2010年3月の日誌
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3 月 29 日 (月)  



本日も晴天ながら低温で寒気が全てを萎縮させます。

ANAからのご依頼で、終日 瑞鳳殿、仙臺城、大崎八幡宮、仙臺東照宮をガイドしました。お客様は沖縄県からの祖母様と兵庫県からの孫様のお二人。小雪が舞いましたが 寒いと一言も申しません。南の方は 寒気の耐性が強いのでしょうか。

孫様は小学校を卒業したばかりです。政宗公フアンなので、卒業祝いと 祖母様は学生時代に修学旅行で来仙された以来 ○十年振りで 自分の再修学旅行として企画したのが今回の旅行との事でした。

60歳の年齢差、初めてと再来、この条件で 完全満足して頂けるガイド。・・・・・です。



3 月 28 日 (日)  



晴天ですが底冷えします。手袋着用でガイドしました。高齢故の体温低下と心配しましたが、公式最高気温は4度です。やはり寒いのです。安堵しました。

春休みで「おこさま手当」対象の小学生・中学生と、そのご両親の一団が数多く参拝に見えました。

瑞厳寺 工事中の看板をみて、参観中止 当然 愛姫の寶華殿に足を延ばさずに、あかとんぼのガイド「立派な御霊屋」と聞き、残念がる方が数居りました。
瑞厳寺様の ご案内・広報に 今一度の工夫が求められているのでは無いでしょうか。

瑞鳳殿本殿に献花、献茶をし、一般観光客に配慮されてか正面を避けて声高らかに読経されている一団居ました。この様な一団こそ 正面で読経・拝礼されたらよろしいのに。

頭髪と鬚が伸び放題で 一見 凝り性芸術家風の男性。涅槃門前で多少左右に動くのみで ズイーと 彫刻を見て動きません。
「彫刻家ですか」と問ましたら 「イヤ。大阪・岸和田から来ました。ダンジリの彫刻を幼少から見て育ち、彫刻に猛烈に興味があり 瑞鳳殿涅槃門の化粧直工事完了のニュースを聞き 飛んできた」
正面、妻の彫刻を見て 動きません。ともすると素通りする方が多い中に、有難いお客様です。下手なガイド不要の様子。カメラ持参されていない様子なので 帰宅して楽しみたい時として、本HPのURLを紹介しました。

拝殿の扁額「珊瑚と真珠です」とガイドしていたら、突然 耳元で高異音が響きました。狙撃されたかと驚き 暫し 声が出ませんでした。狙撃される程の価値ある人間でありませんから その心配はないですが 驚きました。犯人? やや高齢のご婦人が 腕を一杯に伸ばして わざわざ 我が耳もとで、携帯電話で撮影した音でした。
驚く姿を見たい 愉快犯でしょうか。
以前 傘の先で背中を刺された時も、やや高齢のご婦人でした。これ以来 やや高齢のご婦人には 背を向けないようにしていますが、今日は隙を狙われました。

四阿で4.5人、ガヤガヤしています。「オジサン デナイー」 自配機の故障の様です。「事務所に連絡します お待ちください」  間もなく ニコニコし 感仙殿に向かっていきました。
寒さで熱いお茶が欲しかったのか、酔い覚めの冷水が欲しかったのか、何れ 一件落着の様子。
昔 テレビが映らなくなると ケットバス事がママありました。 蹴る事で不思議治りました。自配機も蹴れば治ったのではと思いますが、今は精密機械だから 蹴ると電気がビリヒリ来るようになっているのでしょうか。

屋外トイレ まだ点灯されていませんでした。暗いと不安です。清掃担当氏 見当たりませんでしたので事務所に連絡しました。 清掃担当氏 「スイッチ教えるから」と申しますが 勘弁して貰いました。
瑞鳳殿でガイドして10年なりますが あくまでボラガイドです。施設の稼働スイッチに触る訳にはいきません。又、スイッチのある所は女子トイレです。年老いたといえ 男性です。セクハラ・痴漢に間違い 騒がれては 一生の破滅です。涅槃の世界に旅立たねばなりません。立入お断りです。

せんたい市史通信 博物館でも残部僅少と聞いていましたが、ロビーに出て来ました。何部が手持ちし 政宗公に興味を示す小学生・中学生にお土産として差し上げました。余部続く限り実施します。蔵出ししてくださいました関係者の皆様 ありがとうございます。

午前はU老 NK若老と一緒でしたが 千客万来 情報交換の余裕ありませんでした。昼 O嬢と啓蟄(冬眠解除)のY嬢とタッチ交替しました。



3 月 25 日 (木)  



捨てる神あれば 拾う神あり。

15日の日誌に、「善應殿でのガイドの際、寛文事件に及ぶ事があります。その様な事から、2歳で伊達家4代の殿様になられた綱村公に些か興味を覚え、その生涯を年表化し 整理し、勉強を続けています。綱村公の殿様として波瀾の生涯、萬壽寺、臨済院、大年寺、静寂殿に、一門衆の諫言等を整理し機会あれば発表したいと思っています」と記載したところ、宮城県社会福祉協議会支援生涯学習の「まざらいん会」から ぜひ とのお声を頂き、臆面もなく 90分 30余の皆様に私見を披露して参りました。

「我等才覚にまかせ、第一我儘 気随 短慮の段 悪敷事と自身にも存居申候」
これは、元禄6(1693)年 伊達家一門11家中8家からの諫言状に対する謝罪状の一節です。

