2013年12月の日誌
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12 月 31 日 (火)  



瑞鳳殿ガイド総括

ガイドの会活動を含めて時系列に。

01月02日 年賀拝礼式参列。  ご当主様・仙台藩志会・公益財団法人瑞鳳殿主催  ガイドの会仲間多数参列。
01月06日 ガイド始め
01月15日 ガイドの会新年会 参加13人
02月01日 公益財団法人瑞鳳殿とガイドの会役員 養成講座実施打ち合わせ
02月05日 ガイド養成講座 開講 仙台市観光交流課御配慮 公益財団法人瑞鳳殿と共催
03月01日 講座修了生 実地訓練開始
03月21日 ガイドの会 総会
04月01日 仙台・宮城デスネーション開始 6月30日迄
05月24日 政宗公378忌法要 ガイドの会仲間多数参列
06月04日 綱宗公303忌法要 ガイドの会仲間参列
06月20日 歴代公 大年寺法要 ガイドの会仲間参列
07月12日 忠宗公356忌法要 ガイドの会仲間参列
07月16日 ガイドの会 総会
08月03日 永禄10年8月3日(1567.09.05)生誕記念 政宗塾(主催公益財団法人瑞鳳殿)。 ガイドの会仲間多数参加。
09月06日 ガイドの会涌谷・登米御廟研修 現地確認
10月10日 戊辰の役145忌 宮城県知事参列
10月16日 ガイドの会涌谷・登米御廟研修 台風襲来中止(延期2014.03.19)
10月30日 BS朝日 撮影
11月26日 BS朝日 放映
12月29日 ガイド108回日 達成

除夜の鐘ではないが ガイドで108回は 悟りの境地に到達するか。
このほか、公益財団法人瑞鳳殿、ガイドの会役員会、仙台藩志会、旅行会社打ち合わせで 10余日瑞鳳殿に。
本人も驚く回数。




12 月 29 日 (日)  



路面凍結ながら晴天

参拝客 続々と。


「オジサン 背中 写真撮らせて」
20代のお嬢さんと母親。
涅槃門を背景に モデルに。

手持資料で 本物を披露 「紫羅背板地五色乱星模様陣羽織」と申して、着10万円と説明しましたが 興味を示しませんでした。
当然 ガイドに到りませんでした。


青年 ツカツカとよって来 「質問してよろしいか?」 「ハイどうぞ 何でしょう」

1.「これを建築した会社は?」

 ここは、本来 1937年に建築され、1945年米軍の空爆で焼失 1975年に再建されたものです。
 本体は、松井建設株式会社。彩色等は、株式会社小西美術工藝者です。

2.「色彩・彫刻等は 朝鮮を模したものか?」

 これは、日本文化 安土桃山文化の流れ 桃山様式の建造物です。
 日光東照宮も桃山様式で 此処は日光東照宮以北 最大の桃山様式の建造物です。


「満足です」と 去って行きました。質問の真意は わかりません。


あかとんぼ 陣羽織を羽織っている際 売店で物色していた少年と母親が 再建資金寄附芳名板で 氏名を探しています。
「御祖父さんのお名前ありましたか?」 「いや」

「茨城からです。この子 政宗公の熱烈なフアンで せがまれて」
「伊達家 発祥は 茨城 常陸国真壁郡伊佐庄 築西市(下館市)です。遺跡があります」
「下館市に お祖母さんがいます。聞いて 遺跡を見に行きます」

片倉小十郎に、弟・小次郎、政宗公の身長 何でも知っています。
資料館 見学後 感仙殿・善應殿と案内しました。

「売店で 買い洩れがある。その後 資料館に再入館できるか?」に、
券売嬢に 「お客様 買い物後 再入場したいそうです。よろしく」とお断りを入れ {OKです どうぞ}


若いお嬢さん
「ガイドしてください」 「ハイ」

若く無いお嬢さんは物怖じしませんが、若いお嬢さんは 2人連れでも 爺様ガイドは忌避する傾向があります。 
珍しいです。1人で ガイド依頼するとは。

東京から来たと申す割に 東京弁ではありません。4ケ月前 中国から来日したそうで、一応の会話は出来ます。

日常会話に無い単語が あかとんぼ から出ます。

電子辞書で 確認します。単語 ずらずら 表れます。「これか?」 と聞かれ 「そうだ」と。
10Pの文字 老眼に 老眼鏡無では 苦しかった。

古代中國の麒麟の故事、始皇帝の兵馬俑 等知っていました。自国の歴史を知り 外国を訪れています。

国際情勢 風雲急を告げる昨今 なにか感じる日でした。


 



12 月 28 日 (土)  



積雪 10〜20cm
朝 夜明けと共に 降り始め ドンドン積ります。

小降りになるを待って 除排雪。90分遅れで出発。
在郷から 隧道を抜け 城下に出ると 大雪原から 粉をまぶした程度。

雪景色の瑞鳳殿を撮影するつもり 全くの当て外れ。

券売窓口嬢 「私の御屋敷 降っていませんヨ」と。


今日から9連休の人もいるはず。

なのに、参拝者誠に僅少。しかも 足早です。

臺灣から 3世代の女性。
券売窓口では日本語。その前後は 母国語。

券売嬢 日本語のパンフを渡します。英語は読めないが日本語が読める と希望するから と。

足早の中にも 日本語以外のグループいました。


酒田からの 12kgの幼児を抱いた親子をガイドしたら 参拝者 途絶えました。
境内 経ケ峯 一周 御終い。

仙台市営施設のガイドの会の会長が 「仙台市公認ガイド証」を下げ、御客様2人を ガイドして来ました。
これで 2〜3回目です。

コンベンション協会登録HPには、その施設以外をガイドするとは記載されていません。
他の各ガイドの会の会員が 案内して見えます。
瑞鳳殿を 知識のある方が 案内・ガイドされるは 結構なことです。

今日の疑問は、これらの会が  どの様に 集客しているか です。
仙台市内一円にガイドします と発信しているのは NPO(特定非営利法人では無くNPOだそうです)シニアのための市民ネットワーク仙台・「ぐるーぷ・よっこより」のみと理解していました。



12 月 27 日 (金)  



古文書講座

政宗公は筆まめ大名と称されています。

仙台市内の画廊を訪れた際、「政宗公の書 欲しければ 幾らでもあります」と言われた。
「政宗公の書 疎開の際 貨車4両分 東京の御屋敷から運んだ」と 付け加えられた。

その当時 政宗公の書と言われても 有難味 感じない年頃で 「内心 フーン」で 終わりました。


先般 北山・光明寺での 支倉常隆氏 主催 茶会に招かれた際、茶室に 政宗公の書 軸になり飾られていました。

果たして 本物か?

