2010年7月の日誌
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7 月 31 日 (土)  



伊達武将隊(仙台市営観光広報集団)が、昨日 宮城県庁を 本日 瑞鳳殿を参拝し 御当主の激励を受けた旨 TVが報じていました。
明日から 仙臺城址で活動をすると地元紙は報じています。仙臺城本丸址ボラガイド集団と仲良く ガイドして欲しいものです。

本日 勾当台公園で「仙台下水道祭」が開催され、「四ッ谷の水を街並みに市民の会」の一員として展示・説明をしてきました。
我が集団の テーマは、《仙台の水道の礎は 伊達政宗の『四ツ谷用水》で、1601年政宗公は仙臺城を築城し 城下を開きました。侍も町人も 水がなければ生活できません。そのための利水が四ッ谷用水です。歴史を理解し 親しみ 活用しようが あかとんぼ の主張です その旨 語りました。

参加団体は 広瀬川・梅田川をはじめ 親水団体が多く それなりに知識ある高齢者が多く 自説主張に訪れるケースが散見されました。



7 月 30 日 (金)  



猛暑は終わりました。と申して 今夏 2回目の夏風邪に襲われました。
26日の勉強会席上 3方から特有の咳・鼻汁の攻撃に見舞われました。通常であれば防御に成功しますが、今年は猛暑と加齢で体力が低下していたらしく 菌の進入を許してしまい、30日午前2時4時6時と2時間毎 猛烈な咳と発熱に襲われ、ようよう10時に安定 起床しました。

以上 事由から「仙台市観光ボランティアガイドネットワーク」の研修会を欠席しました。
講師は、金沢観光ボランティアガイド「まいどさん」の幹事です。瑞鳳殿でのガイド中に、「まいどさん」の会員と交流しており、また 観光ボランティアガイドの全国大会が金沢市で開催された折り 参加し その活動ぶりはつぶさに拝見しています。改めて 活動方針、実態等を傾聴したい思っていました。

起きあがれたのは開会時間です。会場に駆けつけても 終了時刻間際であり、咳等で菌を巻き散らすのみになりますので、断念し静養に努めました。



7 月 26 日 (月)  



仲間の勉強会がありました。
講師はEさんで「伊達政宗のまち作りと水利・水運」の表題です。

1601年 政宗公は 仙臺城を築城し 町を開きました。侍・町人 多数の人々が居住します。
緊急の問題は 飲料水の確保です。そして 食料・建築資材の搬入です。これらの問題について 総合的に広く、わかりやすく説明されました。

質問として、
1.江戸宛の 米の積み出しは 石巻湊でしょう。寮内の水運のネットワークが完成するまで どうであったか。
2.仙臺城の築城には 候補地が数カ所あった。現在地に確定する以前に、物資運搬の堀の開削が始まっていたことになる 説明であるが 納得できない。

これの回答は 米の積み出しは 石巻湊に限定されていない。領内のほかの湊からの出荷が認められている。
また 築城候補地は当初から現在地であり、とかくの候補地の話は 100年後の話題でしょう。
とソフトに回答していました。
伊達家自家記録 少なくとも 仙台市史を 基本資料に読んで欲しい と言いたくても 言えない口ぶりでした。

9月27日10時30分から「町なかの遺跡 四ッ谷用水をたずねる」の表題で 大崎八幡宮前から 2km程 四ッ谷用水遺跡を あかとんぼ が ご案内します。日程表に記載 参加して頂ければ 幸いです。



7 月 25 日 (日)  



本日も多数の方々参拝においで頂きました。
新潟から7人の団体。2組の家族で、いずれかが兄弟姉妹とその子供。ガイド数分で その組み合わせがわかります。密かな楽しみです。
30年ぶりに お参りしたが 前回 ガイドが不在で眺めるのみの参拝であった。今回はガイドがいて 説明してくれ 兄弟・子供に 参拝を提案した面目が立った。感謝する旨、ご挨拶に感激です。

本殿の色彩は、塗装10年で 正面と側面では 微妙に異なります。お嬢さん2人に 皆様の地方では 当初の色が薄れたことを いかように表現しますか 教えて下さい と頼みました。 私は秋田で「○○○・・・」 私は東京だけど 祖母は山形で ☆☆☆・・・・似てるネ」
結果的に 標準的 表現にいたりませんでした。

七夕ナイトの準備 日別に蝋燭等の仕分けに 懸命です。七夕飾り すべて 券売所の職員の「夜なべ仕事?です」の説明に 驚嘆の声が挙がります。
イベントは準備に時間を要します。通常業務のほかにです。大変働く 職員です。



7 月 24 日 (土)  



「伊達政宗のふるさと講座」
標記講座は、羽州・置賜郡高畠町に所在する観光協会と仙臺を代表する「河北新報」社共催でした。

「政宗のふるさと高畠」 講師 高畠町文化財保護委員 津島憲一氏
「政宗の歴史をたずねて」講師 宮城大学事業構想学部教授 宮原育子氏

其の概要は、
伊達家のルーツは、文治5(1189)年源頼朝から伊達郡を賜ったに始まり、8世宗遠 天授6(1380)年に置賜を侵攻、15世晴宗が米澤に移城し更に 政宗公が岩出山に移る迄約210年間、高畠が伊達家の本拠地であった。9世儀山政宗公夫妻の墓所、仙臺・北山五山の資福寺の後等 伊達家関連史跡が数多く所在している。
是非 史跡を訪れて下さい。

参加者は150名とか、歴史講座なら何でもマニアの顔ぶれが数見られました。
参加は 仙台市内に限らず、伊達家領内から参加しているらしく、自分の祭の宣伝、伊達家家紋に詳細な調査・研究しているか疑わしい見解を押しつける者等、講座主催者に礼を失するのでは無いと思われる発言が散見しました。

