2013年3月の日誌
| 前々月 | 前月 | 翌月 | 翌々月 |




3 月 31 日 (日)  



サムイー  真冬?
瑞鳳殿到着時、ヒラヒラ 白い粒子が 宇宙を遊泳しています。

茶色ではありません。 全山 杉山の杉のの花粉は 飛び去ったか 見当たりません。
黄色でも褐色ではありません。古代文明発祥の地からの飛来すると騒がれている粒子でも ありません。

雪です。
春の七雪と言われる ボタ雪 ヌレ雪 ミゾレ ・・・

K嬢から携帯に 「本日 Y嬢と予定していましたが、体調不良で中止」と
健康と命が 優先です。「お大事に」
休みを早々に決断されたは 正解でした。

仲間のX氏 「タイヤ交換してしまった。無事帰られカナ」と心配していました。
16時現在 依然として降雪です。電話ありません。無事だった様です。


11時 感仙殿地区から 瑞鳳殿に戻りましたが 寒気 老骨に凍みました。低体温症の心配。
事務所にて 熱いお茶をUさんと共に 馳走になり 体を温めました。

ガイド位置に 生還し(戻り)ました。

依然として 大粒のミゾレです。
春衣に着替えた御客様は、傘を挿さず 黙々と 脇見せず 声かけしても聞こえません。急ぎ足で涅槃門を潜って行きます。
ガイドの存在が 目に入らず、 涅槃門 等 拝観の余裕が無いようです。

ガイドが傘を挿して 濡れなくとも 御客様が 濡れる様では おもてなしの心 ゼロ ガイド失格です。
11時30分 本日のガイドを断念しました。


名古屋からの浪人さん。
「どちらから」の 問いに 「名古屋から。ジロウです」
慌てました。
「ガイドの接点として お訊ねしたので 個人情報はカタラないで」

善應殿前で、「資料館展示の甕は 常滑産の甕棺で、1711年江戸で調達されています」と説明。
「これは、常滑焼の生産・流通・使途等の歴史・文化 また、上流階級の葬送文化を知る上 貴重な歴史遺産です」に。

「なぜ 文化財 国が無理なら 仙台市で 指定しないのですか?」
当然の ご質問。

この方、奥州仙臺は 寒冷の僻地の意識があったのか、冬物の外套でした。結果的に正解でした。

秀吉の桃山文化が華開いて、300年前の常滑焼が保存されいる 伊達・仙臺の文化に 認識新たにし感激していました。

されば、
「バス 博物館で下車、仙臺城跡に所在する仙台市博物館で 伊達家関係遺物を見学、中庭の政宗公像等を見学、そこの坂を本丸に登る。
この坂道は、政宗公が昇り降りされた道で、政宗公時代を体験出来ます」と勧めました。

返事の様子から 実行するでしょう。
実行すらば、サンロウすることなく 仕官(大学受験合格)するでしょう。


横浜からの母娘
瑞鳳殿 3大撮影ポイントを紹介。
高価一眼ミラーレスで 連写しています。
数撃てば 傑作に当たるでしょうが そこまでの整理が大変だろうとヒトごとながら心配。

涅槃門前で アカトンボの背と母親は前面のツーショット撮影。

姉妹 と思いガイドしていたら 「おかあさん」の一声で 母娘と 判明。
妙雲廟界まで ご案内。


公益財団法人瑞鳳殿企画展「写真でみる国宝・瑞鳳殿」

1面が畳1枚大の3面貼の黒板に国宝・瑞鳳殿の写真が張られた物が 全境内に10箇所設置され 明日から公開されます。

国宝・瑞鳳殿の写真と 文化財NO指定の瑞鳳殿現物と対比する企画。

学芸員 2人 ミゾレの中 全山 駆け巡って準備していました。
楽しみです。御客様の反応は?


明日発行の「仙台市政だより」 2頁 トップ は 櫻花満開の元 感仙殿と善應殿を妙雲廟界からの写真です。



3 月 30 日 (土)  



ポカポカ。

日向で 待機して居たら 知的で活動的 女性が ツカツカと。
「平日 ガイド お願い出来るでしょうか。土・日のみでしょうか? 実は 山形県上山の○○小学校の校外学習で 訪れたい。6月○日(水)です」

