2013年8月の日誌
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8 月 31 日 (土)  



天気予報 「昼から大雨」
仲間 「降ったら 帰ります」 
TVで見る 籠(車)冠水し 動けなく シーンが脳裏にあるらしい。
景気予測も 天気予報も 当たれば オメデトウです。

真っ黒のTシャツ。白文字は
「くもりなき心の月をさきだてて浮世のやみをはれてこそゆけ」

政宗公辞世のうたです。

寛永13(1636)年正月20日に詠ぜられ、近習 南次郎吉に自筆短冊が下されています。
それを真っ黒Tシャツの背に白文字で再現されたものです。

鶺鴒の花押もあります。
黒地は 伊達家のカラーに習ったものでしょうか。

大阪と姫路の女性です。瑞鳳殿は2-3回お詣りされているそうです。

Tシャツは、彦根城で求めたそうです。
政宗公の長子 秀宗公正室は 彦根井伊直政の娘 亀姫です。
この様なご縁で 販売しているのでしょうか?

瑞鳳殿では 4−5年前 黒Tシャツの背に白文字で 鶺鴒の花押を再現したものを作った事があります。
その後 販売されないのは 版権等の問題では ないかと想像しています。
ヒトゴトながら 彦根城は 法的問題は処置済でしょう。

このお客様の闊歩は 迫力がありました。
秋 紅葉の頃 再来されるそうです。楽しみです。


8月12日の日誌に
「涅槃門からの 3段1段の石段ですが、3段1段の理由は「駕籠かきが休むため」と 語っている人が出できました。

3段登って 休むであれば 62段は どうする。
金毘羅さん の石段 駕籠は 階段に平行に登ります。町人は 自由ですから よろしいでしょう。

最高権力者の殿様の乗った駕籠 蟹の横這いで登れますか?
縦 進行方向に 担いで登れますか?籠の人も 駕籠かきも 苦痛の筈です。

命令を発した殿様が その命令の下馬石標 を無視し  乗り物 駕籠に乗って通れますか です。

この駕籠かき説の方 ご高齢で 資料の収集の熱心な方です。
確かな 史料 があってのガイドでしょうから、
アカトンボは貧弱な思考に固まり、困っていないで 教えを乞う事」
と記載しました。

瑞鳳殿を駕籠で昇殿したと説明されている方 に教えを乞いました。 

確かな史料は無いそうです。
大年寺の石段は、殿様が駕籠で参拝するので、駕籠かきの為の施設がある と友人から聞いた。

大年寺にあるもの、出来るものが 瑞鳳殿に無い筈はない、出来る筈だ。だから その様にガイドをしている。の返事。

確たる史料を公開してください。ガイド仲間 歴史を学ぶ方々に 広く公開しましょう。とお話致しました。


インドネシアからのお嬢さん2人。
Uさんが ベストポジションを案内していました。案内された所で シャッターを押しました。
持てる 光学機器 アラヌ方向に向けています。
美の感覚の相違でしょう。


市役所ギャラリーで開催された写真展 「瑞鳳殿の四季」 4桁に近い方が訪れたそうです。御同慶。
プロとアマの違いは構図にあります。勉強になりました。インドネシアのお嬢さんのアラヌ方向も参考にすべきと思います。


雨 降りませんでした、



8 月 28 日 (水)  



伏見天皇宸翰

福島美術館(仙台・街のちいさい美術館 若林区土樋288)から、「ふむふむ・なっとく 仙台藩の手文庫」なる企画展の案内があった。

期日は、9月19日から11月24日まで

11月10日13時30分から 瑞鳳殿加藤寛学芸員の「瑞鳳殿の副葬品〜舶来品から見える慶長使節の関わり」と題する講演があります。


主な展示品 78点のトップに

1.宸翰 伏見天皇筆 伊達家に伝わった宝物
2.書付 徳川家康筆 贈り物の目録も宝物

とあります。

さて、伏見天皇とは いつの世? 第何代天皇で、 伊達家何世の時代 ・・・・・


伏見天皇とは、
第92代天皇
文永2年4月23日(1265年5月10日) - 文保元年9月3日(1317年10月8日))
在位:弘安10年10月21日(1287年11月27日) - 永仁6年7月22日(1298年8月30日))
諱は熈仁(ひろひと)
書道の伏見院流の祖、京極派の有力歌人

とwikipediaにあります。


伏見天皇のご生涯に一致する伊達家当主h

3世 義広 康元元(1256)年 72歳卒
4世 政依 正安 3(1301)年 75歳卒
5世 宗綱 文保元)1317)年 54歳卒
(仙台藩歴史事典による)

在位期間からして 4世 政依に賜われたものか?
それは、 なぜか?

福島美術館は 混雑すろことは 今までありませんでした。
学芸員の 尾暮さん 小林さん は いつも 懇切丁寧に解説してくれます。

駐車場完備(地下鉄愛宕橋から5分) 70歳以上無料(申し訳ない)

上記 謎 解明に 行きます。



8 月 27 日 (火)  



政宗公 和歌懐紙

入そめて くにゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ

政宗公が仙台に居城を移したときに読まれたもの。もともとこの地は、千代(せんだい)とおおましたが、この和歌では「千代と限らじ」とよみ、「千代」を後の「せんだい」=千代にかけて、「1000年の世といわず永年に繁栄あれ」との願いを込めています。現在の「仙台」の地名の起源となりました。


瑞鳳殿の拝観券 
表には、文久2年仙台城下絵図(齋藤報恩会蔵)一部を下絵に、仙台市博物館蔵・仙台市指定文化財の政宗公自筆が記載されています。

裏には、上記の通り 記載・解説されています。

有料拝観者のみで 団体拝観者には渡されません。
下絵と言い、和歌と言い、他では容易に 入手出来ない貴重品です。

人に寄っては「○○に真珠」です。落とす人 多いです。半日で5枚位 拾う日があります。

落下の瞬間 確認した時 この様な内容で貴重な紙票ですと 説明します。大方の方 バック等に大切そうに納めます。

ガイド仲間でも アカトンボの様に説明する人は少ないです。
でも、知る人知るです。

26日の河北新報「声の交差点」に仙台市の中川八重さん63歳の方が

 13日大崎八幡宮での「雅楽の夕べ」が木立の中、豪華絢爛国宝の社殿前で演奏された。
「入そめて くにゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ」の神楽歌を観客一緒に練習した。思い出になった。
旨 投稿されていました。


実は、この方から 22日 地下鉄富沢から仙台まで 車中で この話を聞きました。
瑞鳳殿で お客様に この和歌 政宗公の思い 語って頂けませんか ガイドしましょう とお誘いしましたが?



