁(ユカリ)寺の和尚様、34世18代伊達家御当主、仙臺藩志会一同が、伊達家家禄に由来する62石段を登り、北海道室蘭市の中学生達等の人垣を抜け、本殿前に整列。

9時57分開式
奉献の儀
 献花 本原遠州流華道七世家元 朴澤 一草 様
     (ホンゲンエンシュウリュウシチセイイエモト)(ホウザワイッソウ)
 献香 仙臺藩作法宗家       伊達 泰宗 様
     (センダスハンサホウソウケ)    (ダテヤスムネ)
 献茶 石流清水派宗家十世    大泉 道鑑 様
     (セキシュウリュウシミズハソウケンジュッセイ)(オオイズミドウカン)
 献笛 仙臺藩虚空山尺八寺    布袋軒玉堂 様
     (センダイハンコクウザンシャクハチジ) (フタイケンギョクドウ)
読経
 瑞厳寺、瑞鳳寺、覺範寺、資福寺、保春院、東昌寺、萬勝寺。善応寺 8ケ寺
焼香
 仙臺伊達家十八代当主       伊達 泰宗 様
 殉死者後裔会副会長        細目 典夫 様
 仙臺藩志会会長           古内 重義 様
 大年寺会代              建宮 文雄 様 
 財団法人瑞鳳殿常務理事     鹿野 正利 様
 再建事業建設会社会長       松井 角兵 様
 霊屋下町内会会長          佐藤 静朗 様
挨拶 
 仙臺伊達家十八代当主       伊達 泰宗 様
 仙臺藩志会会長           古内 重義 様
 財団法人瑞鳳殿常務理事     鹿野 正利 様
10時57分閉式

続いて 涅槃門前広場にて、仙臺すずめおどり連盟 @八木山すずめでござる A柳生祭連 B夢祭連粋樂 C仙臺紅雀 DOH囃子来’Sおかわり E◆朱雀 F仙臺雀踊壹番組 Gまつりめごひめ H表小路10 の9祭連・120名のすずめ踊りの奉納。

口上 雀踊り発祥の歴史 「仙臺城築城の際 泉州堺の石匠に始まり・・・・連の紹介・・・ヤスラケクご笑覧アレー」 上手でした。 泉州堺の石匠の口上も素晴らしかったが 勝とも劣らないものでした。動画記録しましたが 無料で掲載出来ないのが残念です。

あかとんぼの蛇足
@拝殿前から右回りで進行するように一般参拝者を誘導していました。
A結果的に、法要は静粛・厳な雰囲気で催されました。結構な事です。
B小坊主が参加しました。壮々たる各寺の和尚様の中にあって堂々としてました。どちらのお寺の方でしょうか。
C仙臺藩志会の羽織袴正装の一団に若侍の参加がありました。
 菅野正左衛門の末裔 貴文君14歳です。期待の星です。菅野正左衛門さんの履歴「仙臺人名大辞典」に掲載されておらず不明です。
D仙臺藩志会一同の記念写真撮影 今年ありませんでした。残念です。
Eテレビ・HPを見ての参拝者 何組かおりました。瑞鳳殿公式HPは見られている訳です。

仙臺伊達家ご当主様・法要の一行まもなく登壇の時、初めて参拝に見えたと申す ご婦人。「殿様は中(涅槃門?)に居ますよ」 待っていても無駄よ の調子。伊達家伯会の面々と顔を見合わせました。今 降りていったばかりに。当主様に会ったこともない他国の人のご発言。 一同「ハー」 「この羽織着た 立派な人 ブラブラして居た。アノ人 殿様でしょう」  どうも 仲間のUさんが仙臺伊達家十八代当主にみえたらしい話しでした。 マイッタ。

法要が終わって TV局が帰る所です「○▲□さん よい写真撮れたでしょう」 「フン俺○▲□だ。狭くて撮れない」機嫌ナナメです。他の●▽■局と競合し敗れたのでは。ボラガイドにボヤ気発する様では。今夕の放送が楽しみです。何れの局が放映するでしょう。

