2011年9月の日誌
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9 月 28 日 (水)  



戊辰の役 殉難者慰霊祭が10月10月10時から 瑞鳳殿 脇 弔魂碑 前で催されます。

その設営打合会が (財)瑞鳳殿であり 末席を汚しました。
碑前で検討していましたら 活動的服装のご婦人が 静岡から見えました。

ご承知の通り 徳川家最後の将軍 徳川慶喜公は 戊辰の役で 御地静岡に移られました。あの戊辰の役で亡くなった 徳川幕臣を含む 伊達家家臣 総勢1260余名の霊を祀った慰霊碑です。
この碑の特徴は・・・・・・・・
とガイド致しました。

碑前に進み 合掌されました。

「碑は 修復された由 綺麗です。蜘蛛の糸がキラキラ 光るのが とても印象的です」 の感想。

好意的表現ですが 事態は不味いです。碑の頂上から後方の杉に結ばれています。10日には 梯子をかけても 蜘蛛に立ち退いて貰います。

瑞鳳殿 参拝終わりましたか。本日はベテラン2名がガイドしておりますが 如何でしたか。
ハイ 確かに。でも 私は 音声自動ガイドを聴いてきました。

ガクン ペテランの生を聴いて頂きかったのに。


DVD「千代とかざらじ仙臺の街 政宗公の偉業と瑞鳳殿」製作 (財)瑞鳳殿。売店で販売中です。
本日の打合会に参加された仙臺藩志会会員の皆様に ご紹介しましたら 皆様 お買い求めになりました。
歴嬢のみなさまも どうぞ。お勧めします。



9 月 26 日 (月)  



ガイド仲間の現地勉強会が「荒町界隈散策」と題して Uさんが講師となり 34人が参加し開催されました。

基本的に荒町500mの左右に所在するお寺と墓地巡りです。

@海軍中将齋藤七五郎碑。
 日露戦争時 旅順港作戦に戦果を上げたそうで、小説「坂の上の雲」で絶賛され 伊豫・松山では持て囃されている、しかし仙臺では知る人が少ない と講師は嘆いていました。

A孫兵衛掘の碑
 政宗公が川村孫兵衛に計画・施行させた灌漑水路の跡です。清水小路に源を発し、下町段丘崖に沿って荒町界隈を流れ、宮城野で梅田川に合流した水路で 排水・防火そして灌漑用水と利用されたものです。故に町方と村方との争いになったこともあります。

 今回は 荒町小学校校庭に残された 碑を 小学校長の配慮で見学が許されました。Uさんの交渉の賜です。
 孫兵衛掘については 「市史せんだい no9. 1999.7発行 記載 孫兵衛掘 町方防火用水確保と村方灌漑用水権の争い 高倉淳」が 手軽な参考図書として あかとんぼ がお勧めします。

B昌伝庵
 伊達家13世尚宗の三男久松丸供養の為 1516年米澤に創建された曹洞宗のお寺。
 仙臺四大画家の一人東東洋ま墓碑があります。
 参加者(初参加)が この墓碑は 再利用の墓碑だと 発言。

 感仙殿墓室蓋板は 1000年前の板碑が用いられていました。これは特殊な事例と理解しています。
 他人の墓石を自己の墓石に使用した事例は聞いていません。戦国時代 築城に石材が不足し 墓石を用いたとの話しは聞いています。最近 無縁墓は 集めて ピラミットの如く積み上げ 無縁墓と供養している例は 散見されます。しかし他家墓石の再利用は初耳です。この方に確認したら 岩切・東光寺にもあると申していました。 信じられません。

C佛眼寺
 伊達家6世基宗(満願寺殿)が日蓮宗に帰依し 伊達郡佐々木邑に創建。1943年富士大石寺派に属した。

 次の墓碑が紹介されました。
 a.椙原品 b.和久又兵衛宗是 c.瀬上丹後時綱 d.大原家(綱宗公側室於登免の生家) e.松岡家(慶邦公側室於勝の生家) f.木村壽禎解剖事績之碑

D萬福寺(毘沙門堂)
 毘沙門像は 運慶の作と伝えられるが 1904年の火災で 黒こげとなり 現在に至っている。

 次の墓碑が紹介されました。
 a.横綱秀の山雷五郎 b.六代目式守伊之助

E保壽寺
  曹洞宗のお寺で、所在は 連坊小路になっています。荒町の萬福寺側から境内に入りました。

  次の墓碑が紹介されました。
 a.青木仲五郎友重
   政宗公の殉死者です。殉死直前・現場の様子 妻の追殉死の模様 夫妻の辞世の歌が 紹介されました。
   墓石群で1ケ所 転倒していました。後裔の方 お忙しいのか。

E泰心院
  1567年14世稙宗室逝去。台心院殿恰稠妙悦尼大姉と称し、子晴宗 開山。曹洞宗のお寺。

  次の墓碑が紹介されました。
  a.岩崎卓哉 
  b.志茂又左衛門実明
    戊辰の役の際、仙臺伊達家の正使として秋田佐竹家を訪れ 殉職。その後裔が仙臺藩志会会員で親しくさせて頂いており 興一入お詣りしました。


講師Uさんの調査・選定は素晴らしいもので 復習として 次の図書を 紐解き 本日誌を記載しました。
1.市史せんだい no9
2.仙臺市史7 仙臺の社寺と教會



9 月 25 日 (日)  



本日は13時20分から15時20分 午後のガイドです。
3連休 最終日の午後故か パラパラです。3組11人。

静岡県からの8人様。涅槃門で女性2人にガイド中に合流、積極的ですが 静粛に聞いていましたが、創建当時の龍頭の説明から地力を発揮し出しました。

☆ 龍頭は緑青噴いていますね ○○○○で拭くと良いです。
   ハアー????
  10円玉 磨くと同じです。竜頭は 磨くと肌荒れするでしょうネ

2000年の補修に1億余円と1年余の経費と時間を要しました と説明に 女性2人から なぜ そんなに要するのか?
☆ 漆は 最高の品質のものは入手困難で 高価です。この極彩色の絵の具は 日本画の顔料を用いています。高価です。久能山にお出でください。
あかとんぼ の代わりに 説明してくれました。

