2010年6月の日誌
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6 月 28 日 (月)  



「私の仙台城跡ガイド」と題して、ガイド仲間「ぐるーぷ・よっこより」の現地勉強会が開催されました。
講師は、新進気鋭・研究熱心なNKさんです。

之まで、Eさん、Nさん、Uさんに あかとんぼが 講師になり、あかとんぼは 御裏林も担当しました。これらの資料を保存しており、先人の語り落ちた事あれば発表したいと  大変に勉強された資料で 説明してくれました。

事例として、晩翠の詩碑は全国に5ケ所あり、岩手県二戸市所在 九戸城址の詩碑は 晩翠の直筆である。又、九戸の乱 制圧・撫斬りの様子を語られました。聴いていて 「荒城の月」の情景が切々と思い起こされました。

講師が変われば、調理の仕方が変わります。別の見方、新情報が披露されます。勉強になりました。

ガイド仲間の現地勉強会は悪天候に見舞われる確率が高かったのです。今日は 雨の予報で傘持参者が多数でした。しかし晴天でした。
登米伊達家址に所在する 国際会議場レストランで昼食を取りました際、話題になりました。食後 傘を忘れた人が ヤハリ いました。
 

案内標識の掲示、新旧資料から 「ハテナ」の事項。

1.櫓の階層の表現がバラバラである事。例えば 詰門脇櫓 三層と三重とバラバラに表現されていることです。現代では3階建と表現し、城は層で 塔は重と と理解していました。識者の方 ご教示 お願いします。

2.建造物の表現 桁行○○間(約○○.○m)です。間・尺での建造物は、完全に6尺をもって1間で造られているのかです。柱間 1を1間と表現している建造物が多々あります。たとえば、瑞鳳殿・本殿の桁行は3間(柱間3)5m80cmと表現しています。

古建築の場合、メートル表示は換算後の数値ですから 「約」と頭に付け、単位未満の数値まで表現しています。単位未満まで表現するなら 「約」と頭に付ける必要はないと思います。



6 月 27 日 (日)  



政宗公は、寛永13年5日24日卯の刻 行年70歳で 江戸・桜田屋敷で亡くなられました。
太陽暦では、1636年6月27日午前6時頃 です。

あかとんぼ 本日のガイドの目玉は これです。本日 政宗公の御命日です。太陽暦換算すると。

所要で定刻より30分遅れ、到着したら 境内は参拝者で溢れ還っていました。仙台北部団地町内会70余名と某大学弓道部40余です。町内会の人々は、(財)瑞鳳殿に予約されたか 学芸員の二人が 瑞鳳殿と感仙殿と別れ説明していました。仲間のNKさんが 前座を務めていました。

弓道部40余人は ループルバスを利用されたそうです。若い人達です。市内の地理にも精通しています。路線バスを利用し、観光される県外の方々に ループルバス乗車の配慮があれば 最高だったと思います。少なくとも乗れなかった県外の方々に、仙台市内観光に15分以上 ロスさせてしまいました。

瑞鳳殿で我々 ボラガイド活用しなかったも 一大失点です。


あかとんぼ と同年齢の男性、混雑に紛れて 入場件買わずに 有料区域に入って来ました。
「政宗は 何処で生まれて 何処で亡くなった」
「政宗公は、山形県 米澤で生まれ 江戸 桜田屋敷で 亡くなられました」
「フンー。岩出山に移り 青葉城で亡くなったろう・・・・・・」  ガイド お前なんかの 雰囲気です。

「ハイ お客様 正確に。永禄10(1567)年8月3日羽州・置賜郡 米澤城で産まれました。天正19(1591)年9月23日秀吉の命で岩出山に築城。慶長5(1600)年12月仙臺城築城を開始、寛永13年5日24日卯の刻、太陽暦で1636年6月27日午前6時頃、江戸桜田屋敷 現在の日比谷公園で亡くなりました」

再び「フンー」「所で 裏の道路は公道か。私道か」 「細いですが 公道です」
三度「フンー」「所で 近々 VIPを案内してくる。勉強しておけ」
「ハッハー」

本日は 真夏日です。冷やしたタオルを持参。頭を冷やし乍ら Yさんと一服を入れました。目の前。

手水鉢で 漱いだ後、手杓を右目にあて 列の間に吐竜頭を配置し 記念写真を撮影している男女6人。この着想の素晴らしい事。10年ガイドして初めて お目にかかりました。天才的才能です。

「大学生ですか」 「社会人です」 なかなか ハイセンスの持ち主です。涅槃門の麒麟を説明したら「私の会社のマークも麒麟です」 麒麟麦酒の社員にガイトした事 皆無です。本当に麒麟麦酒の広報課員であったら 10年目の快挙ですが。

寶筺印塔で、「最年少者は 当時の数え方で22歳です」に 「アレー 私と同じ歳」 そうですか。現在の数え方で20歳?ケ月です。 平成生まれが 会社で活躍する様になったのです。

楽しいガイドとなりましたので、あかとんぼからのお土産として 一緒の記念写真を瑞鳳殿本殿を背景に撮影しました。あかとんぼ の背中「竹に雀」の紋所 目に入らぬか と。好評でした。

この方々をガイドしている様子 Yさまから写真の送信があり 表紙に掲載しました。



6 月 26 日 (土)  