10日お見え頂いた仙台市内の三世代の方 早々にお見えなり 一行の登壇から拝見されていました。拙いガイドを聞いて孫・子の為 お出で頂いた。感謝です。

22日柏木市民センター講座でご案内したところ、何人かが お見えになりました。感謝です。

法要中に ガイド依頼が数件ありました。静粛を求められいる環境なので ご理解をお願いしました。
法要終了後 時間を気にしないタクシー氏等からのご依頼 相次ぎました。

昼、空腹。帰ろうとした瞬間 「あっ ボラガイドいる オネガイ」 「涅槃門迄戻る元気あります」 「あります。春仙台に転入し、娘と一度 お詣りに来たが??であった、HPで行事があると知り来たが???」 「法要は終わりました。今年は盛大でした」 とガイド始めました。 聞いてくれます。生涯学習教室並に丁寧にガイドしました。ご満足頂きました。今度 転出先からのお客様をご案内できるでしょう。


職員駐車場の各樹木「火気厳禁」赤文字の腹巻きをしていました。
19日の火災の対応です。原因不明ながら 通行人が煙草の吸い殻を投げ込んだのではと推測していました。
あかとんぼ は烏の喫煙でしょうかと推測していましたのに、アラ カラス煙草吸うの。 サテ どうでしょう。



5 月 22 日 (金)  



「地域を学ぼう。楽しい歴史散歩 大願寺」柏木市民センター主催講座の講師を務めました。

大願寺 なにがあるか。政宗公の灰塚があります。意外と知られていません。
本日の参加者22人。過半数は転勤族夫人で、地域を学ぼうの意欲満々の方々。

小雨なので、センターで概略をお話をして、北八番丁(足軽屋敷)、萬勝寺(伊達家始祖菩提寺)、八雲神社(火伏神)、大願寺横丁(狭路)、称覺寺(保存樹木・親鸞聖人縁銀杏)、正圓寺(保存樹木・忠宗公お手植松?)、大願寺前丁(広路)、大願寺山門(仙姫・萬壽寺静寂殿唐門)、観音堂(仙臺33観音7番札所)、政宗公灰塚(堀の内外周巡)、高田騒動小栗家墓所、北山市民センター(コロリ・火葬場)、超光寺、称念寺、廃寺跡、四ッ谷用水関連水路、仙台高校跡地の順で 散策しました。

瑞鳳殿ガイド仲間、北山ボラガイド会員、町を元気にする会員も参加され、ご質問も頂きました。
6月6日10時から称念寺、永昌寺(政宗公母保春院灰塚、仙臺33観音4番札所)、充国寺、昌繁寺(仙臺33観音5番札所)、荘厳寺(仙臺33観音6番札所)のお寺を町を元気にする会で催すそうで、参加者に紹介しました。

感想・質問に。
★ここは寺町でしたのね。廃寺は後継者が居なかったからでしょうか。
 確かに後継者は居なかったのですが、基本は戊辰の役後の社会システムの激変にあります。
★政宗公の納棺の仕方 水銀・石灰(牡蠣灰)・塩をつめたを初めて理解した。塩のみと思っていた。
★四ッ谷用水 政宗公の偉業あらためて感心した。水路が残っているとは驚きましたわ。
★梅田川の水源地・発祥地を案内してくれないかしら。

灰塚の周囲内外巡り、塚に登頂されましたが、驚愕の域なのか 期待する感想は聞こえませんでした。 

参加過半数の転勤族夫人なので「瑞鳳殿で無料ガイドをしております。ぜび お出でください」と仲間を紹介し ご案内しました。

センター館長と担当者は、まだ 瑞鳳殿にお詣りしていないとのことで、ぜび お出でくださいとご案内するると同時に、転入者の為の講座 瑞鳳殿等伊達家関連施設拝観の企画を提案しました。



5 月 21 日 (木)  



涅槃門から拝殿に至る参道脇の寄進燈篭。17日質問の「A参道の燈篭寄進者に殉死者はいないか?」。その詳細は、何故 片倉小十郎の燈篭が一番下なのか。彼は、政宗公のNO2の側近では無かったのか。であれば 本殿直近にある筈ではないか。の趣旨でした。