政宗公の御木像 再建落成時の公式写真と あかとんぼ 昨年撮影した写真 双方を見比べ 
☆ 肌荒れが 激しいですね 空気に曝さないように 例えば ラップ等で包むようにすれば 塗りが保たれます 

★難しい注文 条件です。原則 年2回しか開扉しません。しかし 保守上から殿内の換気が求められます。空気の遮断は困難です。

感仙殿前 奉納石塔の列をみて
☆ 一直線 笠・窓 揃っていますね。石工の腕 心意気ですね どちらの職人ですか。

妙雲廟界をお詣りして
☆ 我々は院号貰ったと喜んで九文字。僧侶は十一文字。ここは十三文字 凄いものだ。
   11代殿様御夫妻と説明しています。当然 我々と異なりますよ 

皆様 今晩は秋保温泉にお泊まりでは。
☆そうだよ どうして

秋保温泉の途中 又は 浴室から 採石場の跡が 見えるでしょう。その秋保石が 先程説明した 政宗公の墓室の石材です。
☆ ヘー 地元の老人の話は聞いてみるものですね イヤー よかった ヨカッタ。

私も いろいろ ご教示頂きありがとうございました と御礼を申し上げました。
建築関係の業種不詳の親方の「研修旅行」と 見ました。


最後は 大阪のお嬢さん一人旅。20分でポイントを説明してのご依頼です。心得ました。
サンタクロースの如く 肩に乗せた透明の大きい袋に 山形産食品 数々見えます。

問わず語らず 午前に山寺を参拝して来た と洩らしました。袋の中身 合点がゆきました。

山寺 山頂 ご本殿まて 参拝されましたか お時間はいくらかかりました?1時間で。 若さです。
ガイド 丁度20分です。 本日は 是にて。


本日曜日のガイド 異例の午後となりましたのは、「岩沼市政施行40周年記念 震災復興祈念講演会 歴史に探る未来への希望」と題する講演を 岩沼市民会館で 聴講した故です。

講師と演題を
1.災害への備え 戦への構え 江戸時代初期の岩沼・・・・東北大学東北アジア研究センター教授 平川 新 氏
2.慶長の大津波と岩沼の復興 ・・・・・東北大学東北アジア研究センター 蝦名 祐一 氏

その要旨は
1611(慶長(16)年の慶長大津波は、平成大津波と同規模であった。復興は大名自ら主導すべき重要な政治課題である。
政宗公は 幾多の政治危機の中で 如何に決断し 復興させたか。



9 月 24 日 (土)  



仙臺藩志会・伊達学塾 「宮床伊達家・岩出山伊達家」探訪会が、催されました。

探訪先。講師等は次の通りです。

◎宮床伊達家墓所 大義山覚照寺 宮床伊達家16代当主 伊達洋司様
 ◇政宗公から現宮床当主に至る 伊達宗家と宮床伊達家の系図と初代伊達宗房公中心の詳細系図 外をもって 家譜を説明頂き。
 ◇初代伊達宗房公夫妻・生母慶雲院。初室法林院から現在に至る4ケ曲輪の墓所をご案内頂き。
 ◇本堂にて、御廟に祭られていた宗房公等の御木像に山門扁額を拝見。
 ◇お茶と大福を馳走に預かりました。

 8月26日勉強会で 案内出来なかった、今回 了知した事項。
 ☆「山戸土佐夫妻(生母慶雲院両親)の供養墓の所在。
 ☆4代室の墓は瑞鳳寺に所在するが 正確な位置が不明である。
 ☆伊達宗房公夫妻墓所は約30数年前に町と協同で発掘調査した。
  (本件は 地元町教育委員会にて要確認事項)

◎岩出山伊達家御霊屋 岩出山伊達家16代当主 伊達宗尚様
 ◇初代宗泰公と殉死者、9代義監公夫妻までの墓碑を説明頂き参拝。

◎岩出山伊達家菩提寺 諸法山実相寺 岩出山町史編纂専門員 菊地優子様
 ◇初代宗泰公、2代宗敏公 御木像。御本尊釈迦牟尼佛(運慶作)。聖コ太子像を説明頂き参拝。
 ◇現本堂は文化10(1813)年建築、198年を経過している。
 ◇本寺は応永15(1408)年 氏家弾正威厳金公(大崎家重臣)の創建で、御位牌が祀られている。
 ◇徳川家康公使用茶碗が寺寶として保存されている旨 説明はあったが 現物の拝見に至らなかった。
 ◇戊辰の役殉難者慰霊碑「羽州出兵戦没之碑」を参拝。
   碑面が読み切れない。解読・解説板 要設置。
   本出兵戦没については「戊辰の戦い 木村紀夫著 87頁」 「岩出山町史 上巻 戊辰の役と仙臺藩 301頁を参照して頂ければ。

◎岩出山伊達家菩提寺 玉陽山祥光寺 岩出山町史編纂専門員 菊地優子様
 ◇初代宗泰公の生母 祥光院 2代宗敏公生母 ★林院の菩提寺で墓がある旨説明頂き参拝。

◎中鉢美術館 館長 日本刀研究者 中鉢 弘様
 ◇古来から現代に至る日本刀と鎧・兜等武具を陳列順に解説して頂き鑑賞。



9 月 23 日 (金)  