この間、的確な質問をしたのは、Uさん 唯一人でした。
「9世儀山政宗公の墓所は、町内「野手倉」と「資福寺址」と2ケ所にあると資料にあるが、何れも 墓所か はたまた 1ケ所は 供養碑ではないか」の質問です。

津島氏の回答は「3ケ所ある。遺髪等で分骨埋葬した墓とみている」でした。
他1ケ所は何れか 低音のため聞き漏らしました。

あかとんぼ としては、当時 火葬にしたのか。土葬が主流で無かったか。となれば 分骨はあり得るか。遺髪や爪で 至近距離に 墓を数 建立するだろうか。
高野山の政宗公と殉死者の墓 伊達家累代の墓は 霊墓と聞いています。不思議です。


今回の企画の根底は、政宗公の恩恵を頂き 日々の糧にしたい でした。
在仙高畠会と町観光協会とで「たかはた伊達家の会」を設立する、資料希望者は申し出られたいとの事、申し込んで来ました。

ガイド仲間数人 参加していました。猛暑が去ったら 誘い合い 訪れたいものです。



7 月 23 日 (金)  



相馬野馬追い が真っ盛りです。例年「雨無し」と言われ、梅雨明けの目途と成っており、炎天下に地上から湧き上がる湯気で サムナに入った感じの祭典です。

仙台駅で 真っ赤に日焼けし 青菜に塩の様に元気がなく歩いて居る人の大半は相馬野馬追い見学者でした。

サテ、相馬は、相馬家六萬石の御城下。先祖は平将門。文治5(1189)年 伊達家同様 源頼朝から 本領が安堵され、伊達家のように 移封することなく 140年前まで約1000年連綿と統治してきた 珍しい家です。

甲冑に身を固め 腰に太刀 旗物差しを背にした 騎馬武者492騎が雲雀が原を疾駆する様子は「壮観である」の一語に尽きます。 

この騎馬集団の総指揮者 侍大将は 相馬家御当主が務めていたと記憶しております。新聞によれば 侍大将は相馬市長とありました。仙臺青葉祭の行列の先頭は 伊達家御当主です。今年の相馬は「政権交代」したのでしょうか。



7 月 19 日 (月)  



猛暑。冷却水・冷却タオルを持参した。
9時から13時迄 参拝のお客様・ガイド依頼 途切れる事なく続きます。11時45分頃 疲れを感じ 終わりかなと 思ったところで 立て続けてご依頼。疲れたからガイドお断りとは 申されません。続けました。

朝一番のお客様。若い二人です。熱心に聞いてくれます。資料館を出た所で 感仙殿地区も お願いの声に ご案内しました。結果的に 10時30分。断続的ながら90分ガイドでした。

他県の若い人です。政宗公のご生涯は よく存じているか疑問です。が 丁寧に参拝し聞いてくれたのは 何であったか。ガイド内容等が素晴らしかったからと 自賛したい所ですが。


Uさん 「今素晴らしいお客様のガイド終わったところ。ぬいぐるみと本殿前で記念写真を撮ったら オシマイ。それは無いでしょう ガイドします」 から盛り上がり 今までと名刺を見せてくれました。

凾館からの20人近い団体。「はねつけの会」と称する団体で 本州制覇の旅の途中とか。ブロクhttp://blogs.yahoo.co.jp/miyauchiyasaketen2006/41879853.htmlをご覧ください。


Yさんは 植物識者です。11日 「まむしそう が咲きました」と教えてくれました。又 ご自身のブロクに「沙羅双樹・・・・夏椿の花」の写真を掲載されていました。今日 花(沙羅双樹)は終わった様です。

瑞鳳殿本殿の南側にドングリと胡桃の大木があり。鬱蒼としています。栗鼠が居住しています。今 胡桃がたわわに実っています。昨日・今日とガイド中 「バサッ」と音がしました。何事か 栗鼠かなと 思いましたら 胡桃の粒が落下したものです。直下でガイドしていたら怪我したでしょう。誠心誠意 ガイドしろよ との警告でしょうか。


感仙殿に至る道で お客様がガヤガヤしています。何事と覗きましたら 直径2cm位の 蛇の散歩でした。蛇の住まいにはクラーが無く 梅雨明けの熱気に 巣が出て来たようです。お互いの立場を理解しているらしく、冷暗所を求めてスルスル消えました。

お客様から「毒蛇でないでしょうか」と 問に答えられませんでした。答えたのは「 普段 お目にかかれないものに 出合いいました。蛇に遇う 瑞兆 でしょう。なにか 良いこと 大金がはいるかも」です

涅槃門の石垣には、数年前 大蛇がいましたが その後 どうしたでしょう。この経ケ峰 は動植物の貴重な宝庫です。お出かけください。

本日は「海の記念日」の祝日です。本来は明日20日。1876年明治天皇が汽船「明治丸」で凾館から横浜に帰還された事に由来します。3連休にし 沢山の参拝客にガイドをする機会に恵まれましたから 祝日の変更に付いてのブサクサは申しません。

事務所で冷たいお茶を馳走に成りました。甘露です。イキカエリのカンロ です。



7 月 18 日 (日)  



梅雨明けです。太陽がジリジリ照りつけます。地上から蒸気が上がって 湿気があり 厳しい条件です。
涅槃門の前のベンチで 流れる汗を 拭いている方 沢山おりました

盛年と青年の男性2人。例によって「どちらから」に 「私は東京、彼は大阪、私は東北大卒で、彼は・・」のご返事。「ありがとうございます。話の接ぎ穂として 居所をお尋ねしたので 学歴は必要ありません。でも東北大卒であれば瑞鳳殿については 詳しいでしょう」
この二人 専門まで推測できませんでしたが 大学の先生の様に感じられました。

