2013年5月の日誌
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5 月 31 日 (金)  



キラキラ 輝いています。

小学校の遠足の季節です。
盛岡の小学生の参拝がありました。
盛岡からは 珍しいです。

付添の先生に「事前に瑞鳳殿に連絡して頂ければ 我々 無料ガイドは 孫と話す気分で 喜んでガイドします」と広報しました。

有料ガイドの依頼があり、「孫相手」は断念。


仙台城に移動し 待機。

おひとり参加限定・山寺御開帳 のツアー です。
何故か、新幹線を福島で下車、バス車内で弁当を済ませ、11時30分に仙台城本丸に到着です。
仙台で下車すれば 見学・参拝の時間を大幅に増やせます。不思議です。

2時間の行程で 仙台城から瑞鳳殿迄の移動15分と 各2ケ所でのトイレタイム各10分計 35分を差引き 85分が見物・参拝の時間です。

見学時間圧縮しても トイレタイムを確保し 定めた出発時間は厳守の方針です。
御客様(添乗員)の指示は 厳守します。
最小限 見て頂きたい所に、 説明 も絞ります。

御客様の反応は 「杜の都 仙台と言われる意 理解しました」 「愉しかった」 「見る個所 数あるのね」・・・・
と大方の御客様 ガイドに 満足して 頂きました。

1人 「私は山寺御開帳が 目的 なんで 余分な所 案内するのだ」 
そう申されて ガイドの範疇外です。返事の仕様はありません。
旅行会社の行程内容を理解し 参加されたのではありませんか。


昨日 霊屋下に 熊が出た の新聞記事がありました。
ガイド仲間から 「ガイドに行ても 大丈夫でしょうか」 の電話がありました。

大丈夫です。

S主任に確認しました。やはり 鹿落坂で目撃されたそうです。その後 続報がありません。郷六に帰ったでしょう。

経ケ峯は 熊・カモシカ その他 色々な動物が 挨拶に来る位 自然な所です。
新緑から若葉に。キラキラ 輝いています。
ぜひ お出で下さい。明日も アカトンボ ガイドに参ります。



5 月 30 日 (木)  



熊 

昨29日12時10分頃御霊屋下で道路を横断する熊が発見され110番された。
体長1.2m。市道を横切った後、藪に戻った。

以上は、河北新報朝刊によります。

さて、

御霊屋下とは、瑞鳳殿所在の経ケ峯地区の住居表示です。
藪とは、瑞鳳殿等の歴史公園敷地を指すのか?

作並温泉方向から 東進す、五郎八姫の屋敷跡、御裏林・本丸・三の丸を抜け 廣瀬川を渡り 瑞鳳殿に参拝し 更に東進し 鹿落坂で発見されたのでしょうか。

熊 瑞鳳殿参拝?

今季 熊 青葉区が 二桁の出没だそうです。





5 月 26 日 (日)  



雀おどり

23日政宗公遠忌法要の際 香・花・茶・尺等の奉納ともに 「雀おどり」の奉納が為されていました。
「雀おどり」の小雀は、小学生です。
23日は学校のある日です。
義務教育を休ませて迄 奉納される事は 政宗公も望まれないでしょう。

仙臺雀おどり連盟の一団の奉納が 日曜日の今日 ありました。

TV局には 10時から待機し 昼に放映すると。
瑞鳳殿には 10時30分からと連絡があり、仲間に伝え 御客様にも案内致しました。
それでは まず参拝と 参拝され 待機される方々 数組 10余人。

10時45分 雀おどり連が来ません。TV局は 諦めて帰りました。
瑞鳳殿の職員 追分口・券売所前・涅槃門前・本殿前に配置待機しています。見えません、ジリジリしています。

11時 涅槃門前にて 口上 「政宗公 仙臺城築城の折・・・・・泉州堺の石匠(イシク)招いて・・・・・」と由来を 声高らかに 。

親雀から 小雀と 演舞。
本殿にて 参拝、感仙殿前広場で 演舞。

12時10分 タクシー待機所で ツアー客35余名と遭遇、サワリを演舞。ツアー客 皆様 大喜び。


さて、アカトンボは 待機の日でした。

11時迄 30分間 10時30分との案内に待機されたお客様に 責任を感じ 一緒に待機対応。
11時15分 瑞鳳寺山門前に。11時30分約束の有料ガイドの待機。

前日 案内役から「男00名女00名 計00名 中高老年で 真面目な方々です。丁寧にガイドしてください。80分あれば大丈夫ですね。仙台城出発の際 携帯に」と電話ありました。

11時35分 連絡がありません。バス見えません。
「瑞鳳殿ガイドです。現在地は?」
「仙台城で まだ乗車していません。間もなく 出ます」
到着したのが12時。

45分の待機、雀おどりの待機30分 結局 ガイド待機以外の待機75分。本日 待機の日でした。


ここ1ケ月 仙台市の委託で参拝客の動向聞き取り調査していた S君 今日が区切りと。

DCの効果 聞きました。

DCだから 仙台に来たとの 回答は極めて少なかった。
来仙してから 知ったは それなりに。

瑞鳳殿の次に 訪れる所に 博物館で特別展{若冲展}開催期間中は 博物館が莫大でした。展が終わりましたら 皆無に近いでした。
こらは ガイドしていて感じました。

3.11災 震災地を 旅行の前後 何れかに 訪れる の行程が 数多いです。

さてさて 統計処理され どんな結果がでるでしょうか。楽しみです。




5 月 25 日 (土)  



けがれの逆転

近世城郭の礎となった戦国時代の名城 「安土城」

・・・・・随所に、石仏が石段として無造作に置かれているのである。從来はこれを石不足のためとか、無神論者の信長が、来訪者にわざと石仏を踏みつけさせるためとかいわれてきたが、最近は民俗学でいう「けがれの逆転」の発想で、石仏や石塔などを石垣や石段に使うことで、盤石なものとするためだったという解釈が有力視されている。
(ジパング倶楽部 2013年6月号 小和田哲男 著)

さて、感仙殿墓室に使用された 板碑 に対する解釈です。

1000年前の板碑を650年後に 殿様の墓室の用材として使用する 神経は 現代の我々には 理解を越えたものでは ありませんか?
この様に 御客様に語ってきました。

今回の小和田哲男語る けがれの逆転 では 板碑を用いる事により 伊達家の盤石を願った事になります。

アカトンボの浅学でした。
さすが 当時の伊達家の家臣は 優秀です。


今朝 出足は遅いです。

9時10分 親娘 が。「おとうさん ガイド頼んでイイ?」
3段1段の石段で 「これは 仙台城下 北西方向 国見の山で採れた石で、仙台城の石垣の石と同じです」
「国見 良く知っています。私 仙台高校です。此処まで 自転車で来ました。」

地理 地名由来 御存じですの筈。
「三滝安山岩(安山岩質玄武岩)です」 

妙運廟界で 「この墓石は?」

「大年寺山の伊達家墓碑と同じで、宇多郡の御影石で 玉崎より陸路運んだ と(仙台市外神拝記)に記載されています」
(5月22日大年寺山界隈 資料30頁)

この記述に 疑問な点
現在では 宇多郡(相馬市・新地村)より 隣の伊具郡大内邑(丸森町)が 石の産地です。
自己領内に産出するのに 他家領内産を使用するか です。

大内邑から 阿武隈川を下り 岩沼付近から陸運をしたと理解すべきでは?
相馬から 太平洋経由阿武隈川を登るのは 不自然です。
以上から 伊達領内 伊具郡と推定しています。