台風一過 雲一つ見えない青空。爽やかです。

8時53分から10時41分迄 ジイーと待機です。
ループルバスが到着時刻にパラパラと登ってきます。
「ガイド無料」の立看板に視線は全く飛びません。
「オハヨウゴザイマス」に反応がありません。
手を洗い ソソクサと本殿を目指します。
当然 涅槃門の彫刻は 無視 存在も眼中にありません。
「次のバスに乗ります」と お忙しのお客様ばかりです。今日は体育の日ではありません。短時間で 多石段を上下の運動されなくとも。
秋彼岸です、ゆったりした気持ちで涅槃門の透かし彫りや 極楽のデザインと 桃山様式の建造を楽しまれたらと 思いました。

10時42分 桑名市から30歳を頭とする 3好青年。
「どちらから」 「伊勢 桑名から。 桑名をご存じですか」 「桑名からとは お珍しい。桑名は東海道は渡しの宿場、浮世絵に、蛤の時雨煮が名物ですネ。ところで お殿様は?」 「松平様です」
30歳に満たない青年が 郷土を愛し 底までご存じとは 嬉しい限りです。

昨晩 名古屋をバスで出発10時間要して到着。まず 瑞鳳殿を参拝、明日は 松島瑞厳寺等 伊達家史跡 に続いて 平泉世界遺産を訪れ 新幹線で帰るとの事。松島と平泉の伊達家関連を少々 お喋り。

瑞鳳殿での撮影ポイント 全てを紹介 お手伝いしました。

参考
桑名は 11万石 伊豫松山の松平家の分家で、寛政改革の松平定信の養家。最後の殿様 松平定敬(31)は 会津 松平容保の弟。
尾張・会津・一橋・桑名は兄弟。


本日のガイドは この組を含めて1.5組のみ。

その他 雑記
1.案内板を勝手に移動していた集団、職業写真屋でしょうか。看板の次に「邪魔」の言葉。竹に雀の陣羽織のボラガイドを「邪魔」の一言は無いだろうに。景色の一つとして 撮影したら 良いでしょうに。参拝者を含めて邪魔なら 平日の朝早く お客様皆無の時間に撮影にきたらと 思うが 面とは向かって抗議等は しませんでした。

2.「まちなかタイムトラベル」に挑戦していた お嬢さん 読み込みするが デター 映像が 出ないとブツブツ。この写真 焼失前の瑞鳳殿全景が出る筈と紹介しました。先日 宇和島からの来客案内時も出ませんでした。
このシステムの管理者は何方か存じませんが 保守・点検をお願いします。

3.宮城○○バスの旗のご一行。バスガイドと添乗員が付いて20人ほどの団体です。車中で説明したのか 涅槃門のガイドもなく 本殿に向かいました。宮城県加美郡に本社が所在する会社です。ボラガイドを活用されたら。

4.秋彼岸の中日です。瑞鳳寺山門前 お墓参りの人々の車で大混雑していました。営業車は追い出されたか 皆無でした。
あかとんぼの帰巣 北山の寺町横断で 30分余超過しました。

5.祝日でしたが ガイド仲間ゼロでした。墓参のためでしょうか。あかとんぼ は初日 雨の中 済ませました。



9 月 19 日 (月)  



敬老の日

老人福祉法に定める老人は65歳以上です。最新の統計で2980万人。日本人の23%を占める。4人に1人が老人の社会です。
各自治体で 祝い金・記念品の贈呈に、祝宴の開催し 祝うと 歳時記にあります。
高齢化社会 向三軒両隣 高齢者となった現在 あかとんぼ邑のお祝いは 70歳と77歳になった時 本人が希望すれば お祝いするシステムになりました。
平均寿命が83歳です。84歳以上になれば 確実にお祝いして頂けるのかも。
かくして お祝いして頂けない 老人・高齢者が 政宗公に直訴にお出でなるかなと 雨天ですがガイドに参りました。


東北大学4年生を激励に両親と祖母が岐阜から参拝に見えました。
拝殿の扁額 佐々文山 76歳の書と説明したら 娘が母に 「同じネ」 途端 「ここで 歳言わなくても」と 猛烈 娘に抗議していました。
確かに公開の場で 個人情報はバラス必要はありません。なお 娘がばらさなければ 76歳には 見えませんでした。若々しかったです。

特段の事無い限り 年齢は発表なった年齢 数え年で説明しています。現在は満年齢です、誤差を生じます。でも 必要な場合でなければ その旨を説明しません。


本殿ガイド中 「これは なんだ。寶筐印塔はわかっている。誰のだ」 誠に強引です。涅槃門から聞いているお客様を目の前 無視しての割り込みです。「あちらの石碑に記載してあります。話中でので お急ぎでしたら そちらをどうぞ」

ガイド終了 改めて 氏名・享年・殉死日・場所年齢 戒名を説明 しようと 見回しましたが 影も形 見あたりませんでした。
一時の加勢 気まぐれでの 割り込みは 若い人々の手本にならないと 思います。「今時の年寄りは行儀がなっていない」と言われるでしょう。
老人は 若い人々の手本にならないと 敬やまれないと思います。


老人 直前とお見受けしたご夫婦。「私たち 伊達家品川屋敷の近所に住まいしています。八木の仙臺味噌・仙臺坂・・・・・」と語り始めました。地図を広げましたら 「ココよ。私の家」

それではと 東五反田二丁目の大崎袖ケ崎屋敷があって、現在「○○女子大」所在の地図を広げ 「大学は伊達家大崎袖ケ崎屋敷 やはり下屋敷でした」 に 「あれー あそこ 島津家では、あそこには、大正時代に旧島津公爵邸としてイギリス人建築家ジョサイア・コンドル氏により設計されたイタリア・ルネサンス様式の洋館があります。現存するコンドル氏の住宅建築作品として歴史的価値のある施設として公開しています」

「政宗公の時代の上屋敷は 櫻田で 政宗公の寝所は 現在の野外音楽堂付近です」に 「ペー知らなかった 今度 寄ります」

資料館で綱宗公の甕棺をご覧になり、「あのカメに僕入れるかな」 に 「体験してみて下さい とは 申し上げられませんし・・・・」 互いに呵々大笑。
「綱宗公には 水銀が詰められました。政宗公は主に牡蠣灰です」 「そうか 石灰との説明は 牡蠣灰か 納得。徳川家は水銀が用いられています。現在 芝・増上寺で 徳川家の墓所が2012年1月31日まで公開しています」
「ありがとうございます。是非 拝見・参拝します」

