2012年5月の日誌
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5 月 29 日 (火)  



2013年「仙台・宮城DC」

来春4月から6月迄 大型観光宣伝(デスネイーシヨンキヤンパーン)が 再び開催されるにあたり、大手旅行会社等700人を集め 会議を昨日開催したと 新聞は報じています。

昨春3月12日に 現在進行中の「仙台・宮城DC」の為の会議が開催される筈で 不可思議なルートで 招かれました。
瑞鳳殿でのボラガイド活動の広報の為 名刺を大量に用意したのが 3月11日の午前。
14時46分 天地大変動。会議は流れ 名刺を配る機会を失しました。


4月から 土・日・祝日 最低 午前2人 午後2人 の態勢で、黄金週間は 経ケ峯の図べてを案内する企画も 仲間と共にガイド活動を実行しました。
ガイドの稼働日人数・顧客数を 毎月末に コンベンション協会に報告する事を求められています。
報告書作成資料を 公財・瑞鳳殿のボラガイド卓に取りに行きました。


境内に 「仙台・宮城DC」の幟が券売所前に はためき 「DC」袢纏を着用した幹部等がずらり。
大手旅行会社等の方々を 学芸員が説明し コンベンション協会職員が誘導中でした。

ボラガイドの制服 「五乱星陣羽織」着用し 一緒に並べば 枯れ木も山の賑いと思いましたが・・・・・・・
突発行為は オジャマムシ かと 断念しました。



5 月 28 日 (月)  



毛利の殿様 伊達家家臣に?

家紋に20代の若手が関心を持つと アカトンボの想定を超える質問される事暫し。

その1.
昨27日 暑い中 黒系の背広にネクタイと 一応の正装で 奈良県から参拝に見えた団体がありました。
参拝・説明の後、20代の若手から「伊達家は8家紋と言うが、我は1家紋である。社会的に不公平ではないか?」の質問が。

なぜ この様な発想になるのか?
この人は 先祖が居ない 新人類なのか? 日本史・西洋史の知識皆無で 採用試験を通過したのでしょうか?


その2.
24日政宗公遠忌法要後、若い女性から「伊達家の家臣に毛利家の方がいるのか?」と質問されました。

「伊達家に 長州36万9千石毛利家から男性が 宗家始め一門・一家に入られた事は見聞きしていません。また、戊辰の役で 奥州を攻撃した主体は長州です。毛利家の家紋で参列は 互いに抵抗があると思いますが。
毛利家の方は 居ない筈です。なぜ?」に

「仙臺藩志會の裃行列の中に 毛利家の家紋の方がいた」
「毛利家の家紋は?}
「白丸1ケ 中段に 白丸2ケ 下段に 一文字の一です」


毛利家の家紋は「一文字三ツ星」と称されるもので、「一文字の一 の下 中段に丸1ケ 下段に丸2ケ」で 似て否なるものでした。

ちなみに 若い女性の示された家紋は「渡辺星」と称するもので 嵯峨源氏の末裔源綱が摂津国西成渡辺村に本拠を構え 渡辺を名乗るに由来する家紋でした。

仙臺藩志會の裃行列の中の「渡辺星」と誤認された様です。
でも 参加者の家紋 つぶさに観察されたには 敬意を表します。

事務所の「ワタナベ」様に 紋所は お尋ねしましたら 「渡辺星で葛西系です」と。

「先祖を千年、遡る」丸山学著によれば、「渡部(ワタベ)」姓は大和時代から存在した とあります。果たして 「ワタナベ」様は?



5 月 27 日 (日)  



誠に快適な気候 皐月晴 です。

瑞鳳殿でのガイド希望の方をUさんが案内して 見えました。
現在 「地底の森」で何万年前の世界をガイドされているとのこと。

ここも 怪我も全て 自己負担・自己責任です。違いは、400年前から紹介と 完全屋外です。気分爽快な環境での活動ですと お話しました。 

会の名簿と公財・瑞鳳殿に登録しました。Kさま。ご活躍を 期待しています。

朝1番 沖縄本島からの20名様
「唐獅子」を「シーサー」と言われる前に 「唐獅子」ですと説明の上 ガイドしまいた。
皆様 懸命に聞いて下さいましたが 質問はありません でした。

沖縄のお墓は 堂々たる家の様ですが どの様に埋葬されるのですか と尋ねました。
普通の人は 瀬戸の四角な箱に、長老等のエライ人は 大きい箱になります。今日のメンバーは 駄目ですネ とカラカラと笑っていました。


10時30分 仙台市柳生雀踊連30人が瑞鳳殿・涅槃門前と感仙殿地区広場で 雀踊を 奉納しました。
「377遠忌法要の24日を考えましたが、学校・勤を 休ませるわけに往かず、昨日は少学校の運動会があり 今日になった」と 世話人さんの解説。

感仙殿地区広場での演舞。笛・太鼓の音色。青葉の籠れから響いてきます。

御客様に「雀踊を 奉納 年に1回 です。千載一遇の機会です。瑞鳳殿は逃げ出しません 待っています」に 瑞鳳殿参拝前に見物に向かわれました。
戻られるのを 待って 瑞鳳殿本殿までガイドしました。


「1945年7月10日 仙台大空襲の際 両親は 柳町にいました。土井晩翠の生家は○○を営み お付合いがありました。私は1955年に仙台を離れました。瑞鳳殿について記憶は皆無です」と 丁重な自己紹介され 依頼された方。

「皆様の御寄附で 再建したのは 1979年です。それでは この写真には 御記憶は?」と 再建前 標柱のみの写真をお見せし 本殿迄40分。
「母は健在です。良い土産が出来ました」

