2010年9月の日誌
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9 月 30 日 (木)  



政宗公側近NO1 片倉小十郎景綱を初代に、歴代片倉小十郎の城下 白石市に 片倉家の史跡を参拝・見学する会に参加しました。

参拝・見学等した箇所は次のとおりです。
1.片倉家廟所・・・白石市指定史跡 ・・・白石市福岡蔵本字愛宕山 所在
2.少納言 喜多の墓・・・白石市福岡蔵本 滝観音境内 所在
3.田村清顕、真田幸村の墓・・・白石市福岡蔵本字愛宕山 所在
4.常英山傑山寺 片倉小十郎景綱墓碑、片倉家正室墓碑、片倉家墓碑、松前家墓碑・・・白石市南町2-7-20 所在
5.旧白石城東口門・・・ 白石市本町62 当信寺 所在
6.真田阿梅・大八の墓碑・・・  白石市本町62 当信寺 所在
7.旧白石城厩口門・・・  白石市不澄ケ池68 延命寺
8.白石城址
9.白石温面工場「鰍ォちみ製麺」
0.昼食 白石うーめん やまぶき亭

案内は、白石教育委員会生涯学習課 文化財係 学芸員 日下和壽 様

主催団体は、自主生涯学習「政宗公の手紙を読む会」です。会員でもあるUさんのご紹介で、特別参加が認められたものです。
ご紹介の上、終日 お世話下さいました Uさんのご厚意に 深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

之までも 訪れた箇所もありますが 学芸員に説明して頂きながら 参拝・見学は 新鮮で得る所 多々ありました。

以下は 宿題 備忘事項です。
1.田村清顕の本物?のお墓は 三春にあるのか?

2.なぜ 真田幸村の墓と 一族と推定される墓があるのか? これについて 「仙台真田代々記、小西〇〇著」を読むように 学芸員からアドバスがありました。

3.白石城には 伊達家御当主が宿泊する御成御殿があった。掲示された図面に 「御成寝所・浴室」の表示がある。文政3(1819)年に焼失し、再建された建物の図面である。焼失前と同じに再建されたかである。再建されたとすれば、寛永13(1636)年4月20日 最後の参勤に江戸に向かう際 宿泊した場所 「御成寝所」が 図面上の此処に確定するが?

4.図面に 「御成玄関」と「御成式台」と 2ケ所 掲示されているが、政宗公は どちらを、 歴代の伊達家当主は どちらを 使用されたものか。

5.常英山傑山寺の本堂は、新築されたばかりで 木の香りが室内一杯に香っています。説明によれば「青森檜葉」との事です。柱は 民家の3階に相当する巨木です。瑞鳳殿 涅槃門の柱も「青森檜葉」と云われ、30有余年前 当時の青森営林局をして 津軽の国有林を探索しても銘木と聞いています。涅槃門の柱より 遙かに巨木である傑山寺の本堂の柱は、どこから調達されたのでしょうか?

6.1100年前 奥州藤原氏を 源頼朝の軍団が侵攻した際、防衛に努めた藤原氏の重臣藤原國衡が 不覚にも戦死した古跡〔馬取田〕を 案内して頂きました。大河原町金ケ瀬としりました。地図上で確定したい。郷人はこの地に廻り8間、高さ6尺の國衡塚を築き、冥福を祈ったそうです。現在一面は田圃です。大河原町は 史跡を 無造作に破壊したのではないか。この辺が 宿題かな。

7.史跡・説明版等 撮影してきました。資料も頂きました。 早期の整理が必要です。二度目の楽しみ 味わいです。
 



9 月 29 日 (水)  



孫引き の危険

瑞鳳殿でガイドをしていると いろいろとご質問を頂きます。元々浅学非才の身故に、思いもよらぬ視点からのご質問に戸惑う事も暫しあります。手持ち資料に図書館にと 駆けめぐり調べ、疑問の解明に努めます。Eメールで、質問者に回答をしたこともあります。これら を備忘録として 本日誌に記録しています。

石の上にも3年の諺がありますが、ボラガイド10年になり 講師依頼を頂くことがあります。それなりに蓄積した知識の活用とばかり 安易に引き受けて、さて容易にご理解頂けるような資料にまとめる時 四苦八苦します。

27日の〔町中の遺跡(四ッ谷用水)を訪ねる〕の資料は 20冊ばかりの図書を参考にしました。四ッ谷堰奉行として任命され 御褒美を頂いた事の記録を 孫引きをして 記載しました。読まれた 御子孫から 「もっと正確に記載してほしい」のご連絡を頂きました。

孫引きした資料2冊は それなりの識者ですが 古文書については専門でないか 微妙に表現が異なります。私は 曾孫引きに当たるでしょうか。転記漏れもあり ご注意頂く結果になりました。

「本人」に相当する資料 「延宝5(1677)年3月1日提出」の原本の保存先は了知していません。筆書き故 解読の自信もありません。「子」に当たる資料は、宮城県図書館郷土室に保存されている筈。係員3人をして長時間を要して探してくれました。あかとんぼ の資料は 純粋に「孫」です。今度の修正しました資料は 正確と自負します。

資料の孫引きは 危険と 云われていましたが その通りです。実際には 孫ではなく 曾孫引き 玄孫引き となり その都度微妙に 異なっていく可能性があります。今回 ご指摘頂き修正が出来ました。感謝です。活用の機会が あるでしょうか。



9 月 28 日 (火)  



10月から〔仙台・宮城(伊達な旅)キャンペーン〕から始まります。仙台市では〔仙台街なかガイドツアー〕を主催し3年目。今年も及ばずながらお手伝いします。本日は 今年通算5回目の研修です。講師は、バスガイド経験30有余年の現職です。受講生は、生涯学習(高齢者の歴史勉強者)で、一応 知らないことは無いとの様相の面々もおります。

講師は、仙台駅から仙台城までの行程で、この様に語り、この様に味付けをしますと 実演しながらの講話でした。実演の中で 歌舞伎等の真似事がありました。バスガイドは お客様を楽しませるのが使命で、歴史教育の先生ではありません。それに対して 自分の勉強した史実と異なる、正確にガイドすべきと主張する方がいました。はてな です。

あかとんぼ は 史実に基づいてガイドしています。お客様から 「私はこの様に覚えている」と云われる事があります。その時は「お客様は なにで そのように 知られましたか? もし、小説・芝居・テレビドラマ等での知識であれば 創作・想像も交えて表現されています。その片を思案して頂ければ」と お答えしています。