我儘 短慮の性格形成は 幼児期の教育にあったのか。生まれつきなのかです。帝王教育は誰がしたのか。母三沢初子は和歌・書に精通していたとのこと、又、儒学者大島良設が柴田外記の推薦で持講になったとのこと。この人々が責任者でしょうか?
伊達騒動の舞台に出てくる「政岡」を「初子」と混同している向きがありますが「政岡」は架空の人物ですと話しました。

なにか、儒教、佛教とのめり込む様に傾斜し、揺れ動いた基なのか。
年収30萬両にあって借金27萬両と試算された赤字財政の中で、四ッ谷堰等の社会資本の整備を行っていますが、社会資本の整備とは云えない萬壽寺、臨済院、大年寺等の豪壮な社寺仏閣の造営を行ったのは なぜか。
又、日光東照宮の修復工事の手伝いを命じられ其の経費負担で一門以下家臣にも「手伝金」の負担を強いて居ます。

人材登用と組織改革で 政宗公時代に近い 領主としての権力の集中を図ったが、その運営が独善的場当たり的なものが多く、一門や奉行の人々とコミニケーションが十分に取らず実行・行動し、遂に、元禄10年 江戸屋敷で綱宗の刀を取り上げた上での諫言になった。隠居を求められた。
父綱宗は、一門等からの諫言で21歳で隠居を幕府から命じられ、数え2歳で4代を襲封、歴史に残る寛文事件の中に成長し、又 自身も何度か 一門から諫言状が出され、謝罪状を発しています。現在の「殿様」に対するイメージからして 波瀾の人生です。全ての基は「我儘 短慮」の性格にあった様です。この様に私見を述べました。

終わっての自己評価は高得点とは云えませんでした。
1.仙台市史(近世2)、歴史の窓(菅野正道著35号)を、主力資料にしましたが、十分な咀嚼が出来ないままであった。咀嚼したつもりが 現場で口から出て来なかった。
2.受講生の歴史知識の蓄積に濃淡があります。それに応える配布資料を作れなかった。
3.であれば 対応策としてのパワーポイントを使用し 視覚からの説明をすべきあるが出来なかった。

好評 意外と聞かれたのは
1.塩竈神社の造営と塩竈発展策に、塩竈の人々は恩義を感じ、6月20日の綱村公回忌法要には塩竈の人々の参列と塩竈市長から供花があること。
2.天和年間に赤穂の製塩技術を習得し本吉郡波止上浜に製塩所を設置した。この恩義から元禄14(1701)年12月泉岳寺に向かえ赤穂浪士一行に糒から粥を造り供した。伊達家の非常食の備蓄と報恩の心が江戸の士民から さすが伊達家と評価されたこと。
 尚、糒は文政12(1829)年「仙臺領高名競」には、別格の米を筆頭に糒も上位にランクされている(歴史の窓30号記載)

関連史跡 萬壽寺、臨済院、大年寺、大願寺、常念寺、孝勝寺 を訪れた事ない方が多数でした。反応が鈍かったことから 再認識の目的で 1日バスで巡るツァーを企画出来ないと思いました。



3 月 23 日 (火)  



昨日までの補足

経ケ峯 杉の大木、中木と杉山です。花が房々と茶色に輝いています。
お嬢さんが ガイドを聞きながら 鼻を器用に左右に捻ります。その内 懐紙を取り出しました。グスングスン 花粉症の発病です。21日22日この様な方 それなりにいました。
これから 本格的飛散が始まります。雲が流れる様です。
花粉症の方 それなりの対応されること お勧めします。

せんだい市史通信22号。「再発見!伊達政宗  あの貌 この像」の内2頁には 〔政宗のつきあい〕 〔老政宗の喧嘩〕 〔肖像アラカルト11像〕の3本の興味深い記事が満載されています。又 瑞鳳殿に石碑と中世から近世に繋がる史跡の紹介も記載されています。
歴女等 熱烈な政宗公ファンに差し上げれば喜ばれると思いました。瑞鳳殿、仙台市情報センター、廣瀬図書館にも在庫ありませんでした。同時期に発行された文化財のパンフは何れにも沢山ざいこがあります。この差はなんでしょう。内容の差でしょうか。市史通信は発行部数すべて市民等に渡った証でしょうか。
余部 発行の博物館にはあると思います。開館したら照会してみます。

蕗の薹 境内の何処に出ました。仲間Sさんが発見。晩酌の肴にされたのか、「春の香り ガイドのご褒美として楽しみました」と語っていました。



3 月 22 日 (月)  



 昨日の強風はおさまりましたが、落下した風折枝の清掃に追われていました。

 昨日瑞厳寺を参拝された方結構な数居られました。「寶華殿」の参拝を省略された方いました。なぜの問に「疲れて」。高額の旅費と貴重な休暇を費やされ、後10mの目前で断念されるは気の毒と思いました。瑞厳寺の博物館は入館され政宗公・愛姫・五郎八姫の三像は拝されたそうですから、幾らか救われたでしょう。