誠に ご尤もな考え方です。
伊達家には、その由緒・身分によって家格が定められ序列化されていました。@一門・A一家・B準一家・C一族・D宿老・E着座・F太刀上・G召出・H平士・I組士・J卒の順で、I組士以上が武士の身分です。
この家格は4代綱村公時代に確定されています。が政宗公の末期に既にある程度 固まっていたでしょう。

片倉家は、A一家の末席です。本殿前は亘理・水沢・角田・涌谷の@一門の方々です。(現在 再建されていません)。瑞鳳殿が焼失する以前、1917年の調査図では、拝殿から3番目にありました。妥当な位置と思います。
ただ、復元・再建した際 なぜ 最下段5番目に下げられたかは、1979年発行「瑞鳳殿再建期成同盟会刊 瑞鳳殿再建の経過」にも記載されておらず謎です。お客様のご発言は納得出来ます。あかとんぼ も以前から不満に思っていた所です。

今ひとつ、このお客様は、昔の名前 名乗りを完全に理解していなかった事にあります。片倉家は代々、片倉小十郎○○と名乗っています。ここを見逃すと 祖父も父も区別がつかなくなります。

片倉小十郎景綱は、政宗公の若年から仕え、補佐する側近であって、伊達家が軍団として成長し、中央政界での地位を確保するにつれ、軍事・外交の指令・責任者にその立場が変化したのは、万民の認める所です。

仙台市史編纂室菅野学芸員は、09年05月20日河北新報「歴史の窓」で、政宗公は典型的なワンマンで必要としたのは、意を具体化する専門家で、軍事・外交が専門の片倉小十郎景綱の本質的役割を見るべきと論じています。

さて、片倉小十郎景綱は、政宗公に先立ち元和元(1615)年10月14日59歳白石城で亡くなっています。寛永14(1634)年4月24日に燈篭を寄進したのは、2代目片倉小十郎重長>です。



5 月 20 日 (水)  



青空 青葉

ボランテイァ活動支援機構理事長?から、総会を開催したい旨のご発言。
早速 総会会場を求めて、秋保温泉を横目に、青根温泉から遠刈田温泉に、中学生があおばまつりで「マヨネーズで食べたい青葉」と表現した 緑したたる樹間を潜り、残雪の回廊を抜け、蔵王山頂 刈田岳に。

陸奥の國、出羽の国。伊達領から最上領迄 一望千里です。ここ、再建された政宗公7男 宗高公の弔魂碑あり。
碑文の要旨
「柴田郡村田郷3万石の領主になった宗高公。蔵王刈田岳が噴火し際し、我が命をして噴火鎮静を祈った。祈りは聞き届けられ噴火は収まった。しかし 宗高公は寛永3(1626)年8月京都において病にて20歳で亡くなられた。命をかけて民を思われる厚意に感謝する」

この方、母は側室柴田氏。伊達右衛門宗高と称し、従5位下右近近衛大尉に任じられた。法名は凉山英晴。柴田郡村田 龍島院に葬。殉死男女10人と記録されています。女性の殉死とは珍しいと思います。詳しく経緯を調べなくては。

日本秘湯会の蛾我温泉に入浴。30年振り訪れたが 道路は改良され 安全走行が確保されたに驚き。宗高公の詳細 履歴を調べた後 村田 龍島院を詣る事に決定。本日の総会は意義深く終了。

要は、梅雨に入る前の慰労会・140kmドライブでした。最後までお読み頂き感謝します。




5 月 19 日 (火)  



近火お見舞い

13時30分頃 職員駐車場南東の14m高の朽ち木が焼失する火災がありました。
原因調査中。

あかとんぼ曰く
仙台市消防局から「御霊屋下山林火災」の速報はありました。朝刊に上記要旨の記事がありました。出火原因は何でしょう。烏の喫煙でしょうか。大事に至らず よかったです。



5 月 17 日 (日)  



大雨です。
8時25分。実は五葉山火縄銃鉄砲隊の出陣式は8時40分からと(財)瑞鳳殿のHPで確認しており、遅刻しないようにの思い、常より30分早く到着しましたら、同じ様にHPで確認して来た方々、三々五々待機していました。