伊達学塾 (仙臺藩志会主催)が久々 開催されました。

講師は、涌谷町観光ボラガイトのS氏です。
内容は、
1.涌谷町の観光 歴史・催事・史跡等の紹介
2.涌谷・伊達家の系図紹介
3.涌谷伊達氏と寛文事件

3番の件は、寛文事件の分析 事件の深層等を 「我が殿涌谷伊達氏の立場から」を期待したが 至りませんでした。

本日の講師は、大槻文彦著を基本参考図書としているそうです。
私は、@平重道著「伊達騒動」仙臺藩の歴史U 1970年刊行  A仙台市史・近世2 2003年刊行を 基本参考図書としています。


戊辰史研究の木村さまに久々 お会いしました。「教えてください」と標記された紙を頂きました。驚愕と表現するか ヨクゾ ここまで調べていると感心する内容です。

1.仙台市内にある戊辰の役の碑は、瑞鳳殿と天満宮の所在だけか。
2.戊辰の役に縁の深い寺は、黄檗宗 大年寺・萬壽寺以外は。
3.藤原相之助ほか 戊辰史で有名な17名の墓所はいずこに。
4.堀越邦正ほか8名の年齢。

何れも 「仙臺人名大辞書」等 調査し不明で 尋ねられたでしょう。心当たりのある方等 一報頂ければ 木村さまに取り次ぎします。



6 月 25 日 (金)  



「八幡の杜」と称する施設が八幡町交番の裏手にひっそりとあります。八幡宮の門前町を象徴する造り酒屋の広大な屋敷と工場が移転した跡地で、盛業時代の庭園と作業小屋の一部が、残存したものの名称です。

此処で、仙臺藩志会総会又、6月19日に博物館で講演された、東北大学東北アジア研究センター授教  仙台市史編纂専門委員の平川 新 氏の著書「歴史探訪 関山街道を歩く」の展示会が開催され、見学して参りました。

本図書は、2009年3月発行と同時に完売、再刊が切望されている図書です。八幡町から天童までの 関山街道を歩いて 古道等を紹介しています。街道研究をしている人々には垂涎の図書です。

展示は、主要部分のみですが 拡大表示され 図書では読み切れなかった古図などあり、有意義な展示です。
ただ 広報不足か 見学者 皆無です。貸切り独占で 見学して来ました。



6 月 21 日 (月)  



本日は夏至。曇天故か昼が長いと感じません。

瑞鳳殿 経ケ峰 濃緑 しっとりとしています。参拝者数は予想外です。

券売所前まで 登ってきて 「ここから 有料地区なの?」と引き返した お客様 30分に2組6人。
東参道が発する 運気を貰いに来たのでしょうか。でも、入場料を払い 本殿でお詣りしないと 願い事は 叶わないと 思いますが。

「ガイドお願いできます」 「はい どうぞ 20分から30分頂けます」 長いと申す表情 「5分でも10分でも ガイドします。一応の満足頂くには30分は欲しいです。どうぞ 何時でも 《時間ですストップ》 を掛けてください」と始めました。

日光には何回か訪れたことのある 青葉区・泉区・若林区の盛年婦人です。「短時間で」が 「何時までも」の心境になった様です。資料館に入館したら 出て来ません。

13日の地震 被害は私が随行し調査確認以上無かったそうです。対策が効果あった訳です。慶賀です。

気候と景観が最高のです。ガイド付きでの参拝をお勧めします。

休憩室にパンフ配布棚があります。「せんだい市史通信22号」等 貴重・有効な資料があります。
「仙台歴史ミュージアムネットワーク(歴ネット)シート D瑞鳳殿 no1 瑞鳳殿とは何だろう」なる 資料がありました。完全 フリガナ付です。対象は日本の小学校低学年の様です。大変良く出来ています。
中学生の学習報告書の下書き資料にも最高です。活用を勧めます。

この資料でガイドする場合@ホトトギスは 現在の時鳥ではなく 郭公です。A1636年5月24日は太陰歴です。太陽暦では6月27日です。B死亡時年齢は70歳は 当時の数え方 満年齢方式では68歳9ケ月です。と 補足するかも。



6 月 20 日 (日)  



両足山(リョウシュウザン)大年寺にて、本日 伊達綱村公御命日に当たり、追悼法要並びに歴代藩主慰霊祭が催されました。

霊祭は、大年寺本堂にて、
読経 大年禅寺34代武内邦生 外 黄檗宗 5僧侶。
焼香 @伊達家18代当主伊達泰宗様 A殉死者後裔会代表 B仙臺藩志会 C(財)瑞鳳殿 D大年寺壇信徒代表 E大年寺会代表の順
挨拶 伊達家18代当主伊達泰宗様
で行われした。

マイクロバスで、「無尽灯廟」に移動。綱村公墓前で塔婆供養(読経・焼香)。

大年寺客殿にて、参列者一同会食。

会食開会挨拶に初聴事項・・・・披露します
本日 追悼直前に お茶を献じました。このお茶は「桃生茶」です。
400年前 政宗公は産業振興の為に茶の栽培を奨励され、各地に茶の樹が植えられ、「桃生茶」は日本最北限の茶として、静かに 力強く 宮城の気候と北上川の朝・夕の霧によって育てられ、立春から88夜ではなく 108夜に刈り取られます。その新茶を献辞ました。

食後 馳走になりました。確かに 美味です。
生産者は 桃生町樫崎字鹿島58 tel 0225-76-4772 鹿島茶園佐々木浩さんです。販売は塩竃市 矢部園茶舗022-304-1515です。

之より 私感。
1.寶華林廟 開門されていましたが、バスは無停車。車窓からの遙拝に終わりました。なぜか?

