2009年9月の日誌
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9 月 28 日 (月)  



ガイドグループの勉強会です。03年以来、6年振りの松島・瑞巌寺です。

松島は、参加の皆様は、年に一回は訪れている所で、今更、解説は不要と云われ兼ねない観光名所です。新聞に予告の掲載も無かった事と併せ、参加は少数と予測した所、意外にも30余人の多数の参加を頂き恐縮しました。

第一部が10時10分から12時40分迄、第2部が13時15分から14時25分迄。

仙石線松島海岸駅から一筆書きで、観光客をガイドする発想です。団体バスは五大堂が起点となりますから、コース設定は目新しいの感じです。
個所を列記します。
1.定照殿。政宗公娘 五郎八姫 御霊屋。 
2.三聖堂。聖観音菩薩、達磨大師、菅原道真の三聖人を祀る。
3.軒端の梅。
4.比翼塚。
5.三慧殿。政宗公孫 光宗 御霊屋。
6.大悲亭。
7.本尊観世音菩薩。
8.水主屋敷。
9.李登輝夫妻句碑。
10.延命地蔵。
11.瑞巌寺庫裡。歴代殿様、正室の御位牌。大書院(御本尊、大位牌、開山木像、襖絵)。
12.箴札(シンサツ)。
13.寶華殿。政宗公正室 愛姫 御霊屋。
14.寶物館 青龍殿。 政宗公椅像、正室愛姫像、娘五郎八姫像。
15.おくのほそ道資料館。
以上が第一部。

このコースて、資料に掲示していながら、紹介できなかったのは、慈覺大師由来の「独古水」の泉。参拝者コース外であり、且つ警備員が不知のため。それと、1200年に北条政子が寄進した水晶佛舎利塔です。貴重な寺寶で公開していなかったためです。些か残念です。

寶華殿は閉扉しています。6年前は特別に公開して頂きましたが、今回 人縁が無くお願い出来ませんでした。9月1日に撮影した写真で理解して頂きました。内部格天井の極彩色花 の写真、A4版での出力を瑞鳳殿で常にガイドしている仲間から依頼されました。
寶華殿左後に位置する石塔は誰か。寶華殿上部の獅子頭に見えるが正確には何か。他の動物に見えるものは何か。壁面の塗料は何か。等のご質問がありました。「ご一緒に調べましょう」と返事しました。

第2部は、雨模様の気配と歩き通しに疲れたか10余人です。個所として
1.五大堂。
2.観瀾亭。
3.松島町立博物館。

少数となり、又、それなりの一言居士の集団になりましたので、パネルデスカション・スイタイルで見学しました。
JR大人の休日・倶楽部会報9月号は 松島・仙台の特集号で、頁を開いて観瀾亭のお座敷 写真と実物を比較したら、写真が遙かに綺麗です。一同爆笑。全員が会員でありました。

伊達家は、1945年頃、私には財寶と思われる物 多数を松島町に寄贈しています。例えば、瑞鳳殿落成30年後、大修理の際に唐鋳物師高田六兵作衛の水盤を柴田外記朝意が寄進しています。瑞鳳殿が復元されましたが、戻らず博物館で展示されています。又、享保20(1735)年6代宗村公と婚姻された徳川氏温子(利根姫)が輿入れの際葵の紋入り長持246棹の内 1棹が展示されています。拝殿の佐々木文山書扁額の説明の絶好の資料です。このほか狩野左京の「鳳凰図」等の数々ら財寶の発見に歓喜の声がありました。 

雄島についての資料も作ってありましたが、博物館での新発見に疲れたか、次回の楽しみ と散会に決定。
童謡「どんぐりころころ」の歌碑を横目に帰途に着きました。お疲れさまでした。

今回、講師の指名があり、配布資料の作成に万巻?の書を参考にしましたが、諸説あるには惑わされました。転換誤り個所(訂正済)以外は 自信があります。勉強になりました。 



9 月 27 日 (日)  



本日のガイドは2組のみ。参拝者数では23人

御霊屋橋をジャンボタクシー3台が先行しています。突き当たりT字路でジャンボは右に、あかとんぼ は左にそれぞれ曲がりました。どちらが先に着くか。先行されればガイドする機会を失います。間に合った。陣羽織を着用した所で、足どり重く62段を登って来ました。運転手さんからガイド依頼。時間はたっぷりあるからユックリとガイドしてくれの注文。
市内ホテルに宿泊したそうで、企業の慰安旅行の感じです。健康に配慮しているのか、別の問題か、酒臭い人はいません。本殿前での記念写真のポイントを示しましたが、幹事の反応ゼロ。全体に迫力がありません。
政宗公も伊達家も桃山様式も、全く興味がないようです。反応は極めて不良です。

ボラガイドの生態を卒論のテーマにしている東北大学生、「張り付いて観察して良いか」 「アアー 良いよ」結果的に9時30分から13時迄、前後になりながらガイドの様子を観察、障害者支援をしてくれました。アリガトウ。

札幌のお嬢さんからのご依頼。今年、之で仙台を訪れるのは5回目。時間配分の都合で、之までお詣り出来なかった。丁寧にガイドして欲しいの申し出。
本殿の説明終わった時、欧州系のご夫妻から質問が出ました。質問には、話中殴り込みでない限り 丁寧に対応することを目標にしています。気が付いたら欧州系の方と会話が弾んでいました。不思議? あかとんぼ が外国語を理解したのでは無く、夫人が日本語の会話が出来、夫に伝えていたのです。

「徳川将軍家に敬意を持っている。来日した日、芝増上寺の徳川将軍家の墓所の1日限りの特別公開の日で、空港から直行しお詣りしたしました」とデジカメ画像を披露しました。伊達家にも興味がある。あかとんぼ の「手持資料は充実している、ユックリ見せてくれ、撮影させてくれ」で承諾しました。この間、夫人は 本殿の天女さんと一緒、又、陣羽織の背中、札幌のお嬢さんと一緒等の写真の撮りまくり。家紋は2人で接写していました。

弔魂碑、感仙殿、善應殿、妙雲廟界、公子公女廟まで、案内しました。正に研修コースです。弔魂碑と西討戦没之碑(西南の役旧仙台藩士戦没者弔魂碑) では、札幌のお嬢さんに要約・通訳して貰いました。
なぜ 夫人はWHO職員として4ケ年日本に滞在したので会話が出来る。夫の先祖は・・・等、個人情報を話されました。お名前がVEL ZHIRIN 夫人MARTN。日本語で「山本」姓との事。瞬く間の3時間。

