2011年12月の日誌
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12 月 31 日 (土)  



2011総括

瑞鳳殿ガイド 2011年も 皆様には 御世話になりました。

ガイド日数は69日回、2000年は85日回ですから16日回減少しました。
原因は、3:11災による長期閉鎖と参拝自粛のため依頼の取消等のガイドの機会が減少した為です。

月別回数は、
 1月 4日回. 2月 5日回. 3月 1日回. 4月 3日回. 5月 8日回. 6月 5日回.
 7月 8日回. 8月 5日回. 9月 11日回. 10月 6日回. 11月 9日回. 12月 4日回

月別 事柄別は、
1・2月は、日・祝日にガイド。
3月は、第1日曜日にガイド。3.11.14:46 大震災発生。
3月12日9時に瑞鳳殿に駆けつけました。
事務室の机等は数m移動し、書類が散乱、立錐の余地無い惨憺たる状態。
涅槃門、拝殿、本殿の建物には異常は見られませんでした。が、奉納石灯篭9基全て転倒・落下し、佐沼亘理伯耆守宗根寄進灯篭の笠石は、参道中程迄すっ飛びました。
本殿両脇の寶筐印塔20基は、唯1基を除いて全倒し、他の工作物も転倒・散乱し、地割・崩落しておりました。
感仙殿地区も、奉納石灯篭1基を除いて全て転倒・落下、石垣等が崩落しておりました。
2000年ガイドを始めて以来 最大の被害・惨状です。
常務理事ほか職員は 吐水龍前に避難「職員1名の安否が確認できない」と呟きながら茫然自失でした。
この大災害に、参拝者に怪我等の事故が皆無であった事は天佑です。政宗公の御加護があったのでしょうか?
3月末迄に 瑞鳳殿地区は修復が完了しました。

4月からのガイド再開を期しました所、7日の強力な余震です。再び 転倒等です。この2回の震度でも政宗公・忠宗公・綱宗公の御木像は微動だしなかったのは、なぜでしょう?不思議です。
又、瑞鳳殿と善應殿の脇で 2回の強震に転倒しなかった寶筐印塔・奉納石灯篭を如何に理解すべきでしょうか?
4月29日9時 瑞鳳殿地区が再修復完了し、限定再開です。第1番は、早くから門前で待機した横浜の青年で、拍手で迎えられ記念品を贈られ参拝に、ガイドは不要とか。

5月黄金週間、例年比マイナス??パーセントでしょうか?
5月24日 政宗公遠年忌法要が例年の通り 瑞鳳殿で多数の参加で催されました。
6月4日 綱宗公遠年忌法要が、周囲が修復工事の最中、善應殿で催されました。
6月19日 中国上海市から若い3人をガイド、後日メールと写真を頂きました。震災3ケ月後で瑞鳳殿参拝に見えたのです。中国大陸の人のバイタリテイには驚きます。
この方々 以降 亜細亜含め5大州からの参拝者の姿を見かけません。

7月 観光で仙台を訪れた方々が増え、6月迄の地震保険査定員、応急復旧工事の技術者の方々は、作業が終わったか 見かけなくなりました。
7月12日 忠宗公遠年忌法要が、周囲で修復工事の最中、感仙殿で催されました。田村家御当主田村護顕様を、今回の震災で転倒・落下しなかった「田村下総守誠顕」奉納石灯篭にご案内しました。 
7月31日 4ケ月20日振りに 経ケ峯全域が公開・再開されました。

8月 仙台七夕3ケ日間ガイドしました。
9月、10月 長野県等からの企業のトップクラスで構成する団体が津波被災地でのボランテイア活動の帰路 立ち寄る例が散見されました。
11月 全日空等からのガイド依頼が数件ありました。歴女様もチラチラ見えました。本格的回復基調と言えるでしょうか?
11月22日 宇和島伊達家13代伊達宗信様が 仙臺宗家18代伊達泰宗様の案内で 瑞鳳殿を参拝されました。宇和島伊達家13代当主初参拝です。
12月24日は、500人を超える参拝者がありました。久々の参拝者数です。
12月25日、69日回を以て 本年のガイドを終わりました。

3.11.被災直後から 政宗公フアン、ガイドのお客様、読者の皆様、日本全国から、早々に お見舞い・激励 将又、救援物資送付のお申し出迄 頂きました。有難い極みです。
11月下旬 パソコンの故障で 日誌の更新が出来なくなりました折には、健康を心配するメールも数 頂きました。有難い極みです。

