2015年10月の日誌
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10 月 31 日 (土)  



寒気 を感じます。
厚めの外套で身を包んでいますが、
仲間は 「ガイドをしていないと トイレに行きたくなる」と 。

境内 紅葉が始まりました。
お客様は 絶対に 目が届かない時空に 深紅の枝が 出現しました。
明日 撮影に挑戦します。


特別ライトアップを 今年 開催されます。

期間は、11月20〜23日 と27〜29日
時刻は、16時30分から19時まで。

瑞鳳殿ガイドの会の仲間は、この日時には対応致しません。
ご自分の目で 心行く迄 ライトアップされた 紅葉を楽しんでください。
今年の紅葉は早いようですが、櫻花と異なり 枯れ枝になる事は無いでしょう。

公益財団法人瑞鳳殿では 近来 最高のポスターを作成・掲示しています。
「希望されても 在庫は無い」と断られました。


朝一のお客様
東京からの富裕層のご夫妻。秋保温泉奥地のグレードの高い宿に宿泊されたそうです。
秋保石(政宗公墓室の用材)の説明からスタートしました。

埼玉・大阪・神奈川からのお客様。ジックリ型。
特に神奈川は、小6の男の子 素直です。孫にガイドをしている気分でした。

マイッタお客様は、
「アツ 無料か 頼む。アッサリと」
「無料でも 丁寧・重厚に ガイドできます」
「イヤ アッサリと」

南部家領からのご夫妻でした。


午後 戦災復興記念館の講演会に。

主催 東北大学上廣歴史資料学研究部門
演題・講師

1.西南戦争と旧仙台藩士  
友田昌弘  東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門助教

2.日清戦争に従軍した「東北新聞」記者桜田幸治郎ー戦争情報はどのように仙台に伝えられたのかー
大谷正  専修大学文学部教授

3.誰が戦死者を祀るのか 近代仙台の慰霊と招魂
佐藤雅也 仙台市歴史民俗資料館学芸室長

130名定員の部屋に 160人位の聴講です。椅子を入れられず 相当数の方 立って聞いていました。
ガイドの会・仙台藩志会・その他 多数のお顔が。


友田昌弘先生の「西南戦争と旧仙台藩士」の講演のみ拝聴しました。
西南の役 鎮圧に 旧伊達家領内で 旧上級家臣の動向等を語れ 参考になりました。


先生は 「明治10年2月23日 内務省は 茨城・群馬・福島・宮城の4県から 主に 士族 を対象に臨時巡査2,600名召募と決定」と 講義されました。

この県以外からも 募集をしています。

質問を問われましたので 「この県以外からも 募集をしていますが 如何でしょうか?」と 質問しました。
他県(他藩)については 未調査との事でした。

講演終了後

「鹿児島派出萬記載簿 明治10年丁丑9月4日」と表紙に書かれ、
「同年3月6日に 7日試験をする」の通知を受け、先生の講義にあった 手当20円のほか 皆勤賞2円等を詳細に記録した 古文書的資料を保有しています。お見せ致し、

「先生の研究にお役に立つようでしたら」と 後日の連絡に名刺交換しました。



10 月 30 日 (金)  



政宗公は頑固?

本日夕刊の「河北抄」に、昨日河北新報1面記事の解説的記事が掲載されています。

要約すると

現在の丸森町筆甫付近で相馬家と領地争いと 相馬家が幕府に訴え 解決に何年か要した。
伊達家の交渉代表は 馬場出雲親成

政宗公の「絶対に譲ってならん」で、幕府との間に挟まり骨身を削った。
病気になり仙台に戻り、亡くなる直前、領地紛争は伊達家の主張の通り落着した。

信頼できる記録では 5品拝領したが 後2回に分け 献上(返却)している。

とあります。

丸森町郷土史家から

あの土地を理解するには 地図を開いて欲しい。
県境の線が 舌状に 凸状に 突き出た 部分です。

通常 境界は 峰・尾根 又は 川・水流等の 自然地形で定まるが ???の個所です。
政宗公が 現地を視察をしたの記録は????です。

何故 政宗公が 本地の領有を固持したか? わからない。
唯 欅の美林 地帯と云われました。

当時は、搬出・輸送の為の 林道・道路は 無かったようだ。

の内容のご教示が 夕刊配達1時間後にありました。
ご教示に感謝します。地図で確認しました。



10 月 29 日 (木)  



政宗公自筆画 梅に雀

唯一・現存の品?  
縦約85cm 横36cm 掛け軸 主に墨 雀の頬近くだけ 黄色に彩られている。
塩竈市の旧家で発見され、

元仙台市博物館館長の
濱田直嗣(絵画専門)は 「政宗公は絵を学んだ記録はない、狩野派絵師と交流があり 政宗公自筆と評価することに技術面で矛盾は無い」
佐藤憲一(古文書専門)は「絵は信憑性が高い、政宗公が絵心もあった事を証明する貴重な史料」
と指摘しています。

地元 河北新報 朝刊 1面トップに8段で 報じています。 



10 月 25 日 (日)  



参拝のお客様 続々

某旅行関係者は「今年は 仙台、宮城に訪れる方は多く、10月11月と尻上がり 増加傾向」と洩らされました。
この方 一見ご高齢ですが 現役のガイドだそうで 昨日迄 3日連続 稼働とのこと。オソレイリマス。

某有料ガイドの方 「初めてです。どうガイドし 対応したらよいでしょう」と 尋ねてきました。
オドロキ
「お宅の団体で 仕様書・マニアルが あるでしょう。私共 定点待機型無料ガイドですので、それでよろしければ」と  答えました。


アサイチ
庄内からの男女。
鶴岡と酒田の出身とのこと。

鶴岡は殿様の町 酒井様 酒田は商人の町 本間様です ね。
2人は 頷きました。

「酒井家の墓所 鶴岡城址から100mの至近距離にあります。但し 非公開で 石標で ここの様に廟ではありません」に、
初めて聞く話 の表情でした。

一般的 歴史の素養はあるようで あかとんぼのガイドを熱心に聞いて下さいました。


東京からの70代のご夫妻
「満足出来るガイドは 何分必要か?」
「40分頂ければ」
「時間  そんなに 無い 15分で」
「はい かしこまりました」

涅槃門から拝殿までは 大幅にカット 本殿中心に ガイドしました。
興味が モリモリ 湧いて来たようです。

「時間 オバー構わない もっと ドンドン 語れ」
本殿前で 語れる範囲 詳細にガイドしました。

涅槃門前で 「短時間で」 と申したのは 「たいした事 語れないだろう パンフレット位だろう」と 内心 値踏みされたのでは?

