2011年6月の日誌
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6 月 28 日 (火)  



19日にガイドしました張様から写真の送付がありました。
懸命にガイドをしている様子が 誠に素直に撮影されています。モデルとして気に入りました。
あかとんぼ は人生の節目。年齢的に節目を向かえます。記念に 表紙に掲載致します。

張様は旅行関係の業務に従事しているらしく、その目線で 被災地松島・仙台を楽しまれた際 今回の出会いがありました。
それなりの感想をブログに記載されています。
拝読しました。
被災地の老人ボラガイドについての評価 過分なお褒め面もあり 納得する面もあります。中国の方のみならず お客様をガイドする際の参考になりました。感謝します。

URLは 下記の通りです。
http://user.qzone.qq.com/744245026/blog/1309053643

松島・仙台塔の素晴らしい景もあります。ご覧下さい。



6 月 26 日 (日)  



お客様の出足は遅いです。9時25分初めて登ってきました。
ループルバスは9時15分に一番バスは到着し 5-7分後に券売口に至ります。これからして 今朝の一番バスで瑞鳳殿前下車 皆無であったようです。
券売嬢と待つこと30分。埼玉からの御夫妻。マイカーとの事。推測が当たった様です。
埼玉と横浜からの御夫妻2組。強雨なので本殿参拝後 拝殿で腰掛けて頂き 資料を開き説明しました。

埼玉様の発言 
@伊達家が大好き 奥行きが深くて、是で5回目かな。 
A家内は興味ないが無理無理 同行して貰っている。今日が一番に興味を示した。ガイドのセイ?
B仙臺城、大崎八幡宮、仙臺東照宮を参拝してきた。これから松島に向かう。

埼玉・横浜様の質問
@なぜ 忠宗公は仙臺東照宮を創建したのか。
A政宗公と忠宗公とでは 対徳川家との関係 力関係に違いがあるのか。
B葛西・大崎一揆とは 何ぞヤ。
C最上家との関係・対立・抗争の関係から 友好関係に至ったのは いつ頃で 何が その機会となったのか。
D最上家は 42萬石の太守から 5萬石となり最上を放逐されたのは 何故か。
E伊達家の年貢率は 4公6民か 5公5民か。

最後E伊達家の年貢率は 完全ギブアップでした。
「時代によって変化しているでしょうが 調べていませんので分かりません」とお答えしました。
ハタと疑問が湧き上がりました。伊達家は地方知行制です。この場合 伊達家として統一した税率なのか 各領主に付加税率が 認められたのか。

涅槃門と吐水龍との間に大型クレーン車が陣取り 安全柵が回されています。
券売所から移動して 予想しない突然の景に 驚かれたお客様もおりました。資料館旧御供所跡)石垣修復工事用です。涅槃門を潜られ 工事用シートを見られ 被災の大きさに驚き納得されるようです。


ある方から 「本殿前の避雷針の上部が 被災し 折損・落下して 北側の樹林に刺さっている。知っていましたか? あのまま 放置されるのかな。陸奥國分寺七重塔は934(承平4)年落雷の為焼失した。その際に落下した相輪の擦管が北側に突き刺さった状態で、1021年後の1955年調査8月の発掘調査で発見された。この避雷針も 同様の運命を辿るのであろうか。撮影し 記録し 構成に伝えたら 如何でしょうか」と ご連絡を頂きました。

今朝 ガイド開始前 現場探索しましたら 通報で発見しました。樹と草の生い茂る中にあって 見逃すところでした。
ある方は、被災100日 瑞鳳殿に参拝する都度 高い避雷針の先を見つめ 探索されていたのでしょうか。

(財)瑞鳳殿施設責任者にお尋ねしたら 当然 折損は了知しておりました。「残残の塔には アースがあり 落雷時 作動しますので 心配ありません。心配無用でガイドを続けてください」との事でした。
でも 雷は怖いですから 傘を差してのガイドはしません。「オヒソ」が獲られる前に帰ります。


瑞鳳殿七夕ナイトのポスター チラシが完成し、展示・配布が始まりました。
2011年8月6日(土)-8日(月)18時-21時 入場料550円。併催行事として 篠笛演奏が18時-18時50分 森のコンサートが19時-21時迄。
ループルバス「七夕ナイト号」が仙台駅前18時20分から20分間隔で20時迄 6本運行

今日 あかとんぼ のガイドを聞いてくれましたお客様には このチラシと市史通信「政宗公御尊顔」を 雨の中の参拝御礼として差し上げました。



6 月 24 日 (金)  



仙台城と瑞鳳殿

「ジパング倶楽部」の7月号 いざ城へ参ろう27 仙台城 です。
解説・見聞は 著者は業界第一人者 小和田鉄雄先生。

瑞鳳殿は「桃山様式を極めた伊達政宗の廟所瑞鳳殿」 瑞鳳殿七夕が開催される まで丁寧な記述です。
「桃山様式を極めた」の表現に感謝します。ただ 写真がいつ 何時撮影されたのか 極彩色の彫刻が 真っ黒です。その美しさが表現されていないは残念です。(供花から5月24日以降の真昼と推定)

本丸の政宗公 騎馬像の撮影角度 最高。青空のもと 騎馬上の勇姿が 見事です。今後ガイドの際 お客様にお勧めしたいものです。



6 月 23 日 (木)  



豪雨である。

昨日のガイド会総会の余話

1.地震
  NKさんから 統括する団体での 講演「地震履歴」の資料を頂いた。NKさんは忠実(マメ)に調べています。
  27日勉強会が仙臺城本丸跡であります。現被災状況は当初の講師 過去の被災状況をNKさんに 語って頂くと充実した内容になりますが。