女3世代 「水戸から 瑞鳳殿をお詣りしたくて 日帰り日程できました」 水戸・徳川家の墓所 お詣りしていました。話が合いました。なぜ 水戸から わざわざ日帰りで見えたか。なぜ 龍ケ崎では ないのか 内心 自問自答しながら 丁寧にガイドしました。ご満足頂けた表情でした。

拝殿でガイドしていたら、「キーン」と不愉快な奇音が響いています。お客様も不快な表情です。「何か電子機器?」 本殿でお客様が拝礼している瞬時を利用し、音の方向を辿りました。
盛年婦人4・5人の団体の一人のリックから発しています。話かけたら 一斉に 耳を指差し 且つ ×表示をしました。聴力に障害のある皆様でした。

不愉快な奇音を発しているのを了知していないのです。教えて上げようとしましたが 会話が成り立ちませんでした。ガイド中でなく 時間に余裕ある時であれば 筆話の方法もあったと反省しました。
気がついてら 奇音も聞こえず 小団体の人影もありませんでした。

視力に障害ある人にガイドした事ありますが 聴力に障害がある人々にガイドの経験はありません。研究課題です。

女子中学生が親を焼き殺す事件が最近ありました。怖い話です。幼児の頃から親子の対話が取れれば起こらない事件ではなかったかと思います。

さて 拝殿の七夕飾の下で 子供をわざわざ 泣かせている親がいました。泣き声が大声で 五月蠅く 私の声が遮られ お客様に届きません。緊急処置です。隣の七夕飾に 移動して貰い ガイドを続けました。全く 迷惑です。こんな親子が断絶し 事件になるのでは と思いました。

以上が 印象に残ったお客様です。9時から12時30分まで 休息 ベンチを温める余地ない程 ご依頼がありました。感謝です。明日は 祝日です。お待ちしています。



7 月 17 日 (土)  



花唐草文染付紅皿 2個

瑞鳳殿資料館内のガイドは、冬期間参拝者が少ない時期と団体の場合に限っています。狭い空間でのガイドは音声が、発掘の経緯の記録のビデオを見ている人々に支障を来すからです。

サテ、3代綱宗公の貴重な副葬品が展示されていますが、それが貴重な品とは気が付かない。又、標記「花唐草文染付紅皿 2個」に、気が付いても 何に用いられたか迄 発想され 質問される方は 皆無に等しいです。

この紅皿について、瑞鳳殿では次のように説明しています。
紅を容れた小皿。5弁の梅花を3ケ所に1個ずつ配置して唐草で繋ぎ、花唐草文を表現しています。この文様は1690年から18世紀初頭に見られるもので、有田皿山の製品であるとされています。
残留していた紅はどこの産であるかは不明ですが、享保3年から文化2年に発行された『橘庵漫筆』にはこんな文があります。「(中略)紅花は北方の物よろしきにや、本朝羽州最上、山形、米澤などの産尤もよし」この紅皿の紅はいずれの産だったしれません。
「紅皿」は公の愛用品の中でも謎の多い品です。

以上は「伊達綱宗公299遠年忌記念栞 綱宗公のもちものー蒔絵櫛と紅皿ー」によりました。


お客様の中には発想が豊かで 「綱宗公はオカマ ハーフの趣味があったのでは 口紅は その証拠」と不遜な発言をされる方がいます。
それは 皆無と思います。

女性の化粧史について こんな文章を見ました。
「眉も剃っていないし、お歯黒もしていない。眉も剃らず、お歯黒もしない商家のお内儀など存在しない。しかもこの女性、口紅をしていた。
口に紅を塗るのは結婚式などの特別の時などで、通常は紅はつけない。江戸時代はもちろん、明治になっても一般の女性は普段は口紅をしなかった。普段でも口紅をしているのは商売女だけである。これは、日本だけではなく、欧米でもそうで、一般の女性が普段、化粧の一環として口紅を塗るようになるのは第一次世界大戦後のことである。江戸時代に口紅をしていれば、女郎と思われてもおかしくない。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100713/tnr1007131529006-n3.htm
【歴史ドラマのウソホント】タイムスクープハンター(3) 一般の女性は口紅を塗らない

商家のお内儀で これであれば 武家の奥方は 更に口紅の可能性が低く成ります。綱宗公の思われ女(ヒト)側室の誰かの 紅皿の発想も難しく成ります。

(財)瑞鳳殿の「謎の多い品です」の申す通りです。瑞鳳殿・資料館にて 現物の紅皿を特と ご見分ください。





7 月 16 日 (金)  



本日、伊達家16世輝宗公と正室義姫の回忌法要を遠山覺範寺(北山一丁目)で仙臺藩志会が営なみます。

輝宗公は、天正13(1585)年10月8日岩代國安達郡高田原(現福島県二本松市)で故あり42歳で亡くなり、遺骨は羽後國置賜郡夏狩村(現山形県高畠町)慈雲山資福寺に埋葬されました。

義姫は、元和9(1623)年7月17日仙臺城にて76歳で亡くなり、本寺に埋葬されました。なお灰塚が永昌寺(青葉区新坂町)に現存しています。










7 月 13 日 (火)  



ガイドの難しさ

瑞鳳殿を参拝されるお客様 全てが 政宗公ファンではありません。伊達家、政宗公について 知識・興味の少ない人もいます。日光・東照宮を訪れた事もなく、豪華絢爛な桃山様式の御廟に 全く関心の無い方もいます。

