2015年1月の日誌
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1 月 31 日 (土)  



昨夜来の豪雪 公認記録 23cm  あかとんぼ邑は?35cm?

昨夕 2回除排雪。
今朝 3度目。駕籠の上 29cmの雪をを路面に 続いて路面と路上を除排雪。
行政の除雪完了とバスの運行を確認してから 出発。

鹿落坂 登坂車線に放置車両が1車線を占拠しています。
昨晩 幾多の人々から怨嗟の思いが飛んだでしゃう。

職員駐車場に至る最後 100m 原始原です。
職員の駕籠数台通過した 轍のみ。
あかとんぼの駕籠、国内規格 故 難渋そのもの。

定刻の80分遅れで到着。

笹竹・高木枝 ほぼ全て 落下した後。
幅員1.5〜2mで 通路は除雪が終わっていました。
券売口の保守要員を残して 全職員で作業したのでしょう。ご苦労様でした。

お客様 チラリ。
経ケ峯全山一周 撮影に努めました。

長野からのお客様と視線が会いました。

「仙台の豪雪に驚いた」に、
「長野は 冬季オリピックを開催されています。雪の本場でしょう」 と返したら 苦笑いしていました。

本殿屋根の積雪 滑り始めました。
唐門(今は貧弱門)の 位置で 足止柵が 設置されました。近来マレなる安全策です。
真面に 落雪に直撃されれば 重症・落命でしょうから。

拝殿に坐して頂き 内部や地下の模様を解説。



1 月 30 日 (金)  



仙台・水の文化史研究会

基本テーマ
四ツ谷用水が育んだ仙台城下の水環境

個別演題
1.伊達政宗公のまちづくり
2.流路図作成過程の補足
3.第一支流遺構発掘報告
4.仙台を潤した先人の大工事 四ツ谷用水 DVD
5.地下水の考察
6.城下の地下地盤構造


文化史 今までの概念では 文系の要素でした。
で、あかとんぼ も会員です。(会費会員?)

四ツ谷の水を街並に市民の会 始 仙台市内に群雄割拠している廣瀬川関係団体、そして廣瀬川の紀行誌著者の西緒大立目祥子先生等 著名なる方々 主催者発表で28人が参加 開催されました。

1と4を 除く各項目は、数式又はボーリング図等を示しての解説でした。
理系の学会か?土木会社の研修?

之までの 廣瀬川と 四ツ谷用水にからむ会合とは 全く 異質 理系のものでした。

理系故か?
「1600年の仙台城城後」 の発言が何回か あった。

店の開店は 開で正解です。
ホールの落成は 落成で 正解ですが。

1600年は築城で、 落城したのは1968(慶応4)年では、正確には 落城ではなく 仙臺城を明け渡した でしょうが?

1600年開城は 違和感が強かった。
落城と 言えば 即 手をあげたでしょう。




1 月 27 日 (火)  



仙台堀(濠)

(「仙台濠石碑建立」募金のお願い)と記載されたチラシを先般 白石市で頂いた。


要旨
仙台濠とは牛込橋から和泉橋までの3.2km。
1964年河川法で神田川に組み入れられた。
仙台濠の名称が消えそう。
1口10,000円寄附を。


仙台堀
あかとんぼが この由来を聞いたのは 今は無き 江戸・上野の講談定席か?(60〜70年前) 将又 ハトバス車中か 定かでありませんが、
江戸城内で 家康と政宗が 将棋を討って居た際 

政宗が「江戸城の弱点は 神田山から城内に地続きである。ここから攻めれば 容易に江戸城を落とせる。切り込みを入れ 分断させなければ 江戸城は安泰でない」と一人毎風 呟いた。

家康 「さすが 政宗だ 知っていたか」 と 日を改めて 徳川将軍家から 仙臺伊達家に 開削を命じた。
これが 仙台堀 の由来である。


Wikipedieによれば、

二代将軍・徳川秀忠の時代には、平川下流域の洪水対策、および、江戸城の東北の守りを固めるために平川を天然の堀とすることが企図され、小石川から南流していた流路を東に付け替える工事が行われた。

1620年(元和6年)、秀忠の命を受けた仙台藩祖・伊達政宗が、現在の飯田橋駅近くの牛込橋付近から秋葉原駅近くの和泉橋までを担当し、この区間の途中にある神田山と呼ばれた本郷台地を切り通して湯島台と駿河台とに分け、現在の御茶の水に人工の谷(茗渓)を開削した。

このため、この区間は特に「仙台堀」あるいは「伊達堀」と呼ばれる。

本郷台地の東では旧石神井川と合流させて真東に向かい、現在の浅草橋や柳橋の東で隅田川に合流させた[1]。平川の旧河道と新河道とは切り離され、旧河道は江戸城の内堀の一部となり、新河道は外堀の一部となった。
また、新河道との合流地点より下流の旧石神井川は埋め立てられた。
当初の「仙台堀」の川幅は狭かったが、幕府は舟運に供するため拡幅するよう仙台藩第4代藩主・伊達綱村に命じ、1660年(万治3年)より拡幅工事がなされた。

とあります。

講釈師やガイドの話しとの 違いは 表現の違いでしょうか。


さて、寄附募集に発起人は、有名人です。
何時まで、幾ら集めて 何処に建立するか 明示ありません。この点がヒトゴトながら心配です。



1 月 26 日 (月)  



大寒 故寒いは当然か?