現実の出来事でも、正しい評価はなにか 裁判でも紛糾する様です。まして 過去の出来事を 当事者を交えないで 正確な評価が出来るでしょうか。
先般 仙臺藩志会の現地勉強会で 涌谷伊達家史跡を訪れた際、寛文事件(伊達騒動)について 誰が一番の忠臣であるか 地元と仙台からの講師と 評価内容が微妙に異なりました。このことです。

講話の内容に、参考になるもの、疑念のあるものもありました。

あかとんぼ 最大の納得は 「話中 客の目を見る 興味をもっているか?」です。
最近は 5.6人の小団体のVIP型ガイドをしており 万遍なく お客様を見 興味なさそう 不満等の表情をしている場合 話かけ なにか発言して貰い 引き戻しに努めています。吾が意得たりです。

なお 仙台街なかガイド あかとんぼ の当番日は11月6日(土)午後。11月26日(金)午前。11月30日(火)午前です。022−268−9568 (財)仙台観光コンベンション協会に お申し込みください。 

9月20日にガイドしたお客様から (財)瑞鳳殿を経由し お客様と一緒の写真が送信されてきました。「HPの表紙の写真は廟やお墓が続いています。お嬢さんの写真で華を咲かせてください」と お願いしたところ 快諾を頂きました。ご覧下さい。



9 月 26 日 (日)  



まさに天高く○○肥ゆる秋です。23日の豪雨、25日終日の曇天 「信じられない」と表現される 晴天 抜ける様な青空 秋晴れです。
意外と早く8時45分に 瑞鳳殿に到着しました。既に参拝されている方います。ホテルでの朝食をソコソコに 参拝にみえたのでしょうか。

9時 券売窓口に「ガイドいませんか」 ご婦人の声。最近 老人性難聴が出始めたかと 内心心配していましたが 手清所前で しっかり聞こえました。一安心です。
神戸にお住まいのご夫妻です。北海道を一周され、八戸に上陸、奥入瀬渓流から 津軽・金木の斜陽館を見学し 昨晩 仙台に到着。瑞鳳殿をじっくり参拝したいとの事。本殿までガイド、「資料館の展示物 珍しいものがあります。特に 出口には 貴重なものがあります。後ほど 答え合わせを致しましょう」と。何組かをガイド 小1時間したでしょうか、再会を諦めた頃、「ガイドさん わかりました」の 大きいお声。 「おわかり頂けましたか、ビデオでご覧頂けたか 3代綱宗公の甕棺です。真物です。・・・・・・」   「。。。。。。。」

弔魂碑、感仙殿・善応殿、妙雲廟界と 資料館の展示物との関連等を含め 案内しました。11代齊義公墓前の奉納石灯をして「珍しい形」と撮影され 「これ 伊達家の特徴か?」と 問われました。 「さて 日々見慣れている故か 珍しい形とは 気が付きませんでした。 確かに 大崎八幡宮の石灯には 特徴的な物があります。又、仙臺・東照宮の奉納石灯の火窓も 特徴的ですが、ここ妙雲廟界の奉納石灯・火窓が 特異な形とは。勉強します。ご質問ありがとうございました」


表参道の登り口で 巨体の欧米系の高齢者が腰掛けて 動きません。日本語で話しかけたら 「サンキュー」。本日がAPEC高級実務者会議最終日で 関係者が仙台市の高官の案内で 瑞鳳殿を参拝されるとの 未確認情報が事前にありましたので、そのご一行と思いました。しかし 並みグレイドの観光バスです。亜細亜・太平洋であれば 東洋系の人々が居なければ 不思議です。さて バス3台 1台40人位を マイク使用しないで1人でガイドは 難しいです。5・6人は聞いていますが その他の方は ガイドの肉声が届かないらしく 三々五々です。

英語ガイドの三宅さんのお話 「米国の退役軍人等の富裕層の方々で、客船で 世界一周で ロシアから南下して来た。松島に200人 瑞鳳殿に100余人が観光に  数日後 瑞鳳殿に ??人が来る。案内人のガイド内容は丁寧です」でした。


本日 採取した お嬢さん(20代前半)語録
1.「どちらからですか?」 「栃木県です」 「栃木県には 日光がありますネ。ここは・・・・・・」   「・・・・・ 日光はありますけど・・・・・・」 日光に行ったことないらしいです。「栃木県は広いですからネ」  「ハイ。気ままに見物します」  「ハイ」

2.東京から来たと称しています。 仙臺藩志会の裃・羽織袴・帯刀の写真をみせたら 「アツ 家のオジイサン も こんな服装していた」  「お嬢さんの ふるさと はどちらですか?」 「四国 香川です」 オジイサン は 讃岐・松平家の家臣であったか等は お尋ねしませんでした。

お嬢さん達は 「東京から来た」と 答えます。 そのとおりでしょう。「ふるさと は」となると ほとんどが 江戸・東京以外です。

3.「家紋とは どこに あるの?」 本殿前から降りてきた お嬢さん 数人の会話です。上にいたガイドから 伊達八家紋 を聞いての疑問のようです。
家制度そのものが無く 核家族で 冠婚葬祭の機会も無い人々 特に 平成生まれの人々は 家の紋 と云っただけでは 理解できないようです。平成生まれにガイドする際 一工夫が求められて居るようです。


本日 ガイド仲間の三宅さん から 実名記載の快諾を頂きました。NYさん NMさんの二人を 時々混同しています。ご本人の名誉を守り意味合いから ご快諾頂いた方から 実名で記載したいと 思います。明日は Eさん Uさんを初め 登場頻度の高い方々の 御意向を伺います。
  



9 月 23 日 (木)  



豪雨です。丑刻から 天のダムが決壊したような雨音で目が覚めました。依然降り続いています。お客様お出でになるか心配しながら瑞鳳殿に。やはり9時30分頃までは皆無。その後ポチリホチリから 続々と、大雨の中 参拝にみえました。

「伊達家の家紋を説明してください」のご依頼。「表に九曜紋 と戒名があり 陰に竹に雀の紋があり 〔御位牌?〕 竹に雀紋を裏紋と呼んでいます」に 資料の家紋を開き説明しながら 「ふるさと はどちらですか。伊達家とのご縁は?」  「駿河です。 ここで 我が家の家紋があり不思議に思い お尋ねしました」  「伊達家の系図に 駿河伊達家があります。戦国時代以後 どうなって 家紋は どうかも 私には わかりません。 お役に立たず・・・・・」
現役バリバリの年代の女性で、「今朝仙台に着いて」と申して ループルバス始発到着時刻に 参拝に見えました。惹かれるものがあったのでしょうか。
 
