2009年8月の日誌
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8 月 30 日 (日)  



「新秋快適の候」手紙挨拶用語より。残暑を感じない、挨拶用語ピタリの日です。

先週の参拝の流れ 泡沫(うたかた)の夢の如く感ずる日でした。

三重県からのお嬢さん、朝一番、「一人ですけど」 「ハイ 喜んで。三重からとはお珍しいですね」「仙台に行ったら、是非 瑞鳳殿をお詣りしなさい と言われて来ました」 どなたのアドバイスが存じませんが、仙臺の歴史と文化を端的に理解する方法として、ガイド付きで瑞鳳殿を参拝されるのが最高だと思います。
前半は丁寧に、後半はヤヤ駆け足で、結果的に御子様御廟までガイトしました。

答えられなかった質問一つ。「感仙殿・善應殿の扁額は誰の書ですか」です。従前から調べてはいますが不明です。そのように答えました。(財)瑞鳳殿の再建報告書にも記載がありません。どなたかご存じの方 教えてください。

時間と体力に余裕があれば、博物館前で下車し、三の丸・博物館・中庭・政宗公胸像・清水門坂・本丸のコースは政宗公を体験できる路程ですと 話ししましたが 実行されたか。ガイド不在では心配で出来ないかも。

茨城からの高齢三御婦人。3段1段の石段を登るのに大変そうでした。膝を手術され 曲がらないのだそうです。「手摺りが無くて申し訳ありません。お願いはしていますが、仙台市文化財課が許可しないと聞いています。日光は、陽明門前の急坂の真ん中にありますのに、何故許可されないのでしょえかネー」に 「日光は世界遺産に指定されたら その筋のお達しで 外しましたヨ」との返事。日光で 許されないものは ここでも許されないのは当然 とクレームはありませんでした。日光で撤去したは初耳です。
最近、日光を参拝された方 教えてください。日光はどの様に高齢者・身障者に優しくしているか。

ガイド終わった時、水戸 徳川家の墓所の様子をチラリ。「気の合った友人同士で旅行しています。本日は楽しかった。でも、楽しかったと申して失礼でないかしら」  「殿様のお墓まいりだからと 緊張する必要は無いと思います。ヨカッタ。たのしかった で政宗公も喜ばれているでしょう」と返事。



8 月 29 日 (土)  



政宗公を知りたい。

小説を読みたい。どんなものがあるか のお尋ねを頂きました。

政宗公を扱った小説は 数あります。小説として 楽しまれるのであれば、山岡荘八著 「伊達政宗」が一番と思います。長編ですので、読み切れるかの心配はあります。
ほかに、海音寺潮五郎、三好京三 等の有名な方々のほか 多数の方が 書かれています。

小説は、創作です。真実・記録ではありません。事実を基に脚色されています。作者の意図するものが加えられ、表現されています。読まれる際 それを念頭に置かれればと思います。

政宗公を正しく知りたいのであれば、次の図書を推薦します。
「伊達政宗」 小林清治著 吉川弘文館 刊行 日本歴史学会編集 人物叢書
初版は、1959.7.ですが 新装版が再版されていますので 書店で容易に購入出来ると思います。

小林清治氏は、学者で 政宗公に関する研究の第一任者で 数々の論文を発表されています。

政宗公の治政等では、河北新報社刊行 「仙台藩ものがたり」は読みやすいです。直販しています。

以上のとおり 返事しました。
ほかに 推薦図書ありましたら 教えてください。



8 月 28 日 (金)  



政宗公 天下を取る。

関ケ原から400年、ついに政宗が天下をとった。
なんで どの様に天下をとったのか。

東京・代官山で、戦国武将グッズの売上一番人気が政宗公。政宗公グッズであればなんでもよく売れている。「伊達男と云われるように、政宗はおしゃれで。、当時も華なり突出した存在だった。イスパニアなどに使節団を派遣する先見性や、領民からも愛された人間性が支持されているでしょうか」です。

以上は、週刊新潮の記事の要旨です。東京を制したことは 日本を制したこと。

瑞鳳殿でも 参拝する前に 売店を目指す方 それなりにいます。7月には その方とお友達になり、いかなる品に注目したか教えて貰いました。若い人々は着想が異なり 面白い なるほどと 思います。
東京を制した人々 次ぎに目指すは 本拠地 仙臺・瑞鳳殿では ないでしょうか。涅槃門前広場で、之までのグッズに博物館の五色水玉模様の風呂敷、フォルダーに、ある所の訳ありティシャツ等を用意し、賑々しく展示・販売すれば 喜ばれるのでは? あかとんぼ 若くて・資金があれば 挑戦したでしょう。



8 月 24 日 (月)  