市内の高校生と じっくり語りました。爽快。


肥前さまは 瑞鳳殿が国宝時代(約70年前以前)の写真を 入札で落札しました。

この様な事実がありましたと 瑞鳳殿学芸員にポロッと話を しましら、「やはり 入札に参加したが負けました」との話でした。
今朝 肥前さまから送信頂きました情報を 出力 持参致しました。

別の 入札のようだ との事でした。
アカトンボも 写真絵葉書を 購入しています。色々 あるようです。 



5 月 24 日 (金)  



青葉茂れる経ケ峯

伊達政宗公 378遠忌法要 が催されました。

次第

仙台藩志会(男性 裃・帯刀 女性 紫地羅背五色乱星陣羽織 着用) 正宗山瑞鳳寺三問前 出発
9時30分 緑色トンネル 62石段を登段

9時45分 瑞鳳殿 本殿 開扉 法要開式

奉献の儀
 献笛  仙台藩虚空山尺八寺    布袋軒玉堂 様
 献花  本原遠州華道八世家元  朴澤 一草 様
 献香  仙台藩作法宗家       伊達 泰宗 様
 献茶  石州流清水派宗家十一世 大泉 道鑑 様

読経
 瑞鳳殿・瑞巖寺・覺範寺・保春院・東昌寺・光明寺・満勝寺 7ケ寺

焼香
 1.仙台伊達家十八代当主     伊達 泰宗 様
 2.殉死者後裔会副会長       加藤 孝  様
 3.仙台藩志会会長          伊達 洋司 様
 4.大年寺会会長            阿部 和子 様
 5.公益財団法人瑞鳳殿常務理事 大崎 啓一 様
 6.再建事業建設会社会長      松井 角平 様
 7.霊屋下町内会会長         長門 一彦 様
 8.向山経ケ峯親交会会長      菅原 義男 様

挨拶
 1.仙台伊達家十八代当主     伊達 泰宗 様
 2..仙台藩志会会長          伊達 洋司 様
 3.公益財団法人瑞鳳殿常務理事 大崎 啓一 様

10時30分 閉会

引出物
政宗公と舶来の品々 瑞鳳殿副葬品から 
上記名  多色刷 栞

仙台藩志会会員は、青葉神社 例大祭に 直行
殉死者後裔会会員は、御縁のある所で 総会
瑞鳳殿ガイドの会会員は、乱星の制服着用 ガイドに


在仙 TV各社 熱心過ぎる位な取材されていました。
○○政宗氏も 参拝に見えていました。


11時から瑞鳳殿を加藤学芸員が 感仙殿・善應殿・妙雲廟界を渡部の学芸員が 60分に亘り解説しました。

政宗公法要があり 学芸員解説があるから来たと申す方 含め 一般参拝者20余名 ガイドの会仲間 8名が 参加しました。

学芸員の解説と我々のガイド内容とは 同じですが、TPO 時・場所等で若干 異なります。新鮮です。勉強になります。


あったご質問

1.梵天丸は 「かくありたい」と 言っているが かく の意味は
2.岩出山公園所在の政宗公像の目は
3.この石段 段差が厳しく 3段単位なのは なぜか
4.仙台藩志会には、一門11家のゆかりの方々 会員か
5.この板碑は なにか


こぼれはなし

献笛の仙台藩虚空山尺八寺 布袋軒玉堂 様は、御当主・藩志會面々の昇段から献花・献香・献茶が終わるまで間 演奏していました。
お付人の談 「自宅に 自作の5尺の尺八がある。師匠は吹いて 付人が穴の開閉をする」



5 月 23 日 (木)  



大年寺山界隈

東北工業大学 松山正将 名誉教授の講義。

大年寺山に 大年寺の塔頭立ち並び 殷賑を極めた時代を 絵図「両足山志」により 立体模型で再現し 福島美術館に寄贈された先生です。

専門が測量で、歴史の先生ではありません。
故に 図面・写真等で76頁の資料を屈指して講演は 歴史講話とは 一味 異なったものでした。
時代区分 近世 では無く 現代 でした。



ある方の質問に、

{背山公治家記録によれば、吉村公あて遺言として「貞山様、義山様、雄山様三代の御霊屋結構に成れたれど、代々結構にせば末末の為に然る可からず、我れ死せば墓石を建て、瓦葺の屋根を覆うまでに可し・・・」
よって 石の墓となり 覆屋のみで 瑞鳳殿等の廟所とは異なる} とのことですが、

@ 覆屋の写真ありませんか。
A 覆屋の柱跡は確認されていますか。

回答として
@は ありません。見ていません。
Aは 在った筈です。
    宇和島では 覆屋の現物があります。


あかとんぼ
2009年 金剛山大隆寺と龍華山等覺寺に所在する 宇和島伊達家墓所 秀宗公から9代宗コ公まで 殿様と正室 等に、吉田伊達家の墓所も参拝して来ました。

覆屋が所在したの記憶はありません。
帰宅 写真を確認しました。

9代宗コ公には、門と配所には 柱と屋根があります。墓は3段積に 棹に傘付で 野天です。
それ以外 全て 野天の墓石です。

6月20日 大年寺で伊達家法要があります。
その席で 松山先生に教えを乞います。


昨22日 日誌に 誤認記載がありました。修正致しました。
無視してくれました博物館学芸員の度量に感謝致します。



5 月 22 日 (水)  



仙台藩主 勢ぞろい

仙台市博物館企画展 「政宗公から13代慶邦公まで 仙台藩主 勢ぞろい」 

仙台藩を知るためには必見の展示です。
各藩主の個性を窺えるような資料を、選り抜いていますので、ぜひお出かけください。

と さる方から ご案内を頂いておりました。
初日の昨日 行きそびれ 本日14時40分 入館。

会場 冒頭 政宗公と忠宗公の大画像(1676年狩野安信筆)が 出迎えてくれました。
瑞鳳殿入口の 政宗公の画像の部分が表示されており 参拝者に博物館に本物が展示されています と勧めている身から 対面は嬉しい。

綱宗公の画 霊昭女・花鳥図 3幅対 展示されています。
綱宗公の画は 福島美術館収蔵のみと思っていました故 認識新たに 見入りました。

忠宗公 綱村公 吉村公 の画 味のある画 です。
殿様は 武芸以外にも 秀でている ようです。意外でした。

殿様と正室と 御揃いです。この様な展示ははじめて?
各御正室様 一同にお会いしたのは 初めてでは?

博物館収蔵資料図録「仙台藩の絵画」は 白黒です。現物は 色付です。
展示されている 各御正室様 着衣 赤い袴です。 これが礼装でしょうか。

政宗公から歴代の殿様の具足の展示 圧巻です。
昨年 宇和島伊達博物館での展示手法 4面から拝見 可 あります。背面を拝見は 一興です。 
(宇和島での展示は仙台市博物館の技術指導と聞いています) 

ある方 今回の展示で 兜に弾痕がある 政宗公の兜が展示される と教えてくれましたが、その様な説明のある 兜 発見できませんでした。
弾痕ある兜は いつの戦いでのものか?
極楽に持参された 武具は いつ着用されたものなのか?