単独、少人数でガイドを依頼される方には、この懸念はありません。同級会二次会・社員の旅行等 7人から10余人の団体になると、非常に興味・関心のある人 2 まあ 興味ある人 6 全く興味の無い人 2 の割合に成るようです。

以前は 10 すべてにと思い 話していましたが 最近は全く興味の無い人〔腕時計を絶えず見る人 あらぬ方向をみている人、脇の人とお喋りしている人〕を無理に誘い込む事にしない様にしています。

非常に興味・関心のある人〔ドンドン質問する人〕を中心に まあ 興味ある人を対象にガイドしています。

どちらからお出でですか 乗り物はなにで  の2項目は 初めにお尋ねします。これで 関心の度合いを知ります。非常に興味・関心のある人達は スッと答えてくれますから 伊達家400年の歴史から 関連事項を検索し ガイドします。話は 更に盛り上がります。

11日のガイドで 聞き返された言葉 簡潔明瞭に語ろうとして 書き言葉を話してしまい 反問されました。聞き返して頂き助かりました。自ずと 独りよがり に成っていたのです。反省しました。


過日のお客様は 博物館で政宗公関連 展示〔陣羽織・ロザリオ・鎧等〕を丹念に見て来て質問されました。本来なら 博物館学芸員 又は 博物館ボラガイドに質問する所 不在で出来ず 瑞鳳殿で質問されたのでしょう。
瑞鳳殿資料館には学芸員2名が常駐しています。心強い存在です。答えに窮した時の駆込寺と思っています。

仙臺城本丸址に所在する「青葉城資料展示館」から「本丸大広間落成400年記念 CG映像」公開のご案内を頂きました。

お客様の期待に応える知識の備蓄の為に 早速「青葉城資料展示館」を見学し また 博物館は 展示替えの都度 訪れなくては 思っています。

瑞鳳殿をお詣りしたお客様が お詣りして・ガイドを聞いて よかったと 思われているか。その様なガイドに努めているか。昨・1昨日のガイドからの反省・自問です。 



7 月 12 日 (月)  



忠宗公353回遠年忌法要が 御霊屋 感仙殿 で催されました。

次第

所    御霊屋 感仙殿
時    午前10時
読経   正宗山瑞鳳寺 鎌田文恵大和尚 和尚 若和尚
焼香   伊達家18代当主  伊達泰宗 様
      殉死者後裔会代表 古内重義 様
      仙臺藩志会会長   伊達洋司 様
      大年寺会会長    阿部 和子 様代理 建宮 様 
      (財)瑞鳳殿理事  鹿野正利 様
挨拶   伊達家18代当主  伊達泰宗 様
      仙臺藩志会会長   伊達洋司 様
      (財)瑞鳳殿理事  鹿野正利 様
閉会   午前10時25分


あかとんぼ 所感等
1.法要ご案内は、@伊達家当主 伊達泰宗 A仙臺藩志会会長 伊達洋司 B(財)瑞鳳殿会長 村井嘉浩の各氏連名で頂きました。no1の方々の名義で頂けるは、某家下流武士の末裔としては チッピリ嬉しいものです。

2.当主ご挨拶に、「忠宗公は二男で、質実剛健 且つ 武人であった」とありました。
 忠宗公は確かに、二男ですが 正室愛姫との長男であり、仙臺を嗣いでいるところから ズバリの表現は避けられていたと認識していました。若干意外な感じを持ちました。

3.藩志会会長挨拶に、「仙臺の著名な史跡 仙臺東昭宮・瑞鳳殿を創建されました」とありました。確かにそうです。感仙殿で忠宗公の事績を紹介する際 はて 話していたか 反省しました。

4.瑞鳳殿理事挨拶に、「忠宗公の武芸者、守成の名君等のエピソード等の栞を作りました。又、瑞鳳殿のライトアップを仙台七夕期間中開催します。是非どうぞ お出でください」とありました。

 栞は A4版の裏表1枚 容量は小さいですが 内容は重量クラスです。毎年の開基法要の都度 発行しており 本号は26号です。制作担当の学芸員には 悩ましく成ってきたのではと拝察します。

5.感仙殿門前に 回忌法要ですの「ご案内」板が建てられました。又 終日 開扉するそうです。直直 御対面の機会が 政宗公に比較して 少ないですから 一般参拝者には喜ばれる企画です。

 今日は、法要の時間 一般参拝者は僅少でした。なぜでしょう。

6.一関 田村家からの参列はありませんでした。



7 月 11 日 (日)  



「夥しい」の表現は適切かどうか悩むところですが、9時開門から 13時30分迄 途切れる事なく 世界各地から参拝に見え、ガイドの中休み ベンチを温める余地はありませんでした。些か 疲れました。

中華民国台湾省は、夏休みに入ったのでしょうか。小中学生とその父母の大団体が開門と同時に。既にガイド中なので、ガイドは出来ませんでした。資料館・本殿と丁寧に見学し撮影をしていました。

昨日 観光バスで巡ったが、瑞鳳殿は対象外であった。残念なので朝一番で来ました と申されるお客様 連続しました。不思議です。仙台観光で瑞鳳殿を除けば 観光するところあるかしらとも 言われる 目玉観光個所の瑞鳳殿なのに対象外にする観光とある得るかです。

「一人ですけどお願い出来ます」 「ハイどうぞ」 お一人で参拝される位です。知っていられます。
涅槃門の彫刻を語り始めたら 「アッ 透かし彫り ですネ」 「はいそうです」と 此処の彫刻の特徴をガイドしました。

