2014年3月の日誌
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3 月 31 日 (月)  



瑞鳳殿ガイドの会

仙台市政だより 4月号 3頁に写真と共に 大きく紹介されています。

私たちがご案内します
瑞鳳殿ガイドの会
伊達家三代の御霊屋の瑞鳳殿・感仙殿・善應殿を中心に、お客様の都合に合わせて、10〜120分のコースでご案内します。
依頼はお一人でも可能。
予約は不要です。
見どころについてポイントをさりげなく、かつ丁寧にガイドするように心掛けています。

襟に「瑞鳳殿ガイド」の白文字が入った紫色の「五色乱星」模様の陣羽織(写真)を羽織ってお待ちしております。

写真

瑞鳳殿ガイドの会の皆さん。「土日を中心に瑞鳳殿におりますので、気軽にお声掛けてください」


4月1日から 仙台・宮城{伊達な旅}春キャンペーン2014が始まります
「花」「食」「復興。鎮魂」「伊達文化」を 柱に。

「伊達文化」の柱の 一端を「瑞鳳殿ガイドの会」を 担います。お待ちしております。




3 月 30 日 (日)  



冷たい大雨

臥龍梅 咲きました。開花を宣言します。

昨日の5月の陽気に故か お客様 全国から見えました。
が、傘の持たない人、小さい折り畳みに傘、相傘の人 が多数です。
それなのに 雨は大粒です。


朝一番のお客様
秋田市から。

「天徳寺 お詣りしたことありますね」
「どこに あります」
「泉の火葬場に行く途中です」
「天徳寺に何が ありますか?」
「秋田・佐竹家初代 佐竹義宣公以下 佐竹の御霊屋があります」
「ハアー」

仙台の多くの人が 瑞鳳殿をお詣りした事がないのと同じです。

参考まで、仙台市の人口は 1,080,000.人 瑞鳳殿参拝者 160,000人 仲間一同ガイドするのは24,000人。


栃木県からのお客様
やはり 日光東照宮 お詣りした事がない口ぶり。

埼玉からの母娘
20分でガイドして。
20分にまとめました。
資料館での30分後、補足質問され 計60分後 感仙殿に向われました。


○○天下では ないようですが お客様 全ての組 夫人・母がリード 引率・代表質問 されていました。御家安泰のモデル?。




3 月 29 日 (土)  



定禅寺

寺の無い寺通り・・・定禅寺通り
仙台を代表する 通り です。催事の通りです。

その昔 定禅寺があったから 定禅寺通 と教えて頂きました。
なぜ 寺が無くなったか?

明治維新で 伊達家の庇護が無くなった故。

今のどこに あったか?

現在の勾当台公園。


ある方。定禅寺の末寺 大聖寺の和尚を紹介します。お寺に行きましょう」とのお誘い。
青葉区荒巻字仁田谷地 (葛岡斎場東隣)のお寺を訪れ 沿革等 承りました。

目に鱗 の話しは後日に。

定禅寺の所在は、現在の勾当台公園と国合同庁舎の広大な敷地。

廃寺になったのは、明治3年自ら出火焼失し 伊達家の庇護も無くなり 再建出来ずに廃寺になった でした。



昨日のお客様の感想の一端
ご依頼主は 「非常に楽しかったです。建築、アプローチから彫り物まで歴史と共に、感じる事ができました」
と頂きましたが、
同行の方は「根本的な基礎知識異常にない為 少々、難しすぎたようです」
との感想でした。

貴重なご意見です。


ガイドの基本を、
ガイをド聞き終わって、御客様から ガイドを聞いて なるほど わかった なっとく
たのしかった 得した気分 また行こう 皆にも知らせよう

そのような 感想を頂ける ガイドを目指しております。
充分 参考になる感想でした。



3 月 28 日 (金)  



驚いた

「古里の親を案内するので、4月28日(月)瑞鳳殿をガイドして欲しい」読者の方から1月にメールがありました。
瑞鳳殿ガイドの会は 予約は受けていません。

読者です。古里の親を と言われれば あかとんぼ は弱いです。
4ケ月前から とは 相当に親孝行な方です。

あかとんぼ が ガイドしましょうと 返事しました。

昨27日 「明日午前よろしく」とメールが。

1ケ月先が 明日になりました。日々の経過は 早いと感じていますが これには驚き ビックリ 山椒の実 です。

予定が入っています。突然 1ケ月短縮されても。

午前 コンベション協会との打ち合わせ です。年度末多忙の中 万障繰り合わせて頂き確保した時間です。
大げさな表現をすれば 「瑞鳳殿ガイドの会会員31名」の命運(?)が かかっていませす。断れません。

午後は、某生涯学習の会合です。こちらをキャセルしまして 後遺症があるのは あかとんぼ のみ。
「午後で宜しければ」と電話を。メール往復に余裕ありません。

「よろしい」との事。
「丁寧に」と冒頭ありました。 90分 ご案内しました。親孝行に お役立ちましたか?