ガイドの会 運営上の諸事案 報・連・相に S主任に。
ホウレソー後 ガイドしましょうと一式持参しましたが 寒気厳しく 参拝者の姿も見えず 完敗の内 退散しました。

昨日の講演資料 送付依頼のあった人に 送付。



1 月 25 日 (日)  



仙台藩志会主催 公開講座

演題 伊達家墓所にみる三代(政宗・忠宗・綱宗)の個性
講師 長島 栄一 氏
    仙台市教育委員会 生涯学習部 文化財課 主幹


先生は経ケ峯の発掘調査(1974か1981年)に携わった新進気鋭の研究者で 数少ない現役研究者です。
先 2014年5月16日 ガイドの会の総会記念に講演をして頂きました。
他の生涯学習団体からの希望者が殺到、計画の2倍の方で 椅子が不足し 慌てたことがあります。

瑞鳳殿ガイドの会で かくも支持されるならと 仙台藩志会公開講座に企画を持ち込み 広報・設営まで関与しました。
130人定員の室 ほぼ満員。正確には 100人から1人足りない位でした。

他の講座には出席しない 会員のお顔もあり 企画は成功したと確信しました。

瑞鳳殿ガイドの会の仲間 U・ K ・S1 ・S2の諸氏が 来場され、Uさんは 質問をされました。

Uさん以外の質問に、

1.経ケ峯では 水銀が多量に出たそうだが、
@ なぜ 水銀を 用いたのか?

A 健康障害は 無かったか

2.調査結果は どの様に保存・公開されているか?


答えとして
1−@は 何故かは わからない。
      牡蠣灰が 水銀に変化したので 大量になった説がある。


1-Aは 通常の発掘調査は 単独または年報として 記録・公開されています。
      経ケ峯の報告書は 再建期成会で 刊行しました。
      (瑞鳳殿と感仙殿・善應殿の2分冊 1冊 20.000円(税抜)で現在も販売中)


講演のサワリ

政宗と忠宗は 駕籠の中の棺桶。綱宗は 駕籠無の甕棺

副葬品から
 政宗は、文武両道で、好奇心が・・・
 忠宗は、個性を覗かせるものがない
 綱宗は、風流な芸術家?

江戸上屋敷(汐留遺跡)の発掘調査から 伊達家の土木・建築技術は 卓越したものであることが窺える。

仙臺味噌 江戸勤務者以外 江戸の町人に販売されていた。
1902年から 「八木合名会社仙台味噌醸造所」が 生産・販売をしている。



1 月 24 日 (土)  



珍客? 懐かしき人々

宇和島市産業経済部商工観光課X課長(氏名不詳) 同商工係M主任,(株)ANA総合研究所宇和島市派遣T嬢が 朝一番で参拝に見えました。

2011年11月 宇和島伊達家13代ご当主とH伊達博物館長の公式参拝以来と記憶しております。

2009年3月 日本一早咲きの櫻の観測隊要員で 1ケ月 S商工観光課課長補佐のお世話になり、また、郷土史家宇神幸男氏にご案内頂き、宇和島と吉田の両伊達家の史跡を拝見しました。

宇和島市民の皆様と 市民レベルの交流し 今現在も続いております。

この様な経緯から 懐かしく 宇和島伊達家の祖 秀宗の父 政宗の霊廟を、秀宗が政宗の葬儀に 仙臺迄お出でになられた等 丁寧に説明し 語り合いました。

仙臺に出張に来ても 市役所等用向き先のみで往復している。和霊神社も参拝した。瑞鳳殿を 準宇和島市民であるガイドで参拝した。
よかった 申して頂きました。

宿題として「秀宗の画・画像が少ない。仙台に ないか」 と聞かれました。
伊達博物館以上に 仙台市博物館にあるだろうか?

2月中旬 宇和島特産品の柑橘類の売り込みに 宇和島伊達家13代ご当主、宇和島市長が来仙すると聞いています。
また、会えるかな?



午後 白石市中央公民館での 上廣歴史フォーラム「奥州藤原氏と阿津賀志山防塁」に U氏のご配慮で参加しました。

ガイド仲間のO氏ご夫妻、冨澤大學学長、A三の丸住人が参加していました。
歴史講座には 欠かさない K嬢のお姿がありませんでした。 どうしたのか?