「私の所持品です。仙台市博物館で鑑定して頂き、真物と認められました」と 仙台藩志会のS様が語られました。

仙台市史編さんにあたり、政宗公の書 集めたら 集まるは 集まる 資料編「伊達政宗文書」 2巻の計画が 4巻になり、まだ続々と 発見され 「市史せんだい」に 掲載している と聞きました。

仙台藩志会のS様の寶物は、「市史せんだい」23号に 「1265」今大路玄鑑親清宛書状 として 現物写真が掲載されています。

あかとんぼ には 読めません。

瑞鳳殿でガイドをしていて 政宗公の書 読めないでヨロシイものか?一念発起。

古文書講座 「はじめての古文書を読む」 仙台市博物館・東北大学東北アジア研究センター 共催に、2013年1月から4回。
東北大学東北アジア研究センター主催講座に5月6回 10月4回 合計14回通学しました。

講師の高橋陽一教授申すには、「学生であれば 2単位 修得しました」

教材は、
1.仙臺萩
2.借金証文
でした。

仙臺萩は、阿刃田令造先生の読下本を発見 下敷に読みました。
下記図書を推薦され 購入しました。


「仙臺鹿の子」 仙台郷土研究会版 (先に購入)
「残月臺本荒萩」仙臺叢書第1巻 (ネットで購入)

暇無老人故 落ち着いて 読んでいません。


借金証文は、どの様にして 先生が入手したか興味ある所です。
銀行等金融機関の無い時代の資金調達の一面を知った。

古文書 読める様には なりませんが 勉学の糧には なりました。


最近 頭 笊になりました。すぐ空になります。絶えず 補給が必要です。

博物館では、新年早々 「古文書講座 はじめての古文書を読む」を開講するとの事。

本日 落選通知がありました。
外野から 「笊には無駄だから」と言われました。

真相は、3倍の申し込みに 抽選で敗れた です。
ガイド仲間の K氏も 敗れた と連絡がありました。K氏は ザルではありませんから  落選は公正の証でしょう。

常設展「かたちでわかる古文書入門」の案内 頂きました。
菅野先生から(織田信長・徳川家康の書もあり必見)と  案内頂いています。来年 開館早々 再度訪れ 自学に努めます。



12 月 26 日 (木)  



仮称 冨澤塾 12月塾

演題  仙台の正月と伝統門松
講師  仙臺市博物館菅野正道市史編さん室長

主な内容
1.年中行事としての正月
 地域・職業・身分などによる様々の様相
2.仙台の正月あれこれ
 年取り魚
 雑煮
 賀状(年賀)
 初詣
 旧暦
 
3.仙台の門松
 江戸時代の門松
 仙台藩の門松
 仙台の門松と根白石

4.伝統門松の復元と展示



以下 あかとんぼ の私感いり
年取り魚
 「東の鮭 西の鰤」と言われ、仙台地方は「鱈となめた」云われるが、果たして?
 ナメタは、子持鰈の煮付と古文書にあり、ナマタはない。
 鱈は 三陸沿岸で 今でも。
 政宗公は 正月用の鱈 浜で売り惜しみしない様に指示している。
 鱈は歴史がある。

 あかとんぼ 幼少時の年取り魚は 鰰(ハタハタ)であった。
 その土地の旬の魚 (安価・美味)が 年取り魚に なったのでは。

雑煮
 松島のハゼと言われるが 大漁・安価の名残では?
 今 1匹 300円以上 と高価
 山間部は 鮎の干物  ヤマドリを使用するところも

賀状(年賀)
 本来は 上司等に年賀の挨拶に伺うべき、年賀状は郵便局の営業策に載せられたもの?
 政宗公は中春2月2日な発信している(資料に掲載)

 先生の言 同感。
 あかとんぼ 父母は年賀客を受け入れていた。兄は年賀挨拶に。
 あかとんぼ 社会人になった時 それが社会人の常識・礼儀と上司宅に参上したが?
 ミスマッチは 上司は転勤族で 土着の侍社会の風習を理解していなかったか?先進的であったか?

初詣
 「麻観音(花京院) 夕薬師(木下)」と言われた。
 江戸時代 屋敷内の氏神様に お参りした。
 (泉の賀茂神社 本来は 領主古内家の氏神様であった。)
 初詣は、明治の国家神道を基本に 鉄道開通 集客に基因していろ。


3.仙台の門松
 門松の歴史 始まりは 平安時代10世紀に遡る。形・材料は 様々
 門松は贅沢品(材料の調達が大変等)と 幕末と大東亜戦争の際 禁止令がでた、
 紙の門松となり 現在 カード化した(検索してみて)と。

 磐城安藤家の門松が復元され 平駅に展示されたと スライドを。以下
 天明の飢餓時の絵の門松(常設展で展示していました)
 政宗公の元旦の画
 福岡 永安寺、中田 落合観音堂、富田、名取熊野堂、根白石萬興寺、一関、秋保佐勘、大内邑 ほか現在の門松のスライドを映写。

大内邑

 昨年12月29日 朝1発 「儂の邑では、廃れずに この通り 飾っています。写真みてけさいん。URLは、http://ikiikiouchi.web.fc2.com/」と電話を頂き、Uさんの案内で翌30日

名称、いきいき交流センター大内
所在、宮城県伊具郡丸森町大内字町西7
電話、0224−79−3151
に 駆付け 設置者のSO様、地元史家SZ様から 数々 御教示頂きました。(詳細は 2012.12.30日誌を)

