2015年11月の日誌
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11 月 30 日 (月)  



続 亜炭香古学 2015

香古学は、考古学の転換誤りでないか ご指摘頂きました。
誤りでは ありません。

昨日 頂きました資料等を 列記致します。御推測ください。

配布資料

1.亜炭香古学 2015「複眼で見る」 B5版 多色印刷 29頁

希望により配布資料

亜炭香報 創刊号 2012.8.30.
       2号   2012.9.30.
       3号   2013.1.30.
       4号   2013.2.28.
       5号   2013.3.31.
       6号   2014.3.15.
       7号   2014.3.20.
       8号   2015.3.25.

CD 東北工業大学松山正将 名誉教授 研究成果
1.三原良吉著作 全て絶版
 @ 廣瀬川の歴史と傳説 全92頁
 A 仙台伝説集       全56頁
 B 根岸橋とその両岸の歴史 全54頁 私家本
 C 仙台七夕と盆まつり その由来と伝承
2.東北工業大学環境測量研究室調査資料
 @ 東日本大震災を語り継ぐために 災害史・郷土史  72頁
 AB 國史跡 仙台城跡 界隈へのご案内 A 68頁 B 74頁
 C 大年寺山界隈へのご案内 80頁
 D 元愛宕下水力発電所の残存導水トンネルへのご案内 62頁

希望者に販売した本

 気分は宝さがし せんだい地学ハイキング 地学団体研究会仙台支部編


あかとんぼ が 経ケ峯・瑞鳳殿ガイドの為 得た知識は 整理次第 追記いたします。
 



11 月 29 日 (日)  



寒冷。

気温がドンドン低下していきます。
体温低下のサイン クシャミが出て来ました。

本殿前でガイド中です。危機管理から 本殿を向い 1発。
お客様から「よろしいのですか?」 の声。

確かに 政宗公に 直接クシャミは 拙いと思いますが、さりとて 生身のお様に 向っては出来ません。
「生身のお客様の 安全が最優先です」と答えご納得頂きました。

次回から 完全冬季装備 ガイドに行ます。
会員で最高年齢 85歳のNさん 昨日限り 冬季休業に 入りました。春3月 冬眠明けを お待ち致しております。


姥桜

瑞鳳殿の紅葉ライトアップ 今夕が最終日です。
紅葉の状態は 櫻であれば 姥櫻の状態です。

表参道 下から見上げた時 左右は暗黒で 真ん中に ポッと 紅葉が輝いていました。
前途に 希望・極楽が あります。皆さん 期待して下さいと 呼びかけている様で あかとんぼ の好きな景です。

何枚か 今年も撮影しました。表紙に載せる余裕がありません。おまちください。
神戸からの 若いお嬢さん あかとんぼ の好きな景 を「 いいね」 と言ってくれました。

更に 瑞鳳殿前広場に至り 「私達来るまで待っていてくれれば」と。
「神戸の紅葉は・・・・ で 京都に行きます」と。 やはり 京都が 日本で 一番でしょうか?


欧米系の夫婦親子を 英語が堪能でない 仲間が 交互にガイドしています。
仲間は いつ 英語を習得したかな と案じていたら、

「あかとんぼさん 心配するな。日本語でガイドしました。イラン國生れの人々で 日本に帰化しているそうです」


JTB当番 待機時刻に見えません。ハテナと 代替で 待機していましたら、一見 立派な紳士が 寄って来ました。
ガイド依頼?
 
「ウオシュレットないのか?」

仙台で一番 いや 北日本第一の 観光施設で 今時 トイレに ウオシュレットないのは 想像を絶する の表情でした。
同感です。

是から 寒冷の季節になると 涅槃門より 上に トイレが無い事 が ガイドとして 頭の痛い事です。
おもてなし の掛詞に 反します。

資料館には ある 筈と入ったら無かった。 サアー困った の表情で  性別・年齢に関係なく 駆け足で降りて来るお客様が 増える事です。
未だ 途中で パンクした 事例はありませんが。


午後 
「亜炭香古学 2015 複眼で見る 鹿落坂と黒沼炭鉱跡 編」、 に参加しました。

講師は、三原柾朗(ミハラユキオ)氏、伊達伸明氏

行程は、向山2丁目)バス停から鹿落旅館跡・鹿落観音堂・東洋館前・清水澤(澤筋路)遡行・八木山香澄町・経ケ峯断崖・黒沼原・亜炭坑道跡・山神様碑・古竜の口澤跡・伝説の黒沼跡で 山道の登り下りが終わり 且つ 時間切れ終了。

計画では 瑞鳳殿・穴蔵神社・評定河原・片平断崖までの 全行程 3.4kmでしたが。

瑞鳳殿の地下に 坑道跡がありました。これが 地震の都度 ワルサを致しております。

昭和26年10月1日 伊達家(伊達貞宗・親権者伊達鞠子連名)から、通産局鉱山部長宛 採掘禁止の陳情書が出されています。

瑞鳳殿再建の際 地盤調査と地盤強化工事が行われています。

鉱害復旧事業で 3ケ年で 地上・地下に投入された国費は1億円に近いと伝えられています。
瑞鳳殿の 坑道跡で この様な事が 語られるかと期待しました。

亜炭香古学の趣旨と異なるのか、配布資料には一切記載無く 且つ 語れる事無く 終わりました。
「瑞鳳殿 伊達政宗の墓とその遺品」の 「W 経ケ峯の原地形と地盤 亜炭鉱害調査・発掘調査結果から考える  奥津春生 著」を読めば
氷解すると 思われたか?


今回の・募集要件は 健脚であることでした。 
年齢・性別・関心等は 問われませんでしたが 20人に 2.5倍の応募があったそうです。
参加者の何人かが 「またお会いしました」の関係の人。

瑞鳳殿に通い 16年になりながら 初めて 足を踏み入れた個所で認識を 新たにする箇所ばかりでした。
目から鱗  新鮮な勉強の 半日でした。(整理に追われるでしょう)



11 月 28 日 (土)  



地頭

貴方は なんと読みますは?

ジトウ 
土地の頭(カシラ)
古くは 荘園の管理者、近世は 一地域の土地の領主」(仙台藩歴史用語辞典)

あかとんぼ は ジトウと読み 仙台藩歴史用語辞典記載の通り 理解していた。


経済雑誌を読んでいたら 地頭 なる用語が頻繁に 出てくる。意味合いが 違う。

ジ アタマ と読み 求職する大学生の本来の 頭の程度を 判断する 言葉・意味でした。


読む書籍によって 読みと意味が 異なる のでした。



11 月 27 日 (金)  



湯目家と津田家 特に 津田景康

涅槃門を潜り、26cm高の石段を登り始め 右2番目の奉納灯篭の寄進者は 津田近江頼康 です。
その親 津田豊前景康について です。

家臣の家格(仙台藩歴史事典)に その名前は 出て来ません。 謎 です。
色々 思いつくまま 整理中です。



11 月 26 日 (木)  



積雪は 朝には融けていました。

今朝の読売新聞 編集手帳に 面白い事が書いていました。

医師が告げた。「オケツをノゾキます」
に 若い女性患者が逃げ出しそうになった。

悪血(オケツ・病毒wp含んだ血)を取り除く を オケツ(尻)を覗く と理解し 怯えた。

字面を見れば分かるが、耳で聞くとまごつく。
介護施設でよく使われる言葉の言い換え集が出版された。

その例として
入禁 ニュウキン  入浴禁止
傾眠 ケイミン    うとうとする
振戦 シンセン    ふるえ
体変 タイヘン    寝返り介護

耳でわかる言葉がいい。と結んでいます。


瑞鳳殿でのガイドの際 ガイドとして あたりまえ 当然の言葉でも お客様には 非日常の世界で 理解に難儀する事が あるのでは?