待機中

フラフラして居た青年から
「伊達家は3代で途絶えたのか」
「瑞鳳殿・感仙殿・善應殿は 誰か、関係(血縁)あるのかの質問。
これまた 驚く お話。

自分は 政宗公の生まれ変わり と言われ 3回お詣りにきた。
(その割に 勉強されていません)

政宗公との 縁をもとめて 先祖を調べている。

祖父は 福島県三春町の出で、 町は明治初期に焼失しているので 祖父の先は調べられないと三春町で言わらた。
祖母は 栗原 岩ケ崎の大地主の出です。

「明治初め 大地主であれば、幕末に 村役人をしている可能性がある。伊達家の家臣に繋がるかも?」と話したら、
「家臣って なんだ?」と質問されました。

ここで 会話は 終わりました。


瑞鳳殿の臥龍梅は 蕾 硬いです。





3 月 25 日 (火)  



梅 開花宣言

櫻ではありません。本日 仙臺で梅の開花宣言がありました。

瑞鳳殿の梅(臥龍梅の息子)は、月末に咲くでしょうか?
梅の開花予測は、難しいものだそうです。

松島瑞巖寺の紅白の梅は 咲いたのでしょうか?
公開しているのでしょうか?

修理工事の区域内にあります。開扉し 公開しているのかな

瑞鳳殿の梅(臥龍梅の息子)を 説明した際に、臥龍梅=瑞巖寺の反応がありました。

「瑞巖寺の紅白の梅と瑞鳳殿の梅(臥龍梅の息子)は、直接の血脈の繋がらない親戚です。共に政宗公が朝鮮半島から持ち帰ったものです」
と説明しています。
一様に 頷きます。

間もなく 梅が咲き、櫻が咲いて ・・・咲いて 花爛漫の春です。
瑞鳳殿の梅(臥龍梅の息子) 咲いたら お出でください。お待ちしております。



3 月 24 日 (月)  



天山廟

19日日誌・表紙写真の補足

登米伊達家4代宗倫(ムネトモ)(1640〜70)の霊屋。
桃山様式で 伊達領内の秀作。宮城県指定文化財。1972年解体修理。

宗倫は政宗公の孫、忠宗公の5子。
寛永17年4月3日 仙臺城で生。母 側室長田氏。
正保2(1645)年2月24日忠宗公命、白石宗勝の女 配して家を継ぐ。
寛文10年2月10日没31歳。
法名  天山宗清 高台院 と号す・

構造等
方三間単層、桁行・張間とも 23.5尺。向拝 1間。前面縁付白木造床板張。屋根 寶形造 木羽葺。

内部
須弥壇の上に方三尺入母屋造柿葺 家型厨子。
須弥壇は 漆塗胡粉金具で飾る。
須弥壇 床下に石壇の墳墓。

所在
登米市登米町寺池 上町。
覺乗寺 跡

覺乗寺
1660(万治3)年 伊達宗倫  忠宗公の位牌を祀る名目で創建。
1870(明治3)年 廃寺。

御当主は、資料配布 更なる説明をされました。感謝です。
記録・記憶洩れにて 残念ながら 記載できません。



3 月 23 日 (日)  



天候不順
晴れたり 降ったり 寒かったり 遠来のお客様を惑わす天候です。

今日のお客様は、自分達を専門にガイドしてくれ。相客はイヤダ です。
あかとんぼ のみならず 仲間も同様です。

岐阜・喜多方からの単独のご婦人 熱心に聞いてくれました。
喜多方のお客様 来月○○日 お客様を案内する 下見とか。
「私たち 予約は受けませんが 紫地の羽織 見かけましたら お声ください」と広報。

岐阜のお客様は、 震災復興の手伝いに 釜石に来ている 今日は安息日 とか。

政宗公の墓室から 牡蠣灰に話が至りました。
三陸で お手伝いしているからには 「海鞘」は馳走になったが「牡蠣」は 馳走になっていない とのこと。
釜石では、牡蠣はアガラないのかな? 馳走してください。瑞鳳殿での説明 困らないが マズイです。