「歌舞伎 特に伽羅先代萩が大好き」 「それでは 綱宗公御霊屋 善應殿を 是非 お詣りを」


弔魂碑前の 蝋燭形の供養碑の人名 所々欠落見えにくくなっています をビデオ撮影している若者3人。人名を調べるなら 本HPの弔魂碑頁を開けば 全てが解決します。我が意が通じません。若者は スコットランド 、オーストラリア、ベトナム系オーストラリアの国籍でした。

弔魂碑は 1868年の戊辰の役の殉難者1260余名の供養碑であると 理解した様です。
なぜ 鉄製の新装なった弔魂碑を撮影しないで 識別困難な石塔を撮影したか 解明に至りませんでした。
互いの国語を学習しての再会を約しましたが。実現するでしょうか。


厳しい石段だ 疲れる フー フー 敬老の日 孫のサービスも有り難いが 大変だ と呟きながら 80老 二人 列の最後となり 登っていきました。普段 やり付けないことをするのは お互いに大変です。



9 月 18 日 (日)  



暑いです。32度とか 暑さ寒さ彼岸までと申しますが 誠に厳しい残暑です。

9時19分お嬢さん「武将隊は どこに居ますか?」 ハテ 今日 来るのかなと 券売口にて確認。「そのような予定は入ってません」
その旨を伝え「お客様 その情報 どちらで得られましたか?」 「仙台駅観光案内所で教えられ 瑞鳳殿に真っ直ぐ来ました」

「わかりました。オジサン ガイトさん してくれる」 この方と神奈川の御夫妻を中心にガイド。涅槃門から本殿まで55分.

伊達武将隊 公式HPによれば 本日のスケジュウルは次のとおりでした。
午前11時〜午後4時 仙台城本丸跡
 ※片倉小十郎、茂庭綱元、隠密・空、足軽・与六、足軽・田七(政宗公は休場?)


男の子 何でも知っています。例えば 御木造には両眼があるのは なぜか。「オジイサンのガイド終わるまで 待っていて」 「どう オシ゜イサンの話し 間違い無かった」 「ウン」 「オニイチャン 大きいけど6年生」 「2年生 昨日 遠足で来た 今日は復習です」
マイッタ まいった 記憶力最高。 どこの小学生でしょうか。

仙台市内の高齢御夫妻、岐阜の盛年ご夫妻、山梨県の7人の男女。
女性4人 同じ鋳型で 製作年次の違いがわると表現できる そっくり姉妹。一行の主導権は女性にあります。婿様はおとなしいです。結婚式のついでに観光しています。ガイドして貰いよかつたと 大喜び。

孤軍奮闘 12時です。
仙台市博物館に移動。駐車場で携行食の昼食。
中庭の政宗公胸像を確認 撮影。表紙に スライドショー形式で掲載しました。ご覧ください。

「博物館開館50周年記念 館蔵名品百選 コレクションの粋」の後期展を 拝見。
昨日 解説を聞いていますので なるほどナルホド あの解説が これかと 理解できました。

昨日の高橋学芸員の解説にあった「竹菱葵紋蒔絵雛調度・雛箪笥・徳川【金皆】姫所用 各扉を開いています」 聞いていなければ 見逃すところでした。
「松島塩竃図屏風」も講演を聞いていましたので 「あの解説は これかと」と納得しました。単眼鏡を持参の上 鑑賞して欲しいに 持参しなかったは 失敗でした。

学芸員の先生の話を聞いてから見ると 聞かないで見るとは 天地の差です。瑞鳳殿でも ボラガイドを活用してください。

「佛のかたち 人のすがた」展関連講演会 「仙台 像と風景 11月5日 開催」「日本彫刻史の流れ 技法と表現 11月26日 開催」です。 早速申し込みしなくては。11月12日学芸員講話は申し込み不要故 日程表に記載し忘れないように。

1階ギヤラリーで開催中の「歴史遺産を未来へ 宮城歴史資料保全ネットホークの活動」展を見学。
ホールに移動。

第20回仙台市史セミナー「地域の歴史資料を救え」
○大震災後における博物館の資料レスキュー 
 ☆ 被災した「歴史」 菅野正道氏 市史編纂室長
 ☆ 仙台市博物館の資料レスキュー活動 栗野真一郎氏 市史編纂室員
○歴史資料の保存はなぜ必要か
 ☆平川新 氏 東北大学東北アジア研究センター教授

内容・感想は 

菅野正道さんの話
▽2013年に特別編 合併市町村別の六郷地区を担当し 自転車で取材していた。社寺・旧家・石碑・古老も大きな被害を受けた。残念。
▽荒浜地区では 明治時代埋没した入り江が 津波によって掘り起こされ 昔の地形が再現された。
▼地区の歴史を散策・探求するには 足の裏で 知るべき。歩いて 地形の微妙な変化を体験しなけば ならないと富沢市民センタヘでの抗議で語っていました。最小限 自転車です。実践されているのでした。なっとく。
▼昔の地形 原地形が現れた。宅地造成地の陥没も同様な現象でしょうか。

栗野真一郎さんの話
▽震災後 個人宅、学校所蔵の資料 破棄されないように呼びかけ、水損した資料の保全 を如何に対応したか。
▽初動の遅れ 個人宅の受け身の姿勢
▽レスキュー活動の真価は将来的に活用し いかに 地域に還元するかにある。
▼是までも 失われて来ただろう 今回は1000年に1回の津波で 1000年分が失われた 残った資料 積極的に 博物館に寄贈して貰う様な 広報とそのための保管庫の建設が必要では。