 瑞厳寺客殿で、歴代の殿様のお位牌を拝され、瑞鳳寺看板の「御位牌寺」を目にした、若い女性から「御位牌は数あってよろしいですか」の質問がありました。

 瑞厳寺は菩提寺です。政宗公が再興されたお寺ですから、政宗公の戒名は「瑞厳寺殿貞山大禅居士」と寺号がついています。愛姫は陽徳院を創建されましたから「陽徳院殿榮庵壽昌大姉」です。それぞれ菩提寺です。瑞鳳寺は瑞鳳殿が創建され時に、今風の表現で管理事務所的目的で創建されたお寺です。
お宅の菩提寺の御位牌所と自宅の佛檀と、それぞれ御位牌があるでしょう。2牌ですね。瑞厳寺と瑞鳳寺に御位牌があっても不思議ではないです。この あかとんぼの解説で納得された様です。

 拝殿に向かい降りていたら、亜細亜系で頭部をストール(民俗衣装スタイル)の女性から 「陣羽織 素晴らしい 一緒に写真に納まって」のゼスチュア。本殿前で 裏表 (顔有り、無し)で何回か撮られています、快くモデルに。
「from to indian?」 の問に「インドネシア」と日本語の返事。涅槃門・拝殿・本殿と関心・興味を持たれるかな のポイントをガイドしました。「豪華で素晴らしい建造物だ」の感想です。 「お国には もっと素晴らしいものがあるでしょう」と、タイ国のワット・アルン(暁の寺)をイメージし尋ねたら 「石造です。世界遺産のボロブドゥル寺院遺跡群 知っていますか」に「イヤ 知りません」と小さい声で返事しました。
一人は政宗公についての知識を持っている様子。ガイトしての反応から推察。

 帰宅し調べました「世界最大の仏教遺跡ボロブドゥール。三方を3000m級の火山に囲まれ、南はプロゴ川と支流エロ川が合流する、風光明媚なケドゥー盆地にある。遠くから望めば半球形のストゥーパを思わせ、近づけば多様なレリーフに圧倒される。インド文化と土地固有の文化が融合した建築様式は世界に類がなく、ボロブドゥールの意味するものが何かは、未だに解かれていない謎である。それだけに訪れる者に神秘性と興味を湧き立たせる。」(【トラベルコちゃん-旅の情報】)でした。仙台空港発のツァー募集があったら参加しましょう。

 本殿前で若い女性からシャッター押しを頼まれました。流暢な日本語の割にヒッカカルところありました。「you china? taiwan?」 に「shanghai」 上海からです。上海・仙台間は定期空路がありますが、一見20代の女性が一人で仙台に旅行に来るとは。 内心 これが噂に聞く上海経済力かと驚きました。
本殿と拝殿の扁額についてガイドしました。「中国は書の国 この程度の筆は???」の問いかけに 「・・・・・」日本同様、若い人は記録・書はパソコンで 筆は用いない様子でした。

 国際交流は2国のみ。続いて国内交流。

 タクシー氏「ガイドさん 帰るのすか この人達頼む」 「はい 時間は?」 「時間とお金はタップリあります」と太っ腹のタクシー氏。 お客さん、ガイド料請求されると思ったのか慌てて 「お金はありません」 「ボランティアガイドです。ご心配なく」 
「お客様はどちらから」と 話しの接ぎ穂として皆様に尋ねます。個人情報収集と警戒したのか「九州です」 九州は7県、20家以上の大名がいました。
 何県か教えて貰えば、例えば、柳川の立花家は 伊達家とご親戚です。熊本であれば細川家 文禄の役以来 九曜紋等親しくお付き合いしています。伊達家との御縁を知らないでお出でになったにしても、帰る時には、古里との意外な縁に驚き 楽しまれるような ガイドを目指して尋ねています。が 之では五里霧中、3世代7.8人のガイドは低い自己評価に終わりました。

 本日はNKさん Sさんと3人で、一服の暇なく昼過ぎまで 楽しみました。



3 月 21 日 (日)  



春霞み?黄砂?視界不良 ライト点灯して走行しています。強風です。風速??mです。城下では篭(車)がグラグラ左右上下に煽られます。経ケ森全体が轟音 呻り揺れています。目の前に風折枝が落下して来ます。ハッとしますが不思議に参拝者に当たりません。政宗公のご加護でしょうか。

場内警備から「あかとんぼ さんの車 横10cmに 太い風折枝が落下しました。真面目にガイドしている故 ご加護があり被害はありませんでした。不心得な人の車なら大破したかも」と怖い情報がガイド中に聞かされました。

群馬のお嬢さんペアと秋田からのファミリーの朝一番の組。20分の約束から、「これで終わり 続きないの?」のご要望で、資料館・戊辰の役弔魂碑。感仙殿・善應殿・妙雲廟界・西南の役弔魂碑・御子様御廟と仙台城望遠までの 結果的に120分ガイドしました。

秋田からのファミリーのお父さん 戊辰の役で伊達家と佐竹家が対立した事ご存じで、伊達家使節団が襲われ、西来院(所在、秋田市寺内)に祀られている事も知っていて、「刈和野の決戦」の古戦場は、今の住まいから比較的に近いと洩らされました。一見 お若いのに郷土の歴史を知っていられるには敬意を表します。

群馬のお嬢さんから「天女さんは なぜ 蓮の花を持っているのか 外のものでは駄目なのか」某政党のお姐さん的ご質問。「極楽には蓮池があるから蓮の花を持っている?真相はわかりません」とギブアッブしました。