埼玉からの3歳児と5歳児をつれた親子。
「皆が 無料だから ガイドを頼んでいる 我らにも」と タダのモノは使わないのは 損とばかりの依頼。

幼児を飽きさせない様に 親の興味を喚起させるようにガイドしなければなえあない。
それなりに 大変なの です。

拝殿に到った時点で、父親「動物園に行きます。遅くなります」
幼児の前に 父親が 飽きてしまいました。お手上げ。
肝心・本命 本殿の説明 政宗公との御対面も中止。解散。


横浜からの親子4人は 真剣に聞いてくれました。ご質問はありませんでした。
吾妻鏡 当然 知っていました。


昨日 「1945年7月10日 米軍の空襲で焼失し 再建したものです」と事実を語りましたら
「ガイド その様な 発言は 駄目だ」と 申した ご婦人がいました。
なぜ 歴史事実を語るのを牽制されたか 理解出来ず 密かに悩んでいます。


昼 JTB企画商品の打ち合わせ、役員会で 勉強会決算・総会開催日時等 協議。



3 月 22 日 (土)  



晴天なれど体感温度 冷たい。

昨日の悪天候の中 全国から参拝に見えた方 あかとんぼの予測を遥かに上回る(具体的数字の発表はゴカンベンを)数字でした。
ガイドは 午前1名 アさんのみ。

参拝客多数で 終日ガイドをする覚悟であったが、寒気 老骨に凍み 八甲田・後藤伍長になり兼ねない 昼で断念したと 語っていました。

連休中日 出足は早いです。9時5分 先陣到着。

「私 山口 長州 萩 から 毛利家の末裔です」と 連呼されるお客様。
1000km彼方からの 参拝は有難いですが 戊辰の役弔魂碑の目の前で 叫ばれますと。


高松からの御夫妻。
中々 理解が早いです。伊達家・政宗公について御存じです。

奥様 熱烈な政宗公フアンとか、携帯の待ち受け画面 劇画風の政宗公でした。
妙雲廟界まで ご案内しました。

本日中に 仙台・松島の伊達家関連史蹟を 巡る予定とか。

瑞巖寺では、愛姫の御霊屋「寶華殿」を参拝され、その他色々 巡るでしょうが、松島町立博物館 伊達家の秘宝が無造作に陳列されています。政宗公・伊達家フアンには 垂涎の寶  素養の欠ける人には「猫に小判」 素晴らしいものがあります と推薦しました。

見て呉れたでしょうか?

夫君、島根県で 幼少の折 「土葬」を見たと その様子を語られました。
貴重な 語り部 です。


あかとんぼ より若い 高齢のご婦人。

「福岡からきました」
「今 福岡は 黒田官兵衛 でもちきりですね」
「モー カンベーして」
軽く 流されました。

この方も 政宗公フアンです。
あかとんぼ よりも ガイドを依頼され さておき 語ります。

昨日 平泉に行ってきた。伊達家の保護・加護があった、伊達領であったを始めて知った。
平泉は藤原3代の墓所。此処は伊達家3代の墓所か?

確かに 伊達家3代の墓所では あるが 平泉は1ケ所 ここは瑞鳳殿・感仙殿・善應殿と 3棟です と慌てて 説明。

テレビドラマで 伊達政宗あったよね あれ 誰だったケ?
渡辺兼 ですか?

そうじゃない あれ アレ あれ アレ・・・・・・
政宗公の役を演じている人には 興味がなく 知らない。 困った。

直江兼直ですか?
そうだ アレ 誰だ。  ワカリマセン


本日 一瞬 詰まった 質問

政宗公は 伊達家始祖から数えて 何代目か?
16世です。


今日は なんか 色々 楽しい交流がありました。 



八甲田・後藤伍長
1502(明治35)年1月 八甲田山 雪中行軍中 210名中199名 遭難死した事件。



3 月 21 日 (金)  



お彼岸です。
おはぎではなく ぼた餅の日です。

昨夜から 牡丹雪が降り続き 最悪の条件です。
ガイドを休み 日誌19日の補正と資料の発送に努めています。



3 月 19 日 (水)  



瑞鳳殿ガイドの会 学習
「伊達家御一門を知る 第1回 涌谷・登米の伊達家の御霊屋と要害跡を訪れる」

ガイド仲間 23名 参加して行ないました。

涌谷では、
海雲山見龍寺・涌谷伊達家墓所

宮城県指定重要文化財 見龍院御霊屋を主体に、歴代の御霊屋5棟と墓碑18基を参拝し、涌谷教育委員会文化財保護委員長 佐々木茂驕iシゲモト)先生から、涌谷伊達家の由来、寛文事件、月ニ九曜紋等を止まらない程 熱烈に解説をして頂きました。