ガイド依頼のポイントとしては 
「スタートの時点で 時間に制限をしないで ガイドを聞いて 相性が悪かったら そこで断る」が宜しいと思います。 
カットした部分の再現は できますが。戻りになり 時間・歩行距離のロスが出ます。


千葉の建築会社

制服の運転手氏 「時間はたっぷりある。代りに頼む」

涅槃門の説明最後の頃 霊感が走りました。「建築関係のお仕事では?」 「そうだ」
それではと 「現在のこの柱は 青森ヒバです。唐草模様の彫 昔は白檀が用いられていました」 等 建築関係バージョンに切り替えました。

本殿外壁の劣化を 仲間内で指摘していました。

本殿で終わった時点で 運転手氏に頼まれた人数の 倍のお客様が聞いていました。


宇和島のお菓子

ガイド詰所の卓に 「どうぞ」と記されたメモと 宇和島のお菓子 2種類がありました。

W学芸員のお土産です。

「てんやわんや」の文字があります。宇和島市津島町に 獅子文六が疎開した時の小説の題名で 70年前に近い作品です。
今でも 後生大事 寶物としているのです。

18日宇和島市津島町からのお客様をガイドしております。19日日誌に記載した「伝統的建造物群保存地区」のある町です。
W学芸員は、作家獅子文六に、それとも 「伝統的建造物群保存地区」に 興味があったのでしょうか?

宇和島伊達博物館では、只今「仙台と宇和島 政宗からの遺風と両家の爛熟期」展を開催しており、公益財団法人瑞鳳殿から 何点か貸し出しいています。この関係の用務でしょう。

宇和島伊達博物館の本田館長から 関係図録を頂いております。
展示の人気等を W学芸員 御暇の折 お聞きしたいものです。




10 月 24 日 (土)  



瑞鳳殿 62石段

河北新報朝刊の広告を御覧ください。
下段半頁の写真です。

紫陽花の咲き始めの季節 瑞鳳寺幼稚園児らしき児が母親と手をつなぎ 62石段を登っている景です。


瑞鳳殿62石段は 景になります。
あかとんぼ も何回か 撮影に挑戦しております。

今回の写真は 硬い石段ながら やわらかい 母の愛 が表現されています。


伊達学塾

演題  歴史ある大年寺山と仙台藩の史跡活用


仙台藩の史跡を如何に活用するか 表舞台で真剣に討議・実行に移されているを知りました。


極めて有効な精細な資料で語られました。注目したのは 日付け・発信先 明示の下記内容の資料です。

大年寺山公園整備に幾ら要したか? 1990〜2015年まで9938百万円で 内8840百万円が用地費
青葉山石垣整備事業に、4703百万円を要している。

瑞鳳殿の整備について 
1.瑞鳳殿の再建時 2億5160万円が瑞鳳殿再建期成会に補助金として仙台市が支出
2.感仙殿・善應殿の再建時 2億円を 財団法人瑞鳳殿に仙台市が支出
3.三殿の改修は 公益財団法人瑞鳳殿が自己資金で実施
4.経ケ峯一帯の維持は 公益財団法人瑞鳳殿が事業として実施
5.公益財団法人瑞鳳殿・管理事務所に仙台市からの補助金の支出は無い



10 月 23 日 (金)  



朝一発

9時。後述会合で 持ち時間30分。
お客様は 壮年のご夫妻に娘さん。躊躇しています。

「両親は日本語理解出来ません。私は 多少なら理解出来ます。ガイド出来ます」

東北大学工学部建築科の留学生との事。
涅槃門・本殿の建築美に絞り ガイドをしました。
理解して頂きました。
もっと語りたいと時計を見ました。時刻は9時30分 タイムアウトです。

麒麟・飛天・独眼竜等 どの様に認識されているか 聞きたかったですが、残念でした。


伊達の文化・・・講演会

講師  伊達家18代当主 伊達家伯記念會会長 伊達泰宗 氏
演題  伊達の文化について
会場  片平市民センター
時間  10:00〜12:00
主催  片平市民センター
回数  全5回

講演内容
打ち解けられた雰囲気に中で、ご当主のお人柄 そのままで 伊達家の文化と現代。世相に見られる 伊達文化について、感じておられる事を語られました。

政宗公の御遺徳を敬う を 超えた 商業行為(オニギリ丸、ズンダ餅等)に 些かの懸念を あかとんぼ は感じ 時折 ガイドの際 洩らしていました。

あかとんぼ 初めて聞いた「いかがなものか?」の 事例があるを知りました。

政宗公35歳が 戦国武将から近世大名えの転換点である。(35歳とは1601(慶長6)年 仙臺城普請始め)

最後 まとめ として、曽祖父伊達邦宗氏の遺訓 「人間はいつ 如何なる時も 歴史を忘却して・・・・・」を 語られました。
全文 メモ出来ません でした。「伊達家史叢談」開きました 見つけられません。
後日 追記致します。

8月3日のまさむね塾(主催 公益財団法人瑞鳳殿)での内容以上でした。


講演後 ご当主を囲み、仙台藩志会柳沼部長、仙台藩志会柳沼部長 早川センター主任で 伊達家作法等について懇談致しました。


次回は
11月13日(金) 瑞鳳殿 をご当主が案内されます。
9時50分迄 瑞鳳殿駐車場 集合です。

ご当主の瑞鳳殿での案内終了後 ご希望の方を あかとんぼ が感仙殿地区等をガイド致します。


午後 瑞鳳殿にて 富田事務局長と
仙台藩志会柳沼部長が 仙台藩志会との関係
あかとんぼ が 瑞鳳殿ガイドの会の運営
について 意思疎通を 行いました。



10 月 22 日 (木)  



俗称・冨澤大學 (郷土を愛する歴史の会) 修学旅行に参加。

行先は 平泉(平泉文化遺産センター・中尊寺金堂・毛通寺・達谷窟毘沙門堂・一関市博物館)

参加理由と結果は、
1.毛通寺の券売場が 一関・田村家で 唯一 残っている史跡と聞いていた。
 これを ゆっくり 見たい。
 有料ガイドの説明を上の空に 写真撮影して来ました。

2.1189年以来治世し1590年没落した 「葛西氏」についての一関市博物館の展示を見たい。

でした。
一関市博物館では、学芸員が 狭い展示室で 長時間解説して下さいました。
瞬間の判断力が低下しましたので、図録「葛西氏の興亡」を購入 帰路のバスで熟読しました。

いずれも 満足しました。


今回の修学旅行は、ハプニング続きで 世話役・幹事さん 大変でした。



10 月 21 日 (水)  



お客様は満足されたか?