8 月 26 日 (月)  



角度

山門と参道

何を語ろうとしているか?

瑞巖寺は海から山門・参道・本堂に 一直線。
北山の寺・寺も、参道・山門・本堂に 一直線。
萬壽寺も、参道・山門・本堂に 一直線であった。(現在の萬壽寺は、昔の塔頭・三峰院)

お寺の配置は これだ と思っていました。
萬壽寺は、1696年に綱村公が、移転形式で創建したお寺です。

大年寺は、1696年に綱村公が、創建したお寺です。
共に 黄檗宗です。

萬壽寺と同じ配置であると意識して居ました。
木流堀から 惣門を潜り 石段を登る。そこに山門があり、本堂に至る 配置であったと意識していました。
8月27日 東北工業大学松山正将名誉教授が、現地で バス駐車場を 「此処が山門の在った所」と示されました。

配布資料 「両足山志」1734(享保19)年・仙台市博物館蔵に描かれた大年寺伽藍を注目したところ、南方向の惣門・石段の先が突き当り、右が伊達家墓所、左折・右折して 山門に到り、本堂等の伽藍の配置です。

なぜ、この様な配置になったか。

今一つの疑問は、仙臺城から 半周(北から東に、更に南に至る)して 大年寺山に登ります。瑞鳳殿に近い 北側斜面に塔頭等が配置されています。

此処にある澤は、「米砥澤」と称され、現在も 下流は一部暗渠になっていますが 滔々と流れています。
その名の由来は、大年寺の塔頭等からの「米のとぎ水」で、白濁したにあると 識者からききました。

なぜ、仙臺城に近い この斜面に 惣門・参道と表向きの道を作らなかったか?


本日、東北工業大学・緑の楽校・出前講座にて、松山正将名誉教授にお訊ねしました。
「わからない」 とのこと。
当然かも、 先生の専門は「土木」。それにしては 歴史に精通しています。



8 月 25 日 (日)  



夏は終わりました。

仙台市で 全国高等専門学校体育大会が開催されました。

九州 有明工業高等専門学校の学生が5-6人の団体で何組かが 参拝に見えました。
Uさんと20分を目途にガイドしました。

さすがと思いましたのは、所在が九州の有明である事、工業高専校である事、1年生から5年生迄います 思春期である事に関わらず、政宗公に精通した学生が居た事です。

政宗公は 若い女性の○○なのでしょうか。
本校の特色に 女子学生が多い事が挙げられると 解説にあります。


九州大牟田の男性
北海道から 単独で見学しながら南下を続けている。
鬼首・鳴子・岩出山・松島と見学し 仙台に入った。5ケ日滞在する予定とか。

全国のんびり旅行されるなら キャンピングカーの利用は? と質問したら 食事と駐車が面倒 との回答。
そうかな。
夫人同伴が 楽しみ 喜びが2倍 3倍になると アカトンボは思います。
個人的 触られたくない事情があるかも。尋ねません。

資料館 長時間 費やしていました。感仙殿地区も案内して上げればと思いましたが 見失いました。


なぜ 九曜紋があるのか?
熊本城の石垣を最近 見てきた。九曜紋があった。

に、政宗公と細川公の親密な関係 家紋の由来を語りました。

「これは 意外な収穫であった。午後からの会議(説明会)に使える」と大歓び。

「NGOピースポートのオフィシャルパートナーの(株)JGの○○です。ピースポートクルーズが10月9日石巻港に入ります。その為の会合の前、訪れました。収穫があった」と名刺を出されました。

アカトンボの拙いガイドで GNPが押し上がるでしょうか?


本日11時30分から役員会を瑞鳳殿図書室で開催し、10月17日(友引)実施計画の現地勉強会について審議しました。
業務監査としてY監事が出席しました。会有史以来の出来事です。



8 月 24 日 (土)  



伊達宗贇

 「アカトンボさん 何と読みますか?どこのかたですか?」と過日、ある所で、ある人に問われました。

知らなくて聞いたのではなく、「お前は 知っているか?」のテストです。

学力・知識力・記憶力 のテストです。

宇和島伊達家の殿様までは 瞬間にでますが、名前・何代目・仙臺伊達家との関係は 出て来ません。


菅野先生は、
「20余年伊達家を勉強しているが @政宗 A忠宗 B綱宗 C綱村 D吉村 E宗村 F重村 G斉村 H周宗 I斉宗 J斉義 K斉邦 L慶邦 と13代を澱みなく言える様になったのは 最近です。皆さんが 政宗公と慶邦と 中抜きキセルになっても・・・・・」

と 記憶力の低下 ザル頭を 慰めてくれました。
一度 覚えた事は記憶していますが 出て来ない。 参った。


テストの答。
宇和島3代目 ダテ ムネヨシ  仙台伊達家3代綱宗公の3男


詳細は、

仙台4代藩主綱村は母を同じとする兄にあたる。
もともとは、寛文6年(1666)8月17日に石川民部宗弘の様嗣子となっていたが、貞享元年(1684)に、宇和島伊達家の三保姫の婿養子となって宇和島藩主になることが決まり、将軍綱吉に拝謁した。

その後、元禄3年1690)、三保姫と結婚し、元禄6年(1693)藩主となった。元禄10年(1697)1月10日、江戸城内で能を舞うように命じられ,天鼓を舞った。
腫物に悩まされて死去。

没年 宝永8年(1711)2月18日 47歳
墓地 龍華山等覺寺  品川・東禅寺(遺髪)
(宇和島伊達博物館資料による)




8 月 23 日 (金)  



宇和島

櫻観測隊で宇和島に1ケ月滞在し お世話になった際の関係者が来仙されました。

3.11被災地と伊達家史蹟を見たいとの要望ながら、時間的制約から伊達家史蹟中心となりました。


1.仙臺城三の丸跡・仙台市博物館
@ ユネスコ記憶世界遺産 (世界でここにしか存在しない)3点(内1点保存の為 模造品)
A 紫地羅背板地五色乱星陣羽織
B 瑞鳳殿発掘品(金ブローチ・太刀・金貨)
C 政宗公画像 ・・・残躯・・・宇和島史蹟庭園 天赦園 はこれに由来すろと説明
D 伊達家領内全図
E 政宗公胸像

2.仙臺城二の丸跡・大学青葉山構内・御裏林
@ 大手門土塀
A ノーベル賞田中耕一学び舎
B 龍の口渓谷

3.仙臺城本丸跡
@ 北壁 石垣見本
A 天守台予定地
   宇和島城との類似・相違点を語る
B 懸造跡・政宗公騎馬像・土井晩翠像ほか
C 展望台

4.瑞鳳殿・資料館・弔魂碑
   一行は明日日光東照宮を参拝とのこと。
   類似・相違・共通する点を語る

5.定禅寺通・青葉通
  宇和島駅大通 フッニクッス並木と仙台の欅のトンネル 
  日本の道100選の 定禅寺通は 仙台では自慢の個所
  宇和島には「南レく街道」があるが 宇和島駅大通と同一か不詳。関係者も語らず。

6.その他
  山家清兵衛と和霊神社 仙台の和霊神社はビル屋上に鎮座

以上の通り 語り 案内しました。


仙台市博物館には、政宗公・忠宗公関連は沢山 展示されています。秀宗公関連は 見落としました。
来年 特別展まで お預けでしょうか?