お客様の皆無で9時30分頃まで、資料館のビデオを単独・独占で鑑賞・学習しました。「政宗公の棺(ヒツギ)は駕籠に乗ったまま 埋葬されていた」の解説を耳にしました。 政宗公は7泊8日で江戸から仙臺に、覚範寺に1泊し翌日 ここに埋葬されました と説明していますが 棺(ヒツギ)は駕籠に乗ったまま とは説明していないことに気づきました。
久々に見た ビデオは新鮮でした。

通常は 涅槃門から説明していますが、ビデオをみて そのまま 拝殿からのガイドが続きました。
資料館から出てきて 「ガイドさん 先ほど 涅槃門の彫刻 素晴らしいと申していましたが 説明して」の ご依頼で 涅槃門を説明しました。終わったら 本殿撮影の最高の位置を教えてあげた お嬢さん 「資料館 ビデオも展示品も ヨカッタ 満足」と降りてきました。 

涅槃門の彫刻を撮影初めましたが 大雨の暗い天候で撮影時条件は 不良です。 「HP〔あかとんぼ 瑞鳳殿 ガイド日誌〕を ご覧なれば 取りこぼし・失敗した 彫刻の画面がありますよ」 と広報しました。
「東京から2時間です。 天候の良い 条件のヨイ時 どうぞ」に、 「5時間余です バスで来ました。5時前に到着し 夜明け前なので ネットカフェで仮眠をとり ここまで歩いてきました。仙台では1日バス券あるそうですが 買うには? 博物館は どんなものですか(見るべき価値があるか?)・・・・・・」

「ループルバス券は車内で買えます。仙台市博物館は 伊達家関係が充実しています 是非。 バス沿線の 東北大自然史博物館も 興味が一致すれば 楽しい博物館です」と 大崎八幡宮等 伊達家史跡を紹介しながら 今時どきのお嬢さんです、すべて HPで調査の上 お出でになっているでしょうから 余分なことかなとハンセイ。

「東京から以北は 人生初めてです。 明日は 田代島に渡ります」と 洩らされました。「なぜ 田代島?」に 「田代島は 猫の島で 愛猫家にとつて 聖地で フェリーの臨時便が出ます」と教えてくれました。

本日は 田代島は猫の聖地である。仙台駅前にネットカフェがあり 20代のお嬢さんが仮眠を取れる程 仙台は治安が良い 等を知りました。ガイドは一方的ではなく お客様から いろいろ教えて頂ける を実感した日です。

仙台から 松島か 平泉に向かう方が 居ますが 田代島は初めてです。「珍しいコースですね。松島・瑞巌寺は参拝されませんか? 瑞鳳殿では政宗公と正室愛姫と娘五郎八姫と3方の尊造を拝めます。愛姫と書いてメゴヒメ 五郎八姫と書いてイロハヒメと読みます」     瑞厳寺に参拝する様に 計画変更が入力されている様子。

雨は降り続いています。感仙殿地区を経由 62石段登りでお別れした時点で 右腕の袖がずぶ濡れになり 低温ですので 老体を労り 本日はこれにてお仕舞いです。



9 月 20 日 (月)  



敬老の日 祝日。感覚的に5日遅れ、まして 敬老会はお呼び無い故か 単に 日曜日の次の日の祝日であるの感覚です。
瑞鳳殿には 早朝から 老若男女 全世界から 参拝に見えました。昨日も今日も 仲間との情報交換の時間もない程 ガイド依頼が殺到しました。有り難いことです。

記録に残したい事柄
1.伊達家3代の御霊屋と云うが、何故 別々にしないのか? 4代から どこにあるのか? 上杉家は 歴代 建物のお墓だぞ 伊達家は 御霊屋を作る事 止めただろう 何故か?
以上の事柄をたたみかける様に質問された方は 高齢の男性です。4代綱村項の御意志で・・・・と 語ろうと思いましたが 聞いてくれる雰囲気ではありませんでしたので わかりません とお答えするに止めました。伊達家3代の御霊屋を  自分の○○家のお墓 先祖一同と 誤解してる向きがあります。
 政宗公は 1600年7月25日上杉景勝の城 白石城を落としています。この方の先祖は その際 白石城守備隊の末裔で 今以て 伊達家に怨念を持つて お出でになったのでしょうか。

2.東京圏からの3女性に、静岡から2嬢。20分ガイドのつもりが ワイワイと語り 90分。時間大丈夫ですかと 次の行程に支障きたさないか 確認しながら ガイドしました。5色乱星に竹に雀の家紋の陣羽織を ガイドの制服と資料で説明しましたら 喜んで 一緒に撮影となりました。 いつ いかなる時に着用するものかの質問です。陣羽織ですから 陣中で 着用するもので 甲冑の上から 羽織 事になりますから 大きいものです。と説明し フッと 「明治,大正の頃 雪国で男性が着用した マントの様なもの」と説明しようと思案しましたが、南国の人に 又 昔の風俗を語ると かえって 混乱すると気付き 止めました。

 本殿を約20年目で化粧直しした事から 久能山・東照宮の塗装周期(20年)にお呼びましたら 「静岡ですけど久能山・東照宮は お詣りしたことありません」 の返事。そんなものです。爺様と2嬢の写真 送ってくれるそうです。楽しみです。 

3.バスガイド 旗をなびかせ 本殿前まで老人の団体を案内してきました。涅槃門前で どうぞ と自分は階段を忌避するガイドが多い時 まじめなガイド嬢です。横目に見ながら 新潟からの お客様にガイドをしていたら 猪突猛進で 老女が駆け寄って来ました。「○○○○!!!?」 「少々お待ち下さい こちらの方にガイド中です 切りのヨイ所まで 」    スッと老女 引き返し 団体に戻り 「ガイドに質問した ガイドわからなかった」と全山に響く大きい声で仲間に報告しています。それはないでしょう。聞こえましたよ。
この行為 この老人倶楽部の旅行で 金メタルに相当するのでしょうか。おもしろい 行動をされる方いるのですネ。

 この新潟のお客様 「竹に雀」の家紋の由来に 興味を持たれたようです。帰路 コースを磐越道から 米沢経由に変更しようかなと 語りあっていました。

4.昨日 ガイドの切れ間を待って質問された やや高齢の男性「なぜ ここ お墓が米国の爆撃にあったのか」と 質問されました。 「川内(仙臺城二の丸)には 帝国陸軍の第2師団等の軍事施設があり 至近距離で 現在ほど 爆撃の精度が高く無く 誤爆では無いでしょうか」と 回答したら  「僕もそう思う。 戦災復興記念館を見学し ここに来た」との返事。