倉橋真紀先生も 即刻 駆けつけたそうです。



仮称 冨澤塾の所在は、政宗公の殉死者 入生田三右衛門元康の在郷屋敷の所在地で、現在も屋敷周囲の掘割があるそうです。
地下鉄が開通するまでは 田園地帯でした。

開塾前に 塾長に 「伝統門松 飾られる家ありますか?」と お尋ねしましたら 「里山が無い故 見ていない」とのことでした。

以上 本日はここまで。



 




12 月 24 日 (火)  



政宗公の門松

政宗公が楽しんだと思われる 仙臺伝統? 幻の仙臺門松の再現が 今年も本日 午後から 瑞鳳殿に設置されるの情報が昨日ありました。


今年も 資料館前に設置されました。
作業は13時から 
仙臺門松については右に出る人の居ない 仙台市博物館倉橋真紀学芸員、
人知れず永年作製技能を伝承してきた熊谷和夫様、
瑞鳳殿加藤寛学芸員
の3人で 基礎から組み立てれました。

仙台市博物館菅野正道市史編さん室長の激励が途中あり、
3時間余 16時過ぎ完成しました。

3人の邪魔にならないよう 猫の手程度のお手伝いをしながら 組立作業を拝見しました。


熊谷和夫様の縄での「結び」 簡単そうに微動だにしません。
倉橋先生は 動画撮影されていましたが、 果たして 結びの技術 習得出来たでしょうか?

笹竹は境内から調達、楢・栗の用材・縄は購入、ケンダイの飾り、中身の炭・干柿等は倉橋先生の自作。


作業中 熊谷さんは
昔は この門松を作る家 多かったが 住環境の変化で少なくなった。
根白石の萬興寺さん 2012年末 作った。13年末も作るか?(拝見に訪れようか?)
我家は 29日です。(住所不明で拝見に訪れない)
現代の門松 竹の縄結び目 輪が 松・竹・梅に結ばれています。御存じ。(涅槃門前門松 縄結び目そうでした)

に 御正月のお供え 小正月 ドンド祭等 語られました。
勉強なりました。


臺灣等から 女性を中心に 多数の参拝者がありました。
寸暇をさいてガイドしました。



12 月 23 日 (月)  



国民の祝日 天皇誕生日

1933年朝 東京では サイレンが2回鳴った 。
宮内省は 「本日午前6時39分 親王殿下ご誕生」と発表。号外が発行されました。
(365日行事こよみ辞典)

西公園立町小学校前を 「天皇陛下の誕生日を 天長節にしょう」と デモ隊が 警察に警備され行進していました。
このデモ隊を襲撃する元気のある人は居ないと思いますが 警察は警備をしてくれるのです。

天皇陛下は80歳 歴代3位の長壽。
@114代昭和天皇87歳 A108代後水尾天皇(江戸時代)84歳 B57代陽成天皇80歳9ケ月
誠に慶賀の極み です。


全世界の人々が祝しています。世界各地から 参拝に見えました。

朝一番 若人が ガヤガヤ に見えました。
日本語あり、非日本語あり です。

おはよう どこから?
臺灣・中国・香港・マレーシア・・・・

異なる政権の若人が 集団行動をとっているのです。所謂 中華圏です。
ガイドしましょうか? 日本語オンリーです。

ゆっくり語って の注文で 簡潔にゆっくり話しました。
彼らが理解して範囲で 伝言ゲーム式に 伝えられ 結果 本殿までガイドしました。

本殿に到る迄のガイドで 政宗公のお墓と理解したようで、全10人 あかとんぼ を見習い 手を合せ 拝礼しました。
最後 本殿を背景に集合写真。撮影の際 あかとんぼ も入るよう声があり 入りました。

いつかの再会を約しました。


北海道から来た感じの30代に見受ける男女。
若い男女は とかく 「二人で居たいのに 無粋な爺様」の表情で ソソクサと先を急ぎます。

このお二人 「おはようございます」に「おはようございます」と返ってきました。
「ガイドしましょうか?」に

「no japanese 。English language only。 Canada Indian」
「we Japanese only]

英文パンフをさし上げ ガイドは断念しました。

カナダの先住民です。北海道から来た感じは正解でした。

以上の如く 平成天皇誕生を祝しての 国際交流の日でした。


本日 最期のお客様は 茨城県からのご婦人。
ご依頼でガイド始めましたが 反応が今一でした。

本殿前でポイント語り終えた所で

1.政宗公は 土葬でしたか
2.それは 伊達家の伝統てきなものか
3.殿様の埋葬の基本は

のご質問です。

1について、 
 衣冠束帯の政宗公は 棺桶 棺箱ではありません に入れられ 牡蠣灰を主体に塩を周囲に詰め 底板3メートルの石部屋 墓室に。
 墓室に約1.8メートルの土が盛られ、廟が建てられました。

  土葬か 火葬か と択一を 迫られれば 土葬でしょう。
  しかし 村外れの共同墓所に埋葬した 土葬とは 異なります。

2について、
 伊達家の伝統の方式とは 言えないでしょう。
 政宗公のご先祖様の方式 は私は わかりません。
 政宗公・忠宗公・綱宗公の3代は 御霊屋です。石の墓室です。綱宗公は甕棺です。
 4代以降は 石のお墓になりました。発掘調査はされておりません。
 伊達家の公式記録に 埋葬の仕方まで 記載されているは 確認しておりません。
 埋葬を含めた 葬祭は時代と共に 色々変化していると思います。

 
3.について
 殿様の埋葬の基本は と問われても お答えできません。
 徳川将軍とご夫人 そして家族 の墓所は 芝増上寺 上野寛永寺に所在し、芝増上寺の墓所は改葬されております。
 実態は明らかになっています。

 水戸徳川家は お客様の茨城県常陸太田市にあり、その調査報告書「常陸太田市内遺跡調査報告書 水戸コ川家墓所」が2007年に財団法人水府明コ会から刊行されています。

 1661年のコ川頼房の埋葬以来117名が埋葬されている墓所の全貌です。
 

 一般大名の墓所の発掘調査は 都市計画事業で 止む得ない限り 発掘調査は されないでしょう。
 また それを 統括する機関は存在しないでしょう。
 それは 大名家の埋葬方法を調査されていない事になると思います。