8 月 22 日 (木)  



気力・体力・学力そして記憶力

講座の梯子

1段目
21日午前。 「幽霊の誕生」 講師 東北大学大学院文学研究科 佐藤宏夫教授
なぜ 江戸時代になって幽霊がでたか。

現世と来世 生者と死者 葬送の在り方 非常に興味深い内容。
8月16日日誌「お墓」 修正の要ありです。

2段目
21日昼。 「笹かまと津波」 講師 閖上・蒲鉾佐々直 佐々木社長
3.11被害と国の加工業に対する支援

3段目
22日午前。「仙台市域の奥州合戦」 講師 仙台市博物館市史編さん室 三好俊文学芸員
奥州を1189年侵略した源頼朝は、仙台から北に進軍する際 岩切か 宮床か 何れの道を通ったか。

途中の地名と伝承から 西コース(宮床経由)と確信している。

先生 若いながら 気骨があります。「侵略した源頼朝」とズバリ言われました。
地元に軸足を置いた 正しい位置の発言です。

地元伝承を重視していましたので
「作並温泉・岩松には、源頼朝が平泉からの帰路 発見したの伝承(石碑)がある。
吾妻鏡 私が読んだ限り 平泉からの帰路の記述が無く 不明です。
帰路のコース おわかりでしたら」 と質問。

4段目
22日午後。「歴代藩主の生涯とその治績 6代宗村と堀田正敦」 講師 仙台市博物館市史編さん室菅野正道室長

5段目
22日午後。 講師 仙台市博物館市史編さん室菅野正道室長

先生を廊下に追いかけ 
1.16世紀後半から大量に寺院が開創された。
 これは、社会が平和・安定した事と 5人組制度の施行によるものか。
2.著書にある「乱場」とは邑外れの邑の墓地ですか。
等を御教示願いました。

懇切丁寧に解説して頂きました。
1段目「幽霊の誕生」と関連があります。
整理し消化出来ましたら 記載します。


梯子は以上ですが、参加したかったが、出来なかった講座
 「東北工業大学公開講座(緑の学校) 仙台城跡・国史跡指定10周年記念」でした。

21日午前 座学 
22日午前 現地踏査 本丸騎馬像から三の丸、重臣屋敷跡、二の丸から本丸

Uさんは、2日間参加され、座学資料を確保してくれました。感謝です。



8 月 21 日 (水)  



「写真展 瑞鳳殿の四季」

仙台市役所 1階 ギヤラリ-にて 鑑賞。
撮影者の沼崎和宏 氏が待機していて、撮影技法等解説を頂きました。

構図。 
絵心ある 職業写真家の構図は 素晴らしい。
芸術としての 写真とは を教えてくれる。  

沼崎和宏氏は、青年です。
芸術は、年齢・経験では 無く 感覚の問題です。
思い知ります。


何点か 会場から外出した と沼崎氏は申しておりました。 
盗難にあったとは 申していませんでした。見たかった。


この写真の版権は すべて瑞鳳殿のもの。
構図等 素晴らしいと撮影・複写は 瑞鳳殿の許可が必要です。
事務局次長が 頷いています。


昨日からの展示です。29日まで です。
Uさんは 開場1番客のようです。




8 月 20 日 (火)  



曹洞宗 龍津寺 様

19日 仙台市荒浜で、3.11震災 殉死者供養祭を 催された 東京・曹洞宗 龍津寺 様。

本20日伊達家史蹟を見学したいと、特定非営利法人仙台城ガイドボランテイア会 小林会長に依頼がありました。

仙台城は、我(小林会長)がガイドするが 瑞鳳殿は 瑞鳳殿ガイドの会 でよろしく と連絡がありました。
急な連絡と仙台城が会長自らであれば と 会員のどなたか 頼むわけにはいきません。大雨の中 ガイドしました。 

当初、

「山門前 下乗車間 45分でガイド出来ないか?」

「出来ない事はありません。お寺さま である お客様 宜しいでしょうか?

ご案内致します瑞鳳殿は、臨済宗妙心寺派瑞巖寺を再興された伊達政宗公の 御霊屋です。
瑞巖寺殿貞山大禅居士と 寺号 をお持ちの政宗公の お墓そのものです。

曹洞宗と臨済宗とは 同門と聞いております。
一般の方と異なると思います。
悔いが残りませんか。 せめて15分プラス出来ませんか」

「もっともだ 15分は 如何様にもなる」



西参道を下っている際 若い女性1人とスレ違いました。
追分迄 降りた所で 彼女 追いかけてきて 「モデルになって呉れ」の趣旨の言。

東参道を背景に 表・裏 モデルになりました。

追いかけてきて モデルに とは 日本のお嬢さんに言われたことありません。
言葉 なんか 硬いです。

中華民国 との事。
日本語専門のアカトンボと 暫し 会話しました。

父祖(日本が統治していた)時代から 台湾ですと。

「外国(日本)を 若い女性が 単独で 旅行して 怖い事ありませんか」 に、
「日本は 治安が安定していて 怖い目に 会った事ない」の返事。


全てのガイドを終わり 事務所に。
「雨の中 ご苦労様」とS主任から 熱いコーヒーを馳走になりました。

ガイド結果のほか
「来年 プレDCが 4-6月開催されるらしい。ガイドの会に連絡は?」
「政府は 観光客誘致拡大を検討しているらしい。イスラム圏からの御客様に対応できます?」
が話題になりました。



8 月 18 日 (日)  