又「天女さんは、なぜ12人で蓮の花持っているのは4人だけで 楽器も8種類であるが、それ以上持たせて よろしてのでは?」のご質問。1間に1天女さんが描かれています。3間四方で12人になります。1間に1人と限定する必要がないの発想からの質問でしょうか。想定外の質問でした。

別の方からの質問です。「この本殿は誰の書ですか?」と「ここの地名は?」「眼帯は?」「前立ては?」がありました。
「政宗公の長男 2代目の殿様 忠宗公の書です。拝殿は書家佐々木文山です」の答えに 「余分な事は答えなくてよろしい」の表情をされ返されました。
地名は、「ど忘れされ」 思い出す為の手段として問われた様です。

「眼帯はNHKの創作です。わざわざ目立つ眼帯をする必要があったでしょうか」と。
「前立ての金の三日月は 純金で発見されませんでした。金箔が発見されています。桐に貼ったようてす」と答えましたが、期待したと異なる回答に些か満足しない表情でした。でも、嘘を答える訳にはいかないのです。

伊達家で殿様の兜の前立てが「三日月」 殿様以外は「半月」と定められたのは、延宝3(1675)年7月21日 4代綱村公の時代です。改定宮城県郷土史年表 菊池勝之助著による

人によっては3連休の中日。強風で飛行機等のダイヤの乱れが報じられている割に 沢山お詣りにお出でなり、ループルバスはバス2台分くらいの行列です。

臥龍梅 咲きました。あかとんぼ が開花宣言します。写真はシオカラトンボに掲載します。




3 月 18 日 (木)  



 2月23日のガイド仲間の勉強会で博物館の菅野さんから「せんだい市史通信22号」を頂きました。参考になる事柄が記載されていますと当日の日誌に記載したところです。本日は自習日であらためて読直し学習しました。

「老政宗の喧嘩」と題して
 江戸中期に佐賀藩士である山本常朝が著した有名な「葉隠」に次のような話が記されています。旗本の兼松又七が政宗の屋敷を訪れた時、又七が走りかかって政宗の頬を打った。政宗は少しも騒がずその豪放さを褒めてその場を済ませたが、又七が帰ったあと近くにいた小姓に向かって「主人が頬を打たれているのに何もしないとはけしからん」と言って切腹を申しつけた、というものです。

 このことを直接裏付ける資料はありませんが、もとになったと思われる事件がありました。

 それは寛永7年(1630)7月21日の事。磐城平藩主内藤政長の江戸屋敷で能が催された席で政宗は幕臣の馬廻衆兼松又四郎と喧嘩に及んだのです。この事件は、細川忠興が国元にいる息子の忠利(小倉藩主)に送った書状や、秋田藩の重臣梅津政景の日記に記されています。64歳で62萬石の政宗と、26歳で700石の又四郎との喧嘩はたいそうなうわさになったようでかが、年齢といい、知行高といい、どうも政宗に分が悪く、次のような落首が辻々に出回る始末でした。

 政宗の太刀は正名(銘)やきば(刃)なし せき兼松にきれはおと(劣)れり

 政宗を名刀匠正宗になぞらえ、又四郎を「せき(美濃国関)兼松」という無銘の刀工に仕立てています。この落首が本当の喧嘩の結果を伝えたものかどうかはわかりませんが、政宗の評判はかんばしくありませんでした。
政宗はとくにこのころ「酒狂い」などと言われ、数々の問題を起こしています。この場合も、若者との喧嘩とは威勢が良いようですが、かえってその威名を失墜させかねないものでした。
この様に、「葉隠」に描かれた政宗像と、そのもとになった実際の出来事における政宗の行動には相当の違いが見られます。政宗にまつわる多くの逸話も、あらためて見直して見る必要があるかも知れません。

と記載されています。(財)瑞鳳殿、市情報センターで 在庫ありませんでしたことから 正確を期し全文引用しました。

 正に末尾の逸話の見直しが必要の見解は至極妥当と思います。小説中心に政宗公像を組み立てている人には特に。

 秋田藩家老の日記を読む「梅津政景日記」読本(1992年刊行渡部景一著)には、要旨から当然、上記のことは記載ありませんでした。尚、この図書は徳川幕府成立時期の大名と家臣等の事を理解するに最適の図書と思います。
「佐竹家譜」(1969年刊行 校訂原武男) の第21世義宣 寛永七年庚牛(1630 61歳) 7月22日の項 下段には、「病後初て本丸登□城。岡道因(固?)語て曰く、内藤左馬宅江伊達政宗饗宴の処に、兼松亦四郎(御馬廻)政宗出入ありと云。」
とバッチリ記載されています。奥坊主がヒソヒソと伝えたのでしょうか。之では 落首が江戸城下に出るのもやむ得ないでしょうね。

 治家記録等 に記載ないようですが、これは政宗公の恥と考え 伊達家では公式に記録しなかった。しかし、他家では 関係ない、巷での話しとして無頓着に記録した事例ではないでしょうか。
政宗公は完全無欠でない人間像を知る事柄と思い市史通信を楽しみました。



3 月 17 日 (水)  



ボラガイド会議

昨日、仙台市観光課主催でボラガイドの会議がありました。年末に実施した事業「街中ガイド」に参加した18団体中12団体が出席で、会議の内容は事業総括と来年度事業遂行に対する意見聴取でした。