平川新さんの話
▽なぜ個人宅に歴史資料が残されていたか。現在と異なるシステム 肝入・大肝入は 私宅が役宅であった故 明治以後の行政組織の変革野中で 残った。
▽これらは 文化財等に指定されていない。公的な援助が無い。災害の都度 処分される可能性が高い。
▽レスキュー活動の重要性をご理解頂きたい。金銭又は労働力の援助を
▼金銭援助が出来る身ではないので 労働力の提供 ボランティアでの資料の洗浄等に参加を検討しなくては。

頂いた資料の精読未了ながら 子孫の為に 必要な事業と理解しました。



9 月 17 日 (土)  



仙台市博物館 学芸員リレートーク

「博物館開館50周年記念 館蔵名品百選 コレクションの粋」の後期展の開催に伴い、標記 催しがありました。

演題と講師学芸員は、
1.企画展の概要と当館所蔵の歴史資料・・・水野沙織 先生
  1951年の伊達家寄贈品を茶宇真に開館、以来 伊達家伝来品の購入等で9万点を所蔵している。その中の100点の名品の展示である。
  第1章が伊達政宗で 全体6章構成である。

2.当館所蔵の大名道具・・・高橋あけみ 先生
  館蔵の工芸品の特徴は。
  伊達家寄贈品、伊達家旧蔵品の用語の違いは、館が所蔵した経緯の違いにある。
  1937(大正5)年の有名な「仙台伊達家売立目録」 又 1928(昭和3)年「東北遺物展覧会記念帳」の掲載写真と現在の現物の写真とスライドで紹介。
  家臣が殿様に献上し 伊達家所蔵になった品の解説に 「召し上げ」 さらりと表現しました。実態はそうでしょう。でも ズバリ申すとは 先生の年期でしょうか。美人の度胸でしょうか。一瞬 ヘッと思いました。会場から反応はありませんでした。

3.「松島塩竃図屏風」とその後の展開・・・内山淳一 先生
  長谷川宗園筆 6曲1双から8曲/4曲の屏風となった。そのようになった経過は?

以上を 3学芸員が1人り30分の持時間での解説です。多重階層圧縮した内容て 聴衆は一定のレベリにある前提で 語られました。居眠りは皆無でした。居眠りしていたら 落ちこぼれます。

目録頂きました。指定文化財の区分、資料名、起草者名、筆者等、年代まで記載されています。図が記載されていませんが 有効な資料です。

「佛のかたち 人のすがた 仙臺ゆかりの仏像と肖像彫刻」展が 11月1日から 開催され、仙岳院所蔵の「忠宗公座像」も展示されますの予告がありました。主な展示品目録に寄りますと 伊達領内の秘仏・木造が集まるようです。期待します。



9 月 16 日 (金)  



東京の大学生

練馬ナンバーのバス5台。大学生200余名に教職員様一行。10時30分(実質10時45分)から11時45分迄 教ケ峯地区をガイドしました。
一行の行程は、
13日朝 大学を出発、車中で「被災地復興イベントと集客効果」を学習。
14日 南三陸町で「震災復興と観光まちづくり」と題する講義とワークショップ
15日 介護老人福祉施設・小学校の清掃活動と避難所支援活動
16日 秋保温泉から 瑞鳳殿等伊達家御霊屋を参拝、仙臺城址経由 大学に

旅は4日目、不慣れな作業続きと 厳しい残暑で 全員 いささかゲンナリしています。添乗員は11時45分バス乗車完了と厳命しますが、果たして。
瑞鳳寺山門から追分迄 一列糸状になりました。是ではと 案内板前で行程を説明 「時間が限られています。○○大学自慢の俊足を発揮して下さい」に、ビリリと締まり 糸状から団子状になり、感仙殿地区から瑞鳳殿に至る 通常とは逆のコースで案内しました。

仙臺・伊達政宗公等の知識 車中でも解説されなかった様子。日本全国から 最年少18歳の男女です。中高老の一般観光客にガイドする用語でガイドするに 聞き返され その都度解説を求められました。不味いと気が付き 分かり易い用語に 置き換えて ガイドしました。

後半 質問が出るようになりました。
1.なぜ 片目になったのか、生まれつきか。
2.日常生活では 眼帯をしていたのか。
3.身長が低いではないか。
4.当時の女性の平均身長は幾らか。

11時45分 バスまで誘導しました。
ガイドした学生の半数は、政宗公にか、桃山様式の美に興味を持ったか、再訪したいの表情でした。お待ちしています。

余録
本日 学生の昼食は 「ハラコ飯」と密かに発表がありました。季節は ハラコ飯となりました。
宮城県を代表する 食事 食材?



9 月 13 日 (火)  



西の伊達家 
宇和島から 観光行政の責任者が、11日に開催された岩出山町(大崎市)の「政宗公まつり」に、宇和島市長の名代として参列、公務をこなし 帰路 立ち寄られました。
09年3月の「全国一早い開花 櫻観測隊」に参加した際にお世話になって以来です。

仙台市は 宇和島市民観光団体を引率し 瑞鳳殿・仙臺城をも訪れていますとの事で、大震災の前後 復旧した(一部途上)を現状をご案内しました。

話題になりました事。
1.ループルバス相当のバスを運行しているが利用率が?。車・貸切バスで訪れる方が多く 絶対量が少ない。
2.4ケ国語で、市内地図まで記載した案内板が、瑞鳳殿・仙臺城址に設置されているのは素晴らしい。
3.ボラガイドの現状は どうか。宇和島での悩み 共通点があるか、どう対応しているか


瑞鳳殿・仙臺城とも 福島は 伊達郡からの中学生の修学旅行が 入っていました。
仙臺城本丸は 依然として迂回路経由ですが それなりに観光客がおりました。ガイドの活動は確認出来ませんでした。



9 月 11 日 (日)  