親孝行の お手伝いが 出来たとは 望外の喜びです。



5 月 26 日 (土)  



仙台・宮城「伊達な旅」の当番日。

9時前、東京からの中高年25人の団体。酒香は無く、最後まで、如何なる職種で構成された団体か 謎が解けないままの団体でした。

ガイド終わったら 涙 止まらないご婦人が 本殿前に佇んでいます。
「80余歳で亡くなり 七回忌法要を済ませた 母の命日も 5月24日 政宗公と同じ日。「感涙止まらず」 「ガイドさん 焼香します。線香ありませんか?」
大香炉の香箱を紹介しました。線香に炭火で点火されました。香箱にゴ芳志を入れませんでした。でも なにも申しませんでした。

岡山からの老女 一人旅。昨日は平泉・今日は瑞鳳殿。ガイド終わり資料館に。

「ガイドさん VTR ガイドさんの話のとおりでした。ガイドさんが作ったのですか?」
VTRは 瑞鳳殿と仙臺の景観を 大変よく・綺麗にまとめています。専門家が制作したもので、あかとんぼ には あれ程の芸術性・技能がありません。

最後、新潟からのご夫妻。サラーと10分での 御注文。涅槃門から本殿まで ピタリ10分で まとめました。

此処で12時 36人で終了。
当番は原則 9時30分から12時30分迄となっています。8時45分から45分の前倒分あります。差引15分超過です。


着替 仙臺藩志會常任理事会に初参加。

本HP「藩祖伊達政宗公瑞鳳殿ボレンテイアの会・瑞鳳殿あかとんぼガイド日誌」の報告を求められ  出力したもので

「飽く迄個人のものですが、(公財・瑞鳳殿)とリンクしていた。

ガイドの立場からの瑞鳳殿での動き、遠忌法要等の催事は 速報性の確保、正確性(公財・瑞鳳殿から資料を頂き)を確保し。
平易・簡潔に記載し 即日 掲載しています。
24日は64回 閲覧されています」と報告。

その後の自由討議で 仙臺藩志會として HPは 必要か が話題になりました。

「由緒ある団体で HPを 持たないのが 社会的に不思議で 会の目的からも 開設が当然と思います。開設の作業に参加させて欲しい」と 発言しました。



5 月 24 日 (木)  



政宗公377遠忌法要

9時30分 仙臺藩志會会員裃30人に、関係者で一行50人が、瑞鳳寺を始めとする臨済宗 9カ寺住職、伊達家ご当主に続いて、瑞鳳寺山門前を出発。

62石段登壇後、尺八奏者、仙臺藩志會幟が先頭に 本殿前に。

9時45時 奉献の儀
 献花 本原遠州華道八世家元  朴澤 一草 様
 献香 仙台藩作法宗家       伊達 泰宗 様
 献茶 石州流清水派宗家十一世 大泉 道鑑 様 
 献笛 仙台藩虚空山尺八寺    布袋軒玉堂 様 

9時40分  読経
 瑞鳳寺・瑞巖寺・覺範寺・資福寺・保春寺・東昌寺・光明寺・満勝寺・善應寺 の各ご住職。

10時15分  焼香
 仙台伊達家十八代当主     伊達 泰宗 様
 殉死者後裔会副会長       加藤 孝  様
 仙臺藩志會副会長         伊達 宗行 様
 大年寺会会長            阿部 和子 様
 公益財団法人瑞鳳殿常務理事 大崎 啓一 様
 再建事業建設会社会長      松井 角平 様
 霊屋下町内会会長         長門 一彦 様
 向山経ケ峯親交会会長      菅原 義男 様

10時20分 挨拶
 仙台伊達家十八代当主     伊達 泰宗 様
   仙臺藩志會始め関係者のご支援で 古式による法要ができました。これも政宗公の御遺徳であります。
   伊達家の文化・誇りを後世に伝えるが当主の務めと思っています。今後とも よろしく。

 仙臺藩志會副会長         伊達 宗行 様
   仙臺藩志會は、政宗公を始め 伊達家の歴代の当主等の偉業を顕彰俸賛し、伊達の歴史・文化を広く社会に伝えるを目的としております。
   世情の乱れに、「今のして政宗公ありせば」の感を深く致します。政治は決断力を失い、経済に昔日の輝きを失い、社会は閉塞感に包まれています。常に前進を図られた政宗公は 如何されたでしょうか?
   1611年に慶長の今回と似ております。政宗公は、2年足らずに 支倉を 羅馬に派遣し、また、その翌年、大阪の陣に参陣しております。   この高度の政治判断と、迅速な部隊展開を要する局面です。政宗公は巧妙に切り抜けました。
   毎月「伊達学塾」を開催しています。世に知られない業績を発掘・発表して参ります。例えば「大津波と政宗」と申すテーマも見当中です。 

10時30分 閉式


例年の涅槃門前 参列者 集合写真の撮影は 諸般の都合で 取りやめになりました。
撮影しようと 張り切っていた あかとんぼに、毎年撮り続けていると称する お嬢さん達 から 落胆の呟き しきり。

このお嬢さん達 「この後の十八代当主の行程を知らせて」とせがみます。
「ご当主の行程は わかりません。青葉神社には別の日に参拝されるそうです。青葉神社の祭神、青葉祭りの由来は御存じですネ。11時からの祭礼に 裃の儘 直行・参列します。急げば 間に合うかも」
「オジイサン ありがとう」 駆けて行きました。まにあったかな?