あかとんぼ 気をつけているのは、

「読経」 ではなく 「お坊さま が お経を あげ(読み)ます」
「棺箱ではなく 棺桶 桶です」

「ここは 政宗公のお墓です」
・・・・・

家紋 法要 重臣 殉死 も これから 言い換えではなく 補足説明が 必要になるのでは?



11 月 25 日 (水)  



20時頃 初雪を観測しました。

あかとんぼ の駕籠に 3cm程 積りました。
23日タイヤ交換しており 読みがあたりました。

2014年に比較し 10日早いです。



11 月 24 日 (火)  



宇和島 秀宗公 入部400年祭

3月29日開催の伊達秀宗公 宇和島入部400年祭は 11月22日夕 9ケ月のロング祭典が 和霊神社前行事で終了しました。
この経済効果は 幾何であったか?

仙台市博物館の宇和島展は 11月23日で終わりました。
観覧者は 何万人であったでしょうか?

宇和島の伊達博物館でも 容易に見れない品々が展示され あかとんぼは 満足しましたが?
22日は 宇和島伊達家領 松野町の中堅職員の皆様にお奨めしました。が?


技術 移入

政宗公は 棟梁・彫刻・石工・画家等 広い意味合いの建築関係技術者を 京都を中心とする地区から 招聘し 瑞巖寺や大崎八幡宮を完成させたた事は周知のとおりです。

昨日のお客様
「私の伯母(伯父の連れ合い)は、結婚前の姓は(京)と申しました。先祖は優秀な染色技術者で、政宗公の招聘で 仙臺に来て 染物業を指導しました」と 申されました。

政宗公は 先進地から 技術を移入し 領内の産業振興に 務めた の傍証であります。
政宗公の実績 功績として どんなものの技術移入を図り その効果はどうであったか 検証された方 教えてください。



答えられなかった等の質問

1.屋根の龍は 何故 龍なのか? 沖縄はシーサーである。どうしてシーサーで無いわけは?
 わかりません とお答えしました。

 龍は 水を吐きます。火伏の意味があります と答えても聞いて頂ける雰囲気でありませんでした。

2.本殿は 昭和の技術 躯体が鉄筋コンクリートは理解した。
 さて、屋根は?
 
 銅板葺、棟 銅板包です。
 理解した。さて 小屋組みは どうなって居ます?

 沈黙。そこまで調べていませんでしたので、手持ち資料に記載ありませんでした。

3.ここ(瑞鳳殿)を建てたのは 誰か?
 参拝を終えた老婆様です。

 一瞬 ハテナと思いました。全て 知っての上の質問? 
 その内容は創建時か? 再建したものか? 施主か? 施行者か?

 創建時で答えました。施主は、2代忠宗公 施工は 奉行・奥山大学助常長と。
 納得されたか? 若しかして 再建時の施工会社 松井建設の元社長夫人で 夫の功績を確かめたのか?



11 月 23 日 (月)  



雨です。
勤労感謝の日。普段 勤労に磯まれている方々 続々と参拝に見えました。

傘を差さない、持たない お客様もいます。傘を差してガイドは心象的に抵抗があり 指しません。
結果として ユニホームがずぶ濡れ。色落ちの原因ですが 止む得ません。

午前は、孤立無援でガイドをしました。どの様に察したか GPS機能で探査したのかK1さんが 駈け付けてくれました。


アサイチ。
北見からの還暦年代のご夫妻。

ガイド依頼されましたが、あかとんぼの話しは聴きません。目先 見える物についての質問の連発です。
お客様の求めるモノを提供するのがガイドの基本です。当方の思惑で一方的に語るべきありません。お客様の意に沿うようにガイドしました。

現職時代 図工の教員では?

それは、涅槃門の菊紋を見て 通常は 皇室の紋と問われますが、 「なぜ金色だ、他の色は無いのか? 」 「菊の芯 右が緑色はなぜか?」
」「屋根に なぜ 龍を載せた。他の動物では 駄目なのか?

「北見では 紅葉は終わった。仙台・ここでは なぜ 今紅葉なのか。北見より遅れている」
この方 京都に行っても 同様な質問するのでしょうか?


東京からの60代最後位のお夫妻。
奥様
「私の生家は 湯目家です。本家筋とは 交流が疎らです。湯目家の墓所が ここ瑞鳳殿にあると聞いて来ました。どこでしょう?」

「ハイ 湯目家は 伊達家の重臣である事は存じております。ここは 政宗公の御霊屋です。麓の瑞鳳寺に お尋ねください」

雨でもあり 拝殿に坐して頂き、(湯目家の故事来歴、瑞鳳殿の創建時の構造・配置・・・) 1時間 お聞きし・説明しました。
お二人 同時に 複線で語ります。


仙臺人名大辞書 

湯目重久 の項に系譜が詳細に記載いされています。
関連ある事項 抜粋

1.湯目重久は 1番座召出 湯目氏の祖
2.重康嫡男民部景康(別に傳あり)君命により津田氏を称す。伊達家の功臣なり
3.七郎左衛門重厚 綱宗公の時 脇番頭徒小姓頭となり、
  吉村公の時正徳3年12月23日功臣津田民部と同筋目なるを以て特に1番座召出の家格列される
4.大正10年祖先以来の墓を仙臺越路瑞鳳寺に改葬す とあります。

湯目重房 の項に系譜が詳細に記載いされています。



関連ある事項 抜粋

1.壱岐守。羽州置賜郡長井荘大橋の城主
2.その先 従六位修理亮藤原資綱より出づ 資綱は上野國片岡郡湯目城主

3.依て 湯目氏と称す

津田景康と清康 の項に系譜が詳細に記載いされています。

ご夫人は 湯目家と津田家を 混在し 4〜600年の歴史を 圧縮し語られました。帰宅し 図書を紐解くに 氷解して行きます。
湯目家 津田家の歴史を 整理し 後日 掲載致します。

本日の失敗は、湯目家に囚われ、一族である 津田家 そして宿老の津田近江頼康が寛永14年5月24日寄進した灯篭が 涅槃門から右2番目に在りましたのを 紹介出来なかったことです。 



佐沼城も縄張りを徳川家康が行なった

21日日誌に 次の様に記載しました。
.佐藤信行氏 は、「徳川家康は 佐沼城も縄張りをした」と、講演され 配布資料にも明記されています。
 聴講した 瑞鳳殿ガイドの会仲間5人 異口同音 初聞 と。