暑いです。

ミミズがミイラになった夢を見、瑞鳳殿ガイドに出かけるのを躊躇していたら「お客さん・ガイド仲間・瑞鳳殿職員が 待っているでしょう」の 天の声。

確かに 副会長のUさん 待っていました。
コンベション協会・金融機関との事務についてホウレンソウ。


静岡と大分からの 御客様
静岡の方と 久能山東照宮、三保の松原、飛天の羽衣と話題が飛びました。が、なぜか 世界遺産が話題になりませんでした。

大分の方から、手持資料に「八重の櫻」の文字が見えるが、政宗公と戊辰の役は関係あるのか のご質問。

政宗公と戊辰の役は時代が異なります。
順路 次に 戊辰の役の殉難者の慰霊碑があります。「八重の櫻」から説明するとご理解頂けますので。納得頂けました。
 
静岡の方の方、徳川慶喜が政争に敗れ 静岡に減封・配置替になった歴史を御存じで 大分の方に説明していました。



手水舎 
「アツ テアライがある。者ども イケー」学童多数を引率した 男性 叫んでいました。

口や手を漱ぐ 為の施設です。手を洗えますが テアライと言われると 違和感を 感じます。

ご婦人連れから、「清めないといけないでしょうか?」

「仙台では お寺・御墓に手水舎はありません。ここはお墓です。神社参拝の際 身に穢れがある方は清めると聞いています」
「そうだよね。私 清浄なの。住まいも 成城なの。ガイドさんいきましょう」
さすが 成城マダムです。


「熊でます?」
御子様御廟 「熊出ます」で 閉鎖されています。
東参道にかかる直前の この標識  御客様 ショックらしいです。
さてさて いつまで 閉鎖が続くのでしょうか。


お知らせ

四季折々の素晴らしい景観を見せてくれる瑞鳳殿
「写真展 瑞鳳殿の四季」と題して 下記の通り開催されます。

撮影  在仙 写真家 沼崎 和宏 氏
会場  仙台市役所 1階 ギヤラリ-
月日  8月20日(火)から29日(木) 市役所開庁日
時刻  8時から17時迄 但し29日は14時迄



8 月 17 日 (土)  



仙臺城 土塀 

仙臺城大手門北側 34mの土塀は、1600年後半から1700年代に建築され、1945年7月10日の空爆でも 焼け残った 伊達時代からの唯一の遺構でした。

2011.3.11.震災で、11mにわたり瓦と壁面が崩れ、内部の粘土が飛び出した無残な姿でした。

本年5月20日 二の丸と重臣屋敷跡を 金森前博物館副館長のご指導で探索した際、「江戸時代の工法と資材で修復工事中」と説明を頂きました。

本日 河北新報は「修復工事は、昨年7月に始まった。塀の中に瓦を積み重ねて粘土を流し込み、つなぎとしてわらを入れた。壁面にはしっくいを塗った。土塀の強度を高め、往時の風合いを出すことに成功したが、粘土の乾燥に時間がかかり。完成まで1年要した」と報じています。


仙臺城跡を ガイドした際 説明をしますが興味・関心を示す方は少ないですが 「伊達時代からの唯一の遺構です」 とガイドしていました。

今後は、「あの大震災から蘇生したものです」の一言を加えます。


現在は、土塀 でさえ 江戸時代の工法と資材で修復できるのです。
なぜ 瑞鳳殿を 建てられた当時の工法と資材で 復元出来なかったか 悔やまれます。



8 月 16 日 (金)  



お墓

お盆には、先祖のお墓詣りをする。

御先祖様 居たからこそ 現在の自分が居ます。


瑞鳳殿を参拝されたお客様の中には 本殿の前で お墓は どこだ。瑞巖寺かと 尋ねる方がいます。
お墓は 石でなければ ならないの固定観念です。

さて、「仙台周辺で個人の名前を刻んだ墓石が普及するのは江戸時代半ばとの事、菅野先生の見た所 1600年代は稀で、1700年代に入って増え始め,1700年代後半には一般化しているようだ」と
菅野先生は その著書「せんだい歴史の窓」で 述べられています。

仙台市青葉区北根で仙台市教育委員会が調査した 「新妻家」の墓所の中で 最古は寛文10(1670)年です。
「まれ」 の事例でしょうか?


アカトンボ家は どうか。
家祖は、享保9(1724)年に亡くなり、宝永7(1710)年に創建された寺の墓地に墓石・墓碑があります。
「1700年代に入って増え始め」と一致します。

江戸の文化等は、国持大名の城下であれば 各地とも 同時進行で入ったのではないでしょうか?、 



8 月 15 日 (木)  



本日 例年に習い ガイドを休みました。

健康で 時間的調整可能なのに 休むには 理由があります。
アカトンボの拘りかもしれません。詳しくは申しません。

早朝 ある方から 参拝者2000人に達するかも、本殿は開扉される筈 如何ですかと 連絡を頂きました。
記録達成の瞬間 確認・立会人をお願い致しました。



8 月 14 日 (水)  



お盆です。

ある有力筋から「あるVIPが (ボランテイアガイドがどのように瑞鳳殿をガイドして居るか)を視察したいと申しであったのでよろしく」と 連絡を頂きました。

ある有力筋からの連絡には、「お盆休みでしょう、恐縮ですが」の文意がありました。

アカトンボは、年の功 長いものと太いもの には弱く 直ぐ巻かれます。快諾しました。

この暑さの中、下車から乗車まで60分です。厳しい時間配分になります。
かつ、政宗公・瑞鳳殿に興味があり、ボラガイド活動調査はつまみなのか、額面とおりボラガイド活動調査が目的なのか?不明です。

内容と時間配分が異なります。
悩みました。アカトンボの信条は、御客様の要望時刻は厳守にあります。
瑞鳳殿8割 ガイド2割 で説明致しました。

ある有力筋様  これで よろしかったでしょうか。


ご一行様 お見送りしたところに、
歴史読本編集長・企画会社役員の怱々たるポストにある3名が 表れ、名刺交換。
本殿まで ガイド?
ガイド付きで参拝は、初めてと 涅槃門の彫刻等で、政宗公御遺体の向き 「東向き」は知っていたが なるほどね と。

秋に 慶長遣欧使節400記念号 来春に 伊達政宗公の全て の雑誌・歴史読本を企画・準備中 とか。
楽しみ です。


お盆休みです。ガイド仲間 当然 全員 休みです。


待機中 参拝客 カナダから1家5人始め続々。
山門前タクシー フル稼働。
駐車場 満車 遂に 第2駐車場も開放。

参拝者1000人を越えた様子。
券売嬢に 「大入り袋でるでしょう?」 に 「大入り袋てって なんですか?」の返事。
「大入り袋」のシステム 瑞鳳殿には ないらしいです。

6日ガイドしました「千葉と横浜のお嬢さん」から
メールと写真を頂きました。
また お出でください。
出来れば 事前に日時お知らせください。予習しておきます。
 



8 月 13 日 (火)  