  NKさん 博物館の地震パネル展で小冊子貰い損ねたと。受付に申し出ると貰えますと 同席者全員に伝授。私は活用しています。


2.五色瑞雲
  涅槃門彫刻 正面の五色瑞雲 緑色は蓮の緑・・・・・とお客様から 言われたとOさん。
  政宗公所用と云われた「紫地羅背板五色乱星陣羽織」の五色は陰陽五行にり「星」「方位」「四季」を表しているとの説がある。その類か?
   参考
   色    星   方位   四季
   青(緑) 木星  東    春
   赤(紅)  火星  南    夏
   黄    土星  中間   土用
   白    金星  西    秋
   玄(黒) 水星  北    冬

3.方位
  三廟と妙雲廟界墓石の向きについて お客様から講義があった。
  確かに 瑞鳳殿正面は 西向き、感仙殿・善應殿は東向き 妙雲廟界墓石 九代様は東向き 十一代御夫妻様は南向き。
  瑞鳳殿正面は 仙臺城を向き 子孫の行く末を 御自身(御遺体)は城下を向き 民の営みを案じた。感仙殿・善應殿は 偉大な父・祖父に敬意を表したは 後付の話 楽しくする話しでは無いか。地形による配置の結果です。

  方位・向きを確認し、改めて 北向きに建てられた御霊屋・墓石があるか となりました。参加者どなたも 記憶がありませんでした。

4.善應殿門
  明治10年から12年に 多賀城市慈雲寺山門となった。元々は感仙殿門であった。(参照5月28日(土)日誌)
  資料コピー添付 説明が為された。5月26日勉強会不参加者の反応はイマイチでした。

5.義援金
  NPO堺観光ボラ協会から NPOシニアネット仙台「ぐるーぷ・よつこり」に義援金の窓口との要望があった。
  会報によれば ガイド養成講座に89人の応募があり 厳正抽選で30人に絞り決定したの記事がある。堺の市民意識の高いのに驚く。

以下 ・・・・・・



6 月 22 日 (水)  



夏至 一年中で一番昼が長く夜が短い日。

瑞鳳殿ボランテイアガイドの会の総会がありました。
夏至で真夏日でしたが 幸い冷房設備が稼働している施設で開催されましたので、熱中症にもならず、真剣に討議しました。

瑞鳳殿でのボラガイドは、
@参拝のお客様に 解説を聞いて良かったと喜ばれる事。
A(財)瑞鳳殿にガイド居て 案内・解説がある事で 管理・運営が好適と喜ばれる事。
Bガイド自身の健康管理と生涯学習になる自身の喜びとなる事。
この「三喜」が求められています。

この視点で 360度の方向で 報告・討議が為されました。
最後に 役員改選が 突然発議されました。
本会とNPOシニアネット仙台「ぐるーふ・よつこより」とは 重複している会員が多いが、対外的にも 組織が別である旨 理解して貰うため、との事でした。
EさんからMさんに 会長の交代が承認されました。

M新会長 当面の課題は
1.瑞鳳殿でのボラガイドについて、現場管理者である5月着任した局長・次長から基本方針を聞かせて頂く会を 早い機会に開催して頂く事。
2.現在 登録ボラガイド15人の平均年齢は年々高齢化している。被災復興と共に 参拝者が増加する。世代交代と合わせ増員の必要がある。
  (財)瑞鳳殿主催 ガイド養成講座に どのように参加 お手伝いするか。
3.ガイド制服(陣羽織)の管理の適正化と更新の要望の均衡を如何にするか。

その手腕を期待しています。



6 月 21 日 (火)  



綱村公遠年忌法要

4代綱村公は享保4年6月20日(1719年8月5日) 行年61歳で亡くなられました。
昨日 大年寺會主催で 綱村公と歴代の殿様の慰霊祭が大年寺仮本堂で催されました。ご案内を頂いておりましたが所用で欠席致しました。 

大年寺山の伊達家の墓所2ケ所とも 甚大な被害であり、その復旧工事に人事ながら心配しておりました。
仙臺藩志会では 復旧資金の芳志を募ったところ 各地から相当額が集まったと聞いております。

復旧工事について、奥廟「寶華林廟」は伊達家が本年8月中旬以降に、前廟「無尽灯廟」は仙台市が年度内に 着手する旨 本日の地元紙が伝えています。よかったです。



6 月 20 日 (月)  



尼の墓石

昨日 中国の人の質問で 答えに窮した内容。それは 尼様の墓石の形です。

瑞鳳殿拝殿脇の「満海上人」の供養碑の説明を求められ、「・・・・・・ 出家した人 僧侶の墓石は、天板が一般的に丸い」と説明しましたら、「では 尼の墓石はどうか」と問われました。

尼のお墓をお詣りした記憶がありません故、返答に窮しました。

愛姫は 政宗公に先立たれ、落髪し尼となりました。そのお墓は 瑞願寺・陽徳院に所在する寶華殿です。建造物です。
公子公女廟28基の墓石の中に禅尼3基 法尼1基 あります。それは 27世11代齊義公夫人芝姫の老女の墓石等であります。戒名は「長亨院華林韶榮禅尼」ですが 出家されているか確認出来ません。齊義公の側室は「・・・尼大姉」です。墓石は真四角です。
老女は・・・尼 側室は・・尼大姉し あの世に旅立つ時も 生前の位が延長されるようです。

夫に先立たれた夫人の 社会通念的 出家の場合と 宗教的信念で出家した場合の尼途で墓石に相違があるのかの知識を持っていませんでした。
尼の定義は、日本では一般に、出家得度して剃髪し染衣を着け、尼寺にあって修行する女性を指す。キリスト教の修道女も尼と称することがある。とあります。
宿題です。



6 月 19 日 (日)  