瑞鳳殿の公式HPを御覧なって、私費で下準備に訪れた様子。
小学生の為なら 平日でも 時刻を遣り繰り 無料で ガイドします。

「何人くらいですか?」
仙台市内の学校は、5-6人のグループで 入れ代わり立ち代わり 来ます。
ガイド要員 5-6人 待機が必要と思い 尋ねました。

「10余人です。 道路開通で 学童数が減少しました。」
「確定したら メール下さい。要員確保して お待ちしております」と名刺を差し上げました。

Uさん 現役時代に研修の地であったと、地形・地理に学童数減少現象も 理解していました。


朝1番の御客様 成人親子5人
「どちらから?」
「サルフツ から」
「稚内や 浜頓別が 隣の 猿払村ですか?」
「そうーです」

先般 稚内や 浜頓別から 参拝に見えました。いま 彼の地では 瑞鳳殿参拝がブームなのか。
ゆっくり と参拝されました。

村に櫻は、無いと申されました。
HPで 確認しました。

櫻の有無は 確認できませんでした、
日本最北端の村。開村90周年、人口2833人、ホタテの産地と ありました。


本日 2世代、3世代 連れが多い日でした。


ガイド仲間の意思疎通の目的で ノートを置きました。


花頭窓と 先輩は説明しているが、 火灯窓が正しいのでは?の書き込みがありました。

wikipediaでは 次の通り記載されています。

火灯窓
火灯窓・花頭窓(かとうまど)は、おもに日本の、寺社建築・城郭建築・住宅建築などに見られる、上枠を火炎形(火灯曲線)または、花形(花頭曲線)に造った特殊な窓である。ほかに、華頭窓、架灯窓、瓦灯窓などと表記する。また、石山寺の「源氏の間」に見られることより通称「源氏窓」ともいう。


元は、中国から伝来したもので、禅宗様の窓として使われていたが、安土桃山時代頃にそのデザイン性から、禅宗以外の仏教寺院でもまた、仏教建築ではない神社や天守などの城郭建築、書院造の邸宅に使われた例もある。富士火灯や琴柱火灯、山道火灯など多様な形のものが造り出されてきている。
また、仏教建築以外にもイスラム教やキリスト教の宗教建築にも同じように上枠を装飾的な開口としたものを見ることができる。



3 月 29 日 (金)  



保険

瑞鳳殿ガイドは、自己責任、自営業です。
先般の4月からのDC打合会で 新人の方々に 「ケガも 弁当も 自己負担です。保険、 ボランテイア保険 年間掛け金300円 死亡保険金87000万円、賠償責任補償4億円です。如何でしょうか?」と呼びかけました。

会員35人中21人が 加入したいと申し込みがあり、U副会長が代表して 手続きをしてくれました。
事故が無いのが望ましいですが 保険をかけて置きますと 安心して ガイド活動ができます。


あかとんぼ ガイド中に 御婦人から 婦人用雨傘の先で 背中を 突かれた事があります。
大事には至りませんでした。

春先は、並の世界を超越した方が参拝に見える事があります。
備えあれば憂いなしです。



3 月 26 日 (火)  



政宗公の密書

1589(天正17)年に、常陸の佐竹義宣公の配下 額田城主・小野崎昭通に宛てた 離反を促す密書(起請文)が、茨城県ひたちなか市の3・11災で被災した土蔵から発見されたと河北新報は今朝伝えています。

政宗公であれば、あって不思議でない事と驚きません。

湧いた疑問は、
1.被災した土蔵の所有者の先祖は?
2.額田城主・小野崎昭通とのかんけいは?
3.佐竹義宣公が久保田に配置換になった時、小野崎昭通は同行しなかったのか?
4.秋田の小野崎氏と 額田城主・小野崎昭通との関係は?



丸森・大内めぐり
昨年末 仙臺城門松で 御教示頂いた 「農産物直売施設(いきいき交流センター大内)}では

4月6日と7日に、
政宗公と相馬氏との合戦で政宗公が立ち寄ったと伝えられる冥護山館址等 名所・旧跡を郷土史家が案内する。
アゴ・アシ込 1000円。

昨日朝刊に記事として 大きく掲載されていました。
参加を考えましたが、仙台・宮城DC 瑞鳳殿ガイド 2日目。持場厳守から 参加断念しました。

興味ある方、0224-79-3151に 電話をどうぞ。



3 月 25 日 (月)  





23日3時間ガイドの際、石が話題になりました。特異です。

1.62石段
 62段の由来は理解する。
 a.なぜ 踏込がながいのか?
 b.いつ 作られたのか?
 c産地はどこか?

2.涅槃門前敷石
 雄勝石で15年程前の施工です。
 a.なぜ 雄勝石か?

3.涅槃門からの石段
 a.なぜ 段差が厳しいのか?
 b.産地はどこか?

4.左右石垣と灯篭
 a.石垣 左右 色が異なるのはなぜか?
b.石燈籠の奉納者はだれか?
 c.3・11災での被害状況は?

5.拝殿前石段・敷石
 a,之までの石と異質であるが?
 b.産地が異なるのか?
 c.段差 石段と異なるが?
 d.敷石 不等沈下しているのは なぜか?

6.板碑
 a.板碑とは?
 b.ここに所在する理由と歴史背景は?
 c.産地は?

7.妙雲廟界墓石
 a.大きさは?
 b.3・111災での被害状況は?

8.経ケ峯全体
 a..3・111災での被害状況は?