古内志摩義如

寛文事件での 唯ひとりの生存者 伊達家家老 古内志摩義如 の墓所は、アカトンボ邑の隣邑にあります。

付近は県営宅地造成で 仙臺でも有数の住宅地となり、それに取り囲まれた里山。その一角に ひっそりとあります。

隠居間もない頃、生涯学習で 参拝に訪れました。
倒れかけた墓標もありました。この広大な墓地、數ある墓碑の維持管理 偉大な先祖を持った子孫の方は 大変と思いました。

維持・清掃にお手伝いする発想に到りませんでした。未熟でした。


今回、地元市民センターが発起人となり地域有志の方々が、参道と墓地の清掃をされたそうです。

末裔の古内様が 「先祖 古内志摩義如の功績を顕彰し清掃をして頂きまして感謝の念に堪えません」と
河北新報に 投書されて居ました。

古内志摩義如の墓所は、地域の貴重な歴史遺産です。
これを大切にしようと動いた 加茂市民センター館長・地域っ住民に敬意を表します。

清掃について、私有財産権の侵害と唱える事無く 受け入れ 感謝の念を 表された 若い末裔(51歳)の方の度量の大きさに敬意を表します。



8 月 12 日 (月)  



困った

瑞鳳殿東参道 62石段は 本当は63段。
その真相は 7日の日誌に書きました。

ガイドの時は、「ここからで、 ハイ ここまで」と 石段にまつわる話、杉の樹齢等 語りながら 登ります。

るーぷるバス停の所 枡形になっていて 此処からは 今の様に 自由に入れなかった様です。

瑞鳳寺 山門前 3M高の石塔 「下馬」 は 「これより乗り物から降りなさい」の標識です。
「下乗」と同意味です。
伊達家領内 最大のものと聞いています。

アカトンボのこの様な話しで、御客様は 疲労を感じません。しかし 数え間違いをされる方 多々います。

最期の 答合わせで 呵呵大笑となります。

アカトンボは、歴代公は下馬石標で 馬または駕籠から 降りられ 徒歩で登られたと 確信し説明しています。


ここに 困った人が 出できたのです。

涅槃門からの 3段1段の石段ですが、3段1段の理由は「駕籠かきが休むため」と 語っている人が出できました。

3段登って 休むであれば 62段は どうする。
金毘羅さん の石段 駕籠は 階段に平行に登ります。町人は 自由ですから よろしいでしょう。

最高権力者の殿様の乗った駕籠 蟹の横這いで登れますか?
縦 進行方向に 担いで登れますか?籠の人も 駕籠かきも 苦痛の筈です。

命令を発した殿様が その命令の下馬石標 を無視し  乗り物 駕籠に乗って通れますか です。

この駕籠かき説の方 ご高齢で 資料の収集の熱心な方です。
確かな 史料 があってのガイドでしょうから、
アカトンボは貧弱な思考に固まり、困っていないで 教えを乞う事にします。
 



8 月 11 日 (日)  



紫羅背板地五色乱星模様陣羽織


紫羅背板地五色乱星模様陣羽織を、ほぼ正確に模したもの(1着10万円位)を 制服として 着用している団体は仙台藩志会(婦人部・・・正確にには婦人部はありません。女性会員)です。

アカトンボが参加している「瑞鳳殿ガイドの会」の制服も紫羅背板地五色乱星模様陣羽織です。

本物と大きく異なるのは、背中の「竹に雀」の伊達家家紋が金糸の刺繍ではなく、袖が無い事です。

「竹に雀」の伊達家家紋の使用は は公益財団法人瑞鳳殿が、伊達家から お許しを頂いたものです。


8月5日河北新報 9頁 広告欄 博物館の項に「水玉模様陣羽織」と記載されていました。

2010年8月9日有料ガイドの会の学習会で、
伊達政宗の陣羽織(伊達者の装いと精神)と題した講演で、 濱田直嗣(前仙台市博物館長・現慶長使節船ミュージアム館長)氏は、

「紫羅背板地五色水玉模様陣羽織は、政宗公所用と言い切ってよいか。水玉模様と言い切ってよいか。

明治後期 伊達観欄閣宝物目録には「紫地羅背板五色乱星陣羽織」と記載があった。
昭和39年仙台市博物館収蔵品目録「「紫地羅背板五色水玉模様陣羽織」と変化した。
それはなにか。

慶長6年の記録では「乱星」であり、家紋「九曜紋」も星である

全て 星 が用いられている。
これから「五色」の意味は陰陽五行説による五色と考えるべきでは。

 青(緑) 木星  東   春
 赤(紅) 火星  南   夏
 黄    土星  中間 土用
 白    金星  西   秋
 玄(黒) 水星  北   冬

これまで 水玉で説明され 現代的・幼稚園的で十分納得していませんでした。
星 なら全て と関連性があり納得できます。

政宗公所用かの結論として、家紋と生地の変遷から検討されている。
家紋については、博物館高橋あけみ学芸員の論文「伊達家の家紋に関する一考察 家紋の覚書と美術資料にみる 伊達家の家紋およびその変遷」を参照されたい。

以上の通り 申され 博物館での展示説明も 乱星になっていました。

この様な事から 「瑞鳳殿ガイドの会」の制服は、紫羅背板地五色乱星模様陣羽織を模したものですと説明し

仙台コンベション協会HP「仙台市観光ボランテイアガイドネットワークの「瑞鳳殿ガイドの会」の頁(http://www.sentabi.jp/volunteerguide/guide/zuihoden.html)に 「襟に「瑞鳳殿ガイド」白文字の「紫色五色乱星模様」のユニホームを着て待機しています)と掲載されています。

アカトンボは、星が 説明つくと思います。
8月5日河北新報 9頁 広告欄 博物館の項の「水玉模様陣羽織」は、博物館が 突然 幼児返り したのか 驚き ある方に密かに お尋ねしました。

博物館は 行政組織の一部門であり 学問追及 と 営業サイドの立場もあるでしょう。

アカトンボは巷の隠居です。濱田先生の説が 納得出来ます。
納得できる この 乱星 で ガイドを続け ます。

9日 博物館常設展では  紫羅背板地五色乱星模様陣羽織 展示されていました。水玉 に戻っていました。



8 月 10 日 (土)  



戦い済んで日が暮れて

瑞鳳殿境内 6・7・8日 3ケ日間 豪華な、慶長遣欧使節をイメージした 飾り・・・・・その痕跡なく 通常の瑞鳳殿になりました。
早朝から深夜まで 案内・設営・整理に奮戦した職員の皆様 ホットした表情。