ガイド仲間の現地勉強会。何故か、是まで現地勉強会は必ずと云うくらいの確立で雨等の悪天候でした。が、今日は厳しくない残暑と云った恵まれた天候でした。参加者一同 不思議と呟いていました。

現地勉強会。講師はEさん。コースは仙臺城口・大橋・広瀬川河床旧橋脚・キリシタン殉教碑・広瀬川石組護岸・銭形不動尊・評定川原・片平丁重臣屋敷跡石垣・牢跡・源兵衛淵・セコイヤ類化石林・瑞鳳殿裏林・泰山府君碑・鹿落坂(東街道)・鹿落観音・三十三間堂跡・向山断層・矢込の瀬・縛地蔵まで。

瑞鳳殿裏林のよく観察できる地点で、突然 あかとんぼ さんと ふられましたので 22日日誌記載の11代斎義公の功績と泰山府君碑、鹿落坂(東街道)の変遷を語りました。

本日は、伊達家時代にポイントを置いていましたので、当然として 断崖に生息する鳥類については語られませんでした。

とある所の訳ありのティシャツ。Uさんと二人、着用披露しました。好評でした。SさんとOさんは 赤(小豆色)を所持しているそうですが披露はありませんでした。黒と赤 対照的を 披露出来ず残念でした。



8 月 23 日 (日)  



久々に夏が戻りました。失礼な表現かも知れませんが、参拝者 雲霞の如く です。
第一駐車場 入場待ち 第二駐車場に初めから駐車の車も数あります。

朝一番の若夫婦。「ワー 時代にソグワナイ 派手な建物」 と大声の会話。 「アノー 1636年創建の桃山様式の御霊屋で・・・・・・」あかとんぼ の叫びは 耳に入らないか 無視し 通過して行きました。

ナンで、桃山様式の建造物は時代にソグワナイのか。「ソグワナイ」なる難しい日本語知っている位なら 年寄りのガイドを聞く 耳をもてヨ と高齢者のボラガイドは呟いていました。

津軽から連続 参拝に見えました。津軽家の祖 津軽為信公の御霊屋は、岩木川の対岸 革秀寺に極彩色の美しい彩りであります。連続2組とも 参拝していますとのこと。あかとんぼ が参拝している位だから 地元の人なら当然とは 云えません。参拝されていること奇遇に感じます。瑞兆と感じ、通常は解説しない「涅槃門の柱は青森檜葉です」と語りました。

反応はイマイチです。最近は地元でもなかなか入手出来ない 高価建築材です故 知らないのか。

仙臺城を得意とするボラガイド会のK代表から、「小学六年生 政宗公に夢中で 夏休みの宿題が政宗公。瑞鳳殿をガイドして欲しい」と特命を頂きました。K代表は昨日は仙臺城、今日午前は大崎八幡宮を案内されています。瑞鳳殿は90分-100分程で。手持資料を活用し 言葉も配慮したつもりで、ガイドしました。ご両親が熱心ですから 宿題は5〜6枚は書けるでしょう。K代表は、「仙台・宮城伊達な旅キャンペーン」の街なかガイドの隊長です。それ故のご配慮でしょう。特命は。

今日のお尋ね
1.Q 足の不自由な高齢者がいます。長い石段を登らせない方法ありませんか。
  A 職員駐車場を利用すれば 石段が殆どありません。この山麓伝いです。事務所に電話すればOKです。

2.Q 松島までの所用時間は?この突き当たり 右か左か?カーナビ付いている。
  A 1時間くらいです。右でも左でも 松島に行けますが、平場行くか 上(自動車道)行くか です。カーナビに尋ねられたら。

以上 参道・駐車場で。

3.Q 本殿の扉 開かれるのは何時ですか。仙台市内に住まいしています。
A 1月2日年賀拝礼式 5月24日ご命日法要の際 開扉され 殿に直々 拝謁出来ます。9時30分頃までどうぞ。

4.Q 石母田です。先祖が奉納した石灯籠は何処にありますか。簡単に読めますか。
A 家格は一家、石母田大膳亮宗頼でしょうか。瑞鳳殿涅槃門からの石段の右側一番上です。読めるかは確認しないと返事出来ませんが、通常は清掃し ある工夫をしないと読めません。
  出直しされるのであれば、事前にお知らせ頂ければ 読むお手伝い致しましょう。



8 月 22 日 (土)  



仙臺藩志會「伊達学起こし塾」に参加しました。
講師は 伊達家系図の一人者土生慶子先生。演題は「11代斎義公から12代齊邦公の時代から」
11代斎義公夫妻の墓碑が経ケ峯・妙雲廟界にあります。何故あるかを解説されました。