石造五重塔・水盤・盥石では、特に、石造五重塔から「見龍院身舎利」が発見された経緯を図面を配布、涌谷教育委員会福山宗志学芸員に丁寧に解説して頂きました。

要害跡 
冬季休館中の町立資料館を 特段の配慮で開館して頂き 展示品を、 
続いて 要害跡・本丸址 伊達安芸像 を 涌谷教育委員会福山宗志学芸員に解説して頂き見学。

併せて、地形・石造文化財を涌谷在住のガイド仲間下津昌弘さんが 解説しました。


登米では、
伝統芸能伝承館 森舞台(能)の上段の間で 昼食に 登米名産品の郷土料理(あぶらふ膳)を楽しみました。
本家仙台に無い 能舞台が 一門の登米にあり 能が演じられていることに 驚嘆しきりでした。

登米伊達家当主伊達宗弘様に 登米伊達家 旧覺乗寺高台院霊屋(通称天山公廟)を特別に開扉して頂き(開かず柵はの開錠に長時間要し苦労しました) 廟内にて 厨子等を構造・埋葬状況を 詳しく解説して頂きました。

開扉の状態で 登米伊達家4代宗直公の前で 当主伊達宗弘様を真ん中に 参加会員一同の記念写真を撮影しました。
表紙に掲載。


要害跡を 登米市教育委員会文化財保護係二階堂悟主事に 登米要害総絵図(貞亨4年9月伊達大蔵)等により 大手門(?)址から、案内・解説して頂きました。

懐古館(史料館)の展示品を 主任○○嬢に、元気一杯 立て板に水の如く 解説して頂きました。


涌谷・登米は、史蹟の町であり、観櫻の町であり 仲間の大部分は 何度か訪れています。
しかし、御霊屋を開扉して頂き 参拝は 初めての人が 多く 勉強に なったの感想でした。

また、往復の車中 4時間の長時間を バスガイド歴60年のNさんが その知識・技をいかんなく披露されました。
気力・体力にも 感嘆するものです。


会顧問から 「知識溢れ熱意のある 一流の講師陣を配しての 講座は素晴らしかった」と お褒めの電話を頂きました。

副会長・幹事・会員 皆様の活力の成果です。仲間の皆様に 感謝申し上げます・


今回の目的は、

伊達家御一門の涌谷伊達家と登米伊達家の御霊屋を参拝し、規模・構造から伊達本家と御一門の関連性(類似性、相違性)を学習する。

要害跡を見学し、知行地の在り方等を学習する。

移動時間内での意思疎通から、会員相互の一体感を醸成する。

よって ガイド知識の向上・蓄積を図り、瑞鳳殿参拝者の皆様から 好感の得られる ガイドを目指すを目的としました。


本来は、2013年10月16日に実施を計画しましたが、大型台風来襲で前日に中止し、今日 あらためて 実施したものです。
諸般の事情で 参加出来なかった 仲間には 拝具資料一式 お届けします。ガイドに活用してください。




3 月 17 日 (月)  



昨日の続き

「お客様に わからない と答えた」と オタさん
「なに?」 マスさん

「瑞鳳殿・感仙殿・善應殿 の名前の由来を聞かれた」
「アラ 資料あるわ」マスさん

袋をガサゴソ。「アッタ」 全く別の資料でした。
「あの 4人の爺様です。聞いたのは」と スーさん


命名の由来の書付 あかとんぼ 未だ お目に係っていません。

瑞鳳殿 は 忠宗公が 建立されました。
扁額は、忠宗公の書で、現在のものは 完全復元 と聞いています。

瑞鳳殿の意味は 「瑞 」は 「めだたい」 「鳳」は 鳳凰の鳳 「大きい 雄の鳥」 「殿」は 「宮殿」と 漢和辞典で理解し、
瑞鳳殿 とは 目出度い大きい雄の鳥 (とは正に政宗公を表しているのでは?) の住むその方の宮殿 と理解して居ます 
と ガイドしています。

これまで、この解釈を否定された方は いません。


感仙殿 忠宗公は万治元(1658)年に仙臺城にて亡くなり、1代飛び 6ケ年後 4代綱宗公の代 寛文4(1664)年に完成しました。
善應殿 綱宗公は正徳元(1711)年に江戸品川屋敷で亡くなり、5代吉村公の代 5ケ年後 享保元(1716)年に完成しました。