ガイドが終わった時点で、お客様も ガイドも 満足感を得て居なければ ならない。
これは、プロであれ、有料・無料のボランティアであれ 同様であると思います。

ガイドの都度 何処から・年代・性別・人数をメモしています。
日誌を書きながら 本日のお客様に 満足して頂いたか 反省をしています。

後を引いているのは、18日日誌
「1636年から2015年迄 380年を圧縮し 時間経過を無視し 質問された方」です。

涅槃門の彫刻を説明した際、「1979年に再見したものです」 と申し上げたに関わらず 「誰の作?」と左甚五郎を期待した 質問振りでした。
本殿前に到達した際、豪華な彫刻を説明しようとした途端、「この花瓶の材質は? 父の持って居るのに似ている 鑑定団に出したら」と

政宗公・豪華な建築美・御霊屋に 全く関心・興味が無いと感じました。
「どうも」の一言があり  御霊屋内部の説明をする余地なく ガイドは終わりにしました。


夕食の際 お客様に満足頂けたのか ブツブツと 洩らしたら

「高齢女性には 連れ合いに先立たれ、子供に独立され 話し相手が居なくて 孤独で 時間が止まった人がいます。
政宗公・豪華な建築美・御霊屋と自己中心のガイドでは無く 聴き取りボランティア位の余裕が 無ければ また すれ違いがあるでしょう」
と云われました。
なるほど



明治青年大学で 「傘寿のお祝い」をしてくれる連絡を頂き 行きました。
会場に 誰もいません 帰宅しました。

午後 ガイドの会の仲間から 「傘寿 と名前が発表されたが 姿が見えない」と 電話を頂きました。

案内状には 日 の記載がありましたが 時刻の記載ありませんでした。時刻が 記憶した時刻でなかったのです。
主催者に 事前に確認すべきでした。

ガイドの際 年月は 言い間違いしないように 注意しています。
80年に1回の 機会を逸したは 不覚でした。



10 月 20 日 (火)  



秀宗公 生母

10月17日佐藤憲一先生は博物館での講演会で「秀宗の母について」と 項を立てられ 解説して下さいました。

なぞ がある わけです。

宇和島伊達博物館から頂いた資料では、

飯坂氏(父は飯坂右近宗靖)OR新造方(父は六郷伊賀守)。
諸説あり特定できない。
新造方が有力。
没年は、慶長17(1612)年4月22日
戒名は、心月妙圓⇒龍泉寺殿心月妙圓大姉
墓所は、松島瑞巖寺・龍華山等覚寺
とあります。
(2007年3月訪宇時 宇和島伊達博物館山口美和学芸員提供) 


佐藤憲一先生は、
母は政宗の側室 新造方
新造方の出自は、飯坂盛衰記には元・新庄城主六郷伊賀守娘とある。これ以外出自を記した資料は無い。
新造方の没年は、飯坂盛衰記では慶長8(1603)年とし、法名・墓所は不詳。
貞山公治家記録・秀宗公不審抜書では慶長17(1612)年4月22日、法名は心月妙圓。
飯坂盛衰記では 飯坂宗靖室の誤りとしている。
六郷氏の娘が、なぜ政宗公の側室になったか?


新造方は 慶長17(1612)年4月22日に亡くなったは良いが、何歳で亡くなったか?生年を知りたい。

秀宗公は、天正19(1591)年9月26日に生誕。
母親は何歳で出産したか? 政宗公は母義姫19歳の子である。
新造方も19歳で出産されたと仮定すると 元亀3(1572)年に新造方が生まれたとなります。


六郷氏は、
藤原南家流れ。
羽後國仙北郡六郷邑(現 秋田県仙北郡美里町六郷)を発祥の地とする。
横手城主小野寺義道配下 仙北七人衆。

慶長5(1600)年関ヶ原の戦時、東軍に組し小野寺義道、秋田実季を攻める。
その功により、5千石から 常陸国府中1万石に転封。
当主は、政乗34歳 官位・通称は 従五位下 兵庫頭。

元和9(1623)年 政乗56歳 1万石加増 出羽國本荘2万石に転封。
寛永17(1640)年 子政勝 32歳 従五位下 伊賀守に。

政宗公と六郷政乗の接点は、天正18(1590)年 小田原参陣と 考えられる。
この時 新造方は 18歳。
六郷政乗は 伊達家との軍事同盟を目論見 娘を政宗公に贈ったか?

六郷政乗は秀吉から 仙北中浦郡の内 4518石の知行が認められた。

「飯坂盛衰記には元・新庄城主六郷伊賀守娘とある」とあるのは?

飯坂盛衰記が表されたのは、寛文11(1671)年の寛文事件以後、秀宗公生母が亡くなって68年か59年経過している。
関ヶ原の戦から71年を経過している。

天正18(1590)年 小田原参陣時 六郷政乗は秀吉から 仙北中浦郡の内 4518石の知行が認められた。
仙北北浦郡の44350石を戸沢氏は秀吉から知行が認められた。

そして関ヶ原の戦いの結果、常陸國手綱40000石に転封。更に、元和8(1622)年 出羽國新庄に 譜代として60000石で 転封。(出世?)