これについて 郷土史家黒田様から 下記 御教示を頂きました。

日本城郭史研究叢書第二巻「仙台城と仙台領の城・要害」小林清治編(名著出版)から抜粋

 ・天正19年9月10日、徳川家康は、佐沼城の普請が近日完成する旨を、政宗に
  報じた。『伊達家文書』618

 ・天正19年6月28日に始まり7月1日の政宗軍の猛攻によって、一揆軍の拠点となっていた
  佐沼城は落城した。『貞山公治家記録』巻17

・伊達氏支配となつた佐沼城は、奥州再仕置を命ぜられて下向した徳川家康によって再興された。

 ・佐沼城は旧葛西・大崎領治安の要衝として重要視されたため、再興なった佐沼城には湯目民部
  景康(のち津田と改名)が配された。『貞山公治家記録』巻17

郷土史家黒田様の御教示に 深く感謝致します。

湯目民部景康(のち津田と改名) の名前が出て来ました。
今日は 湯目家 の日です。早速 整理します。



11 月 22 日 (日)  



鮮やか

昨日は 大変な人出あったそうです。
1昨日のテレビ中継を御覧なれれた方々です。

中継画面にお客様の姿が無かったについて
直前 伊達武将隊が感仙殿地区に移動したら お客様も伊達武将隊共に移動した為で 決して お客様が 不在では ありません 
と 報道担当の広報がありました。

昨日 お客様が多いのに ガイドが手薄に なった・・・・・
と いつも午後を統括しているAさんから・・・・・
申し訳ない。

本日は 昨日 留守した仲間の半分が ガイドしました。

11月は 例年 土日に 伊達家関係の講演会が 仙台市内・宮城県内・福島中通り地方で開催されます。
勉学に勤しむ仲間 東奔西走しています。
ガイドが 手薄にならないように 気をつけなくては。



徳川家康が 岩出山城の縄張りの際に 宿泊した実相寺に、寺寶として伝わる 家康が使用して飯茶碗2ケと箱の写真が 岩出山古文書を読む会の会長菊地優子氏の講演の際 カラー写真で公開されました。

仙台藩志会の勉強会で、岩出山伊達家ご当主の先導で訪れた際に 拝見出来なかったものです。
巷間 寺には 保管されていない のでは と囁かれている 品です。

本日 ある方 撮影に成功したと見せてくれました。
そのデーターを分けた欲しい とお願いしました。


昨日 政宗公NO1の 肥前 様が 来訪されたそうです。

瑞鳳殿を参拝され
鑑定をお願いしていた ある品 が 真物である の答が出た。
そのお礼を菅野先生に申し上げ、宇和島展を再度 観覧する
のが 目的であったようです。

菅野先生は岩出山に出張で 留守でしたが。



特記したいお客様は、
宇和島市の隣町 宇和島伊達家の領内 松野町役場の中堅役職10名様です。
限られた時間ですが 参拝後 宇和島伊達家と仙台伊達家 両家の家紋 類似と非類似等 熱心に見学されました。
写真も 撮られました。(通常は 建造物の絢爛が 主体です。今回は人物が主体です。)
写真 頂けのかな?

3.11震災の際 鬼北町水道隊と 一緒に あかとんぼ邑に 救援にお出でになったと記憶しており お礼の意を込め ガイドをしました。



11 月 21 日 (土)  



古城探訪

郷土史家Aさんのご案内で
1.高清水城址 (栗原郡高清水町東舘 所在)を
 東西350m 南北250mの平城形式。
 伊達家時代 亘理氏 石母田氏の居城。
 城址を 一周。撮影。

2.宮澤遺跡を
  東北道長者原SA南に所在 自動車道で分断されている。
  史跡公園として整備されている。

  宮澤城址が目的地であったが、帰宅整理しているに 目的地 間違えた様である。

3.真山館(岩出山町下真山要害)を
  真昌寺境内。
  標柱は 真山城 (但し 目立たない)

以上 3ケ所を探訪。

続いて 講演会

講座 地域の歴史を学ぶ@岩出山 岩出山城の謎にせまる

1.伊達政宗居城前後の岩出山城を探る  日本考古学協会会長 佐藤信行 氏
2.岩出山の城と町の歴史  岩出山古文書を読む会 会長 菊地優子 氏

菊地優子氏は、昨年の講演の続編で 
昨年の資料を再配布され、パワーポイントで 図・写真を活用され 理解容易でした。


メモ

1.佐藤信行氏 は、「徳川家康は 佐沼城も縄張りをした」と、講演され 配布資料にも明記されています。
 聴講した 瑞鳳殿ガイドの会仲間5人 異口同音 初聞 と。

 質問の時間が無く 引用文献 の何れに記載があるか 確認出来なかった は 残念でした。

2.昨年講師をされた菅野正道先生。聴講席後部に。
 休憩時間に 19日講義の 「酒造り」に ついて 補講をして頂きました。

3.聴講の5分の3が 仙台からと推定します。
 受付の確認 「仙台から」が 大多数。



11 月 20 日 (金)  



ライトアップ

瑞鳳殿の今年のライトアップは、今夕から始まりました。
東北放送の中継がありました。

見事な景を放送してくれました。

唯 残念なことは
1.紹介するアナが 「寒いので 冬季の外套です」 と寒気を 強調した事です。
2.参拝者 皆無です。サクラでも 人影と感想が無かった事です。





明青大史学部

昨日 11月講座がありました。

講師は 仙台市博物館 菅野正道先生。
演題は 仙台藩の酒造り

政宗公は酒好きで アルコール依存症の一歩手前まで行って居たかもしれない・・・・
と 冒頭に ショッキングな話。

興味深い 内容の講座でした。

仙台領内の酒造 として

1.御酒屋 
 榧森・岩井・浅賀・新沼
 御軍用御酒屋・・・伊澤・勝山
 大身家臣も御酒屋持つ例がある

2.町酒屋
 江戸後期 仙台に30軒程 規制厳しく権利金高額

3.御神酒屋
 大崎八幡宮・・天賞  塩竈神社・・阿部勘

濁酒 取り締まりは厳しくない

.江戸後期 平年作の年 酒造に要した米 50万石以上らしい。
 その内訳は 清酒用 城下清酒造米 12千石 在清酒造米 40千石 清酒麹米 20千石
         濁酒用 酒造米 410千石 麹米80千石


会場から質問が 今日は出ました。

1.酒造に要した米 50万石以上らしいでは 産米が100万石と云われるが その半分が 酒になるとは。 
 領民の主食の確保 お家の財政運営上からも  重大な問題では?