2004年2月8日日誌に次ぎの様に記載しました バレリーナー加藤有華さん姉妹と 会いました。
姉様とは 1年振り 妹様とは8年振りのご対面。

「 11時15分から、バレー「ジュリア」公演安全祈願と報告の参拝がありました。本バレーは1974年、瑞鳳殿から発掘された金製ブローチ(国宝指定)から着想を得た伊達家34世現当主の原作で、壮大溢れクラシックバレーの概念がスケールアップされた舞台と称されるものです。3月28・29日の仙台公演に先立ち、ご当主はじめ関係者80人が参拝されたものです。この間30分のみ本殿が開扉されました。
 政宗公が物語の主人公ですので、関係者、特に女性の服装は黒がベースでした。黒のセターに金製ブローチ(国宝指定)に、更に宝石をはめ込んで伊達風のネックレスで胸元を飾った方がおりました。さすが勉強され、よく表現されていると感心しました」

十八代当主と 一緒の写真欲しいとの事。 拝殿で御道具を仕舞われていましたが、気持ち良く応じて頂きました。
美人とエライ人には からきし弱いアカトンボです。よく撮れ ホッとしました。


着替えし ガイドを。
福島・須賀川からの 中学生にガイドに頼まれませんが 売り込みガイド。伊達家の由来・伊達家の須賀川攻め、松明祭りの由来 全て予習しています。

「我が家の家紋 横三引き両」と 申す子がいました。名札着用です。怱々たる家名の姓です。由緒ある一門の末裔でしょう。


12時ガイド終了。駕籠の中で 携行兵糧を使い、仙臺城本丸に移動。

世界一の駕籠製造会社の一行の到着を 待機。ガイド。


本日 一番の驚き 感激は 肥前・名護屋のY様 熱烈な政宗公フアンで、全身 政宗公グッチで纏い 年に数回 遠路を厭わず 参拝に見えるます。
24日本日 休暇が取れないと 前日の昨日 参拝にお出でになり、「あかとんぼ 元気か」と 事務所に 足跡を託されました。感謝です。
3.11後 お見舞いの御言葉を頂いています。会いたかった。



5 月 22 日 (火)  



列島大開発時代と伊達騒動

現在 仙台市博物館では「企画展 仙台藩の御家騒動 寛文事件を追いかけろ」を6月10日迄 開催しています。

実に 見ごたえのある 参考になる 企画展示です。
昨日の勉強会での善應殿の説明で 綱宗公について詳しく知りたい方は 「博物館の企画展を御覧ください」に 頷いた方 数居りました。


17日仮称大泉学園の講座が博物館で開催され、企画設営された 館最年少美人○○学芸員が「博物館の会」で2時間講義を圧縮 1時間講義されました。
時間が2分の1は内容は3分の2位になります。理解の糸が繋がら無かった個所 仙台市史・近世2 で復習。


関連企画で 表題での 平川新教授の講演が19日ありました。
日本国に於いて縄文時代からの人口統計から 3回国土大開発時代があった。2番目は1600年代である。
その歴史的前提は何か、なぜ 開田政策になり、それが 寛文事件の発端となったか。興味深々の内容でした。


昨日は 綱宗公の年譜を資料で配布 詳しくは語らず、 また 自画像を基にした 御木像の写真は お見せしましたが、駆け足気味であったとと反省しています。心残りの方 ご連絡頂ければ 現場で 一緒に再度 勉強し 完全燃焼しましょう。
博物館を見学されている方は ほぼ満足頂けたと思います。



綱宗公302遠忌法要が6月4日(月)10時から 善應殿で 祭されます。
伊達家ご当主様から ご案内を頂いております。皆様も どうぞ。 



5 月 21 日 (月)  



「私の瑞鳳殿ガイド 感仙殿・善應殿を詣る」 と題して、瑞鳳殿・資料館・弔魂碑・感仙殿・善應殿・ 妙雲界廟・御子様廟を 市民の皆様43名を ご案内しました。

主催が ガイドの勉強会「ぐるーぷ・よっこより」で、10数年間 瑞鳳殿ガイドの勉強会を継続して 受講生も講師も マンネリ化した。その反面、瑞鳳殿以外の地区は 丁寧に語られていない。今年は 改善策として 感仙殿・善應殿等を主体に 「藩祖伊達政宗公瑞鳳殿ボランテイアの会」で 説明して欲しい と ご依頼があり、 あかとんぼ が担当しました。

以上から 瑞鳳殿は案内しない、資料は作らない。但し、感仙殿地区の資料は 今後のガイドに活用出来る内容を目途に 孫引き ながら 確かな図書・資料により 自己満足出来るものをまとめ 臨みました。

出発直前 初参加の市民の方が20人近くいるので 瑞鳳殿も説明する様にとの指示。
瑞鳳殿を ご満足頂ける様に説明し ご案内するには90分を要します。それでは 時間切れで 昨年迄の轍を踏みます。感仙殿地区を期待して来た20余人の期待を裏切り、あかとんぼの準備も水泡に期します。瑞鳳殿の資料を持参していません。渋りました。

しかし 是非との事。瑞鳳殿の説明を骨格迄圧縮、感仙殿地区は 詳細は配布資料を後ほど お読み頂きだく、説明は1度1回限り に変更しました。それでも 短縮できる時は 少々で予定時刻20分超過し 終わりました。

弔魂碑・感仙殿・善應殿・ 妙雲界廟・御子様廟・石造文化財  全部を回りましたが 100% 丁寧に説明できなかった の感じがあります。
新規参加の方も、多年の参加者も 何れも 同じ思いに至ったのでは。 
落語 「3方一両損」

質問
1.瑞鳳寺の僧侶・寺族は 伊達家と血縁があるか?
2.善應殿前 渓叟の末裔の墓は 瑞鳳寺墓地に所在する 熊谷家の墓所か?

