2015年8月の日誌
| 前々月 | 前月 | 翌月 | 翌々月 |




8 月 31 日 (月)  



武将の末裔

瑞鳳殿でのガイドの際、お客様から「政宗公の末裔の方はどうされていますか?」の趣旨のお尋ねがママあります。

「現御当主は仙台にお住まいで、瑞鳳殿資料館名誉館長等を務められ ご多忙と聞いております。それ以上の事は存じません」とお答えしております。
この答えに不満そうな表情の方おります。
人は 自分の個人情報は隠したがり、他人に事は詮索したくなる習性があるようです。


週間朝日から「武将の末裔 子孫52人の秘話と秘宝」なる本が2015年3月20日に発行されました。
徳川家康没後400年企画で、徳川宗家と御三家が中心で、奥羽地方の大名では 次の方々が語られています。

1.南部家    26代南部利文氏
2.丹羽家    18代丹羽長聰氏
3.上杉家分家  9代上杉孝久氏
4.会津松平家 14代松平保久氏
5.佐竹北家   21代佐竹敬久氏
そして
 伊達家18代伊達泰宗氏は、写真共全6頁に渉り 政宗公生誕の日8月3日にを記念し 公益財団法人瑞鳳殿主催「政宗歴史塾」で語られた事柄を含め丁寧に語られています。

1.津軽家
2.佐竹家宗家
3.酒井家
4.田村家
5.戸沢家
6.上杉家宗家
7.相馬家
は 色々な御事情があったのか なんら語られていません。



8 月 30 日 (日)  



終日 大雨。
先週も雨。お盆が終わったら 連日雨。冷涼で 秋野菜に影響が囁かれています。
傘無でお客様に説明出来る様に雨合羽とゴム長を着用しました。
終わった時点 乱星の陣羽織はずぶ濡れでした。(心配は色落です) 


新潟・群馬・東京等から 成人の家族連れの方々をご案内致しました。
常なら 本殿前で広げる フアイルを拝殿のベンチに在して頂き 見て頂きました。 何組もでベンチ満席でした。


9月1日発行の「みやぎ県政だより」 瑞鳳殿ロビーに到着しました。
表紙のトップ写真 豪華絢爛な彫刻が輝く瑞鳳殿本殿です。仙台城址の政宗公騎馬像も掲載されています。
是非 本物を ご覧においでください。



8 月 29 日 (土)  



お客様

大坂・群馬・東京から。
なぜか? 「ウチの娘 政宗フアンなの。オカーサンしっかりお詣りしてきてと云われて来ました」と語る ご婦人 3人。
「今度 お嬢さんと御一緒に」 「はい」

「どちらから」とお尋ねし 伊達家とのご縁を探り ガイドしています。

東京の人は 桜田屋敷、神田堀、仙台味噌 ・・・と豊富です。

大坂の人は 忠宗公が大坂城での生まれなので それを語ります。

大阪の人は、東北と縁があると思っている人は少なく 喜ばれます。
本日のお客様「私は高槻の生まれ・・  「お客様の個人情報は よろしいですから・・・」


群馬の人は? 伊達家との ご縁が浮かびません でした。まいった。



本日 雨で かつ 交通渋滞 予測外で発生 到着が遅れました。
Aさんも Bさんも 同じ経路故 首をかしげていました。

仙台国際会議場か 博物館に 向う車?


午後 仙台藩志会の会議があり 11時11分 終わりにしました。
Cさん ゴム長完全防備できましたが 体調不良を訴え 早退。お大事に。



8 月 27 日 (木)  



御朱印

ガイド 本殿に到達した際、お客様に「まず 拝礼しましょう」と 拝礼を促してからガイドを始めます。
「此処は、政宗公のお墓です。佛様になり この地下で やすまれています」と続けます。
皆様 納得され、合掌されます。

ガイドを付けないお客様には 神社と同じく 2礼2拍1礼 大きく柏手をされる方います。
神様になられた政宗公は 青葉神社に祀らています。

その人の信ずる形で 敬意を表されれば よろしい と思い 見ています。


「御朱印を どこでいただけますか?」と尋ねられる事があります。

「ここは お墓ですからありません」と答えると 「こんな豪華絢爛な建造物の宗教施設で御朱印が ないにか?」 のガッカリの表情される方がいます。
この様な方のため、「窓口で 御集印を わけています」

白石和紙に朱で字画が押印されたもので、スタンプ印とは異なるものです。
この夏 台紙の白石和紙が入手困難となり 頒布が休んでいます。


今朝 地元豆新聞が「御朱印めぐり」の特集を掲載して居ます。

初めて知る事柄もあり 目についたまま
1.手水舎で身を清め参拝してから頂く。
2.御朱印代は 300〜500円。大崎八幡宮はお客様の気持次第。
3.寺と神社は 御朱印帖は別帖が望ましい。
4.御朱印帖に 観光記念スタンプは押さないで。
5.他人に代行依頼は好ましくない。
6.御朱印帖は 百貨店文具売り場でも販売している。
7.デザインは豊富、値段は1000円以上。

以上ご参考まで。



8 月 25 日 (火)  



大年寺は黄檗宗

政宗公以降の伊達家墓碑についての 論考 「仙台藩主伊達家の墓碑考察」 を論者 秋元茂陽氏からご恵送頂き、その概要を8月13日に記載致しました。

この論考は、黄檗山萬福寺文華殿黄檗文化研究所刊行 黄檗文華第134号(黄檗宗内外の研究者の研究論文集)に寄稿されたものです。

公益財団法人瑞鳳殿と郷土史家U氏が購入されました。380頁の大論文集です。

ここに あかとんぼの氏名が記されたとは 恐縮の限りです。


妙運廟界をガイドをする機会はありますが 正面のみです。裏面に刻された履歴を読むことはありませんでした。
大年寺山の無尽燈廟・寶華林廟は 毎年5月20日の歴代公法要の際 正面から参拝するのみで裏面に刻された履歴を読むことはありませんでした。