札幌のお嬢さんとメールアドレスの交換をしていました。あかとんぼ は例の18代様とご一緒の名刺を上げました。さて、お嬢さんからは英語でメールは来ない筈。ZHIRIN氏は5ケ国語が堪能との事、英語等でのメールが来たらどうしょう。機械が迷惑メールとして振分処理しないか。読めるか。悩みます。

このご夫妻と札幌のお嬢さんは、各御霊屋と各墓碑では、自ら手を合わせ、合掌していました。感心しました。伊達家18代様に成り代わり 「合掌・礼拝して頂きましてありがとうございました」 お礼申しあげました。

此の後、仙臺城に向かうとの事でした。依頼もないし、口は渇き、空腹を感じましたので、 再会を期し堅く握手し、サヨナラ。本日は 充実したガイドの日でした。



9 月 26 日 (土)  



伊達学「仙台領内で使われた紙幣」に参加。所謂藩札発行意義、現物紙幣での解説がありました。蒐集した貴重な現物での講義は一睡の余地もありませんでした。

概要は、紙幣発行は両替商に委託していた。伊達家では50万両に至る金額を借用し、遂に この商人から取引を断られた。50万両とは、伊達家2年余の財政資金に相当する。

正金の裏付けのない、兌換が保障されない紙幣は、価値を下落させ、反面、インフレを招き民を苦しめる。歴史の生き証人である。
参考図書として、「仙台貨幣志」阿部定橘著、仙臺叢書に収録。「仙臺郷土研究」伊東信夫著、宝文堂版。を紹介された。

あかとんぼ は、伊達家の財政危機については、仙台市史近世3.45頁「藩財政の窮乏と経済効果」を参考にしています。

22日、Eさんは幕府から借用しました。財政困難の解決と忠誠心の発露ですと お客様に解説していました。

参拝者数が有史以来を記録した日、事務所で御茶を馳走になった際、「あかとんぼ さん お金ためていないー」 「ハー」 「500円硬貨で」 再び「ハー」
釣り銭の500円硬貨が不足になりそうな見込み。銀行は5連休の中日。これは困ったな。それで、枯れ木でも 役に立つかな、ヒョットして、昔話の様に床下の甕に溜めていると思ったのか。

今週は、お金にまつわる話題の多かった様です。明日から何が話題になるでしょうか。



9 月 25 日 (金)  



秋日和。神無月を思わせる天候です。
仙臺藩志会事務局長から「弔魂碑と香炉の写真ありませんか」の電話。在庫はありますが、それではと撮影に。
瑞鳳殿の人出、平日ながら沢山です。○○交通定期観光のガイド嬢「アレ お休みですか」 「ハイ撮影に」。巣を出る際に「陣羽織持ったの」と云われながら、一式を持ちませんでしたのは失敗でした。

陣羽織を着用していないと、信用・信頼の度合いが低いです。故に積極的ガイドしませんでしたが、下北のお嬢さん等に撮影ポイントを、併せて 閖上小学校グループに、政宗公の御霊屋(お墓)です。とツイ ガイドしてしまいました。

小学生全員、マスクをしていました。
ガイド仲間には、マスクをしてガイドしている人もいます。マスクをすると顔が見えません。表情の変化が伝わりません。声が通りません、聞きにくくなります。保菌者でもありません。ですから あかとんぼ はマスクをしないでガイドしています。
マスクされたお客様には ガイドを避けています。保菌者ではの疑いです。又、表情が見えなく、楽しんでいるのか、理解しているのか わからずし難いからです。

28日の松島瑞巌寺・陽徳院御霊屋等の研修資料 纏まりました。E代表に監修をお願いしました。仲間には勉強している人がいます。どんな質問があるか、期待と不安に小さい胸が震える?
午後は、五大堂、雄島等を散策したいと思案しています。如何ですか、ご一緒しませんか。
10時10分迄 仙石線松島海岸駅前にお出でくだされば。



9 月 23 日 (水)  



雨です。お彼岸です。伊予宇和島伊達秀宗公城下から3月櫻観測でお世話になった観測隊長夫妻が瑞巌寺参拝に見え、半年振りに旧交を温められます。又、連続3日のガイドで些か疲れました。ので、ガイドは休みです。

昨日、高齢ご婦人が「派手派手な建造物だ。農民を搾取しただろう」と政宗公を非難する発言をしていました。なぜ農民搾取と単略な発想になるのか不思議です。当時 圧政に対する農民一揆があった記録に接していません。未だ、米100万石の生産は無いにしても60万石の生産があり、又、領内には金山もありました。可能な経済力はあったから建築出来た筈です。

応対したEさんは、財政赤字で幕府から金子を借用しています。幕府に対する忠義を示す、謀反をしない証でもありますと、説明していました。あかとんぼ の今風の解釈ですが 借金出来る経済力があったから建築出来た事です。このご婦人は、ご理解されたか定かでありません。


博物館の菅野さんの「せんだい歴史の窓 藩政をめぐって」毎水曜日河北新報掲載本日は、藩校・養賢堂の紹介で、伊達家は庶民教育に力を注いでいた。藩の役職は世襲制とは言い難く、能力ある者を登用している。幕末の動乱期、抜擢され活躍している。敗北後、近代化の歩みを支えた有能な人材だった。維新の動乱期に何を考え、行動したのか、しっかり見直す必要がありそうだ。と結んでいます。

10月10日10時から、弔魂碑前で「戊辰の役141年弔魂祭」が催されます。昨日は偶然、長州の人に淡々とガイドし、語り合いました。昨日と今日と戊辰の役関連が続きました。之は、単に香を手向ければ良いではなく、教育は大切であること、歴史は正確に認識する必要がある事を痛感させていると理解しました。

尚、菅野さんが仙台商工会議所会報に掲載されている「仙台城下「町人列伝」はNO7までダンロード出来ます。市史では読まれない、町人の活躍を知ることが出来る読み物です。お勧めします。
http://www.sendaicci.or.jp/date/contents/03.html



9 月 22 日 (火)  



シルバーウィーク4日目。人の動きは大部落ちつきました。昨日の参拝者数は有史以来の記録だそうです。券売所に、資料館入場と 長蛇の行列を拝見したのは初見でした。本日も駐車場入場待ちが100m位、タクシーが10台余待機していまして、「昨日は酷かったが今日もこれでは。乗ってくれない、走れない。」とボヤいていました。