仙台市民に 戦災に遭った事 復興記念館が存在する事自体 知らない人が多い時 復興記念館の存在を知り、訪れ そして瑞鳳殿を参拝される 初めての事例です。誠に不思議に思いましたが それ以上 訪ねる訳にも いきませんでした。


夏 終わりました。猛暑の際 500mlボトル 1本半は飲みましたのに 300mlのボトル 飲み残しました。仲間は長袖になりました。次回から 衣替えです。



9 月 19 日 (日)  



2週間ぶりの瑞鳳殿です。職員駐車場が舗装・整備されました。お客様が 安全・快適に参拝されますように 安全で歩き易い参道と地道な整備を 鹿野事務局長が鋭意努力施工されました。いよいよ 裏方 職員の場の環境整備に入ったようです。駐車が容易になり 結果的に駐車可能台数が増えるでしょう。ガイド仲間も多くなってきています。有り難いことです。

シルバーウィークと称する3連休の中日です。9時早々から参拝の方が見えました。
あかとんぼ と同年配のご夫妻。東京から 車で3時間半 と申していました。千代田区からと申しません 東京は広いですから わかりませんが 飛ばし過ぎでは。瑞鳳殿をゆっくり参拝してくださいとお願いしました。

群馬県高崎市から夫婦に息子3人の一家。奥様からガイド依頼がありました。終わった際 旦那が「オカアサン ガイド終わりました 挨拶しなさい」と声をかけのした。奥様は 素直に「ガイドさんありがとうございました」と 挨拶されました。確かに 始点を担当した人が 終点にも責任を持つべきでしょうが 夫婦間で これほどケジメのはっきりしているのは 珍しいと感心しました。政宗公と愛姫の晩年の夫婦関係 ケジメの世界を思い起こしました。

親娘 遠隔地熊本からからだそうです。熊本と申せば 細川家 祖 細川忠興(1562-1645)は 文禄の役(1592-96)の際 政宗公と共に苦戦をした中に友好関係を樹立 その縁で 伊達8家紋の「九曜紋」は 細川家から使用を認められたと聞いています。この辺をガイドしましたが 反応はイマイチでした。仙台の人々が 伊達8家紋の何家紋をご存じで ほかの地に旅行されているかと 同じことです。

夫婦2組 姉妹です。姉が仙台で妹が東京。2組とも瑞鳳殿は初めて。
青葉神社で裃姿を見た との事から 5月24日政宗公のご命日 春の大祭かなと 思い 仙臺藩志会の一行と説明しましたが お客様と あかとんぼ のそれぞれの勘違いの様です。
この夫妻 仙台に住まいしたのは 昨年あたりのようです。青葉神社の祭神は誰か 政宗公であるをご存じばかりか 北山の仏閣の知識もありませんでした。また 今年の5月24日は豪雨で仙臺藩志会の裃姿は 中止になっています。青葉神社で見た裃姿は 氏子総代の裃姿では。

今日は 突然の雨で お客様は 傘を持っていなくて 軒下での 又 お客様と合い傘での ガイドでした。100分程で 雨がやみました。ホツとしました。

明日は APECの一行の参拝があるそうです。34世ご当主がガイドするものと思いましたら 仙台市の担当者が説明するそうです。あかとんぼ 勤務時間内に お出でになればと 期待していますが 警備上の問題か 時間は明らかになりませんでした。



9 月 15 日 (水)  



秋晴れ。爽やかな気候です。

仙臺城 西口(通常 この様な表現はありません)。仙臺城御裏林から郷六地区に抜ける道 最上古海道の痕跡不明箇所を探求している〔愛子の里交流会〕の勉強会に、Y幹事のご配慮を頂き参加しました。

本日のテーマは「仙台藩の隠れ城・宮床伊達家」 講師は仙台郷土研究会伊勢民夫副会長です。
幅広く 豊富に語られました。 あかとんぼ の学習成果は次の2点です。

1.主要街道から外れた 端末的宮床が なぜ 隠れ城と云われるのか です。
 宮床は 奥州街道・吉岡の宿から西の山間部に 約5qの地です。国道457号線が愛子・根白石・宮床と 以前〔羽後街道〕と呼ばれ通過しております。いずれの交通至便とは評価されません。
 仙臺城が万が一 落城の危機に瀕した際 表の街道(奥州街道)からは 隠れた 宮床に 御裏林・郷六・根白石から、そして山を越え 宮床に至るラインをし 隠れ城に最適と考えたか です。この道路は 上下2車線に拡幅 トンネル開通 整備されるまでは 曲折登降の激しい道路でした。
 
宮床は 〔要害〕では無く 〔所〕です。その規模は 侍屋敷107 足軽屋敷96で 大きくはありません。兵站としての十分か、兵員の移動、軍需物資の移動が容易できるか等の面から、仙台藩の隠れ城の表現は 現代の人々の言葉遊び・夢物語と理解しました。


2.宮床伊達家の由来は、です。
 家祖は 忠宗公の8男 宗房。正保3(1645)年8月5日仙臺城二の丸にて出生。母 側室山戸氏(おたけの方 伊達領龍ケ崎出身)。慶安2(1649)年 忠宗公 田手肥前高実の娘に配して その遺跡を嗣がせ、伊達氏を賜え 一門に列し、万治3(1660)年 に宮床の館に移る。録4700余石に至る。最終的に8,017石。
 配布資料の系図に 室 片倉氏とあります。前述と一致しません。先妻・後妻と補足がありました。

 宗房の長子 利房は 伊達本家5代 吉村公になり、次子 村興が 宮床を嗣ぎ 現代16代に至っています。

 さて、田手岡館に居た 田手肥前高実とは 何者かです。館主であり 忠宗公が息子を婿入りさせるからには 伊達家の重臣であります。
 先祖は、伊達家の初祖 朝宗の六男 実綱です。伊達郡伊達崎邑にあって伊達崎六郎と称し、後 田手氏を称しました。