御木像の写真をお見せした後、なぜ 両眼が描かれているかを説明しました。「アレー 政宗公は 母親を憎んでいたのでは? 毒殺されかけたでしょう」 この反応は 別の組みからも出ました。本日2件連続ありました。

この反問に至った経緯と結末は。
政宗公は晩年 肖像画 木像を創る際 両眼を明確に描くように命じました。家来はどうしてですかと反問したところ、儂は生まれながらにして片目では無い、幼少の際の病で 不幸にして片目の視力を失った。片目の木像等が後世に伝わると 生まれながらにして片目と 後世の人々は思うであろう。それでは五体満足に生んでくれた母親に申し訳無い 親不孝になる だから両眼を描け。政宗公は母親思いの人であった訳です。

でも、ガイドさん。政宗公が小田原散人の直前に、膳に毒を盛られ 一命が狙われ 暗殺を失敗した母親 義姫は 生家最上家に逃げたのでしょう。親子関係は断絶したのでしょう。

ハイ その様に伝えられています。文録の役で出征した際 戦地から義姫に文を送っており、又最上家が改易になった際に 伊達領に引き取っています。亡くなった後 供養をするため寺院 「保春院」を創建しています。

一時 不和はあったかも、でも 最後は親子の情を通わせています。それが 両眼を描けの命令として 現れたと思います。


印象に残ったお客様

三菱鉛筆(株)7人です。華やかな感じで涅槃門前に登場しました。「東京の大学の学生さんですか」 「東京大学4年生デース」 「実は 三菱鉛筆(株)の社員旅行です」  

「この涅槃門の動物は 麒麟です 麦酒の麒麟です。麦酒も鉛筆も 三菱 同じ資本系列ですネ」
「イエ 鉛筆は 三菱と名乗ってますが 資本は関係ありません」
「アッ そうですか 菱のマークは同じでは」
「角と角度が異なります」
「三菱鉛筆には 御世話に成りました。昔 トンボ鉛筆 もありましたネ (私はアカトンボのハンドルネームを使っていますとは、云えなかった)」

本殿前で、発掘された副葬品を説明。目が早い。資料の鉛筆を目聡く見つけました。
「これは 他の副葬品と一緒に発見された鉛筆です。久能山・東照宮の家康公所蔵の鉛筆が、大名の鉛筆として最古で、政宗公の鉛筆は2番目と聞いています」

「発見された 鉛筆の仕様はわかりますか」
長さ62mm、径4mmの木軸に、長13mm、径4mmの芯を嵌め込んてある。鉛筆の先端には、長30mm、5mmの木製のキッヤップが被せてあった。この鉛筆は 他の副葬品と同等の保存は出来なかったと聴いています」
「思いかげず 大変 勉強に成りました。ありがとうございます。ところで ○○持っている?」
「新品ではありませんが」 「よかった」

「ガイドのお爺さん、弊社製品を多年に御愛用ありがとうございます。現在 我が社の主力は ボールペン・シャープペンです。これが我が社の製品です。新品ではありませんが どうぞお使い下さい。シャープとボールペンの芯は文房具店で買えます」と 替え方を説明の上 ボールペン1本をくださいました。

社員旅行の際 社名を名乗る会社員は少なく 又 営業・宣伝までする社員は皆無です。この一行は社員旅行では無く、社員の任意の旅行とお見受けしました。

にも関わらず、営業・宣伝までするとは見事です。それが社風であれば経営者の指導能力は、偉大で 政宗公に準ずる人物でしょう。


いま一組の母娘(中2年生)です。
Yさんがガイドされ、一緒に話を聞いてと誘われました。
結論として 政宗公にぞっこんです。「2週間に1度の割で政宗公関連史跡を訪れています。米澤は政宗公の生誕の地ですが 史跡として表示されているか。博物館等に政宗公等の資料は、幾ばく保存され 展示されているか。岩出山は 見るべきものがあるか」

「仙台市博物館で 水玉模様陣羽織も山形文様陣羽織も 展示つれておらずガッカリした」

「次回 福島を訪れたい」
「福島のどの辺ですか」
「人取橋・摺上原の古戦場です。車で行きます」

語りながら 「図説 伊達政宗」(1986版)を取り出しました。
福島県北 伊達郡の伊達家発祥の地の史跡 又、政宗公長男 秀宗公の宇和島について 知識が不足なのか興味を示しませんでした。
政宗公追っかけ族 若い女性の単独行動の歴女はいますが 母娘は 初めてでした。お二人とも真剣です。

本日 聞き返された 言葉
1.カブオンギョク
  上記母娘に 将軍家光の政宗公に対する心情 〔桜田屋敷に見舞い、御精進日なるに更に御精進の指示、江戸城下に魚物の売買獲り 及び 鳴物見物3日間停止〕を説明した際 カブオンギョクの禁止 と発言した事に対する反問でした。あかとんぼ としては 「歌舞音曲」と発言しましたが。
 書き文字で 話言葉は無い と即反省し 言葉を換え 言い直しました。

2.ヨコイチモンジ
  涅槃門の外妻の彫刻を背景に 撮影の際、5.6人のお嬢さんに「ヨコイチモンジに並んで下さい。美人に綺麗に撮れます」  「ヨコイチモンジって なんですか」と反問されました。

 横一線 が適切であったのか 正解が出ません。



7 月 10 日 (土)  



本日は、1637年に創建された瑞鳳殿を初めとする感仙殿・善應殿の伊達家3御霊屋が焼失した日であります。

ガイドの際「ここは 伊達政宗公の御霊屋です。1637年に創建され、1931年に國寶にしていされた 桃山様式の豪華絢爛な廟でした。残念ながら、1945年7月10日焼失しました」と説明すると 返ってくる言葉は 「誰が何で放火したのか」です。