2011年 御支援 御鞭撻くださいました 皆様 有難う御座いました。

  





12 月 30 日 (金)  



宇和島伊達家御当主 瑞鳳殿参拝 続き

2011.12.20.日誌に 要旨 次の様に記載しました。

宇和島伊達家第13代御当主伊達宗信様は、11月23日頃(正確な日 不詳) 瑞鳳殿を参拝されました。
仙臺市博物館HPにも、瑞鳳殿のブログにも発表がありません。当然 マスコミの報道もありませんでした。

熱烈な読者の方から早速 「22日である。詳細は 産経新聞に掲載されている」と 知らせがありました。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111123/myg11112302010001-n1.htm
記事 全文

旧宇和島藩当主 瑞鳳殿を初参拝 宮城
2011.11.23 02:01
 愛媛県宇和島市から、旧宇和島藩13代目当主の伊達宗信さん(40)が東日本大震災の見舞いに仙台市を訪れ、22日、初代・政宗の霊廟(れいびょう)である瑞鳳(ずいほう)殿を、仙台伊達家18代当主の伊達泰宗さん(52)とともに参拝した。

 旧宇和島藩の藩祖が政宗の長男の秀宗だった縁で、仙台市と宇和島市は昭和50年に歴史姉妹都市として提携し、交流を続けている。宗信さんが仙台を訪れるのは2回目だが、泰宗さんと会うのも瑞鳳殿を参拝するのも初めてという。

 瑞鳳殿を案内した泰宗さんは「東日本大震災で資料館の石垣が崩れたが、建物や収蔵品は無事だった」などと説明。普段は閉まっている扉を開け、並んで参拝した。

 宗信さんは「仙台あっての宇和島であり、もっと交流を深め、微力だが仙台の復興の力にもなりたいし、宇和島の活性化にもつなげたい」と話していた。

熱烈な読者の方、早速の調査・報知に感謝と 結果掲載の遅延を 深謝 申し上げます



12 月 29 日 (木)  



政宗公生誕地石碑

米澤城址に政宗公生誕の地に石碑が建立されました。

高さ2.2m 幅 1m 奥行 0.8m 福島・鮫川石 経費107万円。

以上 本日の河北新報が伝えています。http://www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111229t55005.htm?style=print
地元 山形新聞 は 今朝現在 伝えていません。


米澤城址公園入り口に 0.2m角 高1.5m 程度の木柱が立っており、人々は「ホッー」と再認識していました。
今度は400年前からの石碑と 誤認し 撮影される方 いるでしょう。 



独眼龍の涙

山岡荘八等の小説を読み、政宗公のフアンになり小説の内容が事実と思い込み 勉強会に参加、講師に苦情を言う人がいます。

政宗公は 魅力ある人物なので 多数の作家が書かれています。史実から 飛躍していると思われ作品も儘あります。
小説は 飽く迄 小説であり、作者の思いで 脚色されています。これが注意点です。

ガイドする人は、最小限 小林清治著 伊達政宗、小和田哲男著 史伝伊達政宗を基本にして欲しいものです。


小説は面白いです。読み易いです。読みます。

政宗公の 伊達家の安泰をかけた最後の フンバリ。 
赤木駿介著 独眼龍の涙 (1993.3.発表)は、石田将監が老中酒井讃岐守忠勝に将軍家光の見舞いの御成りを陳情する場面があり ハテナの思いがありましたが、全体として 史実を準えていると満足しました。

参考文献は、大猷院實記 との事 さもあらん。



12 月 28 日 (水)  



福島美術館

福島美術館には、故福島禎蔵等3代のコレクシヨン3000点が収蔵され、伊達家4代綱村公とその信仰である黄檗宗に、大年寺等の伊達家関連資料もあります。
所在は、仙台市若林区土樋288-2 目立たない美術館です。でも知る人が知る博物館です。

学芸員の尾暮さんには、2009年6月20日大年寺における綱村公遠年忌法要以来、ご指導を頂いております。

「3.11災の被害が甚大で、復旧費が1,000万円要します。社会福祉法人共生福祉会営のため財政が厳しい、故に、財政支援をお願いします」と お手紙を頂きました。

昨27日 些少ながら 寄附しました。


國からのご褒美として、2000円を超える寄附の場合税法上の優遇処置が受けられます。
福島美術館からの特典は、次の贈呈があります。
1. 七福絵葉書 7葉 
2. 福島美術館招待カード 3人迄 期限・無期限
3. 福島美術館通信の送付、展覧会案内