歴代公・正室の墓碑裏面に刻された文字が 活字で読めます。

仙台・瑞鳳寺、仙台・大年寺、仙台・覺範寺、仙台・孝勝寺、仙台・善導寺、松島・陽コ院、松島・圓通院、宮床・覺照寺、登米・養雲寺、一関・東禅寺、東京・正覺寺、東京・伝通院、東京・海晏寺、東京・東禅寺、東京・護国寺、京都・二尊院、和歌山・金剛峯寺、宇和島・等覺寺にある伊達家の墓碑の四面が記載されており、大変参考になり 勉強になります。容易に入手出来ない貴重な資料です。


「萩藩毛利家の墓碑考察」を論者 秋元茂陽氏から 先日ご恵送頂きました。

その構成は、
 1.はじめに
 2.毛利家の由来
 3.毛利家の菩提寺
 4.昭穆(ショウボク)の制
 5.東光寺の毛利家墓所
 6.毛利家の藩主と正室の墓
 7.毛利家の側室と子女の墓
 8.東光寺と大照院の相違
 9.その他の毛利家の墓
10.おわりに
00.墓碑等詳細・・・

東光寺の墓碑・寄進灯篭配置図に至り ハッとしました。
ここ お詣りしているを思い出しました。
2014年2月13日13時に。
滞在30分の慌ただしい参拝でした。某旅行社のミステリツアーで、到着して 「毛利家菩提寺です。30分発車です」

惣門・山門から本堂 そして本堂背後の墓所に至り、石柵に囲まれた巨大な墓石が整然と並び、整列した500余の寄進灯篭に圧倒されました。

巨大な墓石の一つに、壽コ院殿大光元榮大居士(吉就公 4代 創建者) とあり あかとんぼの戸籍名2文字がありました。

殿様との格差は 文字の配列に表れていました。
感激し 思わず 撮影しました。
しかし 身分差を考えない行動で、殿様の怒りに触れたか 写真は全て真っ白な画面でした。佛に為られた殿様の法力でしょうか? 初めての事例です。

ここ長門萩毛利家・護国山東光寺、因幡鳥取池田家・興禅寺と奥州仙臺伊達家・両足山大年寺は 黄檗宗日本三大叢林。


東光寺の七堂伽藍の配置は龍の形をしており、主な建物
@ 惣門   1693(元禄6)年頃建立
A 三門   1812(文化9)年建立
B 鐘楼   1964(元禄7)年頃建立
C 大雄寶殿1698(元禄11)年建立
D 方丈書院1702(寛政4)年建立
@からCまで 重要文化財に指定されています。

これらが描かれた境内圖(姿図)を見るに 壮大な伽藍であった事、黄檗宗日本三大叢林であった事がわかりました。

大年寺山に 今は 大年寺の壮大な七堂伽藍はありません。
1868年戊辰の役で、檀那の一方は 勝者に、 一方は敗者に。
これが 寺の運命を分け 今日の姿になったのか? 

秋元茂陽氏から 先に頂いた「仙台藩主伊達家の墓碑考察」と今回頂いた「萩藩毛利家の墓碑考察」を 丁寧に読みまして 東西を代表する大名家の墓所、墓石について勉強します。

秋元茂陽氏のご厚意に感謝申し上げます。



8 月 24 日 (月)  



五色乱星文様陣羽織

22日伊達學塾「伊達家の家紋と陣羽織」の高橋あけみ先生の講演後 一番話題になりましたのは「五色乱星文様陣羽織」でした。

先生は、 
「五色乱星文様」で、水玉ではありません。星です。
武将は 星を丸で表していました。☆での表現は最近です(時間単位が異なります)。
伊達家文書記録も星です。
水玉は 伊達家から寄贈され 目録作成中の誤りです。
と 語りました。


質疑応答の際
「図録等は水玉となっています。間違いありませんか?確認します」 の質問がありました。

講演内容に確認を求める質問に遭遇したのは初めてです。

高橋あけみ先生と 同趣旨の説明が 以前から 濱田直嗣先生 菅野正道先生から されています。
瑞鳳殿ガイドの会の仲間は ほぼ全員が 「五色乱星文様」でガイドをしております。


「五色乱星文様陣羽織」の模造品 を 講演会場に展示するを検討しました。

@仙台藩志会女性制服(?) A伊達家御廟大年寺会式服 B瑞鳳殿ガイドの会制服 と 博物館図録と照合しました。

生地、家紋の刺繍か印刷か、裏地・袖の有無の違いは 当然として 星の配列をみました。
@、A、B 共 博物館図録の配置と似ているが 異なりました。

講演会場に展示するのは 主催の仙台藩志会女性制服が 一番妥当ですが 似て否なる品でしたので 展示を断念致しました。


NHKドラマ「独眼龍政宗」で 使用された「五色乱星文様陣羽織」は、2014年6月28日 仙台市博物館で開催された 時代考証学会 の席上
NHKドラマ「独眼龍政宗」の担当デイレクター吉村芳之氏から 仙台市に寄贈されました。

このものであれば 博物館所蔵品と 同じ 一致すると 思いますが?

仙台市に寄贈された品は 現在 仙台市博物館で保管中との事です。
いずれ 高橋あけみ先生か菅野正道先生が 鑑定された 結果を 発表されるを期待しております。



8 月 23 日 (日)  



雨の中 早々 団体で参拝に見えます。

朝 事務所での朝のご挨拶の際 「この夏 お客様多いと感じています。対前年同月比 プラスでしょう」に にっこり頷かれました。

7月から3ケ月のデスネーションキャンペーンに初参加した陸奥国分寺薬師堂のガイド代表は「期間中16日のみの参加で 9ケ日実施したが沢山のお客様が参拝に見えた。地下鉄東西線が開通し 交通至便になると?????」と洩らしていました。

昨日 全国大会が各種開催された様です。

朝一の団体 埼玉県からの中学生。Aさんがガイドしました。
Aさんは 埼玉県の地理に詳しいです。現地中学生よりも詳しいかも?