 以上は 講話・資料を基に 「仙臺人名大辞典」「仙台藩歴史事典」により 補筆整理しました。

 宮床伊達家の現当主は 2007年に「宮床伊達家のこと」と題して講演をされています。その資料(写)を頂けないか 関係者に依頼しました。楽しみです。


宮床には、知識不足の年代に訪れています。宮床伊達家の廟所、14代が明治年間迄 住まいした住宅等を 近々 訪れたいと思いました。


本日 別の面での成果は
☆.「仙臺郷土研究 特集 仙台藩歴史用語辞典」 3訂版 2010年6月発行
☆.「復刻版 増補 仙臺鹿の子 全 大内蔵版」 2010年6月発行
以上 2冊を購入出来たは 乏しい知識で日誌をまとめていた あかとんぼ には強力な 強力な助っ人 資料です。誠に欣快の極みです。





9 月 14 日 (火)  



国際会議 APEC

9日の日誌に、学生英語通訳ボラガイドの研修の感想について 所感を記載しました。
講師を務めたある方から 「あかとんぼ さんの採取した感想は 極めて一部。留学生から「面白かったです」と礼を言われた。大学も学生もピンキリ」と。

朝刊に、宮城教育大学生の研修の感想と抱負を語っていました。

研修で初めて瑞鳳殿に行き @地元出身なのに宮城の観光地について知らないことがたくさんあることに気づき、地元を知るきっかけにもなりました。A多くの国の人と英語で交流できるのが、ボランテイァガイドの魅力だと感じました。求められている情報を正しくコンパクトに伝えたい。

あかとんぼ の所感です。
@について、地元を知るきっかけにもなりました事は 有り難い事です。灯台下暗の解消になり足下(地元についての知識)を固められれば最高です。
Aについて、英語を日本語に 入れ替えての実行が 赤とんぼの気持ち モットーです。

環太平洋の繁栄をめざすAPEC 仙臺2010 の期間にとらわれずに この学生さんの 活躍と お会いするを期待しています。
アジア太平洋経済協力会議(APEC)は 15日から26日迄 開催されます。 
 



9 月 13 日 (月)  



資料と情報

歴史を探る・勉強するは 体験していない限り推測になります。残された資料で限りなく正確に理解することが求められます。
ともすると 現在時点での立場で 過去を推測し 記載し ハテナのメールと 資料等のご教示を 皆様から頂いております。

「高畠と伊達家」の市配されていない資料〔9月1日探訪した際 ?であったことについて 地元精通者の解説〕を入手した、如何か。 「所望です 是非」とUさんに返信しました。

NYさんから 筋金入りの歴女が戦国の世の栄華を極めます「戦国武将学」と題する図書を借用致しました。通常の歴史書に無い切り口で政宗公ほかを分析・解析しています。おもしろいと申すか参考になる図書です。手許に起きたいと思いました。 でも 借りた物は返さなければなりません。NHKテキストです。既刊号でも 新品を定価で購入できないか 調べたら 新品を定価で おまけに 送料無料で買える方策を発見しました。早速注文しました。

Uさん NYさん マイドありがとうございます



9 月 11 日 (土)  



あかとんぼ の邑邑の 防災訓練が明日あります。その設営が本日ありました。邑の一員として端役ながらも参加する為 今日・明日のガイドは休みます。



9 月 10 日 (金)  



4代綱宗公と黄檗宗

企画展「書と絵画にみる仙臺と黄檗をつなぐもの」 福島美術館(仙台市若林区土樋288所在)を拝観しました。

綱村公(1659-1719)は 正室(稲葉氏仙姫)の影響?で黄檗に帰依し、萬壽寺、大年寺、臨齊院を創建しています。黄檗宗開基 僧 隠元隆g(インゲンリュウキ・1592-1673)は、1654年長崎に上陸し、時の権力者の庇護を得、その教え・文化は 長崎・京都・小田原・江戸 そして奥州仙臺に至りました。

福島美術館では、 隠元隆g・伊達綱村・観心院(7代重村正室近衛惇君)等の貴重な資料を展示・紹介しています。
ご案内・お招き下さいました 尾暮学芸員から 長時間 丁寧に解説をして頂き 拝観しました。

又 次の内容のご案内を頂きました。
ワークショップ「煎茶deおもてなし」
煎茶は江戸時代、中国から伝えられた異国情緒あふれる黄檗の文化の一つでした。煎茶で「おもてなし」いたします。

●開催日・内容・参加費
(1)10月30日(土)煎茶道三彩流・ 煎茶席コーナー・300円
(2)11月23日(祝・火)煎茶道織田流 ・煎茶お点前体験コーナー・500円

※いずれも、立礼(テーブル・イス席)です。
※お菓子 まどか荒浜製まんじゅう(みそ、ずんだ、黒糖の3種ご用意)

●時間 10:30〜15:30(時間内随時受付)
●参加申込  福島美術館 電話(L022-266-1535)まで

●足・入場料
 地下鉄愛宕橋下車5分 一般300円 70歳以上無料。

企画展は 11月23日まで開催です。お出かけください。あかとんぼ は再訪の予定です。


以下は、あかとんぼ の学習成果です。

1.山号寺号「両足山大年禅寺」 綱村公 直筆の掛軸(仙台市博物館所蔵)を拝見。
  私には 味のある書体 書き方です。世評では 綱村公の書は 上手とは云われていないとの解説がありました。
  署名 肩書きですが、藤原朝臣綱村で結ばれるは常です。、冒頭は本州奥太守で始まっています。本州陸奥太守で始まるのが通常と理解していましたので 珍しく 感じました。殿様別、年代別に肩書きの書き方を収集し 比較・検討すべきか 宿題でしょうか。

2.仙台の黄檗宗の寺院は、綱村公創建の萬壽寺、大年寺、臨齊院の3寺院のみと理解していました。今1寺ありました。
  安永3(1774)年5月 7代重村公正室近衛惇君の発願で広瀬川河畔に創建された(旧名洞玄院)こと松月山桃源院でした。当寺には 天保4年の飢饉の供養碑 叢塚(光壽寺・大法寺と同型存在)がある事等を09年08月24日Uさんに案内して頂いておりました。その際 「重村公正室近衛惇君の発願で黄檗宗」と説明したでしょうが 聞き逃していました。

3.武家の娘は「姫」 公家の娘は「君」と呼称する事 尾暮学芸員のご指摘で認識しました。系図・略歴等 確かに 使い分けていました。尚、仙台市史は「姫」で統一し 記載しています。