寄附は、郵便振替で出来ます。
1.加入者・口座名  福島美術館 フクシマビジュツカン
2.口座記号     02200 0
3.口座番号     1欄空て 134324
4.個人情報
 ア.郵便番号
 イ.住所
 ウ.氏名・フリガナ
 エ.電話番号
 オ.金額
 カ.口数  
 ク.寄付金受領書希望・・・税法上の優遇処置に挑戦の場合

詳細は福島美術館のHP
http://www.fukushima-museum.jp/sinsai/index.html

2011.12.27.河北新報 夕刊にも掲載されています。



12 月 27 日 (火)  



瑞鳳殿拝殿扁額の下地の色

瑞鳳殿拝殿の扁額の下地の色が朱から緑に変色しているようです。変色したと断言できませんが、その様な疑念を生じました。調査についてアドバイスを2011年11月18日日誌にて、お願いしました。皆様からご教示を頂きました。

結論として、わかりません でした。

1.
現在の扁額の文字は、佐々木文山書を模したものです。
日付、署名の記載がなく、字 全体が小柄で迫力は感じられません。
赤下地は、赤珊瑚粉末を塗り重ねたもので、「瑞鳳殿」の白い文字は、真珠粉末を塗ったものです。
大きさは、縦0.7m  横1m.で、1970年に鈴木彫刻店が寄贈しました。
以上 「瑞鳳殿再建の経過 瑞鳳殿再建期成会1979年刊」に記載されています。

2.
創建当時・焼失前の扁額は、日付、署名の記載があり、字 全体が大柄で迫力を感じます。
大きさは、
外周 縦4尺5寸5分(曲尺換算 1.38m) 横6尺8寸5分(2.08m)
内周 縦2尺8寸5分(0.86m ) 横5尺1寸5分(1.47m)
額縁は、金泥、緑青にて響き塗り、粉砕赤珊瑚俗に朱土塗り、胡粉塗り。
額面は、粉砕赤珊瑚 俗に朱土塗
以上 「伊達家史叢談 伊達邦宗 著 1921年6月刊 」に記載されています。

3.
「拝殿の正面には、佐々木文山翁の揮毫瑞鳳殿の三大字俗に八方にらみの字と見るはこれ又殿の威風を授けて殊に額の装飾は南洋珊瑚の粉末の緑青色は実に面白く・・・」
以上 「宮城県名勝地誌・遺物・瑞鳳殿159頁 宮城県教育会 1931年2月刊」に記載されています。

4.
瑞鳳殿資料館掲示 焼失前着色写真葉書には 下地は緑青色に塗られています。

5.
以上の4.と3から 3.の「額の装飾は南洋珊瑚の粉末の緑青色」 の「額の装飾」は、「下地」を表していると理解していました。その様にガイドしていました。

6.
以上1.と2.から 1921年から1931年迄 10年で 変色したのかの疑問を生じました。

7. 
1931年12月14日文部省告示331号をもって國寶に指定されました。告示文書には、基本的事項のみ記載されています。

8.
この1931年頃 宮城県史跡名勝天然記念物調査会が 宮城県内務部長を会長に、第二高等学校阿刀田令造教授等が委員で 県内全域を調査しています。
この時の調査の際、阿刀田教授は拝殿の長押の模様が「十字」に見える。キリスト教に関連しないか、問題を提起していますが、この扁額の色については全く触れていません。

9.
1931年7月21日から10日間 仙臺高等工業学校小倉強教授が建築科学生と瑞鳳殿の実査をしており、概要を「仙臺郷土研究 昭和6年8月号」に9頁程 発表しています。
非常に興味深い内容ですが、当然ながら 末梢である 拝殿扁額については 一言も記載ありません。

10.
小倉強教授の詳細な報告書を求めて、東北大学付属図書館本館、工学分館を訪れた所、工学分館にて「日本建築会名誉会員小倉強、論文・作品目録」を発見。
続いて 宮城県立図書館で「故小倉強先生御業績目録」を閲覧しました。
この「仙臺郷土研究 昭和6年8月号」以外に、瑞鳳殿に関する文章として
1963年2月「仙臺藩祖公の墳墓にもうでる」、
1964年3月「仙臺藩祖公の霊屋再建」、
1975年3月「瑞鳳殿とタウト」、
1975年8月「瑞鳳殿の遺物」、
1977年4月「瑞鳳殿の再建について」
と河北新報に寄稿していました。しかし、詳細な報告書はありませんでした。