「埼玉県の〇〇から 卓球大会に来たが 負けて時間が出来たので 戦国時代の英雄ゆかりの所と聞き来ました」とのこと。
Aさんは 中学校の先生の気分で 丁寧にガイドしていました。


スポーツをしている雰囲気の女性10余人。
「何の競技ですか?」
「ソフト〇〇〇」この〇〇〇が聞き取れませんでした。
ガイドに支障ない限り 聞き返さないことにしています。 
さて何の競技でしょう?年齢構成からソフトボールには見えません。

この時刻に参拝に見えた事は 埼玉県の中学生同様 今日は出番が無かった?

静岡から見えたそうです。
「階段が厳しく、キラキラする建物 ウチの〇〇 そっくり」
「私はケーブルでお詣りしました」
「エッ ここにケーブルあったの!!」
余ほど 62石段が応えらようです。
女性10余人 交互に質問され 50分のガイドを楽しまれ 資料館に入ったら出て来ません。
政宗公を堪能された様です。


以上2競技大会 帰宅後の地元新聞では確認出来ませんでした。


「どちらからおいでですか?」に  オオサカとお答えのご夫妻。
「お客様とここ瑞鳳殿とは、ご縁があります。
ご案内します瑞鳳殿の主は 最期の戦国武将と云われた 伊達政宗公です。ご長男で62万石を継がれた 忠宗公は大阪で1599年生れました」に 親近感を持てれた様です。要所で撮影され 40分のガイド後 資料館に入ったきり。

ガイドした集団で 最期に降りて来ました。早い人との時差40分。

本日も色々な出会いがありました。


 



8 月 22 日 (土)  



伊達家の家紋と陣羽織

講師 仙台市博物館主幹 高橋あけみ 先生の 以上演題で 仙台藩志会主催で講演会が開催されました。

その内容(概略)は
1.仙臺伊達家の家紋

2.竹に雀紋の変遷
 基本形
 変遷の特徴

3.伊達家の陣羽織
 伊達政宗の陣羽織
 同時代の陣羽織(片倉家資料など)
 藩主の陣羽織
 乱星模様陣羽織の時代
 伊達家の陣羽織 ・・・後半は火事装束
 女性用の火事頭巾

博物館に訪れても 見られない品々 秘宝を パワーポイントを駆使 表示・講演されました。

2014年11月6日 瑞鳳殿ガイドの会主催 公開講座は「伊達家の家紋と政宗の陣羽織」でした。
標題が変わりました故 内容もグレードアップし 濃厚なものでした。


公開講座です故 一般市民の方々は、 岩手県からも駈け付けられ 寺紋を含め 老若から幅広い質問が 相続きました。

配布資料余部 仙台藩志会様から頂きました。
僅少です。 必要な方 お申し出ください。



8 月 21 日 (金)  



仙台屋敷

2015年7月23日 「仙台藩在郷屋敷の基礎知識ー入生田家の在郷屋敷などからー」と題する 仙台市博物館学芸普及室倉橋真紀先生の講義が 冨澤大学(郷土の歴史を愛する会)例会でありました。

入生田家祖 入生田三右衛門元康は、政宗公の殉死者の一人です。
瑞鳳殿に寶筐印塔があり 一族郎党でお詣りに見えたことがあります。

あかとんぼ としては 親しみと関心の深い家です。
倉橋真紀先生の講義は 非常に有意義 参考になるものでした。

「仙台屋敷の所在は?」

古文書読解の先生に質問をしてしまい 「わかりません」と即答頂き ご尤もと反省致しました。


冨澤大学学長を通して 本日 ご教示頂きました。


片平丁は 御一門です。
召出2番座36 所預かり1184石 武田家は 寛文の頃 川内中の坂通 安永以降 清水小路でした。

中堅家臣の、山家家 633石 は、現在の東一番丁
宇津志家(四ツ谷用水作事奉行) 100石は  現在の仙台駅構内にありました。

さて、200石なれど 幕末 要職にありました故 職務相当で お城に近い所に 屋敷替になっているか?

ご教示は、

「安政補正改革仙府絵図「(安政3〜6年)第二師団司令部蔵」に 入生田三右衛門と記載されているでした」

目を皿に 探しました ありました。

旧町名で 南町通 で、現在の表示で 青葉区一番丁2丁目13番(仙建ビル)でした。
2002年刊 (城下町仙台を歩く 歴史的町名ハンドブック)が 解明につながりました。





8 月 19 日 (水)  



爽やかな風 ガイド日和。

朝早くから 全世界から お詣りのお客様続々と。
三世代の団体が目立ちました。

ガイドを頼まれた際「どちらから?」と 必ずお尋ね致します。答えに あるパターンがあります。

今日のお客様は、
1「.愛知から」・・・ 最近 県と付けないお客様が増えています。
 名古屋からであれば 名古屋と自慢毛と答えます。

 「.愛知から」と回答されました故 「アー 名古屋の在の方」と理解しました。
 伊達家との 関連が思い浮ばず・・・・・

 豊橋市・豊川市・岡崎市・豊田市・・・常滑市
 常滑市なら 常滑焼=綱宗公甕棺と 伊達家に結び付 ますが。

2.「紀州から。この子は仙台」 4世代7人

 長老は涅槃門まで、此処で待機するとの事。
 順序変え 長老に 手持資料で 政宗公厨子を御覧頂きました。

 「先を急いでいるから 15〜20分でガイドをして。この後 大崎八幡宮で昇殿参拝をするので」
 大崎八幡宮で昇殿参拝される観光客は珍しいです。
 このお客様は別として 通常は玉串料・人数分で 巾着の紐が緩まない故  昇殿参拝を躊躇される方が多いのです。

 日光東照宮の「眠り猫」を彫刻した 左甚五郎 事 刑部國次が 1604〜7年に彫刻した 「睨み猫」の見学が目的でしょうか?
 ならば、同じ系統の 瑞鳳殿の彫刻を ジックリ見て頂きたかった。
 
 「この子は仙台」は、東北大の2年生でした。

3.「東京から」
 正真正銘の東京の人でした。(埼玉の人も東京と答えます)