快晴です。沖縄は梅雨あけして 暫くなりますが 仙臺は未だ梅雨入りしません。

9時17分 一番バスのお客様、7.8人の人蔭が見えました。でも 登段しないで 参道入り口で 前途多難と感じ 参拝しないで引き返した様子です。
15日には平均年齢76歳の方々 悠々登り参拝しているのに、バス停から石畳みを歩いて 断念するようでは 日本の将来が心配です。。

塩竃市からのお客様の中には「ナンダサカコンナサカ・我が塩竃神社の表参道石段 大鳥居から桜門まで一直線に延びて202段の急勾配だぞ」と申す方がいるようです。

勾配があり段数がある日本一は、久能山東照宮表参道の1159段では?。 あかとんぼ 登るのは断念しました。
この久能山東照宮の石段に比べると 瑞鳳殿の石段は19分の1 楽々の筈ですが。参拝を断念されたとは残念です。


参拝者の出足 戻りは始めた その兆しでしょうか。中国上海市から若手3人が見えました。

 吐水龍の撮影から瑞鳳殿・感仙殿前と参道追分け迄 90分程ガイドしました。大震災以来 中国のお客様の参拝は 完全に途絶え 皆無でした。昨日で震災以来100ケ日  101日目以上 久々に中国の方をにガイドしました。 事務所に報告したら 欧米系の人は2.3人見えましたが 中国の方は 震災以来初めてかな との返事でした。

 御夫妻は 富裕層の新婚旅行でしょうか。終始手を結び ガイド内容を奥様に丁寧に伝えていました。男性は 西南の役 明治維新 戊辰の役等の単語を知っています。当然 殉死も知っていました。中国に 殉死の風習があったか質問をしたところ、「中国は儒教の國ですから」と返ってきました。日本の若い人より 日本の歴史を知っています。

現代中国の人にしては 漢字を知っています。
「弔魂碑」の魂の文字 言偏が左で無く 上に 上下の構成になっています。知っていました。
ここに 地名があるかの質問に 「経ケ峯」と答えたら キョウは 今日かと返ってきました。御経の経ですに了解。ケは如何なる文字か 手の平に書きました。 峯は山が上にある峯です。サラサラ理解されました。
霊屋 と案内板に標記されています。何と読むのか 何故 オタマヤと読むのか の質問もありました。
簡体文字の国の若い人です。それなのに漢字に精通しているには驚きました。

同行の若い女性は ガイドで英語が専門との事。仙台にお客様をたくさん連れてきて下さい。瑞鳳殿等のガイドなら お手伝いします と再会を期待しガイドを終わりました。 久々に楽しいガイドでした。

災害復興支援関係者2組
1.名古屋からの2人 担当業種不明。撮影して宜しいかと問い バチバチと。
2.九州からの10人 建具関係。 記念写真は と聞きましたら 全員カメラは 車の中。

災害復興支援関係の方々は 日曜日が休日で 参拝に見えます。技術者・職人です。業種を明かしませんが その関連する業種の目で真剣に見学されます。社員慰安旅行とは 全く違います。

瑞鳳殿の被災状況に興味を示されますので、3月12日と4月8日に撮影した写真と 大香炉の家紋の傷をお見せしています。




6 月 17 日 (金)  



終日在宅

仙台市博物館パネル展 配布小誌「仙台平野の地震と津波」を紐解く。

遺跡・史料に残る災害記録の年表 に地震規模をマクネチュードM8.3と記載し、規模の大小が一定の基準で表示され、かつ、推定震源地の地図も付記された。
震度での比較は、地震計が設置された所の地盤が極めて影響し 規模の比較にはならないと思います。有り難い標記です。

6月12日鹿島市からの参拝のご婦人が「経ケ峯」の震度を粘々 質しされ 地震計の設置の無い地の震度は答えよう無く 参りました。

「東日本大震災復興支援地図」は、青森県八戸市から 太平洋を南下 千葉県旭市九十九里浜迄のの浸水、道路不通等を記載しています。
茨城県鹿島市は揺れたでしょう。鹿島港から浸入したのか 工業地区は広く浸水しています。鹿島工業地帯は大被害でしょう。
鹿島のご婦人は 被害が無かったから旅行にお出でになったのでしょう。しかし、誰も 茨城県も と申されないので 形を変えての質問になったのでしょうか。

配布小誌「仙台平野の地震と津波」と「東日本大震災復興支援地図」と併読をすれば、昔 仙臺城の被災当時 伊達領内や東日本の被災状況も推定出来ます。

「仙台平野の地震と津波」には、1616年9月9日(元和2年7月28日)の第1期石垣崩壊から、1861年10月21日(文久元年9月18日) 修復費用を幕府から3萬両借用した地震まで 記録11回残っている。今回の地震で 本丸北壁は被害が無かった。しかし、大手門跡北土壁、中門跡石垣、本丸西門跡付近、本丸北西石垣に崩落があったと写真を掲載しています。

あかとんぼ は 本丸の「昭忠碑」の最上部の鳶像が落下し、南東部の崖崩れも確認しています。今回の被災は、過去11回でも 最大級ではと推察しています。

以上 終日在宅の結果です。

ガイド仲間で27日(月)10時30分本丸埋門跡(バス駐車場)集合で 勉強会を開催します。講師はE代表です。是非 ご参加をお待ちしています。



6 月 16 日 (木)  



政宗公と伊太利亜女性との恋

本当かな!
1600年代日本人男性と伊太利亜女性との間に 途方もない愛の物語があった。1974年瑞鳳殿の発掘調査で発見された「金のロザリオ」が物語っている。

この発想で、18代御当主伊達泰宗様が創作バレー「ジュリア」の原作を書き、バレリーナー加藤有華(ゆか)さんが研ぎ澄まされた一編の詩として表現しました。

2004年2月28-29日イズミティ21で公演しました。
あかとんぼ は無学故 公演は拝見しませんでした。しかし 2週間前の2月8日(日)11時15分 御当主始め関係者一団の参拝がありました故、鮮明に記憶しております。