  別格の徳川将軍家と御三家の水戸コ川家墓所の墓所をして 大名家を類推するのは 無理があると思います。

以上の様に 答えました。
帰宅 調査報告書「常陸太田市内遺跡調査報告書 水戸コ川家墓所」を 紐解きました。

墓碑の他 御装束所、長屋門、御寶蔵、番所の写真が掲載されています。現存しているようです。
一度は訪れたい 個所 また増えました。


明日24日 午後から 仙台城門松の復元作業が 仙台市博物館倉橋真紀学芸員の指導の元で行わらます。




12 月 22 日 (日)  



連休中日

お客様は、続々 参拝に見えます。有難いことですが、お天気が 誠に気儘です。
15分間隔で、曇り・雨・曇り・大雨の繰り返しです。

晴れ間に見えた御客様は 傘を持っていません。
売店で 安価な傘を売っています。が お勧めする元気はありません。

お客様が 傘を差していない時は 傘を差しません。
参るのは、体が濡れるのは 当然として、フアイルも濡れます。次から開き難くなることです。
ガイドの流れ 一瞬止まります。
些細なことです。全体的に なんら支障ないですが 気分的にいやです。
雨の時は 屋根の下 軒下で フアイルを広げガイド致します。

東京・高崎・広島と4組9人ガイドしましたが 記録するご質問は ありません でした。



丸森城
1548年 天文の乱で敗れた稙宗公(政宗公曽祖父)が隠居した城として知られており、1601年明(空)城になりました。

2013年5月18ひと10月19日 Uさんのお世話で訪れました。

丸森城址保勝会が、歩道・説明板等の整美に努め より多くの歴史愛好者族が訪れる様 努力されていました。
また 現地で、丸森城址保勝会の皆様から 詳しいご説明を頂きました。

本日地元紙は、丸森城二の丸址の竹林0.5ヘクタールの間伐を「あぶくま竹クラブ」が行なった と報じています。

地元の方々が 自ら 史蹟の整備をされている事に敬服致します。
来春 木々が芽吹く前 再訪したいものです。



12 月 21 日 (土)  



仙台城址国史跡指定10年

何故か 世間で 話題にならない。
仙台藩志会の会報に掲載しようとしたが、一人相撲に終わる。
仙台城ボラガイドの諸団体からも 特別ガイド・催事の開催 情報はなかった。
東北工業大学の松山名誉教授が 1人で 記念講座を開催された。

寂しい思いをしていたら、仙台市博物館では、

仙台城が国の史跡指定を受けて10年になる事を機に、仙台市史「特別編7 城館」で取り上げた仙台城にかかわる内容や、東日本大震災による石垣の被害状況・修復の経過など紹介するパネルや資料を展示し、仙台城の歴史的価値に付いて、仙台市役所1階ギャラリーホールで 紹介します。
と、20日 菅野先生から ご案内がありました。

昨21日 早速 霙の悪天候故か 参観者皆無。 ゆっくり拝見。
パネル、模型、ビデオ ・・・・ 充分な資料展です。

地震と石垣復旧の事項を読んでいた同行者は、「10年又は100年単位で 地震災があったのネ 周期性は無いのネ」と洩らしていました。
パネルの読み方のひとつ?


あかとんぼ の希望

1.門 の図のパネル 仙台城と江戸上屋敷 と表示されていました。
 仙台城は政宗公の時代 本丸の門。 では 江戸上屋敷とは? の ?が頭の中を巡りました。

 瑞鳳殿で 政宗公の時代で ガイドしている故 江戸上屋敷 の表示に 桜田屋敷 なのかと受け取りました。

 仙台市史近世2 特論8(仙台藩江戸屋敷とその変遷)から 浜屋敷のようです。
 桜田屋敷の図面は 無いのでしょうか?
 伊達家の江戸上屋敷は 浜屋敷と 答えるのが 歴史常識なのか?
 どちら と明示して欲しかった。

2.大手門の脇の土塀。
 順路3番? の施設の表示に 大手門に、脇櫓の表示・説明はあります。
 しかし、土塀の説明・表示はありません。

 この土塀は 震災での復旧工事完了しています。この工事で 仙台城の建造物で 唯一の遺跡と確認されたと 金森先生は語られました。
 復旧工事完了のパネルには、小さい文字で 記載されています。何人が読むでしょうか。

 石垣・石段以外に 仙台城の建造物で 唯一の遺跡と 明示して欲しかった。

3.会場は、博物館1階展示場が最適、次に 本丸 見聞館が 参観者 広く 多かったのでは。
 色々 事情があって 市役所の空部屋でしょうが 休日は閉庁で参観不能です。
 21.22.23.と3連休 年末年始の休みです。


パネル 読みました。参考になります。 記憶の残留が心配です。

2月10日「仙台城の御殿」と題する市史セミナーがあります。

講演1.仙台城本丸と若林城     前博物館副館長 金森安孝 氏
講演2.絵図に見る仙台城二の丸  博物館学芸員  水野沙織 氏  です。

市史セミナーの配布資料に パネル表示の資料もあるでしょう。期待し、早速 聴講申込みしました。
抽選に当たりますように。



3連休の初日

参拝者数は 多くありませんが 真摯な参拝者ばかりです。

極めて 印象に残るお客様は、トヨタ東日本学園の学生約20余人です。
東北地方の工業高校新卒者  30名の内の約20余人

学園の概要は、生産技術や機械設備について学ぶ製造設備科を設置し、定員は30名とする。現場経験豊富な指導員のもと、厚生労働省が定める職業能力開発促進法に基づく認定職業訓練に沿った教育を1年間行い、モノづくり現場の中核人材を育成する。年間1760時間の授業は、約6割が技能実習、約3割が心身教育、約1割が学科教育の総合教育とするほか、東北のモノづくりのルーツを学ぶなど東北に根ざした教育を行う。その他、訓練行事やクラブ活動、地域ボランティア活動などのプログラム。とHPにはあります。