仙臺七夕 終わったので 御客様の出足ガクンと落ちるかなの アカトンボの予想 外れました。

家族一同、3世代と4-6・7人の団体 続々

東京の人なら 日光を参拝されているだろうの思い 外れました。
日光いった事ない が多いです。
「修学旅行では」と 問いました。「今 近場は行きません 東京からは 長崎です」の返事。参った。

仙臺七夕見たかったが 間に合わなかった。
「残っていない 見せて」 と 珍しい御客様

拝殿の織姫・彦星の飾り 説明しました。喜ばれ 撮影していました。
本番 ご覧になって頂きたかった。






8 月 8 日 (木)  



真夏日に。

歴史ミステリ-散歩IN仙台 石段が1段増えた? 瑞鳳殿

こんな見出しの新聞が5時に配達されました。興味深い内容です。
新聞は、「河北ウイークリせんだい」VOL303 発行 河北新報社

内容は、

瑞鳳殿の表参道の石段は{62石階段」という愛称がある。
「62」と聞いてピーンと来た方もいるでしょう。そう、伊達政宗が築いた仙台藩も石高62万石と一緒まのだ。
瑞鳳殿の公式パンフレットにも「石段の數は伊達家の禄高を表したもの」とある。

ならば62段を数えながら石段を上がってみよう・・・。
「1段、2段、3段・・・・ん? 63段あるぞ?」。
下りながら再度数えてみても、やはり1段多い。

真相を確かめるべく、瑞鳳殿の事務所に聞いてみると「63段です」ときっぱり。あれれ、じゃあいつの間ににか1段増えたの?

瑞鳳殿学芸員の渡部冶子さんに詳しく話を聞いた。渡部さんは「記録などは残っていないので、確実なことは言えないのですが・・・・」と前置きしながらも、「明治初期に廃仏毀釈(きしゃく)が行われた際、瑞鳳殿のある経ケ峯でもいくつかの建造物が取り壊されました。その跡地を整備する一環で瑞鳳殿の表参道が改修された際に、(石段)1段増えたと伝えらています」と教えてくれた。

増設されたと思われる1段は石段の最上部。残りの62段は全て同じ幅だが、ここだけ不自然に幅が広いことからも、事実である可能性を感じさせる。

「石段のある表参道は、瑞鳳殿内一番のパワ−スポット」という人もいる。8月8日(木)は{瑞鳳殿七夕ナイト」の最終日で、18:00から石段に竹灯篭が設置される。幻想的な雰囲気の中、数えながら上ればパワーをもらえるかも?

このほか、
中心市街地に巨大 六芒星?
徳川家の力封じる仕掛け? 野中神社
仙台にも元寇の痕跡? 蒙古之碑
消えた?政宗の居城 若林城跡

のミステリーが記載されています。お読みください。


仙臺七夕 最終日

本日も年期の入った仲間が終結。
朝礼の話題は 上記新聞。 NMさんは「永久保存」フアイルに格納したそうです。


仙台商工会議所会頭。仙台七夕実行委員会幹部一行のご視察がありました。

黄色のTシャッツに 背に 仙台七夕STAFFの文字。常務理事・次長がご案内しています。
学芸員の案内ではありませまん。エライ人 VIPです。

帰路に、待機中のガイド 一列 敬礼。
一番 偉そうな方から 慰労の御言葉が ありました。
仙台商工会議所鎌田会頭でした。仙台経済界のトップともなれば さすが気配りが違います。


「伝統仙臺七夕です。街中の七夕の元祖です。今年は 慶長遣欧使節 支倉常長をテーマにしています」とガイドしても 今日も反応は 芳しくありません。
10組近くに 1組だけ 反応がありました。


本日 記憶に残ったお客様

1.中華民国からの単身のお嬢さん
 他の御客様と複数でガイドしました。ガイドを依頼した割に 反応が今一と思いながら 本殿で終わりましたら 独り残りました。
 「台湾から来ました。よく理解できない所ありました。」 と 数々のご質問。
 何故 動物は 阿吽なのか? 阿吽の龍が屋根になぜいるのか?・・・・・・・

 大陸文化の伝来、16世紀豊臣秀吉の文化、飛天と世界遺産(富士山)・・・・・ 語りました。
 語り合える共通点のある異国の方との会話は 得る所があります。

2.中学3年生のお嬢さん
 受験生なのに 受験勉強しないで 政宗公一点張り 政宗公を主題にした 作文を書き、画を書き、その都度 賞を頂いてくる。と お母さんの解説で 通常ガイドで語らない 政宗公についても語りました。

 「資料館では、政宗公の身長・血液型 わかります」に。
 「ハイ、159.6cmです」 
 即 お母さんから 「ご飯食べて 大きくならなければ」と叱咤激励。

 「血液型は? 無理だネ」に
 「私 B型 です」

 政宗公についての信頼おける図書は 
 小林清治著「伊達政宗」、
 高橋富雄編「伊達政宗公のすべて」 

 伊達家の治世については、
 菅野正道著「せんだい歴史の窓」

 を 頼りにしています。もし 調べて欲しい事ありましたらメールください。
 と 申し上げました。

 瑞鳳殿・仙臺城・博物館を目的に 日帰り行程で来仙された由。IHさまの成果を期待しています。



 仙臺七夕 城下を見物する事無く 3日連続ガイド 帰宅後の昼寝で アカトンボの七夕は終わりました。
 11日から16日迄 夏休みに入ります。



8 月 7 日 (水)  



晴れました。待望の晴天です。
8時30分 涅槃門前に 伊達家御当主の指揮下 飾り付けが始まりました。

瑞鳳殿職員一同の手つくりです。
テーマは 慶長遣欧使節です。

七夕 彦星・織姫の交差した 中央部の吹き流しは、使節が乗船した「サン・ファン・バウティスタ号の船首の模様 九曜紋。
その次は、支倉常長の肖像画 袴の萩 と 羽織を 模したものです。

そもそも、慶長遣欧使節とは、メキシコとの直接交易と領内への宣教師派遣を要請する為 伊達政宗公が家臣支倉常長を西班牙国王・羅馬教皇の基に派遣した使節一行です。

1613年10月28日(慶長18年9月15日)、月の浦(現石巻市)を出帆しました。

丁度400年目 宮城県では 官を上げて(民は附和)、10月28日を目途の各種行事が行われています。

2010年仙台市では、市史特別編慶長遣欧使節(630頁)を発行しております。
2013年1月から2回、航と題する記念誌が発行 無料で配布されています。
各生涯学習団体が 慶長遣欧使節と支倉常長を テーマした講座が 數多く開催されています。
仙台・宮城県では、知る人ぞ 知る 事柄です。