2.御酒屋
 読み方 ゴシュヤ ではないでしょうか?
 角田 石川家の城下では 石川家の酒を造って居た所 ゴシュヤ と呼ばれています。



11 月 19 日 (木)  



津山美人

昨日 ご案内したお客様から 写真のご恵送頂きました。
一緒にと 言われて 撮られても 頂く事はありません。有難いです。

瑞鳳殿の飛天同様の美しい方です。表紙に掲載しました。


田中勘左衛門

伊達家史叢談(伊達邦宗著)に

義山公に殉せし田中勘左衛門は、性剛直にして、嘗て公と事を論じて屈せず、忽然として退き、直ちに去て松島に赴き、瑞巖寺に雲居禅師に請うて僧となり、會道と号す、公の薨ぜらるや、會道訃を聞きて、即ち仙台に来り、殉死の列に入らんとす、傍人怪んで曰く、汝既に士列を離れて仏門に入れり、何の故に身を損つるかと、會道大喝して曰、故君に生前に約せしことあり、今身桑門に入ると雖も前約は渝ふからずと、遂に自刃す。

とあります。
続いて 芝原覺左衛門の生い立ち等の記載がありますが 転記いたしません。

「田中會道の逸事は、瑞鳳殿の廟守石田常直 (大正8年4月1日病死す、享年59歳)の談に寄りて記セリ、常直は貞山公に殉せし石田将監の裔なり」と追記されています。


仙臺人名大辞書に

タナカヨシナガ (田中良長)
殉死者。勘左衛門と称す。
寛永の初年政宗公新たに俸金30両、蔵米十口を賜えて世子忠宗公の小姓に挙ぐ、鷹匠より申次、小姓頭に歴進し、禄を増して1400石に至る。正保年中故あり、家禄を没せられる。是に於いて髪を剃り、名を會と改め、四方に周遊す。万治年中長崎に在りて遥かに公の病を聞き、急遽仙臺に来りて其の志す所を告げ、公謁を賜え、俸5口を給して松島に寺を造り、之に住せしむ、大澤山慈光院と号す。
公の薨ずるや、万治元年8月5日詰朝仙臺通町東昌寺に詣りて公の霊牌を拝し、臨終の句を唱え洞水和尚と三問三答畢りて殉死す。享年47.
圓福大然會道西堂と法溢す。
辞世の歌、詩 記載略

タナカカンザエモン(田中勘左衛門)
藩士。桃生郡寺崎村(中津山村)の地頭。正保2年寺崎と中津山町を接続して市街地となす。

の項があります。


以上から、(禄を増して1400石に至る)の俸禄の地は 、桃生郡寺崎村(中津山村)であったのか?
妻子がいたのか? 家禄を没せられるに 妻子のみ そこに居したのか?
その他 疑問が 残ります。



11 月 18 日 (水)  



紅葉が鮮やか

20日夕 東北放送の中継があります。
21日昼 野点 をNHKが 取材するそうです。
仙台市広報課さんが(瑞鳳殿の紅葉ライトアップ)を写真2枚 facebookに掲載しました

タイ王国から旅行会社に依頼で 撮影隊が入りました。
撮影機材で 建造物に傷をつける事の無い様にと 絨毯を持参 敷いて撮影しています。
タイ王国は 素晴らしい 黄金輝く 仏像があり 敬虔な仏教国です。
この気配り・配慮は 佛 の教えからきているのでしょうか?

ある神社で 賽銭箱をすり抜け 黒漆塗の社殿の床に 三脚を立て撮影しようとした不逞の輩がいた。
宮司の撮影許可も得る事無く 不法侵入の上の 不届きな行為。

宮司と共に 即刻退去求めたことがある。
比較して タイ王国の撮影隊の気配りは 一目(イチモクに値すると )写真に詳しい Aさんが呟いていました。

人影の無い写真を撮りたい様子ですが 本日は参拝者が多く 途切れません。難儀していました。「成功を祈る」


涅槃門通用口の敷居に登り 「天井が低い 頭を打つ」と 大きい声で ほざいている老人がいました。
この涅槃門通用口の構造は 國寶時代の写真を御覧ください1637年以来のもの 昔日の ママです。

元々 日本家屋では 「敷居を踏まない」と 家庭で躾けられて居た筈。
御廟です。敷居は高くなっています。
老人の言動は 日本人の常識を越えたもの。


朝一番 静岡からのご夫妻と福岡からの方 時間を要して 丁寧にガイドをしました。
先日も静岡市から 見えました。
静岡市では 徳川家康400年祭の 余波から政宗公・仙臺がブームになっているのでしょうか?


バスが連続して入ります。
やる気の無い 添乗員が連続しました。
入場券を渡し 自由に参拝しなさいと放置 誘導しませんので お客様は 表参道を戻る人 西参道に回る人 バラバラです。
どこを 見学しようと お客様の勝手 バスに戻れば ヨイ? お客様が 気の毒です。


11時に 団体が来ました。お客様は ドンドン 涅槃門を登って行きます。
ガイドしたいと思っても 幹事から どちらからのお客様で 時間はどの位の基本情報を頂だかなければ

係員は 最後尾から ? 

「ガイド出来ます」 「ハイ」 「ミナサンー  ガイド 居ました 戻ってクダサイー」
一見 高齢者です。62段登り 一息ついて 3段1段の途中で 引き返せは ロージンイジメでは?。

「どちらから?」 「登米市 津山・横山から」

伊達家領内の人々ですから 伊達家や政宗公について 知識があるのは 当然ですが 事前学習をされて来たようです。


ガイドに対する反応 極めた 高感度です。

例えば
「ここは1945年7月10日の米軍の空爆で焼失し、1975年から 旧伊達家領内を中心とする皆様のご寄附で再建しました」
に、即座
「私共は 町で 120万円 寄附しました」 返って来ました。

40年前の寄付をご存じで 参拝に見える方は 少ない ではなく 珍しです。


瑞鳳殿で 寶筐印塔を説明したら 「私の先祖 忠宗公に殉死しています」との事。
では、感仙殿に急行しました。

「今日 資料持参していないので? お分かりですか?」
「ハイ これです」 歩み寄った先 向左最前の寶筐印塔です。

法名 前圓福大然通西堂 田中會道 47歳    と  1列後方 誠窓士丹禅定門  田中會道家士 芝原角左衛門  の 寶筐印塔です。

戊辰の役後 田中から佐藤に姓を変えた。中津山邑に地頭 1500石であった。仙台藩志会会員でもあった。・・・・・・・と語られました。

「○○ に そっちの ○○ 。これが ご先祖様の 寶筐印塔だぞ。お詣りを」
と 同行者に 声をかけていました。 皆さん 御親戚だ わけです。

仙臺大人名辞書 伊達家史叢談 記載事項は 明日 掲載致します。

「綱村公が作らせた ・・・ 御堂が 我が村にある。知っているでしょう」
「申し訳ないが 知りません」

この後 調べます。解り次第 記載致します。


「もしかして あかとんぼ さんでありませんか?」 妙齢のお二人から 問われました。

「HP あかとんぼガイド日誌 読んでいます。 語り口が 書き方と 似ていますので」 と 涙ぐまれました。

ズバリ 言い当てられたのは初めてです。あかとんぼも 涙が出そうな感激です。
お一人が あかとんぼ とペアで写真を撮りました。もし 頂きましたら 表紙に掲載致します。

感想を 表紙記載のアドレスから 頂きたいと お願いしました。

参道追分迄 お送りしましたら「喉を大切にして」と 飴玉と握手を 頂きました。ありがとうございます。


NHK 0:20-0:43までの「ひるブラ 伊達文化の玉手箱 仙台たんす料理」に 18代伊達家ご当主が 生出演されました。
13日 直々に ご案内頂いておりましたが ガイド時間と 競合し 見れませんでした。

再放送される時は 連絡して欲しいと NHKに 登録しました。
どなたか 生放送 ご覧なりましたか?

新しく ガイドを始めたいとの お嬢さん 本日 デビュウーすると連絡あり 待機しましたが? 午後 見えたのか?