「5月24日 政宗公376遠年忌法要に参列しましたがお声かけに至りませんでした」と 八幡杜の館副理事長格加藤様から、又「伊達家伯會の会員であり、バレリーナー加藤有華さんは妹で、政宗公と御当主との ご縁で参拝しました」と ここで記憶は鮮明に復元され バレー公演のお話になりました。

仙臺城下の給水「四ッ谷用水」についてのパネル展示を「八幡杜の館」をお借りして開催しています。縦横 縺れながら 政宗公に結びついています。不思議なご縁を感じました。

このバレーを収録したDVDは、伊太利亜語の字幕付きで 国際芸術祭開催のイタリア・モンテチアーノに届いているそうです。当然 日本にも 加藤様も お持ちと思います。無学解消の一助に借用をお願いしましょう。 

2004年2月8日日誌の関係部分です。
11時15分から、バレー「ジュリア」公演安全祈願と報告の参拝がありました。本バレーは1974年、瑞鳳殿から発掘された金製ブローチ(国宝指定)から着想を得た伊達家34世現当主の原作で、壮大溢れクラシックバレーの概念がスケールアップされた舞台と称されるものです。3月28・29日の仙台公演に先立ち、ご当主はじめ関係者80人が参拝されたものです。この間30分のみ本殿が開扉されました。
 政宗公が物語の主人公ですので、関係者、特に女性の服装は黒がベースでした。黒のセターに金製ブローチ(国宝指定)に、更に宝石をはめ込んで伊達風のネックレスで胸元を飾った方がおりました。さすが勉強され、よく表現されていると感心しました。




6 月 15 日 (水)  



暑くなりました。50mlポリタンク 瞬く間に空になりました。

隣邑の先輩から、「邑の老人会で瑞鳳殿参拝したい。ガイド振り 披露して」と メールを頂きました。
駐車場からバス停に移動する その間でポリタンクが空になるようでは ガイドが終わる頃は ミイラになるかなと心配しましたが。

バス10時45分着を 待機。
先輩から「平均年齢76歳 車椅子はいないものの、長時間の歩きは無理です。12時15分に乗車する時間配分でガイドをして欲しい」との要望。

駐車場口で 杖を各自に持って頂き、坂道をソロリソロリ、瑞鳳寺山門前で 息を整えて頂きまして、いよいよ62石段です。数えた方は 途中の説明に惑わされる事無く 正解でした。

涅槃門を潜る前に ベンチにて小憩して頂きながら ガイドを聞いて頂きました。
本殿前の最高位置で 記念写真。本殿参拝後 拝殿ベンチで 説明を続け、資料館は他のお客様皆無でしたので展示物を説明し、ビデオを座して見て頂きました。

是までもありましたが、資料館に入館すると 尿意を催す方 ママ おります。連鎖 友を呼ぶ現象が起きます。本資料館内にトイレが無い 特別な構造です。設備が比較的最新である 売店内トイレをご案内しました。

途中に30分の延長が指示され、結果として 大幅なトイレタイムとなりました。12時45分乗車の停留所迄 語りました。

平均年齢76歳の高齢者をバス停からご案内しての反省点

1.トイレ案内の回数が不足したか。貸し切りバスは瑞鳳寺前で下車します。即 寺前のトイレを案内しますが、今回 瑞鳳殿に入る前 寺前と売店内のトイレ2ケ所の案内を失念し ガイドに入った事です。高齢者対応として減点?。

2.通常 立ったままでガイドしています。歩行速度も時速3km程です、今日は 時速3km以下のゆっくり歩行にし、4回の腰掛・小憩をとりました。
  高齢者対応として加点 満点 ?

3.ガイド開始前に給水しますがガイド中は給水しません。若いお客様は ラッパ飲みしながら聞く方もおります。今日の方々は 持参されず又、途中の自販機を利用することもありませんでした。高齢者の脱水症状回避から妥当であったか。幹事さんに配慮をお願いしたいです。ガイドとして 金銭の支出を伴う行為を進言出来かねます。

初めて知った事
 仙台市敬老乗車券で るーぷるばす は無料になりますが 瑞鳳殿の入館料は るーぷるばす に乗車来場しても割引にならないことです。
 団体割引は20人以上です。本日は数人足りませんでしたから 一般金額が適用となりました。

お客様の感想
 仙台に終の棲家を建て 30-40年経過したが 参拝が初めて 極彩色 豪華 に驚いた。これが雀踊りの派手さと共通するものか。解説を初めて聞いた なるほどと思った。来客案内の際 お願いしたい。


上記 隣邑の先輩到着前 ガイドしたのが群馬からのヤングペア。
バス10時45分発バスに乗車したのは このペアと単独女性の3人。今日は空いていました。


感仙殿地区修復現場を見学しました。

善應殿前の崩落した石垣は 裏石込はキッチリと込められ組積作業中でした。崩落時に露出した 瓦等は 発掘保存したのか そのまま埋め込みしたかは 聞き漏らしました。

石灯籠 十型水準器で確認しながら水平化の作業をしています。

これより 現場主任の解説

文化財なので セメントの使用が許されない。護謨と鉛を使い慎重に水平化の作業を進めています。

「ここの灯籠は後家揃いです」 芯 目印を合わせ組み立てるが、それがナカナカ 揃わない。過去の地震等で 崩落・損傷した際 傷の無い 部品を組み立てのでは それで後家揃いになったと 推測されます。

あの灯籠は 柳灯籠です。上下一直線では無く 軽く九の字に曲がっているでしょう。昔の職人の遊び心でしょうか?