政宗公 滅私奉公で無給の家来に ご褒美として 屋敷を与え 「無駄使いするな」との文を与えたと展示されていました。
古文書 読めないので 解説で理解しました が 疑問が。
1.無給の家来とは あるのか。生活費・武具調達 どうしたのか。
2.屋敷 敷地は拝領しても 建物は 自己負担と聞いています。さすれば 無給の家来は 如何に建築資金を調達したか。


時間帯故か マイペースで見学できました。
資料 次のもの 頂きました。
@見学者向けパンフ 
A具足と甲冑像の虎の巻 
B仙台藩主のよろい

仙台藩主のよろい は和綴じです。自分で綴じるのに挑戦しました。
和綴 自己流では綴じ代が不揃でした。正しい綴じ方 ポイントを知りました。


午前 瑞鳳殿に見えた御客様
「昨日 見学をした。その際 アンケートに家紋関係の質問を記載したら、高橋学芸員から 即 電話で回答があった。
不知の番号で警戒したが、高橋学芸員からで 驚き また、懇切に教授して頂き 感激しました」と語っていました。

6月11日から展示替になります。
ご案内頂いた通りの企画展です。6月9日前 再訪します。


午前 瑞鳳殿に

ぐるーぷGOZAIN(外国語・英語で観光ガイドする団体)から、瑞鳳殿を1時間でガイドして欲しいと 瑞鳳殿ガイドの会に依頼がありました。
ある機関が関与し 予約を受けない会である事を了知の上での依頼です。

(公財)瑞鳳殿にも 依頼したようです。

アカトンボは キセルガイド。 前後 枕と尻を担当。真ん中を K学芸員が 担当。

K学芸員が担当中 福島県須賀川市の中学生をガイドしました。
伊達政宗 桃山様式廟所 このキーワード に反応は????

「皆様の所では 有名な火まつりがありますね」
「はい 松明あかし です」

「その由来は天正17(1589)年 須賀川城主は 政宗公の伯母 大乗院。
これを攻め 政宗公が10月26日落城させました。
この時の 戦没者を供養するのが 始まりと 聞いていますが」

「はい そうです、私たち 松明 つくり から参加しています」
イキイキ しました。

郷土の歴史が 仙臺で 語られるとは 意外でしたでしょう。
6月13日 山形県の小学生 2校の参拝が予告されています。楽しみです。


肥前様
政宗公の熱烈な信奉者で かつ 本ホームページの愛読者である方です。
18日から仙台に入り 瑞巖寺に博物館と回っており、本日 瑞鳳殿を参拝されるとの事で 11時から1時間 時間を頂きました。

数々の興味深い お話を聞かせて頂きました

焼失前の瑞鳳殿の生写真(A5版位)セットを 競売で落札しました。10万円を覚悟しましたが 意外な価格でした。
今回持参致しませんでしたが 機会ありましたら 。
現在 公開している写真を 見 語り 本殿に。
拝礼。
青海波門で 写真を。公開の許しを頂きました。いずれ。



5 月 21 日 (火)  



瑞鳳殿 を知る

全世界から参拝に訪れる方々は、政宗公、伊達家、宮城県、仙台市を 御存じでない方が多数です。

10分から120分で、容易に理解して頂き 「ガイドあって 見落とし所であった所を見て よかった。楽しかった」と言って頂ける。
この目標 なかなかです。


強い味方 この春から現れました。
「杜moriげんき・つながる・ひろがる・緑のパワー」 小冊子

特集 瑞鳳殿
「政宗公の美と仙台藩の栄華を知る

瑞鳳殿の経緯
美を極めて
1.重厚な屋根と阿吽の龍頭
2.技術と美の融合 ・・・組物
3.重厚な唐戸と優美な天女たち
瑞鳳殿マップ
感仙殿
善應殿
資料館
臥龍梅
期間限定スイーツ
公益財団法人瑞鳳殿(所在・拝観料・・・・)

以上 項目を A4 3頁 極彩色で 簡潔に説明しています。

ご希望の方
瑞鳳殿サロンに あります。無料です。

なお、仙台市博物館・仙台藩志会はじめ 各博物館等のパンフレット・チラシ等 約70種類が供されています。
ご活用ください。 

秀一は、
土と文字が語る仙台平野の災害の記憶・・・仙台平野の歴史と津波 

仙台市博物館 刊行 です。

仙台平野の歴史と津波 簡潔に 理解容易にまとめられています。
表紙に地味ですが 中身の濃さ 秀一 です。

目次を紹介します。
遺跡や史料に残る主な地震災害の記録
弥生時代の津波の痕跡
貞観11年の地陣と津波
慶長16年の地陣と津波
近世の地陣と津波
近代以降の地陣と津波
津波が呼び覚ました「土地の記憶」
東日本大震災が史蹟に与えた津波 (経ケ峯 ほか)
歴史資料が見つかったら
ほか



5 月 20 日 (月)  



仙臺 はどこか?

入りそめて くにゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ

政宗公が仙臺城築城・城下開府時の歌。この地の繁栄を願ったもの。
瑞鳳殿の入場券に 「伊達政宗和歌懐紙」と題し 和歌 直筆が表に、裏面に解説が記載されています。

団体割引入場された方以外の方 頂きます。
1日何枚と拾います。
落とした瞬間 察知した時は、拾い 内容を説明致しますと 9割の方々 そんなに価値あるものとは思わなかった と 大切に仕舞ます。


「せんだいのまつ」の「せんだい」とは 具体的に どこの個所か?
漠然と 仙臺城本丸 を意識していました。

正解でした。
前仙台市博物館副館長金森安孝氏 が 「仙臺城本丸である 高臺に仙人が住む」に由来すると 語られました。


仙臺城二の丸跡から片倉家屋敷跡を金森さんのご案内で 巡る会があり 冒頭の話題でした

行程は
廣瀬川左岸 大橋袂の終結。
1.伊達時代の大橋の位置とグランドライン(高低差)を確認
2.対岸を望み 古来の大橋の位置を確認
3.大橋より眼下にと橋脚址を確認
4.廣瀬川右岸 城内 番所位置を確認
5.水澤・登米の両仙臺屋敷の位置と道路幅40間確認
6.松の木番所位置を確認
7.大手門に至る坂道の位置を確認
8.法面崩落位置で 原因を説明(澤筋)
9.旧扇坂(家臣登城路)位置を確認
10.筋違橋の位置を確認
11.千貫澤の位置と変遷を確認
12.忠宗公植林(杉並木)を確認
13.二の丸屋敷(御小広間・御舞台)位置を確認
14.御門と御玄関の位置と敷地の高低差を確認
15.蔵屋敷位置と澤筋(8)を確認
16大手門・脇櫓・土塁の位置と高低差を確認
17.長沼と三の丸の関係
18.片倉家屋敷の位置と発掘調査状況

以上を2時間で探索。
前回 二の丸中心に解説された際と比較 今回 総論的。


最期に 地下鉄東西線が開通すれば 仙台城駅に ガイド詰所が設置されます。
「来訪者に 正しく(正確)にガイドしてください」と注文されました。

が、学者でない 一般観光客をガイドするは かなり至難と感じます。



5 月 19 日 (日)  



仙台青葉まつり

昨日の勉強会 12時間の行程 110m程の里山登 数回。
参加者のNKさん SN嬢 元気溌剌。

安価で知られている某旅行社の団体 波状で押し寄せます。

添乗員 「無料のガイドいます」と御客様に 案内しますが 決して 「ガイドさん お願いします」とは申しません。

何組何人か  ガイドしました。
車中で 瑞鳳殿の印象が 話題になった際 ガイドを聞いた人 聞かない人 その差は 歴然とするでしょう。


鉄砲隊
岩手県住吉町五葉山火縄銃鉄砲隊一行は10時から 涅槃門前広場で 伊達家御当主と共に 出陣式を行いました。
新緑の森に 勝鬨をあげ 城下に出陣していきました。