氏名・官職・領地名等を 記録の精査の無いまま 伝承を元に 一蓮托生に
 「新庄城主六郷伊賀守娘」の記述(太字が 誤記)になった
と あかとんぼ は判断します。



10 月 19 日 (月)  



金ケ崎要害

 昨朝 宇和島・津島町のお客様とお話をした際 思い浮んだのは「伝統的建造物群保存地区」
伊達家領内に 武家屋敷が群で残存しているのは 金ケ崎要害を取り巻く「城内諏訪小路重要金ケ崎町伝統的建造物群保存地区」のみでは?

 金ケ崎要害は伊達家領内藩北限で、南部家と国境を接していました。国指定史跡「南部領伊達領境塚」があります。

 金ケ崎要害は、胆沢郡金ケ崎村に所在、拝領者は 寛永21年から一族 大町定頼253貫584文で、家中屋敷109 寺屋敷2 足軽屋敷64と記録されています(要害所在拝領屋敷改牒・寛保3(1743)年・・・仙台藩歴史事典による) 

 あかとんぼ は 伊達家領内で ここが一番 要害としての集落が 現存して居る地区と 思っています。
 ガイドの会の来年の研修先の推薦先の一つです。

 



10 月 18 日 (日)  



行楽の秋 友引

お客様の出足は早く 同期会等 大小の団体 続々。

開門と同時のお客様 11時からの甥の結婚式・披露宴の前に参拝したかったのご夫妻。

宇和島からとの事。
「秀宗公宇和島入部400年、歴史姉妹都市40周年記念で 伊達博物館で見ららない名寶の数々が 仙台市博物館で公開されています。和霊神社もあります」に 反応がイマイチ。

「今 宇和島市ですが、津島町です」 

「はい 存じております。訪れております。確か 65年前 獅子文六の小説(てんやわんや)の舞台となった町で、伝統的建造物群保存地区指定を目指されて町で、日本の原風景を感じさせる町ですよね」

宇和島では、「仙臺から来ました」と自己紹介される方 多々います。
仙台市博物館館長も 10日の講演会挨拶で 「料亭で接待して頂きましたが、女将さんが(仙臺から来ました)と申すので 聞き出したら 秀宗公に随行した者との返事でした」と語りました。

あかとんぼ 2007年の櫻観測隊の際にも 同様に櫻の木の現場で挨拶された経験をしております。

甥の結婚式 と 政宗公の墓前 参拝に気分が高揚されたか 「先祖は 武士では無く 商人として秀宗公に随行しました」と語らました。
400年経過 再び 仙臺と宇和島のきずな が結ばれようとしています。

参考
伝統的建造物群保存地区とは
文化財保護法でいう伝統的建造物群保存地区とは、城下町・宿場町・門前町・寺内町・港町・農村・漁村などの伝統的建造物群およびこれと一体をなして歴史的風致を形成している環境を保存するために市町村が定める地区を指す。この制度は、文化財としての建造物を「点」(単体)ではなく「面」(群)で保存しようとするもので、保存地区内では社寺・民家・蔵などの「建築物」はもちろん、門・土塀・石垣・水路・墓・石塔・石仏・燈籠などの「工作物」、庭園・生垣・樹木・水路などの「環境物件」を特定し保存措置を図ることとされている。

市町村は都市計画法に基づく都市計画または条例により伝統的建造物群保存地区を定め、文部科学大臣は市町村の申し出に基づき、その価値が特に高いものを重要伝統的建造物群保存地区として選定することとされている。2015年(平成27年)7月現在、日本全国で43道府県90市町村の110地区が選定されている。


ハンドバック

五色乱星模様のバックを下げられたお嬢さんが涅槃門を撮影されています。

五色乱星模様の手提げバックを持参されるのは 肥前様です。
お嬢さんで 五色乱星模様のバックとは 珍しいのでお声をかけました。

伊予・松山の方で 既に10数回参拝に訪れている。仙台市博物館売店で五色乱星模様の風呂敷を購入し、京都のハンドバック工房に持ち込み 作って貰った。工期は3ケ月程。工賃は教えて頂けませんでした。

瑞鳳殿売店の五色乱星模様風呂敷は、金色の竹に雀の家紋が入っています。
金色の竹に雀の家紋は バック化は 遠慮されたのでしょうか?

長靴下の色 紫色です。
五色乱星模様陣羽織の地も 紫色 です。

お部屋の壁は 五色乱星模様陣羽織の紫色です。

バックは 瑞鳳殿参拝専用 と洩らされました。
色落ちします。また、他所では 特製の 政宗公由来のバック 凄いと賛美される人は居ないでしょう。
訪瑞鳳殿専用とされたのでしょう。
携帯で 撮影しましたが 本頁に掲載の方法が知らない。マイッタ。
 


9時から12時まで 一服の余地無くガイド。

1636年から2015年迄 380年を圧縮し 時間経過を無視し 質問される方。
ガイド中に関わらず 突然割り込み 別件を質問して なぜ 答えないのか の 天下人の方。
今日も 様々なお客様に 楽しませて頂きました。


ガイドの会副会長とのホウレンソウ
1.仙台観光国際協会に10月6日開催勉強会結果報告の件
2.ボランティアガイドネットワーク研修参加者確認と報告の件
3.伊達家御当主講演会参加者確認と報告の件
4.公益財団法人瑞鳳殿からの連絡事項の確認
5.その他




10 月 17 日 (土)  



宇和島伊達家の名寶展

豊臣秀吉画像(重要文化財)
銀伊予札白糸威胴丸具足(重要文化財)
を じっくり鑑賞。

続いて
伊達政宗甲冑倚像(宮城県指定文化財)、黒漆五枚胴具足(重要文化財)、伊達政宗画像(仙台市指定文化財)から宇和島伊達家に伝来した美術品(特に婚礼調度品)の 家紋を注目 拝見しました。

読者 肥前様から 「鍋島家の御姫様が 宇和島伊達家にお嫁入りした際に持参した鍋島家の家紋入り 立派な調度品 仙臺で見られて感激した」と メールを頂いておりました。

(71)黒塗雪輪杏葉紋散蒔絵文箱、(72)黒塗雪輪杏葉紋散松竹橘文蒔絵長髪函、(73)黒塗雪輪杏葉紋散松竹橘文蒔絵竪目録箱、(74)黒塗杏葉紋散竹に牡丹蒔絵棗、(75)黒塗杏葉紋散に牡丹蒔絵中次、(76)黒塗杏葉紋散に牡丹蒔絵茶箪笥