石灯籠の四角窓と奉納者名が 参道の参拝者から全て見えるように 横一文字 目線 一線に建てるのが本筋ですが。これまた 後家集団で難しいです。

ここで 瑞鳳殿寶筐印塔転倒写真で診断して貰った。
 「接着剤を使用していませんか 粘着力が良すぎると バラバラ転倒しないで 根本から一体で転倒します。2回の地震でも転倒しなかった石塔は接着剤の効果ではありませんかな」

職人一同 東京麻布十番 鰹ャ林石材工業の社員で、5月22(日)現場解説したのは 多分に 會澤敏夫社長です。我が社は全国のお城の石垣修復の専門業者です。

現場主任殿 丁寧な解説に感謝致します。工事完成後 ご教示頂きました点々 参拝者にガイド致します。ありがとうございました。 



6 月 14 日 (火)  



伊達氏の本城は。

天文11(1542)年6月から17(1548)年9月迄の天文の乱が終結。伊達郡西山城から長井郡米澤城に本拠が移った。そして 天正10(1591)年岩出山城に移った。この間 15世晴宗 16世輝宗 17世政宗 の3代41年間 米澤における本拠は 何処か。

11日のシンボジュームの論点は これでした。
「広報よねざわ」2011年1月号企画「政宗公の居城を推理せよ」では、誌上対決を掲載 市民の関心を喚起しました。

文献を紐解く米澤城説
城の形態を追求する館山城説
4頁にまとめられた 双方の説 何れも なるほど となります。

あかとんぼ の感想です
3代41年間 戦国時代での社会・軍事情勢から 果たして 平城で 政治と防備が成り立つか です。
城とは 政治・軍事と私生活と一体であるべきか 各機能別に所在したのでは です。

館山城址の発掘調査を継続し、秋以降 現地説明会を開催したい と 付記されています。遺物の発見と併せ期待しています。

本日 文化財課宮田様が 掲載記事コピーを送付してくれました。ご多用の中 早速のお手配に感謝いたします。
 



6 月 13 日 (月)  



仙台市博物館

昨昼 昼 訪れました。
震災復興パネル展を開催しており 関係者からご案内を頂いておりました。

「過去に学び、未来につなぐ」というテーマの3部構成で展示をしていました。

第1部の「仙台平野の歴史地震と津波」では、過去の災害の記録や、現在行っている文化財レスキュー活動の様子などを紹介。
第2部の「仙台市博物館の四季」では、博物館ホームページでも人気を集めた、館周辺の四季折々の自然の様子を写真パネルで展示。
第3部では、支倉常長が持ち帰った品々、国宝「慶長遣欧使節関係資料」が先日ユネスコ記憶遺産に推薦されたことを記念して、支倉常長と国宝「慶長遣欧使節関係資料」についてパネルと映像で紹介していました。

2部 3部の展示内容も楽しく、勉強になります。特に関心を持った第1部は、パネルが更に2枚増え 計12枚 グッと内容が充実しました。
あかとんぼ の希望が叶い 資料の配付も始まりました。関係者は予算確保が困難で残念ながら白黒と申していますが、鮮明な印刷で 仙臺城と城下 周辺部の地震被災状況が十分に理解できます。巷の老人の戯言を真剣に捉え 実現して下さいました 博物館の皆様に感謝致します。

この資料、受付に申し出 「下さい」 と申告しないと貰えません。机上盛 自由持ち帰りには なっていません。
16頁の冊子です。厳しい予算状況でしょうから 当然です。

過年度の「博物館調査報告書」が 当初価格の7分の1 近く 300円で販売していました。
19号には、
伊達家の家紋に関する一考察 伊達家家紋、その変遷 高橋あけみ
資料紹介 戦国期伊達領における馬術・伯楽関係資料 菅野正道
20号には、
朝鮮出兵時における伊達政宗の足跡をたどる 濱田直嗣・齋藤潤
6号では、
仙台城館および周辺建築復元考
が 掲載されており コピーを入手した論文もあります。博物館・図書館で読めますが 手許に冊子で置きたく 購入してきました。 

20余冊の論文集が この価格とは 著者には申し訳無いです。でも 助かります 再訪します。


「銀伊豫札白糸素懸威胴丸具足 豊臣秀吉所用」「黒漆5枚胴具足 政宗公所用」が 玄関ホールの片隅?に展示されています。
複製品ですと 断っています。当然として、説明文に 原資料 とありました。

複製品と原資料との関係が理解できず 係員に尋ね様と思っている内 報告書購入を喜んで 忘れました。
再訪の機会に 質問します。

博物館 現在 2階展示室の改修工事の為、1階でパネル展示を中心ですが パネルと 普段有料の政宗公具足が無料で見られます。
瑞鳳殿 参拝のお客様に 仙臺城 三の丸(博物館)見学が穴場と 推奨します。



6 月 12 日 (日)  



参拝者の出足 回復基調です。

9時戊辰の役弔魂碑前をウロウロされていました。震災復旧応援隊の方の様です。
「被災復旧工事ですか」のご質問。「明治10年に建立され、老朽化し 解体し 東北大学金属研究所で分析調査、永久保存の目途がつき、復元工事中です」と説明しました。
「珍しい工法で、最高の記念になります」と あかとんぼ が撮影を追尾 撮影していました。

珍しい工法とは、ソフトクリームをデコレーションしたスタンドに立てた を思い浮かべて下さい。
4枚の鉄板を張り合わせた碑がソウトクリームです。
石組に隠れた部分が コーンに相当します。鉄製で地中深く 基礎で固定されています。
石組みが スタンドに相当します。石組みは 基礎部の補強と装飾になります。
これが工事途上なので碑と基礎部とを 鋲で留めていま状況が観察でき、珍しい工法と 評されたようです。