学生と呼びかけたら 引率者から 学生ではありません の反応。社員です。授業料を払う身では無く 俸給を貰う身であれば そのとうり。
正に 防衛大学学生と同じです。
並の大学1年生と 根性の座り方 違います。しっかりしています。真摯にガイドを聞いてくれました。

短時間に限定されましたが、通常内容に 塗装材は何か、弔魂碑で 近代製鉄が行なわれる前の鉄材である等 普段あまり語らない内容を加えました。将来 何かの機会に役立つ 雑学として。

人生 日の出の青年が 真剣に聞いてくれた事 夕日の老人として 欣快至極 。


12時 服装から軽薄な若い男女。
「ここ なにか 御利益あるの?」

政宗公のお墓 お参りして なにか 御利益あるだろうか?
先祖のお墓 お参りする時 現世の利益を求めて お参りしているのだろうか?

神様は お賽銭の額によって 御利益があるかも?
だから 初詣で 万札のお賽銭を上げろ方が いるのでしょう。

御利益を求めるなら 祭神が政宗公である 青菜神社を 参拝されたらと 思いました。



12 月 20 日 (金)  



 仮称 OIZIMI学園(敬老バス券年代 歴史勉強会)が 昨日 仙台駅東口でありました。

講師は 菅野正道 先生
演題は 伊達家の重臣たち 奉行の群像

広い教室 ぎっしり。目算 90人をやや欠ける人数。
通常の生涯学習は、30-50人ですから 2回分の集まり。

先生は 老若男女はどうか 老老男女からの人気は絶頂です。
昨日も 講義後 老女の話しかけに、丁寧に応接していました。癒し系? 

講演の本論は記載しません。
本日の語録

1.伊達家歴代奉行の一覧表(氏名・通称・家格・知行高・就任)を配布し、各自別の業績等の詳細をまとめたものがありません。
 何方かに 絞り 生涯をまとめるのも 宜しいのでは?
 仙臺人名大辞書、伊達世臣家譜、仙台藩家臣禄が とりあえずの参考書です。

2.綱宗公の多彩な才能は、茶・能・香・鷹狩・鉄砲など様々な技芸に長けた祖父政宗を彷彿させる。
 綱宗公の「失敗」は自身の不行跡がもたらしたものであろと同時に、生まれてくる時と場を選べなかった「運命」も幾ばくか作用した。

 歴史読本に「伊達騒動 10年を超える混乱の引き金となった藩主隠居の真相」と題して記載しました。と4頁コピーを配布されました。

 主君押込 一門の藩政介入 にも 触れています。一読の価値あります。

3.鉄砲町・二十人町は、なぜ榮たか?
 区画整理で皆無となった鉄砲町・二十人町の屋並みの模型が展示されています。
 1964年から67年迄 躑躅岡の帝国陸軍騎兵隊跡に居住していました故、その繁栄した面影は承知しております。

 何故か までは考えたことはありませんでした。
 「4連隊があり、兵隊に面会に訪れる家族等の御用達の店が数ありました」と、納得。
 瀬戸物屋がありました。満期除隊の記念の 杯 を扱っていたと聞いています。納得です。

 30-40年前は 過去 と捉えていましたが 歴史 でした。


 



12 月 19 日 (木)  



瑞鳳殿 拝礼式

26年度瑞鳳殿新年拝礼式のご案内を頂きました。

日時 26年1月2日 11時
場所 瑞鳳殿本殿

案内 伊達家18代当主    伊達泰宗
    仙台藩志会会      伊達洋司
    (公財)瑞鳳殿理事長 伊藤敬幹


あかとんぼ補足
1.仙台藩志会会員の裃 又は 五色乱星陣羽織 着用者の行列は 10時45分 瑞鳳寺山門前を出発します。
2.瑞鳳殿ガイドの会会員は、ユニホーム(五色乱星陣羽織風)を着用し、拝殿内で参列します。
3.仙台初売り(初買い)後で 間に合います。



12 月 16 日 (月)  



 「片倉小十郎景綱 ナンバー2の実像」

標題の講演会が14日13時30分から開催されました。

演題 講師は

1.再検証 片倉景綱・・・・・仙台市博物館市史編さん室長 菅野正道氏
2.武田家臣団の成り立ち・・・東北大学大学院文学研究科専門研究員 小佐野浅子氏
3.上杉家のナンバー2・直江兼続・・・上越市公文書センター公文書管理係長 福原圭一氏
4.大崎家の外交と氏家吉継・・・・・・・弘前学院大学社会福祉学部講師 遠藤ゆり子氏
5.ナンバー2の実像 討論・・・・・司会 福島大学人文社会学群行政政策学類教授 阿部浩一氏



霙の降る 悪天候の中です。 
「多少の天候の悪さは吹き飛ばせるような内容には出来るかな」と 菅野先生から 事前にお話がありました。そのとおりでした。


菅野先生の講話 「再検証 片倉景綱」に、「再検証 」とタイトルが付いています。
講話の要旨

1.代々神官の子と云われているが果たして そうか?
 祖父迄遡る 系図を示されました。
 祖父は、神官ではありません。
 父景重は神職の娘との間に異母兄弟をもうけています。
 また、父景重の長兄景親(嫡流家)は 壱岐とも名乗り、小桜城主で700人以上の兵力を有する有力家臣であった。
 遠藤基信は、修験者の子であり、対して神官の子と云われてきたのでは?