お客さまは県外、伊達領以外は過半数に至らないの44%でした。仙台市内からの参加者は歴史を知ったと好評のアンケート回答がありました。

これを基に、意見交換になりました。
来年度も本年度同様に実施するのか、ガイド対象の主体を何処に置くのか。観光ガイドなのか、生涯学習の一端なのか で 主催者は「本年度同様」の回答でした。

年齢・性別で 興味の対象が異なります。商店街を2時間要してガイドし、全ての方に満足を頂く事は至難です。ガイドの趣味で語らべきではありません。しかし、参加団体の名称、代表からして高齢者の歴史愛好者で構成された団体です。一末の不安を感じます。
瑞鳳殿等 伊達家関連史跡のガイドを主力するに転換されたらと思いますが、そこまで 検討が至っていない様子でした。

仙台市内の参加者の歴史を知ったと好評について、我々のボラガイドが如何に対応すべきかです。
生涯学習課からも出席していましたが、傘下の市民センターにボラガイド団体の活用を示唆する等の回答はありませんでした。
官に頼らず民で。 老人クラブ、生涯学習教室、学校等に、我々が直接 DM等でガイドする旨の案内をすべきなのか。しかし組織の体力から考え込みます。

ガイドは増加しているか、教育はどうしているか、ガイド希望者を積極的に受け入れる意向があるか と我々を支援する力強い発言が最後に司会からありました。

ここ10年で約5倍に実施者が増加しています。1対1 又はグループで教授し助合ています。希望者を積極的に受け入れます、照会があったら 紹介をよろしくお願いします と返事しました。他団体は沈黙でした。


会議資料に あかとんぼ が瑞鳳殿でガイドしている様子の写真 2L版で掲載されていて 一瞬の驚きでした。昨年11月30日実施の 他団体交流研修会の模様です。
水玉模様の陣羽織着用しています。又 拝殿の扁額も写っています。カラー印刷にして頂ければ映えたのに。



3 月 16 日 (火)  



勉強会

ガイド仲間の勉強会、趣向を変え「紙芝居」を観賞しました。
仙臺開府400年(2000年)記念に作成された風雲録「龍が呼ぶ独眼龍政宗」・「我奥州王なり」の2本。作 三浦純一、画 小林正男、協力・監修 仙台市博物館です。読手は、NPOシニアネット仙台の朗読倶楽部代表のK嬢です。

内容は、史実と異なるのでは?の個所もありますが、画面の転換等 工夫された構成で、読手は朗読で鍛えた美声で、鬼に金棒 老若楽しめる一時でした。ウットリして居眠り1人。姓はカンではありません。

その後の自由討議。
政宗公の母「義姫」は、「出奔」とある。これは政宗公暗殺に失敗して逃げた事を示している。なぜ 晩年和解したのか?の趣旨の質問がありました。

Eさんは、現代と意味合いが異なります。文字の使い方も現在と異なる個所かあります。「出奔」も「逃げ出して後を眩ます」では無く、「外出する」の意味合いで使用されていた と解説しました。

あかとんぼ も400年前の記録に「欠け落ち」とあり、随分 イロケ・情緒のある話と 読み続けたら、現在の夜逃げ・蒸発の様な世知辛い 意味で驚愕した経験があり、Eさんの説明には素直に納得しました。

この方、政宗公の生涯等を勉強していると申される割に、突飛な質問をされます。教科書は小説中心で、小林清治先生等の学者の著書は読んでいない様子です。危険です。

最近の作家は史料を集め書いているようですが、表現の自由 作者の夢想が折り込められます。赤穂浪士が泉岳寺に向かうに、伊達家上屋敷前通過しています。この際 伊達家では 糒を粥にして供しています。伊達家の記録にあります。伊達家は政宗公以来の覇気が無く 犬を追う如く振る舞った 如く記した小説がありました。小説として楽しむのは結構ですが 史実と一緒にするのは危険と実感しています。

この方、NHKTV「大河ドラマ」のファンらしく、同様な差別が、伊達家でもあったのか の発言となりました。大崎地方は伊達領になった際 葛西家家臣は帰農したから、土佐国の様なことはありません とEさんの解説。

此処で とどめの発言。「NHKTVは歴史考証をシッカリして放送すべきだ。NHKだから 国民は真実と思う。他の民放なら そう思わない。我が家でブツブツ言うと 家族から 見なければ云われる」とUさん。
会場に 同感の笑みが流れ 散会となりました。



3 月 15 日 (月)  



綱村公

善應殿でのガイドの際、寛文事件に及ぶ事があります。その様な事から、2歳で伊達家4代の殿様になられた綱村公に些か興味を覚え、その生涯を年表化し 整理し、勉強を続けています。

昨年6月20日 菩提寺であった大年寺での遠年回忌法要に塩竈市長から献花があり驚きました。
勉強の過程で、その理由が分かりました。
1.塩竈神社の大改修です。元禄8(1659)年に着工し、致仕に際し5代吉村公に完成すべきと言い渡しています。
2.減税・補助金交付等の塩竈湊の振興策の貞享2(1685)年の実施です。

この塩竈と仙臺城下との中間に所在するのが多賀城町と七ケ浜町です。この2町の歴史と物産に観光の現状は如何と思っていた所でした。多賀城町と七ケ浜町の商工会主催の、ご当地検定「わがるすかぁ?」の募集があり、1月27日に七ケ浜町を中心に資料収集と現地踏査をしておりましたので、早速に参加しました。
本日 結果発表がありました。48問中44問正解で合格しました。
多賀城跡には、ボラガイドが多数います。七ケ浜町は???? 何れ あかとんぼ の出番の無い所ですが、瑞鳳殿等のガイドには隠し味として生きるでしょう。その面で合格は嬉しいことです。