演武は13時30分から 定禅寺通と国分丁交差点で行われました。

朝1番の御客様に「五葉山火縄銃鉄砲隊出陣式10時からで 年1回のチャンスです 是非」とご案内。
10時直前 撮影絶好の位置にご案内。
終了後 「いかがでしたか?」
「満足 孫はいい写真撮れた ミクシイに載せると言っています。ヨカッタ」


12時 些か 疲労と空腹を感じ 帰巣に。
車の流れは 快調です。青葉まつりでの渋滞を覚悟したのに。

ボラガイド支援機構理事長
「あら 早かったのネ」
「アー ヒロー で」
「やはり カロー にはナレナイネ」

昨日 案内してくれたのは 領主中島家の 家老 の末裔と申しており 「今日は家老様に 案内して頂いた」と話したのを 忘れずに 返されました。


青葉神社御神輿の渡御の、警備にあたるのが 仙台藩志会の裃帯刀の一行です。

昨日勉強会のガイドの会 参加者の元締め は Uさんです。
本日 裃帯刀の一行 に参加しています。朝8時から夕方まで。
カローならぬ カロウになるのでは。


変な話
瑞鳳殿から感仙殿に移動する際、瑞鳳殿地区の出口 自動扉になっております。
門前に立ちますと 手を触れなくとも 開戸します。お店の戸と同じです。便利です。

オバサンと言われる様子の方々 数人で全山に響く大声で
「なんで 自動扉 なんだ」
と悲憤慷慨の調子で討議していました。
一瞬ですが 流れが止まりました。

アカトンボには なぜ討議課題になるか 理解出来ない。




5 月 18 日 (土)  



タイムスリップ  500年

天文17(1548)年 伊達家14世伊達稙宗公は 子15世晴宗との戦いに敗れ、丸山城に隠居。17年後の永禄8(1565)年 この地で没した。
稙宗公を世話した長女の婚家 相馬氏がそのまま所領した。

これが原因で、丸森・小斎・金山の地で 伊達家と相馬家の間で激しい戦が 繰り返し行合われ、天正8(1581)年政宗公 初陣の地となった。
宮城県伊具郡丸森町がその舞台。

「伊達政宗ゆかりの歴史・里めぐり  丸山城址・金山城址・小斎城址」 
勉強会に、瑞鳳殿ガイドの会 精鋭7名で参加。

山形県長井から2名 仙台からは我々含め11名 地元 丸森町から10名 合計25人の参加者


地元 金山邑 と 小斎邑の行政区長(邑長)・城址保勝会・歴史伝承会の幹部が 単行本並の分厚い資料を作成され、城址に至る登城路の草木を刈り払い整備され 準備万端 待って居て、まず、座学で 概要の説明。

各現地 急坂を登り 本丸址からの望見 水を張った広大な水田の先に城址が。
視界 誠に良好です。
説明者の指の先  城址に 4-500年前 伊達家と相馬家の間で激しい戦闘に駆り出された兵士の動きが見える感じでした。

また、伊達輝宗が相馬家との戦いで 大敗北した理由も 現地で地形を見て、地質を語られて 理解しました。

樹木で視界を妨げていた個所ありました。
「この次 来られるまで 町長に 邪魔な樹木は 伐採、物見櫓と狼煙台を設置 する様に 話します」
と 誠に 意気軒昂な方 おられました。
実現を期待しております。

今回セットされた以外精通者Uさんの案内があり 見学した個所は

1.丸山城址
2.伊達家14世伊達稙宗公墓碑
3.愛宕神社
4.台町古墳群(宮城県指定史跡)
5.小斎城址
6.矢の目館址
7.金山城址(金山要害)
  @出溜 A武家屋敷跡 B大手口 Cサンヤ址 D米蔵址 E三の丸大手埋門跡  F土塁址 G煙硝蔵址 H不動堂 I三の丸埋門跡
J出丸 K橋址 L厩址 M石垣 N本丸詰門跡 O本丸

12時間の行程。
日の出後、日没前 今の季節 野歩き 最高。



5 月 17 日 (金)  



皐月晴

講演会

「仙台城大手門を語る。文献資料、城郭史研究の視点からの検討」と題する 菅野正道市史編さん室長
「旧仙台城大手門の建築年代を考える 慶長期建設の立場から」と題する  阿部和彦元秋田工業高等専門学校教授
の講演を拝聴しました。

菅野正道市史編さん室長の
仙台城大手門をめぐる論点の整理
1.移設について
A 伏見城からの移設説 
B 名護屋城(現在ほぼ否定された)
C 移設否定説
2.建築時期について
D 築城期建設説
E 寛永期建設説
F 慶長後期建設説(菅野正道提唱)

慶長後期建設説
@ 従来説に対する認識
A 従来説で触れられていない仙台城の諸問題
B 慶長後期建設説の骨子
C 慶長後期建設説の課題

以上をA4 5頁の資料で語られました。

アカトンボが 目から鱗 の話題は
1.巽門の南東にあるL型の堀と土手の位置
2.巽門と寅門の配置(向き)
3.仙台橋(花壇橋)の位置
4.花壇屋敷の用途・目的

これらは、この周辺を散策した際 喉にトゲが刺さった感触ながら どなたにも 教えを乞えずに 居た所でした。
頂いて資料(寛文4年仙台城下絵図・部分)は 加筆されており 理解容易です。
早い機会に 現地確認致します。トゲが取れるでしょう。


本日の講演は、「太白区中央老荘大学開講記念 緊急討論」の 一般公開でした。
内容は 大変有意義でした。公開して頂いた事には感謝いたします。
残念な事
1.足腰の丈夫で無い高齢者を 長時間 椅子の無いロビーで 待機させた事です。
 予告より開場が20分遅れた。
2.質問の時間を設けなかった事です。
 歴史関係講座常連の方々 多数お見かけしました。きっと菅野先生に質問あったと推察しました。
3.「緊急討論」とは なんなのか?
 戦災で焼失し 存在しない建造物の建設期を語っています。緊急性 全く感じません。


追っかけ隊

★ NK様
  「あかとんぼ追っかけ隊にこの情報は 入らなかったようで」と
  「仙台の町割りをひもとく 政宗の町づくりとその背景」 5月14日青葉区中央市民センターでの 仙台市博物館菅野正道さんの講義レジメを持参してくれました。

  A4 4頁 内容は 僭越ですが「 ドカタ弁当」の様に ぎっしり です。

  ガイドの際 使わせて頂きます。
  「仙台城や城下の建設には、徳川氏に軍事的に対抗しようとする痕跡は全く見いだせない、むしろ 領内の政治的、経済的 繁栄を意図し 推進されたが適切と考える」

  NK様・菅野正道さんに感謝申し上げます。

★ KK様
  1日に 講座 3会場も巡る 元気な老女さまです。
  地下鉄数駅間 一緒になりました。

  「5月3日茨城県那珂市での{歴史ホーラム 発見 小野崎文書の世界}に行って来ました。
   新幹線・水郡線・バス・タクシーと乗換えて7時間(?) 