こらについて.
1.石段、石垣は、仙臺城石垣と同様に 城下・国見の石と理解している。
2.墓室は 秋保石と理解している。
3.板碑の石は 稲井石と理解している。
 1000余年前 稲井石をここまで運搬した事実 かなりの権力者が存在し、かつ、ここが聖地であったと推定できるのでは?
4.涅槃門前敷石が 雄勝石なのは 御当主の意向です。
5.妙雲廟界墓石は、横88p、奥行72p、高さ2m30p 三碑とも同じです。
6.拝殿前敷石の不等沈下は、3・111災とその後の余震によるものです。
7.3・111災では、瑞鳳殿で1基、善應殿で1基を除いて 全倒しました。また、御子様御廟の御墓も全倒しました。
と 回答しました。



仙臺城石垣修復工事に意見書を提出したと申す方。
1.仙臺城石垣を作った石匠の末裔が 石匠をしている。この者に工事を発注しべきである。
2.補修には従来石材を使用すべきである。
3.補修に 新規石材必要であれば 仙台産を使用すべきで 外国石材の使用は反対である。

意見は全てが採択されなかったが、外国石材使用個数が 修復工事記念碑に明記された。
と 語られました。

この記念碑 本丸にあります。碑文は 各自でご確認を。

石造文化財(高橋是清筆・西南の役戦没者碑)については、記載内容が話題になりました。 
以上から 3時間の長丁場となりました。



3 月 24 日 (日)  



寒い日です。

衣服を準春に着替えた身には こたえます。
北海道・網走からの 御客様 仙台は網走より 寒い との感想でした。

仙台城本丸址の青葉城資料展示館O主任学芸員が 10余名の若き男女を引率し見えました。
O主任学芸員の説明は、青葉城資料展示館で 何度か拝聴しております。

ある時 ある団体が予約しており 後ろで拝聴していたら ブレーキが効かなくなり 案内した団体の幹事から 予定が狂うから 止めさせてくれ と言われた事があります。それほど 知識を蓄積された方です。

「私共の施設にお出で頂ければ、入場無料・非公開個所の見学 OKです」と営業されました。
この来訪時刻にガイドして居た仲間 一様に営業されたようです。 

一行は、資料展示館の施設に勤務する新採用者で、伊達家関連を研修中との事。

あかとんぼ 帰り際に会ったようなので、
「仙台城址を訪れた 観光の皆様に (政宗公の御霊屋瑞鳳殿に ボラガイドが丁寧にガイドします)と 囁いて。
皆様 今日の復習に お出でならば 当然 丁寧に説明します」と 営業しました。


午後、2月の研修の追加として、瑞鳳寺境内と墓地(含鹿児島7士墓)を U氏とS氏を講師に 10人で90分学習しました。

仙台市史近世2 170頁 城下町の景観の項に
「清水小路にあった湯目氏(知行高500石)の屋敷 明治中期に描かれたもので、樹木が生い茂る武家屋敷のようすを詳しく描いている」
の説明の挿絵が記載されています。

この絵画が瑞鳳寺に所蔵されています。
住職は ある寄合で自慢され かつ 見に来る市民がいないと嘆かれました。

講師のUさんが 本堂をお詣りして かつ 画を拝見したと お願いしたら 「イイカラ」と 言われたショボンとしていました。
自慢され、嘆かれる 絵画 皆様に見て貰いたかったのに 残念至極です。

「イイカラ」 肯定 と 否定 何れの場合に使われます。
今日は 寒かったから 否定に使われたのか。
今度 温暖な日 お願いに参ります。キット肯定の「イイカラ」の返事でしょう。 


本日の収穫。

綱村公正室 稲葉氏仙姫 事 満壽院 の御霊屋(静寂殿)にあった灯篭 2本 瑞鳳寺に所在すると知っていました。
本日 3本目 発見しました。

いつ 瑞鳳寺に移転したか?疑問のあるところです。

静寂殿の在った満壽寺も瑞鳳寺と同様 伊達家のお寺で 明治維新で 伊達家の庇護を失っています。
1869年 稲葉氏仙姫の霊像を瑞鳳殿に遷し、以後、満壽寺は末寺・堂宇共々廃寺になり、静寂殿の門は、常念寺に、唐門は大願寺に売却され、今日に至ると聞いています。

瑞鳳寺も廃寺状態になり、1915年本山から特派された鎌田智勝和尚が再建に努め、今日の姿になったもので、1870年頃は石燈籠など購入できる状態でなかった筈です。

1915年以後に、購入したとすれば、それまでの期間 何処にあったか です。

御修覆帳には、奉納石燈籠 何基あったか 見当たりません。不明です。
総数が不明ですが、3基まで 所在確認したは 本日の成果です。



3 月 23 日 (土)  



3時間ガイド

あかとんぼ
「四ツ谷の水を街並に 市民の会」の名簿を汚しております。

実質 主宰者のNI嬢から、
「毎回 例会を休み のめり込んでいる瑞鳳殿。その魅力を紹介して」

事務局長SS氏から
「資料作って キッチリ 説明して」

のメール。
ごもっとも です。

政宗公は 1600年に仙臺城を築城し 仙臺の町を開きました。そして 川村孫兵衛に 城下の給水として 四ツ谷用水 の掘削を命じました。

これらの歴史経緯を良く存知、延長42キロと言われた水路の一部を 現在の市街に再現し、政宗公の偉業を広く知らしめ、流れを再現する事により 市街にうるおい空間を作りだし 観光者を含めた市民に癒ししようと運動している人達です。