綱村公の殿様として波瀾の生涯、萬壽寺、臨済院、大年寺、静寂殿に、一門衆の諫言等を整理し機会あれば発表したいと思っています。



3 月 14 日 (日)  



春の日差し 参拝者が続々と切れ間無く、京都を初め全国からお見えになりました。
定期観光バスのお客さま 先日の10倍余もいました。ガイド嬢は調子が出るのでは。マンツウマンでは苦しかったと推察致します。

朝一番は、全国規模のタクシー会社の研修、約20人。講師2人ばかり、細かい事は語らず、概要の説明に終わった様です。
最後に「このボラガイドの人達に20分 30分でガイドしてと頼むと 無料でキッチリとガイドしてくれます」と紹介してくれました。「皆様はプロ、私達は素人です。私達からガイドしますと売込みはしません。お声がけください」と。

観光タクシーの運転手は 県内各地をガイドしますから 「広く浅く」に成ります。私達は「狭く深く」です。観光のお客様に満足頂く為に活用してください。年期の入った観光タクシーの運転手さんの中には、私達にガイドを振り向け、安全運転の為 一呼吸吸って活用している方もいます。


貸切観光バスのガイド嬢「先日 涅槃門からの石段についてのガイド アレッと思いました。教えてください」に、一瞬 何かマズイ事 ガイドしたのか不安がよぎりました。確認したらわかりました。

涅槃門からの石段の段差は大きいです。腰に響いても数値として理解できません。それで 靴・足裏を段差に合わせて頂きます。即 何センチ とわかります。拝殿前石段は現代仕様です。ここでも試して貰えば 尚 理解できます。
之は、長い坂と62石段で、足腰に響いた様子で 時間的に余裕のありそうな方々に行っています。この計測で皆様 和やかになり 和気藹々とガイドを聞いてくれます。自称 体験型癒しガイドと名付けています。
問われたのは、この事でした。


「京都は妙心寺付近から来ました」と標準語で語る3熟女。伊達家・瑞厳寺等は「臨済宗妙心寺派」と勉強してのご挨拶です。
「本殿の開扉はいつか」から「5月24日は御命日で法要があります。その際、御尊顔を拝めます。色々な奉納もあります。例えば 雀踊りとか」に、 「大本山妙心寺から参りますか」のお尋ね 「通年は 瑞鳳寺さんで、節目の際瑞厳寺さんがお見えに成ります。瑞厳寺が菩提寺です」
独り言 大本山から貫首を招いた事は聞いていません。貫首を招くことは関係者にとってオリンピックを開催する位の大事業ではないでしょうか。京都市内なら可能性あるのかな

「雀踊りは 京都でも奉納しますよ」に 「仙台の雀おどりは・・・その由来・・・壮幼男女の勢いのある男型?・・・」と説明したら「うちは 女型かな チョンチュンすずめ 可愛いよ」でした。名称は同じでも 内容は全く異なります。誤った理解のまま 帰られるところでした。由来・形等まで説明してよかったと思いました。

天女さんを見られ「アレ オッパイ出ている。豊満ネ」と1熟女が洩らしました。「私から話すとセクハラと云われるますので最近は説明していませんが」と 「羽衣」「足裏」「ダリ」迄 会話が進みました。観察が鋭いので「もしか・・・・」で 別女が「この方 日本画の大家よ」と付言されました。ご高名を聞き漏らしましたが その衣服は黒でまとめ、政宗公の様なハイセンスを感じました。たしかに画家でしょう。


「公済病院ご存じですか。どの辺ですか?」 タクシーに乗れば一発 直ぐですと思っても云いません 「はい」と 手持ちの市内地図を広げて説明始めましたが、文字が読めません。老眼かな 困ったなの瞬間 「ガイドさん これ韓国語よ」 コンベション協会配布の市内地図 日本国語・韓国語・中国語の3種類の内 偶々 今日開いたのが韓国語でした。地図ですから 文字が完全に読めなくともわかります。「印す付けて」の要望に応え 一件落着。次回から英語と4種類携行します。

脇門正面の土留工事の都合から 涅槃門は開扉しています。K学芸員は「触らせないように」と注意を喚起します。「塗りだて」です。K学芸員の心配は他人事では無いの思いから、注意を促し ガイドしています。


臥龍梅の蕾は硬く 未だ乙女です。いつふっくらと膨らみ娘に成るのでしょうか。
西の伊達家 宇和島から今朝早く電話がありました。「本日15時 市長が櫻の開花宣言します」と。10日に一輪咲いて開花宣言まで時日を要しました。15時からPCでライブカメラ(監視カメラ)で式典の様子一部始終を見ました。宇和島の皆様 2度目のお花見に 4月仙臺で開花した頃、新装なった涅槃門を拝見にお出になりませんか。


本日誌を記載していたら 携帯電話が振動しました。気象庁からの地震予報です。来ました。揺れています。地震予知報は 確かに 地震より早かったです。何秒後に地震は来ました。一読者から揺れている 船酔いだ とメールが入りました。読者の皆様 被害はありませんでしたか。



3 月 13 日 (土)  