2.今回も ご案内は 大年寺会から頂きました。会長は、女性で 美しい方です。Uさん 「伊達家血脈筋の方?」と洩らした所 御本人が現れ 「私どもの先祖には、伊達家家臣であった方もおりますが、敗戦後 事情があったにせよ、伊達家墓所を中心とする大年寺跡の荒廃著しく 惜涙止まらず 清掃・草取りに立ち上がった 志のある者の会です。どうぞ」

Uさんは、昨年も自発的に清掃・草取りに参加しています。即 入会を表明されるな と推測していましたが。 暫時経過 「各種団体に過入会で、年会費支払いが小遣いに響いたので」と小さいこえで洩らしました。理解できます。同感です。なおUサンは入会しなくとも 草取りには参加するでしょう。志と気のある人です。

3.現住職武内邦生は、大本山萬福寺から派遣され 09年09月04日に就任された自己紹介がありました。基なる寺を直々 尋ねた所、「小田原市入生田303 長興山 紹太寺」 との返事。
 綱村公正室仙姫は、小田原侍従稲葉美濃守正則の娘です。正則は 黄檗宗の信者であり 幕閣の実力者です。この御縁で仙姫の菩提寺 萬壽寺に、当大年寺の創建も容易に許された史書にあります。

稲葉家の菩提寺は紹太寺ですから 本山経由とは申せ 大年寺住職に就任とは、佛縁と申すのみ。
尚 紹太寺については、http://www.choukouzan.com/midokoro.html をご覧下さい。

4.6月3日太白区市民センターて゜「大年寺と黄檗宗の食文化」と題して 福島美術館学芸員OM氏の講演がありました。所要の為不参加でした。Uさんが資料を持参され、「講演内容が濃かった」の感想でした。資料一読、資料内容も濃いものでした。

清楚な女性が撮影等していました。噂の御本人と確認、早速 挨拶に参上しました。「先生と言わないで」と苦笑いながら 応接頂きました。若林区土樋に所在する福島美術館は 派手ではありませんが その収蔵品の品格は高いものです。秋 特別展のご案内を頂き 時間に余裕があれば 解説をして頂けると約し メールアドレスの交換を致しました。之まで 「黄檗の書画 隠元禅師が伝えたもの」展を催しています。楽しみです。



6 月 19 日 (土)  



梅雨の晴れ間だそうです。快適です。

「政宗の外交使節 慶長遣欧使節 」と題する 大講演会が仙台市博物館で、本日13時30分から16時過ぎまで催されました。

正真正銘 大講演会であった証拠として 演題・講師・肩書・時間を紹介します。

1.講師紹介 
  濱田直嗣氏   宮城県慶長使節船ミュージアム館長 「俗称 サン・ファン・ハスタ号艦長」
  市史「慶長遣欧使節」編 総説 担当
  13時35分から45分

2.演題1.「慶長遣欧使節と徳川家康」 
  平川 新 氏    東北大学東北アジア研究センター授教  仙台市史編纂専門委員
  13時46分から14時25分

3.演題2.「使節の証言者アマーティの記録」
  平田 隆一 氏   東北大学名誉教授  仙台市史編纂調査分析委員 
  14時26分から15時

4.演題3.「慶長遣欧使節とソロテ」
  五野井 隆史 氏  聖トマス大学院教授 仙台市史編纂調査分析委員
  15時15分から 終了時刻不詳

会場は、仙台市博物館大ホール(定員200人)

以下、あかとんぼの主観入 概要・感想

1.人気絶頂です。13時19分に会場に到着した時点、目の前で 200人の定員を超えましたの告知。早い昼食をし、バスを乗り換え、追い抜き(バス停から会場まで5人は追抜)をしたのに、「満員です」は目の前が真っ暗になる心境です。市史編纂室長は新進気鋭 回転が早いです。「別室用意できました」 定員80人ほどの研修室でケーブル中継です。折角ですから 最前列で拝見・拝聴しました。

 折角ながら 講師の息づかい等は感じられません。レストランに行って 缶詰の携行食を馳走になった感じです。メリットは、万が一居眠りしても 講師から見えませんから その点の気遣い無用な事です。

2.研修室の椅子はパイプで弾力ありません。気遣いの冷房は効きます。この悪条件に 途中休憩の際 ホールには、中途落語者が必ずいる。そこに潜り込むべくを計画しましたが、本人 腰痛を感じ 落伍しました。尚 落伍者でバス利用者は 1台分おりました。

3.平川 新 氏の「慶長遣欧使節と徳川家康」は、4月8日の仙臺藩志会総会で「伊達政宗の謀反の噂と徳川家康」の演題で講演された際、続編は 「市史セミナー(6月19日)で」と予告されていましたので 期待高まる所でした。少なくとも90分の予定が30分に圧縮され 内心 慌てたと予測しますが、私も 続編を聴けるか心配しました。