会場は 暖房がありません。折角の講義が 耐寒訓練で 頭に入りませんでした。



1 月 23 日 (金)  



駕籠

仙台市博物館所蔵の駕籠が 昨年 仙台市指定文化財になりました。

「仙台市博物館所蔵品が仙台市指定文化財になった」 自分の品に自分で 格上げしたと 理解していました。
昨日 富澤大学で配布された資料「文化財せんだいno110」に記載記事で 認識の甘さを知りました。

1814(文化11)年 10代斎宗に嫁いだ 紀州徳川家 ?(金皆 カイ)姫が用いたと伝えられる駕籠。

外側全体を黒漆で塗り、金銀薄薄高蒔絵、蒔き暈しなどの華やかな技法。
竹菱に埋め枝の文様を描き 葵紋を各所に配す。

内部の壁画は、金地に「源氏物語」の「初音」「紅葉の賀」「胡蝶」などが色鮮やか描かれている。

江戸時代の工藝史を研究に貴重。

乗り物本体の重さ 54.5kg 担柄の長さ 4.56m、重さ16.5kg
担ぎ手 4人。とありました。


大名駕籠と遜色は無い、同等のようです。
なお、
大名駕籠の規格 高さ1.15m 幅1.2m 奥行0.9m 重さ50kg とあります。


瑞鳳殿で 涅槃門を潜り 御供所前 まで 殿様は駕籠で乗り付けたのか?
の質問が ありました。

時代劇の町駕籠か 金毘羅山参拝の観光駕籠の 発想でのご質問でしたでしょう。
この規格を知れば 有り得ない と自ずと知れるでしょう。


ガイド ゼロ

本日 お客様 皆無でした。
14時30分から (公益)瑞鳳殿との打ち合わせがあり、13時から14時00分迄 待機しましたが ガイド出来たお客様はいませんでした。
ある時刻の るーぷるバスのお客様で 瑞鳳殿にお出でになった方 お一人でしたが 相手にされませんでした。

底冷えしています。
三々五々と お客様は 参拝にお出でになっていますが?



1 月 22 日 (木)  



仙臺城本丸 北西石垣 修復なる。

2011年3月11日の地震で 崩落した仙臺城本丸 北西石垣の組戻し修復された と 河北新報は朝刊で写真入りで報じています。

記事概要は、
結果、市道仙台城跡線が 2月25日11時30分に開通し、「るーふるバス」が26日から運行する。

震災で 北西石垣(総延長200m)等 4ケ所が崩落、約66000個を元の位置に積直した。
費用は、約13億円。


聞く所によれば、
崩落を予想しておらず、崩落前の石垣の図面が無く、元通りにする作業は パズルの様で 難儀であった。
裏込め工事は 有識者のアドバイスにより 伝統工法で 行われた。
結果 堅固になり、技術の伝承にも繋がった。

誠に 慶賀の極み。

表紙に
震災直後(通行規制前)と 20日撮影の河北新報 の写真を掲載しました。



1 月 19 日 (月)  



仙台城門松

14日限り 瑞鳳殿に飾られた 伝統・仙台城門松 その姿を消しました。
その行く先は、大崎八幡宮? 愛宕神社? はたまた 経ケ峯 地内 穴蔵神社?

関係者は ピタリ口を閉じています。どうも 意外な先のようです。

仙台城門松のプラモデルが 戦災復興会館に まだ飾っています。迫力皆無です。


岩手県遠野の山奥の邑に 中学生の時代まで 大内邑と同じ門松が飾られていた記憶がある。

年末に撮影した 大内邑の門松の写真を 年賀葉書にて 親しい方々に お送り致しましたら、
その お一人から 上記の連絡を頂きました。

年齢が定かでありません。50年位 時代を遡るのかと思います。

2016年の賀状にて 伺えば 私も 我も 記憶ある のご返事が頂けるかな と思いました。


バッチ

宇和島伊達家祖 秀宗 入部400年記念行事について 御教示を頂くに 仙台市経済局観光交流課を訪れました。
課長の襟元に 政宗公をデザインした 洒落たバッチが 輝いていました。

「洒落た・素敵なバッチですね!」
「これ限定品です。新しいバアージョン品 宮城県庁1Fの観光案内所にありますよ」

本日 時間切れ 近日 買いに 行ってみよう!




1 月 18 日 (日)  



センター試験2日目

昨日より温暖。ホッカロン持参したが使用に至りません。
ハナミズもクシャミもありませんでしたが日向を求めて待機の一時。

東京からの3嬢。歴女の卵程度(自称)
埼玉からの女性。日本史と政宗について 素養をお持ち とみました。反応が異なります。
京都からの資産家風の老夫婦。秋保温泉・ホテル瑞鳳に宿泊された由。
墓室の石材を産出した 秋保石の石切場跡を御覧になっており、政宗の埋葬について細かく質問をされました。

京からみれば 田舎の仙台で かかる豪華絢爛な仏閣があるとは?
ガイドで 認識新たにし 楽しめた のお言葉を頂きました。


2月18日の英語でガイドの勉強会について、「2時間の勉強会でできるか?」のお声を頂きました。

確かに 2時間の勉強で ガイド出来るとは 夢にも思っていません。
でも、学ばなければ 知識は得られません。

2時間の勉強で出来るのであれば、文部科学省の小学校からの英語教育の推進は立案されなかったでしょう。
現在 会員20名 仙台コンベション協会から4名の 参加申し込みがあります。



「烽火(のろし)について」の演題で、
(のろし は煙や炎で情報を伝達する古来の通信システムです。古代中国で体系化され,日本でも江戸時代まで利用されました。律令政府とエミシの苛烈な戦いが繰り広げられた古代東北地方で「のろし」はどのように配備されたのか。謎の多いその実態に迫る)内容を 東北歴史博物館で、古川一明氏の講演があります。と ある方から紹介・案内を頂きました。