11.
読者から「修繕関係を調べたら」のメールを頂き、宮城県公文書館で永年保存文書を閲覧しました。
国寶指定申請文書は発見出来ませんでした。
宮城県史跡名勝天然記念物調査会が発足し、活動した経過はわかりました。
余禄として
1930年4月15日 國寶所有者 伊達興宗から知事宛て「國寶修理届・伊達政宗霊廟瑞鳳殿拝殿外4棟」
届書を発見しました。
修理内容は屋根雨漏修繕が主体で、工事費833円75銭、100分1の平面図が添付されています。
1934年11月の感仙殿の國寶修理届も発見しました。

12.
仙臺藩志會事務局に「会員で 戦災焼失前の姿を記憶されている方 紹介してください」とお願いしました。
「100歳に近く 記憶確かな会員います。訪れると本人は 喜び語るでしょう」の回答を頂きました。言外に「拝殿の扁額は末梢で 果たして。また 周囲に多大の負担を?」を感じ ごもっともと納得、断念しました。

13.
最新の権威ある資料は「瑞鳳殿・伊達政宗の墓とその遺品 1970年11月 瑞鳳殿再建期成会 刊」です。
佐藤功東北大学工学部教授は、「X瑞鳳殿の建築」の項を担当され、拝殿の項56頁の記述で「扁額 瑞鳳殿は特色ある書体で、佐々木文山の手になる」と記載され 下地と文字の色については記載されていません。

14.
「伊達政宗卿 藩祖伊達政宗公三百年祭協賛会 1935年5月 刊」にも 記載はありません。

15
以上から結論として、 拝殿の扁額 佐々木文山の手になる特色ある書体 瑞鳳殿 の下地の色 朱から青に変色したのか の確証は得られませんでした。

16.
2012年からのガイドでは
@ 佐々木文山の書になる特色ある書体
A 赤下地は、赤珊瑚粉末を塗り重ねたもの、「瑞鳳殿」の白い文字は、真珠粉末を塗ったもの。
に とどめます。
視覚に障碍ある方の際には、大きさ「縦0.7m  横1m」を併せガイドします。

以上



12 月 25 日 (日)  



御用(?)納

基本的に、朝1番 本殿を参拝してからガイドを始めます。
今朝は 今一つ 目的がありました。

昨日、Uさんは「、3:11災を八戸で被災、函館の大学に進学したが 瑞鳳殿・政宗公の被災が心配で 心配で 9ケ月余経過した。ようよう お参りに来れた。函館の美味なるケーキを持参した。奉納したいが どうすれば よろしいか?」と お嬢さんから相談されました。

「本殿香炉台にどうぞ」と職員から指示あったそうです。奉納された様子 昨日 撮影しました。スシテム上 掲載不可は残念。

その後の確認です。昨晩 政宗公が召し上がられたようで ありませんでした。


本日も 参拝される方々 多数です。
でも寒気厳しい故か ガイド仲間は皆無。

時間に余裕ある方々 暴風雪凄まじいと伝えられ酒田からのお客様等 3組余 ガイド。寒気厳しく 12時終わりにしました。

2011年は 69日のガイドでした。昨年より 減少したのは 震災の影響です。決して 気力・体力の低下とは申しません。

日誌の記載は 年末迄続きます。日誌の御用(?)納は 未だです。



12 月 24 日 (土)  



3連休の中日
朝1番のお客様は、埼玉からのご夫妻。
「私たち2人でも 構いませんか?」 「ガイドを希望される方 1人からOKです」本殿迄 丁寧にガイドしました。

「ガイド無ければ 涅槃門の透かし彫彫刻 素晴らしさ 見逃したでしょう。ヨカッタ」の感想を頂きました。

市民ボラガイドは 活用すべきと思います。
あかとんぼ はガイドの押し売りは 致しません。依頼されれば 誠心誠意 ガイドします。


白河からの中学2年生のお嬢さん2人に両親の4人。お嬢さん 歴史素養 高い・知っています。両親も熱心です。快調に本殿迄ガイド。資料館見学して頂きました。

戊辰の役弔魂碑で 碑の由来、特徴を説明。「白河は 激戦地でした、遺跡が数ありますが?」 「ボシンのエキ? アッ漢字見て思い出しました。学校で習いました。」

白河市長は 偉いです。明日の日本を背負う子供に 郷土の歴史を 教えていたのです。

父親が{○○付近は 郷土防衛のため戦った所で、何千人が亡くなっています。時は慶応4(1868)年閏4月で、白石城は落城しました。」と詳しく解説を始めました。解説で 幕府軍と表現し 賊軍と表現しなかったにはホッとしました。