に鍋島家の家紋(杏葉紋)入りで、その塗は 素晴らしいものでした。
肥前様からの教示が なければ 見逃したでしょう。

婚礼調度品の圧巻は、(82)花菱月丸扇紋散蒔絵三棚 でした。
安政3(1856)年 久保田・佐竹家10代義厚の姫 佳姫が 宇和島伊達家9代宗コ(ムネエ)に嫁した時の調度品です。
足が止まりました。

名寶を 図録で再見。 語彙不足と評されるが 「素晴らしい品々」


講演会

講師 佐藤憲一氏
演題 伊達政宗公と秀宗 親子の絆
日時 17日13時30分から
会場 博物館ホール

概要
0.伊達秀宗とは
1.秀宗の母
2.豊臣秀吉と徳川家康の人質として
3.婚約と結婚
4.宇和島10万石の藩主に
5.政宗との確執・不和
6.和解
7.秀宗の性格
 真面目・堅物・・・・・幼年期の人質生活が影響していないか?





10 月 16 日 (金)  



黄檗宗

主催 若林市民センター
講師 福島美術館 尾暮まゆみ 学芸員
演題 仙台の黄檗宗と観心院さん
日時 15日13時30分から

大年寺は、黄檗三叢林の一つ。
4代綱村公により 1697(元禄10)年開基しています。

他は
山口県萩市 東光寺 で1691(元禄4)年 毛利吉就(36万9000石)により開基しています。 
鳥取県鳥取市 興禅寺 で1693(元禄6)年 池田光仲(32万石)により開基しています。

東光寺 で毛利家墓所をお詣りしております。
東光寺の境内は広く 山門・本堂等 豪壮でありました。
これを見て 大年寺の絵図の見た仏閣を 頭脳に再現しました。 今は無き大年寺んの豪壮な仏閣に 思いをはせていました。

32万国から37万石 そして62万国の大名が 黄檗宗に帰依するだけでなく 豪壮な仏閣の建造に至った 経緯を知りたかった。
幕府から 身の程知らずの 投資と規制されなかったのか?

講座の趣旨と 異なる故か 語られませんでした。当然です。
講義には 満足しました。



10 月 15 日 (木)  



仙臺城址をさぐる

主催 明青大史学部
講師 仙台市博物館 菅野正道主幹
日時 10月15日9時30分〜11時40分
行程 三の丸〜長沼〜巽門〜酒蔵屋敷〜清水門〜沢門〜北面石垣〜詰門〜本丸〜騎馬像〜中門〜中島池〜土橋〜脇櫓〜大手門から五色沼〜軍馬慰霊碑〜子門

記録事項
1.萩   館前庭の白萩は 政宗公が大悲願寺に所望したに由来する。(書簡あり)
      さて 県・市の花である萩は、赤色しか無かったのか? 白萩は無いのか?
      さて 政宗公は 江戸屋敷に それとも 仙台城に植えたのか?

2.土塁  子門から子門方向に 低くなっているが 土塁の向こう側 長沼から観察すれば 高さが変わらないが確認出来る。
      確認 納得。
       この勾配でも 武装した兵隊では 登るに困難との事。

3.巽門  門の外 廣瀬川方向を 絵図と対照されたい。L型 土塁と堀があった事理解できるでしょう。
      その先は、廣瀬川を 花壇橋を渡り 花壇屋敷に至った。
      ここ巽門が 初期には正門であった。
      この付近の道路は 騎馬像建立工事の際 現在の様に変更された。
      本来は 巽門を潜り 清水門の石垣に突き当たった。歩いてみて 納得。

3.清水門石垣 何度か崩れている。原因は 上部の湧水の越流にある。遮断壁を設置したが?

4.沢門  門の向きに注意されたい。
      案内板の表示内容 正確か? 明青大史学部生なら 確かめて欲しい。
      城址の案内板の 見方を教えて頂きました。 知りたい方はメールください。

5.北面石垣 角石の組み合わせ、研磨、角度、大きさに注意されたい。現場説明で納得。

6.本丸  最近まで 本丸ではなく 天守台 と呼称されていた。 天守閣が存在しなかったは了知の事。
      天守閣用地の個所 国分氏時代の城址では? 最高地です。
      本丸面積は 他の城郭に比較して 広い方である。
      発掘の結果 凹凸の在った土地と確認されている。

7.中門  石垣は何度か補修されている。
      ここに 時を告げる 大砲 ドン が置かれていた。

8.土橋  中島池から五色沼に 引水の為の人工河川。
      二の丸の池が 本来の中島池の残存池。

9.五色沼 絵図面より大きい。スケート場にした時 拡幅したのでは?

10.子門  博物館新築時 拡幅しています。

感想
秋晴れ 温暖で 且つ 理解容易な語り口の 講義・説明で  参加してヨカッタです。
騎馬像の戦陣から傷痍軍人になり復員した経緯 これまで 書面で 知っていた以上の事柄を 教えて頂きました。
面接授業の有効性 大切さを 感じました。



10 月 13 日 (火)  



ガイドの内容

昨日 東京のお嬢さんからのご依頼でガイド開始 1分位経過した所で 50〜60代のご婦人がお嬢さんの傍に張り付きました。
涅槃門の麒麟の彫刻の説明を終えた時点で、「 お嬢さんが納得されるなら ご一緒にどうぞ」

お嬢さんの「どうぞ」に 「今 見てきた。聞いて来た 要らない」 誠に単純明快 素っ気無いご返事です。

お嬢さんは、政宗公の御生涯については関心はあまりなく、目の前の絢爛な色彩・彫刻に興味があるとの事で 瑞鳳殿の歴史から透かし彫・龍頭・御木像等 の美術・工藝を中心にガイドしました。

ガイドを断った ご婦人 結果的に 本殿まで 張り付き 高い音声を発しています。
最後に 「内容が個性的」と言い残し去って行きました。

あかとんぼは 現在は 学校の授業スタイルでのガイドでなく、個人対応型学習塾スタイルでガイドしています。
お客様の 求めているもの 興味あるものを 聞き出し ガイドする様に努めています。