雨です。正直申して 雨の日のガイドは苦手です。
傘を差し 指示棒を持てば 両手塞がります。お客様 傘を持たない・ささない 場合 傘を差してのガイドは心情的に忍びない。

「第21回定禅寺ストリートジャズフェステバル」が、昨日と本日開催され、全国から約750の楽団が参加、仙臺御城下一円 至る所で奏でています。

震災復旧支援ボランティア活動と観光を目的に仙台に訪れる方々をそれなりに目にします。

今朝一番のお客様、「トジャズフェステバルですか。復旧支援ボラですか」とお尋ねしたら 予想は外れました。「純粋の観光です。ガイドして」
龍頭に 到達した際 念の為 「お時間は大丈夫ですネ。ループルですネ」に「はい。タクシー待たせています」のご返事。メーターがエントツなのか 心配ない様子ですが あかとんぼ は老人です。タクシーと聞けば 老人の特性として メーターが上がらないか心配になります。他人の財布でも。
本殿前 ポイントを圧縮 説明し 一端終了。タクシーでないお客様に 続き詳細を語りました。

中国から女性のお客様みえました。中国から久々 6月19日上海からの張様以来です。観光回復の兆しでしょうか。

久々 バス続々入りました。4-5台。昨夏以来の快挙に感じました。
ある1台のバス。バスガイド全くガイドしません。誘導しているだけです。「発地のバスガイドさんですか?」 「いえ 地元 仙台です」
一見 相当の経験者に見えます。
 
「ボラガイドさん 伊達家の家紋教えて」と。 中には ボラガイドをテストする からかう 方がいます。
「プロの方に教えるなんて」と 断りました。が 再度 「教えて」と申します。口頭試問に答える気分でママヨと説明しました。

「この菊紋は伊達家の家紋で 皇室の紋章とは異なります。同一の紋の使用は太政官布告で禁止されています。どこが どのように異なるか・・・・・」と説明しました。本当に知らなかったらしく テストでは無かった様で 「勉強になりました」と申して お客様を引率し 去っていきました。バスの中で 昔から知っていた如くガイドするでしょう。

あるオジイサン 「政宗は 火葬か 土葬か 即身佛か」待機中のあかとんぼ に立て続けの質問です。資料館に入らず 本殿前での添乗員の解説に疑問を生じ、仲間待ちの時間活用です。

戦災焼失直後の写真から 発掘調査の経緯・結果まで 資料を開いて説明しました。納得されました。
が、驚愕すべきご発言 「昨晩 秋保○○屋に宿泊したが 石切場跡は知らなかった。今でも買えるのかな。○○村で採れる貝で 政宗公の様に埋葬出来るかな」

このオジイサンの邑は 今だ土葬が出来るのでしょうか。政宗公と同様に埋葬するとは 気宇壮大です。でも、法的・技術的・経済的に不可能でしょう。

「政宗公の像は木造か? 作者と生産地は?」が続いてのご質問。
「お客様の想定外のご質問が続き 現在 データーが流失しました。メールアドレス教えて頂ければ ご自宅に到着する前に 回報します」
口振りでは 佛師と産地詳しい様子でした。
「イヤ イヤ 来週また来るから」と お仲間を引き連れて 去っていきました。

政宗公御木像は 仙台出身・日展審査員であった阿部正基氏の作です。忠宗公・綱宗公の御木像は 文化功労者 円鍔勝三氏の作です。


東京からと称する4女性。誠に賑やかです。麒麟を説明したら 「ワオー」と全山を揺るがす程の叫声。
三段一段の石段で「高いー 登れない」の叫び。「後期高齢者から 高いと言われますが 皆様の様に若いお嬢さんから言われたのは 初めてです」 「でも。 私のズホンみて」 なるほど 股下が膝の所です。これでは チヤップリンの映画です。

本殿頭上の竜頭の体重を説明しましたら 「アツ 私の体重」 
このお嬢さんの体重は 創建当時の それとも 現在の 何れの竜頭と 等しいのでしょうか。
賑やかながら 要所で撮影し 聞いてくれました。

久々に 多数の参拝がありました。元気を頂きました。

(財)瑞鳳殿から預かりましたDVDをまだ 受けとっていない会員。出勤簿と一緒にあります。受取日を記載してください。
ご覧になりました会員 感想を聞かせて頂ければ幸いです。

岩出山町で「政宗公まつり」がありました。午前7時30分から岩出山伊達家の墓所での「墓参式」で開会。14時から伊達武者行列です。仙臺藩志会会員のUさんも行列に参加です。天候は如何でしたでしょうか。宇和島市長(名代)は いかる場面で参加されたのでしょうか。




9 月 10 日 (土)  



ガイド定例日ではありませんが瑞鳳殿に。

(財)瑞鳳殿から預かりましたDVDを 直接対象者にお渡しする目的もありました。
U氏 NK氏がガイドに見えましたので。ほかの方 明日も持参致します。

4日 市内某所で東北大学平川新教授の「いろは姫の婿・松平忠輝と伊達政宗」と題する講演がありました。Uさんが聴講され その際の資料を本日 わざわざ持参・提供頂きました。感謝です。

資料 A4 2枚ですが その内容は「多重階層」と表現すべき 深味のある内容です。
初見 ウンー は、政宗公娘五郎八姫の気性と政宗公が心配して 妻愛姫に文を発信した事実です。

本日 ガイドは1組二人のみ。東京から来ました称する茨城県の方。妙雲廟界で 石塔等が全倒したと告げたところ 「我が家のお墓も転倒し隣地に飛んだ。茨城の○○です」と 問わないのに語りました。
それではと、「伊達家の発祥は 常陸の国 真壁郡伊佐の庄 現在の筑西市 ご近所かも 何らかのご縁があるかも」 と返したらニッコリ。
見えない糸で結ばれたご縁があるのか 100分近く ゆっくり参拝されました。



9 月 9 日 (金)  