2014年11月24日丸森町での 小斎・金山・丸山・矢ノ目城址からの 狼煙を上げる を實見しました。
古代東北地方で「のろし」は、戦国時代 伊達家領内で 如何に 進歩し なされたかを 語られるか 興味ありましたが 時間行程上 参加を断念しました。



1 月 17 日 (土)  



大学入学 共通一次試験

この試験日 例年 悪天候に見舞われ 若人の前途に厳しい試練が待っていると告げていると感じていました。

今年の今日は、陽光燦燦 誠に 温暖です。
受験生は 例年の如くのトラブルが無く 受験されているだろう。慶賀の極み。

その受験生の過保護な親が、合格祈願に お出でなるだろう の予測から 仲間 6人 勢ぞろい待機しました。

神佛に 頼る時代では 無くなったか 予測は 外れました。


9時、フイランドからの10人程と台湾・フイリッピン・インヂネシア等の10人程の小団体 2組 お出でになり ガイドのご依頼がありました。
Oさん と Sさんが 懇切丁寧に 更に 感仙殿地区まで 案内されました。

若人です。大学生でしょうか?真剣に聞いていました。

2月18日 ガイド仲間で 英語でガイドの勉強会を 仲間である外国語学校の先生を講師に開催し、3月の国連防災会議に対応するつもりです。
今日の仲間のガイドを拝見 あまり心配しなくとも よいかな?


11時頃 気温が急激に下がって来ました。チラチラするものが あります。
何時も外れる 天気予報 今日は 外れなかったようです。

30代男性 7〜8人 外套なし で、(伊家の薄着?)

衣冠束帯の政宗 の肖像画 「狩野安信の描くところの・・・・・」と説明したら 意外 即 反応がありました。

「狩野派 知って居ます。我が町が 画 狩野派 発祥の地です。石碑も資料館もあります」
「エッ どちらですか?」

「千葉県いすみ市大野です」
イスミと メモしたら 「いすみ とひらがなです」と返って来ました。


帰宅 検索しました。

狩野派とは、日本絵画史上 最大の画派であり、室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期(19世紀)まで、約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった専門画家集団である。

狩野派の祖は、室町幕府の御用絵師として活動した狩野正信(1434?〜1530)で、その出自は上総國伊北荘大野(千葉県いすみ市大野)
狩野安信(1613〜1685)は、狩野派が鍛冶橋狩野家、木挽町狩野家、中橋狩野家(宗家)とわかれた際、宗家を継いでいます。

画系図に、
木挽町狩野家系に 菊田伊洲(1791〜1853)
秀頼系に、東東洋(1755〜1839)
の仙台4大画家の名前がありました。

以上はWikipediaに依りました。



1 月 16 日 (金)  



歴史手帳

吉川弘文館 刊行 2015版 歴史手帳を 昨日購入しました。

前面改定され、資料編が從実 大判になり日誌部の記載が容易になったと Uさんから 薦められていました。
なぜ 今頃 1ケ月 遅れか?

城下の書店を 訪れる時間が 無かっただけです。


戦国相馬三代記 森 鎮雄 著 上下 2巻

相馬家 から伊達家の関係を理解するに 最適と Uさんから お借りしています。
参考に なります。
人名 頭に残留しなく 完読理解に至らず 難儀しています。



1 月 15 日 (木)  



明治青年大学史学部

仙台市博物館市史編さん室長菅野正道先生の講義。
先生の講義は 久々。昨年末 ご多用であったと聞いていましたが お疲れも見せず快調な講義。

演題は、仙台城の再検討

仙台城の沿革として、
慶長5年(1600)12月 縄張始 に始まり
慶長・元和・寛永・正保・寛文・元禄・文化・明治と建設に、災害にと20項目を。

以下
2.仙台城の様相
3.仙台城のなぞ
4.大手門、大広間の謎  
 (3.のなぞ から 4.の謎 と変化は 謎) 


先生のまとめ は、
重要な寺社の造営が一段落した後、慶長14年から翌年にかけて 政宗は仙台城の改造に着手
仙台橋 の上流に 大橋 を建造 大橋の延長上に 大手門を建造 本丸に 大広間を 建造。
でした。


今日の収穫

1.慶長6年の仙台橋落成 と 慶長14年の大橋落成 を 同一 現在の 大橋の位置と理解していた。
 花壇橋は 別物 仮設の橋と理解をしていた。

 慶長6年の仙台橋は 花壇橋の位置にあった との事。

2.巽門の意味を 理解できないでいた。
 絵図を正確に 現状にトレスしないでいた事です。

3.政宗は、 当初 片平丁から琵琶首に降りて 花壇屋敷の前で右折 廣瀬川を渡河 東南方向から巽門に向った。
 この解説で、 上記1.2の 巽門の位置・向き 動線 モヤモヤが 解決しました。

なぜ 花壇橋が 先であったのは 地形と架橋技術でしょう。
市史 城館 で 勉強をし直します。
 
  



1 月 13 日 (火)  