会員には、作事奉行の宇津志惣兵衛の末裔、IS郷土史家身内、仙台藩志会会員ほか 歴史精通者 ゴロゴロしています。
表面的な 話であれば 聞かなくとも イヤ 替りに 語りましょうか の人々の集団です。

故に 「資料作って キッチリ 説明して」の注文になったのでしょう。
Uさん著作「経ケ峯ガイドブック」 の増刷をお願いし、今1枚 昔知る図面(1800年頃)と歴史総括を加え資料としました。
 

10時 瑞鳳寺山門前を 出発、
経ケ峯の水脈と、北山の水脈(輪王寺と青葉神社の池の水。北山隧道)の比較、新旧手水舎と水関連を加え、手持資料を最大限に公開、
瑞鳳殿・弔魂碑・感仙殿・善應殿・妙雲廟界・御子様御廟・石造文化財・3.11被災状況を 語りましt。
13時 瑞鳳寺山門前 到達。解散。

小学校ではありませんから資料見て頂きながらの説明は致しませんでした。
然し 資料に書かれた事以上に 語らせて頂きました。
話した内容に 間違い無かったかは 御帰りなりまして テキストお読み頂ければ幸いです。
と 挨拶。

1人を除いて 全員 ヨカッタ アリガトウ と申してくれました。



14時 仙台市情報・産業プラザに。
EPSON 主催「写真イベント」に出展した アカトンボの作品 「彩(あざやか) 瑞鳳殿東参道から見上げた紅葉」と「見て―仙臺七夕」
確認・鑑賞。

この作品 「それいけ写真隊(EPSONのホームページ または ブログhttp://proselection.weblogs.jp/」に 紹介される かもしれません。
その節 見て下さい。
 



3 月 21 日 (木)  



瑞鳳殿ガイドの会 臨時総会


結果概要

時 2013.03.21.9:45−11:20
所 仙台観光コンベション協会会議室
議題
1. 会員 紹介
2. 仙台・宮城観光デスネイションキャンペーン対応の件
3. ガイド当番確認の件
4. その他
(1) 瑞鳳殿ガイドの会・会則 説明の件
(2) ボランテイア保険加入の件
(3) その他

会員 35人
出席 22人

議事内容
1.仙台・宮城DC対応
新規会員の方々を中心に、2月27日(研修4日目)説明の補足として
@制服(陣羽織)は、4月6日迄に 用意・貸与されます。
A出勤簿(?)とガイド実績 の記録を忘れないように。

2.ガイド当番の確認
配布資料のとおり。一部 削除要請・了解
出来なくなった時は、会長か副会長に 当日朝迄 連絡してください。
公益財団法人瑞鳳殿には、電話しないでください。

3.瑞鳳殿ガイドの会会則
配布資料のとおり了解。
25年度会費の前納をお願い。参加全員納入されました。
定期総会は、DC終了後 反省会を兼ねて 昼食形式で開催予定です。

4.ボランテイア保険
配布資料のとおり。
公益財団法人瑞鳳殿での一括加入は、現在困難です。
出席者中 2名以外 加入手続きを保険料300円添えて依頼がありました。
欠席者で 加入希望の場合 27日16時迄 U副会長に連絡を。

5.その他
★記録(連絡)帖 の設置 希望。
ノート 用意します。ドンドン記載して下さい。3役絶えず確認対応します。
★駐車票の希望。
午後当番が午前当番者の前に駐車すれば 夜迄帰れなくなるかと心配だ。
車の運転席の窓に「瑞鳳殿ガイド・氏名」を記載し 見やすい所に置いて下さい。





3 月 20 日 (水)  



春彼岸
春分の日 祝日

各自のご先祖のお墓詣りで 参拝者は少ないだろうの あかとんぼ の予想を裏切り 早朝から 続々と 参拝客がみえました。

「早くから 御先祖様より先に 政宗公をお詣り頂きまして」

「アッ」の表情のかたも。
「イヤ 先日 しませました」と ニヤリされる方。



3 月 19 日 (火)  



東京は櫻が満開間近とか。

「政宗を支えた重臣たち」と題する 菅野正道仙台市博物館市史編さん室長の講儀が昨日ありました。
巷の老人の勉強会ながら 40余人の出席がありました。この会としては 記録更新です。

出席者は 如何なる感銘を受けたか 定かではありませんが、「はじめ」の項で語られた。

◎政宗研究の停滞
 ☆基本的枠組みは、@人物叢書伊達政宗 小林清治著 A宮城県史2 宮城県史編纂委員会編で完成。
 (@は座右に、Aは市図書館に。Aは城下古本店で見当たらない、ネットでは高価で躊躇中)