御客様に この七夕の由来 職員の手つくり、テーマは 慶長遣欧使節ですと 説明します。
反応は 皆無です。
慶長遣欧使節も支倉常長も 全く 知らない 興味ない のです。故に 反応ゼロです。

質問は 1件のみ。
「これ いつ作られたものか 昨年?」

遠くは、福岡から。各地 神奈川県平塚市等から。
営業車から10人の団体を依頼される等 切れ間無く 小休止の余地なく ガイドを依頼されました。有難いことです。
(内心 ビクビクでした。雨上がりの炎暑です。老人は脱水症になっても 倒れなければ 自覚しない と脅かされいます)

公益財団法人瑞鳳殿では、 お湯の他、冷たい麦茶 5リットルタンクを用意してくれました。助かります。生き返ります。

昨晩 竹燈籠は中止になりました。今晩は 竹灯篭・篠笛・森のコンサート 全てがあるでしょう。



8 月 6 日 (火)  



仙臺七夕 初日

8時30分 瑞鳳殿に到着。
仙臺七夕は 観客は休日でも 国際的には 稼働日です。
御城下に入る駕籠が 城下口から 1里余の詰り です。

飾り付け時刻に間に合いました。
例年 陣頭指揮されます ご当主様 着座されています。兵に動きがありません。

瑞鳳殿の仙臺七夕は 伝統工法 です。仙臺和紙です。怖いのは 雨です。
初日 雨で濡らすと 2・3日目 見る影無く 無残な姿になります。それは 困ります。
小粒の雨が 降っています。
結果 午前の飾り付けは中止になりました。

城下の七夕を見学された方々から 「伝統七夕」紹介の要望が相次ぎました。
その都度 拝殿に飾られた伝統七夕に案内し 説明しました。


この七夕は 職員が何日もかけて作った 所謂 手つくり の作品です。
天体の彦星と織姫は 天の川の両岸で 手を振っているだけです。愛の囁きは メールでなければ届かないでしょう。
ここの職員は 情け深い人達です。
涅槃門前の竹 見てください。クロス 交差しています。味があるとおもいませんか。


御客様から 「観光客が作れる所を紹介しなさい」 と言われました。
書き込み可能な 短冊を 紹介したのに。

ここの七夕も長時間を要しています。市民センター(俗に公民館)や児童館では 2ケ月位前から講座を開設 作成に入っています。
紙屋では、 依頼され半年前から作っているそうです。それは 1玉(連)30-50万円と聞いています。

それで、観光客が 通りすがり 10分程度 作製を体験する施設の存在は聞いておりません。
調べてみます。また、この様な要望があったと 市長に報告しましょうか?

いや その必要は無い。来年の事は わからない。
ご尤も。

長い時間と多額の経費を費やしている 七夕飾り です。
見るだけでなく 作りたい チラリ体験したい の要望が ある事は 一考すべき提案では ないでしょうか。


本頁の読者で、熱烈な政宗公信奉者である「肥前様」
10時にお出でになると連絡を頂いてお待ちしながらガイドをしていました。御客様は 途切れません。

御客様を本殿に案内しましたら アカトンボサンと お声がけ。

左右に飾られた七夕の真ん中 に 開扉された本殿 政宗公坐像が、お顔を撮影出来るか 疑問ですが 七夕期間に限定された 最高の撮影位置で撮影されていました。
さすが です。

公開入札で落札された 某機関から流失したと想像される 国宝時代の瑞鳳殿・感仙殿等の四ッ切大の写真集 1冊を持参されました。
予告編は 拝見して居ます。本物は迫力が あります。

DC期間 焼失前 国宝時代の 瑞鳳殿等の写真展を担当されたW学芸員に紹介しました。
「ウーン」
「瑞鳳殿 内陣の写真 これ程 鮮明なのは 初めて」と申して 目がテンに。

「学術的お役にたつなら お貸ししましょう」 誠に 大人物です。

伊達家御当主が見えています。
政宗公と御当主のフアンです。
「ご挨拶いたしましょうか?」 「受けてくれるかな」「参りましょう」
気持ちよく 挨拶を受けていただきました。

肥前様は 伊達政宗戦国歴史検定 2級です。認定番号入 名刺を恭しく。
御当主からは 名刺を頂けませんでした。マアー 当然でしょう。


11時過ぎ。感仙殿地区に移動、その後、肥前様に「早い昼食にしましょう」お誘いしようとした所に、
「オジサン ここにいたの 探したのよ」
朝2番にご案内した 千葉と横浜のお嬢さんです。

「資料館には ここでしか見られない 私なら国宝クラスと思うものが展示されています」この一声で 再度の涅槃門から 資料館に戻られ 追っかけてきたのです。
御嬢さんと肥前さまと 3Dの家紋を販売している郵便屋さんと 「家紋や甲冑の切手」ついて三つ巴で会話している 背中から

「ガイドでしょう 早く ガイドしなさい。上に友人がいます」 高齢のご婦人は 現状を把握する事無く自己主張されます。
この一声 皆様納得されまされてようで 上に。肥前様 またの機会に。

自己主張様 程なく 姿見えなくなり、千葉と横浜のお嬢さんのみ。
このお嬢さん 伊達家について 精通しています。また、片倉小十郎フアンとも知れました。

先程は一般観光客向け 今度は歴娘・片倉小十郎向けに切り替えますと 瑞鳳殿・涅槃門に引き返しました。
片倉小十郎重長 寄進の燈籠を紹介しましたら 懐中から 片倉小十郎人形を取り出し 燈籠と人形と?の記念写真。

大阪の陣で 真田幸村の子女が片倉小十郎重長に保護された事 御存じでした。
白石片倉家16代と仙台真田家14代の各当主の対談が行なわれました。
雑誌「りらく」8月号 500円 ○○で販売されています。

紹介しました。復唱しますが メモしません、忘れないのか?
アカトンボはメモしないと90秒後 残っていません。これ年齢差でしょうか。


ガイド仲間 の M嬢 和服で ガイドに。たなばた期間中 和服で がんばる そうです。
中々 粋です。
私は 政宗公Tシャツを 着用しています。陣羽織を羽織るため 背中の「政宗公の鶺鴒の花押」を披露できません。
粋 ではありません 残念。


16時現在 大雨です。
昨日と同じです。花火大会 19時から 夕方 大雨でした。が 決行しました。
瑞鳳殿のライトアップ どうでしょう。参道に 竹灯篭 設置できたでしょうか?