瑞鳳殿ガイドの会

当会は2006年 公益財団法人瑞鳳殿の指導の元に設立された任意団体です。

会員間での意思疎通を目的に 本日 新年会を開催しました。

開会の挨拶を求められましたので、次の様に述べました。

「本日 会員31人中 24人に 顧問にも出席を頂きました。
これまでの最高の出席でありあります。ありがとうございます。

昨年(4月〜12月)は、延23775人のお客様を 延960人で、1人1日あたり25人をガイド致しました。

12月7日の河北新報朝刊に ○○さんがガイドをしている様子が 大きく報じられました。

皆様には この様な お客様との色々な出会いがあり、 
完全燃焼 満足したガイドも 不完全燃焼も あったと思います。

それらを 語り合いましょう。
本年は 国連防災会議の開催で世界の要人が見えるかもしれません。更なる 出会いが期待されます。

多くが高齢者です。健康に留意し 楽しく 充実した ガイドに 努めましょう」


ガイドです。話す事に 生甲斐を感じている集団です。

司会から 1人 1分間で 内容自由での スーピチが 求めれました。果たして?

政宗公仙臺城築城時の詩 「いりそめて くにゆたかなる みぎりとや ちよとかぎらじ せんだいのまつ」を 
詩吟で 謡で それぞれ 朗朗と披露されました方々。感じが全く異なります。

お正月だからと 「大黒舞」を 手振りを入れ披露されました方。

実に良い声です。ガイド時の音声とは 異なります。
「大黒舞」を唄う音声で ガイドされたら お客様 欣喜雀々でしょう と思いました。

お正月だからと「メデタメデタ」ではありません。会の運営についてのご意見もありました。

会員の最高齢者は、85歳で、東に、北の 社寺仏閣でも ガイドをしております。
その気力を見習いたい と 一言話しました。

この位 内容豊富で 25人 60分でした。 一人 2分平均 。さすがです。



1 月 12 日 (月)  



晴天
但し 上空は風です。
御子様御廟の杜 倒木現場をUさんと再訪しました。
上空を見上げたら 20-30mの杉大木の先端が 5m位 揺れています。雲の流れも速いです。上空は強風です。


連休3日目。成人の日なれど 昨日も今日も 郷土の先人に敬意を表する来た 新成人 見かけませんでした。

何年か前に成人式終わったと推定される男女。成人式の宣誓は忘却の彼方。
踵の高い靴で、片手を連れの腕に巻き付け 1片手に 熱い飲料の紙カップを以て 涅槃門を潜ろうとした 組 昨日も今日も いました。

無礼かつ危険だな 常識の欠如に 見えました。
呑みながら先人のお墓詣りとは 失礼では? 
26cm段差の石段の昇降でコケタラ 骨折と火傷です。

あかとんぼ は 直接 注意を喚起するような 失礼なことは致しません。傍観するのみです。


入場して 即 「あれ 菊紋 なぜ?」と 叫んだ男女。
皇室の御紋が 何故 使われているか? 太政官布告で禁止されて居る筈  でした。

「16弁の単葉・複葉の違い、羽柴守秀吉から拝領したと伝えられていま」に 「合い わかった」と ガイドを望まず そそくさと 登って行きました。


涅槃門と拝殿の間の寄進石燈籠の解説を読んでいた青年2人。不思議がっています。
箱で囲まれた文字がある。この箱は 何を意味するのか? でした。

石燈籠に刻まれた文字が 風雪で読めなくなった。欠字の個所です。
資料で 判明 了知出来ます限り(ほぼ全文字)の文字を 箱の中に再現しています。

「ヒー 照合しなくては」 携帯でメモし 登って行きました。
後程 Uさんに 現場で再度 解説を受けていました。

Uさん 曰く「(東北)大学の学生かと思ったら 職員であった。語る 即 メモられ 語り難かった」と洩らしていました。


地吹雪の名所 津軽・五所川原の3世代8人 豪雪の新潟から親子5人、タクシーから振られた東京の人4人等 切れ間無くガイドしました。






1 月 11 日 (日)  



晴天青日
冬至が過ぎ 日の出が早くなり 日差しに春の足音が聞こえる感じ。
されど 経ケ峯山頂は 今日も 厳寒。
今年は 手袋を着用してのガイド。手袋はめたまま故 片手袋を落とす、紛失は まだありません。

昨日 15時頃から 20〜30mの強風が 吹き荒れました。
午後の仲間、強風で立って居られず、また 杉枝が折れ落下で、己の身が危険となり 客待を中止したそうです。

全山 落下枝が絨毯状に敷き詰めらています。
整美員 参道を優先に除枝作業しています。2〜3日分の作業量です。ゴクロウサンです。

A整美員氏「あかとんぼ さん 昨日 仕事していたら バリバリと 今まで聞いた事の無い音。続いて バシンー と響いて来ました。大木が中途から 折れたのです。御子様御御廟の杜です。落雷は経験あるが 初めての音、経験でビックリしたー」

早速 現場に急行。幹径30-40cm 樹高20-30m 推定樹齢70年の 杉大木が 地上高3m位で ばさり折れ 倒れています。
杜の真ん中で なんで折れたか? 樹命 いや 壽命だから。