善應殿前の石灯篭で「あの灯篭は 3:11震災で、この地区で唯一倒壊しなかった灯篭で、寄進者は 一関田村家2代建顕公です。外様の分家ながら徳川幕府の奥詰・奏者番の要職に就き、城主格になり、赤穂浅野長矩預かりされた方です」とのガイドを受けて  武士に対する切腹について、娘達に語り始めました。

最後に 息子の名前は「龍政」です と 名付けの由来を教えてくれました。古代中國の故事に、歴史上の偉人に 縁(エニシ)を求め 子供の将来に夢を託す親の情を 切々と感じました。
次回 息子をも 帯同され 参拝して欲しい。その際の再会を約して ガイドを終わりました。欣快。


政宗公は、天正17(1589)年2月26日米澤城下で落馬しています。この時の骨の怪我は 完全に治癒していることは 御遺体発掘調査時のレントゲン検査で確認されて、瑞鳳殿資料館で 展示されています。

米沢市では、どの様に市民に伝えているか?
当時の町名は、「北谷地小路」 現在の表示は「城南1丁目・松が岬1丁目」で、由来と地図を記載した案内板が現地に設置されています。
この写真と冶家記録、この日の条項を 纏めた 資料を Uさんが 持参 提供してくれました。感謝。

Uさんの調査能力は素晴らしい。元職は 国税(脱税)調査官ではと想像されます。


本日 参拝者 続々です。500人を超えるのでは? 冬場での記録では?
寒気厳しいです。老骨に凍みます。命あってのボラガイドです。若手に後事?を託して 11時30分 終わりにしました。



12 月 23 日 (金)  



濱田直嗣氏講演会

仙臺駅前 某金融機関会議室を会場に、宮城歴史研究会主催で開催されました。
濱田氏は 宮城県慶長使節船ミユージアム館長と自己紹介しています。主催者は、元仙臺市博物館館長と紹介しました。
「元」は「前」の前で、「現」の2代前です。相当の年数を経過しています。
これが、講師と聴講生との間に 微妙なズレを生じさせ、結果として楽しく・勉強になる講演会でした。

西洋人が記録した「政宗公」に関する記述には、興味深い記述が数ありますと紹介した事柄。
「伊達政宗遣欧使節記」1615年頃、シビヲーネ・アマーテイ
気候・自然・産物を始め、領民は働き者で素直で律儀で礼儀正を重んじると好意的に紹介している。
「金銀島探検報告」1611年 セバステイアン・ピスカイン
仙臺にて・・・、沿岸探検後・・・の各項に「我々の仕方で肉を調理して ふんだんに饗応した。
鹿肉のステーキかな?

「支倉常長の死亡は、帰国後1年後説、2年後説があるが、定かではありません。」に、「さすれば、墓が3ケ所程あるが、何れが 真物とは 判明しているのでしょうか?」 と質問しました。

「そもそも、日本の墓制の確立は 寛永(1624年)以降です。支倉常長の死亡は、元和7か8(1621か1622)年です。大郷町の墓は 記載された記述から 記念碑・供養碑と見られます」。

「慶長・元和時代の墓石 あります?見たことあります?」の問いかけに、渡邊宮城歴史研究会会長「新寺小路にあります」

春になれば 北山五山に慶長・元和時代の墓石を探索してみましょう。

「墓制の確立は 寛永(1624年)以降です」に 我が あかとんぼ家を振り返りました。現存する墓石の最古は享保年間でした。それ以前の先祖の墓に辿りつけないのは、この歴史背景があるのでしょうか。

「寺 と 院 の違いは?」を質問された方いました。
渡邊宮城歴史研究会会長から「寺の中に院がありました。仙臺東照宮の別当寺が仙岳院で 寺並か、以上ではないかと反論されるでしょう。仙岳院は、眺海山康国寺仙岳院です。(仙臺市史7により補足)