最近、重要 または 貴重な 建造物が 健全な精神状態でない人々によって焼失する例が数あり この様な 反応に成るのでしょう。仙臺東照宮拝殿は1945年に狂女の放火で焼失して居ます。

仙台は放火が多いと誤解されないように「1945年7月10日未明 アメリカ空軍の爆撃により焼失しました」と話しています。既に事件発生から65年を経過しております。空爆の被害体験者は「後期高齢者」と区別された年代の方々てす。この方々は 自分被害体験を語り始めます。


(財)瑞鳳殿で 供養の法要 があるとは聞いていません。仙台市当局主催慰霊祭の計画も聞いていません。

夕刻のTVで、空爆受難者遺族130余名がホテルで慰霊祭を催し、仙台市長が参列したと報じて居ました。



7 月 9 日 (金)  



4日の仙臺藩志会「戊辰の役受難者慰霊祭」の続報が地元紙1面に下記のとおり掲載されました。全文引用

河北春秋 
秋田市の歓楽街・川反の一角、五丁目橋のたもとにたたずむ小さな観音像。戊辰戦争のさなか、殺害された仙台藩士12人の霊を慰めるために建立された。今年でちょうど10年になる▼事件は1868年7月4日夜に起きた。奥羽越列藩同盟から離脱する動きがあった秋田藩を説得するため、仙台藩は使者を派遣。その投宿先を秋田藩の勤皇派が襲い、12人が犠牲となった。うち6人の首は橋の近くにさらされた

 ▼そんな歴史のある場所に、十数年前まで小料理屋があり、主人が毎日、店内で線香を上げて藩士の冥福を祈っていた。ところが、橋の拡幅工事のため店は取り壊されることになった▼その思いを大切にしようと市民が募金し、観音像は生まれた。台座には、「この地に殉難した仙台藩士の供養と川反をこよなく愛した先人の慰霊として建立す」とある

 ▼今年も命日に秋田宮城県人会(三浦亮会長)と仙台藩志会(伊達洋司会長)の関係者44人が藩士の眠る秋田市の寺で慰霊祭を行い、観音像の前でも手を合わせた。慰霊祭は143回を数えた▼時代の変革期は、時に理不尽なことが起こる。非業の最期を遂げた藩士は無念だろうが、毎年欠かさず秋田と仙台の人々がこうべを垂れ、平和な世の中に感謝する。語り継がれる12人はある意味、幸せかもしれない。

2010年07月09日金曜日


記事はほぼ正確であり、語られている心情 そのとおりです。

この記事で初めて知ったのは、下線部分である。「川反をこよなく愛した先人の慰霊」
その昔 日本を代表する飲食街とも言われた「川反」。川反をこよなく愛した人とは、酒をこよなく愛した人であり、中には 酒で見えるのかな滅ぼした人も数いるでしょう。その先人を慰霊する。誠に心情豊かな観音様です。



7 月 7 日 (水)  



瑞鳳殿で待機中、券売所をチラチラ眺めています。2割位の方が 即・売店に向かいます。又、瑞鳳殿を参拝し感仙殿地区に向かわない方がいます。間違ったかなと 促すと 「売店に」と答える方が半分位います。

名所・旧跡を訪れたら 「まず おみやげ」と考える方が それなりにおられる事を証明していると思います。
食事・お土産について 問われる事も暫しあります。悩むところです。

地元紙 朝刊に興味深い記事がありました。全文引用します。

「ホヤ・仙台ちゃ豆・冷やし中華」都民の認知 いまひとつ?
 飲食店情報検索サイト運営の「ぐるなび」(東京)が宮城県民、東京都民500人ずつを対象に行ったインターネットによるアンケートで、ホヤや仙台ちゃ豆、冷やし中華などが宮城の食材・料理として十分に認知されていないことが分かった。
 調査は4月下旬、20〜60代に「宮城県の名物といえば何か」を尋ね、具体的な産品を思いつくままに回答してもらった。
 最も多かったのは牛タンで宮城が85.0%、東京が74.2%に上った。このほか両地区で比較的回答が多かったのは笹かまぼこ(宮城75.0%、東京46.8%)やカキ(51.6%、29.8%)など。
 ホヤを挙げた回答者は宮城で22.8%あったものの東京は6.2%にとどまった。同じ海産物のサンマは宮城10.8%、東京2.2%だった。
 宮城では、仙台特産の枝豆「仙台ちゃ豆」が20.6%、冷やし中華も16.0%あったが、東京ではそれぞれわずか3.0%、1.2%。東北で知名度が上がりつつある油麩(ふ)丼は宮城で4.0%あったが、東京はゼロだった。
 ぐるなびは「宮城の名産品の多くが『知られざる魅力』となってしまっている。もっと情報発信すべきだ」と指摘している。
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/07/20100707t12008.htm



7 月 6 日 (火)  



ご依頼ガイド
14時30分から15時30分迄  バス2台 下車から発車まで1時間。発車時刻厳守。
若手男性集団です。「皆様は私の年齢の半分の様です。通常90分は要する行程を60分で ご案内します。私より遅れないで下さい」と冒頭 お願いしました。

62石段は先行されましたが、西参道に至ると遅行していました。それは、疲れたのか、ユックリ観賞したかったのかの何れでしょう。
先発・後発共 15時30分に発車できる様に駐車場迄案内しました。あれー バス発車しません? はてな? 境内も 車内も禁煙です。トイレを我慢しても 喫煙しないことには・・・・・が原因でした。