文政年間(1818年代)廣瀬川屡々出水氾濫、瑞鳳殿の裏林河岸浸食崩壊に瀕したので、斎義公が堅固な護岸を築かせた。そして「我死後もも祖廟を護らん」と遺言したので、妙雲廟界に祀られた。
そして、鎮護の為 「泰(太)山府君」碑を建立された。

其の位置については、あかとんぼ さんが詳しく、また、写真撮影されたましたと写真を回覧し紹介されました。わざわざ 紹介される心配り 感謝し見習うべき事と反省しました。隣席の方等から位置を確認されました。バスで通過していました。今度歩いて確認しますの返答。

あかとんぼ は09年07月14日仙臺藩志會加入が承認され、会員限定の行事のご案内を頂くようになりました。 
8月13日第46回「岩出山政宗公まつり」
11月2日「松島の政宗公遺跡と芭蕉翁も見た名月観賞紀行」
何れも 参加申込致しました。特に、松島は ガイド仲間の勉強会で 瑞厳寺の庫裏の見学と愛姫の陽徳院・寶華殿の参拝が計画されています。あかとんぼ が誘導役であり 如何に案内するか頭痛です。仙臺藩志會行事と順番が逆で在れば思いつつ、愛姫の陽徳院・寶華殿、娘五郎八姫の天麟院・定照殿、孫光宗の円通院・三慧殿の3世代3廟参拝も行程にあります。楽しみです。 



8 月 19 日 (水)  



仙台市博物館に菅野正道さんを訪ね 「作並温泉碑」碑文の読み方について ご教示を頂いきました。
市史編纂室主査の重職にあり 多忙の中  巷の無知文盲の爺様の厚顔無恥な願いを聞き届け 懇切に長時間にわたり ご教示をして頂きました。ありがとうございました。お陰様で、五里霧中 長い隧道の先 一筋の光を見出しました。

菅野さんは 仙台市史 近世3 「城下近郊の温泉」の項を執筆されており、あかとんぼ の碑文と「宮城町誌 1969年刊行」からの挑戦は面白い?と洩らされました。励ましと受け 当初の目的 碑文の精読に努めます。

「歴史の窓」記載の仙台土産の話から 瑞鳳殿でのガイドの際 五色水玉模様の陣羽織が 絶大の人気があり、「欲しい。」と云われますに、 「山形模様(下部が深紅で山形、上部が真黒地に黄金色の立線)が重要文化財です。五色水玉模様は」の返事。
なるほど 仙台市博物館展示目録、総合案内の両書に五色水玉模様の陣羽織の記載は在りません。不知でした。何故、重要文化財の山形模様陣羽織が広く知られ 活用されないのか。重要文化財故にレプリカの作成が規制されているのかな。

忠臣蔵の悲劇は、指導役の吉良様に伊予吉田30,000石の伊達村豊公はキッチリと指導料を納めたが、一方はケチったのが起因とも云われています。
今回、それ相当の指導料をと 思いましたが 「黄白」の貯えが無く、爺様の独り勝手で 「碑文」写真2枚(A3大)で勘弁して貰いました。 

博物館は、館内改修工事のため8月31日から10年4月19日迄休館になります。この工事に関連してか、博物館で刊行した 報告書等の廉価販売をしていました。

1.仙台城館および周辺建築復元考 仙台市博物館調査研究報告第6号  300円
2.堤人形の美 限定出版 500部中243番  1,000円
3.市史せんだいVOL10  500円
4.市史せんだいVOL12  500円
を求めました。
1.仙台城館は、140年前 仙臺城が健在であった当時の姿を思い浮かべ、ガイド資料としても 最高のものです。
2.堤人形は、カラー印刷で、装幀もガッチリしたものです。再版が考えられなく 只同然の価格です。 
3.市史せんだは、欲しい乍ら入手出来ずにいたものが 半値であり Wに嬉しいです。

仙台市史近代2の廉価販売は 当然ありませんでした。



8 月 18 日 (火)  



御朱印

時々 「ここ(瑞鳳殿)では御朱印ないのか」と 問われる事があります。
「ここは 伊達政宗公の墓所です。ありません。どうしても であれば 登り口の瑞鳳寺にご相談されたら」と返事しています。

そもそも、御朱印とは、金龍山 浅草寺の解説に依れば

この頃、神社仏閣に参拝され「ご朱印」を受ける方が大変多くなっております。これを「ご納経」とも言いますが、これは本来、お経を自分 で書写して「お納め」することに始まっているものです。ですから、昔は納経帳の右肩の所に「奉納大乗経典」と書かれておりました。現在は「奉拝」という文字となっています。