本日の意外な質問。
1.御霊屋内部に家型厨子があります。昨日 三慧殿をお詣りしました。今 瑞鳳殿内部の写真を拝見しました。全て家型厨子ですが、これは伊達家の特徴ですか。
  伊達家の特徴と決め付ける迄 勉強しておりませんので。之までお詣りした中には、御霊屋・廟の内に家型厨子では無く、石墓がある例もありました。

2.政宗公の埋葬の仕方、不都合である。何時火葬したのか。
  この方30代前半の男性です。遺体は全て火葬する筈だに凝り固まって居ました。棺桶と棺箱の違い、埋葬方法が変化しているの認識が無く、ガイドの説明が不都合と一方的なものでした。 

3.阿吽の龍には、何れが雄雌なのか。
  わかりません。上半身だけですので、持ち物の確認が出来ないので。通常の唐獅子さんは持ち物を表現していませんが、仙臺城本丸の政宗公騎馬像前の阿吽の唐獅子さんは持ち物ありますので確かめてください。

本日はお客様に恵まれました。聞き上手な方ばかりでした。
特に印象的なのは30代のご夫妻。開放的で楽しまれています。概して若夫婦は2人の世界と閉鎖的です。それではと 想い出に残る写真のポイントを紹介しました。何枚か撮影し 確かめ喜んでいました。資料館見学後、水ボトルを求め 石段を登り 次のお客様にガイド中のあかとんぼ にわざわざプレゼントしてくれたのです。 この様な事は三年に1回あるか、無いかの出来事です。
この気配りに感謝します。今一つ、この方 「ガイドを中断させまして」とお客様に謝意を表した事です。若いのに これまでの気配りが出来るとは、ご両親の躾の素晴らしい成果てす。またお会いしたいお客様名簿に登録します。

この気配りは、年齢と共に 持つものては無いことも知りました。
涅槃門からお医者様風の上品な家族をガイドしていまして、拝殿の扁額で帽子にメガネにマスクをして素顔不明のヤヤ高齢のご婦人が強烈に割り込みしてきました。割り込まれたお客様は 表情に表しませんでしたが、当然内心不快です。「こちらお客様は下から順にご案内しています。ご一緒に聞かれるのは私は構いません。お客様 よろしいでしょうか」と 確認の上 ガイドを続けました。が、割り込みの方は間もなく 消えました。
気配りの気持ち皆無、唯我独尊。年齢に比例しない事例です。

仲間のOさん「お腹すいたネ」時計は間もなく12時です。既に3時間連続 お喋りしています。些か疲れました。帰りましょうと立ち上がったら「あら ボラガイドさん オネガイ」 「ハイ」 これから又連続しガイどしました。不思議なもので 辞めよう、帰りましょうと 思うと 頼まれます。

「お腹すいたネ」から更に1時間30分を経過しました。人並みは続きますが 終わりにしました。

Eさんが 「瑞鳳寺の前の案内板に 焼失前、國寶時代の本殿全景写真があるヨ」が呟き見せてくれました。撮影しました。次回から公開します。どうぞお出でください。

事務所で御茶を頂き、弔魂碑の所で、先程ガイドをした高齢ご夫妻と一緒になりましたので、淡々とガイドしました。「アカベコ」の話しを突然されたので「会津の方ですか。会津の方はお詣りされます」 に 「イエ 長州 です」
長州の方に弔魂碑をガイドをしたのは初めてです。歴史的事実を淡々とガイドしたつもりです。「なにか 気に触る表現ありましたでしょうか」の問に 「イエ なにも」。それから 15分ほどお話しになりました。お二人は拝礼されました。141年前の恩讐は彼方に去りました。

3日連続ガイドで些か疲れました。明日は 伊予宇和島秀宗公城下から 3月にお世話になった櫻観測隊長が瑞巌寺にお詣り見えます。再会を喜び ご案内します故、瑞鳳殿ガイドは休みます。



9 月 21 日 (月)  



昨20日午後、瑞鳳殿にあかとんぼ を訪ねられた青年の方、ご一報頂けませんか。
「資料を持参された方がいました。氏名・連絡先を語らず、資料を預けませんでした」の伝言が今朝ありました。明日22日ガイドに行きます。連絡頂ければ、指定時刻迄待機しています。

連休3日目、お客様は朝早くから土石流の如くお見えになりました。券売所・資料館で長蛇の列です。初体験です。通常11時30分頃 途絶えますが 本日は切れ間がありません。

帰路、向山方向が大渋滞で尻が御霊屋橋です。ループルバスは 瑞鳳殿を通過する臨時便が運行されているとの噂。ループルバスの瑞鳳殿停留所は、30m位レストランの外れ迄の行列、之ではバス3台待ちでは。大町頭でも、仙臺城方向に大渋滞です。無理無理突っ込む車が、反対車線の直進車の進路妨害での渋滞も発生していました。

静岡から男三世代。久能山東照宮、三保の松原・天女伝説等からみ乍らのガイド。小学5年生から、拝殿の釘隠しの金具で打ち抜かれた「ハート」の模様を見て、それはなにを意味のかの質問。昨日 松島で、光宗公御霊屋の三慧殿での解説、「厨子の中にダイヤ・ハート・スペード・クローバー模様があります」を思い出した様です。

階段左右の石燈篭と本殿寶筺印塔に興味を持たれた方、帰路と往復質問されました。何の為のものか。定数があるのか。工事の為 傘に相当する部位を外した燈篭を見て、何故無いのか。旧来のものはどれか。なぜ新設したか。

金澤市からお出でのお嬢さん「私 佐竹です」 「ハー」  香炉の前でお友達と我が家の家紋のご披露が始まりました。「我が家は丸の中の扇子に日の丸が描かれて、かつ扇子が半開きの家紋です」 「あれー それ出羽・佐竹家20萬5000石の家紋、源頼朝から拝領した家紋ではないですか。ご先祖は 佐竹家御一門ですか」 「おじいさまは 秋田の人です。でも それ以上はわかりません。でも お爺さんは どうして詳しいのですか」 「何を隠そう 我が先祖は佐竹家中の者、故あって 主家を出奔 浪々の果て 今 伊達家中に・・・」 「アレー 時代劇 水戸黄門を見ている気分・・・」 一同 声高らかに 爆笑。

若林区五橋から来ましたと高齢のご夫妻。「仙台空襲体験されていますネ」 「いや 岩手から来ました」 「南部領ですか、伊達領ですか?」 「ハー」 岩手県に在住している高齢者で南部領と伊達領を知らない様では、歴史に興味の無い方とお見受けしました。ヤハリ。 幾ら説明しても盛り上がりませんでした。