9時に仲間のSさんが「今 駐車場にシートを敷いて 鎧を着装中」と伝達しながら登ってきました。9時25分半月前立ての兜、鎧姿の伊達家当主を先頭に 一団が登り、涅槃門前広場で出陣式が行われました。

まず、総大将の伊達家当主、続いて鉄砲隊長、軍監、目付の順で焼香。総大将の三献の儀。勝ち鬨を上げ、10時出陣していきました。大雨屋外での着装、儀式です。全身ずぶ濡れ、多分に褌までも濡れたのでは。

今年は、動画に挑戦しました。三献の儀 大雨の中の殿様 よく撮れました。(財)瑞鳳殿常務理事に、ご披露したら褒められ、即 その気になり コピーを差し上げました。
当ホームページに、無料での掲載に努めましたが 成功に至りませんでした。残念です。

8時25分から待機していた父祖以来、名取市閖上に住むの方と語りました。昨夏のNHKTVのライトアップ放送以来、病みつきになり今日で5回目の瑞鳳殿とかたり ガイドは不要との事。

「父祖伝来の墓参の際、口を漱ぎ 手を洗っていますか」に 「設備がありませんから 致しません」 「必要な施設であれば造る物ではありませんか。造らないのは何故でしょうか」返事は当然ありません。

「ここに手洗いの施設があるから 洗うが あれは「無言の圧力」だ」
手洗いの施設とは。手水鉢とは決して云わなかった。間違いではないが 非常に違和感を感ずる言葉。

「ここは、佛でしょうか。神でしょうか。日本人以外の参拝者はほぼ全員 偉大な先人の墓所と理解すると、敬意を表します。なぜ多くの日本人は TVドラマ等で偉大な先人の墓所と知り 参拝に見えていながら 敬意を表しない人が多いのは 何故でしょうか」  そんな難しい話しをするためにここに来たのでは無いという表情で「それは 日本人の8割が無宗教者だからでしょう」

政宗・武将ブームと云われている層と見える方々との会話でした。なるほど なるほど 参考になります。


出陣式の終了を待って本格的にガイドを開始。
神奈川からのご夫妻。「今 甲冑姿の一団と会いましたが 何ですか」 「ハイ 伊達家の火縄銃の火薬等を造っていた人々の末裔で、今日のあおばまつり に参加するのです」 「先頭の立派な方はどなたですか」 「今回の総大将 実は 伊達家34世のご当主です」 「写真は失敗したの 残念だったわ」 以後 相性ピッタリのガイド。
拝殿ベンチで手持資料を見て頂きましたが なかなか勉強されている方と感じました。

質問として@殉死者の身分は、殉死遺族に対する処遇は? A参道の燈篭寄進者に殉死者はいないか?でした。

福島県三春町からバス2台。まとめて80人 聞く人だけに聞いて頂くガイドしました。正室愛姫 出生の地の方々です。熱心に聞いた方20人ほど。バスガイドが懸命に質問してきます。二人とも手の甲から裏まで、メモをして真っ黒になっていました。車内で昔から知っている様子が語る時、雨で流れているのでは。

このガイド老嬢の、知らない事は聞き お客に旬のウチに伝える このプロ意識は偉いと思います。まずい事は、ボラガイドの体をペタペタ触る事です。これセクハラでは無いでしょうか。答礼として 触り返しました。



5 月 15 日 (金)  



負けたか 政宗公
中日新聞(2009/5/15)に下記記事(写真2葉を除く全文)が掲載された。

愛知県幸田町の本光寺にある戦国−江戸時代の大名、深溝(ふこうず)松平家の墓から、金の純度が高い慶長小判をはじめ小判43枚など多彩な副葬品が発掘された。本光寺深溝松平家東御廟所調査会(代表・赤羽一郎愛知学院大講師)が14日発表した。

 小判などが見つかったのは、16世紀初めに深溝城(愛知県幸田町)城主になった松平忠定を祖とする深溝松平家の墓の一つ、7代忠雄(1673−1736年)の墓。昨年8月に集中豪雨で浸水、墓石が傾いたことから調査が始まり、今年4月、石室に置かれた木棺の中から副葬品が見つかった。大名の墓から出た小判はこれまで、盛岡市の南部藩主の墓からの慶長小判12枚が最多とされる。