いつの頃か、この風習が簡略化されて、お経を納めなくとも参詣の証しとして「ご判」を頂くことになって今日に及んでおります。そして各霊場を巡拝する「巡礼」信仰と結びついて盛んになりました。それは観音三十三札所あるいは四国八十八ヶ所を巡礼し、その全部の霊場から「ご判」を頂くと、その功徳によって地獄には堕ちないばかりか、所願も成就するという古来の信仰に基づいておるものです。

このような視点から申しますと、お経を書写せず、なかにはお堂に入ってお参りもせず、只ご朱印だけを集めて歩くということでは、本来の尊い意義を無視してしまうことになるのです。全く残念なことであります。ですから少なくとも「般若心経」一巻ぐらいは写経なさるかご宝前で読誦なさるかして、それから「ご朱印」をお受けになるように願いたいものです。

以上から、只ご朱印だけを集めて歩くということは、本来の尊い意義を無視してしまうこと、スタンプラリーでは無いのです。でも、現実は 朱色のハンコ集めです。

(財)瑞鳳殿では 要望に負けたか 「御朱印」 ならぬ 「御集印」を販売しています。
葉書代の仙臺和紙ならぬ白石和紙に 政宗公の辞世の和歌「曇りなき心の月を 先たてて 浮き世のやみをてらしてぞ行く」が墨書風で、笹竹と雀1羽と瑞鳳殿の文字が朱色です。

惜しむらくは、瑞鳳殿の文字が 左から右に書かれています。扁額を初めとする日本古来の文書 横書きは 右から左に書いています。扁額を殿鳳瑞と読む 世代が居りますから 誤りと言い切れないでしょうが あかとんぼ には 違和感があります。

                              



8 月 16 日 (日)  



御盆の16日です。佛様が末裔の家仏壇から極楽に帰る日です。仏様を送った人々が団塊状態で、政宗公にお詣り見えていました。仏蘭西からも。

小学5年生を中心とする従兄弟同士 4集団を涅槃門からガイドしました。退屈しないように 興味を持って貰うように 参加型に努めてガイドしました。小学2年生の感想 「面白かった 分かったような感じするが?」でした。
夏休みの宿題 絵日記書けるでしょうか。

「年老いると子供に帰る」と聞いています。あかとんぼ の周囲は学童で、その周辺に保護者。この体系で学童と話している最中に割り込んできた高齢ご婦人が居ました。子供に帰ったのか 孫の年代と競う必要はないと思いますが。

20代欧米系のお嬢さんと年齢不詳の日本のお母さん 「ガイドお願いします」「ハイ 英語出来ませんが」 「コチラ仏蘭西です」 英語出来ない人がどうしてフランス語が出来ようか こまったな  「ニホンゴ わかります」と日本語での返事。 NHK的日本語と 発音に個性のある あかとんぼ との 対決? 
最後 良く わかりました 楽しかったです。  ホツ。

陣羽織 裏表で記念撮影。此処で侍の衣装から、同行の若い男性 相馬野馬追いの侍大将の 御使番 と言う 位の高い重要な役を務めていますとなり、野馬追いに参加している侍の鎧兜の武具を初め衣装・道具は 全て本物。草鞋の果て迄 素材から 本物志向。足袋も白や黒ではなく 柄もの 柄は多種とか 仙臺では買えなく江戸迄 買いに行く・・・・・・・ ここで 九曜紋 相馬家 ・・・・・と話しは続きます。
この話しになったら 仏蘭西のお嬢さんは 日陰に後退。


表示板の政宗公像を見ながら 「支倉焼は美味しいよ」 この人?と指しています。一見歴女3人。
者ども このお方をなんと心得る 天下の伊達黄門さまであるぞ 頭がタカイー と云いたい所 「伊達政宗公です。支倉焼きの支倉は家来です」
「伊達家は滅亡したでしょう」 「いや 34世18代御当主健在で活躍されています」 「住所は 年齢は」 「結婚され子供がいます それ以上の個人情報は不知です」
結婚対象年齢であれば 追っかけそうな勢い。ガイドはいらないと断られました。

政宗公は 1626(寛永3)年8月権中納言に任じられ従三位に叙して居ます。所謂 黄門さま になられています。

YさんNKさんOさんと一緒になりました。NKさんもマゴタイフウ襲来で・・・・・と楽しそうに語られました。
あかとんぼ のマゴタイフウは南東に去りました。被害調査?記録を含めた後始末が一仕事。夏祭りと御盆の年間最大の行事が終わりました。また 静寂な生活に ガイド一筋に戻る・・・・・・ 



8 月 14 日 (金)  