  政宗公密書と言われる文書を展示している「那珂市歴史民俗資料館」では 地元の歴史好者が 政宗公について勝手な事言っていたので 一発カマシてきた。
  講演会の 総合センター らぽーるホールは 仙台からは 唯一人では なかったかしら。」

 額田城跡 は見てきたかには 答をはぐらかしました。

  伊達家1家(イッケ)の○○家の末裔とも言われています。サスガです。



伊予吉田伊達家

宇和島伊達家の分家3万石です。
寛文事件、元禄赤穂事件で、仙台伊達家 一関田村家とも 関わりがあります。

シリーズ藩物語 宇和島藩 の著者 宇神幸雄氏が 伊予吉田藩を この度 刊行しました。
昨日 瑞鳳殿宛て 著書 2冊 (瑞鳳殿様 アカトンボ宛)と チラシ500枚の 送付がありました。

こらから読みますが 期待に応えて呉れると確信しております。

現代書館 1600円(税別)です。宜しければ。




5 月 16 日 (木)  



新緑 キラキラ 

福島県葛尾村。
地図上 行政上 存在するが 村人ゼロの村。
2011.3.11.以降 強制避難させられた村です。

福島県三春町(愛姫生誕の地)に仮設した住宅に避難された高齢者54名が 役場職員の引率で 役場の車2台に分乗し 参拝に見えました。

8日 コンベション協会のボラガイド担当役席から「シカジカクカクの方々をガイドできるか?」と電話頂きました。
「できます」と即答。
この場合 アカトンボは決してお断りはしません。

「何人でしょうか?」
「わかりません。こらから募集します。何人集まるでしょう?」 とは 村の担当者のご返事。

今朝
「8時に出発しました。2時間30分で 行くでしょう 宜しく」 と9時に電話。
「只今 仙台宮城ICです。あと何分要するでしょう?」 10時30分
「IC通過したのであれば 市内は混んで居ないです 15分でしょう」

到着したのは30分後の11時。

「30分後に出発します。仮設で生活しています。畑仕事等 自然から隔離され 足腰弱っています。よろしく。」
30分で、足腰弱った高齢者 62+15石段の往復し 参拝出来るしょうか?

避難民とは 住まいと食事は保障されたにしても 生活に制約があり 自由に出来ないです。 難民です。
精神的に 参らない様に 役場で 高麗者の気分転換に企画したのでしょう。

仮の住まいの感覚か 三春町イコール 政宗公正室愛姫の生誕の地 の意識・知識は????でした。

瑞鳳殿に限定し ご案内しました。
精神的に 元気回復されたでしょうか。
佛 瑞巖寺殿貞山大禅居士 の御加護は?




待機時間にガイドしました。
大阪からの管理職風。午後からの1000人参加の会議前とか。

浪速の管理職です。セッカチです。
ガイド依頼して居ながら 先行し ガイドを聞かず 納得されます。

「政宗公は 棺桶に・・・・」 「うん 棺桶か 墓室に入るか?」
棺桶を 現代の棺桶 棺箱と 混同しているのです。
手持資料 広げる余地なく 語る故で 図面で 納得されました。



5 月 12 日 (日)  



寒冷
ハーフマラソンが開催される故、9時から12時迄 仙臺城下は全面的に交通規制を実施されます。

規制実施前に 瑞鳳殿に到着しなければなりません。8時に邑を出発。途中 規制の準備 着々と進行しています。
仲間も 続々と早々に到着。KS嬢は、最悪事態を考え 自転車50分も漕いできたそうです。

9時前 東京からのお嬢さん2人。
誠に素直な方々です。

昨日 仙台に到着。真直ぐ ここ瑞鳳殿で来ました。明るいですが5時を過ぎていて入門出来ませんでした。
残念なので ホテルから 朝食ソコソコに来ました。

所で 伊達政宗 とは どんな人ですか。ここは なんですか? と誠に素直なご質問。

政宗公の略歴、御霊屋であり、御霊屋とはなにか、瑞鳳殿の特徴は・・・・・・語りました。

撮影ポイントを教えました。「オジサン 貸して」 手形指示棒を小道具に互いに撮影しています。
妙運廟界迄 案内しました。

瑞巖寺に 向うとの事。
政宗公正室 愛姫の御霊屋「寶華殿」 1660年創建以来の真物です。是非 お詣りしてください と勧めました。

「オジサンありがと」と西参道を下って行きました。
果たして 交通規制の中 仙台駅に辿り着けたでしょうか?

この東京からの2お嬢さん以外に 参拝者 1人も登って来ません。

天気予報は 快晴温暖 でした。予報は外れる為にある?

温かくなる の予報で 昨日比 薄着して来ました。冷たい風が 走ります。
御客様は 皆無です。御客様がお出でになれば 寒さは感じませんが。

顔面中央の2穴から冷水が流れ始めました。老骨が震え始めました。
このままでは 来週はガイド出来ない事態に。
仲間 O様 HK様 KS嬢 衆議一決 事務所に緊急避難。
熱いお茶を馳走になり 人心ち。

向山経由で、歩いて の 何が何でも 瑞鳳殿を参拝したいの信念の数組の御客様以外 皆無です。
 
9時から12時迄 我慢の子 待機でした。

12時15分過ぎ バスが動いたようです。御客様 ドドット。



瑞巖寺

瑞巖寺本堂は2018年迄の工期で改修工事中です。
ガイドの会で 見学会開催出来ないか の提案がありました。

4-6月の第2・4土曜日 1回30人限定で特別見学会を開催しています。
倍率が高く当選できません。それでの提案です。

土・日の見学会であれば 瑞鳳殿でのガイドに支障をきたします。土日以外に団体で見学できないか です。

瑞鳳殿は 政宗公の墓所です。瑞巖寺は 菩提寺です。
この御縁で 瑞鳳殿と瑞巖寺は 昵懇の中 ?

私らの願 瑞鳳殿から瑞巖寺に 伝えて頂ければ 実現性高いのでは と S主任に相談しました。




歴史フオーラム「新発見『小野崎文書』の世界」

5月3日 下記の通り開催されました。 
○ 演題  「政宗文書の中の『小野崎文書』」  
○ 講師  仙台市博物館市史編さん室長 菅野正道氏

○ 報告 「発見の経緯とその概要」 茨城史料ネット
○ コメント  那珂市史編さん委員 高橋裕文
○ 進行   茨城大学教授 高橋 修

、配布資料
1.額田城に届いた伊達政宗の「密書」 カラーA5 8 頁
2.政宗文書の中の『小野崎文書』 菅野正道
3.文書5通 
 @伊達政宗起請文(天正17年 小野崎彦三郎宛て)
 A伊達政宗書状(文禄2年 小野崎昭通宛て) 
 B伊達政宗書状(文禄3年 小野崎昭通宛て)
 C伊達政宗書状(文禄3年 小野崎昭通宛て)
 D伊達宗実書状(発信年? 額田久兵衛宛て)
 何れも 解説 ・翻刻・大意で構成
4.報告・額田小野崎氏の系譜と歴史
5.茨城資料ネット 団体概要
6.その他
を 頂きました。

今現在 あかとんぼ が理解したこと
1.額田城は、水戸と太田の2城の中間に位置した。
2.額田氏は、佐竹義直を祖とするも、佐竹氏の攻撃で滅亡。
3.小野崎通重入城 .額田小野崎成立、天正19年伊達政宗公の元に。
4.松平忠輝に仕え、忠輝改易後 水戸家に仕官 家名を後世に伝える。