 小判のほかに一分金117枚、日本刀の太刀四振り、ガラスコップ一点、香道具、銀製のポットなどが見つかった。コップには、青地に西洋の男女の姿が色付きで描かれ、「1599」という数字が記されていた。

 調査会顧問の坂詰秀一立正大名誉教授は「近世大名家の墓としては副葬品の質・量ともに他に類を見ない」とする。小判を除くコップなど出土品の一部は、6月の毎土・日曜、本光寺宝物館で公開される。入場料300円。

 【慶長小判】徳川家康が1601(慶長6)年に発行。1695(元禄8)年までに約1470万枚が鋳造された。楕円(だえん)形で縦約7センチ、横約4センチ。重さ約18グラム。1枚の価値は1両。金含有率85%前後と高い。現在は150万−200万円で取引される場合が多いが、鋳造年や保存状態によっては1000万円の値が付くこともある。

あかとんぼ 曰く
政宗公は10枚と記憶している。奥州仙臺620,000石は島原65,000石に負けた。
政宗公は、時価2千万円から1億円を、仙台市立博物館に寄付した事になる。
徳川宗家初め 各地で殿様の墓所の発掘調査が行われている。これらの報告書は 国立国会図書館で閲覧出来るだろうか。「殿様墓所発掘学会」は存在するかな。







5 月 10 日 (日)  



新緑が眩しく輝いて居ます。
第19回仙台国際ハーフマラソン大会が開催され、城下至る所交通規制が行われました。ループルバスも大幅な遅延です。瑞鳳寺門前待機のタクシー氏 「市内は走れない、お客様は登ってこない。マイッタ」とボヤいていました。

確かに、1刻ばかり 参拝者は途絶えました。その後は殺到され、タクシー氏からも「頼む」が数回ありました。

大手会社は、研修を実施、ガイドブックを渡しています。客待ちしながら読んで居ました「青葉祭の由来は、1655年に始まった仙台・東照宮のまつりです」 ここで切れました。「続きないの」と促しても「ウーン」
プロに申うす如何と思いつつ「明治時代に、政宗公を祀った青葉神社の祭典として、御命日の5月24日催されました。現在命日に関係なく第3土日開催となりました。」  「ウーン ガイドさん知っているネ。こんど・・・・」で実車になりました。招客の福の神であったようです。

「この子小学2年生ですけど、政宗公に興味を持っています。説明してください」知的ご夫妻の3世代5人。砂地に水が吸い込む様にガイドないようを理解してくれます。「お医者さんでは?」 「ハイ 全員外科医です。先週 仙台博物館に行って来ました」 「それでは 政宗公の病名は ご存じですヨネ」 肯いて居ました。
グズグス訴える患者の話を聞き分け、患部をスパッと切除する外科医であれば、拙い あかとんぼのガイドも容易にに理解して頂けた訳です。

最近 小学生専門で、東京の6年生をガイド。伊達家の江戸屋敷に話しが飛び、大崎・袖ケ崎屋敷(品川区東五反田3丁目清泉女子大)の地図を広げました。「アッ この近所が我が家です。ここは島津家の屋敷と聞いていますが」と返って来ました。そうです、1743年隠居した吉村公の隠居屋敷で 明治以後 島津屋敷なったものです。

「ここ 政宗公のお墓であるとは知っていた。以前は土饅頭だつたヨネ。ブルで均して建てたのか」のご質問がありました。生まれ育ちも仙台の人だそうです。聞きましたら、再建される前 墓標がポッンと立っていた時代に 訪れたの話しでした。再建される前の写真をお見せしたら納得されました。約40年振りの参拝だったでしょうか。

参拝者が途絶えた刻、瑞鳳寺の墓地を散策しました。「俳人禾月の墓をお詣りしたいが あかとんぼ さん案内して」と 四ッ谷用水復元活動仲間の文学老から 云われており、探しました。わかりませんでした。
仙臺市史社寺調「瑞鳳寺」項 「有名人の墓碑」欄に 横田禾月 女流俳人安政4没70歳 と記載されています。先般 冨塚玄門の墓も探し切れませんでした。お寺で標柱か表札を立てて頂ければ 有難いですが。