瑞鳳殿は1年4ケ月後に 完成したのは、感仙殿・善應殿の例を みる如く 想像を絶する 早期完成です。

感仙殿・善應殿の扁額 焼失前 現在(焼失前に復元と伝えられている?) とも 誰の書かも わかりません。


以前に調べた事柄 本HPの資料館 扁額 感仙殿 善應殿に掲載しております。ご参照ください。



3 月 16 日 (日)  



境内に残雪は あります。
温暖になりました。と申しても 寒さが続きます。

秀宗公の伊予宇和島の櫻 昨年は、15日に咲きました。今日現在 未だ咲いていません。全国的に今季は寒さが厳しい結果でしょうか?

 ア、エ、オタ、カ、ク、サ、スヒ、タニ、チ、ナ、マ、マス、ミ、モの各氏がガイドされました。


9時30分 バスガイド(県外)嬢  眼が良いのか、機転が効くのか? 

「お客さん あそこに無料のガイドいます。頼みましょう。
バス 10時10分発車です。間に合うように ガイドして。40人です。
サアー みなさん ボラガイドと一緒に」

「プロが 素人 ボランテイアに 丸投げ もってのほか」と論ずる方 います。

あかとんぼ は斯様な事は 申しません。喜んで引き受けます。

「どちらから?」
「兵庫県 加古川 です」
「加古川 の地名は 存じていますが それ以上の事は トント」
「黒田官兵衛 です」

先般 北九州を旅行した際 バスガイドに 4日間 黒田官兵衛 を連呼されました。今年1年は 西日本からのお客様に 水戸黄門の印籠の如く 黒田官兵衛の地から 来ました と連呼されるでしょう。

政宗公の活躍して時代を ご理解頂くには 助かります。
ガイド仲間に 黒田姓の方がいます。

この方 政宗公と黒田官兵衛 と対面? 接点がある筈 調査中と 洩らしていました。
結果 聞かせて頂きます。 たのしみ です。

全国 黒田官兵衛のゆかりの地からの お客様との 話が弾むでしょう。



3 月 15 日 (土)  



本日 
大年寺山伊達家墓所修復工事、二の森伊達家墓所改葬工事完了の記念法要が営まれました。
あかとんぼ は伊達家直臣の末裔でありません故 ご案内頂きませんでした。故 13日日誌以上の詳細は不明です。
表紙に 改葬された二の森墓所の墓碑を掲載しました。


本日 伊達学塾が催されました。

演題は、戊辰の役殉難者弔魂碑の復興。
講師は、伊達学塾長 伊達宗行 氏
      東北大学金属材料研究所 金属ガラス総合研究センター長 後藤 孝 氏

内容は、
なぜ 建設されたか?その経緯は。規模・構造は。

金属の専門家が なぜ 修復に乗り出したか。
鐡(鉄では無い。ご注意を)とは 何ぞや?

一般に鐡とは、鐡と炭素の合金。超高純度鐡(99.9996%)の性質は、軟らかい・腐食しない。
鐡は、腐食するが、印度デリー所在アショカ王の鐡柱は、1600年経過しても錆びていない。

日光東照宮 政宗公奉納鐡灯篭は 1618年鋳造、柴田町大光院 鐡佛(阿弥陀如来)は1266年鋳造。
金・銀の貴金属以外は腐食する。では、なぜ 上記は腐食しないのか。

今回 修復した弔魂碑は 腐食しない細工をした。環境の変化が無い限り 1000年以上 保つ。

今回の修復に、仙台市当初の計画では 「破棄」代替制作の機運があった。
3.11以後の解体調査では 倒壊・破損で 修復不可能であったろう。
修復工事中 工場クレーン釣下中で 揺れず倒壊・破損から まぬかれた。

この奇跡は 単なる偶然か?
戊辰の役の殉難者の 思い が 導いた ?