11 月 17 日 (火)  



西南の役

西参道に 宮城県内から西南の役に参加 殉職された方々の慰霊碑があります。
立ち止まる人 皆無です。当然 裏面の氏名を確認する人 皆無です。

本HPの資料館に 掲載しております。


10月31日 「西南戦争と旧仙台藩士」と題して 
東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門助教 友田昌弘氏 の講演がありました。

祖父が参加しており、その記録「鹿児島派出萬記載簿」を保管している旨 お話しました。
先生の 研究にお役に立てばと 本日 研究室に持参致しました。

丁寧にご指導下され 記録を撮影されました。
どの様に 分析・報告書になるか 楽しみです。


あかとんぼ は 鉄道が 新橋・横浜間のみ運行の時代 
祖父は如何に移動したか? 
旅費の規程があったのか?
を疑問の数々をメモしていました。

祖父と曽祖父の生・没年を 問われ その過程で  「それはペリー来航の年だね」と即座に返って来ました。

これまで あかとんぼ家の歴史を 日本史と対照した事はありませんでした。
歴史を 身近に 理解するには 対照する年表を 作るべきと 思い至りました。

仙台市史の年表を基本に 挑戦しましょう。
伊達家についても 理解が深まり ガイドの際 有効でしょう。

先生の報告書 と あかとんぼの年表を 祖父の100遠忌法要の際 墓前に供えるが楽しみです。



11 月 16 日 (月)  



高玉城

「高玉城に行って来ました」と、冨澤大學で N嬢から 紙片が渡されました。

河北新報隔週掲載 千葉真弓作 独眼龍政宗 104話「一寸の虫の抗戦」のコピーです。

1589(天正17)年、政宗公は2月に落馬骨折し 米沢郊外 小野川温泉に湯治し、また 持病の虫気(ストレスによる胃腸の激しい痛み)で、動けない状態にあった。

会津街道 葦名の黒川城に至る途中に 猪苗代城・高玉城・阿子ケ島城があり、二本松城に至ります。この途中の3城に内応をしかけて成功。
高玉城主・高玉義直が伊達家の軍門に降る決意をし、挨拶に来たが 政宗公が虫気の為 対面をしなかった。

これに怒った高玉義直が5月5日 籠城・徹底抗戦を構えた。

以上が、劇画の概略です。

小林清治著 伊達政宗では、4月22日 米澤城を出発 板谷峠を籠で越え 翌日大森城に入った。5月始め、阿子ケ島・高玉城を攻めた とあります。

仙台市史年表によれば、天正17年(1589)6月5日耶麻郡刷上原の戦いで蘆名義広を破る。11日会津黒川城に入る とあります。


年表等の一行に満たない記述を 新聞1頁の劇画に仕立てるには 莫大な史料の取集と組み立てがあるでしょう。

千葉真弓先生の この莫大な史料の取集と組み立ての ご努力と能力、
して 即現地確認に走るN嬢の行動力、 
お二人に敬意を表します。



11 月 15 日 (日)  



紅葉は日増しに冴えます。

昨日は(カテイの事情)で 定刻より1時間遅れました。
Aさん 「体調不良で休みか?」と 心配してくれました。

本日 定刻に到着しましたが Aさん は帰るまで 姿が有りませんでした。「体調不良で休みでしょうか?」


バス2台。先行車 Bさんがガイドをしています。 バスガイド嬢 後続車をガイドして と申しますが姿が現れません。
盛年期のご夫妻から 即 ガイドをしてとのご依頼。早いもの順です。

静岡市内からで 久能山東照宮に精通しています。
13日平泉 14日瑞巖寺 を見学し 本日は瑞鳳殿に仙臺城址の見学予定であった。

9時から雨が上がるとの予報で傘をロッカーに入れて来たと傘を持っていません。
雨が降って来ました。お客様を濡らすわけにはいきません。
あかとんぼ は合羽を着ています。あかとんぼ の傘をさして頂きました。
仙臺城址の見学を中止し 小雨になりました11時 路線バスで仙台駅に向かわれました。

天候回復捗々しくなく ガイド依頼もパタリと止まりました。
ガイド 11時過ぎ 終えました。


待機中 整美員Aさんと 歓談。

昨日 バス21台入ったで 駐車場の手伝いに行って 感謝された。
それは よかった。ところで スコップ貸して呉れないか。

なに するの?
本殿前 砂利 薄くなり 禿げ頭になり 滑り易い。昨日 足で寄せたが 多寡がしれる。

僕もスベッタ。受験生でないからスベッテも よいが?・・・・・
今朝 寄せたから  安心して。


20日 東北放送で 紅葉を 生中継します。
映りたい人は 瑞鳳殿に。それを見たい人は テレビを。



11 月 14 日 (土)  



紅葉 昨日より 一段と進み 鮮やかです。

でも 大雨です。お客様は 続々と。
午前・午後 団体をガイドしました。

午後 第一駐車場に入り切れない バスがありました。


栃木県からの団体の添乗員 息切れして話せません。62段を駆け上った様です。
「アツ ボラガイドさん 居る 助かった 30分 ここ瑞鳳殿を頼みます。栃木は宇都宮近郊のお客様です」

これ程 頼りにされるとは 嬉しい限りです。
宇都宮近郊のお客様です。日光東照宮は 隣でしょう。全て 理解が早いです。

午後 GG大学同期会様です。
60分で瑞鳳殿と資料館をガイドして欲しいとの事前連絡でしたが、到着が45分遅れたので、下車から乗車まで 30分で瑞鳳殿と資料館をガイドして欲しいと 指示が出ました。


ガイドとして 語れる時間は 20分です。ポイントは絞りました。最大公約数でのガイドでしたが、GG大学卒の方です。行動は迅速、理解は早いです。充実したガイドと自己評価しました。



理解に苦しむ。民俗・慣習の違いでしょうか?

「墓室を開け 政宗公のご遺骨を見せろ」と 強要したお客様が居ました。
「お客様は どちらからお出でですか? お客様の所では 常に ご先祖様のご遺骨を公開して居ますか?」

「石川 加賀から来た。公開して居るよ」

そんな事ありません。
金澤は 何回となく訪れ 前田家の墓所を参拝して居ます。山が前田家の墓域で 石の墓碑でした。それ以上申しません。


話言葉

説明の際 普通の日本語での表現で ガイドしています。

例えば 「読経」 とは言わず 「お坊様が お経をあげられます」
ただ 日誌は 「読経」 と書いています。

昨日 成田からの 人生成功した年代の小団体に シャッター押すを依頼された際
「あの 扁額を背景に入れました」とカメラを返したら、 即 「扁額とは?」と返って来ました。

小学生なら いざ知らず 驚きました。
「看板」と言い換えるのは 抵抗があります。
家に扁額 額 を掲げている 家は少ないでしょう。馴染みは無いかも。でも です。


瑞鳳殿だより 経ケ峯の四季 VOL.11 が 発刊されました。
内容は
1頁 感仙殿の紅葉 です。見事な景です。
2頁 独眼龍政宗の愛用品 (瑞鳳殿資料館名誉館長 伊達泰宗)、鄙の華人
3頁 27年度 瑞鳳殿春の企画展(祀られる政宗) 秋・冬の企画展(瑞鳳殿の石灯籠) 政宗公380遠忌法要 ほか
4頁 秋 冬のイベント情報 ほか

中々 濃い内容です。 ご一読 ください。
瑞鳳殿のHPに PDFで公開されるかは 聞き洩らしました。



11 月 13 日 (金)  



伊達家御当主

自ら 瑞鳳殿を 片平市民センター講座生30余人に 案内されました。

御当主自らの お話には 御当主でなければ知り得ない 口伝による秘話もあり 大変 勉強になりました。
なお、ガイド仲間4人が参加しました。


御当主のお話が終わりました後 市民センター講座主任の指示により 
@弔魂碑 A感仙殿 B善應殿 C妙運廟界 D石塔等 E 御子様御廟 まで ガイドしました。

経ケ峯の半径1km内にお住まいの方が多い様で 普段は、なされない質問が相次ぎました。
例えば

1政宗公は .なぜ ここを終の棲家と定めたのか?
2.参勤前 城下を巡り ここと指定したと聞いているが ここ経ケ峯は 山で道路は整備されて居なかった筈。
 どの様な交通手段で ここまで登って来たのか?