@伊達政宗公の支倉常長遣欧使節とは、
Aソロテの宣教計画  「政宗は次の皇帝」とアッピール
Bスペインとの軍事同盟
C家康と政宗の外交の相違点・・・商教分離外交と商教一致外交
D二元外交がなぜ可能になったか・・・幕府の外交体制の未確率にあるる。
E家康と政宗の国家構想・・・スペインとの通商交渉からみる違い・・・キリスト教的文明化を拒否した国家体制の模索とキリスト教的文明化を容認した領国体制。
F鎖国えの道   日本主導の貿易統制と出入国管理体制 「鎖国」が実現できたのは、世界最強国のスベインをも追放できる強大軍事国家であったから。

最後に 歴史に「もし IF」 は禁物であるが、常長が通商交渉が成功し 貿易が行われれば 如何なる様子になったか。

藩志会総会講演では、「政宗公は家康・秀忠にうまく牛耳られた、押さえ込まれた」とまとめられました。今日は「伊達家は取りつぶされた でしょう。伊達家が通商交渉に成功し 貿易船が入港し。宣教師が入国・活動した場合、伊達領内のみの特権とは認められず、伊達家取りつぶしになったでしょう」と結びました。

4.平田 隆一 氏の「使節の証言者アマーティの記録」と題する講演は、アマーティ著「伊達政宗遣欧使節記」を如何に、読み解かす 眼光紙背に に至る方策の解説とも云える講演でした。
 @アマーティとは何者なのか、A執筆の理由・経緯、B史料としての 信憑性、C翻訳の問題点 に区分し会されました。この解説なくとも 読めますが 果たして 眼光紙背に達する事ができるかと 感心しました。高校寛文の参考書と 同様の有難い講演でした。 

5.五野井 隆史 氏の「慶長遣欧使節とソロテ」と題する講演は、体調不良から落伍し拝聴していません。誠に残念の極みです。

 レジメの最後に「政宗宛贈答品購入費2000ドゥカード以内の認可」とあります。2000ドゥカードとは、幾ばくの金額なのか、その意味する所はなんぞや であります。

 本書に、「慶長遣欧使節の贈答品などについて・・・・・・高橋あけみ」論文が掲載されています。之には、瑞鳳殿で副葬品で発見されたペダント等4点の記述が見当たりません。
 この品の解説があったものか。

6.館長も濱田先生も 市史「慶長遣欧使節」は 高価で、重い品です。ドンドン買って下さいと 勧めにくい本ですが と勧めていました。確かに重量はあります。寝ころんで読める本ではありません。高価かどうかは、期待以上の情報があれば 安価でしょう。

梅雨 瑞鳳殿ガイドが休みの日には 熟読玩味に努めます。私は お勧めします。

最後に、 之だけの内容を これ程の最高の講師を招いていて 時間が不足でした。講師90分は最小限 必要でした。4−5回の連続講義で 再度開催を検討して頂ければ と思います。
  




6 月 17 日 (木)  



3.5m「斗木共」が圧倒する宮大工西岡常一の技」と題して、本日発売の週刊新潮に半頁掲載されている。

「斗木共」とは、上からの荷重を支える「斗(マス)」と荷重を横に逃がす腕状の「肘木」を組み合わせたもの。掲載写真のものは50の木片を組み合わせたもの。

10年の工期と50億円の経費で大改修した唐招提寺金堂において、150屯の屋根22の「斗木共」で支えている。

巨大な木材を扱う堂宮大工の特性は、高層建築の荷重分散の基本となっている。

手間賃はどうか。
寺院の平均的大きさは50坪。同じ大きさの一般的家屋なら半年で3000萬円。寺方は1年半で約1億5000萬円。とあります。
一般的家屋 連続して仕事があれば9000萬円 宮大工は1.67倍。これが技術料でしょうか。

サテ、瑞鳳殿本殿の三手先斗木共は、2000年の大改修の際 鉄筋コンクリートから木になりました。が、阿吽の龍8首約400kgを含む屋根重量を支えているでしょうか。



6 月 16 日 (水)  



河内口説(カワチクドキ)

伊豫・吉田 伊達家3萬石城下に伝わる「宇和島市指定無形民俗文化財」です。
口説とは、伝統的な音楽(民謡など)で語りの部分、又は語るような調子を言う。盆踊り唄に唱い継がれている。一般に「踊口説」と言われているが、多くは叙事的歌謡を取り入れたものである。

河内口説は、250年前に伝えられたされている。
踊り手の人数にに分けて外題を列記すると
2人踊り
1.牛若弁慶 2.山崎街道 3.苧環 4.扇子踊 5.24 6.後藤又兵衛 7.番随院長兵衛 8.熊谷敦森 9.
笠踊 10. 太刀踊 11. 袖踊 12. 義経千本櫻 13. 一の谷兜軍記 14.太閤記十段目 

3人踊り
1.志賀団七 2. の組の喧嘩 3.鞍馬下り 4. 曽我兄弟 

4人踊り
1. 坊さん踊

外題(演目)からみれば 大衆芸能的ものである。

吉田で「志賀団七」が人気の高い演目で、1640年が舞台で、剣術指南の志賀団七に 父を殺された 宮城野・信夫の姉妹が油井正雪に弟子入りし 見事かたきをとるストーリーである。