2.政宗公の人事は?
 能力主義であり、家柄・先祖の功績は高く評価しなかったのでは?
 景綱の姉は、喜多で、二人は評価されたが、異母兄弟は歴史に現れない。
 また、嫡流家も同様である。
 政宗公は、親戚一族を芋蔓で抜擢要職に配置はしていない。

3.景綱は軍師・参謀に傅役から転身したか?
 三省堂等の辞書が定義する軍師・参謀に当てはまるか?
 輝宗期における遠藤基信の地位は引き継いだ。
 天正13年人取橋の戦いでは 伊達軍先鋒を務めている。遠藤基信と異なる。
 領内要衝の大森城主となり、側近的立場から離れた。政宗公と別行動。

4.秀吉にスカートされた?
 天正18年田村領3万石を与え大名に取り立てようとした。特別視な評価があるが?
 毛利氏の小早川隆景、吉川広家 佐竹氏の東義久 等々事例が多々ある。
 景綱の事例を含めて「有力大名の弱体化を意図した」解釈してよいか疑問。

5.片倉家は、内政面には関与しなかった。しかし 伊達家重要局面に介入・活躍をした。

等 5頁にわたる 理解容易な資料で語られました。


「武田家臣団の成り立ち」小佐野先生は、
1.武田家臣団に ナンバー2は 誰か?
2.家臣団の編成・構造、御一門とは
3.権力が集中しない様に突出した家臣の存在を認めない。
と 纏められました。


「上杉家のナンバー2・直江兼続」福原先生は、
1.殿様上杉景勝は、 現在的表現で、 会長の立場 経済団体の長的な活動をして、直江兼続は 社長として社内統括の働きをした。


「大崎家の外交と氏家吉継」遠藤先生は、
1.大崎家とは
2.氏家吉継とは
3.から 最上家 伊達家との関係 代理戦争を語られました。
正直 氏家吉継についての予備知識がなく 充分な理解ができませんでした。


全体の感想として

4人の講話を 2時間では むりです。1人90分を取るべきです。
例えば 遠藤先生の持ち時間 20分です。単なる講師紹介の場であったのか?

3時間半 約4時間 講話を聴くには 座席(椅子)が劣悪です
ホワイトキューブなら 劇場で 長時間でも大丈夫ですが?

開催時期 降雪の前 11月迄に 開催して欲しい。
参加者の大部分は 仙台とその周辺の方々(いつもの顔ぶれ)でした。
(瑞鳳殿ガイドの会員 4人 仙台藩志会員5人)
路面凍結等 帰路の安全を心配していました。
あかとんぼ は 在来線利用でしてが 24分の遅延で収まりました。

パンフ「片倉小十郎景綱」全16頁 簡潔に纏められています。


講師ポロフイールに、生年・学歴まで紹介しています。驚き。生年は必要だろうか?


今回講座内容を 白石市文化財調査報告書「片倉小十郎景綱関係文書」として
○論考
1.の事績・・・仙台市博物館市史編さん室長 菅野正道
2.天正期における伊達氏の外交と片倉景綱・・・弘前学院大学社会福祉学部講師 遠藤ゆり子
3.片倉家伝来文書・・・仙台市博物館市史編さん室長 菅野正道
○片倉景綱関係文書・・・160点 翻刻文
○片倉代々記 景綱・・・景綱譜全6冊完全翻刻
○片倉氏系譜
○資料 片倉景綱画像(仙台市博物館蔵)等 カラー写真

の内容で 2014年1月末 発行と 予約を受け付けていました。代価を添え 申し込みしてきました。

ご希望の方 0224-22-1323白石市教育委員会生涯学習課文化財係まで。




12 月 15 日 (日)  



朝 屋外 真っ白です。
公認記録 5cmの積雪です。

籠の雪下ろし、道路の除雪。
地温が高いので 凍結はしていません。日の出と共に 融けるハズの雪です。
山から谷間の幹線道路に降りる坂道 雪が融けるのを待って 瑞鳳殿に。

樹枝 白銀細工 工芸品の銀線細工を巨大化したもの キラキラ輝いています。
370年前の龍頭 本殿屋根の龍 真綿の頭巾をかぶった様です。
赤は還暦、白はなんでしょう?

ガイドの合間 全山 感仙殿・善應殿・妙雲廟界・御子様御廟と巡り 50枚程 撮影しました。
傑作 使用できるのは 何枚でしょう。

東京・茨城・静岡・札幌からのお客様。

特に 静岡からのお客様 樹枝から舞い降りる雪 軽い吹雪状の雪に欣喜 歓呼 賑やかです。

積雪を悪条件と ブツブツ申さず 最大の歓迎と喜んで下さいました。
年間を通して 積もる雪は降らない 生の積雪をみたのは初めてとか。

静岡と札幌のお客様 一緒にガイドしましたが、札幌のお客様 苦笑いしていました。


全日本実業団女子駅伝が城下で開催されました。
仙臺城内を疾走が午後で、交通規制は 皆 昼食時。 
交通規制前に多くのお客様が 参拝に見えました。


昨日の白石での「片倉小十郎 ナンバー2の実像」講演会感想は 明日記載します。



12 月 14 日 (土)  



初積雪です。

「瑞鳳殿の積雪の景を撮ったものは少ないので業界では希少価値がある」と、昨日の煤払いの義に参加された方が申しておりました。
如何なる 業界か 不明です。積雪の景 あかとんぼは 安全運転等 足元不如意がら 確かに 傑作は 未だです。


しりもち

ズリー ズリ ズリ ドースン 大音です。

昨日の瑞鳳殿煤払いで 拝礼で本殿前に関係者が勢ぞろい始めた瞬間です。
赤い衣の女忍者が 足元掬われ尻餅を着いたのです。

若い女性 忍者役 故か 恥か恥かしさ 故か スーと立 式に臨みました。
入浴時 臀部に黒い痣を発見するかも?