答えましたが ここには 記載しません。

配布資料 12頁中 誤植4字ありました。ゼロを目指したのに 残念です。
1.1頁 瑞鳳殿再建  8億円 (×5億円)
2.3頁 こうやまき樹高 30m (×20m)
3.10頁 斉義公 切込接(キリコミハギ)石塁築堤大工事 (×萩)
4..10頁 芝姫 真明院と号す (× 貞)



5 月 20 日 (日)  



青空に 新緑輝き 暑からず 最高の季節です。

城下では、昨日と今日 あおばまつり が催されています。
協賛のトップが 公益財団法人瑞鳳殿で、以下 仙台で 名前の知れた老舗・会社と続いています。
公財・瑞鳳殿の協賛金 7桁でしょうか? 

あおばまつり は本来は 青葉神社の祭典です。青葉神社の祭神は 政宗公です。政宗公が今 休まれているのは 瑞鳳殿です。
となれば 主宰者になるべき立場・・・・・・・高額の協賛金?????


10時10分 御当主を総大将とする 五葉山鉄砲隊の出陣式が 涅槃門前広場であり、政宗公に参拝、三献の義(御神酒・鮑・勝栗)の後、勝声(カチドキ)を上げ 法螺貝を吹き鳴らし 城下に出陣して行きました。

草鞋を履いて 鎧兜と具足を着用しています。鉄砲隊ですから 機動性が求められます。侍大将に比較して軽いと言っても それなりの重量がありでしょう。また、後継者難のか。 老兵二人 行進前に 杖をつき 62石段脇道を ヘタヘタ 息切れ切れ 登って来ました。

思わず 待機していた御客様から「おつかれさま」 「ごくろうさま」 の声援が合い飛びました。
老兵には 参加する事が 人生の生甲斐でしょう。でも 御城下の行軍・行進 出来たでしょうか。老兵の一人として心配です。


泉州・堺の雀踊り連一行30人始め 200人近くのお客様が 撮影しながら 楽しまれました。
独り 頂けないお客様がいました。 携帯電話で実況中継され そのダミ声を 634cm四方に響かせたことです。


お嬢さん 涅槃門前 ベンチで 動きません。五葉山鉄砲隊を見物していた方です。相当の時間を経過しています。同行者が資料館見学しているのかと 「お連れさま 遅いですね」 「イエ 一人です。新緑輝く この雰囲気で 政宗公と時を共にしております」

「ハア この場所 涅槃門・拝殿を背景に 直接写りませんが 背に政宗公を 最高の位置です」
撮影後 涅槃門をガイド。 

拝殿を向き 「御客様 熱烈な 政宗公フアンとお見受けしましたが、片倉小十郎  側近no1 御存じですね。この灯篭 片倉小十郎の息子が寄進したものです」

「はい 熱烈なフアンです。片倉小十郎重長ですネ 景綱でなく」 本物の歴女です。
「実は 17日にも来ました。雨で 御客様もガイドもいませんでした。静寂の中で 政宗公と 時を過ごせました。今日はガイドさんから 良い話を聞けて 嬉しいです。ペアで写真撮らせて」 「ハイ どうぞ」

大阪から 4日以上仙台に滞在し 2日も瑞鳳殿を参拝される。ありがとうございます。政宗公も同感と思います。


「ガイドさん 先程 感仙殿前で 戊辰の役 会津の人 墓参と語っていましたが 詳しく教えてください」と 老夫婦 売店に見えました。
「会津の人は 戊辰の役弔魂碑と知れば 香を上げ お詣りされます。10月10日10時から 慰霊祭が催されます。お客様 会津の方ですか?」
「うん 秋保温泉で 瑞鳳殿を お詣りしなさい と勧めてくれたのは このことか イヤ ありがとう」 「ところで 美味いもの 食べたいが どこが?」

「美味いもの と申されても 若い人なら 牛タンでしょうが 和食 昭和天皇がお泊りになられた 伊達伯爵邸を移築した ところのミニ仙台箪笥に 山海の美味を詰めて 味わえる店があります。城下は祭りで 混雑しているでしょう 郊外ですが 至近で行けるでしょう」

「うん 電話番号教えて ナビにセットします」 瑞鳳殿職員が 市内略図と共に渡してくれました。ソコソコニ 飛び出して行きました。



5 月 18 日 (金)  



寶華殿

愛姫・陽コ院の御霊屋「寶華殿」が 重要文化財に国が指定される事に決定したそうです。慶賀の極みです。

霊屋建築の典型として、女性を祭るに相応しい繊細優美な建築として評価されたそうです。
2009年の眩しい程の化粧直し(黒漆塗・極彩色)の効果でしょうか。


佐竹義重公 没後400年祭
親戚でありながら 敵味方 戦い相手 佐竹家。秋田初代義宣公の父 義重公。その居城 六郷城址で 佐竹北家21代当主佐竹敬久様に 旧領常陸国からと 180人が 参加 記念碑の除幕と式典を 本日 開催されました。

伊達家18代当主伊達泰宗様が文芸春秋「歴史特集」に 政宗公に文を書かれています。
佐竹敬久様は、没後400年の義重公に文を書かれています。

伊達家で政宗公が、佐竹家では 義重公なのでしょうか。



5 月 15 日 (火)  



太山府君

伊達家11代斎義公は、1824(文政7)年 瑞鳳殿東側斜面を廣瀬川からの侵食を防ぐ為、切込接(キリコミハギ)石塁築堤大工事を施工しました。
この大工事の石塁築堤は、その後の洪水復旧工事・道路(鹿落坂・東街道)改修工事によって組み込まれたのか 名残は見当たりません。
ただ、工事があった事を物語るものとして、「太山府君」碑があります。