 ☆関連資料が増えているに関わらず、戦国時代、江戸時代の研究で政宗公を取り上げている著作、論文は決して多く無い。

 ☆ドラマ等をきっかけとしたブームに多数の出版物・・・玉石混合の内容

 ★研究対象としては、「偉大な藩祖」を脱して"是々非々”な政宗像を探究する段階。

 (4月14日仙台藩志会総会の講演で「検証・仙台藩の草創期」と題して菅野正道仙台市博物館市史編さん室長が語ります。
伊達家御当主始め、御一門、御一家等上級家臣の末裔居並ぶ席での講演です。
て"是々非々”な政宗像を如何に語られるか楽しみです。 講演は非公開です)

◎家臣団研究の意義
 ☆家臣たちの役割を再認識する事により、政宗政権の性格が明確に。
 ☆家臣団編成の様相を認識する事により、仙台藩の特質を認識できる。

 ★家格制や個人の伝記的研究から組織論的観点が必要な段階。

以上の★の項が ポイント(本日の目玉)と理解しました。

途中のカッコ書きは アカトンボの言です。
講義内容は 記載しません。
先生は どこかで 又 語られると思います。その時を期待してください。



忠宗公生誕の地 大阪伊達屋敷の所在を 調べていますネと、 伏見城大名屋敷図、 伏見城下絵図を ご持参下さった方おられます。
感謝です。

菅野先生は、
伏見と大阪は承知と思いますが別物です。。
政宗公は危険分子とは 見られておらず、三の丸 総郭の中に屋敷があったは 考えとして無理でしょう。と申しました。



昨日の講義で、「取次」なる言葉、役職が あった との説明がありました。

巷の老人の勉強会の代表から「 お前の企画採用するから講師依頼の下交渉しろ」の指示が昨日ありました。
この先生は、引退され、かつ 自宅等の情報は 非公開です。

接触できる接点は、大年寺と福島美術館です。
今朝 早々 福島美術館を訪れ 尾暮学芸員に 現代用語の「取次」を お願い致しました。
ご快諾を頂きました。


尾暮学芸員は、黄檗宗と大年寺については 第一人者と思います。
太白区内では講演しています。
巷の老人の勉強会の講師に提案しましたが 採用に到りませんでした。残念 です。

福島美術館会議室で講義を、続いて 展示所蔵品を拝見をする案 です。




伊達家関係の書画は 絶えず 展示しています。綱宗公の画となると 大作で スペースの関係で 常時展示は困難です。
瑞鳳殿参拝の御客様に その様に ガイドして頂ければ。

所得税の減税対象になる寄附 受付継続しています。宜しく。

以上 2点 のお話ありました。その様に 努めます。



3 月 18 日 (月)  



現役 日本を背負った人々は 夜遅く迄 働く。

10日 (仙台名物 伊達武将隊) の企画・運営会社「街ナビプレス社」のS編集長とHカメラマンが 取材に見えました。

19時10分発信で S編集長から 「紹介の内容に間違いなどがないか確認を」のメールを頂きました。
20時45分、「素敵な記事です。御客様 怒涛の如く お出でなるでしょう。
写真は 実物以上に撮れておりました」と返信。

21時27分に「記事ではなく、アカトンボさん達の素敵な笑顔に、お客様 怒涛の如く・・・だと思います。
写真も、実物の魅力にはかないません」と返信が。


老人は、就寝前に メールを確認し、要回答は回答をするのを常としております。
本日 午前 寄合 午後 談合 と続き 帰宅が遅くなり 早目の就寝をめざしましたら、上記のとおり。

19時 メールを発信をして S編集長は 帰宅したと 推測していました。
21時 老人が就寝する時刻に未だ職場で 奮闘している のです。寝食を忘れて 働いているのでは。

驚きです。

今ひとつ 切り替えし の巧み です。マスコミ現場・現役です。

老人には出来ません。


3月末 発行されるフリーペイパー「街ナビ」を ご覧ください。アカトンボとNさん の勇姿があります。 



3 月 17 日 (日)  



偶然?

近江と龍ヶ崎からの 御客様ご一緒にガイドしました。
どちらから、
「近江から」
「龍ヶ崎から」

「それは それは 伊達家62万石 内 近江で 京都での、龍ヶ崎で 江戸での それぞれの費用名目で 1万石の領地を持っていました。龍ヶ崎に行って来ましたが、陣屋の跡が残っています。

伊達領から 政宗公の御霊屋をお詣りにお出で頂きまして」

伊達家との御縁を 知り 遠く離れた地なれど、伊達家の御縁 と申すエニシで 御客様同志も親近感もたれた様子。
その後 は定かでありません。


参拝者 多くなったきました。


宇和島でも、江戸でも 櫻 咲きました。
奥州仙臺の櫻は、いつ咲くでしょうか?

瑞鳳殿の臥龍梅 蕾 まだ 硬いです。4月1日には 咲くでしょうか? 