歌舞伎では「白石噺」として演ずられ、白石市を訪れると 聞かさ 仇討ちに実際に使用したとされる「薙刀」「鎖鎌」などが見せられる事があります。

サテ、なぜ話題になってか。「6月4日に吉田の「河内口説保存会」の代表が、事件発祥の地「白石」を視察した」と本日 地元紙のローカル版に大きく掲載されたからです。

奥州・白石の事件が  指定無形民俗文化財になり、遠く伊豫・吉田に残っている不思議を感じました故です。

本稿は、新聞記事と宇和島市教育委員会編纂「新宇和島の自然と文化2」に依りました。

1.2人踊りの5. 24は 24ではなく なぜ24なのか。
2.なぜ河内なのか。 大阪の河内地方と関係あるのか。
以上 2点 宇和島市教育委員会にメールで照会中です。回答あり次第 報告致します。



6 月 14 日 (月)  



仙臺は城下町 その雰囲気は

伊達62萬石の城下町ながら 1945年7月10日の米国の空襲で全て焼き払われ、その後の都市計画で近代都市に変貌し、金澤等と異なり 城下町 その雰囲気は皆無と云われ 町中ガイドでも 苦労した所です。

しかし、城下町の趣が意外な形で残っていました。

6月12日は、1978(昭和53)年の宮城県沖地震から33年目で、仙台市は各区単位で総合防災訓練を催しました。9月12日に あかとんぼ邑でも 学区単位で実施する予定で 連合町内会長と 案内を頂いておりませんが、押しかけ視察に訪れました。

会場は「東六番丁小学校」 この学区は仙台駅北東部。訓練は避難訓練から始まりました。各町内がプラカードを掲げ 避難民として入場してきます。住居表示で消えた町名筈の町名が書かれていました。

訓練要綱を確かめました。「空堀丁町内会」「新名懸丁町内会」「花京院町内会」「東裏丁町内会」「裏山本丁町内会」「宮町・・・町内会」「旅籠町町内会」「車通南・北町内会」「金剛院丁・・町内会」「小野田・・・町内会」等 未だ記載あります。

行政の場では文化遺産と称され 抹消されましたが 城下であったこの地区は、商業・ビジネス街 高額マンション街に変貌し、99%は転入者と思われます。しかし 日々の生活の場では、140年前と同様に連綿として使われているのでした。 まだ 外にも 事例があるでしょう。

仙臺は城下町 その雰囲気を伝えるものがあった。凄い発見と自己評価しています。

尚、 あかとんぼ邑は、藩政時代 伊達家の狩り場で 鳶巣山と称された、現在は 城下の造酒屋が 造成・売り出した土地故 酒の名前が地名になっています。これは 文化・歴史遺産の地名とは言われないでしょう。藩政時代の雰囲気を伝えているとは言われないでしょう。



6 月 13 日 (日)  



杜の都防災メール
震度速報
2010年06月13日12時33分
宮城県北部で震度4の地震を観測しました。
宮城県南部で震度4の地震を観測しました。
宮城県中部で震度4の地震を観測しました。
念のため、津波に注意してください。
【震度5弱】
福島県浜通り
【震度4】
宮城県北部,宮城県南部,宮城県中部,福島県中通り
【震度3】
岩手県沿岸南部,岩手県内陸北部,岩手県内陸南部,山形県村山,山形県置賜
福島県会津,茨城県北部,茨城県南部,栃木県北部,栃木県南部,千葉県北東部

以上は、仙台市消防局からの地震速報(Sun, 13 Jun 2010 12:34:56 +0900 (JST))です。1分も経過しない内に これ程の情報が流されるのです。

通常 お昼 この時刻になると なぜか参拝のお客様からのガイド依頼が途絶えます。事務所で「陣羽織」を脱ごうとしたら グラグラ 「地震だ」の声。揺れは3−5秒程度 比較的短時間でしたが 揺れました。S主任から「震度4です。 震源地は福島県浜通りです」 誠に早い速報です。

「陣羽織」を脱ぐのを中止、瑞鳳殿に急行しました。まだ お客様はザワめいています。驚いたでしょう。供養塔、寶筺印塔 何れも倒れていません。怪我した人も見当たりません。無事でした。お客さま「本殿内でガチャンと音がした」と教えてくれました。事務所に報告しました。

M職員が本殿内を確認したところ、「燭台が倒れていた。それ以上の被害が見られなかった」との事、感仙殿地区の確認に随行しました。感仙殿・善應殿共に、殿内に異常が認められず、先行したO職員から「燈篭にも異常認められず」の言に、M職員が安堵した時、「瑞鳳殿の石段の燈篭 上から2ッ目 激しく揺れました」と お客様の言。

確認に戻りました。脚部と燈篭部に東に5cm程度ズレ、また 窓部もズレが見られました。
この燈篭は、2008年6月14日08時43分に発生した「岩手・宮城内陸地震」の際にもズレの痕跡が確認されています。今回のズレ その時のものと同一か 別かは あかとんぼ には分かりません。
この供養碑は、家格・一家、預所・佐沼、亘理伯耆守宗根公が寛永14年7月24日に寄進したもので、色具合からにその当時373年前のものようです。

「岩手・宮城内陸地震」の際には、寶筺印塔の一部に落下 また 地割れの被害がありましたが、今回 一目した限りでは被害が見られず、参拝者の人的被害もなく 慶賀の極みです。