7月27日(水)10時30分から 修復工事完成式が予定されています。


単独アウトドア服装の女性。表示板を読み ご質問です。
1.駕籠に乗った状態で埋葬されたのか。
2.当時 江戸・仙臺間の日程は何日か。
3.上屋敷はどこか

答1.棺桶を乗せた駕籠のまま 埋葬されました。駕籠の担ぎ棒が発掘の際 発見されました。
答2.7泊8日です。江戸・仙臺間69宿92里30丁396kmです。
    政宗公・忠宗公の時代は7泊8日が、幕末 慶邦公の時代には9泊10日の行程が多くなっています。
答3.政宗公は、桜田屋敷 現在の日比谷公園で、後に、上屋敷は、現在の東新橋一丁目 旧汐留駅構内です。手持地図公開。

「私の会社 その近所です」と言い捨て スタスタ涅槃門を素通りしていきました。
この様な質問される方であれば ガイド楽しく出来かと内心期待しましたが。


埼玉の老夫婦。マイカーで来ましたと お元気です。時間の制約が無い、ガイドを聞いてから ゆっくり お詣りをし 撮影したいと 事前に申されましとのことで 精神的にゆったり と 又 撮影ポイントを紹介しながらガイドしました。


神奈川からの成年御夫妻。お若いのに聴き方が上手です。20分の約束が乗せられ30分程お喋りしました。
涅槃門の彫刻 麒麟 何に見えますかに 一発で「麒麟」と答えました。98%のお客様 「龍」とこたえます。この方 相当の素養をお持ちと理解しガイドしました。
一端 退場後 オジイサンと一緒の写真を撮りたいと 戻ってきました。前が宜しいですか 裏面がよろしいですか と訪ねましたら 顔のある方との返事。
涅槃門を背景に撮影。お二人の撮影は 最新の携帯機器で 使いこなせず あかとんぼ のデジカメで 推奨背景に 竹に雀の陣羽織を取り込み撮影し メールアドレスのメモを頂きました。

帰宅後 送信しましたら 早速 メールを頂きました。
「歴史的建造物はガイドの有無でその魅力が大きく変わりますので、皆さまのようなボランティアガイドの方々にはいつもお世話になっております。大感謝です!
あの後、青葉城、大崎八幡宮と巡りましたが、お陰様で瑞鳳殿が最も思い出深い場所となりました。麒麟を当てたのも自慢できました。
自分の携帯カメラは顔が暗かったので頂いた写真を大切な思い出にします」


「私 カシマから来ました」 葵の紋所 水戸黄門のTVドラマの調子で 知らない者は居ない筈で問われても。
「鹿島神宮の鹿島ですか」と答えましたら 安堵された表情。

「此処の震度は 何度であったか」「復旧工事完了の月日はいつか」 さらに 「工事費は幾らか」と質問が続く様子。
「公開再開は4月29日です」
経ケ峯に地震計の設置が無く、復旧工事完了日はガイドに必要が無く 事務所から聞いていません。この侭 答えれない質問が続いては と思い ジワリ逆襲しました。

「鹿島神宮の鳥居(二の鳥居・御手洗池鳥居)が倒壊したそうですが、内向き 外向き いずれの方向ですか。祭神は?」

「政宗公を祭神とする青葉神社の石の鳥居は 内向きに倒れました。これは 仙臺の住民が 容易に頼って来られる様に 歓迎の姿勢を示しています」と 股肱の臣片倉小十郎景綱の末裔である片倉宮司が語っています。

本日ガイド4人。



6 月 11 日 (土)  



伊達氏の本城は どこか
伊達氏と館山城・米澤城

標題の講座が 羽州置賜郡米澤(山形県米沢市)で開催されました。
主催 山形県立米沢女子短期大学日本史学科・米沢史学会・うきたむ学講座実行委員会
後援 米沢市教育委員会

第1部
10時-11時30分 館山城址 発掘現場説明会
米沢市街南西部 大樽川と子樽川の合流地点の舌状丘陵の先端部です。
米沢市教育委員会菊地政信氏が、平坦部の「仮称東館跡」から山上の「三曲輪」迄、案内、且つ 発見された「遺物」も併せて説明してくれました。

第2部
13時から17時40分 山形県立米沢女子短期大学C201教室 シンポジーム
◎基調講演「戦国期における境目」 東京都立大学名誉教授 峰岸純夫氏 13時10分-14時10分
◎個別報告
★報告1.「館山城の形状」 米沢市教育委員会 手塚孝氏 14時20分-14時40分
★報告2.「文献から見た米沢城・館山城」 米沢市教育委員会 宮田直樹氏 14時40分-15時10分
★報告3.「米沢以前の伊達氏の城」 伊達市教育委員会 今野賀章氏 15時10分-15時40分
◎討論会 15時55分-18時40分
★説明1.「館山城址とその城下を巡る問題」 置賜史談会 渋谷敏已氏
  討論者
   米沢女子短期大学 吉田歓
   米沢市教育委員会 手塚孝・宮田直樹・菊地政信
   伊達市教育委員会 今野賀章
   置賜史談会      渋谷敏已
   うきたむ考古資料館 佐藤鎭雄
   都立大学名誉教授 峰岸純夫
  結論
    発掘から 文献から 館山城が伊達氏の本城であると結論づける証拠等が発見されていない。
    米澤城跡から 伊達氏の本城が居城として遺物等が発見されていない。
    米澤周辺には214の城跡がある。その大部分が伊達氏時代のものである。
    伊達時代には 米澤城・館山城の概念は成立していなかった。
    本城を有事の際の城(要害)と日常の居館が一体化したものと捉えるか、分離したものと捉えるかでことなるのでは。
    今後の発掘調査結果に期待したい。