 耳が遠い老夫婦です。
 大きい声でガイドをしましたが やはり 時々 ご夫人が 伝えていました。
 80代と申されました。足腰は達者です。
 ガイド聞いてヨカッタと申して頂きました。 嬉しいことです。再会を約しました。


本日 仲間4人で 応接しました。

先日 「あかとんぼガイド日誌を読んでいる」と申されるお客様が来ました。
「ヒー と驚いて 氏名・住所・年齢 を聞くの忘れました」と 
本HPを読んでいる仲間から云われました。

お客様  表紙の下 お嬢さんをクリックされましと mail書込発信出来ます。是非 感想をお聞かせ下さい。



8 月 16 日 (日)  



秋です。冷涼です。

お盆休みの最終日 お客様 9時前から続々と途切れる事無く 小休止すろ暇もありませんでした。嬉しい限りです。
この週 日 12〜1300人の大台の連続であったと推測されます。

今年の夏休み旅行の傾向は 治安の良い国内旅行にシフトしたのか、仙台・瑞鳳殿を目指した人 対前年比 大幅増加と感じます。
日本人以外のお客様 本日 目立ちました。
英語でガイド出来る 3女性 お休みは 痛い。(家庭等事情おありですか止む得ませんが)

記憶に残ったお客様
埼玉からと 福島中通りからの 高一の娘の母娘です。
何れの高一生 歴史・政宗公好きと事前に申す通り 鋭い ものがあり 刺激を受けました。


ベンチ 老朽化で4台と不足しております。
今日の様に 千客万来であれば 待機の余地なく 間に合います。

JTBガイドは 30分は待機します。ジイーと静止状態での待機は 足腰に来ます。
Aさんが 折り畳み椅子を 持参されました。助かります。

看板とセットで置かれていましたが 、本日の当番 若手故か 気が付かなかったか 本日は活用されませんでした。


来月は19〜23日まで5連休 シルバーウィイーク(白銀週間)です。
高齢者の参拝が急増するでしょう。如何にお迎えするか です。


最近 男女を問わず 杖の使用と 車椅子使用 が目立ちます。

朝9時 老婆と高齢の息子?と 見られる方 手水舎脇迄 乗り入れ 以後 杖と息子?と本殿を目指されました。

何組かガイドを終わった時 お二人は拝殿のベンチで休まれており、おもむろに本殿に向われました。
瑞鳳殿に到着され 既に100分は経過しています。 瑞鳳殿を参拝されています。有難いお客様です。
本殿での合掌が終わった所で 手持資料の 本殿内の政宗公を 見て頂きました。
感謝のお言葉を頂き あかとんぼの行動に誤りなかったと 安堵しました。


12時 職員駐車場の坂を 老婆を載せた手押車を老爺が重そうに押し登って来ました。
「ここ瑞鳳殿ですか?上に登れば平坦ですか?」

「ハイ あそこに見えるのが瑞鳳殿です。(高低差 5〜7mあります。見えたか?)石畳みと石段があります」
手持資料の 本殿内の政宗公をお見せしようと思いましたが、

「此処まで来たのだ。登ろう。行ける所まで行こう」と登り始めました。 大宮ナンバーでした。
あかとんぼの体力では お手伝いの限界超過ですので、これまで。


 シルバーウィイークの頃 社会的に高齢者にやさしい施設とは?が話題になるでしょう。



8 月 15 日 (土)  



お盆・土曜日・敗戦記念日

今年も あかとんぼの思うところ2点からガイドを休みました。

Aさんから 1昨日記載した 「論考 仙台藩主伊達家の墓碑考察」を 刊行元「黄檗文化研究所」に注文したとmailがありました。
その学習意欲に敬意を表します。


江戸大名墓総覧 秋元茂陽著によれば、

1.「藩主は国許か江戸のいずれかで死去しても、同地の菩提寺に本墓を建造するのが一般的でありますが、いずれの地で死去しても国許の菩提寺に本墓を建造する家も多くみられ特に大藩」にみられます。中略 
 江戸にすべての藩主墓が建造されていませんが、歴代の正室墓は仙台伊達家と水戸徳川家以外はほぼ建造されています。

とあります。
仙台伊達家と水戸徳川家は、正室は殿様と 同格で弔う と考え・実行されたと あかとんぼは理解しました。

2.東禅寺(港区高輪3-16-16)に、仙台伊達家の墓がある と記載ありますが詳細の記載はありません。

 不思議です。
 「とうほく藩主の墓 加藤貞仁著」によれば、仙台伊達家諸精霊之墓と刻まれた石塔があり、江戸屋敷で暮らした女性・子供たちを合祀した墓石とありました。

 宇和島伊達家と吉田伊達家の墓碑があります。 

3.本門寺(大田区池上1-1-1)に、「安住院殿」綱宗公側室の墓あります。

4.谷中霊園(台東区谷中7-5-24)に、宇和島伊達家の墓碑があります。 

5.長岡牧野家は、2015年7月12日現ご当主が 江戸のお墓は元国許に改葬しましたと語られました。
 1982年に金石塔は蒼紫神社(長岡市悠久山)に、遺骨は榮涼寺(長岡市東神田3-5-6)に納骨されました。

6.総泉寺(板橋区小豆沢3-7-9)は、秋田佐武家の菩提寺で、関東大震災で浅草橋場から現在地に移転しました。
 その際 合祀墓になりました。
 2002年2月現在 改葬され現在地(総泉寺)に墓所はありません。

以上の記述があります。
一関 田村家の記述は なぜか ありません。

約1400頁あります。伊達家を中心に チラチラ開いた結果です。奥の深い 深層の本です。





8 月 14 日 (金)  



また遅刻と焦る政宗「徹夜で行く」秀吉に釈明?