講師は、 理系なのに かかる 情緒 的 発言されるとは 意外であった。


今回の講演を聞いて あかとんぼ の確信。

弔魂碑は1877(明治10)年10月10日と 伝えらていました。
実際は、 1877(明治10)年11月13日以降 約1ケ月後に建立 された と確信しました。

理由は、
1877(明治10)年11月6日 宮城県知事に 建立の届け出をしております。
1877(明治10)年11月14日付 仙臺新聞に 「今度戊辰の役に戦死せし当地士民の為に旧藩知事公即ち従五位伊達宗基君より祖廟の側近瑞鳳寺境内へ一大鐡碑を建てられ其魂を慰せられます」の記事があることが 後藤先生の資料にありました。
これによります。


伊達宗行氏の講演の中で、1869(明治2)年4月14日刑死した若生文十郎に「無名戦士の墓」の発想があった。

戊辰紀事 (佐藤信(マコト)編 志賀清著 1935年刊)に記載されているの情報があり、検索をしました。

宮城県内公立図書館には所蔵されておらず、国立国会図書館にのみ所蔵されていると知りました。
伊達宗行氏に その旨を告げました。

数年前 復刻した。 地元山下町に残余がある筈。
県図書館に寄贈すろ様に手配しましょう。
佐藤信は、志賀清の實父である。

と教示頂きました。

若生文十郎は、行年28歳でした。北山霊園にお墓があります。無縁墓の様子。重ね重ね惜しいことです。







3 月 14 日 (金)  



国連 防災会議

2015年3月14〜18日の5日間 仙台市で開催されます。
全世界から 5000人が集まるそうで その経済効果は 幾何でしょうか?

受け入れの為、市内の公的貸会議室を持つ施設は 改修工事が盛りです。
瑞鳳殿では、これからのようです。


瑞鳳殿でのガイドは、如何に対応するか です。
VIPの参拝には 伊達家ご当主に、学芸員が 対応するでしょう。

VIP以外の日本語圏外からの お客様に対する対応が、我々の出番です。

瑞鳳殿を参拝されたお客様に 等しく 瑞鳳殿を理解され 愉しかった 又 来たい の思いで帰って頂きたい。
これは、日本語圏外からのお客様にも 同様です。

瑞鳳殿ガイドの基本 共通した目標です。

現在稼働の仲間は、30余人です。高齢と家庭の事情で ガイド出来る日数が 少なくなる仲間がいます。

その為にも、絶えず ガイド要員の増 仲間を増やすこと
英語でガイド出来る仲間も併せて 増やすこと。

が経常的に求められています。
他のガイド団体との提携も 模索しています。

日本語と英語での 研修の開催が 新年度の急務でしょう。



3 月 13 日 (木)  



伊達家 大年寺山墓所

本日 河北新報は 29頁トップに 「仙台の未来を見続ける」と題して大きく報じています。

この事について、仙台藩志会幹部から 次の様に聞いています。

2011年3月11日発生した東日本大震災で 大年寺山伊達家墓所は墓石・灯篭など破損。倒壊し、復旧工事は 沿岸部の復旧を優先し、時間を要し修復工事が完了した。又、同様の被害を受けた 二の森墓所からの改葬工事も完了した。

2014年3月15日 大年寺山伊達家墓所修復工事、二の森伊達家墓所改葬工事完了の記念法要が営まれます。

親族として
水戸コ川家15代当主 コ川斉正 様
宇和島伊達家13代当主 伊達宗信 様

来賓として
加賀前田家19代当主 前田利宣 様

伊達家として
桃李会、仙台藩志会、大年寺会、殉死者後裔会、伊達家伯記念會、関係寺院

行政として
宮城県知事、仙台市長、仙台市議会議長

経済界として
仙台商工会議所会頭

等 100余名が参列する。
仙台藩志会からは、伊達家直臣の末裔 10人が 案内を頂き 参列します。


あかとんぼ 特に許され 8日

4代伊達綱村公墓(無尽灯廟)
伊達家奥津城(寶華林廟)
改葬二の森伊達家墓所

を 撮影致しました。
この写真は、仙台藩志会会報「藩報きずな」51号(2014.04.13.発行)の表紙、ほかに掲載されます。
ご希望の方 お取次ぎ致します。




3 月 12 日 (水)  



大年寺山伊達家墓所

ある高齢者の昼食会で 大年寺山周辺に居住すろと称する方の発言、興味深いものでした。

1.伊達家のお墓があるそうだが 見られるか?
2.どの様に埋葬されているか? 火葬か?
3.経ケ峯は賑やかだが、大年寺山は閑静だ 賑やかにされないか?
4.政宗公は、死後 仮埋葬され 後 瑞鳳殿に転居したはず?