俳句王国

仙臺城址、大年寺跡(現野草園)を5日に吟行しての作品紹介、気になった句

「臥龍梅 枝くねくねと 何狙う」
「青葉城 領地見まわる 春の鳶」

歴史と自然をたくみに捕らえた作品と感心しました。

この番組は、NHKTV・BS2の番組、松山放送局制作の仙台からの放送でした。
見るきっかけは、「四ッ谷の水を街並みに市民の会」の会員で宇津志惣兵衛作事奉行の末裔の方が、番組に出演する、又 吟行個所を案内した際 非常に評価が高かった とのお話です。

尚、宇津志勇三さんの句が 本日の大賞でした。
「啓蟄や 部屋の形に 日が入り」

新装なった涅槃門と瑞鳳殿一帯も吟行して貰えれば どんな作品が披露されたか 残念であったと思いました。



3 月 8 日 (月)  



仙臺城下 芭蕉の辻

仙臺城大手門から東西に貫く幹線道路と南北に縦貫する奥州街道の交差点が「芭蕉の辻」。南部公塔の参勤路であり、高札場であり、城下で特異な場所でした。

此処4辻角に、楼櫓式建築が偉容を誇っていました。この建物は伊達家(藩)の資金で建設され、大店が1階を使用する「公設民営」的なものであったようです。

現在、4辻角には、日本銀行仙台支店の厳めしい建造物があり、下々の民には縁のない通過点に成っていています。08.09年秋に催された観光キャンペーンの際、町中ガイドとて丁寧に案内し、地元TVで放映してくれ それなりの評価を頂きました。しかし、県外からのお客様には 往時の賑わいを十分に伝えたかには、些かの反省点でした。

今般、4楼櫓の4枚の錦絵と詳細な解説文を発見しました。
地元。七十七銀行が所蔵するもので、郷土史家の三原良吉翁が1954年復刻、限定配布されました。翁が「仙臺郷土史夜話」と題して1971年刊行された書籍に「錦絵」と「芭蕉の辻考」の一文が発表・掲載されていました。

本図書の購入は古書店でも購入が困難なので、手持資料としてScanし、B5版からA4に出力し拝見・拝読しています。一級資料の入手と一人ほくそ笑んでいます。


政宗公は城下の給水施設として「四ッ谷堰」を掘削 42km程城下に隈無く布設しました。この水路は「芭蕉の辻」にも東西と南北の2方向で、道の真ん中を「町中堀」として流れていました。高札場があり、当時一番の繁華であった道中に、水路が流れていて、落ちて流される人身事故は無かったか懸念を持つ所です。

今回発見の資料に、高札の場所を示し、4辻の中央部に十字に橋板が掛けられ図面が掲載されています。納得しました。

仙臺は武家屋敷町を「丁」と呼び、足軽・町人の住む町を「町」と呼んでいました。新伝馬町『シンテンママチ』と名掛丁の境は水路「四ッ谷堰」であると、翁は1975年刊行の「宮城の郷土史話」に記載しています。
現地は仙台有数の商店街であり、舗装が他と異なる色彩で施工され、知る人が知る様になっています。疑問は、道を斜めに横断している事です。この水路は芭蕉の辻からの町中堀の下流と異なるのか。なぜ 屋敷裏から表に出て また屋敷裏に至るのかです。130年前の出来事でしょうか。


政宗公の偉業「四ッ谷堰(用水)」を現代風に再現し、潤いのある町造りをしたい思いから「四ッ谷の水を街並みに市民の会」に参加しています。例会に出席し、作事奉行宇津志惣兵衛の末裔に、斜め横断についてお尋ねしましたが、400年前と130年前と時差があり、興味の対象が異なり、当然の事「ハテナ」の返事でした。
宇津志家の屋敷は、仙台駅構内にあったと教えてくれました。作事奉行の屋敷であれば、もっと お城に近い所にあったのではと 意外に感じました。

芭蕉の辻を含む この一帯に「四ッ谷堰(用水)」を現代風に再現したい思いを披露したら、会のリダーである老舗茶舗のお内儀さんが、錦絵では無く アニメ風イメージ画を公開披露されました。一般公開したい作品です。



3 月 7 日 (日)  



涅槃門の工事 着々と進行しています。
灯籠(津田近江頼康・古内主膳重廣寄進)2基は本来の位置に戻りました。脇門通路の路盤補修が施工されています。10日頃には工事完了し、一般参拝者は、脇門を通る本来の順路になると事務所から説明がありました。

ほぼ1年振りで 脇門通行に戻ります。透かし彫りの説明方法に工夫の余地を感じました。正面の〔麒麟・瑞雲〕の通し穴 見え難くなりました。柵の位置が何処に設定されるか、その結果で説明の内容を再検討します。 

涅槃門を潜れる日曜日は、今日が最後でしょう。「頭上の〔麒麟・瑞雲〕を間近で見られる最高の機会です」とお客様にガイドしました。混まない時間に参拝されたお客様は、アップで撮影も出来ました。ヨカッタです。

朝 早い時間で 他の参拝者皆無の時間、埼玉等からの数人に、涅槃門の柱、拝殿・本殿の扁額を望む位置を案内しました。将来 瑞鳳殿に再度参拝される機会があるでしょうが、この視点での撮影は、限りなく不可能でしょう。本日は千載一遇の機会ですと伝えました。以後、本殿前までの撮影要所を紹介しながらガイドしました。
ブログで 涅槃門の美しさを発進してくれるか、検索が楽しみです。