標記見出しで 読売新聞は10時51分下記の通り発表しました。

天下統一を前にした豊臣秀吉が関東と東北地方の大名を宇都宮城に集め、処遇を決めた「関東・奥羽仕置」に伊達政宗が遅参し、事情を記した自筆の書状が発見された。

 栃木県立博物館が13日、発表した。当時、政宗が居城としていた米沢城(現在の山形県)を出発してから宇都宮までの行動は明らかになっていなかった。専門家は「小田原攻めに続いて、2度目の遅参に政宗が焦る様子も伝える内容」と評価している。

 書状の日付は天正18年(1590年)7月27日の「戌いぬ刻」(午後8時)。23日に米沢城をたったが、人馬の疲弊などで宇都宮への到着が遅れていると説明。26日の秀吉の到着に間に合わなかったことを「覚悟のほかに候」(予想外でした)とし、「今夜に打ち立ち候いて、明日は四ころに参るべく候」(今夜には出発し、明日午前10時頃までには参上できると思います)と、徹夜で向かうとしている。


仙台市史 年表には、
7月26日豊臣秀吉 宇都宮で奥羽仕置を行う。伊達政宗は葦名氏の旧領など没収される。
8月9日豊臣秀吉 会津黒川城で奥羽仕置を行う。
とありますが 遅刻したとの記事はありません。

小林清治著 伊達政宗 では 「8月9日に秀吉は黒川城に着き、政宗もよばれて黒川城に入った」と記述されており、遅刻は記述されていません。

興味深い記事です。



特殊地下壕

先月 NHKは 広義の片平丁の伊達家重臣仙台屋敷跡に所在する防空壕を紹介しました。

これ日本国公認の由緒ある防空壕でした。

国土交通省によれば、全国で8458壕が残存し、内 危険等ものが368壕。
宮城県内総数52壕 内仙台市が11壕で 仙台屋敷跡は青葉区廣瀬町 と危険でない壕の一覧表に記載されています。

国土交通省 WEB「平成25年度特殊地下壕実態調査結果」を検索されると ご覧なれます。


防空壕は1945年3月20日 整備の補助金の支給が宮城県で内定しました。
1945年8月10日迄 仙台市内で 横穴式防空壕が17ケ所で作られました。

1は、北山輪王寺付近から小松島に至る 北山ライン
2は、中島丁付近から愛宕橋に至る 廣瀬川ライン
です。

この図面には、廣瀬町の壕は記載されていません。
又 経ケ峯にも ありません。

詳しい事をお調べなる方は 宮城県公文書館所蔵 「S20-18 公共土木施設関係」を御覧ください。




8 月 13 日 (木)  



政宗公以降の伊達家墓碑

論考 仙台藩主伊達家の墓碑考察
論者 秋元 茂陽 氏

目次 
1.はじめに
2.伊達家の由来
3.伊達家の歴代藩主と正室
4.伊達家の菩提寺
5.伊達家の墓制
6.伊達家の藩主、正室、生母の墓形の変遷
7.伊達家の各墓形の考察
8.伊達家の供養塔
9.おわりに

B5版 63頁に及ぶ大論文です。

ご恵送頂き 昨晩1夜を要して拝読。 素晴らしい考察です。

墓碑の考察であります故 3廟(瑞鳳殿・感仙殿・善應殿)についての詳しい考察はありません。
しかし、政宗公以降 伊達家の伊達家の藩主、正室、生母の墓に ついて完全な内容で記述されています。

あかとんぼ は 瑞鳳殿・感仙殿・善應殿に、寶華殿(愛姫)、静寂殿(4代正室仙姫)と 御霊屋を中心に自習していました。
経ケ峯の妙運廟界、大年寺山の無尽燈廟、寶華林廟に、歴代公と正室のお墓をお詣りし それなりにに自習していました。

東北学院大学菊池慶子教授から 伊達家では 生母・側室の方々も 鄭重に祀られていますとご教示頂いておりました。
関心を深めることはありませんでした。

この 秋元様の「論考 仙台藩主伊達家の墓碑考察」を 拝読 あらためて あかとんぼ の未熟を知りました。


妙運廟界の9代周宗公 11代斎義公は 何故 此処に祀られたか。年忌法要は 瑞鳳寺から又は大年寺から お出でになる公開での法要は催されて居らず 常に疑問に感じていました。

秋元様から 尋ねられた際 ガイドで語っている私見を申し上げました。

「周宗は寛政8年(1796)3月2日に誕生し、文化6年(1809)正月に疱瘡を患い危篤状態となるが、同9年(1812)4月24日に享年17歳で死去したとされている。

郷土史家の間では周宗は危篤となった文化6年に14歳で夭折したが、17歳未満だは幕府から相続を認められない事から若年寄の堀田正敦ほかの協議により生存を装い、17歳になるのを待ち死亡を発表したのでないかと語られていると言う。

なぜ、周宗が瑞鳳寺に埋葬されたかと言う記録は残されていないが、墓所から100mほど離れた別域に「お子様墓地」あるためではないかと言う。

一方、斎義に関しても記録は残されていないが、斎義は文政7年(1824)8月に瑞鳳殿東斜面(鹿落坂市道部分)において切込萩石畳築堤大工事を施工しており、この護岸工事の功績に関係しているのではないかと言う」

と纏め記載されています。


この論文は、黄檗宗の総本山万福寺が毎年、全国の同宗寺院へ配布するために黄檗宗に関する論考をまとめた会報誌『黄檗文華』第134号に掲載されたものです一般の書店では販売しておりません。

希望される方には、発行元(京都府宇治市五ヵ庄三番割34 黄檗文化研究所 電話 0774ー33ー1199)に直接、お問い合わせください。



秋元様の名刺には、石塔文化史研究家の肩書があります。
大名の墓碑に関しては その95%ほどを記録され、1998年「江戸大名墓総覧」を刊行されています。

宮城県立図書館蔵書にあり 貸出可で借用致しました。
太冊 厚さ7.5cm 別冊付録図面3.5cm 総重量7kgです。

仙台伊達家、宇和島伊達家も記載されています。このあと じっくり読みます。



8 月 9 日 (日)  



戦い済んで日が暮れて・・・一抹の哀愁

仙台七夕は終わりました。
お客様曰く 「仙台の人は 勤勉実直 期限厳守 ですね」

お客様は 何を申したいのか?