この転倒 もし高齢者であれば、救急車を呼ぶ、入院の大事(オオゴト)になったかもしれません。

この基因は、玉砂利が薄くなっていたのです。
本殿前は、コンクリート打ち放しに 玉砂利を敷き 荘厳な雰囲気を醸し出しています。
多数の参拝者の入り変わりで 玉砂利が動き 薄くなります。
薄くなった玉砂利に乗った方向と速度の組み合わせで 滑ります。

昨日は、あかとんぼ 足で 玉砂利を運び 補修しました。数日は安全でしょう。
本件は、従前から 事務所には 申し上げておりました。

今回、事務局長始め管理責任者の目前で起きました。
危険性を理解されたでしょう。整美員に有効な指示をされたでしょう。

お客様
豪華絢爛な桃山様式の彩色・彫刻に 眼が奪われますが 足元 疎かにしないでください。


地元紙朝刊に、昨日の瑞鳳殿煤払いの記事が再び掲載されました。
写真は、アカトンボの表紙の写真と 同じ位置からです。



12 月 13 日 (金)  



すすはらい

陰暦の時代、歳神様を迎えるための準備として、この日に「すすはらい」を行なうのが通例でした。
(365日行事こよみ辞典・くらし365日生活歳時記)

瑞鳳殿でも、10時から 伊達家18代御当主様を先頭に、伊達武将隊(片倉小十郎ほか御小人・女忍者5名)、公益財団法人瑞鳳殿常務理事・局長等10余名が、瑞鳳殿のすすはらい を行いました。

先ず、御当主様と伊達武将隊に関係者が、「只今から 煤払いをさせて頂きます」と 拝礼。
太い習字用を筆で 正面極彩色の飛天に 黄金に輝く 竹に雀の家紋を 御当主様が 掃き清め。伊達武将隊員が 毛羽等で脇、横の彫刻を掃きました。

続いて、開戸 政宗公御木像を、御尊顔から順番に御当主様が 掃き清めました。

極彩色の彫刻であり、漆塗である所より 当たりが柔らかい 毛・布で埃落しが行なわれ、竹箒・水雑巾は使用されませんでした。
電気掃除機も使用されません。(伝統・民俗行事でも 直接 接しない様に吸引する電気掃除を使用する方が 埃取には最適と思いますが?)


涅槃門前に 松・竹・笹の一般的 門松が飾られました。

あかとんぼ が昨年から 切望していた 復元仙臺城門松を涅槃門前に飾るは 今年も駄目でした。
復元仙臺城門松であるが 周知されて居ないのでは?
「根白石の門松」の言葉が 一部関係者から漏れたから 推測するに。


在仙マスコミ各社のほか、旅行会社の取材・録画が多くお出でなりました。
TVは昼・夕の地元ニュースで放映、地元新聞は 夕刊トップで報じました。

あかとんぼ撮影の写真は 表紙に掲載しました。ご覧ください。
当然ながら プロには勝てない。


引き続き 感仙殿・善應殿の すすはらい が行なわれました。
が、参拝者皆無に等しく ガイドの余地無く すすはらいお手伝いの余地・体力無く、11時退散しました。



12 月 11 日 (水)  



昨夜の強風での落ち葉。
仙臺城二の丸跡、東北大学松下記念講堂前 針状の赤色落ち葉(樹木の名称不詳故)で 真っ赤。絨毯の如し。

14日13時30分から 「片倉小十郎景綱 ナンバー2の実像」と題する大講演会が開催されます。
なぜか、白石教育委員会からご案内を頂きました。

なぜご案内がきたか?驚きですが 更なる驚きは 講師陣です。
1.再検証 片倉景綱・・・・・仙台市博物館市史編さん室長 菅野正道氏
2.武田家臣団の成り立ち・・・東北大学大学院文学研究科専門研究員 小佐野浅子氏
3.上杉家のナンバー2・直江兼続・・・上越市公文書センター公文書管理係長 福原圭一氏
4.大崎家の外交と氏家吉継・・・・・・・弘前学院大学社会福祉学部講師 遠藤ゆり子氏
5.ナンバー2の実像 討論・・・・・司会 福島大学人文社会学群行政政策学類教授 阿部浩一氏

終りは、何時でしょう。17時迄とありますが。

案内状に、関連企画で仙台市博物館が「奥羽の戦国大名」と題して 片倉景綱書状など関連資料を展示するとありました。
予習に出かけました。

モギリ嬢に、「会場は?」
ポカンとしています。

展示室 順番に。
「古文書とは」の展示会場に到りましたが、片倉景綱書状など関連資料の展示に到りませんでした。

ボラガイド不在で確認できませんでした。


予想外のもうけもの

7日の門松講座で、スライドで見せて頂きました 飢饉調査報告絵図 スライドの現物が展示していました。
飢餓の中での 邑の伝統行事 門松。年神(福神)を切望する民。

倉橋先生 「常設展で展示しています」 と申されたを聞き逃したか、現物 古文書を予想外見る 感激です。



12 月 9 日 (月)  



家と氏

ある講座の表題に誤りでは無いだろうが違和感を感じた。


1.「伊達氏と四ツ谷堰用水」
2.「近世大名伊達氏と都市用水の建設」


四ツ谷堰用水・・・堰と用水の語を重ねる事は 馬から落馬した の表現ではないのか?
四ツ谷用水の工事は、伊達政宗公の命で着工された。

統治者は伊達政宗公で、統治の組織体が 伊達家 ではなかったのか?
統治の組織体の一員が 家臣 ではないのか?
○○家  ○○家中 との表現は 組織体を表しているのでは?

1.は「伊達家と四ツ谷堰」が 社会通例の表現ではないのか?

2.の 氏 は上記と同じ
 近世大名伊達氏は、理解した。


世界大百科事典内の近世大名の言及に
 江戸時代の1万石以上を領有する幕府直属の武士をさす

[近世大名の成立]
 守護大名南北朝から室町時代にかけては,守護が領国を拡大して大名領を形成したところからとよばれる。
 戦国大名守護に代わって新しく台頭し,在地土豪の掌握を通じて一円知行化を推進した戦国時代の大名。
 近世大名こうして形成された大名が江戸時代に入って完成した。…



12 月 8 日 (日)  



寒気 厳しい。完全冬装備で。

紅葉は完全に終わりました。

朝1番のお客様 松島・塩竈を経由 ホテルから瑞鳳殿に直行された政宗公フアンでした。
「何処でも 10日 せめて7日前に お出でなれば 紅葉を楽しめた」 と言われた申していました。