本日 記憶に残った質問 「寶筺印塔は創建当時からのものか」でした。「焼失の際の熱で破損したので、再建しました」と答えました。

札幌からのお客様「3日前から滞在しています。仙台は寒いですね」申されました。今日は確かに、寒いです。昼 客足が途絶える時刻、寒さが老骨にシンシンと凍み始めました。熱いお茶を頂き終わりにしました。



3 月 5 日 (金)  



貴重な写真

創建時(戦災焼失前)の瑞鳳殿の政宗公御木像、本殿内部、欄間、唐門、拝殿扁額、そして涅槃門妻の唐獅子彫刻等10葉の写真に接しました。

瑞鳳殿については、戦前 写真絵葉書が販売されております。全国の古本屋網で購入出来、あかとんぼ も20枚ほど購入しました。又、ガイド仲間等からも複写写真を頂いております。ガイドの際に活用しています。今回の写真は、初めての画面があり、私には貴重な写真です。

写真は、藩志会の取材の際、広報部長から(財)常務に提示されました、「仙臺藩志会の会報14号」に記載されていました。〔昭和20年7月9日夜仙台空襲にて焼失した 伊達政宗公霊廟瑞鳳殿〕の標題です。コピーさせて頂きました。感謝です。

解説に、
「この瑞鳳殿の写真は、昭和20年7月の仙台大空襲の戦災で焼失した以前のものである。元白石城主片倉小十郎の子孫片倉信光氏が所蔵されていた硝子版のネガを東京・国立文化財研究所で焼付・保存し返却された。当時宮城県文化財友の会副会長○氏が複写ネガをつくり、片倉氏と各自で保存した。その一部が昭和50年1月発行の〔宮城県文化財友の会たより(会報2号)〕に掲載された。今回、再録した」とあります。

「宮城県文化財友の会たより」は宮城県立図書館郷土資料室に所蔵されていたと記憶しています。



3 月 4 日 (木)  



瑞鳳殿の涅槃門 化粧直工事完成?

昨秋工事開始以来の足場・覆い・仮設通路の全てが撤去されまして、工事安全施工の為 移動した灯籠(津田近江頼康・古内主膳重廣寄進)2基の原形復旧を残すのみとなりました。明日には完了するでしょう。
本日は、門を潜れましたが、近々、閉門されるでしょう。

本日、仙臺藩志会の会報「きずな」の巻頭文の取材と写真撮影があり随行しました。
本日は生憎の曇天ながら、絢爛な赤・青・真黒等の色は輝いていました。門扉の黒漆は鏡の如くピカピカで、撮影者の姿が映り 苦労する所でした。晴天であれば最高であったのに 些か残念でした。

取材を傍聴した範囲で、

@色は、復元時は本殿等は、戦災で焼失する以前(300年経過した)の色に記憶ある人々の忠告により、古色を採用した。本殿を2000年に化粧直工事の際に、1637年創建当時と推定される色で施色した。本殿との一体感を求め、涅槃門も創建当時の色を追求しました。

A経費は、「霊廟整備基金」で賄った。入場料収入を積み立てもので、自治体からの助成はありません。

B総額は、感仙殿等の化粧直工事経費より少ない、片手指を何本か折り曲げた金額です。

C施工は、日光市の小西美術工藝社です。

D監修は、飯淵康一〔(財)瑞鳳殿理事、東北大学大学院教授〕氏と佐藤巧〔古建築研究の一任者、東北大学名誉教授〕氏の2氏です。

本日 撮影写真は巻頭に掲載しました。頁資料館の「涅槃門」は改定します。乞御期待。



3 月 3 日 (水)  



参議院予算委員会で総理は「3月3日は何の日か」と質問されて「全国的にひな祭り」と答えていた。
質問者の趣旨と回答とがすれ違いを示した一瞬です。

あかとんぼ もハテナと思いました。生まれた地では、ひな祭りは4月でしたので、「全国的」に違和感を覚えました。仙台も 昔は4月だったと思いますが 最近は国際化で全国的の範囲に入った様です。

瑞鳳殿では、1日から「政宗公と愛でるお雛様」と題して、仙台名産品の堤人形と吊し雛を売店で開催しています。堤人形のお顔は、品格のあるお顔です。昨年と異なる人形を飾っていますから、昨年拝見したと申さずに 今年も是非お出で下さい。お雛様拝見だけなら無料です。



3 月 1 日 (月)  



「伊達家の秘話」
独眼龍一族の知らざる素顔の副題で、標記の本が2月9日発行されました。

著者は、伊達家34世18代当主と登米伊達家遠祖白石若狭宗実の末裔白石宗靖氏です。

秘話とありますが、400年以前の出来事でお二人しか存知ない話は 存在する筈が無く、正真正銘の秘話なのかは疑問として、「伊達治家記録」に、あかとんぼ座右の書である「仙台市史」「仙臺人名大辞書」等を参考文献とされており、信頼できると思います。

2月27日出版祝賀会が、仙台市長、上杉家当主、宮城県内各界・仙臺藩志会の代表等260人が参集し催されたと地元紙は大きく報じています。
参列者には 当然 著書の贈呈があった筈です。著者二人の署名がなされていたかです。あかとんぼの希望としては、「為書して欲しい」です。

2月28日から、瑞鳳殿 売店で販売しています。読みやすい文体です。ご一読をお勧めします。





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