戦国武将図鑑を持参した小1年生。その姉と両親 「埼玉から4時間出来ました」
4時起床 日の出前に出発 一路 政宗 御霊屋参拝に来たのです。

この少年と戦国武将図鑑を中心に それを取り巻く大人の集団に 60分ガイド。
どんなキッカケで 数多い戦国武将の中から 政宗を 選、 どの様に両親を説得したか 興味あるところでした。


券売口のお嬢さん 一見ユックリながら 急いで あかとんぼ を通り越 涅槃門前のお客様の基に。
何か ひとこと ふたこと。間もなく お客様の代表が券売口に。

券売口から あかとんぼが待機している間に、「観覧券を求めてください」 「これより有料です」の大看板が 左右に立っています。
62段登れば 券売所が 嫌でも 目に入ります。それでも 左右の大看板が目に入らぬとは?

「ガイド 無料 お一人から」の看板も 目に入らぬ人も多いです。不思議ながら 衝突しません。
それは なぜでしょう?


1月11日は 行事暦によれば、「鑑開き」。具足開きという 武家の行事であったが、三代将軍家光の忌日が20日であるため 20日か11日になったとあります。

では、伊達家でも そうか?
「仙台藩歴史事典改訂版」「仙台市史」にも かかる記事を見い出せません。かかる行事は 無かったにか?

仙台藩の具足 嘉藤美代子 著に 
伊達家では 毎年2月になって 卯の日を指定し小広間に武具を飾らせた。
綱村の寛文12(1672)年2月2日の初卯の日に「具足着初の賀儀があった。
肯山公治家記録に初卯賀儀飾配置図
が記載されています。

伊達家は 今日では無く 2月に行われていたようです。



1 月 10 日 (土)  



風花が乱舞しています。

札幌からのお客様。風雪の本場からですから 積雪の無い「 仙台は 温かい」と云うのを期待して居ましたら 「仙台は寒い」の切り捨て。


30代前半?の男女 (正直 お客様の年齢と男女の関係は 見当がつかない。わからない。故に お客様で通す)
幼少のみぎり 仙台で育った。20分位で頼む。

ガイド始めたら 「僕 政宗公フアンなの 小説かたっぱし読んでいる」と興味を示され 結果60分ガイド

年寄りの悪いくせか?
「小林清治 著 人物叢書 伊達政宗を熟読され 大黒柱を建ててから 小説を読むと 戯作者の心情も理解出来て楽しいです」と云ってしまった。


「ガイドたのむ」 2人客。
語り始めたら 先行し 看板を 今一人 パンフから目が離れません。ガイドを聞いていません。
「お客様 今 読んでいるパンフに 私のガイドの内容全て書かれています」と ガイドを終わりにしました。

登壇したら 間もなく降りて来ました。なぜ 聞かないガイドに 声をかけたのでしょう 
高齢者の凍死防止でしょうか?


復元 仙臺城門松

變な門松 と洩らしていたお客様も 説明を聞き 貴重な門松と写真を 撮られる方 何組か。

民間伝承は 北は 田村家領内の造り酒屋と 南は 大内邑 。

ある方 大内邑所在の丸森町の町長に 倉橋先生の門松の講演レジメを届けたそうです。
文化財課 か 商工観光課に 指示がおりて 今年の年末は 町をあげての 飾り付けになるかも。

仙臺の在で 伝承されていた K屋敷のK様 昨年末26日に飾り付け 門松のアフターケアに 昨日 御夫人共々 瑞鳳殿に見えたそうです。

資料館前 飾り付け完成記念写真と K屋敷の冠木門に飾られた門松写真 A4番に拡大され 持参頂きました。

電話しましたら不在でした。小正月の行事 「ミズキの枝に 団子の花を咲かせる」(正しい名称 不明)の技術指導に出かけた様子。


政宗380遠忌法要

今年5月24日に380遠忌法要が営まれます。
さる方から「自分の計算では 379遠忌になります」と お話がありました。

仏事では 満一周日が 一周忌で 満二周日を 三回忌と言います。
ここで 既に 1年  1回忌のズレがあります。

通常の満年齢計算では 合わないでしょう。



1 月 9 日 (金)  



年賀拝礼式

2日行われました。

式後の集合写真撮影のご指名を頂きました。
あかとんぼ が指名された事情は 割愛致しますが それなりに艱難辛苦撮影しました。

7日 A3版に出力 持参し OKを頂きました。
次回撮影の際 注意すべき点 ご指摘ありました。ごもっともながら 難しいものです。

で、表紙の写真は、競合しないとの選択で決定が遅れました。



藤原朝臣 源姓

昨日 ある生涯学習団体の例会に参加しました。
4〜5人で語り合う 形式で進行しました。

ある方 「我が先祖は 徳川家康に仕え 最上家滅亡後山形に入り○○萬石を頂き 現在に至る これ ○○家の歴史であ」と A3裏表にびっしり記載したモノを広げました。

皆 感心しました。ら、追い打ちがかかりました。
「我が家は 藤原朝臣 源である」

一瞬にして 座は賑やかになりました。一言居士ばかりです。

戦国武将で 正直なのは 豊臣秀吉だけ、後の武将達は 系図を (買った)作ったと伝えられている。
我家も 藤原朝臣 源 です。
 と語る人 ゾロゾロ。


事実 あかとんぼの先生に 系図を見せられた時 「藤原朝臣 源」と墨痕鮮やかに記載されていました。
「人類は皆 兄弟」の有名な言葉があります。先祖を 求め登れば 同根の筈。