12時59分18代伊達家当主泰宗様が、自ら車を運転しいち早く駆けつけられました。天正13(1585)年10月8日輝宗公が二本松・畠山義継に拉致され、政宗公が阿武隈河畔に急行した時の心境でしょうか。乱にあって治を忘れず、一礼され 瑞鳳殿に急行されました。あかとんぼ 御当主から先に一礼されたの 初めてです。感激しました。しかし 有頂天になる事なく 人・車の混雑する城下を慎重に運転し 城外の在の巣に向かいました。 

「岩手・宮城内陸地震」の際には、仙台市経済局高級幹部、教育委員会文化財課課員が、即日 来訪 被害確認をされています。今日も 午後 来訪されるのか。 

1978(昭和53)年6月12日の宮城県沖地震の際には、震度5の激震で、寶筺印塔20基全て台石を残し倒れる等の大被害に見舞われています。どうも6月12日、6月13日、6月14日と 6月中旬は厄日の様です。

以下 本日の特記事項
1.ご高齢の御夫妻から本殿前で「この壁面の彫刻の作者は誰ですか」と尋ねられました。普段にない質問で、一瞬 頭内空白 資料記載頁見当たりません。佛師でもある Uさんに応援を願いました。

 「富山県井波町の社寺彫刻を特異とする宮窪繁氏です」とサラサラと答えてくれました。「今晩 その宮窪さんの息子と会います。仙台を訪れたら 父親の作品を見てくれ と言われ、予定変更し 瑞鳳殿に参りました」 分かっていての確認、ガイドの知識のテストでしょうか。
 彫刻と作者については、E代表の資料にもあります。記憶の頁から欠落したのは ボケの始まりか。不覚でした。

参考まで、
瑞鳳殿内部 政宗公座像は、日展審査委員 阿部正基氏 用材は 樟(クス)
涅槃門の蟇股、妻飾は、宮城県美術協会理事 林鳳雲氏 用材は 樟(クス)
感仙殿・忠宗公、善應殿・綱宗公の座像は、圓鍔勝三氏  用材は 樟(クス)

2.「高齢者15人 30分 イヤ 時間気にしないでガイドして」「みなさん 地元ボランティアガイドさんです。ゆつくり どうぞ」 ベテランの域に達したガイド嬢です。熱心に聞いてくれます。熱がは入りました。

ガイド嬢 曰く 「数人60代いますが 全員80代です。天童温泉に宿泊、サクランボ狩りをして 仙台は瑞鳳殿のみ見学、お昼は牛タンを賞味して そのまま バスで東京に戻ります。 国内旅行は 外国旅行より高額です。昨年は瑞厳寺を参拝しました。私 矢本の生まれ だから セッセと宮城県を売り込んでいるの」

誠に有難い お話し。80代にして 難聴の方いませんでした。マイク使用しない生声を聞き返し事なく聞いてくれました。して、牛タンのお昼とは 年齢を超越した方々です。来年の再来を約しました。

3.若い男性、目がパッチリした彼女と手を結びながら 「仙台に来たら モテルだよんな 声かけられる」の大きい一人声。
Tシャツの背に竹に雀の家紋が透かし絵風に、また 漢字で黒々と「奥州一宮塩竈大明神」と書かれていました。漢字を読める日本人は つい 読んでしまいます。読まれると モテて 声をかけられた と有頂天になっているのでした。

祭神の武甕槌神(タケミカヅチノカミ)、経津主神(フツヌシ)、塩土老翁(シオツチノオジ)は、喜び 苦笑しているでしょうか。

このペア、UさんとYさんに ガイドを依頼し、Uさんがガイドをし、その様子はYさんのブログ「second time」に写真入りで掲載されています。どうぞ。

4.政宗公は棺桶に・・・・・の説明をしていたら 「私の地方では 桶棺はタテカンと言います。箱棺はヨコカンと言います。30数年迄 土葬でタテカンでした」 「あら 私の方も土葬でした。墓が傾いたり 足が取られたりしました」 「どちらからですか」 「新潟です」 「徳島です」 「私も徳島です・・・」お客様同士で 賑やかになりました。

タテカンと 呼ぶとは 初めて 知りました。

日本語圏外からのお客様 多数見えていました。パンフを確認しましたら 日本語と英語の両方持っていました。それ以上のツッコミはしませんでした。



6 月 6 日 (日)  



経ケ峯の主峰から 突然 取りの鳴き声が聞こえて来ました。何 鳥かなと耳を傾けていたら、都会育ちのお嬢さん達から「オジサン ホウソウですか」と 問われました。ナニ鳥か思案していた所にご質問です。「サテ ホウソウと言う鳥とか分かりません。でも ナニ鳥か 思案していたところです」 「オジサン 鳥の名前でなくて スピーカーで 観光客サビースで放送していのか、尋ねたのです」
ハヤトチリに愕然。

「今の鳥の鳴き声は、放送ではなく、生の鳴き声です。
ご承知のとおり 政宗公は旧暦4月18日 杜鵈(ホトトギス)と聞きたいと 本地を訪れ 終の棲家 定めたと伝えられています。杜鵈は 不如帰ではなく 正確には郭公です。
ナニ鳥か思案していたところです。正確な所はわかりませんか、郭公の幼鳥かも知れません。今の時期 鶯を初め 幼鳥の啼き初め 練習がママ聞かれますので」