血脈でも 攻め滅ぼす 凄まじい権力闘争
政宗公の武力以外での 調略の凄さ
の一環を知りました。


頂きました古文書等の資料 読みとき終わりましたら また。

菅野先生に 頂きました資料 積読でありません のご報告まで。
ありがとうございます。



5 月 11 日 (土)  



小雨 寒冷。

参拝者数 6日迄と比較して・・・・・
ガイド仲間 待機時間がありました。

国内は、愛知県豊橋市からの御夫妻。
その昔 ボラガイド全国来会が豊橋市で開催され、出席しています。
「その節は おせわになりました」と お礼申し上げ ガイドしました。

この方も「ガイド無料」使わなければ 損の組。
依頼して居て「急ぐから」
涅槃門は省略 本殿に急ぎました。


外国語語る壮年3人 手水舎に。
中華民國台北市から。本殿迄 丁寧にガイドしました。
1945年以降に生まれた実業界の方と見当しましたが、日本國の歴史を 知っています。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、日光東照宮、戊辰の役に極楽浄土も 知っています。
カメラは sonyの1眼デジタル。
下手な日本人以上に 日本が詳しい。


伊達武将隊が案内するツアー
11時30分 風呂敷包と蝙蝠傘を背に斜めに背負い 若い女性を案内してきました。
若い女性の勇気に感心します。チンどん屋と一緒に歩いているのです。また、歩行移動です。足痛くならないでしょうか。
武将隊は 地下足袋です。 
12時30分頃 瑞鳳殿から仙台城に向かい 評定河原橋をテクテク 歩いていました。本丸迄後 何分歩くのでしょうか。


昨10日 地場産業の代表約30人が 青葉まつり恒例の 自社製品を瑞鳳殿に奉納しました。
ガイド終了後 仙臺駄菓子を馳走になりました。
なんらの説明はありませんでしたが、 キット 奉納された品と理解 有難く馳走になりました。




5 月 10 日 (金)  



文化財学習団体の探索会

若林区区役所横に集合・出発。

1.養種園跡  伊達邦宗氏が1900年に直営農場として開設、仙台白菜の純良原種開発。
2.真山青果顕彰碑  1908年12月小説「南小泉村」を発表。地元民を侮蔑表現した為、約100年後初めて建てられた顕彰碑。
3.七郷堀  江戸時代初期開削。7っ邑を潤した農業水路。高砂堀と仙臺堀の分岐点確認。 
4.保春院  政宗公が母義姫(保春院殿花窓久榮尼大姉)13回忌法要に際し創建された。本堂新築中(なぜか工事は中断中)
5.宮城刑務所受刑者墓碑  新旧3基 新墓碑に 刑務所長の職名と氏名が刻されている。その感覚に疑問を感じた。
6.玉蟲家(左太夫)墓碑  戊辰の役の犠牲者。1971年建立墓名碑6人記載に「玉蟲左太夫誼 明治2年4月9日年47歳玉蟲勇三弟」と刻。
7.法領塚古墳  古墳時代終末期最大の古墳。直径55m.2段築盛円墳。頂上に「延宝9(1681)年3月3日 卍法領権現」刻1m高石碑と欅の大木。頂上を極める。1971年発掘調査。出土遺物7世紀前半代物。
8.地名(一本杉町)  由来の一本杉所在した位置と太平洋から望見された杉の生涯。
9.伊達家伯爵家使用井戸跡  現在涸れ使用不能。
10.伊達家伯爵家跡
11.伊達家伯爵家屋敷譲渡記念碑

  記念碑に「伊達家伯爵家屋敷の写真」と「寄附證書」が刻されています。碑の建立は伊達家18代御当主様です。
  「寄附證書」に 次の様に刻されています。

  寄附證書
  後記の不動産私等の所有でありましたが今般貴學院に御寄附申上ました
  就ては後日の為寄附證書一札差上げます
  昭和47年10月31日
  東京都品川区大井林町548番地 伊達鞠子 (署名 印)
  同所同番地 伊達貞宗
  右未生年に付親権を行ふ母 伊達鞠子 (署名 印)
  東京都杉並区荻窪1丁目136番地 岩村登美子 (署名 印)
  東京都中野区仲町11番地 本間恵美子 (署名 印)

  仙台市木ノ下○○○1番地の30
  學校法人 聖ウルスラ學院 理事長スザンナマルテン殿

  御屋敷は昭和56(1981)年に、学院から仙台市に寄付され 茂庭に移築されています。

以上を見学し学習しました。

7番以降は、学校敷地内で、通常立ち入り出来ない所。
特に、8.9.10.11は 学校中心部で 更に立入困難個所。
ここを 高齢者の学習意欲に意気を感じたか 学校長 自から 案内・説明して下さいました。

伊達家の時代、宮床伊達家と小牛田後藤家の下屋敷であったが、戊辰の役以後 伊達家に譲渡され 伊達家の屋敷(伊達伯爵邸)となり、大東亜戦争敗戦後、私立学校敷地になった経緯と屋敷の配置を、150年の歴史を 余人 立入困難地で「1見は百聞にしかず」 有意義な学習をしました。
聖ウルスラ學院 学院長のご配慮に 感謝いたします。


100余人参加しているに関わらず 聞こえる様に 聞かせる様に の態勢は 誠に不備でした。
ある女性参加者「聞こえません」に「前にでろ」。
前にて聞いている者を力で排除出来るでしょうか? 暴言です。

学院長は 教職者です。ハンドマイク使用しました。この2点で聞こえました。 絶えず 傍に拠る様にも務めました。補聴器考えないといけないのかな。



5 月 6 日 (月)  



黄金週間 最終日

4月27日から5月6日迄 10日間 
長ーい休みを取られた方も お出ででしょう。お疲れ様でした。

途中5月1.2日 静養しましたが 前半・後半と 計8日間を 瑞鳳殿職員の皆様 Uさん NMさん 等の 多くのガイド仲間とボラガイド支援機構に支えて頂き ガイドしました。できました。
感謝 です。


今朝 早々 感謝・感激・恐縮の出来事がありました。
4月8日の日誌に記載した「政宗公の密書」についての特別公開 記念講演 が

○ 演題  「政宗文書の中の『小野崎文書』」  
○ 講師  仙台市博物館市史編さん室長 菅野正道氏

○ 報告 「発見の経緯とその概要」 茨城史料ネット
○ コメント  那珂市史編さん委員 高橋裕文
○ 進行   茨城大学教授 高橋 修
○ 日 時  5月3日(祝) 13時〜15時30分
○ 会 場  総合センター らぽーるホール
        〒311-0121 茨城県那珂市古徳371

[主催] 那珂市 那珂市教育委員会 茨城史料ネット
[後援] 茨城県教育委員会
[協力] 茨城大学 NPO法人 歴史資料継承機構

で 開催されました。
4月29日に、ある方から、「菅野先生の講演会に行くでしょう。オッカケ隊長としては。」と 確かめられました。
「行きたいのは 山々なれど 黄金週間 道路は混み ホテルは取れないから 断念。先生に資料1式 お願いしました」に
「ヒヤー」 の反応を頂きました。

博物館に資料1式を 頂きに参上するつもり ながら 躊躇しておりました。
ら、今朝9時前に 瑞鳳殿に資料一式を持参して頂きました。誠に恐縮の極みです。

博物館 企画展「若冲」 本日が最終日。昨日も 博物館が主目的で 瑞鳳殿参拝は余暇の活用(オマケ)と申す方 多くいました。
三の丸周辺は 喧騒を極めていました。
博物館開館以来の観覧者数では?
この有史以来の観客動員で 何かと ご多用の中 本当に恐縮の極みです。