プロの通り一遍的な ガイドに為らないように心掛けています。
それが「内容が個性的」と云われるなら それで結構です。


看板記載内容に 住民は発言をする

先般 亘理の要害跡を 亘理町生涯学習課菅野達雄文化財班長のご案内で見学致しました。

3本の説明板が立っていました。
1.旧亘理要害(御舘)本丸跡 平成14年3月 亘理町教育員会 亘理町文化財保護協会
2.亘理要害(臥牛城)      平成3年3月建立 亘理町教育員会 
3.亘理神社の碑(伊達成実伝) 昭和62年9月再建 亘理町教育員会


このどの看板か不明ですが、

「亘理要害跡」と誤った看板の建立についての修正を 町当局に 亘理郷土史研究会では 行っていた。
その経緯を平成18年10月発行会誌97号から27年4月113号まで報告・掲載して来た。

今般 町教育長から
指摘している看板の書き換えは、
@ 吝かでないが、その時期が来るまで
A 暫くの間 待って
の回答を得た。

と亘理郷土史研究会 会報 「郷土わたり」114号に記載ありました。

「わが故郷は名実ともに城下町」と標題がついています。

あかとんぼ の疑問
亘理町教育員会 は 何故 町民の陳情に 回答が13年も要するのか?
「吝かでない」と 言いながら なぜ実行しないのか?

看板の内容(ふるさとの名誉)に 13年も陳情を 続けてた亘理郷土史研究会に 敬意を表します。



10 月 12 日 (月)  



3日目

道路はすいています。毎日定時に出発します。今日は短時間で、早めに到着しました。
窓口嬢
「あかとんぼさん 今日は早いネ」
「ハイ 張り切っていますから」と答えましたが 真相は 東北大学病院が休診で渋滞皆無故です。


朝一は京都からの 3世代。
小2の孫 その両親  更に その両親。一人の孫 2代遡れば 2の倍数 となり 計8人での参拝です。

小2の孫を 中心にガイドしました。この方式 爺婆は 孫が1人前に扱われていると 喜ばれます。


小学校の学期が2期制となり 上期が10月8日で終わり 14日まで 休み とか 小学生を同伴される方 目立ちます。

福島中通り地方からのお客様も 小1と4年生でした。


2017年8月 ガイドを予約出来ないか?

「高等学校新聞部の 全国大会が開催される、その際 瑞鳳殿の見学(参拝)を計画に組み入れたい。
ついては ガイドの予約 今できるか?」

宮城県立工業学校の先生と称される方から お話がありました。名刺・身分を証するもの不携帯でそうで 職・氏名は不詳です。

「そもそも 我々は 予約を受けていない。しかし 高校生の学習であれば 無料で 対応したい。
再度 相談を頂きたい。 その時の責任者に連絡し ご期待に応えたい」と 名刺を差上げました。

1965年以前 在学した高校の新聞部にあかとんぼは在籍・活躍しました。懐かしい。
母校の後輩が 参加し 訪れるなら ぜひ ガイドしたいものです。


亘理伊達家・伊達市伊達家3代目 伊達元成氏
昨夕 東北大学片平さくらホールで 「北の大地で砂糖を作る 仙台藩士のあまいくわだて」と題して講演会を開催しました。

聴講予定でしたが 連日の稼働で疲労激しく 止む得ず 欠席しました。

本日は、東北歴史博物館で 「平家物語が語る源義経」と題する講演と平曲「老馬」の演奏がありました。
参加の予定でしたが 疲労を感じ 欠席しました。





10 月 11 日 (日)  



又 休日 三連休

中日 出足は ゆっくりです。
10時過ぎると ムクムクの感じです。

あるガイドの団体の責任者と会話する機会があり、7〜9月の活動状況が話題になりました。
平安時代と江戸時代と現代と 三時代の史跡がある場所でのガイドをされています。
そのやる気に敬意を表しております。

瑞鳳殿は江戸時代と現代と 二時代の史跡でガイドをしています。それでも完璧ではありません。

その方が「お客様は 雨が降っても 来るのね」と 驚いていました。

お客様は 「旅行に出る」は 計画立案から実行に至るまで艱難辛苦(楽しみ)の上 天災が無い限りお出でになります。 

今朝 一番9時の団体客は 「常陸から 2時間で来た」と申されていました。
早朝の自動車道は 飛ばせるのでしょうか?
それにしても 昔の旅人と同じです。日の出と共に旅立は。


ご婦人から 伊達8家紋についてお尋ねがありました。
三引両の説明で 伊達家の始まりに至りました。

「常陸の国とは 茨城県よ私 水戸から来ました。子供が〇〇学会で発表しているの」
歴史を語るボラガイドから 聴き取りボラガイドに変身。



10 月 10 日 (土)  



戊辰の役 147年祭

10時から 戊辰の役弔魂碑 前で斎行されました。

主な参列者は、
伊達家十八代御当主 伊達泰宗 様
戊辰の役殉難者後裔 坂和夫 様
仙台市長 (代理経済局観光交流課長 今井史(オサム)様
仙台市議会議長 (代理副議長安孫子雅浩) 様
宮城県議会議員 中澤幸男 様
公益財団法人瑞鳳殿常務理事・事務局長 富田律夫 様

仙台藩志会会員・市民 50名程参列しました。

式辞(要旨)
 本日ここに、戊辰の役殉難者147年祭を弔魂碑 前で挙行するにあたり実行委員会を代表し、謹んでご挨拶を申し上げます。
 
 戊辰の役は慶応4年(1868)の京都鳥羽伏見の戦いから明治2年の函館五稜郭の闘い迄 16ケ月にわたり国内にて東軍と西軍に分かれての内戦でありました。

 この内戦は特に甲信越、東北、北海道での戦いは壮烈を極めました。この戦いの中で国元を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、遠い異郷の地で亡くなられた全国13000余りの方々に想いを馳せ、ここに心からご冥福をお祈り致します。