4.館寶らしいく館のパンフレットに記載あります 「忠岡三千子筆 花魁図」  同行者 「遠近法以上に端役が小さく描かれているのは何故か」の質問を発しました。
  忠岡三千子は観心院(惇君)の侍女で 画才があり 歴代正室の肖像画を描いている。狩野派ではなく 狩野風である。
  正室の侍女であれば、奥向きであり 江戸市中を気ままに徘徊する機会があるか、「花魁」とかその端役の女を目にする機会があるものか です。空想では描けないと思いますが。
5.観心院(惇君)は、天明の飢饉には手許金をして窮民救済に関与し、人口増加策である赤子養育仕法に関わり養育料として10,000両を用意しています。8代齊村の早死で伊達家存続の危機に際し 家臣を指揮し 幕府・領民に対応し、この様に 治世の表向き にも関与したかたであると  仙台市史近世3等で熟知していました。しかし、黄檗宗に帰依していたとは知りませんでした。今回 一端を知りました。尾暮学芸員は この辺を調べているようで、その成果発表が楽しみです。

6.政宗公の仙臺築城の候補地に 躑躅岡があったと伝えられています。現地は確かに岡になっていますが 防備上 最適地か内心疑問に思っていました。今は無き 清水沼は 広大な沼であった、小田原地区は低地・湿地であったの記録に接し、築城候補地はヤヤ納得したところでした。さて、 麒麟麦酒仙台工場が 小田原地区に立地した理由を知りませんでした。本地が長町地区より地価が安価であり 良質の井戸水があったので 仙台で初めての麦酒工場 東洋醸造鰍ェ立地したそうです。この会社間設立者 福島禎蔵氏であり、福島家3代の収集品が 本 福島美術館 の基本になっています とあらためて知りました。

7.福島家の収集品の 展示品には これまでの感覚では 思いつかない 品も展示されていました。一興あります。是非 ご覧下さい。

8.県美術館の様に、混雑する事ありません。過去の経験からして。マイペースで心ゆくまで 鑑賞できます。余分な事でしょうが 経営的に大丈夫かの心配があります。 



9 月 9 日 (木)  



外国要人に  日本と仙臺の歴史と文化を 正しく 楽しく 伝えたい

瑞鳳殿参拝者の感想を収集していたら

「APEC学生ボランティアの第3回目の研修でループルバスに乗り瑞鳳殿と青葉城に行ってきたよ
仙台の観光地を外国の方に説明できるようにするための研修だったんだけどガイドさんの説明が長くて集中力切れちゃったよ」 まだまだ続く。

この研修、瑞鳳殿・仙臺城・大崎八幡宮の仙台を代表する 歴史・文化の地を ループルバスを利用し 1ケ所 1時間内で 各箇所のボラガイドの代表者が 説明をすると聞いていました。


国際会議 APEC に参加する各国の要人をガイドする大学生に対する研修です。物見遊山ではありませんから 講師は 当然 正確に伝えて欲しいの気持ちから 日本語と英語の 対照ガイドブック(資料)をつくり 現場で 丁寧に、詳細に 説明したと 思います。移動時間を除けば 話す時間は30分程度です。それで 集中力が切れる様では 覚えて呉れたのか 日本と仙臺の歴史と文化を 正しく 楽しく 伝えられるのか 心配だ。



9 月 5 日 (日)  



瑞鳳殿をお参りしたい と心に決めた人々は 9時早々に登ってきます。今日も何組か いました。
ボラガイドの会の「お定」 では ガイド開始時刻は 10時となっています。それでは 政宗公に会いたいと熱望し 計画の一番に訪れた方々に 留守では失礼です。 落胆されるでしょうとの思いから 9時から ガイドしています。共感する仲間も おります故か 「お定」違反との非難はありません、お客様に喜ばれます。今後も継続します。
 
看板をセットしていたら 早速「お願いします」の声。20代の日焼けした青年一人です。「オートバイ野郎」の風袋です。

ガイドしていると それなりに知識を有している事がわかりました。尋ねると 「東北を北から南下し 昨日は松島・塩竃・多賀城の伊達家関係のみならず 史跡・展示施設を見てきて、今朝一番に 瑞鳳殿をお参りに来た」との返事。

多賀城跡を見られたとの事で 「秋田城も見学されました」に 「ハイ 」との返事。 確かめたら 秋田城跡ではなく 久保田城跡でした。久保田城跡を秋田城跡と誤認識していました 時代が異なる を知らない人が沢山いますから 当然でしょう。多賀城の史跡で のボラガイド諸氏も この点で テコズル事ママではないでしょうか。

青年は この後 大崎八幡宮と○○に行くとのこと。忠宗公のご生涯に 御治績を知っていましたので 仙臺東照宮かと思い 家康公 休息された「ゆかり」の地と説明しても 本人のイメージと一致しません。結果的に ○○は 青葉神社でした。最新の「仙台観光マップ」を差し上げたら 仙臺東照宮は計画外で参拝することになりました。

仙台から 白石に そして米沢に 山形・最上家から 庄内に抜け 会津若松に そして佐竹家旧領を巡る(ご本人発言)との事。それでは 米沢から山形の途中の 高畠町で 儀山・政宗公の墓所を。会津若松から 白河に抜け 棚倉を経由 西山荘を目指したらと 最新の「観光図版」を広げ 語り合いました。相馬家に、三春の田村家、いわきの諸大名にも興味を示していました。一筆書き 走れるか 興味のあるところです。

家を出て 既に45日 この後 戦国武将等の史跡を巡り続け 帰宅するのは 何時なのか。日本全土を巡ったら 世界を巡る計画との事。その頃には HPを立ち上げるかも との事。PCで 足跡を追尾しましょうと 名刺を交換し握手しました。岩○君 日本と世界 一周の達成 成功を期待します。ガンバレ。


新潟からの還暦?ご夫妻。奥様が硬い表情でしので 「私のガイド 詰まらなかったら ストップかけてください」とお断りして 始めました。 拝殿の扁額 長持の説明から 奥様 調子が出てきました。「家にある長持ちは 上蓋の角が丸くなっています。写真とは違います」

今年になって 長持 持っている 持っていた と発言される方が 数おります。どのように 分析すればよろしいでしょう。

本殿・寶筐印塔の説明の頃から、奥様 舌・絶好調となりました。結果的に ストップはかかりませんでした。ガイドを聞いてよかった と云って頂き 安堵しました。


大香炉の前で お嬢さんが 「オジイサン 線香あげたいですけど」 困惑の様子。 「真ん中の格子目に お好きなだけ お金を入れ  脇の線香をお好きなだけ取ってください」   「オジイサン 火をつけられないの」   マイッタナ  火吹竹で 炉の炭火を吹きました。炭火は真っ赤に燃え上がりました。 線香に点火 成功しました。 合掌しています。ボロンボロンと涙こぼし 泣いています。