昨日は、ガイド依頼する訳でもなく、マスクして隙あればと付き纏う人が居て、怖い思いをしました。あかとんほ の立入先は限られ、体調に配慮の上 ガイドに参加しています。伝染源にはならないつもりです。でも 伝染されるのは怖いです。お断りです。マスクしている人、咳・嚔している人から依頼されたらドウしましょう。


涅槃門の補修工事、彫刻、飾金具等 すっかり外され、壁面の清掃が行われています。作業内容を見える様に配慮されたようですが、透明度が低く 強度の白内障の状態の如くしか 見えません。残念です。
作業会社が公開されていませんが、日光東照宮等の伝統建造物専門の小西さんでしょうか。気持ちの良い職人さんです。女性の職人も居ました。感仙殿の補修工事担当と同じ人かな。 



9 月 20 日 (日)  



秋晴れの爽やかな天候。政権交代と関係ない突然のシルバーウイーク(秋の黄金週間と呼ぶ人もいます)2日目。
開門と同時に全国から参拝に。
朝一のガイドは大阪からの団体のガイドです。団体にして珍しく「時間があります、丁寧に」との依頼。
本日の締めは、大阪のカシマシ娘4人組。陣羽織の背中を撮影さしてくれと カメラ倶楽部例会か 重い一眼レフを向けられました。陣羽織 欲しいと 帰路に売店で探していました。
「大阪のお嬢さんガイドしましょうか?」 に 「どうして 大阪とわかったの?」 彼女達の言動からして 誰でもわかります。

表示板の政宗公像を見ていた方、「政宗は2人いるの?」の発言。
確かに 伊達家には政宗公は2人います。第九世と第十六世です。有名なのは第十六世で、初代とも称しています。そこまで勉強された歴女か、凄いと内心感心しました。
が、真相は、両眼バッチリの政宗公像をみて、独眼の政宗公とは別人と勘違いされた、でした。影武者がいて それが表示されている の発想は素晴らしいです。


涅槃門はすっかり ビニールテントの中です。手持資料として 写真を明日から持参します。



9 月 19 日 (土)  



仙台市史講座が廣瀬市民センターを会場に、仙台市史編纂室との共催で開催されました。
演題と講師
1.戦国時代の道と城 仙台市史編纂室主査 菅野正道氏
2.関山街道と廣瀬の史蹟 東北大学東北亜細亜研究センター教授 平川新氏

旧宮城町(将来廣瀬区に独立?)地区に限定した内容で、数々の興味深いお話しの中で 印象に残った事項は、
1.廣瀬川にかかる橋が流失した際、仙臺城御裏林を迂回路として通行した事実。
2.作並街道が四ッ谷海道と呼ばれていた事実。
3.五郎八姫が西館に居住したのは事実であり、相当に激しい気性の女性であったと伝承されている事実。

あかとんぼ 水と海道にも 興味をもっており、「四ッ谷の水を町並みに」と題する四ッ谷用水復元運動の会とみちのく歴史街道研究会に関与しており、これらの会の皆様も多数参加されていました。有意義な一時でした。

本日の講演内容を図書で確認したい方
1.仙台市史 城館・・・・・・・・市販されています。
2.歴史探訪 関山街道を歩く・・・・非売品 仙台市図書館全館計13冊貸出・可です。  



9 月 18 日 (金)  





この名称については、9月7日の日誌に記載した所ですが、
[藩という名称は江戸中期以降俗称として人口に膾炙するようになるか(明治元年閏4月21日に新政府が発布した政体書によって藩は府・県とならぶ地方行政単位に位置づけられ、公称としての地位を獲得する)、それ以前は「毛利家中」、「島津家中」というように呼ぶことが一般的であった。]
以上のように、〈戊辰雪冤(ボシンセツエン) 米澤藩士・宮島誠一郎の「明治」〉 と題する 友田昌宏著 講談社現代新書2012 2009年8月刊行22頁に記載されています。



9 月 13 日 (日)  



「第46回岩出山政宗まつり・伊達武者行列」に仙臺藩志会40余人の一員として参加しました。

羽織袴裃の正装でないのは、3人のみで あかとんぼ とUさんは、伊達武者行列の仙臺藩志会の一隊出発直前に、本陣に先行し本隊を待つました。炎熱のもと、62萬とは云われない大群集の注視の中を威風堂々と行進してきました。
 
行列の最先頭、露払いが「牛鬼」でした。宇和島から特別参加からと駆け寄りました。先年 製作・運行の技術供与を受けたらしく、岩出山高校生が運行したもので、宇和島で実際見たもの、TV・VTRで見たものに、よく似ており、かけ声・回転もよい出来映えでした。

政宗公御木像が幔幕の中に鎮座しており、「何処より参った」と誰何されましたので「仙臺藩志会会員です」と直答したら、「苦しゅうない、儂と並び撮影してよいぞ」の有難いご宣託で、お付きのお小姓に早速 撮影して頂きました。畏れ多く 公開は出来ません。

幔幕の前で 足軽スタイルで 「番兵」として立哨していた中学生。あかとんぼ の撮影が終わった途端 青ざめフラフラになりました。政宗公の毒気に当てられたのでしょうか。裏の救護に運ばれ 血圧測定しましたが異常なし。毒気ではなく ○○の熱気に当てられた様です。

保育所幼児を含め1000人が程参加していましたが 行列の時間中 救護に運ばれたのは この足軽だけでした。殿のご加護か事故無くヨカッタ。

愛姫は輿に乗って3・5・7と13歳位の成長度合いに合わせて4人の登場は考えたもの。美人でした。撮影しました。

仙臺藩志会の行列に次いで 人気は IT等で全国から参加公募に申込し合格した 騎馬武者です。足の太い馬 本陣前に饅頭を山盛りする馬もいました。片倉小十郎役は 大阪?のお嬢さん 馬方も特別に女性2人 「片倉小十郎さん ご気分は?」 沿道からのかけ声に 「サイコーー」 とうっとり。 幾多の倍率の競争に打ち勝ち 鎧兜の甲冑姿で 騎馬の気分は それは 最高でしょう。歴女の金鳶勲章かも。

TVアニメ「戦国BASARA」のイメージポスター 絶賛を博し全国から注文が殺到したとの噂。そのまま 大会案内書の表紙です。何枚も貰っていく人います。その図柄の団扇は2000円との噂。で噂値で高価な団扇とかりんとうをお土産に頂きました。

天候に恵まれ 参加した人、裏方に徹した人、観客 共に楽しんだ様子。先ずはヨカッタ。さて経済効果は どれほどか。
 



9 月 12 日 (土)  