3.先の大震災で 何センチ 地盤沈下したのか?
4.資料館前の笹の種類は?

5.西公園の臥龍梅の花は大輪である。ここは何センチか?
6.下の穴蔵神社の御利益は?

7.愛姫の祈願とあるが 有り得るのか? (愛姫は生前 仙臺城を訪れて居ない事を知っての質問)
8.稲荷神社は なぜ安産の神様になるのか? 稲荷ずし は 安産と関係あるか?

9.御子様御廟には 全ての子供が祀られたのか?
0.側室は 何処に どの様に 祀られているのか?

1.瑞鳳寺の高尾門に関わる 綱宗公側室椙原とはどんな人物か?
2.例え 墓碑が日陰にあろうとも 戒名が立派であれば良いでないか。


地元ながら 訪れガイドを聞いたのは初めて のお声がありました。
本日 持ち時間30分です。お互いに 厳しいモノがありました。又の機会を期待します。



11 月 12 日 (木)  



冨澤大學

講師は 菅野正道 仙台市博物館学芸普及室長
演題は 仙台藩の名産品 食品を中心に

どの様な 内容かは記載いたしません。

あかとんぼ が ウーンと 感じた事のみ

仙台領高名競 文政12(1828)年 番付け が配布されました。

勧進元 米 乾海鼠 狼河原(煙草)

上段 古今とも天下に名たるもの
2段  日本にかくれなきもの
3段  諸国にあらわれたるもの
4・5段 江戸又は近國にきこえる者 諸名家
の分類の
4・5段 前頭筆頭 東西に 山寺洞雲寺 と 松島瑞巖寺が 15枚目に 大年寺と輪王寺 があります。

瑞鳳殿も瑞鳳寺も 記載ありません。
政宗公に敬意を表したから無いはないと思います。 政宗公の菩提寺松島瑞巖寺が前頭筆頭です。

2,012年仙台市博物館開催特別展 江戸の旅 の図録 論文 旅日記が語る江戸時代の仙台 の(3)仙台地方の旅事情に、
0. 大年寺・瑞鳳寺・仙台城近辺を巡るコース
1. 瑞鳳寺だは伊達政宗の廟所・瑞鳳殿や善應殿などを見学して居る
2. 特に、瑞鳳殿では政宗の像が双眼であると触れた日記がある
3. 瑞鳳寺に謝礼として72銭(文の誤記と思う)
の記述があります。

ハッキリ 観光コースで 見学者が居た譯です。で なぜ 仙台領高名競に 記載されなかったか疑問です。
世話人頭取 稲子澤利兵衛 とあります。 仙臺人名大辞書に掲載されて居ませんでした。



違います

1.萩
 政宗公は大悲禅寺を詣り、後 白萩の苗木を所望した。
 この故事により仙台市博物館前庭に白萩が植えられています。
 10月15日 白萩の前で 先生からお話がありました。

 仙台商工会議所会報(2015.9) 地域のたから自慢の逸品 第18回は「萩」です。
 仙台市の市章と共に萩を描いた マンホールの蓋がある。
 センダイハギとミヤギノハギがあるが、共にマメ科の多年草と。

 白萩は 萩ですか?政宗公は 伊達家領内に移植 増やさなかったのでしょう? とお尋ねしました。

 白萩は センダイハギとミヤギノハギとは異なり マメ科の多年草では無い。
 江戸屋敷で花を 楽しむに留まった。

2.カモシカ
 天然記念物です。が、増えすぎです。生態系に変化の様子が見え 博物館に出没しています。
 (経ケ峯にも 表れています)
 
 鹿 の仲間と理解している人が多いです。正解は 牛 です。

 




11 月 11 日 (水)  



佐竹家 久保田城跡

昨日 その一角を散策しました。
二の丸から本丸に至る道筋 表門が建てられていました。
詳しい経過は不明でした。ただ 盛りの紅葉に 非常に冴えていました。

至る途中に 「市立佐竹史料館」がありました。
驚くことに 入場料 が 100円 です。 但し 展示史料は僅少です。(入場料に展示史料数は比例するもの?)

加工した久保田城下絵図が展示されていました。
ある色の一画に 足軽屋敷・小人屋敷・厩屋敷 と記載されていました。

小人は、伊達家では、
小人頭に属し雑役に従事した者。士に対して小人といい、据物、侍屋敷の警備にあたった。(仙台藩歴史用語辞典による)

伊達家独特の 身分・職掌と理解していました。
さて、佐竹家にも 居たのか、その身分・職掌は? の疑問が湧きました。

お尋ねいたしましたら学芸員がお出ましになりました。

1.佐竹家に 小人 と称する身分があったのか? 足軽との違いは 何処にありますか?
2.その報酬は 幾何でしょうか?

3.小人は 士族・平民 何れの身分になりましたか?

以上を あらためて 質問しました。

わかりません。佐竹義宣について お尋ねください。
時間を頂ければ 調べます。

との ご回答を頂きました。 当然でしょう。



11 月 9 日 (月)  



板碑

1981年感仙殿発掘調査で5枚発見され、資料館内に2基 脇に1基 感仙殿に2基が展示・保存されています。
その用途は 墓室(石室)の石材として用いられていました。

ガイドの際、現在の信仰感覚と大分異なる所を説明しています。


ある方から
「河南町の板碑」と題する  佐藤雄一著 限定300部 120余頁 の貴重な図書を ご恵送頂きました。

ある方は、家格 召出2番座 所預 桃生郡和渕邑・所預 1184石の 武田家所縁の方です。
和渕邑の武田家跡に現在も 鎌倉時代と想定される 板碑が保存されています。

石巻市文化財保護委員の佐藤雄一氏の調査で明らかになり その著書「河南町の板碑」の97頁に 403番として報告されています。

拝見しましての感想です。
家格 召出2番座の地方の領主が 史跡として屋敷内に 保存していた。そして現在に至っています。
伊達家は 祖先 父親の墓室の用材に使用しています。

現在の感覚では 何れに軍配が上がるでしょう。

領主である 3代綱宗公は短期であり指示する余地があったか?
4代綱村公は若輩である故 後見的執行部ある奉行職が執行したでしょう。
とすると その方々の識見・宗教感・文化財保護の感覚が問われるのでは?