3 月 13 日 (水)  



宇和島 櫻 開花

本日 開花宣言しました。

9時58分 市民櫻開花観測隊長から速報が。
昼 宇和島市役所 櫻課長(?)から 市議会中で 市長の公式発表若干遅れましたが 開花宣言しましたと。

1953年から10回目
市民観測隊観測開始2006年以来 4回目
の快挙だそうです。

おめでとうございます。

鯛と柑橘類 のみならず 櫻 の開花も日本一の うわじま。

来年は、 秀宗公 宇和島 入部 400年です。
1年 早い お祝い ですね。



3 月 12 日 (火)  



政宗公

仙臺藩志會の会報編集の末席に参画しています。

年号の記載について、
4日の日誌に 「寛永13(1636)年5月24日 と記載し ガイドの際も そう申しております」と記載しました。

仙台市史は、1587年(天正15)12月3日
あなたの知らない宮城県の歴史は、慶長5年(1600)12月
小林清治著伊達政宗は、天正18年(1590)と、1616年1月7日(太陽暦)と、

預かった原稿は、
1613年(慶長18年)の記載が あるマスコミ関係者
慶長18年(1613)10月の記載が、ある政界関係者
天正13年の記載が、ある武功者の末裔

と色々です。

ある郷土史家は、
「原稿を書く方 原稿料が生活の糧の人は、1文字○円です。
寛永13(1636)年と 年の1文字減は○円の減収になる故 怒ります。 寛永13年(1636年)と書きます」
と教えてくれました。


社会的には 仙台市史の書き方でしょう。

会報原稿は 無報酬です。今回は、書き手の 思いを尊重しましょうとなりました。
  

政宗公か、政宗か は仙台市史等社会的には 政宗 と記載されています。

ただ、仙台藩志会の目的は、歴代公の偉業を顕彰奉賛するにあり、会員は 尊称 公 を付けるのが当然の結論に纏りました。


今ひとつ あかとんぼ のこだわりは、
仙臺城 です。 
1870年以前の事柄を記載する際、 仙臺城 です。



3 月 10 日 (日)  



当たらないもの・・・・天気予報。
最高気温18度の予報。
とんでもない。しかも強風・降雨です。JR各線運休です。

新人さん 何人か見えました。
「天気予報を信じ、温暖な中で研修できるつもりで 薄着できたら 寒いは、濡れるは 厳しい」
「お先に 帰らせて 頂きます」 


(仙台名物 伊達武将隊) の企画・運営会社「街ナビプレス社」のS編集長とHカメラマンが 取材に見えました。


いつからガイドしていますか?
私は2000年からガイドしています。現組織は2008年からです。

いつガイドしていますか?
年中無休です。冬休・夏休はありません。

土・日・祝・休日は、ガイドしています。
平日は 仲間が(忙しい老人)なもので、時間のやりくり出来た時ガイドしています。

御客様はどちらから?
日本国内は全て、世界各国からで、老若男女 あらゆる年齢層です。

言葉は?
私は日本語専門です。
日本語圏以外の方 英語が基本です。仲間にそれなりに語れる方が対応しています。

御客様の感想は?
ガイドして貰い よかった、楽しかった、知らないで素通りするところであった、の感想を頂いております。


私どもは、ガイドの押し売りは決して致しません。「頼む」の一言で 御一人さまから 御客様のご都合 時間の範囲内でガイドしております。
「どちらから」で そのお答えから 伊達家との 御縁を検索  ガイド内容に加えます。

例えば 「熊本から」には、「殿様は 細川様ですね、政宗公と昵懇の中でした。この九曜紋は細川様から許されたと聞いています」
これで、御客様は 熊本と仙台に そんな縁があるのか、自分の郷里・住居の歴史を 仙台で思い起こされ 仙台に対する認識を一変します。

この様に 仙台を理解して頂き 喜んで頂くのが、 DCの標語 「おもてなしの心」では ないでしょうか。

御客様 気軽に ガイドを利用して下さい。無料です。
ガイドを聞くと 入場料 以上のもの 得る所あります。 得します。

最期 お願いしました。
「上記2行 4月号に書いてください」


最期 写真撮影
涅槃門前の 御客様にお奨めの位置で N副会長と納まりました。

さすが プロです。 モニターを拝見しましたら 我ながら の感じ 素晴らしい写りです。
雑誌 発行されたら ご覧ください。実物以上 の筈です。



3 月 9 日 (土)  



仙臺城址 國指定史蹟 10周年

今年は、仙台城址が国の史蹟に指定され10周年の記念すべき年。
あかとんぼ 有料ガイドで仙台城本丸址を案内した際 「国指定史蹟です」とガイドしますが、指定年月まではは語らない故 失念していました。

世間は、慶長遣欧使節派遣400年を話題にします。でも、仙台城址が国の史蹟に指定され10周年は 話題になっていません。

仙臺藩志會理事会の事業・広報の検討席上 郷土史家の理事から 注意喚起されました。
会報「藩報きずな」に 如何に反映させるか?
特集の頁を構成するか?