 久々の土曜日のガイドです。日曜・祝日並の参拝者です。
何故、土曜日にガイドをしたか? 明日の「第46回岩出山政宗まつり」に仙臺藩志会の一員として参加します。故に日曜日のガイドを休みます代替です。

まつりは、仙臺城跡に鎮座していた「政宗平和像(セメント製立像)」が、1964(昭和39)年にゆかりの地岩出山に移された時を契機に、岩出山の歴史を偲ぶまつりとして始められました。
政宗公の岩出山居城時代は、豊臣秀吉の全国平定が成し遂げられようとする戦国の時代で、当時の武者姿を再現したもので、ほら貝を吹き鳴らし、きらびやかに身を装った騎馬武者隊・甲冑武者隊などの行進はまさに動く戦国絵巻そのものと言われ、毎年9月第二日曜日に開催されていました。
TVアニメ『戦国BASARA』 ・歴女ブーム等で、全国的に人気が高く、3000枚印刷のボスターは即完売 注文殺到 の噂があり、本日の参拝のお客様にも、関西から、まず瑞鳳殿を参拝され、明日は岩出山政宗まつりに参加されると洩らしていたお嬢さんがいました。田舎町のお祭りに 全国から駆けつけられる。驚きです。

仙臺藩志会の先輩は羽織・袴・裃で行列に参加です。あかとんぼ 初参加 見学のみです。


涅槃門補修工事の為の工事は進行しています。安全観覧のための迂回階段もほぼ完成しました。付帯工事で 手摺り(仮設で可)が出来ると 高齢者に感謝・喜ばれますが、如何でしょうか。
涅槃門の彫刻等 撮影される方 お急ぎください。来週には 外して工房に直送されるそうです。

左右の石塔についての質問が数ありました。誰が、何のために、創建当時のものか、復元したものかです。
左側の奉納塔は、1918(大正7)年3月廟守石田常直氏調査図と比較するに1塔不足であり、且つ、位置が移動しているものがあります。瑞鳳殿の復元工事の際に原因があると思います。学芸員にお尋ねしましたら、事実は知っていましたが、30年前(生まれる前?)故にわかりません の返事でした。

8家紋の一つ、菊紋について 欧米系のご婦人から 「皇室との関係は?」と問われました。聞いていた日系婦人は 予想外の質問に 目を白黒していました。あかとんぼ も日系以外からのご質問に内心 驚きました。

仙台市の委託を受けて、観光客の動向調査をしていました。どこから なんで 何人で来たか 宿泊するか 旅費(宿泊・飲食・土産)の予算額は 等です。不慣れらしく 調査依頼出来ずにいましたので、ガイドを聞き終わったら あちらにも 協力してあげてと Uさんと勧誘しました。お節介したかな?

待機中 頭上 垣根の外で 瑞鳳殿を解説している お嬢さん2人。五月蠅いです。 優しく「入り口はあちらです」 トタン 「知ってますー」のキッツーイ返答。入場料ケチリの確信犯でしょうから こんな返事しかできないのか。
先に小学校教師にも この返事されています。最近の若い女性の爺様に対する対応は これが常態となったのでしょうか。ボラガイド支援機構理事長に報告したら 爺様はお節介です。慎みなさいと云われました。

6日のお嬢さんから 片倉家の仙臺屋敷の所在について問い合わせのメールを頂きました。明日、岩出山に行くお嬢さんもいます。驚きます。勉強され よく知っています、素直に勉強されています。こんな方が真の歴女(嬢)と思います。


冨塚家墓碑と題して、09年0215日16日の両日 瑞鳳寺墓地を調査した結果を記載しました。UさんとNKさんから要望で再度調査した所、「富塚玄門」の墓石を発見しました。資料とおり。墓石の裏面に「富塚玄門源隆義入道玄門全妙叟石流人一松居士之墓」側面に「宝暦七年三月二四日玄門自書建焉」と刻してありました。槍の穂先をかたどって建立したと資料にはありますが 先か欠けた三角柱です。
冨塚家関係者等 ご希望の方 ご案内します。
本日の大収穫です。UさんとNKさん 感謝です。



9 月 10 日 (木)  



瑞鳳殿 本殿を説明する際、「この前面の描かれている景は ご承知の極楽の景です。仙台のお寺様では 遊びに行けば 極楽絵図 地獄絵図を見せてくれるお寺様があります。この資料は その写しです」 大方の皆様は 菩提寺で拝見されているらしく 肯かれます。

パソコン仲間のブログに、下記記事(要旨)がありました。

天国と浄土
このところ、やたら葬式が多い。年老いた方も多く、そのひ孫さんが、お別れの言葉を述べることが一般化してきた。「天国に行ってしまったおじいちゃん、おばあちゃん・・・」と、いうような文言のものだ。先日、住職がこれに文句をつけたのである。
 「天国」と「浄土」とは異なるものだとおっしゃる。「坊さん、そう固いことを言わず」という方もいるが、ここはきっちりと区別をしてもらわないと困るというのだ。
 住職にとっては、職業の根幹にかかわることなのかもしれない。「天国」は文字通りキリスト教徒が死して行くところだ。「浄土」はこの世にも実現できるという教義である。もちろん死ねば浄土に生まれ変わることができるという教えだ・・・・・・・

之に対して「・・・一般人の私達は違和感を感じませんが・・・」のコメントがありました。

あかとんぼ 非常に違和感を感じていますので次のとおりコメントしました。
「極楽と天国を一緒にする事に お寺さまが 注意されたは当然です。
伊達政宗公の御霊屋瑞鳳殿でボラガイドをしています。涅槃門を潜り 本殿前で 「この全面は 極楽の様子が描かれています」とガイドすると 子供に ワザワザ 天国 と言い換え 解説する馬鹿親がいます。極楽と天国では 所在が違います。住人が違います。
諺に「味噌も糞も一緒にする」があります。まさに 味噌糞一緒にされては適いません。
お寺さんの解説は穏やかですが 本当は猛烈に怒っている思います。人様ざまですが 私は絶えず 違和感を感じています。」

日本人の100%が佛教徒でないことは十分承知しております。人 性別・年齢・信条 様々あります。 以上は あかとんぼ の思うところです。でも、ガイド際 一切発言していません。ご安心ください。