瑞鳳殿東側斜面 道路間際に 土と草に埋もれ 多くの人々が 知らずに通り過ぎる中にあって 「泰山府君」信仰の方でしょうか 花と香を手向ける方もいます。


昨14日 宮城歴史研究会「米ケ袋散策」に参加しました。
廣瀬川左岸から 対岸経ケ峯を望み 斎義公の侵食防止工事が話題になりました。

講師の柴様から 参加者を案内して欲しいとの 急遽の要請を頂き、僭越ながら「太山府君」碑を ご案内しました。

200年前と現在では、廣瀬川の水流と道路の変化から 条件は変わり、築城に匹敵すろ大工事の必要性は 容易に思い浮かびません。
仙臺城を築城し町を開いた先祖に対する 末裔11代様の思いを あかとんぼ の拙い説明で 如何程ご理解頂けたかです。


碑に「太山府君」と深く刻まれています。先人の解説には「泰山府君」もあります。


泰山府君とは、kotobank(http://kotobank.jp/word/%E6%B3%B0%E5%B1%B1%E5%BA%9C%E5%90%9B)によれば

「中国の五岳の一つ東岳泰山の神。東岳大帝ともいう。山東省泰安県の泰山は古来,天神が降り,死者の霊魂が寄り集う冥府がある霊山とされた。この山にあって人間の寿夭(じゆよう)生死をつかさどり,死者の生前の行為の善悪を裁く神として信仰されたのが泰山府君であり,その起源は後漢(25‐220)のころにまでさかのぼりうる」とあります。

太山府君とは、wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B1%B1%E5%BA%9C%E5%90%9B)によれば

「太山府君(たいざんふくん)は、十二天の一人焔摩天に従う眷属の一人。中国の泰山の信仰と結びつき泰山府君とも書かれ、道教では東嶽大帝(とうがくたいてい)とも呼ばれる」とあります。


「太」と「泰」 と1字違いです。1字違えば 中身が違います。上記のとうり 神様ですが 同一の神様ではありません。


あかとんぼ が なぜ 拘ろのか。

今は昔 経ケ峯地区を調べた際 「太山府君」碑の碑面を確認 レポートを提出しました。生涯学習の先生から 先人の書は「泰山府君」である。お前は 間違っている と厳しく叱責されました。心の傷に残りました。

歴史学習は 遺跡等現物が大切で 先人の書 孫引きが優先する事は決して無いと 思っています。

「歴史は足の裏から知れ」 歩く事によって 土地の微妙な高低を知り 先人の生活を体で知れて 歴史を理解出来る。移動は最小限 自転車にとどめるべきだある旨 仙台市史編さん室長の菅野先生は 富沢地区での学習の際 語られました。至言です。
ですから 博物館・大学の先生の講話は 信頼しています。 


さて 21日 「私の瑞鳳殿ガイド 感仙殿・善應殿を詣る」と題して 「ぐるーぷ・よっこより」の依頼で 「瑞鳳殿ボランテイアの会」を代表して 現場で語ります。目下 信頼出来る図書で 説明資料を編めています。遺跡等現物の前で 「孫引き」ですが、誤り無く 語るつもりです。

お時間ありましたら 金環日食を観察後の 10時30分迄に 瑞鳳寺山門前に お出で頂き 御指導頂ければ 幸いです。



5 月 13 日 (日)  



目に青葉 新緑がキラキラ輝いています。

天皇陛下・皇后陛下は、、3.11被災者のお見舞いに 仙臺に行幸されました。
天皇陛下は 心臓の大手術された直後の御身でありながらの行幸であります。有難いことです。

併せて、詳細不詳の国際会議と国際ハーフマラソンが、行幸に協賛したのか?開催されました。
これに伴い、連日 城下の全幹線道路に 交通規制が実施されました。

あかとんぼ 瑞鳳殿に辿りつけない可能性があり、早々巣発。規制準備中を横目に ひた走り 8時30分に到着。瑞鳳殿全職員 スタンバイしていました。あかとんぼ も待機に入りましたが・・・・・・お客様は お見えません。

8時50分から規制が始まりました。相役 9時30分過ぎても 姿を見せません。
規制で 右折を求められ 同じ所 グルグル回る事になり 青葉山・八木山・向山と山々を巡り 80分要したと10時30分頃到着しました。
仙台の地理に詳しい人で この苦労です。参拝者が見えないのは 当然です。


10時 初めてのお客様。交通規制でループルバスが運休で、「ホテルから歩いて来ました」と申すご夫妻。拝殿から本殿に達した時点で、「汽車時間に間に合うか心配になりました。モウいいです」と断られました。

このお客様
1.仙台駅まで 歩く。でも 所要時間 不明で 本当に 心配になったのか。
2.瑞鳳殿は政宗公の墓所と知り 墓所は不吉と 厭になったのか。
3.暇そうな老人がいる。カラカッテやろうと 声をかけたのたか。
4.ガイド内容が 求めるものと 異なったのか。
正解は 何番でしょう。


千葉・埼玉・神奈川の東京圏 3組10人、表示板前からスタートしました。
「此処は 仙台の町を造った伊達政宗公の御霊屋です。伊達男と言われた政宗公には 本殿で ご紹介します。お楽しみに。もし ガイドつまらなかったら どうぞ いつでも 列を 離れてください」と スタートしました。

質問される方おり 丁寧に語りました。全員 最後迄 聞いてくれました。時間40分要しました。

埼玉のお嬢様 帰路 涅槃門の彫刻 丁寧に何枚も撮影していました。ガイド内容を理解され その気になったのでしょう。
神奈川のお客様 家紋「三引両」から 帰宅したら 早速 図書館から「吾妻鏡」借用しよう と申されました。鎌倉の方でしょうか。
千葉のご夫妻は 被災状況に関心がありました。写真・現物(寶筐印塔・奉納供養灯・避雷針等)で 詳細にガイドしました。