合掌が終わっても泣いています。傍を通る お嬢さん達は オジイサン なにか 悪さをしたの 怪訝な表情です。事情をお尋ねしました。事情はこうです 「政宗公の熱烈なファンで 政宗公に会いたかった なかなか 訪れなかつた 今 墓前でお参りしたら 感極まった・・・・・ボロンボロン」

数多くの歴女さま が参拝にお出でになりますが 感動し 人目を気にせず 泣いた方は初めて です。
「本殿の写真 撮影されましたか 最高の場所は ココデ この視線で」 に 「まず お参りしてからと 未だです」  

拝礼もしないで バシャバシャ 撮影する人いますが さすが歴女 NO1です。まずお参りして それから 撮影です。
なお あかとんぼ は本殿前で 説明する際 拝礼 脱帽 します。

涅槃門で 太陽を肌に感じます。帽子を被っていません。急いで本殿前に戻ったら 清掃Aさん 「アレー ガイドさんの 事務所に届けたヨ」  事務所に駆け込みました。 「この灼熱の炎天下 帽子忘れる人 いるのネ」 と話題になっていましたと 一同 笑顔の中 受け取りました。


世界一周さんと歴女NO1さんには 仙台市史22号をお土産に差し上げました。政宗公の御尊顔 数々に 大喜びでした。提供頂きました 菅野さん ありがとうございました。



9 月 4 日 (土)  



8月6・7・8日の 仙台七夕まつり は、3日間で235.7万人の観客が訪れたと 昨日 仙台市観光交流課から メール配信がありました。

瑞鳳殿で Uさん NKさん等と 3日間 ガイドしました。昼間でも 怒濤の如く の感じでした。 夜間は 入場制限 札止めを考慮する程の参拝客だったそうです。さて 何人 訪れたのでしょう。仙台市を訪れた 観光客の何%でしたでしょうか。


昨日 配本された週刊誌「日経ビジネス」によれば、新潟県佐渡市宿根木が 斜陽の佐渡観光で異彩を放っていると紹介しています。

地区の中学生が 古い家屋、神社を40分をかけて案内している。ガイドが終わると 拍手がわき起こり 記念撮影が始まる。英国から来た老女が「こんなガイドは見たことがない」涙声で感動を何回も訴えていた。今年は10日間で1368人を案内した。

子供達は 地域に関心を示す観光客から 地元への誇りと愛着心が強まった。地域の歴史と文化を客観的に見つめ直し 深く理解していく。かつ 地域の活性化につながる。
中学生が活躍する故 夏休中の10日間の期間限定の催事です。又 都会でない地区だから 成功したのでしょうか。

瑞鳳殿地区には 1600年代からの400年の伊達家の歴史と文化が集積されています。地域の歴史と文化を客観的に見つめ直し 深く理解する目的から 地区の中学生をして 出来ないものだろうか。毎年春に 研修する ○○高校生でも 出来ないだろうか。一考の価値があると思います。

ガイドマニアルの作成 事前研修を担当する意欲はあります。仙台市長 奥山さま いかがですか。


世界観光機関UNWTOの資料によれば 日本人は「旅行好き」の「旅行者嫌い」のデーターが出ているそうです。さもあらんです。
これからの日本は それでよいのか。観光立国を実施しましょう の結論になるようです。
そのような国策で 国益があるのであれば 老骨ながら 協力しましょう。



9 月 3 日 (金)  



9月になりましたが猛暑が続いています。
過ぎたるは及ばざるがごとし と申します。暑さイコール豊作と喜んでいたら 暑さによる品質低下の心配と水不足の心配が入ってきました。

午前 猛暑の中 関東圏の曹洞宗の僧侶 11人様を70分 瑞鳳殿等をガイドしました。
1日 出先に 元締めから電話があり 「 詳細不明 11人 3日朝 1時間 ガイド出来るか」と急な連絡があり、久々のご依頼ガイドです故 快諾したお客様です。バスから下車してくる男性 立派な体格の盛年男子です。警察機動隊員と見間違う体格ですが 全員 丸刈りピカピカです。「失礼ですが お仕事 ご職業は」の問に ニコニコ。

昨日 瑞厳寺と陽コ院院(寶華殿)を参拝されたそうです。ですから 「桃山様式の豪華絢爛な 御霊屋」の説明に 違和感なく受け入れて呉れた様子です。
涅槃門と本殿前の極楽等の説明に 一言 あるかな と予期しましたがありませんでした。

本殿では 合掌されていました。
続いて 登壇した観光客が 拝礼もせずに 撮影を始めました。 「ここは 伊達政宗公の墓所です。地下に眠られています。拝礼されなくとも 佛罰はないと思いますが・・・・」 続いて「欧米系の明らかに仏教系でないお客様 偉大な領主の墓所と知ると 礼拝します」と伝えると 偉く納得した 表情でした。佛様(佛像)に 敬意を示さない人がママいることに 内心 忸怩たる思いでいて、共感されたのでしょう。

ありました 質問は
1.寶華殿はなぜ 撮影禁止なのか。ここは 撮影自由なのか。
  瑞厳寺様の禁止理由は 了知していません。ここが自由なのは 再建工事経費は市民のご寄付と国庫補助でなされたからと聞いています。

2.我々は 寶華殿の内部を拝見出来なかった。外部の撮影も禁止された。ガイドは内部写真を持っているが なぜか。
  ハイ、 従前に 会で研修会を企画し 特別に拝観させて頂きました際の記録です。皆様は 宗務所を通せば 拝観出来たのではありませんか。

3.政宗公の戒名 寺号が付いて居るのは理解出来るが 最後に「神儀」と付いていた。これは 何か なぜか。
  それは お客様が詳しいのでは ありませんか。私には わかりません

秋保温泉から 直行された割に アルコール臭を 発する方は一人も居ませんでした。聞く時は聞く 語る時は語る 誠に 出来た人物の一行です。
最後に 宗門は 「曹洞宗」と 教えてくれました。

依頼のあった旅行社は「03」局 バスは東京近郊です。それ以上 不詳です。でも 気持ちの良い関東圏の曹洞宗の僧侶様です。又のお越しをお待ちしています。


夕方16時 再度 瑞鳳殿に向かいました。
「外国からの賓客が来るので 短時間 中身の濃い ガイドをして欲しい」と お友達の若い女性から 頼まれたのです。年寄りに 若い女性のお友達がいる筈がない とメールが来る前に正確に表現します。普段 世話になっている市民センターの企画担当の実力 若手です。昨年 瑞鳳殿参拝の講座の準備を一緒にしており 思い出して 電話を呉れたものです。