仙台市民の伊達家、経ケ峯、大年寺山に対する 認識の一端が知れました。

聞いて下さるなら 詳しく語ります。
また、経ケ峯の伊達家3廟 ほか を 時間無制限で ご案内致します。
いつでも どうぞ 

と申し上げましたが 反応は ありませんでした。
でしょうね。



3 月 9 日 (日)  



啓蟄

日差しがあり 温暖です。
冬休み中の仲間も 続々 ガイドに。
昼までに ア、ウ、カ、ク、サマ、スノ、チ、ナ、ハ、マ、モさんの11人が稼働しました。

ガイドに比例し、御客様も 全国のみならず 国外からも お出で頂き、ガイドが「アブラを売る暇」は ありませんでした。有難いことです。

「今日はアブラ売る暇無かったね」と 途切れた瞬間  洩らしたら 
「私 現役時代 油を売っていました」と 某さんに言われました。
立て板に水のガイドが出来るのは、現役時代のオイルが効いているのでしょうか?


久々の仲間から「BS朝日 見ました。山本先生は ペラペラでしたが アカトンボさん アガリ気味で 普段の名調子 抑えられていましたね」
よくぞ 細かく観察されました。確かに そのとおり でした。


ガイドがいます と 「ガイド 無料 紫地羽織者 1人からガイドします」と 日本国語 の看板を立てています。

紫地羽織者の文字 紫色で 表示しています。
「こら 何とよむのでしょうか?」と 質問されました。

説明しました。外国の方かと 聞きました。
関東圏の大学生(東京大学?)との事。

高齢者を カラカッタのでしょう。大学生が(紫地羽織者)を 読めない筈は 無いと思います。


「日本語圏外のお客様 無料 を理解出来ない。 無料 FREE と記載すべき」と、 チさんから 提案されていました。


「ありがたい 全く その通りですが、日本語以外で ガイド出来る人は 数人です。恒久的看板で掲示して、依頼された時 日本語以外で ガイド出来る人は 数人が 不在の時 「不在です」の 返事も出来ない。

日本語以外(英語)で ガイドできる仲間が 常時いる状態になるまで 掲示を保留させて欲しい。
日本語以外(英語)でボランテイアガイドしている団体があり 一緒に ガイドしませんか と呼びかけ 瑞鳳殿ガイドの実地講師もしました。
が、実現に到っていません。

と 答えておりました。

「名札の裏面に 無料 FREE と記載した紙をいれました。
こらで 日本語圏外のお客様に 無料を理解し 積極的ガイドしたい。よろしいか?」と チさんから 申しでがありました。

「どうぞ どうぞ よろしく」と 答えました。

近日 「名札の裏面に 無料 FREE と記載する」を 仲間に提案 普及・実用化をかまりましょう。


政宗公像

日本2大土人形とも言われる 仙臺堤人形の政宗公像

仙臺堤人形13代目 芳賀強(号 左四郎) 昭和期 作 。
瑞鳳殿所蔵  春の雛人形展にも公開されない (秘宝?) 。

本日 特別に 見せて頂きました。その上  撮影と 本HPに 公開も 許されました。有難いことです。

表紙を御覧ください。
感想を聞かせてください。





3 月 5 日 (水)  



山寺 最上義光の霊屋  建築 江戸前期か 山形大分析 県内最古

河北新報 朝刊で大きく 報じられています。

記事の要旨

山形大は4日、山形市山寺立石寺内にある山形藩主最上義光(1546〜1614年)の霊屋が江戸前期、1630年ころの建造物である可能性が高いと発表した。

霊屋、位牌を安置する内部の厨子の柱、壁、扉などの建築部材からサンプルを採取した。

山形大総合研究所高感度加速器質量分析センターで、残存炭素量から年代測量した結果、建築時期は、
厨子は、1607〜23年ごろ
霊屋は、1620〜51年ごろ
と判明した。

厨子の装飾に桃山時代を象徴するおおらかなデザインがあり、測定結果とも符合する。
義光の死後すぐに建築されたとみられる。

山寺を描いた絵図などに登場し、立石寺にあることは よく知られていた。



あかとんぼ は 初めて その存在を知りました。

光禅寺(山形市鉄砲町)には
、最上義光の五輪塔、
2代家親と3代義俊は自然石に戒名を刻み、
墓域内に義光に殉死した4家臣の墓があります。

ここは、何回か お詣りをしております。

春 雪が溶けましたら、立石寺と光禅寺に 参ります。

瑞鳳殿との 類似性は?