本日 最後は 神戸からの老夫妻と息子様でした。
神戸からと知りましたので、向揚羽蝶の説明の際「生田神社で結婚式された・・・・」 「○○さん」と時を置かないで返ってきました。
3.11災から 神戸地震に。人的被害は無かったとの事。「物損は 働けば取り戻せます。命は取り戻せない。不幸中の幸いですね」 頷く。


11日 仙台観光コンベション協会主催で 仙臺を代表する企業・職人が名産の工芸品(8社)に食品(26社)を奉納されました。
本殿前と資料館に 現物と奉納品目が展示されています。

工芸品は 硝子細工に木彫厨子等 あかとんぼ 初見。素晴らしい作品ばかり です。
食品は、お馴染みの笹かま、味噌、お酒、牛タンに駄菓子です。

「ガイドのみなさん 奉納された 仙台駄菓子 どうぞ」と (公財)瑞鳳殿様から大箱を頂きました。
菓子にも 鮮度があります。早速 馳走になる事にしました。

箱に 「瑞鳳殿様からです。お好きなものどうぞ」と 標記しました。ガイド先着順です。
平日にも ガイドされ 御馳走になってください。  
 



5 月 11 日 (金)  



政宗公377遠忌法要

5月24日9時45分 瑞鳳殿 で開催されます。
仙臺藩志會では裃で参列し、行列は9時30分瑞鳳寺山門前を出発します。

伊達家当主伊達泰宗様 仙臺藩志會会長伊達洋司様 公益財団法人瑞鳳殿理事長伊藤敬幹様 連名でご案内を頂きました。

例年 花・香・茶・尺八・雀踊り等の奉納があります。
法要 終了 関係者退場後 一般に開放され 焼香・御対面が 出来ます。 



5 月 9 日 (水)  



政宗公 生誕の地は?

「1567年8月 羽州置賜郡米澤で生まれた」と伝えられています。

平城である 現在の 米沢城址に「政宗公生誕の地」も標柱が立てられています。
1567年 戦国時代 戦乱にあって 原っぱの平城が 存在し 伊達家御曹司 の出産が 行われたものか 多大の疑問があります。

米沢市教育委員会は2001年から館山城址の発掘調査し、現地説明会・公開討論会を開催しており、U氏と共に参加しております。

今月から 1.本丸跡 2.石垣を含めた範囲の確定 等調査・発掘をすると 河北新報は5日に報じました。

政宗公産湯に使った井戸跡が 発見されるかも。秋開催の現地説明会が楽しみです。



5 月 7 日 (月)  



龍ケ崎陣屋

伊達家一萬石の領地で陣屋の在った龍ケ崎。現在の龍ケ崎市。
2009年10月16日仙臺藩志會では、龍ケ崎市を訪れ 龍ケ崎市歴史民俗資料館湯原次長にご案内頂き、市内所在 伊達家関係社寺仏閣・史跡を つぶさに拝見しました。

懇親の席で 「古代の龍ケ崎は毛野川(鬼怒川)・蚕飼川(小貝川)・常陸川などの河川が合流する葦原で、気象条件によって達巻が発生、川水えお巻き上げて天に届く竜巻の様子が「龍の昇天」を思わせ「龍の立つ崎」と地名 龍ケ崎 になった」と 龍ケ崎市長が語りました。


2012年5月6日13時頃 龍ケ崎市近郊のつくば市を中心に 伊達家発祥の地(伊佐の庄)である筑西市等で 大竜巻が発生。大被害に見舞われました。
万民 記録の時代。龍の昇天を思わせる 映像を テレビは流しています。
被害者の中には 原発避難の方多数含まれる とも報じています。御気の毒です。

政宗公の時代と変わらず 自然による災害 地震・津波・洪水・竜巻には 勝てないようです。



5 月 6 日 (日)  



「企画・特別案内」・ゴールデンウイーク 最終日

今日迄が ゴールデンウイークと理解していました。
観光関係機関は旗日のみゴールデンウイークと計算されて5月5日迄で、 日曜日6日は 普通の日曜日と計算された様です。

「企画・特別案内」についての広報は、 4/29・30日 5/3・4・5日の5日と 広報されました。
あかとんぼ 6日は 旗日に連続する日曜日であるから 御客様はお出でになるだろうと 6日迄と セットしました。読みは外れました。

本日 参加者 皆無でした。正確には 1人見えましたが 駐車場確保出来ないと 断念されました。モッタイなかった。
結果として
あかとんぼ 29.・6日で ゼロ
U様 30・4日で 15人
NM様 3・5日で 12人

今回 仙台市以外 関西からもの参加頂いております。広報の仕方に工夫の余地がある様で、研究課題です。


通常ガイドに入りました。記憶に残った事。

1.瑞鳳寺山門前 車転回場に軽自動車が駐車。迷惑駐車です。
 お嬢様は 「チョット」と申されましたが、瑞鳳殿は 東参道を登り 瑞鳳殿の脇を通過(拝観料払わないで チラット見る方法) 西参道を下る1周コース 15分は要します。「チョット」の時間内でしょうか?