相馬行胤(ミチタネ)37歳

1000年の歴史を守る
舞い降りる救世主
津波と放射能に襲われた相双地域に、かっての殿様が舞い戻った。
救援隊を結成、支援物資を届けるだけでなく、相馬発の世界基準を作ろうと動く。

本日発売の日経ビジネス2001.9.12号は4頁にわたり かっての相馬藩主 相馬家34世相馬行胤を報じています。

相馬は兵糧攻めにあっている」の南相馬市長の叫び、この世の地獄と言っておかしく無い参上を前に「相馬救援隊」を結成、米・水・日用品等53屯を集め届けた。

平将門の軍馬訓練にルーツがある 1000年の伝統 相馬野馬追は 地域の安寧を紙に祈る神事として 開催に持ち込んだ。
市町村を超えた存在を認識させ、希望の灯りを相双地域に灯した。

記事はまだまだ続きます。

あかとんぼ が感ずるのは、相馬家は伊達家と御親戚です。相馬行胤に 政宗公の血が何百分の1かも流れているでしょう。
記事を読み 掲載された 馬上に武具を着用しての相馬行胤 の姿は 政宗公の勇姿を連想させます。
今回の大震災 政宗公であれば どのように対応されたでしょうか。



9 月 8 日 (木)  



仙臺城大広間 整備

國史跡仙臺城址に本丸大広間の遺構を基に平面の野外展示施設を整備することが、市教育委員会「青葉山講演にかかる仙台城跡整備委員会」で承認されたと 地元紙が伝えました。

規模は2500u 東西33m 南北40m。各部屋の名称と役割を地面に埋めた陶板で解説、畳敷き・板張りなど部屋の格式の差は舗装の色で表現する計画。

誠に 結構な 万人が賛成する計画です。
最大の難点は 整備工事開始時期が 未定との事。絵に描いた餅 正月の初夢の様なハナシ。

人間 日々の生活に希望を持たなくてはならない との発想でしょうか。

瑞鳳殿でのボラガイドの老人の 夢として
経ケ峯地区 伊達家の墓所を 1868(慶応元)年以前 の配置・姿に 伝統建築様式で 復元する事。とりあえず 1945(昭和20)年焼失前に 完全復元(感仙殿・善應殿は中途)です。

着手し 完成させれば 仙台の都市の活性化に寄与します。経済効果・精神効果は 計り知れないと 思います。



9 月 5 日 (月)  



台風は未達のまま終わりでしょうか。猛烈に蒸し暑いです。

(財)瑞鳳殿S主任に 相談事があり 予定外の日ですが。万事快調に解決。そのままガイドに。

愛知県の男性3人。再建寄付名板に続いて 政宗公肖像画を見て 首を傾げています。被災状況に関心を示します。写真と香炉の傷跡等で 説明しました。災害復旧ボラの帰途のようです。弔魂碑まで 案内しました。

茨城県水戸市の男性3人。涅槃門を説明したら 後は自由に。これも災害復旧ボラの帰途のようです。

帰り支度したら 老人倶楽部11人が登って来ました。ガイドしようかなと注目。講師同行です。静かに消えました。

月曜日は 多いと聞いていました。が、台風の影響でしょうか 参拝者は少なく 早々 終了しました。

昨日 (財)瑞鳳殿から預かりましたDVD 「千代とかぎらじ仙臺の街 政宗公の偉業と瑞鳳殿 24分収録」 昨晩 試見しました。素晴らしい作品です。「藩祖伊達政宗公瑞鳳殿ボランティアガイドの会」 会員一同に会して配布の提案がありました。諸般の都合で一同に会する機会は月末になります。それでは 勿体ないので この週末を中心に 個別配布する事に準備しました。
会員の方々 10日11日の何れかガイドにお出で下さい。持参します。



9 月 4 日 (日)  



台風一過 晴天 と申したいところですが 台風は 奥州には 未だ到達していません。でも 晴天です。

台風に めげない 多くの方々が 9時15分着の一番バスで 参拝に見えました。

1番目のガイド 福岡からのお嬢さん 2人連れ。「伊達8家紋」ガイドしましたが 「我が家に家紋あるかしら」と 全く興味を示しませんでした。
でも、一般的興味は 多多。結果的に妙雲廟界までガイドしました。

2番目 東北各地から終結した 災害復旧ボラ60人 HNさんがガイドしました。広域から・巾廣い年齢層の人々で ガイドが少々難儀した様子。

3番目 「被災当時の様子 知りたいです」妙齢のご婦人からのお声。
寶筐印塔 3月12日被災直後、4月1日修復完了、4月8日再度被災状況と感仙殿地区・公子公女廟 3月12日被災直後 の手持写真を広げ 手持写真の無い奉納石塔の倒壊 石垣の孕み・崩れ等の被災を語りました。

「被災状況が心配で 心配で なかなか駆けつけられなくて」 と申していました。
感仙殿地区の奉納石塔の被災直後と 復旧なった写真 ホームページの表紙で同時に見られます と 申し上げましたが 関心を示しませんでした。パソコンを使用していないのでしょうか。歴女には 珍しい。

4番目 姉妹 親娘でしょうか。3人連れ。「今日で2回目。前回は平日でガイド不在で、スーと通過した。今日は オモシロカッタ」と 3口一斉の感想。ありがとうございました。

5番目 年齢差のある男女。「私たち夫婦でありませ」 「私たち親子でありません」と。
他人の男女関係はガイドと関係ありません。でも、このように冒頭 宣言されると なんか 戸惑いを感じます。

二人とも 重い一眼レフを持っています。あかとんぼ推薦 3箇所 紹介しました。よい写真 撮れた様子です。ヨカッタ。

お嬢さんが 福岡から 石巻に災害復旧ボラに10日間 活動し、帰るにあたってオジサンが御褒美に 瑞鳳殿・仙臺城を案内しています でした。男女関係の謎解き オシマイ。
災害復旧ボラ活動10日間  ありがとうございました と(財)瑞鳳殿理事長(宮城県知事・あて職)の気分で御礼申し上げました。