質問者の真意は、 現実 寺 と 院に 規模の違いが見られない事にあったと推察します。

仙台市博物館所蔵「紫地羅背板五色乱星陣羽織」の五色と 寺院の催事での五色幔幕との関係を問われた方いました。

回答は「わかりません」でした。

「五色乱星」については、本日誌 2010.08.09.を参照して頂ければ。



12 月 20 日 (火)  



宇和島伊達家御当主 瑞鳳殿参拝

宇和島伊達家第13代御当主伊達宗信様は、11月23日頃(正確な日 不詳) 瑞鳳殿を参拝されました。
ご案内は、当然 宗家・仙臺伊達家 18代御当主伊達泰宗様です。

2012年4月22日から11月4日迄 宇和島市で開催される「えひめ南予いやし博2012」において 宇和島伊達博物館が開催する企画展での資料借用に、仙台市博物館を訪れた博物館学芸員に同行されての来仙と察しられます。

2月 柑橘類のセールスに業界団体に同行されての来仙の際は参拝されなく、どうしたのか不思議に感じていました。
 
仙臺市博物館HPにも、瑞鳳殿のブログにも発表がありません。当然 マスコミの報道もありませんでした。
仙臺藩志會にも事前連絡は無かったようです。瑞鳳殿からも知らせはありませんでした。

12月始 伊達博通信 http://datehaku.blogspot.com/2011/12/blog-post.html#more で知りました。

2009年宇和島を訪れ 御世話になった あかとんぼ としたは 博物館学芸員に お礼の御挨拶を申し上げたかった。



12 月 19 日 (月)  



西光院

本日 「石田将監の墓と愛宕神社・虚空蔵堂」と題して 現地で Uさんが講師となり 勉強会が開催されました。

石田将監とは、政宗公の小姓與頭に進み、寛永13(1636)年6月21日若林の私邸で 享年48歳で殉死された方です。「仙臺人名大辞典」
菩提寺は、土樋所在 1605年開山の西光院です。「仙臺市史no7」

御本尊の十一面観音は、5尺5寸、非常に優美で、1936年に仏教美術の権威福田無染氏により天平時代末期の作か、希有の仏像と鑑定。冤罪がはれたと 霊感あらたかな観音様と信仰を集めている。「1936.10.4.河北新報」

この観音様は、2001年開催 仙台市博物館 「仏のすがた 人のすがた 仙台ゆかりの仏像と肖像彫刻 特別展」に出展され 拝観しました。
展示室でも 霊感を発揮していると感じました。

12世紀も前の仏像を本尊とするお寺とは、どんな お寺かの 興味があり 又 Uさんの綿密な調査報告、講義をも期待していました。
突然の家庭の事情で不参加となりました。残念でした。

現在 降雪中です。春 暖かくなったら 参拝しましょう。 



12 月 18 日 (日)  



師走
瑞鳳殿・涅槃門・拝殿、感仙殿・涅槃門に門松が飾れ、紫地・伊達家家紋の幔幕(仙臺藩志會寄贈)が張られ、お正月を迎える準備がすっかり整っていました。

今年は15日、伊達武将隊の方々が手伝いに参加し、例年以上賑やかに行われたそうです。
詳しい事は、「瑞鳳殿四季折々 http://bonten-maru.blog.ocn.ne.jp/zuihoden/」を ご覧ください。

16日仙台は初積雪があり、到る所に残雪が有り、また 寒気を感じます。この様子では 参拝者は?と心配しましたが、出足良好です。

9時15分、長崎からのご夫妻。「長崎は 年に1・2回降りますが」と 申しながら 涅槃門からの雪景色を撮っています。本殿までガイドしましたら 大変な お喜び。
予想外の雪景色とガイドされ事が想定外であったらしいです。

続いて、群馬からの三世代、本殿を背景に撮影ポイントを紹介、最後に 全5人一緒の場面 シャター押し。
男の赤ちゃん 6ケ月、中々利発な顔立つ。
「政宗公を お祖父さん お祖母さんとお参りされたからには、政宗公の様な 偉大な人物になるでしょう」と 申し上げたら、一同 頷いていました。
あかとんぼ の予言は、的中するか 確認の方法が無いのが残念です。

「片倉小十朗が寄進した石灯篭と忠宗公自筆の額が有るそうですが 何処に」 お嬢さんのお尋ね。
涅槃門からの石段 左側 一番下位を示し「これです。景綱公ではなく、息子の重長です。忠宗公自筆の額は、本殿の扁額です」
歴女・・・。 余分な補足は必要しない様です。全て 調査の上 確認に見えたらしく、せっせと撮影していました。