本日 10月から始まる「仙台・宮城〔伊達な旅〕キャンペーンでの「街中ガイド」要員の研修がありました。瑞鳳殿でのボラガイド仲間9人程 参加していました。
ある方から「街中ガイドより 瑞鳳殿を案内してくださいと云われたらどうしましょう」のご発言がありました。あかとんぼ の昨年の経験では お客様が 「町中より 歴史等に興味がある場合 又は 仙台の真髄を短時間で知りたい場合」 ループルバスでの瑞鳳殿参拝をお薦めしたことがあります。 「お客様の全員が希望されるのであれば、途中変更あって当然と思います。お客様に 喜ばれるが基本と思います」と返事しました。

瑞鳳殿でのボラガイド仲間は 非常に行動的です。心身とも壮健です。



9 月 9 日 (水)  



日本でも有数の航空会社からのご依頼で、瑞鳳殿地区、仙臺城、大崎八幡宮、仙臺東照宮を5時間を費やしてご案内しました。お客様は、高齢故に歩行のほかにも ご不自由を持たれていましたが 秋晴れの天候に恵まれ、ご満足頂きました。

瑞鳳寺門前で待機中、大阪からのお嬢さんが一人で登ってきました。瑞鳳寺門前を説明していると、本日の予定は「今回は 正室愛姫にポイントを置いてます。瑞鳳殿を参拝後、阿武隈急行に乗車、梁川駅で下車。梁川城址と、愛姫が田村家から伊達家に輿入れの際 受け渡しの場所になった「阿武隈河畔」を見学。更に、桑折町に移動し「小坂峠」を見学し、本日 大坂に帰ります。移動は公共交通機関(バス)を利用しタクシーは利用しない」との事。

「政宗公は宗派 臨済宗です 私もそうです」と勉強されています。ここまで勉強されての入念な計画でしょうから、外野が心配する必要はサラサラ有りません。が、あかとんぼ の懸念は。

梁川城址と「阿武隈河畔」に簡単に辿り着けるかです。特に「阿武隈河畔」は Uさんの様な現地精通者のガイドが居なくて 訊ね当たるかです。

小坂峠はあまりにも急坂で、愛姫が通過した以後2回 路線変更の工事が成されています。七ケ宿側 下り口からみれば その変遷と急坂であったことが容易に理解できます。でも 半田側 登り口からでは 容易に理解できるか、ともすると現道を見て、愛姫時代と誤認されないかです。

11時30分現在 瑞鳳殿地区を単独でウロウロしていました。移動は公共交通機関(バス)利用と申しても、運行本数と経路は 大都会と異なります。果たして 1日で移動出来るかです。

本日は平日ですから 我等の仲間は不在です。ガイドなしで瑞鳳殿の魅力を十分ご理解できたかです。


売店にて、昭和前期の瑞鳳殿と仙臺市街の絵葉書を掲示していました。お客様には喜ばれる企画です。
懸念が一つあります。一部に着色していますが、色について資料を検証し実施されているかです。
特に 佐々木文山書の扁額 文字が黄色で 地が黒です。資料館掲示の着色した絵葉書は 文字が白で 地が濃緑青系です。1931(昭和6)年宮城県教育会発行宮城県名勝地誌に依れば、「額の装飾は南洋珊瑚の粉末で緑青色」です。
現在の涅槃門の扁額は真珠と赤珊瑚で、瑞鳳殿再建期成会刊行「瑞鳳殿再建の経過」に明記されています。
現在と過去 用いた材料の違いの説明は容易ですが、過去が バラバラ 異なりますと お客様に誤認させるのではないかです。ご教示頂ければ幸いです。


復元以来、化粧直し等の行われていなかった涅槃門の補修工事が始まりました。発注者・監督・施工業者の3者関係者多数が現地打ち合わせをし、着工しました。

工事概要がボラガイドに文書で示されました。
1.瑞鳳殿・涅槃門の漆塗・彩色・錺金具改修工事
2.工期 09年9月14日〜10年3月末
3.@涅槃門全体を仮囲いで覆い安全を期す。
  A前面に写真、工事情報を掲示する。一部透明面を設置し作業等を見れる様にする。
  B脇門から石段に直結する仮設通路を設置する。
  C上記作業に伴う安全策。

担当K学芸員の説明によれば、@色は復元時、出来れば創建時の色に戻したい。A彫刻等は 外して 即 工房に運ぶ。B感仙殿補修工事の様に現場作業詰所は 設置しない。C彫刻の現況は 速やかな撮影を勧めます。でした。

従前撮影したデーターはありますが、念の為 ご忠告に従い撮影しました。これで現在 掲載中止しています本HPの資料館・涅槃門を修正・掲示したいと思います。


市内ガイドを終わり 瑞鳳殿に戻りましたら お茶を馳走になりました。そして 作業員と語らっていたら、涅槃門の彫刻を興味深く見上げている団塊世代のご夫妻がいましたので、説明しました。本殿までガイドしましょう と申したら 「二人でボチボチと」あっさり断られました。
大阪等のお嬢さん達と異なり、参拝は目的ではなく 夫婦和合の手段でしょうから 当然かも。


職員駐車場に車が入って来ました。福島県白河市から来ましたと お嬢さん達 バラバラと下車し、路盤の悪さ等で不審気。カーナビの結果です。瑞鳳殿を楽しく・有意義に参拝されるなら 来客駐車場から参道を登られるのが宜しいです。に肯かれましたので、経ケ峯の裾を一周、誘導しました。駐車場を整理していたHNさん 「また 来たの」 「迷子のお客さん ご案内」 納得。





9 月 8 日 (火)  



6日の続き

善應殿までガイドしたお嬢さんからメールを頂きました。
この日、朝一番に青葉神社を参拝されてから、瑞鳳殿の参拝にみえたそうで、帰路 62石段を数え、下馬の碑を確認し、仙臺城本丸から 清水門から三の丸に至るコースを歩かれ、時差を超越し 政宗公を体験されたそうです。

青葉神社、瑞鳳殿、仙臺城を自分の足で1日で確かめる。偉いと感心します。若さだけでありません。太陰暦を太陽暦に換算され 政宗公の誕生と同じ誕生日、誕生日の自身の祝賀行事と捉え 実行されるに ただ 敬服です。

涅槃門の透かし彫りの彫刻、拝殿の扁額も見ない・聞かないで通過、本殿で敬意を表しない。仙臺城の本丸から一望したのみの方がそれなりに多い世相にあって、このお嬢さんの様に 短時間で 要所を押さえ お詣り 観察するは、本殿の天女さんが 政宗公自身の誕生日の御祝いに 生身に変身して来られたのでは とも思いました。
ガイドの爺様とのペアの記念写真を貼付頂きました。