本日 最遠方は 宮崎県からでした。お茶を馳走になり、13時規制解除なったところでスンナリ帰巣しました。



5 月 6 日 (水)  



黄金週間は大部分の人々は今日でお終い。
気力・体力・財力も疲れたか。通常の日曜日並にです。疲れなかった人々が参拝に見えました。

「昨日 瑞厳寺で有料ガイド付きで参拝した。満足した。小学1・3年生です。この子達にもわかる様に ぜひガイドしてください」と教育熱心な若い母親からのご依頼。誠に難しいご依頼です。

涅槃門から参加型に務めました。「天女さん 3人見えています。4面あります。全部で何人居るでしょうか」 「丸が沢山あります。幾つありますか」 「一週間は何曜日ありますか」この様な質問・会話しながらガイドしました。お母さんは 納得し喜んでいました。小学生はどれほど理解したか。

「小学5年で 英雄を勉強する時間があるらしく 6年生になる春休みに祖父母等に連れられ、見え 色々質問されます。5年後 又お出でください、待っています」 子供はフーンの表情。 「オジイサン 元気でガンバツテ」と お母さん 握手を求めてきました。手を握ったからには 期待に応えないといけないわけですが。

17日8時40分 青葉祭に参加する「五葉山火縄銃鉄砲隊」の奉納・出陣式が涅槃門前広場であります。
Uさんは 昨日ガイドを休み、岩手県住田町の鉄砲隊屯所を訪問してきたと写真を持参されました。表紙に掲載しました。

あかとんぼ もともと財力は疲れていましたが、5日間連続ガイドで気力・体力も疲れました。事務所で これでは5年後を期待できないと思ったのか 紅茶を馳走してくださいました。お陰様で無事 巣に帰り着きました。



5 月 5 日 (火)  



5連休の4日目。15分間隔(ループルバス運行間隔)で参拝者が団塊で。

「瑞鳳殿の解説親切さに感謝」と題して、「親切丁寧な解説は目からうろこでした」神奈川県74歳の男性が、地元紙朝刊の読者欄に投稿していました。4月26日(日)の出来事です。午前はあかとんぼ とUさん 午後はOさんがガイドしています。UさんとOさんの何れかです。お二人は勉強されており、人柄から滲み出る親切はピカイチな方々です。

事務所でも話題になりました。その時「アレー 4月下旬 帰り間際に寄られ あかとんぼさんの名前を尋ねられた方います。親切なガイドでよかった。今度団体をつれて来るが指名できるかと尋ねられたことがあります」と云われました。これもプラスの評価です。

仲間共々 プラスの評価頂ける事は嬉しい限りです。
一面 手抜き、不親切なガイドをすると今回同様の手段で 手厳しい非難を頂く事になります。

本日 たまたま 本殿から拝殿と逆コースでガイドの最中に、「あんたボランティアガイドでしょう。○○からのお客です。みなさん ボラガイドです」 ボラガイドは使わなくては損、自分の客は大切だと 強引な割り込みです。「只今 こちらのお客様にガイド中です。ご一緒にどうぞ」と申しあげましたが、○○からのお客は 「他国の殿様のお墓なんか」の調子で聞かない・見ないの三々五々です。これでは先約の割り込まれた方 不快な気分になったのでは懸念します。 親切なガイドに努めていますが この場合 どんな評価が下るのでしょうか。

さて 今日のふれ合い。
瑞鳳殿本殿の寶筺印塔のガイドを聞いたお嬢さん2人。涅槃門前で振り返っていましたので、出口前で全景撮影のポイントを案内しました。素直に乗って 併せて背陣羽織とのペア写真の撮影。「感仙殿もガイドしましょうか」 「ラキー」 弔魂碑、感仙殿、善應殿、妙雲廟とガイドしていて、其の反応、「戊辰の役」「秋篠宮王子の御印」「仙臺味噌」・・・・を知っています。アレッと思ったら 「東京・大学の文系学部生で、政宗公殉死者の最年少者と同年齢」と語り、「オジサン推薦の仙台の観光はどこでしょうか」 「桃山様式建造物、国宝を希望されるなら 大崎八幡宮です」 「ループルバスの経路ですか。経路内で教えて」・・・・・・・・・・・・ お腹空いた 早く牛タン食べに行こう。