余録
1.置賜時代の伊達氏について研究熱心な某氏の車で参加、朝6時に出家、21時に帰宅。些か疲労し、即日日誌更新に至りませんでした。運転された某氏は 若いと申せ はやり疲労困憊されたのでは。お世話になりました。
2.質疑応答 各史談会会員同士の「なれあい」の様にも感じました。
3.仙台城(北壁)の修復工事に関与した。表面は伝統工法での復元。内部 裏込等は金網等の近代工法である。今回の震災で崩壊したと聞いている。近代工法の欠陥は何か分析が必要と考えている。
4.仙台から我々の外 仙台市博物館関係者が参加しており、崩落した石垣は 修復工事の為されていない部分であると 発言。
5.学者間での情報伝達は正確では無い。風評被害的 情報伝達がされている事に驚異を感じた。
6.米沢市は23年1月「広報よねざわ」新春特集「政宗の居城を推理せよ」を発表した。市民の意識・関心が高まったの発言があり、記事の写しの送付を教育委員会に依頼したら快諾。週明けには届くでしょう。
7.配布資料 全40余頁 分厚い充実したものです。明日から精読します。得るところ多大と確信しています。
8.今回参加者70-100人です。河北新報に開催紹介記事がありませんでした。もし 掲載されたら 仙台からもっと多数が参加されたと思います。



6 月 9 日 (木)  



一休み?

薫風香る 旅行には最高の季節ですが 皆様の足が止まったまま動かない様です。
5日(日)も、9時開門と同時に参拝の方が多く ガイドを依頼されましたが 10時を過ぎる頃から 途絶えがちになりました。
4日も同様でした。

JTB主催の「伊達政宗ゆかりの地めぐりバス」11・12日分 中止(ガイド不要)の連絡が本日ありました。
JTBでも 集客が斯くも困難なのでしょうか。
「歴女」ブームの頃は 1催行でバスが2台3台であったのが夢の様です。

一休みは 瑞鳳殿に限られた現象ではないです。
会津若松・福島中通りに、岩手山周囲(東西南北)の秘湯も 人影が淋しい状態です。
今早朝 岩手山南側のホテルの駐車場に 救急ヒリが離着しました。登山者が遭難し 警察・消防・山岳救助隊・消防団等の車両が50余台集結していました。この騒動でも 宿泊客の車が邪魔にならない程  台数が無いことは 観光客が少ないことを物語っています。

入梅前の今 薫風香る 旅行には最高の季節です。ぜひ 瑞鳳殿にお出かけ下さい。
ご希望でしたら 瑞鳳殿での被災状況も詳しくガイド致します。
日曜日午前以外はメール頂ければ待機に務めます。



6 月 6 日 (月)  



戊辰の役 弔魂碑

解体修理中でありましたが 明日 現地で組み立て作業が開始されます。
既に 足場が組まれています。

綱宗公法要の後 関係者5人程が 現場に集いました。
0.地震の際 解体・補修中で 破損等に至らず 慶賀であった。ここで被災したら補修困難であったろう。
1.石垣が 西側に沈下している様に感じられるが 3m近い鉄灯を建てて安全か?
2.石垣前面に 泥が付着しているが 湧水が地震であり 飛散・付着したのか?
の質問がありました。

1.について、基礎中心部に 鉄塔を支える鉄製基礎が埋め込まれている。石垣自体で鉄塔を強力に支えなくとも 心配無い。と 建築技術に優れた知識経験を持つ方の解説でした。
2.について、作業土砂が 一時積滞していて その痕跡です。と 毎週訪れている方の解説でした。

殉難者後裔の方々が 7日 再訪し 工事の進捗を確認することで散会しました。

感仙殿地区等の復旧工事に、本弔魂碑工事と 工事関係車両で 職員駐車場は相当輻輳・混雑が予想れます。念のため。


石垣復旧工事
4日の記事に「5.仙臺城石垣に携わった石匠の後裔の方々に 協同をお願いしましたが 故あってか お断りされました。」と記載しました。

四ッ谷用水展示会場で、八十老から 
「生家は 唸り坂(仙臺城築城の際 石の運搬路で牛が重いと唸ったに由来)口で 代々 石屋をしていて、70年前幼少時 石研ぎの手伝いをさせられた。単調で大変な仕事であった。
当時 既に 墓石が専門で 石積みの仕事は無かった。
私は 家業を継がなかったが、現在も石切町等で石屋をされている 築城時の末裔の方々は 石積みの仕事がなく 技術の伝承が途絶えた事で 参画出来なかったのでは」
と 語られました。
納得しました。



6 月 5 日 (日)  



快晴 不如帰(郭公)は 質・量を減じて 啼いています。

鳴き声に誘われてか9時前から 続々と。
1番は、太白区の地下鉄車両基地付近からの親子3人。伊達家御当主をテレビ・新聞等で存じ上げており、秋保を含めた地理感覚があり、質問等あり 時間的ゆっくりガイド。

2番は、災害復旧工事支援の広島からの男性。是までは ガイドをしている内に 業種が見当つきますが この方 建築? 施設? 損保?の大枠もわかりませんでした。

北海道帯広の建築事務所社長は 建築士の立場からの私見を述べられました。参考になりました。
復旧工事支援の人々の場合は 積極的に聞く立場に転換していますが 今日は空振りでした。

3番目迄 途切れなくガイド、10時30分 参拝者の流れが止まりました。
美人ガイドのYさんも久々に見え ガイド5人と完全に供給過剰 手持無沙汰となりました。

仙臺城下 水道の原点 四ッ谷用水 の展示と催事会応援にUさんと駆けつけました。
1階で展示 2階で紙芝居を演じていました。盛況です。午後の落語は、保安上から1階展示場に変更しました。ホールから溢れ玄関まで 50人余ビデオカメラ2台と 予想外れの大盛況でした。 