3 月 4 日 (火)  



北山地区のガイド

2月21日の寄合で、
「.北山ガイドは、なぜ個人の墓地しかガイドしないのか?御本尊をお参りいしたい。資福寺のステンドグラス見たい?」の複数の発言があり、日誌に記載しました。

その数日後、「北山ガイドボランテイア」のA事務局長との対話の際、上記を伝えました。


その様な 発言があるのは 充分 承知している。
瑞鳳殿でも 瑞鳳殿ガイドの会に ガイドの独占権が無いように 北山にもありません。

複数の団体・個人が 任意に 入り乱れ ガイドをしております。

お寺(住職)とに、親密な関係(友好関係)を築けない方々は、保春院様始め 歴史上の有名人のお墓のみをガイドしています。
それが、個人の墓地しかガイドしないの不評につながっています。

北山ガイドボランテイア会は、お寺(住職)様の ご指導・ご援助を頂き、墓碑の調査を致し、毎年 講座を開講 公開してきました。
北山の五山(東昌寺・光明寺・覺範寺・資福寺に、輪王寺)を終わりました。
その成果を、菅野仙台市史編さん室長に巻頭文を頂き「仙台藩の埋もれた遺臣たち」として刊行しました。

お寺(住職)には、信頼されています。御本堂もガイドできます。

図書購入とガイドについての問い合わせは、022-279-2011まで。

以上の通りでした。


北山ガイドボランテイア会の会長は、瑞鳳殿ガイドの会の仲間で、会には A事務局長はじめ、長年の友人います。
北山ガイドボランテイア会 とのお付き合いは、大切にしております。



3 月 2 日 (日)  



雪消雨 です。

本殿前の雪山(屋根から落下雪) 凍結しカチカチの氷山でした。
この雪消雨で 柔らかくなり スコップの先が刺さる様になりました時刻。
W学芸員指揮下 A整美員 本格的に 除排雪を始めました。

「お客様をご案内するには 此処をこの様に除排雪すれば ガイドが容易で お客様に喜ばれます」に、A整美員 早速 作業に着手。
ガイド 途切れた所で 一緒に  除排雪しました。

これで、天女さん 2面の鑑賞と 寶筐印塔の参拝が 良く出来る 広場を確保しました。

瑞鳳殿職員の皆様は、ガイドが容易に出来る様に 支援して下さいます。感謝です。


定年万歳と思われるご夫妻。
時間を置いて 連続して参拝に見えました。

「どちらか?」
「新潟から}
異口同音です。

「今日は 新潟の日かな?」と洩らして ハッと気づきました。
昨日 サッカーの試合 新潟と仙台でした。
その応援の帰路です。
時間無制限で 鑑賞・参拝されました。


夫婦・家族での お客様が連続しました。
特記する ご質問は ありませんでした。


表紙の「お雛様」の展示 4日までです。

堤焼(芳賀さん作) 政宗公蔵も展示されています。
瑞巖寺所蔵 政宗公蔵を手本にされた様にも 見えます。
真相は?
表紙に掲載したいと 思いましたが カメラ バッテリ切。 不覚。
6日 撮影に挑戦します。

お急ぎの方「瑞鳳殿 四季折々」 http://bonten-maru.blog.ocn.ne.jp/zuihoden/ をご覧ください。



3 月 1 日 (土)  



お客様 切れ間なくお見えになり ガイドを依頼されます。

あかとんぼ ガイドをした お客様 何れも まだ 梅が咲いていない地方からでした。
臥龍梅 天然記念物の写真と共に ガイドしています。


本日の最年少のお客様 5歳 maru ちゃんです。
声掛けしながら ガイドしましたが 飽きる ごねる 事なく 聴いて?いました。
素晴らしい 育児です。


「鯛が いる」 と お爺さんが 叫びました。
本殿 正面の天女さん を 見ています。

浦島 からお出でになったのでしょうか?
あかとんぼ は 極楽 とガイドしていますが、竜宮城の乙姫様に 見えたらしい です。

「ハー」と聞き返したら 天女さんの 足裏が「鯛」 に見えた 申しておりました。
この お爺さん  もっと早い時刻に お出でなれば 「極楽だ」と叫んだかもしれない 事がありました。

超ミニスカート です。
「寒くないですか?」 「いや」 
若さ です。

ガイドしました。 常のとうり 先に歩を進めました。
決して 遅れをとりません。

この方々と 一緒になれば、「極楽だ」と叫んだかもしれない。


売店 で 恒例の 雛人形 展 が開催されています。

飾り方 年々 進化し 見事 綺麗に 飾られて います。

雛人形 展 のみの鑑賞なら 無料です。

ガイド も 無料です。
お待ち致しております。





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