「オジサンアリガトウ。仙台は田舎ですね。鳥の鳴き声が 聞かれるのですね」
これは 褒め言葉でしょうか。


神奈川県川崎市からの若くない御夫妻。初め奥様は静かに聞いていました。涅槃門から文山扁額と進むにつれ、地力を発揮し出しました。
涅槃門の麒麟を見て、一発 「ハイ 麒麟です」と答えられました。9割の方は「龍」と答えます。いささか 社寺の彫刻を勉強されているのでしょうか。

本殿の天女さんを見上げた途端「アレー 豊満ですネー 肌露わネー」の歓声。
ご婦人から これ程 スッパと言われれば、後は斟酌無用 気楽に説明できます。でも ご婦人で これ程 素直に発言される方は 珍しいです。

九十歳代のご婦人、車椅子で裏口から参拝に見えました。涅槃門前のベンチに爺・婆様 留守番させて 若い人々は参拝に登っていきました。老老ガイドは お手の物ですと お相手、ガイドに向かいました。

「市内八本松から来ました。天気が良く 久々の外出です」此処までは スラスラ会話が出来ました。
八本松とは、室町時代に「北目城」のあった所で、発掘調査が終わったばかりの地てす。ナニか御縁があるなと話しかけますが、互いに一方交通です。返ってくる話しは「昔 遠足で何回も 来ている 瑞鳳殿は珍しくない」です。連れの爺様、暫くしてニッコリと「婆様 耳遠いの 難聴なの」
爺様と婆様では会話ができるのでしょうか。あかとんぼ は 全く会話が成り立つませんでした。

英語で欧米系の人々にガイドを目指しているMさんが E代表の特訓を受けていました。事後 名刺交換しました。
「今朝も韓国の短大生と思われる美女軍団が現れましたが、私はガイド出来ませんでした。亜細亜系の若者は英語は通ずる人が多いです。中国語・韓国語は駄目と申さず 英語を仲立ちにガイドされれば 喜ばれます。欧米系の人々を専門と申さず 国際的にガイドして頂ければ 日本語専門の私も 千人力を得た感じです。よろしく」と歓迎のご挨拶を贈りました。


午後 政宗公が仙臺城下の給水施設として40数q布設した「四ッ谷堰」を、歴史遺産とて、何らかの形で復元しようとする目的の「四ッ谷の水を街並に 市民の会」の総会に、昨日の準備に続き参加しました。

事後、「四ッ谷堰の基礎的研究」の著者 新関昌利氏の講演が二時間ありました。四ッ谷堰の復元について、四ッ谷堰の作事奉行の末裔 宇津志氏が「仙台の四ッ谷用水・環境問題を考える原点に」と題する論文を地元紙に発表しています。これらから 市民の関心が盛り上がったのか、会員外の一般市民が大挙会場に見え、資料の不足を来すハプニングがありました。

仙臺藩志会では、宮城県川崎町で催された「支倉常長」祭に 多数の会員が 裃姿で参加しました。好評でしたでしょうが、日中は暑く、行列の最中と事後の給水(麦酒)が効き 疲れたのではと推測しています。 参加されたYさんの感想が楽しみです。



6 月 5 日 (土)  



綱宗公300回遠年忌法要 の様子を当地河北新報は、大きく報じています。写真は 仙臺藩志会一同焼香の場で、参列者30人、綱宗公の生涯・事績は取材したとおり、正確に記事になっています。
但し WEB検索は失敗しました故 URLは不明です。


以下、俗世間的な事柄です。聞かれる、話題になる事柄です。あかとんぼの認識の範囲です。正確であるの保障はありません。

Q1.法事の祭主は、どなたですか、仙臺藩志会ですか。
A1..祭主は 伊達家34世18代御当主で、主催は(財)瑞鳳殿。仙臺藩志会は縁故者と理解しています。
法要のご案内は、伊達家当主伊達泰宗、仙臺藩志会会長伊達洋司、(財)瑞鳳殿会長村井嘉浩の連名で頂きました。政宗公375遠年忌法要のご案内と基本は同じです。

Q2.お寺様の手配、行列の順位はどうなっていますか。
A2.(財)瑞鳳殿が瑞鳳寺に相談し、瑞鳳寺様が各関係諸寺に連絡している様です。行列の順位は、伊達時代の格式順位に厳密に捕らわれていない様です。

Q3.お寺様に「お布施」をするのか。幾ばくか。献茶等の奉納には「謝礼」がでるのか。
A3.主催の(財)瑞鳳殿から「お布施」をするらしいです。幾ばくかは、当然ながら不詳です。献茶等の奉納には、「謝礼」が出されず、逆に奉納者から「お包み」が差し出される事例がある様です。

Q4.参列者は、「お包み」しているのか。
A4.あかとんぼ はボラガイドとして、仙臺藩志会会員に なってからも「お包み」していません。気配り不足なのか。一般参列者には熨斗袋を持参されている様子を見ています。
昨日は、(財)瑞鳳殿から 栞と幻の銘菓「空豆」を頂きました。仙臺藩志会で「お包み」したからではょうか。詳細の発表がありませんから 分かりません。 