オジサン幾つ 40歳 (強烈な世辞) 72歳です 元気ですネ ウチのオジイサンは座ったきりヨ。今度 連れて来て、瑞鳳殿の石段3回廻ると元気なるヨ。  ムリムリ。

葛飾の土建屋さん風の オジサン。「ジイサン 何でこんなに 釘を使っているダ」(怒りの口調)
古建築物を忠実に復元する風潮の無い時代に復元された建造物で、気も金も使わなかったようで 確かに釘が目立つます。指摘されたくない部分です。怒りの口調で云われても あかとんぼ 聞くのみです。

明日で09年の黄金週間は終わりです。どんな出合いがあるでしょうか。



5 月 4 日 (月)  



篭担ぐ人、乗る人。の言葉がありますが、乗る人の多い事。

仙台駅発 観光バス「るーぷるばす」乗れない、乗車断られた どの様な方法があるかの問い合わせの電話がありました。又、駅やホテルから歩いて来ましたと申される方もおりました。

瑞鳳殿の駐車場 通常使用しない第2駐車場も開放直後に満車の連絡がありました。
帰路、バス停は長蛇です。大町頭から片平丁まで渋滞し動きません。之では バスに乗れても 仙臺城三之丸に到着するのに数時間 要するのではと思われる渋滞です。

ここ数年来最高の人出の様です。9時から12時30分まで休息無しにガイドしました。「ガイドさんを探していたの 見つかってよかった」誠に有難いお言葉です。

ガイドを依頼されるお客様の中には 当然 熱烈な政宗公ファンがおり 勉強してきています。ガイドする前に 今語ろうとする事項を質問してくる方がいます。最近は即答しながら 本来ペースに誘導しています。

今春 仙台に就学・就職した若人の支援者一同が団体で激励に見え、瑞鳳殿にお詣りに来るケースが数あります。たとえば栃木県から祖父母・母・伯母の一行。

拝殿の扁額で 「佐々木文山76歳の時」と語ったトタン 「ハイ わたし76歳」と大声で手を上げられたご婦人がいました。誠に元気です。人生50年と云われた時代の文山76歳はどの位元気だったでしょうか。

向揚羽蝶の説明の際、歯形と答える方がいます。先手を取り「歯科衛生士さんは歯形と答えられ・・・・・」に、ワタシ歯科衛生士と答えられた方 昨日と今日とお出ででした。若い女性の花形職業で就業者が多いのでしょうか。

「ボク おたまや幼稚園の一期生です」 1900の何年の卒園でしょうか。未だ瑞鳳殿が再建されていなかったとの事に 焼失後 再建前 石段のみ残っている写真をお見せしました。暫し 感慨に耽っていました。本殿まで ゆっくり時間をかけて参拝されました。

本日は、特記すべきご質問はありませんでしたが 心触れ合う様なガイドが楽しめたと感じました。



5 月 3 日 (日)  



参拝の方々、続々と。
朝一番の方 「東京から家族で1500円で来ました。さて、此処は何でしょうか」と券売所で尋ねられたそうです。
観光パンフのトップ、仙台を代表する観光施設として紹介されていますから、「取りあえず行ってみようか」とお出でになる方から洩れるお言葉です。
1000円効果でしょうか、市内には県外ナンバー車 数多くみかけ 又 ノロノロ走っていました。

瑞鳳殿のパンフに「豪華絢爛 桃山様式の建造物」と記載されています。読まれた方「これが豪華絢爛」と派手な色使いに驚嘆されていました。

今日の話題です。
★「オジサン トーモン どこにあるノー」 オジイサンではなくオジサンと呼んだのは 若くみたのか 敬意を払ったのか。「トーモン?????」 「これよ これがトーモン」と携帯電話の写真を示されました。「唐門」でした。何処で撮影されたか、戦災で焼失する前 國寶時代の唐門の写真でした。
「カラモンは戦災で焼失し再建されていません」とのみお答えしました。