何組か ガイド。

「何かと お世話になっています 南相馬市からの 20人です」
冒頭のセリフには 泣かされます。

相馬野馬追・雲雀ケ原の方々です。相馬家家紋・九曜紋、伊達家と相馬家とは親戚ながら戦った経緯等すべて御存じ、波長一致。妙雲廟界までガイドしました。

感仙殿で 「なぜ 彫刻が少なく 全体が寂しいのか」の 御質問。
「予算の都合です」 一発 全員 納得の表情。

墓室の用材を説明する前段として「お泊りは 秋保温泉でしたか」に 一斉に「イヤ イヤ 予算の都合で」と否定されました。
「予算の都合」の言葉に対する敏感な反応、乱れない行動から、行政機関の方々の忘年会の帰路だったのでしょうか?

3.11震災復興祈願 全国実業団女子駅伝が 昼から 御城下・二の丸を駆け抜けます。交通規制で ループルバスは運行しません。参拝者は 限り無く ゼロに近くなります。
11時30分客足が途絶えました。本日のガイドを終わりました。12時間近 御城下の辻辻に 要員と規制用具とが配置されていました。危なかった。




12 月 16 日 (金)  



GOOGLE

googleの地図に 我が 登場したのには 驚くばかり。

9月 宇和島からのお客様を瑞鳳殿に ご案内し、駐車場に戻る際、360度カメラ搭載の車に遭遇しました。
お客様と「googleの地図かな」と語りました。まさか 撮影しているとは、夢にも思いませんでした。

googleが 3.11震災の前と後の様子を ストリ−トビユ−「未来へのキオク」と題して 公開しました。
もしかして と検索しましたら 顔にボカシが入っていますが、全体は鮮明に写し出されおり 驚くばかりばかりです。



12 月 11 日 (日)  



極めて温暖な天候なれど 参拝者の出足は? 御想像に お任せ致します。

朝一番のお客さま。 「常陸国真壁郡伊佐庄-茨城県筑西市中舘から。 観音寺檀家役員」と 自己紹介され 一族郎党を引き連れて おみえになりました。

「中舘 観音寺は、中村 中村城跡 同様 伊達家発祥の地である事は 知っています。以前 参拝した時は、伊達家御当主に拝謁した」
「中村には 仙台藩志会理事が おられます。お客さまは お寺の役員の他 仙台藩志会会員ですか?」

「ムヤニャ  若い者に説明して」 「ハイ」 
「御当主はガイドして呉なかった」と ブツブツ。 それはそうです。
全一族郎党様 新鮮な感じ 表情で 聞いてくれました。資料館見学後 感仙殿地区に 回らず お帰りになりました。ハテナ


埼玉県からと 会社幹部風 盛年4男子。賑やかです。ロングレンズで撮りまくっています。
波長が合い、妙雲廟界迄 ガイド致しますた。

妙雲廟界の巨大墓石(横88p、奥行72p、高さ2m30p) 9代様 11代御夫妻様を参拝。
ポロリ 「我が先祖は、庄内酒井家の大身であった。総本家のお墓も この位あったナ」   一同 「世が世であれば .・・・・」

大身の末裔「大名の史跡 好きで 見て歩いています。流石 伊達様ですネ」

「埼玉県から お出でであれば 真岡市中村は 伊達氏発祥の地である事は ご存知ですネ。2009年11月15日仙台藩志会で訪れ 市長・市民と交流しています。お客さまも参加されているのでは?」

「真岡市中村は 近くです。不覚であった。伊達氏発祥の地である事は知らなかった。ガイドさん ありがとう。」

遠方の神様は有難い、身近の神様を知らない はママ有る事です。


「瑞鳳殿でガイドを始めたい」の希望者が お出でになりました。Uさんが懇切丁寧に説明されました。
「難しいな」の感想。

「全てを知り 全てを語る 必要はありません。ポイントのみ語れば 宜しいです。わからない事は わからない です。調べます と 答えています。」

あかとんぼ より 一回り若い方。仲間になって呉れれば 鬼に金棒 嬉しいかぎり。







12 月 10 日 (土)  