1 月 6 日 (火)  



賀詞

読者始 多くの方々から賀詞を頂きました。ありがとうございます。

仏閣に見事な紅葉 写真 の賀詞を頂きました。

お名前・御処の記載がありません。
年賀葉書は投函局の消印がありません。
発信者の特定が出来ません。まいりました。

「国宝太山寺西側 庇の向こうに県重文、三重の塔がみえます」の解説を頼りに検索。

神戸市西区所在 霊亀2(716)年創建 天台宗 三身山太山寺 でした。立派なお寺です。

依然として どなたか 結びつきません。
申し訳ありませんが お心当たりの方 ご一報ください。お願い致します。



1 月 5 日 (月)  



瑞鳳殿ガイドの会 役員会

毎月第1月曜日9時30分から 会議を開いて 
前月のガイド実績
当月の研修計画等
お客様の反応 反省・直すべき点はないか
等を 確認・検討しています。

11月の実績に大きい変化がありました。
4から11月まで 月平均2800人のお客様を110人がガイドしていました。
12月が1270人・73人と激減しました。

今季 寒さが例年より早く来ました。これが 原因 でしょう。

仲間は高齢者が多いです。屋外の仕事ですから 寒さがストレートに骨身に凍みます。故に 稼働日が減少しました。
ガイド人数はガイド数に 基本的に比例します。しかし それ以上に お客様の参拝が減少したようです。

11月3906人のお客様が 12月1270人で ガイドあたり 30人から17人でした。
ガイドが寒風の中での待機時間が長くなった ことです。


仲間Aさん と あかとんぼ Aとが 一緒 ダブルAの日は 天気予報が外れ 気温があがりません。
朝 ダブルAの顔を合わせると 自然に お互い 「今日は気温が上がりませんんネ 寒いですネ」とこぼれます。当たり ます。



1 月 4 日 (日)  



お正月休 長い人は9日間 最期の日です。

お正月3ケ日
元旦は 無料開放です故 統計はありません。 
年賀拝礼式の2日は ツアーが式直前に入る等 沢山のお客様の参拝があったと見ました。
3日は、4日の御用始・仕事始で 其々のお住まいの地に帰る前 参拝されたお客様が沢山と予想しました。

対前年比 如何でしたでしょうか? プラスとみましたが?
と 事務所にお訊ねしたら
集計・分析中で 詳細はお答えできませんが、あかとんぼさんの見方は、正しい・当たっているでしょう。
天候に恵まれ 参詣か? 買い物か? 午後に人出が増えました。

とのことでした。

朝1番 
若い単独女性(20代後半?)。
中華民国臺灣から 政宗に興味があり 年始に来日 今朝 ここ瑞鳳殿にお詣りに来ました。
日本語 理解出来ます。ガイド御願いします。

あかとんぼ の話しを理解されています。また 日本の歴史 戦国時代 の知識のあります。
日本の大学に留学されているのか あらためて確認したら そうでない との回答。

ご期待に応えるべく60分ガイドを致しました。
終わって 我 外国の方にガイドしたんだよな? の不思議な感覚が残りました。


経ケ峯一周しまして 表参道口で 今 お詣りを終えられた 若者4名  再度石段を登ろうとしています。
1段から数えて貰いました。3人は正解62段でした。不正解は58段で あかとんぼの樹齢等のガイドを真面目に聞いた人です。
やはり 国語と算数を 同時には 難しい です。

正解は62段 その意味は? 歴史・度量衡・日々の生活・米の消費 まで語りました。
聞いてくれました。大学生ですか?に

はい 仙台が地元で 地方の大学です。
仙台から見れば 東京も 地方です。真摯な態度から 東京大学かな と想像しました。

孫 相当の学生の会話 爽やかでした。新緑の頃の再会を 約しました。


善應殿前の無縫塔(綱宗の家臣で生涯を綱宗の回向をされた熊谷斎直清(クマガイイツキナオキヨ)のお墓)の石製の花立 左右2基が前向き倒れ 花盛の花器が右後にありました。

参拝者の何れか どなたか 何らかの意図があっての行為です。勝手に弄られません。
事務所に 報告しました。

熊谷さんのお墓ですか? 今朝 線香上げた時 異常ありませんでした。不思議?と。

M班長に、仲間のK1さん と現場急行。 
現況を撮影。3人で 原型復旧工事。
石製の花立は凍結で割れる事は無い。今 なぜ 何の為に 謎を解き明かせないまま 解散。



1 月 3 日 (土)  