あかとんぼ は現在 マゴタイフウの襲来で翻弄されています。
さて、孫が仙台を去る際のお土産は 何を求めるでしょうか。12日 仙台の名産品の項の続編です。

地元紙は「牛タン、ササカマ、○の月・・・仙台土産数ある中から、銘品選びのお手伝い」として、数点をお薦めしています。菓子が2点
 「支倉ロール」 東日本鉄道(株)仙台駅2階売店のみ販売消費期限当日限・あかとんぼ 未試食
今一点が「喜久服」 漉し餡と抹茶クリームを餅で包んだ大福。スッキリした甘みは上品で、あかとんぼ その通りと思う。

雑貨が一点。政宗公陣羽織風 五色水玉模様の「風呂敷」です。@2,000.です。菓子ではないが あかとんぼ も推薦したいです。
ガイド着用のの陣羽織風は 参拝者に好評で、欲しいと希望される方多数ですが非売品です。この風呂敷なら デザインに優れ、エコにもナリ、実用性に優れ 最高の土産品と思います。
仙台市博物館の限定販売だそうで、瑞鳳殿でも 販売すれば宜しいのに。

瑞鳳殿の売店のグッズ 意外性 驚く品があります。参拝の節 眺めてください。それから ガイドを依頼してください。



8 月 12 日 (水)  



水曜日 博物館の菅野さんの「せんだい歴史の窓」の日です。今日は名産物が話題です。

仙台からの土産は何が宜しいか、ガイドの際 尋ねられる事があり回答に困ります。年代に依って好みがことなります、仙台を代表しているの気持ちもあります故に。尤も、尋ねた方は 気軽に全くの参考でしょうから それなりに答えれば良いのかな。


さて、話題は生菓子に対する支出額は、平成17年の統計では全国平均10,500円 仙台市は11,500円で15,000円を超している 金澤市は遠く及ばないとあります。

昭和初期 菓子生産業が基幹産業と云うべき地位にあって、当時 代表的菓子として「九重」「政岡豆」などであった。
仙臺における銘菓と云われる菓子の本格生産は1663(寛文3)年から菓子ご用になった大町一丁目明石屋が 4代綱村の斡旋で製法を導入した。一方 官に対する民の立場で 南町玉屋が自力で製法を取得した。この菓子が江戸で評判の味の「塩瀬饅頭」であった。共に伊達家御用達なったが、玉屋は明治初め、明石屋は仙台空襲で、幕を閉じた。

以上 菅野さんの記事で、ガイドの際 お土産 菓子を問われた時の答え方 一工夫必要と感じました。

ここまで書いたら Eさんから 仙台を代表するモナカの創業は1931年から32年ですとメールを頂きました。

1955年仙台入りした あかとんぼ 当時は「○松最中」が全盛でした。「九重」「政岡豆」の名は聞きましたが贈物には使った記憶はありません。当然「塩瀬饅頭」も食した記憶ありません。

一昔前までは モナカでした。仙台は城下町で茶道が盛んだから お茶屋と和菓子屋が 金澤市に次いで多いと聞き、その様にガイドした事もあります。
3月 宇和島市に短期移住した際のお土産は「○松最中」を贈りました。宇和島城下を探索した際 和菓子屋さんは見かけませんでした。柑橘類と養殖鯛にジャコ天関連が至る所にあり、最中は珍しかったのか 大変美味しいと喜ばれました。

菓子に限定し見ていますが、一時「○の月」が騒がれ 最近は「ズンダ餅」が 若い人に人気の様です。
仙台での「塩瀬饅頭」の製造は終わりましたが 江戸・本家の流れでしょうか、塩瀬総本家がHPで検索されました。試食しなくては。



8 月 11 日 (火)  



綱宗公甕棺

昨日の宿題に 博物館の菅野さんから 下記にご教示をいただきました。正確を期したくそのまま転載します。お許しください

すでに報告書で確認されているかもしれませんが、善応殿の甕棺は常滑焼です。
常滑の大甕は、近世の江戸などではよく甕棺としても使われているようです。
仙台近辺では、戦国時代以前の遺跡からは常滑の大甕は普通に出ますが、江戸時代はそんなに多くはないように思います。

堤焼の甕棺は、確実な調査事例としては、青葉区北根の新妻家墓地の明和7年(1770)の墓で用いられたものが最も古いはずです(仙台市文化財調査報告書第94集、『仙台市史 特別編 考古資料』)。
堤焼の甕(あるいは鉢)というと、全体に黒いうわぐすりがかかり、上の方白いうわぐすりがたれる、いわゆる「なまこ釉」のものが一般的には知られていますが、こうしたものが江戸時代にさかのぼる確実な発掘調査事例はまだないようです。新妻家墓地から見つかった甕棺も素焼きのものです。
どうも堤焼でなまこ釉がさかんに用いられるのは明治以降のようです。