管理者 仙台市は どうされるのか。



伊達政宗の壮絶一代記
BS-TBSで 「臥龍の天  伊達政宗・独眼龍と呼ばれた男 東北の雄 伊達政宗の壮絶一代記」と題する2時間ドラマ が放映されました。

「アレ」とか「チガウ」と独り言を あかとんぼ は洩らしましたが。
比較的 良く作られたのでは。 



3 月 8 日 (金)  



役員会

瑞鳳殿ガイドの会の執行役員は3名です。
何故か 週に1〜2日 3人が一同に会します。
その都度 会の運営について ホウ・レン・ソウ をして 意思の統一に努めています。

4月まで DC迄 20日余となりました。
瑞鳳殿会議室を借用し 午前半日 報告・連絡・相談をしました。

主な内容は、
1.手持基本資料集 3部作成。
  新人19人を念頭に ガイド説明資料の共通化を図るべく、各自が所持する3cm幅の資料集から これは絶対必要の20余枚を厳選し、
  公益財団法人瑞鳳殿様のご配慮頂き、カラーコピーしました。
  会の事務卓に設置しました。明日から活用できます。
  これを 基本に 各自の思い込み 伝えたい 等の資料集を各自で作って頂きます。

2.4-6月のDC対応
  コンベション協会と他2団体との7日の協議結果を報告。
  ガイドの態勢確立を協議しました。

3.ボランテイア保険
  現在無保険で 自己責任である。保険が必要でないか?
  希望者が加入する方向で手続きを進める。
  

4.身分証交付申請
 仙台市に身分証を申請すれば交付される。
 管理に厳しい条件があるが、公認ガイド証になる。
 会員の励みに なるであろう。申請する。



8 Mar 2013 04:55:48にメールをくださったW様

下記の通り 返信しましたが  System Erroで返ってまいりました。

「何時も 拙いHP(あかとんぼ瑞鳳殿ガイド日誌)を お読み頂きありがとうございます。
啓蟄 以来 一段と春の兆しとなりました。そろそろ 参拝の季節でしょう。

気候・体調 共に 宜しい時 是非 お出でください。
私は 原則 日曜日の午前は ガイドしております。

しかし DCが始まりますと 全国からの御客様で Wさまを ゆっくりガイド出来ないと思います。
ゆっくりガイド出来 Wさまのご質問に答られる様に 事前に 平日の希望日時をメールください。
合せる様に 調整いたします。

あかとんぼ」


W様は 昨冬にもメール頂きましたが  返信 Systemで 返信しましたが 失敗しました。
今回ガイド、登録された8割の方 やはり System Erroで送信できません でした。門前払いされました。
原因はなにか? 操作に誤りがあるのか?
心当たり ある方 教えてください。



3 月 7 日 (木)  



図書「あなたの知らない宮城県の歴史」

昨日城下での寄合に。それ迄の時刻調整に本屋に。
店頭に 標題の図書 山積されていた。

古代から近代まで 70項目2頁に纏め記載されています。

執筆者 春日和夫、岸裕二、中丸満、吉田渉語、渡邊大門。
あかとんぼ は知らない学者

監修者 山本博文。
些か 存知あげています。

参考文献 細かい文字で50冊位 記載しています。
例えば、仙台市史通史6 近代1。仙台市博物館編図説伊達政宗。小林清治(伊達政宗)等 あかとんぼ手持図書 10数冊も記載されています。

参考文献 所持していたら 買い 読む 必要ないだろうの声 聞き流し買いました。

未だ 熟読していません。が、1項目1000文字です。内容がキセルの感じで流れている?
でも、高齢者の要旨把握能力低下には 有効では。



3 月 5 日 (火)  



啓蟄 晴天

昨晩 ある会合で 年号(元号)の書き方が 話題になりました。

あかとんぼ は 寛永13(1636)年5月24日 と記載し ガイドの際も そう申しております。

昔 1636(寛永13)年5月24日と 申した時代もありました。


太陰暦の時代は 元号が主体で 西暦は補完と理解しました時点で あらためました。
気象が異なります。

政宗公の亡くなられた日 寛永13年5月24日は 太陽暦では、1636年6月27日です。
葬儀の寛永13年6月23日は、1636年7月25日です。 
何れも 現在の暦とは 約1ケ月 遅れです。

治家記録の 政宗公葬儀日の気象条件の記述(梅雨明けムンムン状況) 現在の気象条件と約1ケ月遅れで ピタリ一致します。

ここを 理解し 御客様に説明しないと 現在の気象と比較し 当時は異常気象になります。

その例が 忠臣蔵の討ち入りです。
元禄14年12月14日で未明に降雪がありました。現在 12月東京で降雪はまずありません。
テレビは忠臣蔵の劇画を流します。見ている人は 温暖化したと誤解しています。

元禄14年12月14日は 太陽暦では、1702年1月11日です。約1ケ月 遅れです。 
成人式の頃の 降雪と 一致します。




3 月 3 日 (日)  