賓客は ハワイのフラダンスのNO1の先生夫妻。フラダンスの仲間で先生をハワイから招請したもので 16時仙台駅到着 瑞鳳殿に直行されたそうです。仙台観光は 瑞鳳殿のみとか。中学生英語を交えての50分ガイド です。涅槃門の彫刻 阿吽の牡丹と唐獅子の説明の際 思わず 「ゲーム ハナフタ゜」と 「ハイ ハワイでも花札 します」と返ってきました。 外国人横綱 白鳳 は 「花札しました」と 満座の中で 相撲協会役員に 云わせられていました。 となると 花札は国際的 ゲームのようです。

瑞鳳殿を 楽しんで頂けたか。 「アロハー」と 車窓から腕を振って 去っていきました。満足されたと理解します。ハワイの人は おはよう も こんにちわ も ありがとう もアロハー ですから。
いずれ お付きの 大和撫子から 何ならかの 反応があるでしょう。


15時に瑞鳳殿に到着した際 駐車場で 「大きく輪になって」 と叫んでいました。
直径50cm近くの 杉の大木の伐採作業中でした。動画撮影準備している内に バッサリ 伐採されました。撮影に失敗しました。
樹齢 何年でしょう。その生命を 停止する瞬間は 人さま 同様 瞬間です。アッケナイものです。


8月3日政宗公の生誕記念企画 「まさむね 歴史塾 親子でクイズウォークラリー」の記念集合写真を頂きました。参加した小学生と親に 発足間もない 伊達武将隊一行と 我々 おたすけ家老(伊達家は家老の呼称はなく 正しくは 奉行 と呼ぶべきの声があります)が それなりに写っています。 HPにて披露したいところですが 公人で無い人々ばかりで 肖像権の心配があり あきらめます。



9 月 1 日 (水)  



「伊達家のふるさと たかはた伊達の会」 設立総会

伊達家8世宗遠公から14世稙宗公までの162年間、伊達家の拠点であり、政宗公生誕に際しての伝説の亀岡文殊堂、幼少時の教育の場 虎哉禅師の資福寺跡の所在する山形県高畠町。

ここで、「伊達時代の貴重な歴史・文化を掘り起こし、現存する史跡・資料の調査・保存をし 後世に伝えることを目的にする」の趣旨で、標題の会が設立されました。

誠に 結構な ご趣旨です。賛同し ガイド仲間 Uさん と 参加しました。

会場は 高畠町文化ヘールまほら。 
時刻は15時。
議事は、規約制定 役員選出 事業計画・予算の審議。大勢にに影響のない質問が続き 拍手で決定。
名誉会長に 34世18代御当主が推戴され、ご挨拶がありました。

来賓として 高畠町長を初め 米沢駅長等観光事業団体 置賜各地の観光窓口関係の15団体が出席していました。
記念講演として 福島県文化財保護指導委員 菊池利雄先生の「伊達家の歴史と高畠」の講演がありました。
余興として 「奥州仙台 おもてなし集団 伊達武将隊」の演舞が 披露されました。 


以下 あかとんぼ の感想です。
1.社会は 建前と本音で成り立っています。否定しません。
  設立の主体は 観光協会です。本音は 大消費経済力の仙台圏から 伊達家のキーワードで 高畠町に 関心を持ってもらい 観光・商業の活性化を図ろうとするものです。
  既に 仙台市役所前広場で物産展を開催し 高畠町を目的とするツァーの募集も行われています。
  歴史が 商売になる 地域の活性化に至るならば 大変結構なことです。

2.歴代の数え方 誤解を生みます。
  事業計画で 「伊達家8代宗遠公から14代稙宗公まで」となっており、「18代御当主」を名誉会長に推戴しています。素直に読むと この間4代しか無いことになります。
  貞山・政宗公以前は「世」 以後は「代」と表現し 「世」と「代」の併記も必要と思います。

3.名誉会長と顧問以外の役員は 趣旨に賛成した会員から選出すべきと思います。
  「役員選出はいかが計らいましょうか」の議長発言に 「発起人一任」と 叫んだ手前 選出された役員にとやかく言いませんが、選出・配布された名簿と会員名簿を照合するに 会長ほか数人が 会員名簿にありません。確かに 規約にも 会員から選出するとは ありません。間違いはありませんが 道義的に いかがでしょう。

4.なぜ 15時からでしょう。13時の間違いではありません。
  仙台では この種の会議は13時からです。推測ですが 17時からの懇親会(宴会)から逆算し 設定したと感じられます。記念講演会を45分経過した時点で 時間がありませんと、講師の不本意のまま 打ち切りました。総会が予定より時間を要し 懇親会の開演時刻に遅れを来すからの様子がありありでした。
 我々は帰宅まで2−3時間要します。飲酒出来ません故 懇親会は欠席しました。名誉会長は欠席する訳にはいかないでしょう。「馬廻役」を同行していました。



本日 Uさんの車で 義山・政宗公夫妻の墓所3ヶ所 七ケ宿町所在 東光寺、高畠町野倉手所在、同町夏刈所在と 資福寺跡、政宗公父 輝宗公墓所をお参りしました。

更に、15世晴宗が1548年に米澤に本拠を移し、1591年 貞山・政宗公が秀吉の命で 岩出山に移る迄 その本拠は 現在の米澤城跡ではなく  西に3kmの館山城でなかったかといわれ、米沢市教育委員会では3ケ年計画で発掘調査を開始しました。この現場を確認したいと、標高555mの山頂 愛宕神社迄 登りましたが 発掘現場にはたどり着けませんでした。

山頂から 一望する 米澤の街並み 置賜平野の様子は 仙臺・青葉山からの 仙台の街並み、仙台平野一望と 共通するものを感じました。8月16日河北新報の特集記事の中で仙台市史編纂室長の菅野さんは 「仙台城と城下の立地関係にも似た地形の館山城下を探る材料に期待する」と記していましたが なるほどと 納得する景色でした。

私らは、馬力に余裕がある小型車で、卓越した運転技能を持つ Uさん運転ですから 山頂を極めました。道は 急坂・急カーブの連続・未舗装です。もし お出かけの際 この点 十分覚悟の上で。 

Uさん たいへんお世話になりました。





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