青葉神社の祭礼には、「直会」が有り、「御初穂料」と赤熨斗袋に記して納めます。
綱村公遠年忌法要は、伊達家第18代当主伊達泰宗、大年禅寺第34代住職武内邦生、大年寺会会長阿部和子の連名で、本堂での法要、墓前での塔羽供養、法要会食があり、本堂から墓前間移動バス込み 会費幾ばくと明記したご案内を頂いております。



6 月 4 日 (金)  



綱宗公300回遠年忌法要が青葉繁れる善應殿で催されました。

次第
10時   開式
1.読経 善應寺、瑞鳳寺 住職様
2.焼香 1.仙臺伊達家十八代当主 伊達 泰宗 様
      2.殉死者後裔会代表    細目 典夫 様
      3.仙臺藩志会会長      伊達 洋司 様
      4.大年寺会長         阿部 和子 様
      5.(財)瑞鳳殿常務理事   鹿野 正利 様
3.挨拶 1.仙臺伊達家十八代当主 伊達 泰宗 様 
      2.仙臺藩志会会長      伊達 洋司 様
      3.(財)瑞鳳殿常務理事   鹿野 正利 様
10時30分閉式

10時32分 雅楽奉納 宮城野雅楽会
  曲目 1.平調の音取(ひょうじょうのねとり)
      2.五常楽急(ごじゅうらくのきゅう)
      3.越殿楽(えでんらく)
      4.陪爐(ばいろ)

以下 あかとんほ 私感等

1.ご承知のとおり、綱宗公は寛永17(1640)年8月8日仙臺城にて生。萬治元(1658)襲封19世3代伊達家当主。萬治3(1660)年幕命により伊達家江戸・神田堀工事の監督中、「故あって」幕府より逼塞を命ずられ、品川下屋敷で終生を過ごされ、正徳元(1711)6月4日72歳にて卒。見性院殿雄山全威大居士の法名。廟を善應殿と号する。その生涯は絵画・文学・音楽芸能・茶道・香道・作刀などの芸術の追究に費やし、優れた作品を残された殿様です。

2.21歳で、外出禁止の軟禁状態です。生活に困らない、優雅な生活が出来る経済状況にあっても、男として 正に人生盛りの世代に政治その他社会活動に参加出来ない生活。無念であったと思います。

3.(財)瑞鳳殿では、「綱宗公の芸術」と題する栞を発行しました。綱宗公の筆なる「毘沙門天像」「雪中鴛鴦図」に「茶杓」「能笛」を写真挿入し その芸術性を詳しく解説してます。興味ある方 券売所でお尋ね下さい。

4.上記1.3.について 伊達家御当主初め ご挨拶された方々から丁寧に語られました。

5.創建当時の廟内には、御木像はなく、御位牌のみであった。再建時に、綱宗公の自画像をモデルに木像が作られた旨、御当主のご挨拶にありました。
 手持資料にて、内部 御木像を紹介する事あります。次回から この旨もガイドに加えましょう。

6.雅楽が奉納されましたか、青葉繁る樹間での生の雅楽を聴く機会は初めてです。公家・貴族の気分でした。

雅楽とは、古代中国が起源で、日本・朝鮮・ベトナムに広く伝わった音楽で、「雅正の楽」の意で、国家の荘厳を成すために用いられた。奈良・平安時代から宮廷を初め、寺社で盛んに演奏された。江戸幕府は禁裏様楽人衆を創設し、雅楽の復興に努め、大名にも愛好が増え、復曲が行われた。
楽器は、三管、三鼓、両絃の8種類で、今回は三管、笙(しょう)、龍笛(りゅうてき)、篳篥(ひつりき)です。

以上の様に解説の上、楽人の服装で演奏してくれたのは、伊達家ゆかりの神社の若手と自称する三神職様、向山・愛宕神社の郡山様、泉・加茂神社の石川様、古川・斗蛍稲荷神社の○○様でした。

今回 この企画を立案・実行された方は、どなたでしょうか。高い芸術性をお持つと敬意を表します。今回の300回忌法要は、地元有力紙の取材がありましたが、事前に 法要が催される また 雅楽の奉納がある等は(財)瑞鳳殿のブログで発表していますが、十分な広報に至らず、仙台市民等の参加が限られたは、残念でした。

政宗公の375回忌法要の際、一般参拝者(観光客)のマナーが 極めて悪い 不快であつた趣旨のお話しを事後に聞きました。
御霊屋は、廟 お墓です。宗教施設です。法要は、宗教行為です。異教徒であれ 敬意を払うのが当然と思います。欧米系の方々は 佛教徒ではないと思いますのに、偉大な先人と敬意を表します。これは、社会教育の違いでしょうか。何でしょうか。

式中に私語をする。拝礼もしないでパシャパシャ御木像を撮影する等のご指摘された行為は、今日は見られませんでした。三神職様は、拝礼されました。が合掌や、拍手はありませんでした。

仙臺藩志会は、綱宗公300回遠年忌法要と 節目であり、裃・羽織袴で参列しました。
あかとんぼ 3回目の着用で 漸う 様になってきました。ガイド仲間のYさんは 体格がよく 様になっています。ご覧になりたい方は、6日 宮城県川崎町の支倉常長祭にお出で下さい。あかとんぼ は都合により不参加です。





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