本日始めと終わり なぜか 福岡のお嬢さんでした。

「千代とかぎらじ仙臺の街 政宗公の偉業と瑞鳳殿 24分収録DVD」をガイド皆様の勉強用に、「瑞鳳殿書簡撰セット」震災復旧記念に と 2種類の品を「藩祖伊達政宗公瑞鳳殿ボランティアガイドの会」 会員の内12人に会長から 渡して下さいと S主任から預かりました。



9 月 3 日 (土)  



仙台市博物館

開館50周年 友の会設立40周年 記念講演会。講師は、前館長 濱田直嗣氏 演題は「禁忌の品が國寶になった 慶長遣欧使節関係資料の400年」です。
限定入場券の入手 U氏に配慮頂きました。感謝します。

瑞鳳殿発掘調査の際 発見された「金ブローチ」の紹介がありました。支倉常長の土産では? なぜ 副葬品として葬られたか? です。
150分 休憩を入れず講演しました。よっこより の勉強会での講演とは 熱気・迫力 天地の差です。
「仙台市史 特別編8 慶長遣欧使節」を読まれる様に薦められました。枕にしては居ませんが 熟読はしていませんでした。熟読します。

ガイド仲間のNK氏から 「市史通信22号 政宗公御尊顔集」の余部持っていないか問われました。仲間の勉強会資料として欲しく、市史編纂室から頂いたが不足なので との事。

市史通信22号は 歴女様達 熱心な方に 御礼・お土産として差し上げ 喜ばれ 残部僅少です。地元で勉強している方に差し上げるも同じです。明日 持参を約しました。

本日 台風襲来 大雨予報でガイドは U氏は中止した漏らし NK氏唯独りとか。帰り3人一緒になりました。明日 どこで 3人一緒になるのか。楽しみです。 



9 月 2 日 (金)  



読み方

9月26日勉強会のタイルは「宮床覚照寺と信楽寺遺跡の散策」です。
作製した 資料には フリガナをふりました。「かくしょうじ」 「しんぎょうじ」です。

信楽寺をしんぎょうじ と読めずに 事前調査に訪れた際 意思疎通に難儀した故です。
仮名がないと シンラク寺 とか シガラキ寺 と読まれる方が多いと 地元の方が 話していました。

資料作成の段階で 上記以外で難読文字と思ったのは
1.鵬雲東摶  
2.五百佛山
3.智積院
4.根来寺
5.肥前高実
6.撫倉山
7.遂倉山

難解文字ではありませんが あかとんぼ が読み間違いした 文字(地名)
江刺郡口内村 です。。

ナント 読みますか アイヌ語に語源があります。
参加者から ひっそりと注意されました。 「クチナイムラ」ですヨ。

読めない文字でも 打ち込みが出来ます。良い時代です。

アウトレット前を通過した際 車中で 「買いたいものが無い 漢字を読めなくなり まして 店内 読めない文字ばかりで」と洩らしたら 「値札の 0の数 数えられるうちは 大丈夫です」と慰められました。



9 月 1 日 (木)  



宮床 伊達家

政宗公の孫「宗房公」が、一見 辺境の地に、「所預かり」 8000石(最終的に)で配された事に興味を持っていました。
8月26日のガイト仲間の勉強会。私の拘り意識が強いと敬遠されたか すんなり講師に指名されませんでした。

今回 国道457号線に拘り 宮床に入りました。仙臺城 徳川家から攻められ 落城の危機に 御裏林から 愛子邑に抜け 宮床に至る道 現在は整備され国道になりました。が 一般の人々には決して表街道でありません。
理屈では 基本から変則かも知れませんが 想定外の事態では ロマンの道です。そのような拘りから ご案内しました。

宮床伊達家菩提寺 大義山覚照寺。宮床伊達家が創建したお寺です。
登米・涌谷・亘理には それぞれの伊達家の菩提寺と 御霊屋があります。しかし、宮床には 現在 御霊屋がありません。
本堂にて、ご本尊をお詣りした後、山門に掲示されていた 「大義山」と記された巨大扁額、又 御霊屋に安置されていた 「初代の宗房公」とその生母「慶雲院」の 御木像を紹介したました。

3ケ所の廟を巡り、 初代の宗房公御夫妻の墓石前で、又 慶雲院の墓所では 御霊屋の礎石を紹介し 在りし日の御霊屋を想像して頂きました。以前 亘理を勉強会で訪れています。その際 大雄寺で伊達成実公の御霊屋のお詣りしています。その節 参加された方は 容易に 思い起こせた思います。

宮床は「所」です。城とは公式に称しないながらも 城が有り 城下町を形成していました。是非 案内したい箇所です。諸般の事情で 工程表には記載しないで、資料頁には詳細に記載しました。
参加者の反応を待ちました。「案内しないのか」が 予想のとおり上がりました。「田手岡館」跡を、説明・案内しない事には 画竜点睛を欠きます。
資料館「寶蔵」で 絵図、城下配置図を詳見して貰い、小学校校庭に登り 絵図写・住宅地図・地理院地図を広げ 目線をさげ 城址を望見して貰いました。参加者の7割の方々は 興味を示し満足して頂きました。

悪天候・御当主様等の急の不在、条件の制約等で 意図したもの100%に至らない出来でした。些か残念の思でした。
参加者の方から 「お墓めぐり だけと予想していたら 本堂に上がり 額・木造の拝見があり 城址の丁寧な説明があり 予想以上の内容だった」と 電話を頂きました。
御当主様からも「急用で 申し訳なかった。総代に連絡しました。如何でしたか」と 電話で有り難いご挨拶を頂きました。
胸中の霧は これで晴れました

24日 仙臺藩志会・伊達学塾で 宮床と岩出山を訪れます。何れも 御当主様が直々 説明してくださいます。楽しみです。





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