「河南町の板碑」限定300部は 諺「洛陽の紙価を高む」と云われる図書と思います。


お客様を楽しませるガイド

仙台市観光ボランティアガイドネットワークの研修が本日開催されました。
長崎コンプラドールの田中潤介氏の90分の講演。

私共の定点待機型ガイドではありませんが ガイドの在り方 ご満足頂けるガイド とは 日々のガイドについて反省する個所があり 参考になりました。

仙台市は 来年度 食を基本とする 町歩きガイドの立ち上げを 検討している と感じました。
瑞鳳殿ガイドの会から9人 会員ながら別団体名義で2名が参加しました。


大正仙臺

1905年に大日本帝國陸地測量部測量 1925年発行 2万分の一 仙臺市東・西部を合体地形図 200部限定販売を購入しました。
経ケ峯・瑞鳳殿が 如何に表現されているか?
一番で確認しました。

瑞鳳殿の位置に 瑞鳳寺と表記されています。
62石段が記載され、3殿は 建物の記載があります。

興味津々の地図です。



11 月 8 日 (日)  



立冬。
暦は正直です。氷雨です。

6日朝 月と木星、火星、金星が接近し ほぼ直線状にそろったのが東の空に見えたそうです。
仙台城址で、政宗公騎馬像の上空で観測できたと 河北新報1面に 政宗公騎馬像と三日月形の兜の前立てに似た下弦の月の下に木星、火星、金星の順番に並んだ 写真を掲載しました。
天気が良ければ 7・8日も見られる 付記してあり、今朝 挑戦しようと 早起きしました 大雨でした。


大雨で 黄色い葉っぱは 落ちました。境内は 濡れ落ち葉での絨毯です。
箒では 掃けません。整美員氏 携帯ジェット風飛機で吹き飛ばし清掃して居ました。

本日のA整美員氏は 気配りの人です。高音を配慮し ガイド中は 作業を停めてくれます。

10時過ぎ お客様のミニ団体を交えて 出足が格別 多くなりました。
あかとんぼ は10時まで資料館展示の企画展で 自習しました。

12時終了時点で ユニホームの陣羽織は 絞れる程 濡れていました。持ち帰りました。


ガイドは 高齢化が進行しております。世代交代するにも 若手の方の参加 勧誘が先決です。
社会保障の観点からの定年延長の実施で 60代の希望者を探すは 昔の金の卵 同様至難です。


本日 20代前半のお嬢さんが 勤務時間の余暇に ガイドをしたいと 相談に見えました。

U・K 両副会長とで 瑞鳳殿ガイドの会のシステムを説明しました。

定点待機型で、完全自己責任で アゴ・アシ・ケガ全て自己負担 金銭の報酬は1円もありません。お客様からの 「ありがとう」の一言で 満足するのみです。

ガイドをしたいとの事 
会則・ガイド要領・テキストを差上げ 加入申込書を頂きましたので 役員会に付議 事務所に届け 名札等の準備出来たら 連絡する事にしました。

爺様より若い娘の方が お客様に歓迎されます。



11 月 7 日 (土)  



日中の気温が下がり 暗い天候

アクセルとブレーキを同時に踏む様な ガイド依頼されるお客様 2組。
民主主義の原則により 過半数の指示に従い 応接いたしました。

東京・千葉・広島・名古屋と 各地からで、「本日 仙台が最終日で 瑞巖寺を 次回に訪れます」の お客様が多かった。

昼 最期のお客様 名古屋からで 「一人でもよい?」
深い素養をお持ちの様で 中々の聞き上手です。乗せられました。語りました。

ガイドの立場で 双方満足するガイドが出来たと 感じました。


本殿前 青海波の門柱20cmの位置で 眼鏡を拾いました。
フレームから 若い 綺麗な お嬢さんを想像しました。

本殿の飛天の美しさに 裸眼で見ようとしての見とれての 事故?

券売口に届けたのを 見た仙台の人  「それ ダテメガネ だよ 大丈夫」
さて 「ダテメガネ」と云われて 伊達家領外のお人は 理解するでしょうかな


若年で 我々の仲間として ガイドをされて居た方。
持てる才能から 求められ現役に復帰し、先般の豪雨災害の際 〇〇隊長として隊員を引率 活動している様子がテレビで報じられました。

本日 「いつも資料の送付頂き有難い、会費を持参しました」 と 見えました。
公益の仕事と 介護と保育と 日々こなしていると ニコニコ。気持ちに余裕があります。羨ましい。

「折をみて ガイドします」との事。「気分転換、活力回復なるなら 是非」とお願いします。

「口は達者だが 足腰に・・・・」と語り 杖を用いている Sさん 本日から 本格復帰しました。
唯 涅槃門からの石段の昇降は どうだか?


最長老の Nさん 「今日を最後に 暫し 春迄 冬休み 入ります」に、「冬籠りですか?」
「いや 冬休みです」

バス乗換て90分を要しての 寒気厳しい経ケ峯では  命に関わります。それで 温かい城下で 生涯学習されるようです。
来春 お待ちしております。


午後 博物館に。
宇和島展を準備した 水野沙織学芸員 と高橋あけみ主幹の 講演(しろまち講座)を聞きました。

水野沙織学芸員の
1.宇和島藩の編年記録の「秀宗公不審抜書」 何故 不審抜書なのか?  例えば 秀宗公の元服 日時と場所に矛盾がある。これらから 記録の正確性に 疑問がある故

2.和霊騒動について 現在の和霊神社の豪壮に至る経緯

これらを 淡々と解説されました。これを聞いていて 頭に浮かんだのは、

宇和島城址のガイドは、「山家清兵衛は 伊達五十七騎衆の一人だが 参勤交代の費用を横領したので 成敗された」と 観光客に話をしている。事前学習の内容と大きく異なり驚いた。

と、最近 宇和島を訪れた 有識者の方が 語ったいました事です。


最後 高橋主幹から 図録の購入 のお奨めがありました。
あかとんぼは 図録を先に購入 熟読しました故 本日の講演も 理解出来ました。ごもっとな お勧めです。



11 月 5 日 (木)  



和歌懐紙

入りのそめて 國ゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ

政宗公が仙台に居城を移したときに詠まれたもの。
入場券の表面に記載されています。

もともと この地は、千代(センダイ)と言いましたが、この和歌では「千代(チヨ)と限らじ」とよみ、「千代」を後の「せんだい」=千代にかけて、(1000年の世といわず永年に榮あれ」との願いを込めています。現在「仙台」の地名の起源になりました。

と日々 ガイドをしております。
先日 素養のありそうな人が 「千代の代が 何故 仙臺の臺になるのか?臺とは そもそも如何なるいみか?」のご下問。

「そもそも如何なる意味か?は、漢和辞典で確認しましす」と回答しました。

大修館 現代漢和辞典 で確認しました。
1.うてな 高い建物
2.高くて平らな土地 台地
3.物をのせるひらたいもの。
4.もとになるもの。
5.令制の役所の名
6.皇族・貴人に関する事柄を敬った語
7.相手を敬う語
8.車・機械を数える語
9.数量の大体を示す語
0.天台宗の略
とありました。

2.高くて平らな土地 台地が 当てはまるのでは。

これまで、仙人の住む 豊かな土地 と説明していました。
その際 潜在意識として 勾当台を浮んでいます。



11 月 4 日 (水)  