3日間で217万7千人を動員した 仙台七夕が 一夜明けた今日 あの喧騒を極めた街中に1本も残って居なかった。
期間を厳守し 始末する この能力・気力が素晴らしい との誉め言葉でした。


瑞鳳殿の七夕 昼の雨で一度は降ろされた飾り 午後 再び 飾られました。そして 晩には 降ろされ、 
経ケ峯全山に 配された竹灯篭を含め コンサート会場も 全て 綺麗に片付けられ、祭りは終わりました。
職員の皆様 お疲れになったでしょう。職員駐車場 本日 空いていました。


真っ黒い 大きい蝶  1匹 券売窓口カウンター南端 に静止しています。
券売嬢 曰く 「今朝 8時半頃(気づいて)から ジートとしているの。生きているヨ」

黒揚羽蝶(Papilio Protenor) か 烏揚羽蝶(Papilio Bilnor) か定かでありませんがジートとしています。
伊達家のカラーは 黒です。招き猫ならぬ 招き揚羽蝶 らしいです。
9時半過ぎ お客様が 押し寄せ始めましたら 「効果あり」と確信したらしく 居なくなりました。


朝1番のお客様 茨城県鹿嶋市のご夫妻です。

幼少の砌 栃木県で育ったと 日光東照宮の荘厳な建築美を御存知で 且つ 各地の社寺仏閣を参拝するのがご趣味とか。
「鹿島神社も素晴らしいが 香取神宮は この様に絢爛ですよ」 と教えてくれました。


WEB 香取神宮の由来に
「香取神宮の本殿は、平安時代には伊勢の神宮と同様に20年ごとのお建替の制度がありましたが、戦国時代には衰退しました。現在の本殿は、元禄13年(1700) 徳川幕府の手によって造営されたものです。

この本殿は、慶長年間の造営で用いた桃山様式を元禄の造営時にも取り入れよく受け継いでいます」とありました。
この下線の所が お客様の意でしょう。


四阿で 老若の女性が仲間を待っています。本殿を参拝する気配がありません。
此処まで来て 参拝されないとは モッタイナイ 残念です。手持資料の政宗公御木像をを開き 説明致しました。

「痛い足腰で 無理に上らなくて ヨカッタ」 と洩らされました。

女性税理士達で 来春 仙台で全国大会を開催する準備・下見中と申されました。

「来春5月 サミット財務相会議が仙台の秋保温泉で開催されます。仙台は国際会議を開催できる都市です。この瑞鳳殿の様な観光に耐える史跡もあります。是非 仙台で開催をしてください」と 奥山恵美子仙台市長の気分で セールスを致しました。

伊達家の家禄62万石は表高で実収との差がある の話しのさなか 「ホマチ」と 申しましたら 1942年生まれの先生から 「それ何、漢字でかくの?」 のご質問。

「私は 仮名で書いています。余分な収入 と理解し使っています」と 話しましたら
1930年生まれの先生から 「税務署で 使っています。国語辞書にあります」 の 年功発言で一件落着。

あかとんぼ国語辞書には 臨時の収入 へそくり (外待)とありまりました。

生年は 先生が自ら発したもので あかとんぼが聞いたものではありません。あかとんぼの生年も聞かれました。 
お互いに 〇〇先生と呼び 決して 〇〇さん とは 呼びませんでした。業界の暗黙の定目でしょうか?



8 月 8 日 (土)  



仙台七夕と雨

3日間の期間中 1度は降る のジンクスがあります。
昨日迄 猛暑でした。 今日3日目 ジンクスは どうなるか?

当たりました。
昼 12時頃 バラバラと来ました。
七夕主任は 「今年は雨を降らさない 私の情念で雨雲を寄せ付けない」と宣言していました。
が、
「夕方のコンサート会場は 先程からの雨粒対応に 防雨シート書けました」のコンサート主任の一言に 七夕主任は決断しました。
事務局長以下全職員にガイド仲間も参加 一斉に飾りを 降ろしました。

汗をぬぐい 見上げましたら なんか 雨が止んだようです。
今日の雨は ゲリラです。

七夕最終日・土曜日 お客様は 途切れる事なく 続々と。

冷涼です。お客様もガイドも職員も 楽です。助かります。


函館からの母娘ふたり旅。
昨日 政宗公の菩提寺瑞巖寺をお詣りされ 今日は御霊屋瑞鳳殿の参拝です。

「お宅はお墓とお寺は近いでしょうが ここは 松島と仙台とヤヤ距離がありますのに、ご自分の御先祖様をお詣りする様に 丁寧に参拝頂きましてありがとうございます」と お礼を申しましたら 苦笑いをされていました。


感仙殿に 早稲田か慶応大学付属高校生らしい 知的な女子学生二人が現れました。
「ここは 2回 戦争の被害にあっています。敗者は 辛いものがあります」と 語ってしまいました。

暫時経過後 追分で再会しました。

「瑞鳳殿を参拝されまして 楽しかったですか?」 に
「ハイ」と 明るい声で返ってきました。
ホッとしましました。戦争を知らない世代に未来が輝くでしょう。


涅槃門の石段の前に 車椅子が ポッンと1台 止まっています。
30代の青年が 上を向いています。視線の先には 拝殿扁額に 本殿前の竹飾り が見えます。
ここまで来て 登れない 参拝出来ないとは 無常 無情 です。

手持資料を開いて 本殿 政宗公像等を 説明しました。
間もなく 年老いた両親が戻って来ました。「この写真のとおりよ」と語っていました。

裏駐車場迄 移動です。 出口の段差 5〜10cmあります。老母では押し切れません。手前を持ち上げのお手伝いをしました。

裏駐車場に 身障者用駐車スペース1台分 確保していますが、涅槃門の石段の前まで 移動は 敷石の凸凹 段差があり 押手に 相当の体力を必要とします。よりよいバリアフリー化が検討課題と思います。


Aさん Bさん ガイド3日連続です。昨日4名から 1名減です。
明日 日曜日 4日連続は 何人でしょうか? 