本日 ガイド休みました。
昨日 拝礼式前ガイド・拝礼式・集合写真撮影・新年(宴)会とハレの行事が続き 精神的に疲労しましたので。

昨日は、K1・K2・S1・S2の諸氏が 拝礼式に続いて ガイドをしました。

10時45分行列の直前 埼玉から45人のツアーが入りました。拝殿前 左右に別れ 行列を迎えていました。

拝礼式後 伊達武将隊のフルメンバーの参拝・演舞がありました。

この時刻に参拝されたお客様は
@年2回の仙台藩志会の行列に、
A政宗のご尊顔に 拝謁し、
B伊達武将隊のフルメンバーの演を鑑賞し
の 数少ない機会に 偶然遭遇し 正に
「盆と正月が一緒に来た」が 現実に なったわけです。


あかとんぼ は明日から 本年のガイドを 本格化します。

仙台城ガイドボランティア 理事長K様から 賀詞を頂きました。

「本年は 国連防災会議の開催に伴いボラガイドの出番がおおくなります。
よろしく ご指導の程 お願い致します。
2日 国内外からの参拝の方 多数見えました」旨 申し上げましたら
「4月1日まで活動はおやすみ」のご返事でした。

365日 お客様はお出でになります。・・・・・




仙臺郷土研究 289号が 昨年末 「戊辰の役」研究10年の木村紀夫氏から 贈呈頂きました。
「明治維新と仙台藩」と題する論文を発表されています。
また、
春には、「明治維新と戊辰戦争」と題する620頁の著書を 仙台市文化事業団の助成を得 刊行される。
また、「明治維新と仙台藩」の内容で ある倶楽部で2ケ月に渉り 講演される。
の情報がありました。

昨晩電話が通じました。
ある倶楽部の部員では無いので 聴講出来ないのは残念と申し上げました。



1 月 2 日 (金)  



新年拝礼式

11時から瑞鳳殿で催されました。

10時45分 仙台藩志会の幟を先頭に、瑞鳳寺大和尚様、小坊主様 伊達家御当主様 仙台藩志会の裃か 陣羽織を着用者 平服者が 62石段を登段。

この行列の為 開いた涅槃門を 一行に続いて 瑞鳳殿ガイドの会会員が潜り、閉鎖。(一般の方の通行はお断りしています)
瑞鳳寺大和尚様達は 御廟内に。

本殿前 上段に、伊達家御当主様 仙台藩志会の裃か 陣羽織の着用者、殉死者後裔会会員、伊達家御廟大年寺会会長ほか、公益財団法人瑞鳳常務理事。

拝殿前広場に、仙台藩志会平服着用者、 瑞鳳殿ガイドの会会員、伊達家伯会関係者、報道各社。
拝殿外に 一般参列者が整列。

瑞鳳寺大和尚様、小坊主様の読経。

焼香は、伊達家御当主様、殉死者後裔会会長、仙台藩志会会長、伊達家御廟大年寺会会長、公益財団法人瑞鳳殿j党務理事の順に。
挨拶が、伊達家御当主様、仙台藩志会会長、公益財団法人瑞鳳殿j党務理事の順に。

閉式後

涅槃門前にて 伊達家御当主様始め関係者一同の記念写真を 不肖 あかとんぼ が撮影しました。
(この写真は、「藩報きずな 53号 4月26日発行に 掲載されます)

邪気払い剣舞の奉納が行なわれました。


全世界から 参拝者が見えました。

9時 大阪のお嬢様 知って来たか 邪気払い奉納が 終わる迄 静止・撮影されていました。

「拝殿から本殿を望む 好位置は ココです」に、 「ウソー」と即答されました。
「15年 ココで ボラガイドをしてます。ウソは申しません」に、

長野からの 老夫妻 ニコリとされました。年齢格差?????と感じたようです。


一緒になった 非亜細亜系の外国青年 二人 「ここは お墓です」に 拝礼されました。


中沢県議会議員が お孫さんを案内してきました。
拝礼式前 お話しましたら 襟先を指して 「これ 3月の 国連防災会議 のバッチだ」

「ハ 私らボランテイアガイドにも 着用させて貰えものですか? 知事に お伝え頂けませんか?」
「そうだな とりあえず 僕のを 渡そう」と 襟先から外して 呉れました。

瑞鳳殿参拝の折 お声頂ければ ご披露致します。



1 月 1 日 (木)  



新年あけましておめでとうございます。

昨年は 皆様の温かいご配慮・ご支援を頂きまして瑞鳳殿でのガイド記録を更新しました。
また、新たな体験を致し 各界の方々の謦咳に接する機会が多々ありました。
ありがとうございます。

歳が明け 傘壽 になり 己を悟べき年齢になりました。
自分と社会に 老害 と言われないよう 慎み 気力・体力の維持の範囲で ガイドを致します。



伊達家行事には 参列致します。
1月2日 年賀拝礼式
5月24日 政宗公380遠忌法要
6月4日  綱宗公305遠忌法要
6月20日 綱村公・歴代公遠忌法要
7月12日 忠宗公358遠忌法要


瑞鳳殿ガイドは、土・日・祝日の午前に。

JTB瑞鳳殿ガイド
4月1日から9月30日までの土・日と5月10日から22日までの平日のガイド依頼を頂いております。
どれだけ 参加できるか?





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