時間厳守の理由は、16時台の東京行に乗車する為でした。
旅行の企画・添乗は大手K旅行社。ベテラン添乗員です。誘導に無駄がありません。バスの団体掲示 「○気」です。 誠に珍しい表示です。尋ねました。「会社名ですか。生産会社ですか」 「ハイ会社名です ○○を創っています」 「頭脳集団ですネ」
先端産業に携わっている方々です。桃山様式の廟を見学して 何か 業務に参考になるヒントあったと思いますが。
「七夕TANAKUフェスタ」と伝統行事を合成語で表示する団体もある時代に 時代の先端にかかわる事業会社が横文字を使用せず 日本語・漢字で表示している。又、伝統建築物を研修先に選択する 経営者の感覚は素晴らしい。敬意を表する。

「仙台見どころミニガイド」の標題で、仙台市内の名所・旧跡を紹介し、併せて ボランティアでガイドしますと記載したA4版表裏印刷のチラシを ガイド仲間「ぐるーぷ・よっこより」で配布しています。
添乗員氏「このチラシを見て 案内する個所を決定し ガイドを依頼しました」
作成し 配布を初めて10年、何千枚配布しているでしょうか。初めて 効果を確認しました。制作者のEさん ニッコリ。 密かに感涙に溢れているのではないでしょうか。


13時瑞鳳殿到着・待機。
天童市の中学生 班行動です。ガイドと政宗公には興味は無い様子、スタンプ集めに全員集中し 券売所から動きません。境内一周することなく下段して行きました。レポート書けるか 心配です。

写真の撮影は、各自の芸術的天分が発揮されます。他人のお薦めは ・・・・・です。

涅槃門の菊紋を背に 奥様を撮影されています。「ここから 涅槃門外妻の彫刻と御共所を背景に 奥様を前面に、強制発光で。綺麗に撮れます」に、「お前 そんなに勧めるなら シッヤッター押せ 俺も入る」
「20分頂ければ 見学と撮影個所のポイント ご説明します」 「時間がないから」 「そうですか」
眺めていたら 拝殿・本殿 横目に資料館に入り 出て来ませんでした。見学と撮影個所のポイント 無料で紹介しますと申しあげているのに。勿体ない。視点の相違は 遺憾ともし難い。

あかとんぼと同年輩の御夫妻。
奥様はベンチで。旦那 咲き始めた紫陽花と緑の竹林を通しての御共所を狙って居ます。芸術感覚お持ちと思い、09年撮影の紅葉三色の写真をお見せしました。「赤と黄金の紅葉に、緑竹の三色とは、珍しい イツ どこで 撮影されましたか。ガイドさん 貴方が撮影されたのですか」 予想的中 ご理解頂けました。
ご案内しました。  「11月に又 お出で下さい」  キット 再来されると確信しました。


拝殿に 古式・伝統 男雛 女雛 の七夕が飾られました。説明文は 縦書きの日語と横書きの英語が掲示されています。表紙に 写真掲載しました。



7 月 5 日 (月)  



夏祭りの季節です。

瑞鳳殿 拝殿に伝統・古式 七夕が例年飾られます。既に笹竹がセットされました。
この笹竹の向き これが正解かと昨日 尋ねられました。質問の趣旨は、笹は左右からトンネル状にセットすべきでは無いか。これでは 外向きになっている 間違いでは無いか と申す内容です。

細かい点に気が付く御仁です。学芸員の指導でセットされていますから 間違い無いでしょうと 答えました。七種の飾り物は、鋭意作成中 間もなく完成 飾ります と 事務局の答えでした。

3日にガイドしたお客様は 神奈川・湘南地方の方々、本丸で見本が展示していますので 説明したら「平塚が日本一です 始まりましたよ 貰って来たら」のご発言。
内心 ムカッと来ますが、オジイサンは好々爺てす。仙臺の名誉の為 ソフトに「仙臺の七夕は 商魂を全面に出さない その謂われに忠実に 又 伝統を重視し 材質も仙臺和紙です。一飾 40-50万円の制作経費を要しています。豪華さ故に 制作前にお嫁入り先が決まっています。仙臺藩志会でも伊達領であった龍ケ崎市長から 斡旋を依頼され苦慮しています。・・・・」と答えました。

瑞鳳殿では、今年も 七夕飾、涅槃門・本殿のライトアップ、篠笛等の夜間演奏会を8月6日から8日迄実施します。昼と異なる幻想的世界を楽しんでは 如何でしょうか。尚、ループルバスの特別運行もあります。

さて 秀宗公の伊豫宇和島では、7月22日から24日迄の3日間、「うわじま牛鬼祭り」が開催されます。
以前は和霊大祭と称し23・24日の両日開催されていましたが、名称を変更し3日間の開催日となったそうです。
 和霊神社は海の神様でもあるので、その昔は遠く九州からも大漁旗をなびかせ和霊大祭に参加されていたそうです。人出は20万人とも30万人とも言われ、かなり賑わったお祭りでした。(宇和島・櫻さんブログによる)

和霊神社の祭神は、政宗公が秀宗公の家老に選抜した 山家清衛公頼です。仙臺・東一番丁にも和霊神社が鎮座していますが 祭典の規模は宇和島には比較になりません。どうぞ お出かけください。 



7 月 4 日 (日)  



朝早くから老若男女の参拝の方々、世界各地から津波の如くお出でになりました。有難い事です。
お陰様で9時から12時30分まで ベンチで待機する余裕無く ガイドをしました。

一瞬 詰まった質問は、「本殿に どうして 天女さんが 描かれているのだ。その理由を説明せよ」
入学試験なら覚悟していますが、ボラガイドに入試並の質問の仕方されるとドギマギします。