東日本大震災で 断水となり 水道の有り難みを再認識したのか 会場が四ッ谷用水跡(現工業用水)に近い 地理からの歴史認識で 参加者が予想を上回ったのでしょうか。


昨日の約束 伊達綱宗公301遠年忌法要 記念栞
綱宗公の副葬品の中に 布に包まれた「香木」があった。「九重」と記されていた。
香木「九重」は後陽成天皇が自ら名付けた 「勅銘」の香として知られています。
伊達家の香木として「一木四銘」と言われる銘香「柴舟」があります。
綱宗公の逼塞後の生活 芸術天分と香について 興味深い内容です。

「一木四銘」とは、一つの木で四つの異なる名前持つ伽羅の香木で、皇室の「藤袴」、伊達家の「柴舟」、細川家の「白菊」、前田家の「初音」とのことです。

栞は 券売窓口で頂き、資料館で 香包・香木等をご覧ください。



6 月 4 日 (土)  



伊達綱宗公301遠年忌法要が施されました。

所   善應殿
開式 午前09時55分
読経 善應寺住職 瑞鳳寺住職 等3僧侶
焼香 1.伊達家当主        伊達 泰宗 様
    2.殉死者後裔会代表   芝原 栄一 様 
    3.仙臺藩志会会長     伊達 洋司 様
    4.大年寺会副会長     建宮 文雄 様
    5.(財)瑞鳳殿常務理事  大崎 啓一 様
    6.東海大学柔道部監督  山下 泰裕 様
挨拶 1.伊達家当主        伊達 泰宗 様
    2.仙臺藩志会会長     伊達 洋司 様
    3.(財)瑞鳳殿常務理事  大崎 啓一 様
閉式 午前10時20分

濃緑の森に 法要の時間一杯 不如帰が 読経に負けずと 啼いていました。
参列者は、仙臺藩志会、殉死者後裔会、大年寺会の会員の主な人々で、多人数ではありません。しかし、実の籠もった法要の感じでした。

1984年のロス・オリンピックの金メダリスト・現東海大学体育学部学部長山下泰裕氏と その親族・関係者の一団が参列・焼香されました。
山下氏は 法要後、御当主伊達泰宗様のご案内で、瑞鳳殿にて政宗公御尊像に直々の参拝をしました。
山下氏一行は、昨日 石巻市の東日本震災者を慰問され、御当主と歓談の機会があり、急遽予定変更し 参列に至ったと 紹介がありました。

感仙殿に至る参道 両脇の転倒していた供養石塔14基と外れた涅槃門の扉は取り付け修復されました。
感仙殿の地覆石、寶筐印塔は 特殊方法で洗浄したそうで、真っ白 ピカピカしています。
善應殿と周囲も 清掃・整備されていました。
この範囲内は 復旧しました。知らない人は被災したとは思わないでしょう。(財)瑞鳳殿の懸命の復旧工事の成果です。

善應寺住職は、「石塔は転倒する、門扉は外れるは 大被害であった。ここは被害無かったのか」と 軽く悔しい様子でしたが 真相を知り 安堵。

感仙殿・善應殿と妙雲廟界は、供養石塔の転倒、石垣・土留めの崩落、石塀の亀裂・移動をしており、本日は関係者が限定した場所のみの立入が認められました。

参会者の多数の方々は 被災の甚大に 驚き 声も出ない様子でした。


石垣・石塔等に 記号・付番記載の標識貼り付け作業が、東京・麻布鰹ャ林石材工業の職人さん達で行われていました。
現場長(肩書不詳)の會澤敏夫様から 教えて頂きました。
1.瑞鳳殿南石垣は、創建当時の石垣が基本となっています。
2.瑞鳳殿正面右側は、いじった痕跡があります。
3.感仙殿前 石垣の下部は仙臺城築城と 同時代であるが、上3段は 時代が異なります。
4.仙臺城石垣修復工事以来 伊達家関連施設の工事を施工させて貰っています。
5.仙臺城石垣に携わった石匠の後裔の方々に 協同をお願いしましたが 故あってか お断りされました。

善應殿前の石垣・土留修復工事現場で (財)瑞鳳殿学芸員加藤様から 教えて頂きました。
1.崩れた石垣の石裏側から 塗り薬の違い 家紋入り等の色々な瓦が出土しています。
2.石垣の積み違いは これです。
3.1877明治10)年の工事の結果と推定されます。石碑「新修先廟記」以外の記録 例えば「伊達家家扶記録」の様な記録が発見されれば、工事経過が明確になるでしょうが。

伊達綱宗公301遠年忌法要 記念栞が刊行されました。内容紹介は明日。




6 月 1 日 (水)  



伊達氏の本城はどこか。

政宗公は、永禄10(1567)年8月3日米澤城で生まれた。それは 果たして 現在の米澤城か。

米沢市教育委員会は、政宗公が米澤を支配していた時代の本拠は館山城址ではないか と発掘調査を進めていました。
ある程度の成果がまとまった様で 下記の案内がありました。

標題
伊達氏の本城はどこか  伊達氏と館山城・米澤城
主催
山形県立米澤女子短期大学日本史学科・米澤史学会・うきたむ史学講座実行委員会
後援
米沢市教育委員会

日時
平成23年6月11日(土)
第一部 10時 現地見学 館山城
第二部 13時 シンポジュウム 「伊達氏の本城はどこか」 山形県立米澤女子短期大学C201教室
@基調講演 
  戦国期における境目 軍事的境界領域  東京都立大学名誉教授 峰岸純夫氏
A報告1.館山城の形状について  米沢市教育委員会 手塚孝氏
B報告2.文献から見た米澤城・館山城 米沢市教育委員会 宮田直樹氏
C報告3.米澤以前の伊達氏の城 伊達市教育委員会 今野賀章氏
D討論会

会費 500円
申込 FAX0238-22-7333
照会 0238-22-7330 吉田


あかとんぼ は 昨夏数回 同好の士Uさんと現地探訪を実行しています。研究成果の発表を期待 参加します。





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