菅野先生 お見えになったのを見ていた仲間 「何で 菅野先生 アカトンボの所に 来たの?」
シカジカ カクカク と語りました。
早速 数人の仲間から「勉強 終わったら コピーとらせて」。
気持ちよく了解しました。


4日の「参拝客 久々 2000人台を越えた」は 2年前 3.11災以前の 記録に匹敵 するらしい です。

今朝 要旨 次の通りのメールを頂きました。
「とても親切に説明していただき、感謝しています。
子供にもわかりやすいようにお話ししていただけたので、子供達も歴史に興味がわいたようです。
帰りには胡桃の木付近に落ちていた「どんぐり」を記念にいただきました」

栗鼠が散策始めましたので 栗鼠と胡桃の木について 語りました。
そしたら 子供さんが ドングリを広い 両親に見せていました。

また 訪れたいとありました。
メール頂ければ 日時調整いたします。お待ちしております。


昨日 今日と 宮城県内 仙台市内からの 御客様 多くなりました。

「登米(トヨマ)から来ました」
お珍しい。
「御客様の所に この瑞鳳殿に似た 御霊屋 あります ヨネ」
「−」
「登米城址 観光物産センターから登った所に 覺乗寺高台院霊屋(登米伊達家4代 宗倫公)があります。2010年9月25日お詣り参りました。」
「−」
「ウナギ 名物で 美味しいですネ」
「−」
「あぶら扶 名物ですネ」
「そうだね」

登米伊達家は現在も登米(トヨマ)に在住です。
面積的に広くない 登米(トヨマ)にお住まいで こんなに 知らない とは 不思議です。
この方 登米(トヨマ)からではなく 登米(トメ)市から 来たので あったか?


「ガイド 無料」と看板を出しています。
本日 こんな事例がありました。
「ガイド 無料だって 頼もう」

涅槃門の前に、彫刻 説明しようとした途端 2嬢 キンピカの携帯電話(スマホではありません)を取り出し パチパチ。 ガイド聞いているのか いないのか。

手元資料で説明しょうにも 振り向きません。閉じました。
本殿まで 案内しましたが ほとんど 聞いていませんでした。

13年中 最不良の御客様です。
無料だって 頼もうは 無いと思います。
求めるものと 違っていたら 途中でも 要らない と断ってくれれば。その時間 ガイドして欲しい方にガイド出来るのに。







5 月 5 日 (日)  



黄金週間 後半3日目

本日も 参拝者 怒涛の如く お出で頂きました。
昨日 参拝客 久々 2000人台を越えたと 非公式発表がありました。

昨日 午後ガイドされたSS嬢の感想
「驚きました。
感仙殿地区もお願いと言われ ガイドをし 口中 カワカワ 足 ガクガクに成り戻り 一休みと思った途端 お願いします。
遠方からお出で頂いた方です。気持ち良く引き受けました。
終わったの 5時近くでした。 疲れました。」

SS嬢 本日12時30分頃まで ガイドされました。無理されないように。

(公益)瑞鳳殿のお話では 券売窓口5時迄 延長したそうです。


特別案内 御客様 お見えになりません でした。即 通常ガイドに。

延5日 (公益)瑞鳳殿のHPでも 広報しましたが 
遠方からの方は 2時間は長い 短時間で 多くを観光したいと 参加されず。
歴女の方の琴線に触れなかったか キャチされなかったか参加されず。
千秋楽 盛り上がらなかったは 残念。


昨日の反省。1時間程 感仙殿地区で ガイド。
待機ベンチ無く腰痛です。 それで 短時間です。


涅槃門左手 灯篭 火炎窓 10余基 横一線 揃っています。
気が付く 意識される方は 皆無です。

2年前の震災で 全倒しました。
復旧工事担当の東京の石匠 「わかる人にわかって頂ければ 良い。石匠の意地・誇り です」と語っていました。
不等沈下した地球を弄らず 途中で 傾斜の修正 全体の安定を 図っています。見事な技です。

ガイド以前に幼児の背景に この灯篭の火炎窓 横一線を 撮影されている 若い母親が。
思わず 「お客様 抜群のセンス。これに 気がつき撮影された方 初めてです。10万人に一人でしょう」と。

御主人も センスが良いです。ユニホームの背中 気がつかれました。説明致しました。
「家内と子供と一緒に撮らせて」 例によって 裏表のモデルになりました。
旭川からの御客様でした。


東京の旅行会社K嬢から 「5日祝日 ガイドしていますね お願いします」と過日電話がありました。
「私共は 予約は受けていません。活動時間にお出でになり 頼むと言われれば 喜んでガイド致します。予約されるならば 有料の団体をご紹介致します」
「イヤ 無料のお宅の団体のガイド ぜひ お願いしたい」

結果的に 「12時20分に到着する」の連絡。
12時30分に到着 10分遅れは 昨日に比較すれば 遅れていない方。

13時20分に出発したい。瑞鳳殿と感仙殿地区全てを50分でガイドして欲しい。
誠に 厳しい条件です。

「わかりました。通常2時間を要する個所を50分です。歩行だけで20分 必要とします。歩きながらお喋りします」

伝えたい事 沢山あります。時間は限られています。お喋りしながらの歩行には 呼吸困難 息の調整 難しい年頃です。
この 我が身の辛さ 理解出来ない 若く無いご婦人 出発と同時に グチグチと話かけてきます。
話しを聞くには 立ち止まらないと正確に聞き取れません。そうすれば 添乗員指示の通りの案内が出来ません。不可能です。
萬民の為 添乗員指示優先です。 突発性難聴になり お喋りし 歩を進め 添乗員との約束を守りました。




以下は 昨日の補遺です。

子供5人連れた家族。T家7人とは 最近の日本では 誠に珍しい。
お上の育児手当の成果?

幼稚園児の女童 と 同じデザインを着用した4人の男児 騒がしい事無く 団結している。
どんな育て方しているのか 感心する。
いくら 噛み砕いても園児には 理解困難と思うが 「わかった?」に {ウン}と 頷く。可愛い。

この一団、「アツ 栗鼠がいる」
本殿南 胡桃の木に栗鼠が生育しています。

4人の男児 「なにか 食べてる」
視力の差か 悔しいが 大人は 見つけられない。


八重櫻 満開です。
本殿北端にある大木です。

光線の関係で 本殿と花と一体で 美景の撮影が 難しい。再度 挑戦します。ご期待を。

「あれ なんですか?」
「櫻です。八重櫻 八重の櫻です」

松と杉の区別出来ない方います。

櫻 4月始に 見て 5月には 全て 散ったと思った方でしょう。
NHK大河ドラマ に関心のない方でしょう。

「八重の櫻です」に 反応皆無でした。


アカトンボさん あなたの 紫地羅背板五色乱星陣羽織 とガイドしていますが 間違っていませんか? 
博物館パンフには  紫地五色水玉陣羽織 となっています。 乱星ではなく 水玉です。

と ガイドのS嬢から 朝着替えの場で。

博物館学芸員の先生方 長年の調査の結果 水玉ではなく 乱星との結論に達し 展示される際 紫地羅背板五色乱星陣羽織と 掲示しています。
有料ガイドの会の勉強会で 濱田先生も 菅野先生も 2010年8月以前から 語られています。
また、家紋「竹に雀」と生地から 政宗公着用は 疑問である とも 語られています。