本殿正面は 極楽が描かれています。手持資料「当麻曼陀羅」をお見せしました。納得されました。
質問された男性、佛の道に理解あるのか。女性のいる世界は極楽と理解しているのか 「アッ そうか」と奥様と去っていきました。

住まい・育ちは仙台では無いと なぜか頑強に唱える 還暦前後に見えるご婦人9人からのガイド依頼。
涅槃門から登壇中に、「この石も 仙臺城の石垣も 仙臺の城下で採れた石です」 「ハイ 秋保石でしょう」誠に早い反応です。同級会有志の二次会だそうです。

「昨晩 秋保温泉宿泊ですか ホテルから採石場跡が見えたでしょう。政宗公墓室の石は秋保石と言われています。この石は玄武岩で800万年前に噴出した石で、西北部 国見山付近で産出されたものです」

肯いている方何人かいます。本殿前で北山・昌繁寺様の「毛縫曼陀羅」を披露したら はやり数人 肯いています。何かしっている人々です。

幹事が携帯でしきりに連絡しています。次の行き先が決定した様です。西公園の「○○茶屋」で「ズンダ餅」を賞味し解散だそうです。
「片平丁から現在の西公園附近は、伊達家の重臣の屋敷があった所です。そこで 仙臺城を臨み乍ら「ズンダ餅」を賞味されるとは 重臣の奥方の気分になりますネ」に ニッコリ。実は、仙台在住者が半数以上ですが、お詣りが初めてで恥ずかしくて 隠しました。ガイドして貰ってよかった」と洩らされました。


仙臺藩志会では 戊辰の役の際 佐竹家城下久保田で 殉難した伊達家家臣の慰霊祭を毎年7月3日に 祀られたお寺で催しています。今年は1泊2日の行程との事でしたのでした。140余年前 宿泊先で殉難しています。その場所が現在 ホテルになっています。殉難の地に宿泊し 霊を慰めたら如何でしょうか と幹事に提案した所でした。なぜか採用になりませんでした。

あかとんぼ が参加すれば、バスを誘導し 紹介するところですが 諸般の事情で不参加でした。参加されたUさんの感想が楽しみです。



7 月 3 日 (土)  



仙臺城址と瑞鳳殿を2時間でのガイドの依頼が入りました。
12時八木山市民センターでの講座が終わりまして、約束の場所 仙臺城本丸址までの移動です。仙台のバスは放射状に運行され、環状線型路線は僅少です。距離的に、バス停2区間ですが、本区間の運行がありません。
トボトボと炎天下を30分歩きました。距離的に2kmでしょうか。

竜の口渓谷 吊り橋から 久々に 40m深の眼下を覗きました。目が眩みます。昔は投身自殺の名所でしたが 現在は不可能の様に対応されてします。

政宗公が青葉山に仙臺城を築城した理由の一端が理解できます。1600年9月16日関ヶ原の戦いがありました。政宗公は上杉家と対戦していました。この風雲急を告げる日々に、堅固な城を最小の時間と経費で築城するには、南側の竜の口渓谷 は天然の要害で有効です。

経ケ峰を望める地点にて 携行食を使っていたら 若い男女がウロチョロします。暫時経過。埋門跡で再会しました。「○○が無い 何処にあるのか」と呟いています。「お客様 先程から 何か真剣にお探しですが お手伝いしましょう」 
「之です」と見せられたのが ガイドブック記載の 大手門址の隅櫓と石垣の写真です。仙臺城址をイメージさせる最高の位置での写真です。
「お客様は ループルバス利用ではありませんか。運転手が説明を洩らしたか 本丸に向かう途中 車窓から見えました。見逃し様ですネ。現在地はココです。沢門跡から三の丸跡に抜ければ 政宗公の足裏と同じ体験ができて、車の心配もありません。バス通りに出て 左方向に進めば バッチリ 写真の景が望めます。 その後 博物館前で 再度 ループルバスを利用されるとよろしいです」手持資料「仙臺城絵図」を広げ説明しました。

「オジイサン アリガトウ」と手を結び 駈けて行きました。
この二人 神前での結婚式 まだでしょうか。余分な詮索です。

本丸址の西半分を占める 護國神社 本日はお日柄が良いのか 神前結婚式があるようです。鳥居の前から神社本殿まで35m位でしょうか、深紅の絨毯が敷かれています。所謂(virgin road)のつもりでしょうか。
神社の参拝を終わった若い女性達が 土足で歩いています。如何なる神経なのかな 嫉妬かな と眺めていたら 係員から ヤハリ注意されていました。 

教会は白で 汚れ無き純白だそうです。又 (virgin road)は和製英語です。護國神社の赤い絨毯は 日本の現在の繁栄を築くに犠牲となった兵士の血の色かな と考え込みました。


ご依頼のお客様は 途中渋滞とか30分遅れで到着、昼食後 約束の時間より遅れ、仙臺城址と瑞鳳殿を2時間でガイドしました。

Tシャツに 伊達政宗と左肩から乳首にかけて 書かれ 竹に雀の家紋とプリントされたものを着用された方 居ました。瑞鳳殿を参拝されると 都内一円を探し 着用されたのでしょうか。
本殿前で 家紋の解説をしましたら 同僚から「家紋 ただしいか」と 指先で突かれ 苦笑していました。

(財)瑞鳳殿の売店で 政宗公の花押をデザインしたTシャツ 今年の売り出しが始まりました。税込み2100円です。(財)瑞鳳殿の専売商品です。あかとんほ も購入しました。染色 品質とデザインから お買得の品です。

ガイドの制服 五色水玉模様の陣羽織を着用すると お客様には見えません。で 着用を躊躇しています。  





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