6日は、このお嬢さん 札幌白石区のご婦人と 楽しい出合いが連続しました。
記録しようか 迷った驚くべき事がありました。
それは、生け垣を掻き分け 有料区域に侵入を企てた オジサンがいた事です。ベンチで待機していら、背後ろで ガサガサ 音がします。密植した生け垣の隙間を広げている音です。「アッ」の あかとんぼ の声に中止し 立ち去りました。9年間 ガイドしていての初体験です。この方の意図は 理解できません。
生け垣を潜り抜けられたすれば、衣服は枝に擦れ汚れるでしょう。不法侵入と洗濯の手間。そして政宗公は喜ばれるか。



9 月 7 日 (月)  



まちがいは誰にもあるけど・・・・

地方大手出版社社長からのDM書簡の見出しです。
注目した内容の要旨は次の通りです。

ある新聞の社説を読み、ひっくり返りそうになった。歴史資料館の活用を訴えるもので、高校生に対する試験結果が公表されていた。「○○氏が○○の前に治めていた藩名」と「その藩は今の何県」という設問に正答率は1割にも満たなかった。これを受けて論説氏は今の若い者は歴史常識を知らないと嘆いていた。
私には答えがわからない。○○氏が転封されてきたのが1602年 江戸幕府の幕藩体制が名実ともに始まった年が1603年。これ以前 日本に藩という概念は存在しない。設問じたいがおかしいのだ。
とありました。

試験を実施した教育機関と社会の木鐸と自称する論説氏に対する 社長の厳しい一言です。


あかとんぼ はということは 幕末からと理解し、それ以前は藩という概念は存在していなかった。故に 例えば。伊達家家臣が 他の家の家臣に対する 自己紹介の場 「伊達家家中○○と申す」と云うが「伊達藩○○と申す」とは決して云わなかったと理解していました。この社長の一言で、正確に理解していなかったを知りました。

現在 作並温泉碑の解読に難儀していますが、その記述に「文政三庚辰歳・・・・・」「仙臺家士・・・・」の文字があり、1820年に仙臺家士と名乗る事があるのか、当時であれば伊達家士ではないのか の疑問がありました。仙台市博物館菅野さんに、碑文読み方の手ほどきをお願いした際、「仙臺家士の表現は行われていた。又、薩摩について薩藩というような表現の仕方が、学識者の間で行われていました」とご教示を頂きました。
あかとんぼ は誤って認識していた訳です。社長の一言が正解であるの証明にもなりました。

歴史事実の誤認、誤理解 まだまだ あるようです。伊達治家記録、今 佐竹家譜 〔原武男校訂〕が手元にあります。如何に記録されているか紐解いて見ます。 

さて「まちがいは誰にもあるけど・・・・」に、なぜこの様に反応しているかです。5日パソコン教室の先生クラスの会合の末席を汚した際、「あかとんぼのブログには誤りがある」と批判されました。教室の先生クラスであれば、当然 ブログとホームページの違いを認識の上の発言と理解し、返答しました。

本ホームページ記載の際 誤字・転換誤りは 絶無とは申しません。只 内容は 認識したとおり記述しています。上記のとおり 認識の誤り 誤認は ママあるようです。その様な場合 之までは 博物館の菅野さん 仲間のEさん、Uさんを始とする皆様から、即 メール、電話でご指摘を頂いております。感謝致しております。
今後も、認識の誤り等ありましたら、ご教示くださるように 伏してお願い致します。

教室の先生、いきなり無言で闇夜に後頭部から狙撃する様な事は お許しください。以上。 




9 月 6 日 (日)  



秋晴れ。旅行の季節に入った様で、参拝の方々の出足は多いです。

ループルバス(仙台市内循環観光バス)の始発便が到着しました。券売窓口前広場に輪が二つできました。なにか談合(協議)しています。70歳くらいのご婦人が 涅槃門前広場に待機している あかとんぼ にツカツカと歩み寄り、「ここは只か。ジェンコ出せば案内してけるか」 「券売所から有料区域で入場券が必要です。ガイドは無料です」 「オメーガタ ガイド只だとヨー 早くケー」 「ジェンコ払った・・」 なんかジェンコに拘る人々です。

「どちらから おいてですか?」 「札幌」 「札幌は白石区ですか?」 「ムニャ ○○区」 「ワ 白石区」
札幌の人々は 東京弁と理解していました。当初の会話から 出羽の國の人々かと思いました。あかとんぼ その昔 札幌国体の際に 札幌郊外を散策した時 出羽の國弁で 地元の人々から語られました。更に昔 ショッパイ川(津軽海峡)を渡り 開拓に従事された末裔の方々でした。ムニャ ○○区の方は其の末裔でしょうか。

博識のオジィサンが一人、白石区の由来を聞かせてくれました。
なかなか 賑やかな一団です。ペースが狂います。拝殿扁額の説明の際、書家佐々木文山の年齢を フッと 自分の年齢を滑らせ 「アッ間違いました 私の年齢です。文山76歳の時の・・・・・」これで ガイドの年齢が知れ渡り 皆様と同年配で 更に和気藹々。

「どんな団体ですか」 「野球の応援に来たノッシャー」 昨晩は日ハムが楽天に大勝しています。ご機嫌さんな訳です。ガイドを白石区のご婦人を主賓にしました。この待遇と同年齢と知って 大喜びされ 自販機からお茶を求め 差し出しながら 「二度と お詣りに来れないでしょう。楽しかった。お元気で」と 握手を求めて来ました。

「ご婦人の平均余命からすれば 後10年は保障されています。私の頑張ります。又のお出でをお待ちしています」とお茶を頂き 握手しました。 一期一会を実感しました。


名古屋から三嬢、涅槃門からガイドしました。昨日 松島に行ったとのことで、愛姫・御霊屋 寶華殿 開扉し公開しています。ご覧なられたでしょう に、瑞厳寺は 横目に参拝しないで 五大堂だけ との返事。
有料地区は避け 自然の風景を満喫し 買い物と食事を楽しんだ様子。松島イコール瑞厳寺では無いこんな 観光もあるのです。

若いお嬢さんから「一人ですけどガイドお願いできます」 涅槃門で 蟇股の透かし彫りを見て 「ハイ 麒麟です」の一発正解。之まで何回か 瑞鳳殿を参拝をされ、仙台市博物館をも何回か訪れ 国宝のブローチや重文の山形模様陣羽織等を見ている様子。
一旦 感仙殿・善應殿と妙雲廟界に案内しました。瑞鳳殿との装飾等 異なる、国宝であったにしては等の不審点が 氷解 極められた喜んでいました。
資料館を見た後 仙臺城に登城するとの事で、「時間と体力に余裕がありましたら 本丸と三の丸を結ぶ清水門跡のコース、政宗公が実際に歩かれた道です。是非」と薦めたら「ハイ そのつもり来ました。本丸から三の丸に至るコースを体験します」の嬉しい返答。歩いての感想は?