11月30日地元紙が瑞鳳殿の紅葉の写真を掲載しました。
この新聞社は、TV局と異なり取材後 日数を経過してから掲載する傾向があります。

掲載翌日は盛りが過ぎていました。のに、新聞を見て駆けつけた御客様で雑踏を極めたと 当日にガイドしたHAさんが語っていました。

整美員氏 「毎日やりがいがある」と 落ち葉を 吹き飛ばしています。


石巻・鎌倉・東京圏のお客様 3組30余人をガイド11時45分 御終いに。

本日 本年のガイド 100日です。後20日のみで 8日は無理でしょう。
出来れば、煩悩 108回を目指しかったが。


午後 仙台市史講座に。
会場は バス・仙石線乗換えての城下の端。

1.近世仙台平野のクロマツ海岸林
 菊池慶子氏  東北学院大学教授 元仙台市史執筆委員

2.明治前期の蒲生の風景
 畑井洋樹氏  仙台市歴史民俗資料館学芸員 仙台市史調査分析委員


講話冒頭 
佐竹家領内日本海海岸に連綿と続く 黒松の海岸保安林は 先人 佐竹家家臣栗田定之丞の偉業であると祖父から何度も語られた。
仙台に屋敷を構えた際 祝として黒松の苗木3本を 父から頂いたが スペースの関係で 1本のみとなった。
先人栗田定之丞の偉業であるは アカトンボも何度も教わった。

さて、
1.太平洋側 伊達家領内での黒松海岸林の造成はどうであったか。
2.御船入土手黒松の成立と植林の背景
3.藩政下の管理と運用
4.凶作時の対応
此処まで 伊達家の行政を古文書を資料に語りました。
震災での黒松海岸林の有効性 そして 今後 復興に先人の知恵を生かす。これが大切とスライドを活用し語られました。

共感しました。主催者 博物館市史編さん室では 録画されなかった でしょうか?
今 一度 見たい 聞きたい 講座でした。



12 月 7 日 (土)  



季節は12月 「大雪(タイセツ)」です。
日本海側は大雪とか、飛沫が仙臺城下にも。

「伝統の門松を探る 根白石から仙臺城へ」
倉橋真紀 仙台市博物館市史編さん室(古文書読解、根白石地誌担当)
の講演が 泉区中央市民センターで開催されました。


主な内容

1.江戸時代の門松
2.仙臺藩の門松  (伊具郡大内邑 再現 門松 写真紹介)
3.御門松上げ人の記録
4.門松御用木一覧
5.根白石の門松
6.復元 仙臺城門松(瑞鳳殿門松)
7.政宗公の門松  數少ない画・・・彩色の門松
8.なぜ 根白石か
9.天正19(1591)年に岩出山に転付 祖母栽松院が元禄3(1594)年に亡くなる。この間 政宗公は上京の際 根白石を通過している。

倉橋真紀先生は、大きく開口 音声明朗 早口にならず 2度語り で 誠に 高齢者に相性の宜しい講師です。

2012年12月30日伊具郡大内邑 再現門松をUさん案内で見学、地元有識者から解説して頂きました。
先生も 即 駆けつけたそうです。
先生達 瑞鳳殿での復元門松 誕生秘話。
門松とはの、基本的解説に 目から鱗  今初めて知りました。

瑞鳳殿では、資料館前に やや縮小して再現されました。
原寸大で、参拝者が見える 潜れる 涅槃門前に 今年は飾って欲しいものです。
その願いからも 仙台藩志会会報に記事を書きました。

倉橋先生に、涅槃門前に今年は飾るように 働きかけて頂きたい とお願い致しました。苦笑されてました。

9番は、初耳です。
当時の街道 道路状況 再確認です。国道457号線宮床、輪王寺脇を経由 北目城に?

参加者は あかとんぼの予想より少なかったのは、講座が競合したか?


夕方 仙台藩志会役員会
1月2日年賀拝礼式と 忠宗公・綱宗公始め歴代公の法要参加 役員は率先参加すべきと 叱咤。



12 月 6 日 (金)  



紅葉は 終わりました。

午前、JTBとの打合せ と ガイドの会役員会 でおわりました。

荒町アルコー会 始め 高齢者の参拝が有りましたが ガイドに到りませんでした。
残念至極



12 月 1 日 (日)  



学習日

地域の歴史を学ぶ岩出山U 戦乱と地域史

岩出山で開催された講演会

1.「慶長出羽合戦と伊達政宗」 講師 佐藤賢治 東北芸術工科大学 歴史遺産学科教授

2.「戊辰戦争とその影響 岩出山伊達家の場合」 友田昌弘 東北大学アジア研究センター教授

1について
 東の関ヶ原とも称された 長谷堂合戦について 伊達政宗文書、治家記録を基に語られました。
 政宗公の心理、政治情勢の読み を語れました。
 山形・最上義光記念館以外 解説を聞く機会がありません。まして 古文書を基にしての講義は 初めてです。
 新鮮でした。

2について
 戊辰の役で、岩出山伊達家の戦死者は14人と被害軽微であるが、その後は苦難の連続であった。
 当別での開拓が成功し、士族に復帰 明治25年男爵の爵位を授けられ 雪辱なる。それまでの経過を語られました。

 @移住者の苦難は語られるが、移住しなかった「帰農派」の動向は?
 A他の一門・一家の動向は?
 と 投げかけられました。

 岩出山町史に@が どの様に記録されているか。早々 書庫に 駆けつけなければ。
 
 質問で「(仙臺伊達家)でも 移住が行なわれた。子細は?」が ありました。
 初耳です。講師・町史編纂者 一同 首を傾げて いました。

交通不便で 絶対人口の少ない町での開催ながら 120人程の参加でした。おどろき。

仙台からは、瑞鳳殿ガイドの会関係者4人、三の丸会会員2人が 参加していました。
伊達家関係講座には 遠近を問わず 必ず参加する K嬢 座席指定の臨時列車で 姿を表しました。
昨日は、仙台市博物館 前副館長と 伊達家発祥の地 伊達郡を 訪れてたそうです。


講演の前
1.館山城址
2.新沼城址
3.師山城址
4.岩出山城址
を U氏の ご厚意で案内して頂きました。

4以外は初訪です。歴史は 現地・足裏から の教え もっとも と思います。
子細は 何れ記載致します。





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