博物館パンフ なぜ 訂正されないかは 私には わかりません。


慶長6年の記録では「乱星」であり、家紋「九曜紋」も星であります。これらから「五色」の意味は陰陽五行説と考えるべき。

青(緑)  木星  東  春
赤(紅)  火星  南  夏
黄     土星  中間 土用
白     金星  西  秋
玄(黒)  水星  北  冬

星ならば 全てと関連性があり 納得できます。

の 濱田先生講義録(あかとんぼ瑞鳳殿ガイド日誌 関係部)を 見頂き 納得して頂きました。



5 月 4 日 (土)  



黄金週間 後半2日目

参拝者 津波の第2波 第3波のようです。
15分間隔で 怒涛の如く お見えになります。

看板効果か、御一人様から 続々 ご依頼頂き 仲間共々 瑞鳳殿本殿との往復しきりです。
感仙殿地区 誰も居ないではないかの お叱りがありました。ご尤もです。一考の余地あります。


特別案内 参加ありました。12時過ぎ 「終ます」と連絡ありました。
参加者にお礼の挨拶しなければ と思っていたのですが ガイド最中で 出来ませんでした。

御客様は タクシーで駆けつけてくれた 有難い御客様なのです。両立しない 申し訳ない。


ループルバス 瑞鳳殿前は バス待ち 長蛇の列です。
交通局係が 普段はしない運行管理・乗客案内をしていました。
乗客が多すぎる事と地理不案内の車による市内の交通渋滞で 定時運行確保が難しいためでしょう。


ある御客様駅始発で 「連れが足が悪く 遅遅と歩いている。待って」と頼んだが 断られたと申しておりました。
新幹線では ありません。待ってあげるべき と思いました。
交通局としては 定時運行確保が使命で 待ってくれなかったのか。
定時発車しても 渋滞に捕まれば 同じです。


ある仲間、有料ガイドを頼まれ 仙台城址12時の約束で 時間前から待機しているのに バスが到着しない。
時刻過ぎ 添乗員から 「現在 東北道 下り線 白石IC付近迄 辿り着きました。通常であれば 1時間強ですが。必ず 行きます 待ってて」と 電話があったそうです。

予定では 12時仙台城址 13時30分瑞鳳殿を出発 山寺に向かう計画とか。
果たして 結果は?

予定から1時間半遅れ 到着し、仙台城と瑞鳳殿の見物・参拝以外の本日の計画を変更したそうです。

御客様 怒っていたか? 
黄金週間 事故 渋滞 を予想される時 旅行に出た方の甘さ と達観されていたそうです。

待機した仲間 2時間の待ちに それから ガイドと 4時間の拘束で 気力・体力 使い果たし ヒロヒロになったのでは?
明日は どうでしょうか? ガイドに来てくれるか?


4月からガイドを始めた仲間 走って来ました。
「再建工事の施工会社は どこですか?」
「松井建設株式会社です」

後刻
「そんな会社 知らないなー」と言われましたと報告がありました。

知らない 御客様が 知識不足です。清水・鹿島・大成ばかりが建築会社ではありません。
松井建設が受注した経緯は ガイドの範疇外で 存じませんが、技術が評価されての結果と思います。
其々の専門で、技術を持っている会社が あるのです。



5 月 3 日 (金)  



黄金週間 後半初日

青空です。暖かい筈ですが低温です。
経ケ峯山頂 故か 感じます。

「義母様(おかあさま)此処は寒い様です。大丈夫ですか?」やさしいお嫁さんです。
「大丈夫です。政宗さんに会えるのです。寒くはありません」 これまた気丈夫な義母様です。

到着した9時には、既に沢山の御客様が参拝されていました。


福岡からの御夫妻 初孫4ケ月を祝うに来仙したら 息子に 逆に励まされ 瑞鳳殿を案内されたと嬉々と語られました。

「仙臺は伊達家62万石・・・」に 即 「黒田家 52万石」と 返って来ました。
「唐獅子牡丹・・・」 に 「鶴田浩二・・・」と 返って来ました。

相性が 合います。ジックリガイドしました。


外国では、中華民國・臺灣省・台北市からの若いペア。
特別案内受付で 1時間で頼むとの事で、特別案内とは別に 瑞鳳殿を1時間ガイドをしました。

「拝殿の扁額 珊瑚と真珠が粉末化され塗られています」に 「アツ 彼女の名前だ」に 手帳紙にサインを頂きました。
藝珊と記し(ゲイサン)とフリガナされました。

珊瑚の珊です。
藝は、旧字体 現在 芸 です。彼の国では 通常文字でしょうが 日本では 通常使用しない文字。思わず アカトンボの名刺を。
旧字体です。 2人には 読み慣れた文字の羅列です。


御客様 3.11津波 第1波の如し です。
ループルバス 15分間隔 満員。
待機しているタクシー氏  「ガイドさん ガイドは短く 仙台城には タクシーが早いと喋って」
特別案内の待機中の会話です。


この特別案内について 公益財団法人瑞鳳殿のホームページ 最新情報 欄に

「2013.5.3 観光ガイドと歩く 伊達三名所(瑞鳳殿) お申込み不要
観光ガイドが経ヶ峯、伊達家御廟を詳しくご案内いたします!

特別案内:5月3日、4日、5日 10時発(所要時間2時間) 瑞鳳寺山門前集合

*ガイド料無料(ただし別途瑞鳳殿入場料が必要です)

と掲載して頂きました。
効果を期待しています。

「ガイド 無料 御一人から」の看板 効果抜群  御一人からのガイド依頼 ある様になりました。



5 月 1 日 (水)  



黄金週間前半 5日精勤しました。
些か 疲れまして 本日 ガイドを休み 静養しました。


「明治維新後に多くの武士が在郷屋敷を拠点にそのまま帰農し、また地元の学校教員や役場職員になるといった事例が多く見られた。
結果的に、旧仙台藩領では士族と平民の対立が他地域よりも少ない傾向がみられた」
と仙台藩志会総会後の講演会 
演題「検証・仙台藩の草創期-伊達政宗を読み直す」で 
講師の菅野正道氏は 仙台藩政の特色の一つとして 語られました。

この在郷屋敷の配置形態が どんなものか 些かの興味を持ちました。


中島家 伊具郡金山邑在(2000石)の場合
邑に、中島家の在郷屋敷があり、中島家の家臣(陪臣)、伊達家の直臣が 其々居た。
明治維新で 新しい政治・行政の体制になった際、在郷領主中島家は 地方自治体の長になった。
中島家の家臣(陪臣)は そのまま 傘下に入った(組み入れた)。
しかし 伊達家の直臣達は 潔しとせず(同格から格落?) 別の行政区画を結成した。

この直臣と陪臣の屋敷は 交互に配置されていた。故に 邑境が 凹凸 フスナーのカギの様になっている。
と この付近の邑 出身の郷土史家が最近 教えてくれました。

武士同志(直臣・陪臣でのプライド意識差ありながら)に 純農民との混住があったわけです。


天童家 宮城郡八幡邑在(1400石)の場合
天童家を中心に家中や足軽の屋敷が並ぶ一方、百姓屋敷が混在していたのが絵図で読まれる。

天童家は1584年最上義光に敗れ、最上・天童から移り 伊達家準一家 となり 現在の当主は25代。
天童家文書を多賀城市教育委員会を解析中
4月29日河北新報記事は伝えています。


この在郷屋敷の配置形態の更なる解明は、宮城県公文書館 保存 明治初年の地引図を閲覧するのが よいのかな?





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