8 月 7 日 (金)  



猛暑

体感温度40度の連日の猛暑 気象台観測以来の記録を更新したそうです。

仙台七夕 2日目 瑞鳳殿で 待機している限り 峠を越えました。
気分的に 楽・容易になりました。

昨日は、仲間11人活動しました。暑さにトケタかのびたか 午前 5人でした。内4人は2日目です。明日3日目 どうか?


本日のお客様の特徴として
青森ネブタ 弘前ネプタ 秋田竿灯 山形花笠 の何れ単独か または複数・連鎖 見学し仙台に入られた。
関東圏から 夜行バスで今朝 仙台に着いた。
が それなりに 居られました。

更に、
暑さと 62段で ヒトヒトと 本殿開扉しているのに 四阿に坐したきりの人
ここの駐車場露天で、車内温度が上がり お土産の笹かま 鮮度が 心配で オチオチ参拝出来ない人
も、いました。


小中学生の親子  真面目です。
こんな 質門がありました。

「伊達政宗公が建てさせた建物 現存しているもの 4っ以上 上げよ」

瑞鳳殿に、仙臺城跡は 1945年戦災で焼失しています。何もないよ と一瞬 思いました。
強力な助っ人Aさんと考えました。

順不動
@ 大崎八幡宮 A 陸奥国分寺薬師堂  B 瑞巖寺  C 五大堂 D 塩竈神社
が 浮かびました。まだ あるでしょうか?


高齢のご夫人から
女学生の時代 修学旅行で 政宗公の着物姿の像の前で 友達と記念写真を撮った。
仙台城址に ここ瑞鳳殿と あの像は 何処と探しました見当りません。どうしたのでしょう と聞かれました。

「政宗公が仙台に入る前の城 岩出山城址本丸跡に、1964(昭和39)年9月に引越しました。威風堂々立っています」と お答えしました。
岩出山まで 足を延ばす様子はありませんでした。
(この白色セメント像(柳原義達作)は1953(昭和28)年10月に小野田セメント株式会社から仙台市に寄贈されたものです)


昨夕のライトアップ 7〜800人の参拝があったようです。
前年同月比 幾らかの係数は 尋ねられませんでした。

仙台市内の人出は65万8千人で 昨年より3万4千人減と即報が出ています。

仙台七夕は、1937年最後に行われなくなり、1946年8月6・7日に10年振りに復活。1947年昭和天皇行幸奉祝として8月5・6・7日の開催で、5000本飾られました。
1954年から8月6・7・8日の3日間となり今日に至っています。



8 月 6 日 (木)  



仙台七夕

今日からです。
瑞鳳殿伝統七夕 飾り付け に参加したく出家しました。
が、到着は9:01 ほぼ完了していました。

遅刻の原因は 渋滞です。その原因は。
1.病人に夏休み・七夕もありません。東北大学付属病院に入庫待ちの車。
2.七夕見学の県外ナンバーの車のウロウロ。


瑞鳳殿のニュース
1.瑞鳳殿本殿が開扉されました。政宗公と直々の御対面出来ます。
2.瑞鳳殿涅槃門前に 伝統七夕が飾られました。
3.感仙殿前に 片平児童館の七夕が1日から飾られました。
4.竹灯篭によるライトアップが今晩から有料で始まります。
5.職員のTシャツが 伊達家家紋九曜紋 に変わりました。


ガイド仲間午前 10人弱 フル操業です。
2時間30分経過した頃から 熱気で ダウン 継続困難を訴える仲間続出 正午 参拝者の足が途絶えた段階で残るは 若手2人のみ。
午後 何人駈け付けてくれたか?


あかとんぼ さん あのお客様に答えてと 振られたのは

「政宗公は東を向いて埋葬された と あるガイドが説明したが なぜ 東を向いて埋葬されのか?この解説が無かった」
と 60代の家族4人。

確かに発掘調査した際、ご遺体の向きは 東向きでした。
何故 東向きに 埋葬した真意は、ご当主様からも 仙台市博物館の先生からも 「これだ」のお答えを教えて頂いておりません。

私は4説を聞いています。
1.ここ経ケ峯の東は 廣瀬川が流れ崖になって、その先に左手は家臣・町民の住む城下、右は広大な田圃が 広がっています。更にその先は太平洋です。ここに生活を営む家臣・領民の日々の安寧を祈った。

2.支倉常長の慶長遣欧使節は その目的を達成できませんでした。東の海から船出した様子を思い起こし 果たせななかった 海外飛躍を追想をしている。

3.東から 東と向かえば 西に至ります。西方浄土に至ります。その想いではないか?

4.単なる間違い。江戸から7泊9日で到着した際 指揮した役人 疲れて 前後わからなくなり 埋葬した。

何れが 正しいかわかりません。ヒョットしたら 4が正解かも。
と お答えしました。 お客様 納得されました。

あかとんぼ は ご遺体の向きについて 最近はガイドしていません。
それは、なぜか?と反問されます。

正解はわかりません と 長々語ることになるからです。


今日 面白いお客様いました。

耳聞こえるから 勝手にしゃべろ。写真とっているから。A女史
B女史に ガイドします。
写真撮り終わった A女史 今一度 しゃべろ。(聞こえる耳はいずこに)

写真撮影中はお喋りを留め 推薦個所をお奨めしますが お客様が希望しない事はしません。


涅槃門の用材 なにか?全て を部位別におしえろ?
柱は 青森ヒバ 唐草模様は樟 と聞いています。他の用材は 分かりません と答えました。

お客様は 材木屋さん ですかと問いましたが 返事ありませんでした。



8 月 3 日 (月)  



本日は 8月3日

永禄10年8月3日 政宗公が出羽國置賜郡米澤邑で生誕されたに因み、
公益財団法人瑞鳳殿主催 27年度政宗歴史塾が開講されました。

講師は、伊達家34世18代ご当主、瑞鳳殿資料館名誉館長の伊達泰宗様

会場の経ケ峯・天龍閣・大広間に 一般参加者 70名 瑞鳳殿ガイドの会会員20名弱 の90名参集。

昨夏の講師も伊達家御当主でした。本日の参加者の大部分は 昨年参加された方々でした。
(挙手を求めたら8割の方 手をあげました。)