 御霊は生まれ育った故郷を後に家族を残し、また地元でも國の為に出陣して戦いました。
 互いに國の為を思い一命を捧げられました

 今、私たちがこうして平和と繁栄を享受できるのも尊い犠牲の上に築かれていることを深く認識し殉難者の方々に深く敬意を捧げるものであります。

 殉難者の御霊がとこしえに安らかならんことを お祈りし 本日ご参列の皆様の平安を心からご祈念申し上げ 式辞と致します。

 
 戊辰の役殉難者147年慰霊祭実行委員会 仙台藩志会有志 伊達宗行


実行委員会から何故かの下命で 8時20分に会場入。
会場整備と駐車場に写真記録の係 

本日の式辞の内容 事前に漏れていたのか?
「全国の戊辰の役殉難者後裔が集まるそうだな?」と乗り入れた殉難者後裔がいました。

ある地方政界の有力者は「3年後 150年祭は最大に開催する。地元報道機関のトップが 広報すると申していた」と 有難い発言がありました。


読者 肥前様 戊辰の役147年祭参列と宇和島伊達家の名宝展見学に 駆けつけて下さいました。


午後 仙台市博物館に移動 

特別展「宇和島伊達家の名宝展」関連講演会
演題  宇和島城とその城下
講師  愛媛大学名誉教授 内田九州男 氏

に参加。その内容は、
@ 宇和島城天守閣の土台石垣 天守台の謎に挑む
A 宇和島城下絵図屏風から 城と町を探る

宇和島の町 1ケ月 自分の足で歩き 確かめた故か 講演内容は よく理解出来た。


市史さんだい VOL25 が発刊されました。

内容は
1.仙台市史 刊行を振り返って
2.戦後70年
3.論文 幻の鉄道 大正期における仙台周辺の鉄道整備構想 菅野正道 著

3.論文は ある講座で菅野先生の講座を聴講しており 今度は 目 から吸収します。
1と2にも おもしろそうです。

仙台市史は25年をかけて刊行されました。この「市史せんだい」は 最終号でしょう。
仙台市史編さん事業の25年略史 が2頁に亘り掲載されています。これは公式のもの。

その青春 25年を市史編さんに投じられた 過ごした方の 自分史的のもの 機会がありましたら 発表して頂きたいものです。
苦労と楽しんだ 事など。



10 月 9 日 (金)  



宇和島伊達家の名宝展 

本日 開幕。

8時30分 開展式典
仙台藩志会広報及び報道機関・宇和島コミニテイ誌「きずな」枠で臨ませて頂きました。

仙臺伊達家と宇和島伊達家 両御当主のご挨拶の様子は 表紙に掲載致しました。

式典に続いて 展示を拝見しました。

2009年に櫻観測隊で滞在した際、何回となく 宇和島伊達博物館を訪れました。
その際にも 拝見出来なかった
 「豊臣秀吉画像 狩野光信筆」 慶長4(1599)年2月18日と制作年代の判明する秀吉像として最古。
を拝見。
宇和島市民も見る機会が少ない(期間限定公開故)とのこと。
来秋 東京の博物館で公開が決定しました。東京にも どうぞと 宇和島伊達事務所の役席が申していました。

この画像の外で 現・宇和島伊達家御当主伊達宗信様と支倉常長18代常隆氏との ツーショットを 許可を得て撮影しました。
その際 仙台藩志会会報に掲載する場合は 事前に許可を 得る様に 釘を刺されました。
当然伊達宗信様と支倉常隆氏のご了解を頂かなければ 掲載は出来ません。
唯 会場 フラシュ禁止です。 あかとんぼ の技術では 掲載できる写真は撮影出来ませんでした。

伊達宗信様から 直々で お話を頂きました。初めてです。 何回となくお会いしておりますが。

宇和島伊達家では 4万点所蔵している。今回 その中の名宝を仙台に持参致しました」との事でした。

水野沙織学芸員が 各展示の前で 解説をしておりました。聞きたかったが、
仙台市長・河北新報社長等 名士が拝見しており 精神的に落ち着がず 日をあらためて見学する事に致しました。

「歴史姉妹都市締結40周年記念特別展 宇和島伊達家の名宝 政宗長男・秀宗からはじまる西国の伊達」と題する図録を頂きました。
又、宇和島伊達博物館本田館長から「歴史姉妹都市締結40周年記念秋季特別展 仙台と宇和島 政宗からの遺風と両家の爛熟期」展を含む
宇和島伊達400年祭特別図録」を 頂きました。

貴重な参考図書です。勉強させて頂きます。感謝です。


宇和島コミニテイ誌「きずな」のK編集長は、ご当主出立ち後 11時まで時間に余裕があるとの事で、本日 秋季例大祭が斎行する 青葉神社の案内致しました。

青葉神社の祭神は 政宗公です。秀宗公の親は政宗公です。
片倉家 現当主 片倉重信 様に お会い出来ました。幸いでした。

K編集長は 瑞巖寺と和霊神社の取材を午後に、その前 某金融機関トップに取材との事で 本店前で送りました。



10 月 8 日 (木)  



宇和島伊達家の名宝 展  

明日から仙台市博物館で 仙台・宇和島 両伊達家御当主による テープカットで開幕します。

その先駆けで 
伊達家事務所・公益財団法人伊達文化保存会の N事務局長
コミニテイ誌「きずな」の K編集長
が訪仙する。
政宗公関連施設を 案内して欲しいと 宇和島のある筋のトップから ご依頼がありました。

@瑞鳳殿を中心とする経ケ峯 A國寶大崎八幡宮 B 仙臺城址(二の丸・本丸・三の丸)の順でご案内致しました。

N事務局長は 昔言葉で 宇和島伊達家の家老 です。 瑞鳳殿も何回となく参拝されております。両家の歴史には精通しております。
K編集長は 宇和島は別として 仙臺伊達家の史跡については それなりの知識とお見受け致しました。

K編集長に語る内容には、N事務局長には「釈迦に説法」の内容があります。
舌を噛む 個所もありながら ご案内しました。

午後、K編集長は 明日からの「宇和島伊達家の名宝展」の準備作業と担当学芸員の取材。
作業上から展示会場は入室禁止で、  N事務局長と(あかとんぼ)は 暫し長時間の待機。

コミニテイ誌「きずな」の残る取材予定先は
◎ 明日のテープカット @ 和霊神社 A 山家家和霊神社  B 瑞巖寺  
で、 時間的に とりあえず B 瑞巖寺 となりました。

@ 和霊神社 A 山家家和霊神社 の所在 おわかりですか?