近年では江戸時代の遺跡の調査事例も増え、陶磁器の流通も随分とわかるようになってきました。
堤焼が出土するようになるのは江戸時代後期(だいたい1800年代)以降で、素焼きのほうろく、人形、鉄釉のかかったすり鉢や皿などが主体となっています。
ただ、堤焼のシェアはそれほど大きいものではなく、むしろ相馬焼や伊万里焼の方が出土量は多いようです。

ありがとうございました。
仙台市文化財調査報告書第94集、『仙台市史 特別編 考古資料』は手元にありませんので 図書館に駆けつけます。


報告書 \まとめ 伊東信夫著 244頁に「これが正徳元年(1711)に埋葬された3代綱宗の時代になると一変する。綱宗の遺体は常滑焼の甕棺の中にカキ灰に詰められて発見された。おそらく遺体は甕棺に入れたものを木箱に入れて江戸から担いで北面ので、仙台藩主で甕棺を使用したのは綱宗が初めてで、甕棺の使用が湯治の江戸における新しい葬法になっており、仙台藩でも取入れたものと思われる」と記載されています。

上記を読んだ上にガイドしていた筈なのに 昨日 パッと頭が回転しなかったのは 加齢で片づけるは簡単ですが悔しい思いです。

確か 徳川将軍家でも 甕棺を使用した例があったと記憶が蘇り 確認しました。12代家慶の側室 見光院 の甕棺の写真を再発見しました。
芝増上寺の徳川将軍家の墓所改葬の際の記録 「骨は語る徳川将軍・大名家の人々」鈴木尚著141頁です。

本書には伊達家三代にもついても「政宗は中世庶民的形質を多分に残していたのに対し、2代忠宗、3代綱宗と後代になるほど、急速に貴族化が進み、綱宗にあっては後期将軍とあまり違わない形質をもっていた。・・・・」記述しています。この部分は 資料館内でガイドする際には 語っています。

菅野さん お忙しい中 早々のご教示に感謝致します。



8 月 10 日 (月)  



終日 土砂降りの雨です。

昼からのガイド依頼がありましたので、午前はガイドしようと 「おにぎり」を作って貰い 巣を出ましたが 大雨の月曜日です。車が多く かつ ノロノロ走行 接触事故を起こしている車もあり 城下は大渋滞。日曜日の3倍余の時間を要し 瑞鳳殿は日曜日以上の参拝者がお出でになって居ながら ガイドする時間余裕は無い。誠に残念。

ガイド依頼者との待ち合わせ場所は仙臺城本丸祉。観光バスのループルバスで移動です。臨時便が来ました。降りる人 乗る人 何れも同数で 車内は満員。本丸前バス停迄 ノーストップ。

瑞鳳殿前、博物館前(本日休館日)、仙台城本丸前でも 下車しない人、景観を車窓から眺めないで読書している人いました。この人達の乗車目的は何なのか 思い浮かばない。何でしょう。

待合せの約束場所は、食堂の前です。待機しながら目の前を通る人々をウオッチグしました。
ここの食堂街は、城下と本丸の高度差が そのまま 価格に比例している様に感じます。

高齢の足腰不自由な婆様を連れた一団、婆様と共に 店を決めかね 右往左往し、結果的に昼食抜きと宣言し移動していきました。盛年夫婦よ 高齢者のハンデを考え 配慮ある行動をしてヨ。

3世代7人。盛年男子 「スキヤキ」と叫んでいます。老爺 「ウン スキヤキ」と喜んでいます。 ここですき焼きの昼食とは 豪儀だな 金満一家?と思ったトタン。盛年男子 また叫びました「クシヤキ 自分で」 老爺は軽い難聴か「ウン スキヤキ」と喜びの返事。 「スキヤキでなく クシヤキ 牛タンのクシヤキ 自分で買いナ」
盛年女子が串焼きと鯛焼きを 夫婦に子供の数分を購入し 別テーブルで食べ始めました。

老爺 落胆の様子アリアリ。 老婆を鯛焼きの 自分は串焼きの 各コーナーに。「これは 塩辛い・・・ブツブツ」と云いながら 頬をふくらませ食べていました。老爺 その心中の無念サ を理解できます。

あかとんぼ は高齢者です。故に 高齢者に無情といえる行動をみると 他人事ながら憤懣 そのものです。

若い年齢のペアは ホットドックに コヒー グラスビールでスマートに露天卓子で食事しています。

依頼者一行 予定時刻を大幅に遅れて到着。「これから昼食で、出発は 遅れます。そのまま待機していてください」の電話。 半分の人数しか 食堂から出て来ません。「60分に移動時間を含み 仙台城址と瑞鳳殿を丁寧にガイドして」 丁寧に云われれば 瑞鳳殿地区は150分 仙臺城址120分は 移動を含めれば280分は欲しいのに。「ハイ」と素直に返事。 牛タン定食とかで アルコール類を飲み始めた人々がいるらしく 席を立たないと 幹事はイライラしています。