政宗公にぞっこんの様です。「政宗公の生年月日 永禄10(1567)年8月3日は、太陽暦に換算すると昨日か1昨日です。それで 本日万難を排して お詣りに来ました」
検索してみました。1567年8月3日は、太陽暦で9月5日(金)でした。太陰暦から換算され お詣りにお出でになるとは 誠の政宗公フアンです。通常 命日を主体にしています。それも単純に太陽暦に置き換えています。太陰暦:1636年(寛永13)[丙子] 5月 24日[戊辰] は、太陽暦:1636年 6月 27日(金)となります。が、 6月 27日は全く口の端にも登りません。太陽暦8月3日に 本日は誕生日ですからと 参拝に見えたお嬢さんがおり、仲間で話題になりました。この様なことから 今日のお嬢さんにはボラガイドとして感涙に噎ぶ所です。
又 お出でになる際 ご一報頂ければ嬉しいです。仲間に ご紹介します。


札幌の博識のオジィサン曰く 「忠宗公の墓室の蓋板に 西暦1000年頃の板碑を使用したのは、経費節減ではなく、魔よけとして使用したものだ」。あかとんぼ は眉唾発言と思いますが 若干 面白いとも感じましたので 記録します。

「瑞鳳殿本殿の上空で トンビ(鳶)が定時旋回し 定時に啼いています。参拝のお客様は トンビの生啼き声とは思わず、放送とおもっていた」と 面白い話しをEさんから 聞きました。続きありそうでしたが お客様からのご依頼で 中断しました。続きをお聞きしましたら 記録します。



9 月 2 日 (水)  



政宗公を知りたい

8月29日号に記載しました。
「史伝伊達政宗」 大和田哲男著 学研M文庫刊行 初版2000年12月
Eさんから ご推薦頂きました。ありがとうございました。

以前に薦められ、小林清治著 「伊達政宗」と並んで本棚にありました。
不覚でした。
尚、本書は1986年に「伊達政宗 知らざる実像」の標題で 講談社から刊行されています。
図書館で検索される場合 いずれかで 蔵本されているでしょう。


政宗公正室愛姫の御霊屋・寶華殿
本日河北新報に 豪華絢爛な寶華殿等の写真、撮影したかった場面が掲載されています。
悔しい。新聞は一時。本頁は持続的に。と申しても 年寄りのひがみかも。
6日まで 開扉しています。是非 お詣りされるをお薦めします。


作並温泉碑
7月31日作並温泉碑を撮影し表紙でご紹介しました。その碑文 2枚読んでいます。荒筋は理解していますが、表現が読み切れずに難儀しています。漢字が読めないからです。「手書」で検索し 音訓を出し 漢和辞典で 意味等を探り つづりあわせるの作業をしています。基礎学力の無いこと 自覚し 汗顔の至りでいます。



9 月 1 日 (火)  



台風一過晴天。

今月28日が仲間「ぐるーぷ・よっこより」の勉強・例会日です。現地研修「松島瑞厳寺国宝庫裡と愛姫の御霊屋・寶華殿」です。先導役の大役を頂いていますので、下見に行ってまいりました。

国宝本堂の平成大修理工事で、本堂の本尊・聖観音菩薩像が仮本堂となる大書院に移られ、一門の僧侶20余人と檀那10余人が参列し 法要が営まれていました。

「室内撮影禁止」の標識がヤタラとあります。にも拘わらず デッカイカメラに、ビデオカメラが5指以上 我が物顔で、中には読経中の内陣まで入り込んで撮影しています。係員は制止しません。
なぜ 我が規制され なぜ彼等は勝手なのか 佛の前では公平に処遇されるべきではないと内心憤懣爆発寸前ですが 佛になる日が近くなっているので堪えました。

今回、@松島瑞厳寺国宝庫裡 A政宗公正室愛姫の御霊屋・寶華殿 B寶物館・青龍殿 C政宗公曾孫光宗公の御霊屋・三慧殿 D政宗公娘五郎八姫の御霊屋・定照殿 E松尾芭蕉記念館(おくのほそ道資料館)の順で 1寺 2博物館 3廟を150分を要し下見しました。当日は 基本的に110分の予定です。如何に行程を組むかです。

寶華殿。以前03年09月29日に研修でお詣りした時と 様相は一変しています。2006年から3ケ年を要して復元され、豪華絢爛?ピッカピッカです。本日は特別に内部も拝観出来ました。表紙写真をご覧ください。勉強会当日 特別開扉して頂けないか、お願いするルートは?

定照殿。人気がありません。何故なら本来の廟は1869年に解体され、1889年墓が建立され仮屋として現在に至り、何らの趣の無い御霊屋だからです。と申して、瑞鳳殿てガイドしている我等が 参詣をしないでよろしいものか です。ご案内します。

芭蕉記念館。松尾芭蕉が宿泊した旅籠の跡に最近開館した施設で 知らない人が多いです。展示資料は複写品ですが、的を得た資料を収集展示しており、松島湾が180度一望出来ます。在室した説明員は 松島博物館元学芸員と洩らしており、端的有効に説明してくれました。お願いすれば 勉強会日に在室して頂けるか?

当日の資料。瑞鳳殿と円通院は 入館時にパンフありますが、伊達政宗公と徳川家康公との縁戚図、三殿の概要一覧を纏め配布の予定です。歴代の殿様と正室の御位牌が至近距離に安置されています。寺の説明はなにもありません。下見同行者から 戒名と生前名の一覧が欲しいと要望されました。作ります。

当日 松島海岸駅前集合です。 あかとんぼの巣から車で50分。駐車場は 町営無料大駐車場、公営・民営有料駐車場は数有り、20分100円単位 1時間300円 1回500円と 3種類ありました。 

当日コース案
松島海岸駅前 出發 A五郎八姫の御霊屋・天麟院・定照殿 B光宗公の御霊屋・円通院・三慧殿 C瑞厳寺国宝庫裡 D愛姫の御霊屋・寶華殿 E寶物館・青龍殿  F松尾芭蕉記念館 と廻り解散するか です。寶物館で 動かなくなるか。動けなくなるかです。





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