小春日和

高齢者生涯学習

ガイド仲間のSさんのご紹介で 「南小泉郷土歴史クラブ」様30人程 経ケ峯を2時間要してご案内致しました。

南小泉は、政宗公の隠居所とも言われた 若林城址が所在する地区です。そこの歴史クラブの方々です。
スタートは些か緊張しましたが 普段の観光のお客様と 異なるバアージョンで 楽しく案内しました。

例えば
「政宗公の御遺体は、東西南北 何れの方向でしょうか?」
「ハイー 東です」
「どーしてですか?」
「はい お日様が登るのは 東ですから」
「ハアー そうかも知れませんね。新説として登録しましょう」


「これは 臥龍梅です。本物は???」
「ハイー 宮城刑務所にあります」
「はい正解です。入った事ある人?」
「ハイ」 ほぼ全員が手を挙げました。
やはり地元の利でしょうか?天然記念物の臥龍梅を ご覧なっていました。


瑞鳳殿は 何回か参拝され、資料館も入った事がありますとの事。

確かめましたら 「入った事があります」だけで 展示品を眺めただけでした。
甕棺・鏡・紅皿・石櫃・レントゲン写真等 要点を説明。 


あかとんぼ が意外に思ったのは 「御子様御廟」 初めての方が 大方でした。

引率者から 「2時間で 経ケ峯の史跡全部を案内し、最後に 鹿児島県人の墓所を紹介者のSさんの説明で締める」と 冒頭 ご指示があり、
10時ズタート 11時55分 Sさんに引き継ぎました。


境内では 消防局から 消防車出動しての 本格的 防火・消火を 全職員が参加し 行われました。

ガイドは 参加しません。
基本的に 組織外であり、員数外であります。不定期に瑞鳳殿に来ますから 力として期待できないでしょう。
しかし、
お客様が 体調を崩して倒れた際  事務所に速やかに連絡
地震の際 咄嗟の避難場所に案内 
等 ガイドとして 心得て置くべきことがあります。
この辺 早い機会に 事務所のご意向を 伺いたいと 思っています。



11 月 3 日 (火)  



温暖 ベロも快調

昨日は 最高気温10度 雨降りの寒い日でした。
お客様は400人程 
Aさん 孤軍奮闘ガイドをしてくれました。感謝です。

本日 人によっては4連休の最終日。午前ガイド4人 小休止の余地ない程 ご依頼頂きました。

あかとんぼ の主なお客様

1.30代のご夫妻。
 遠方は 佐賀からとの事で、伊達家とに共通することは?
 綱宗公の甕棺は常滑焼ですが、甕棺の日本一は、年代・形態等からして佐賀県・吉野ケ里遺跡の弥生時代の素焼きの甕棺群です。

 「驚きました」と 話しましたら 「訪れたのですか?私達は まだです」
 災害復興支援で佐賀県から気仙沼に派遣中との事でした。

 有難い事です。感謝の気持ちを込めて ガイドしました。時計をみたら70分経過していました。

2.東京の老人夫妻プラス1
 老人の表現は使用しないようにしています。が 日本昔話に出てく様なナンカぬくもりがあり 老人と云わせて頂きます。

 伊達家の事 知っています。能ある鷹 です。
 参道の灯篭に名札が 今朝から表示されました。

 亘理伯耆守宗根の名札を見て 「何処の者だ 亘理は 伊達成實ではないのか」と。

 亘理伯耆守宗根は、父茂庭石見綱元 母は秀吉の寵姫 で 実は政宗公の実子 ご落胤?????

 ご夫人から チップを頂きました。お断り致しましたが 是非と。
 頑固にお断りは ガイドを歓び 評価された老人に失礼かと思い頂きました。
 会の活動資金にさせて頂きます。
 でも、何年振りでしょう。チップを頂きました事は。嬉しいです。

3.家紋の乙女
 「この紋 九曜紋ですね?」 
 「はい そうです。1600年代 政宗公が細川公に お願いしたものです。
 板倉公も使用しており 江戸城で 見誤りから 刃傷事件が起きています。
 有力な大名家が使用しています。お客様は 何処の 大名でしょうか?」
 ムニヤムニヤ

 20代お嬢さん2人 涅槃門の菊紋を見て 話し合いをしておりました。
 「これは伊達家8家紋の一つです。秀吉から1591(天正19)年に頂いたものです」

 「家紋てナニー」
 「この菊紋は 國の紋なの?」
 「國紋とは 通常申しません。國旗と申します。日本国の国旗は 日の丸です」
 「ヘー」 こちらが ヘーです。

 「なぜ 8家紋もあるのか?」
 「よんどころない方から頂いたもので 貯まったものです。お客様は 家紋 何個お持ちですか?」
 「ありません。1個も」  「それは それは (お気の毒)」


瑞鳳殿の資料館で ミニ企画展(瑞鳳殿秋冬のパネル展示・「奉納された石燈籠と伊達家家臣たち」)を開催中です。
関連して 涅槃門から途中の各奉納灯篭の前に 「氏名・官職 と 碑文」 を記載した案内板を今朝 立てられました。

案内板の記載内容・ 情報量については 担当学芸員は 色々悩んだと申していました。
上記1.2のお客様とも話題になりました。今後 ガイドの際 活用させて頂きます。



11 月 1 日 (日)  



神楽月

人によっては、4連休の2日目。

9時お嬢さん2人。売店を楽しみ 愈々 境内に。
「オジイサン ガイドできますか?」

東京から 夜行バスで 今朝 仙台に到着。るーぷろバス運行前なので仙台駅前から歩いて来たとニコニコ。
熱心です。涅槃門から本殿まで 70分。資料館から降りてきたのは 30分後?
満足された様で 2人とも 交互に手を振り 去って行きました。


JTB当番。佐世保からのご夫妻。
10時30分集合と JTBのパスポートに記載されています。
遅れては と タクシーと62段駆け足で と ハアハーと 息を切らしていました。

青森から紅葉を追っかけ南下してきたそうです。
「奥入瀬渓流の紅葉は如何でしたか?」
「雨で。それでも 風情がありました」

JTBとの契約は40分ですが熱心に聞いてくれます。大幅 オバーしました。
資料館から降りて来る途中 次のお客様のガイド中と交差しました。
「このガイドさん 丁寧で 熱心にガイドしてくれます」と次のお客様に 伝えて下さいました。

今日は 相性の良いお客様ばかりです。

関西弁系の仲間 本殿前で ガイド終わる都度 お客様から 絶大な拍手が贈られていました。
詰所で「今日はノリがヨカッタですネ」に 「お客様が興に乗れば 自分も乗ります」と。

最後こんな話 をしてくれました。

駅伝があった日。軽い障害をお持ちのお客様が見えました。いつもの様に それなりの配慮をしてガイドしました。
後日、事務所から荷物を渡されました。

中味は、御礼状と名産品でした。
嬉しくなり お礼状を投函しようとしたら 郵便番号と〇〇県〇〇市までしか記載されていません。
困った 郵便 届くでしょうか?

7桁の郵便番号の記載あれば 丁目まで 特定できます。地方の郵便局なら 配達してくれるでしょう。

投函してみよう。嬉しくて 毎日 ガイドに来ています。





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