8 月 5 日 (月)  



近江領

伊達家家禄62万石中 1万石は近江國蒲生郡18ケ村、野洲郡2ケ村で 蒲生郡上翅田村に陣屋が所在しました。


現在 博物館では「近江巡礼 祈りの至宝展」を開催しており、関連で 昨4日「湖の国の文化財」と題すろ講座が 開催されました。

講座は、
1.魅力ある近江の社寺建築
2.近江の暮らしと祭り
3.琵琶湖をめぐる近江の城城 安土城から彦根城へ

講師は 何れも 滋賀県教育員会文化財保護課の歴々で、3講師で3時間 厳しいものです。
渡された資料は 700グラムです。分厚い冊子が 10指近く。
希望者には 何袋も。

講義・資料 共に 勉強になりました。
城の話
城とは 土が成る で 本来は 土で形成されていた。なるほど です。気がつきませんでした。

信長・秀吉の築城を中心に 最期に 政宗公築城の仙臺城を語られ 天下人の築城についてを再認識しました。


仙台での 講演であり、仙臺城まで語られるなら 伊達領1万石 陣屋所在迄 語られば、聴講している老人の共感を 読んだと思います。

滋賀県は、諸大名の領が 多数所在し、また 歴史的価値あるものが 日本一所在し、近江には1400城所在したそうで、遠く奥州陸奥の大名の1万石と陣屋は「メクソハナクソ」なのか?

政宗公の御城で 講演するからには、3人の講師の1人位 触れて よろしいのでは。 



8 月 4 日 (日)  



群馬のご夫妻を始め 続々と。

例によって「どちらから?」
「九州」 
「熊本は 細川様ですか?」
「うん そうだけど 正しくは 小笠原家です」

「ハアー 細川様は 文禄2年 政宗公と朝鮮戦線で苦楽を共にした仲、伊達家に九曜紋の使用を許された昵懇の中です。
また、16代興宗公の奥方は 小倉小笠原長幹伯爵の4女です。

政宗公とご縁があり、又伊達家ともご縁のある所から ようこそ」

親戚を訪れた気分になられたか 結果的に 妙雲廟界迄 ご案内しました。

暑くて 梅雨あけ ムンムンしています。
息子殿 自販機迄 戻られ 冷たいもの 求め  内1本 アカトンボに持ってきました。
ありがたく 素直に頂きました。 甘露 甘露 です。


七夕情報  

幻想灯夜 瑞鳳殿七夕ナイト は HPやチラシで 御承知の通り
1.参道・境内に竹燈籠
2.涅槃門・本殿 のライトアップ
3.篠笛の演奏(18:00-18:50)
4.森のコンサート(19:00-21:00)

極秘情報?

1.本殿扉 開扉 日中 政宗公御木像に直々の御対面 可  (蟲と湿気対策から日中のみ)
2.涅槃門 扉 ライトアップ(18:00-21:00)時 開扉 
3.伝統七夕 飾り付け 初日6日 8:30から
4.飾付基本テ−マ 慶長遣欧使節・支倉常長
5..森のコンサート演奏曲目・内容 慶長遣欧使節・支倉常長 関連多

るーぷろ仙台{七夕ナイト号}仙台駅17:40発から 20分間隔で 21:00発迄 11便 運行されます。

七夕期間中 ガイド仲間 多数 待機しております。




8 月 3 日 (土)  



元禄10年8月3日 出羽國置賜郡米澤で 政宗公は生まれました。
この生誕日を記念し、公益財団法人瑞鳳殿では 8月3日 政宗歴史塾を5-6年前から開催して居ます。

始めは、小学生が対象で、御当主の講話と記念写真撮影の機会がありました。

アカトンボの孫は、講話を聴きながら 御当主を撮影しました。(爺様の躾不行届ご容赦下さい)
お人柄 素直に撮れており 恐れながらと お届け致しましたことがあります。

今年は、対象が成人となりました。

講師は、東北学院大学 森美智子教授
演題は、常長の見たヨーロッパ文化 美術作品を中心に
会場は、瑞鳳殿参道脇 天龍閣
参加は、65人

先生は、16-17世紀のスペイン美術史が専門で、10時から90分 中々 お目に係れない、また、常長が見たであろう美術品 を紹介されました。
昨今 仙台は 常長に、慶長遣欧使節の関係の講座が 相次いで開催されていますが、今回は視点が 異なり 参考になりました。


講義後 瑞鳳殿学芸員が 瑞鳳寺から涅槃門まで 説明。
この間 瑞鳳殿ガイドの会の仲間 10人程 紫羅背板地五色乱星模様のユニホーム着用 勢ぞろい。

「涅槃門からは ガイドが説明します」で、 それぞれが ガイドしました。

瑞鳳殿主催の講座です。瑞鳳殿は何回も参拝された方々ばかり であろうの予想は外れ 講座参加の7割の方が 参拝され また その7割の方が 初めての参拝と ガイドを聞いてくれました。

特記すべきは、仙台市博物館主任学芸員の高橋あけみ先生が 本殿ガイドまでお付き合いして下さった事です。
先生は、紫羅背板地五色乱星模様陣羽織と伊達家家紋の最高権威者です。

アカトンボ の語りは すべて 先生の論文によっています。
内心ビビりました。いつ語ろうか 迷いました。
迷いを察したのでしょうか。
先生は スーと消えました。
背中 汗 びしょり。



隠居した際、仙人を目指して 図書すべてを整理・処分しました。
数年後 瑞鳳殿ガイドを始め 本ホームページを立ち上げました。
忘却等 知識不足が 諸に露出しました。
図書館では 間に合わない本 ボチボチと買戻し始めました。大抵 定価以上の代価となります。

本日 1984年刊 高橋富雄編 「伊達政宗のすべて」を WEB日本の古本屋で購入しました。
発刊時価格2000円 今回は送料込1700円。
予想外れは 新品 なのです。図書館の本と比較成りません。29年前刊行された本です。きれいです。
オドロイタ。


片倉小十郎景綱 16代白石片倉家 片倉重信氏 と 真田幸村 14代仙台真田家 真田徹氏 との対談が400年の時を越えて会いました。
このお二人 アカトンボは存知あげていますが、お二人は アカトンボを知らない間柄。
片倉氏と真田氏 との間も 知らない間柄。

対談は 話が弾んだ様子。 これ又 時と立場が 異なる 対談で 参考になりました。
「仙台発・大人の情報誌 りらく 」8月号に掲載されています、
7月始め U氏から 情報が届きましたが・・・・・7月末 ようよう 入手。 
本日 講座開始前 ガイド仲間で 話題になりました。





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