政宗公のご子孫として日々体験されている事柄から ご当主独自の視点から歴史と現在の関わりについて語られもした。

ご当主でなければ 語れない お話ばかりでした。詳細は聴いた人のみの寶。


講演の冒頭
 「ガイドの会の皆様は 連日猛暑の中 参拝に見えた方に丁寧にガイドをして頂き有難い」 と謝意を表され 参加者に同意の拍手を求められました。 誠に 温かいお気持ちに 感謝申し上げます。ありがとうございます。

一つ 苦言を頂きました。
「政宗公と 公 と敬称を忘れないで頂きたい。
学者の論文等は別として  ここ御霊屋では ガイドの皆様は 公 の敬称を忘れないで頂きたい」

講演終了後 拝謁し
「政宗公 と敬称を付けガイド致していたつもりでした。抜けていた事がありましたら 申し訳ありませんでした。
政宗公 と敬称を付けガイドを致します。会員に周知を図ります。

私のホームページは ある事情で 公の敬称を付さない時期がありました。今後は公の敬称を忘れないように致します。
之までを ご容赦下さい」

とお詫び致しました。
ご理解が早く 気持ちの広い ご当主です。にこやかに容赦 頂きました。 


外気は 炎暑です。気力、体力なく、 若手に ガイドを託しました。
6日朝 お会いしましょう。 



8 月 2 日 (日)  



炎暑

本日JTB特約ガイド当番日。緑陰に風走る。
34度の炎暑ながら 葉影の下で待機していらば、時には走る風は 涼しいです。

62石段に登る際 暑さに融けたのか お客様は寡黙。
いくら 「コンニチハ」等 挨拶しても 10時から10時40分まで 目の前を通過した人 1人も反応ありませんでした。
ガイドの依頼もありませんでした。
あかとんぼギネスに登録すべき記録です。

10時前 暑さに強くて賑やかな会話の団体 二組

1.若い男女4人。券売口で既に賑やかでした。挨拶を返してくれました。手水舎 珍しい日本文化か? 交互に撮影していました。
 ノリが良いので?「ガイドしましょうか」と 言いかけてストップ。仲間内の会話 日本語でありません。

 Aさんに尋ねましたら「北回帰線が 国土を横断している国か。二国制の国では」と返って来ました。
 なるほど 暑さに強い国ばかり です。

2.バスガイド嬢が添乗員を指図して居る団体です。それだけに お客様も元気です。
 「どちらから?」に 「日本一の地から来ました」
 「暑さ 日本一の都会から」 口々に 叫びます。

 「熊谷」と返した途端

 「前橋」「マエバシ」の連呼。(大声で連呼されなくとも聞こえます)元気です。

 帰宅後 知らベました。熊谷と前橋で 日本一高温都市の タイトル争奪戦を市民間で 行われているそうです。
 熊谷 の一声に異常反応された意味を知りました。

静岡県藤枝のご夫妻、神奈川県は横浜の学生?男女4人、東京のペア等ほか 出会いがありました。


永禄10年8月3日 政宗公が出羽國置賜郡米澤邑で生誕されたに因み、
明日8月3日10時から
伊達泰宗氏(34世18代当主、瑞鳳殿資料館名誉館長)の
伊達政宗の慶長遣欧使節 ローマ教皇パウロX世謁見から400年に思う と題する講演が
経ケ峯・天龍閣で 開催されます。

定員70名全て予約済です。
瑞鳳殿ガイドの会会員は 会場整備のお手伝いとして末席を汚します。よろしく。



8 月 1 日 (土)  



八朔

天正18(1590)年8月1日家康は江戸城に入城をした。
その際 貧富の差が目立たない様に 全員が白帷子を着用し入城をした。
と ものの本に書いてあります。

徳川幕府では 以来8月1日は式日です。

政宗が仙臺城に入城をした日は何時か? 伊達家の式日となっているか?
ワカラナイ。仙台藩志会儀典部長に 教えを請わなければ。


朝から瑞鳳殿は暑いです。
涅槃門前に七夕の竹が 天端で交差するように設置されました。飾り物も出来たそうです。
5日後 6日8時30分 いよいよ 飾られます。


東京からの3世代。
中学生は寡黙です。3段1段中途で水分補給 本殿前で汗タラタラ。
72歳の祖母は 涅槃門で ダウン 登れません。四阿で休息・待機に。
母親は元気です。子を育て、母を介護の世代故か 元気バリバリで 又 語ります。

資料館は冷房完備で VTR鑑賞30分です。
「祖母を 資料館に案内すれば 元気回復するでしょう」に。
1時間後 軽い足取りで降りて来ました。
この後 何分? 何時間持つか? 暑さに負けないで 仙台を楽しんでください。


「1時間程度ガイドできます」と お声頂きました。
珍しく 有難い お客様です。
「20分で」が多い中で 3倍の時間でのガイドです。

ご夫人に「東北の優れた建物を見せる」と申し 連れて来た。
更に 反応が 並の人ではありません。奈良・東大寺の塔 免震構造 等を語ります。

「お客様 お仕事は?  棟梁ですか?」に
「イヤ 大工です」と返って来ました。
「宮大工ですか?」  否定されました。

が? 並の大工ではありません。棟梁 現代風では 工務店社長 です。

「昔の建築に 釘は使用した。涅槃門に釘が見える事 気にするな
釘は 鍛冶屋が打った。頭が真四角です。この釘の再現は 現代の技術で 出来ない個所もあります」等を話して呉れました。
後半 傾聴ガイドになりました。また 知識を お客様から頂きました。


本日 冷水と冷たいタオルを 保冷函に入れ 待機ベンチまで 持ち込 水を飲み 顔等を冷やしました。
効果抜群 です。明日も元気に。







inserted by FC2 system