時々 風花が舞います。でも、日差しは柔らかくなりました。

参拝客をお待ちしている間 骨まで凍みる寒気を 次体験するのは 初冬 10ケ月後でしょう。

先般 仙台市博物館副館長が、「入館者最低記録30人です。電気・水道等を止め、玄関えお閉めたい心境であった。みなさんの博物館です。是非 お出で下さい。活用して下さい」と申されました。

瑞鳳殿 客足 伸びはじめてきました。春の兆しです。
さて、最低記録はいつでしたでしょう。  1月15日 23人 (非公式発表)

納得です。
14日祝日 終日大雪でした。翌15日は、依然として降雪、交通渋滞の日でした。
ガイドの会の勉強会を開催しましたが、時刻ギリギリに集まった 記憶に残った大雪の日でした。


ガイド養成講座卒業生 昨日3人、本日4人 早速実習に、先人の背でメモしていましたが、昼間際には 独りでガイド始めました。
心強い です。



3 月 2 日 (土)  



伊達家大阪屋敷

2月25日日誌に、結論「わかりません」でしたと記載致しました。

読者T様から、即 「今宮」「木津」では?のアドバイスを頂きました。

根拠として「地元マニアが案内する素顔の大阪城(http://fun07.sakura.ne.jp/)の「豊臣時代の大名屋敷と町名の名残り」の項の図
{「図説 再現大阪城」渡辺武著 1983年大阪都市協会刊 20頁}に伊達政宗の名を囲み、その先に矢印で「今宮」「木津」が記載されています。


大阪冬の陣要図(慶長10(1605)年12月)に、茶臼山(徳川家康)の先 松屋町口に 伊達政宗・秀宗の名前が記載されています。今宮村の記載もあります。

大阪夏の陣要図(元和元(1615)年5月)には、茶臼山の下方 紀州街道添え 勝間村に伊達先頭・伊達政宗・松平忠輝の名前が記載されています。

大阪城は、落城の翌日(元和元(1615)年6月8日) 将軍秀忠は亀山・松平忠明を5万石加増 10万石大名とし 大阪城に移した。
本丸・二之丸を城地に、三之丸を市街地に開放した。寺院・墓地の統合・移転を含む都市計画を実行した。
元和5(1619)年幕府直轄とし、再建に着手、10年間の工期で完成した。

この項、大阪府の歴史 藤本篤著 山川出版社刊による。


あかとんぼ の推論として、三之丸後 では。

三之丸は広大です。此処に 各大名屋敷があったのでは。後に町人も居住したかも。

ある意味で注目している政宗公を 懐 三之丸に屋敷を与えると考えるのが素直ではないでしょうか?
場外の村に矢印表示は 冬・夏の陣 布陣と混同では ないでしょうか?

慶長4(1599)年大阪屋敷で出生したと記録されています忠宗公の出生地は三之丸では。

秀吉時代の三之丸で現在の大阪城地の南西部 府庁等の一画では? 。


なお、「図説 再現大阪城」渡辺武著は、
宮城県内 県市町村図書館にはありません。
古本市場では、2000〜10000円で販売されています。

読者T様 アドバイスを頂き 感謝致します。



3 月 1 日 (金)  



政宗文書

「政宗文書に挑戦 政宗公の生の声を自分の力で読み取りませんか?」

仙台市博物館古文書読解講座 菅野座長の呼びかけです。


1月16日から2月27日迄の5回の古文書読解講座に参加しました。
10時間で読める様になれば 苦労はありません。
座長始め各先生の丁寧なご指導で 古文書読解の入り口に立てたの思い。
予習・復習・音読・ニラメッコ  これが コツ と理解した。

今回のテキストは 読み易いく 内容が面白い 参考になるものを選択されてとの事なれど、難解であった。
それで、講座感想のアンケートに「難しかった。自分の無知蒙昧・浅学菲才を自覚した 」と記載しました。

皆勤賞が出ました。
授業料を払わないで 賞を頂くとは 法外の喜び。
市史せんだいno22です。「既に購入された方もいるでしょうが」に、その通り 既に購入済ですが、それはそれ。

5回目出席者に 「伊達政宗文書を読もう」と題する 自習の手引書 が配布されました。
コツがぎっしりです。

「政宗文書」は市史4巻に4千通以上収録されて、全大名でNO1。現在も年に10通以上発見されている と手引書に記載されています。

かって、市内古美術商を訪れた際「政宗の文書 欲しければ 幾らでもあります。どうです」と言われました。
当時 三無 (興味が無い、読めない、価値を理解出来ない)で、 そのまま 御終いでした。

さて、政宗公から家臣等に発信された文書は 家宝では。簡単に市内古美術商に放出されるものでしょうか?
もし 放出されても 市史編纂室に 連絡(鑑定依頼)されないものでしょうか。

これまで 2次資料で学習して来ました。
こらからは、(政宗公の生の声を自分の力で読み取る) に努めます。





inserted by FC2 system