席を立った人々のみ、本丸の政宗公騎馬像、昭忠碑、晩翠碑(グックタイミング 荒城の月の局が流れました)等を案内。
瑞鳳殿 を主体に「通常 全体で2時余必要とします。本日歩行時間コミで40分です幹事からの指示です」とお断りの上 ご案内しました。

「天女さんの足が 裏表なっている。何故か、何を意味するかの」 ご質問がありました。実に意表をついた質問です。時間オバー構わないから丁寧に説明してくれの要望。紀元前4世紀から説明しました。

幹事 当初「14時出発厳守」の指示でした。「資料館を説明してくれ」 「宜しいですが メガホンは使えません。時間超過します 宜しいですか」 「宜しい 頼む」 

資料館でまた意表をついた質問です。「綱宗公の甕棺の産地は何処か」  江戸で亡くなられていますから 江戸で調達したと推定出来ますが、産地まで調べていませんでしたので 「わかりません」と回答。質問者は 「堤焼き」の答えを期待したらしい口ぶり。

綱村が亡くなった1719年当時、甕棺が一般的に使用されたものか、その産地は何処か。仙臺堤焼の歴史、甕棺も焼いたか、これは宿題です。

この一行の大部分の人々は、真剣で真面目な人々でした。晴天に 時間に余裕をもって 再訪されるよう 最後に話しました。

2本の腕に、傘とファイルとメガホンを持ってのガイドは 千手観音の孫の如くの奮戦で 雨と汗で全身濡れ ビショビショになりましたが 終わっての感想は 悟りの3歩手前 の感じでした。



8 月 9 日 (日)  



雨です。梅雨明けしないまま立秋になりました。

仙臺七夕は昨日で終わりました。本日 仙台入りした人々は アノ豪華絢爛な日本一の仙臺七夕をご覧になっていません。幸いにも、瑞鳳殿の拝殿に飾られた「仙臺七夕原型」は 依然として展示中です。見逃した方々に、これで仙臺和紙が基本で (財)瑞鳳殿の職員の手作りですと説明しました。

北関東圏の三姉妹 私の町はビニールです。和紙は素晴らしい。挑戦したす。何処で買えますかのご質問。散策途中の○○店等で買えますと 仲間のOさんが詳しく 説明してくれました。キット挑戦するでしょう。

(財)瑞鳳殿の方々に、此の話をしたら、「今年の七夕の後かたづけ終われば、来年の企画・製作に入ります。作業の追い込みは2月前でしょう。ボラガイドの皆様と一緒に作業出来れば」と温かい反応がありました。

本日は 特記すべき御質問はありませんでした。

歴史の素養のある自称30歳の別姓のペア。本殿の塗替から栗鼠の生息に至った途端 ユックリと栗鼠が散歩しています。「アレ 何?」 「アッ あれが栗鼠です」 誠 絶妙のタイミング。「栗鼠を見られる方 極めて少ないです。此の後なんか幸運が訪れるでしょう」 に歓喜されていました。本当 幸運が訪れて頂きたいです。

本日は所用の為 午後からのガイドでした。雨ですが沢山の参拝客です。流石15時30分 帰宅される時間?でしょうか。途絶えましたの終了です。

事務所で「瑞鳳殿の皆様へ お礼のメールです」標題のメールコピーを見せて頂き乍ら お茶とお菓子を馳走になりました。一見し 驚きです。7月19日ガイドした お嬢さんからのメールです。

ガイドしていて自省させら、当日の日誌に記載した方々です。
関係部分を転載します。

先日(7月19日の朝)、2姉妹でそちらに伺いました。
その時にボランティアガイドの方(はっぴを着た方でした)に とても親切にしていただき、とても気持ちよく参拝出来ました。
「私の家の家紋が九曜紋だから、売店でそのストラップを購入しました」と言ったら それになぞらえて丁寧に説明していただき、とても感謝しております。
お名前を聞くのを忘れてしまったのですが、もし、どちらさまか分かりましたら、お礼を伝えていただきたいのです。

以下 当日 お聞きした 熱烈な瑞鳳殿フアンで 2週連続参拝しました。再訪したいともありました。再訪された その節は あかとんぼ からもお礼申しあげたいです。



8 月 6 日 (木)  