 「チョット」の時間は タクシー運転手のトイレ使用時間でないでしょうか。時は金なり 早いです。停車・○○・発車 瞬時です。


2.自転車で参拝と豪雨です。
 参道入口にツアー自転車。「日本一週ですか?、どちらから?」 「そう。阿波徳島から、27日出発 昨日仙台に。 雨に降られて・・・・」

 徳島から仙臺迄 1100kmを 9日間で。
 3日の豪雨(爆発性低気圧)に見舞われた様です。
 本日 13時30分頃 一転天 青空から暗黒 闇夜の真夜中になり 雹と大粒の雨に雷鳴 30分程t続きました、
 政宗公は 地震・津波・豪雨・雷鳴の地に 良くぞ城を築き 町を 開いたものだと感心しながら走ったいるのでは?

 午後のガイドの仲間 どうしたかな と心配していたら 中止した との電話がありました。


3.まちかとタイムトラベールは正常か です。
 政宗公肖像画の表示板に「まちかとタイムトラベール」と表示があり 携帯電話で照射すると 昔の瑞鳳殿の画像が 映し出される筈の装置があります。

 お嬢さん 映らないと 首を傾げていました。
 あかとんぼ ここ2−3年 試した 映ったを見た事ありません。どなたが設置され 管理されているのか。写らないのであれば 表示を撤去すべきだと 思います。


最大9連休のゴールデンウイーク。この間 櫻が咲き 散り 新緑がキラキラ輝き 季節の変化は、瞬時 1年で一番 早かったのでは。
あかとんぼ 元気で6日間 ガイド出来ました。 御支援くださいました みなさま ありがとうございます。


 
  



5 月 5 日 (土)  



子共の日

「企画・特別案内」 お客様 何人お出で頂けるか。心配。
10時ギリギリ 2人駆けつけて来ました。ホッ
英語通訳会「ゴ・・・・」のメンバーの方いました。 これ機会に 一緒に瑞鳳殿ガイドをしましょう 誘いました。

観光ガイドは 英会話が出来るだけでは 出来ない事 十分 了知されていました。
通常 日本国語でガイドされ 日本国語圏外から見えたら 実力を発揮して頂く、期待しています。


午前 感仙殿前 「新修先廟記」 撮影・記録しました。

午後 通常ガイドに。
昨日の参拝者 2000人前後らしい。本日は記録を更新した様です。

4-5人の依頼でガイドしている内に 団塊になります。

いわき市からの 長老夫妻に 子供夫婦3組に 孫と計14人。長老が仕切っています。「ガイドを頼みました。聞くように」 「孫は 政宗公に 興味持っています マメに説明して」の指示。

孫達 に 平等に話しかけ 子供夫婦 喧嘩しない様に 40分ガイド。
途中参加で団塊になりました。いわき市のお客様と思い 子供に話したら 親 あわてて 「私達 別です」 

いわき市様と 弔魂碑前で再会。
綱宗公の甕棺と戊辰の役 について  語りました。流石 孫達は 興味無さそう。親と子は 興味津々 又一時。


15時。事務所に。疲れました。午前「新修先廟記」 撮影・記録しましたと 報告したら 「仙台市文化財調査報告書22 経ケ峯」に記載されています と コピーを頂き、柏餅を馳走になりました。 恐縮です。



5 月 4 日 (金)  



続々

「企画・特別案内」 6人のお客様。
「瑞鳳殿ガイドとは?」の心境の方3人、ガイドに挑戦されるでしょう。
30日(2回目)参加の兵庫県の方 友人を誘われ再度のご参加。
感謝です。
担当はUさんで 坂下の「鹿児島県人墓地」まで案内したそうで「 1時間 オバー 」疲れたーと 登って来ました。

通常ガイド お客様 10分間隔で 間欠泉の如く ボコボコと塊で お出でになります。
第2駐車場を開放しても入庫待ち。
午前で参拝者1000人を超えたでしょう。1日で何人になるでしょう。


瑞鳳殿を参拝された 御客様の 希望は 仙臺城 本丸です。ループルバスが 仙臺城 本丸を経由しないと 現場で知った時、仙台市に対する失望と落胆 は いかばかりか 計り知れないも あると あかとんぼ は 思います。


切れ間無く いつ ガイドを終われるか 内心 心配。 13時過ぎ 切れた瞬間で 本日 終わりに。


特に 記憶に残ったお客様
1.伊達家発祥の地からの青年達
 例によって「どちらから?」 「茨城県です」  「海側 山側」 「山側」 「常陸国真壁郡伊佐の庄 知っている?」 「それ 何?」
「伊達家発祥の地です。今を遡ること 1100年前・・・・・・・・・・」 「現在の筑西市 旧下館市中館522が伊佐城址と言われ 観音寺 があります」と 地図を広げましたら 「アツー 僕の家の・・・・・・」

9時開聞と同時のお客様で、冒頭は ふざけ気分でした 過去と現在を結ぶ 太い線を知り 真剣です。
1時間後 瑞鳳寺山門前で 再開。
「オジサン ありがとう。今度 彼女を連れて来ます。その節 宜しくお願いします」 と ニコニコ去って行きました。何年後に 彼女を連れて来るでしょうか?