@ 和霊神社 は 一番丁の某店 屋上に所在し 警備員の案内で参拝するシステムです。
A 山家家和霊神社 は 直系でない山家家のお屋敷(泉区)にあります。
   (あかとのぼ)は、仙台藩志会の会報「きずな」の編集で今春に知りました。

仙臺に 和霊神社が 2社あるとは 地元では知られていませんが 宇和島の方は 御存知です。脱帽です。



先般10月6日 丸森町の郷土史家E氏から 瑞鳳殿にと 託された 竹の杖 50本を 本日 U副会長が 奉納しました。



10 月 6 日 (火)  



伊達家御一門を知る 第3回

瑞鳳殿ガイドの会では、2013年涌谷・登米 2013年宮床・岩出山 の伊達家御一門の御霊屋・廟所と要害址を訪れ、地元 教育委員会職員、郷土史史家、御住職様から 懇切な御教授頂き 学習しております。

2015年は 本日 「角田石川家・亘理伊達家の御廟所と要害址を訪ねる」と題して、公益財団法人瑞鳳殿加藤学芸員、当会顧問、会員36人中24人人の計26人が参加し、次の様に 見学・学習しました。

1.政宗公初陣の地 丸森・小斎城物見櫓を E郷土史史家、小斎まちつくりセンター所長・職員のご案内で見学。
2.金山城(車窓)、丸森城(車窓)から U郷土史史家の解説で

3.角田市郷土資料館 A学芸員解説で 要害図ほか
4.長泉寺  御住職の解説で 石川昭光公御木像、殉死者像等 拝見

5.石川家御廟所 角田史談会 会長・副会長  ご案内で 参拝
6.角田要害址(車窓)から k副会長の解説で

7.亘理町郷土資料館、大雄寺・亘理伊達家御霊屋、亘理要害址を 亘理町郷土資料館K館長、亘理郷土史研究会会長以下7名のご案内・解説で 参拝・見学。

ご案内 解説して下さいました 地元の皆様 ありがとうございます。


自動車道で工事に伴う渋滞で 到着が20分 遅延しました。
小斎まちつくりセンター、角田市郷土資料館の皆様には 早口解説をお願いする 不手際を致しました。申し訳ありませんでした。

k副会長、小斎郷土史史家には 分厚い資料を また、長泉寺御住職、亘理町郷土資料館、亘理郷土史研究会からは既存パンフ以外にも資料を作成頂きました。ご厚意に感謝致します。ありがとうございました。



10 月 4 日 (日)  



お客様 寸景

1.開聞と同時、女性の独り旅。
 手水舎の家紋を撮影しています。「伊達家の家紋です」
 「ハイ 知って居ます。伊達八家紋ですね」
 スタスタ 涅槃門を潜りました。

2.横浜の老人。難しいお顔をしています。「1人でもよいか?」
 ガイドを始めましたが、依然として 難しい顔をしています。
 涅槃門の前半で 「どうも」とボソリ。
 ガイド 気に入らなかったようです。

3.横浜からの老婦人。
 「何も知らないで来てしまった。ゆっくりガイドしてください」
 「はい」
 「ところで、10時のバスに乗ります」 現在9時40分。
 高齢者は バス停迄 10分見込まないといけません。ガイドを聞ける時間は10分間。

0.ガイドブックには 見学所要時間 40分と書いてあるのが 多いです。
 この解釈が 書き手と読み手に 大きい開きがあります。
 読み手は、下車から乗車迄 見学を含めて 40分と理解して居ます。歩行時間を差し引くと 見学時間20分です。
 書き手、ガイドとして、歩行時間を除いた 見学時間が40分ですが。

4.瑞鳳殿と瑞巖寺との混同された方。
 「平成の大修理中で 見学箇所が限定していると 聞いて来たが 何処を修理してるのか?」

 何故 混同・勘違いされたのでしょう。
 墓所と菩提寺 仙台と松島 


後半 時間無制限 の団体 2組

其の1
東北薬科大学卒業40周年の同期会のみなさま40余人。
女性が多いです。薬剤師の先生で成功され 年齢的にも最盛期です。華やかな一団です。
丁寧に ガイドをさせて頂きました。

あかとんぼ 自分では 実年齢より若いつもりでいます。
しかし 見る人が見れば わかるようです。「お元気で」と 言われました。 確かに5歳年長です。

其の2
埼玉県からの 木版画のグループ10人程。
色彩と構図の専門家です。
本殿の色彩 天女さん 等 それなりのご紹介に努めました。

作日は 絵・葉書のグループが見えていました。
涅槃門を スケッチしていました。短時間で特徴を捉え 描いていました。
あかとんぼ 覗いて時点では 未着色でした。完成された画を拝見したかったです。



情報の開示

難しい話でありません。ガイド後 Aさんと コーヒーで一服しました。

今朝のお客様 開口一番 「県の建築関係の技術集団」と名乗ってくれた。
お客様の求める 建築関係のガイドにモードを変えた。

「お客様も 満足されたでしょう。自分も お客様の求める重点がわかり それに対応したつもりで 満足した」と語りました。
木版画のグループも その様に 申されましたので お役に立つ様 満足されるよう ガイドを変えました。

難しい話でありません。情報を開示して頂ければ それなりの恵が お互いにあると思います。



10 月 3 日 (土)  



爽やか。
昨日の爆弾低気圧は、なぜか仙台を避けました。

でも、出発地が襲われたか 参拝のお客様の出足は緩やかです。

10時40分頃 ガイド中「お呼びだし」が有りました。
はてな?

前・三の丸会(仙台市博物館ボランテアガイド)S会長に引率された 東京・江戸学会の30余名の方々でした。
仙台駅から直行で 瑞鳳殿を参拝、仙台城に向う間 30分でガイドをして欲しい との事。

30分に纏めましたが基礎知識のある方々です。
じっくり 話し合いながら 案内をしたかったです。

昼 仙台藩志会用務の会合に。
昼になりましたら 参拝客の出足が回復しましたが、空腹と疲労で ガイドは出来ませんでした。 





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