遠藤基信と片倉景綱

二人の接点は、何処にあるのか?
本11月10日片倉小十郎景綱の城下 白石市で「歴史シンポジウムin白石 南奥羽の戦国世界 新発見 遠藤家文書に見る戦国大名の外交」と題して 講演会が開催されました。

次第
13:30 挨拶
    1.白石市長                      風間 康静
    2.東北大学東北アジア研究センタ−教授    平川 新
講演
13:50 「遠藤家文書(発見)の経緯」
     NPO宮城歴史資料保全ネットワ−ク・教授  佐藤 大介
基調講演
14:05 「遠藤家文書と伊達氏の外交」
     仙台市博物館市史編纂室長           菅野 正道
講演
1. 14:50 「大名・国衆と伊達氏 葛西・最上・黒川・白鳥」
     弘前学院大学専任講師              遠藤 ゆり子
2. 15:20 「大名・国衆と伊達氏 蘆名」
     福島県立博物館主任学芸員           高橋 充
3. 15:45 「大名・国衆と伊達氏 佐竹」
     大正大学准教授                  佐々木 倫朗
休憩
16:25
パネルデスカスッション・質疑応答
16:40
 コーデイ-ネ−タ− 東北大学大学院教授      柳原 敏昭
             東北学院大学教授            七海 雅人
 パネリスト 菅野正道・遠藤ゆり子・高橋充・佐々木倫朗の各氏
閉会挨拶
17:40? 白石市歴史文化を活用した地域活性化実行委員会委員長 
細田 紀明

これより 私見
時間不足。
これ程の内容を、この業界NO1の先生 多数 集まって頂き、3時間30分で 語って頂く計画は 無理です。
先生は 早口で語りましたが 語り切れなかった様子。
今回は メニユ−を 公開したのみと理解しました。次回は 先生一人 最少限2時間で 開催して頂ければ 幸いです。

様々な ?????
遠藤基信と片倉景綱との関係
伊達輝宗から慶邦迄 伊達家の江戸時代の治世に、深く関与した遠藤家
伊達家と 血縁関係ありながら相克・闘争 外交関係
大変 参考 勉強になった講演会でした。

詳しい内容は、白石市文化財調査報告書40.「伊達家重臣 遠藤家文書・中島家文書」をお読みください。
特に お薦めは、

「論考 遠藤家文書・中島家文書と戦国の南奥羽」 菅野正道 著 です。

様々な ????? は 氷解するでしょう。

おまけ
会場で ある方から「あかとんぼ さんは 鞍馬天狗だね」と言われました。
神出鬼没 と 評価してくれたのでしょうか。この方と 求めるモノが 一致しているようです。



12 月 6 日 (火)  



ホームページ 「瑞鳳殿 あかとんぼ ガイド日誌」回復の兆し 目途が出て来ました。

あと ひと山です。これが厳しく感じます。



12 月 5 日 (月)  



仙台城下の商業

商業と商人と 見間違い。

仙台商工会議所会報に「仙台城下町人列伝」が掲載されていました。「明治実業家列伝」が現在 掲載されています。著者は、博物館市史編纂室長の菅野さんです。

町人 経済人の活動が生き生き えがかれ、面白く、参考になります。仙台商工会議所HP 会報 からダンロードし読んでいます。

仙台豊齢学園で 「仙台城下の商業」と題する公開講座が、本日開催されました。講師は「菅野さん」 内容は「仙台城下町人列伝」と一人合点し 駆けつけましたら 講師が 違い、東北学院大学経済学部 斉藤善之教授でした。

講座申し込み時、「商業」と「商人」と 見間違いしたのが原因です。

1600年 政宗公の仙台城下町建設時 商人達の配置 町割り が話題で勉強にはなりました。
引用資料の大半が 仙台市史からでした。
政宗公、伊達家を語る講座 仙台市史を基にするが主流になった様です。



12 月 3 日 (土)  



終日 大雨。警報が出ました。3.11被災地の1部には水没の危機が予想されます、
瑞鳳殿ガイドはお休みです。

ある先生から 「日誌更新が停止しているが 健康か?」の 安否を問うメールを頂きました。有難い事です。
本来 ガイドを始めたのは、健康管理-週のけじめをつけるにありました。
ホームベージを始めたのは、お客様からの 御質問と回答の記録にありました。そしてまた アカトンボが元気に生存している事を知らせるにありました。

パソコンの故障で 更新出来ずに 皆様から 安否の御心配を頂いており 恐縮しております。今 暫く お待ちください。





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