2.大阪からの青年
 単身で「ガイド御願いできます、一人ですけど」 誠に 風格からして 似合わない。何故なら 髭の長身です。
「マンツーマン。歓迎です」 
 「大阪から3.11被災地ボランチイアに 奥州仙臺に。三陸海岸 順次 南下して来ました」
 「それでは お礼に・・・・」 
青年は 福を呼ぶ 大黒様か?  ガイド始めたら 20人程 御客様がゾロゾロ。
青年は 最後まで 聞き 満足の様子。
キット七福神 の一人で あったと思います。
 



5 月 3 日 (木)  



ゴールデンウイーク 後半
 

2012年05月03日09時55分警報注意報が発表された

<宮城県 仙台市東部>
暴風警報 ,洪水警報, 波浪警報, 大雨警報.. 濃霧注意報, 高潮注意報

<宮城県 仙台市西部>
大雨警報 濃霧注意報 ,洪水注意報 ,雪崩注意報

上記は 仙台市消防局からの「杜の都防災メール」です。


9時 当番のKさん、企画・特別案内担当のNMさん 雨衣着用 待機に入っています。
我も 雨合羽に ゴム長 完全装備で。

250mmと予想される豪雨の中 「企画・特別案内」 10余人の参加を頂き スタート。


ループルバス 増発されましたが 下車・登って来る方 疎らです。


本日のガイドを断念した仲間から相次いで電話。

午後予定の先輩に 現状を電話しようと思いましたが、「観光客は 予定を組み 参拝に見えているのです。雨位で 計画変更しません。期待を裏切ってはいけません」と 常に 豪語し、叱咤激励されて、自己判断・決断できる方です。電話を断念しました。


公益財団法人瑞鳳殿 幹部○○様から 「ガイドの皆様 ゴールデンウイーク 休む事無く 一意専心 ガイドされ感謝です。健康に留意した下さい」と銘菓を頂きました。
ガイドの皆さん 机上にセットしてあります。明日に向け 活力に。



5 月 2 日 (水)  



正岡子規

119年前の1893年8月2日 俳人正岡子規は、瑞鳳殿を参拝され、紀行文 「はて知らずの記」 に次の様に記載しています。

2日
宮澤渡の假橋を渡りて愛宕山の佛閣に上がる。門側天狗の像を安置す。茶店に氷水を喫しながら見下せば廣瀬川は足下数十丈の絶崕に添ふて釣する人泳ぐ人豆の如く、川のかなたは即ち仙臺市にして高楼書閣掌中に載すべし。

政宗公の廟に謁づ。老杉蓊鬱山路幽凄堂毅然として其間に聳ゆ。纔かに欄間の彫彩を覗ふ。門堅く鎖して入る能はざるなり。常人死して此榮を受く則ち以て瞑すべし。公に在ては此僻地に葬られて徒に香火の冷ならざるを得るのみ。豈に其の素志ならんや。旅宿に帰る。


老杉蓊鬱山路幽凄堂毅然として其間に聳ゆ。
太い杉は樹齢400年程と 教えられています。子規が訪れた時 樹齢300年程。当時から老杉であり 蓊鬱山路幽凄 の景は 現在も変わっていないわけです。
 

纔かに欄間の彫彩を覗ふ。
涅槃門の透かし彫の何枚かを纔かに覗いたわけで、見える範囲のみです。内外・表裏 10枚全て異なる透かし彫をを見比べたら 感想を如何に表現したでしょうか。

現代人は 見られるのにも 9割の方は 本殿に急ぎ 見ません。


門堅く鎖して入る能はざるなり
1945年以前は、伊達家の行事(年賀拝礼式。年忌法要)と 貴人の参拝 以外は 門は閉ざされてと思います。


此僻地に葬られて徒に香火の冷ならざる
経ケ峯は 立地として 昔も今も 僻地と 決して言われない所です。唯 気軽に物見遊山に訪れる場所だわありません 故に 僻地 になるのかな。


豈に其の素志ならんや
子規は プラスの評価 それとも マイナスの評価 したのか あかとんぼ には 読めきれません。

馬上少年過 世平白髪多 残躯天所教 不楽是如何 の 不楽是如何 は その意が 2通り 有ると聞いています。さすれば これも そうかなと 思います。

どなたか 御教示お願い致します。


旅宿に帰る
南山閣(青葉区国見5-13-??)です。
10年程前 あかとんぼ 見学した際 あり、眺望 絶景 でした。
文学史蹟ですが私有地であるためか、それを示す標識などは一切ありません。


世界各地から年間 21万人(2019年)も参拝に訪れている 現況に接したら 正岡子規は どの様に 表現したでしょうか。



5 月 1 日 (火)  



長者様

「実測図 仙臺及び近郊の古建築」監修 小倉強 1973年9月・北匠会 発行 167頁の書籍が発見されました。

1931年7月21日から10日間 仙臺高等工業学校建築家の学生が小倉強教授の指導の基で、瑞鳳殿を調査し、その成果が 建築史学の権威伊東忠太・関野卓両博士に認められ、国宝に指定になりました。

概要は 仙臺郷土研究1931年8月号に掲載されました。調査報告書に詳しい内容を読みたく、県・市の図書館・県公文書館から 東北大学図書館工学部分館迄 探索しましたが発見出来ませんでした。

発見された書籍の構成は
仙臺城大手門から瑞鳳殿と 賀茂神社に至る 全31件の平面図等
解説 仙臺藩政時代の建築 小倉強
です。

学制改革・校舎移転で 次列記は所在不明との事。経ケ峯3廟が主体です。誠に残念の極みです。
1. 大手門装飾拓本
2. 瑞鳳殿配置図
3. 瑞鳳殿本殿及び拝殿の実測図
4. 感仙殿実測図
5. 善應殿実測図
6. 薬師堂本堂須弥壇写生 


本日誌に 瑞鳳殿・拝殿の扁額の色が変化したのかを調べて 東北大学図書館工学部分館に到ったと2011年12月に記載しました。

過日 公益財団法人瑞鳳殿のW学芸員が 「あかとんぼ さん これ」と 見せてくれたのが この本「実測図 仙臺及び近郊の古建築」です。狂喜乱舞。一晩借用しました。

返却の際 
「どのようにして 入手しましたか? 非売品で 図書館にも 無い本です」
「オークションで」
「さぞかし 高価であった でしょう。Wさんは 長者様 ですね」
キョトン としています。

邑の長者様は お金持・物持 です。





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