 宇和島銘菓に「唐饅頭」があります。つい「トーマントウ」と発言し 顰蹙を買いました。「トーモン」と読まれたお嬢さんも わかっていての発言でしょうから あかとんぼは お仲間が来たと内心歓迎の意を表しました。

◆陣羽織 好評です。何回か背中モデルになりました。値段を聞かれました。「生活給付金と同額程ときいています」 すかさず 聞いた若い女性から「オジサンの?それとも私の?」と返ってきました。「20,000円か12,000円か」それは守秘義務?ニッコリ笑い終。


▼「あかとんぼ さん 大変なモノ発見したのョ」とYさんが携帯電話の写真を示されました。本HPの表紙を飾っている写真と同じものです。本殿前の対の香炉、左には種火と線香がセットされていますが、右は灰のみの白地です。淋しいので昨日 香炉種火責任者の同意を得、伊達家の家紋「三っ引両」を描きました。それです。
いつ 誰が気付いてくれるか 期待していたものでした。

(財)瑞鳳殿の常務理事 偶々居合わせ 「竹に雀の家紋 描いてよ」と申されました。有難い。これで最高責任者のお墨付きが出たわけです。でも「竹に雀」は難しいです。「九曜」は挑戦してみたいと思っています。
お出での節 火種の無い香炉の中 覗いてください。


三月ロビーで「四季の瑞鳳殿」写真展が開催されました。その際一枚出展しました。Eさん、Uさん、Yさんの前で常務理事が披露し、直々に「大賞」なのか「参加賞」なのか聞き漏らしましたが、数々の記念品を頂きました。恐縮です。

Yさんが昨日、今日と 多忙の中 切れ間に本殿の背面に廻られていました。裏面の天女さんに興味を持たれたのかと思いましたら、真相は、「まむし草」を観察していたのです。毒蛇のマムシが 鎌首を持ち上げた格好の花で、色は葉と同色の緑でした。秋には赤い美をつけるそうです。忘れない限り撮影を続け発表します。乞御期待。



5 月 2 日 (土)  



快晴 青空 鶯が啼いています。なぜ 鶯が啼くのか 不明です。

黄金週間 本格的始まりです。
例年5月2日に催された仙台S高校の伊達家史蹟巡りの野外学習会、期待していましたが今年は催されませんでした。未来が開けた高校生と語る一刻は楽しい時であります。仲間も同様の気持ちらしく、「今年は ナイノヨネー」残念を語り、7人も集まりました。

高速自動車国道の1000円乗り放題の効果でしょうか。参拝者の出足は良好と見ました。
東南亜細亜を旅行した際、言い値で買わない、まず半分に値切りのが 礼儀、作法と聞いています。豚・新型インフルエンザが怖くて国内旅行に切り替えた方でしょうか。何でも値切るべきと心得たのか「ガイド20分頂けます」「イヤ10分で」 時間が半分は ガイド内容も半分になります。お客様の要望に応えますが、時間とお金をかけて遠方からお出でになり、2時間要するところ10分で済ませようとは モッタイナイなと思います。

お客さんの大きい一人声
★こんな深山に、よくも、こんなに豪華絢爛なモノを造ったものだ。
☆ここには十二支の彫刻があります。

あかとんぼ のひとり反応。
当地は、仙台駅、仙臺城祉からも車で10分。杜ではありますが、都会の真ん中ですが。
美人の飛天12人お出でになりますが。ネズミ等と一緒されては可哀想です。

大阪のご婦人から「天女さんの足 裏返しになっています。どうしてですか」のご質問。お客様から、この質問は10年にして初めてです。「よくぞ 気づきご質問頂き・・・・・・」に 「ガイドさんの説明 分かり易く 話せる雰囲気なもんで」  あかとんぼには春の叙勲なみのお言葉でした。



5 月 1 日 (金)  



豚・新型インフルエンザの影響でました。
6日の終日ガイド。ANA主催「伊達家縁の地をたずねて」 予約取り消しの連絡がありました。空港検疫が厳しくなったので、嫌気をさしたのでしょうか。国内旅行にもブレーキがかかるのか。
 明日からのガイド。参拝者の出足は如何か 心配です。





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