仙台七夕 初日。まず瑞鳳殿を参拝し それから城下町々の七夕飾を見物しようと予定された方々が、9時前から続々 怒濤の如く 見えました。

長野からの熟女6人。ボラガイドが居る。使わないと損だの表情ありあり。「ガイドして」 「ハイ 20分いただけます?」 「そんな 10分で」 「ハイ」 東南亜細亜の夜市の如く 値切れば良いものではありません。時間半分は もなかのアンコを抜いた状態でのガイドとなります。せめて人並みの速度歩いて頂ければ本殿前で5分は話出来ますが・・・。 ご要望の通り10分間でガイドしました。資料館に入ったトタンでてきました。

1000円効果の一団でしょか。時間内に走れる限り走りましょうでしょうか。折角です もう少々時間に余裕を持って桃山様式の美を楽しまれたら如何でしょうか。

表示板で政宗公肖像を若いお嬢さんが読んでいます。本殿に急ぐ人が多い中、なかなか御奇特です。ツイ解説しました。そのまま瑞鳳殿、感仙殿、善應殿に妙雲廟界まで ガイドしました。東京・大学・國文学学部の学生さんでした。井原西鶴の話をしたなら 更に盛り上がったでしょうが 史学部ではなく吾妻鏡の世界は? でチョン。

昨日の前日祭。沢山のお客様から好評であったそうです。紙芝居を半日楽しまれた方。日本舞踊にウットリされた方も居たそうです。

今晩から 七夕ナイトです。(表紙のポスターご覧ください) 境内至る所 照明等の準備がされています。蝋燭照明で浮き上がる桃山様式の絢爛の彩りは まさに極楽を思い起こさせると想像します。

K局長 「あかとんぼ さん 是非 今晩お出でください」 誠に有難いお言葉 「実は 夜間外出は・・」 ここで合いの手が入りました 「持参され ここで楽しまれたら」と 盃を傾ける 仕草をされたS主任。世情の機微に通じた方々です。

W学芸員。朝一番 「あかとんぼ さん 今日は暑い様です。元気つけて」と 仙台宮城DCのマスコット オニギリ君に似たクッキーを一袋差し出しました。有難い。早速頂きました。効果覿面 元気に午前 ガイド出来ました。Uさん 午後もガイドすると申します。幾ら残っているか定かではありませんが 袋のまま 上げました。キット 日没まで 元気にガイドされたと思います。

伊達家の代々は教養として様々な文学芸能を嗜みました。和歌もそうです。政宗公、忠宗公、綱宗公、綱村公、吉村公の秀歌を「伊達家藩主の七夕歌」と題し 栞を瑞鳳殿で希望者に配布しています。是非 お出かけください。

政宗公 まれにあふこよひはいかに七夕のそらさへはるるあまの川かせ


過去 仙台七夕期間中ガイドをしていましたが、今年の中日・終日は 所用のためガイドを休みます。E代表は お客様は頼りにしてくるから自己都合で休むなと常に訓辞をされます。でも、○○と○○には勝てません。悪しからず。



8 月 2 日 (日)  



名古屋から連続、東京、横浜から。新潟からの方、一族郎党 車で。「1000円効果ですー」と自称していました。環境・エネルギー対策の面から疑問がありますが、参拝者が増加、比例し、政宗公フアンが増える事はありがたいことです。9時-12時45分お客様の流れ 切れ間ありません。Yさん 疲れたと言いつつ 「ここで断れば仙台の名折れ 女が廃る」と言いたげながらガイド依頼に「ハイ ご案内します」。ボラガイドの鑑です。

東京からのお母さん、「中一の息子と小四の娘の 夏休みの宿題 紀行文書かなくてはならないです。宜しく ご協力ください」と申されますには、張り切りました。子供はメモを取りません。母親が夢中に聴いて居ます。紀行文は母親がゴーストライターになるのでは。

小四の娘 どれだけ理解してくれたかは疑問ですが、聴く態度は極めて良好 チャラチャラしないで 落ち着いて居ます。あかとんぼのマゴトンボと同学年です。マゴトンボを今度連れてきて聴かせなくては。


「瑞鳳殿七夕前日祭」の内容が発表になりました。

8月5日(水) 経ケ峯西広場特設ステージ
10時-10時20分 七夕奉納 片平児童館
13時30分-14時 フラダンス ハワイアンフラ教室フイ・レファ
14時-14年10分 「千年の舞」「風の盆恋歌」熊坂信子
14時15分-14時20分 「祝賀の舞」安達テツノ
14時25分-14時30分 「祝華」菅原修子

8月5日(水) 涅槃門前広場
13時30分-15時 紙芝居「政宗公現る」他 仙台の昔を伝える紙芝居 庄子真由美

是非 皆様 お出でください。





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