2016年1月の日誌
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1 月 31 日 (日)  



路面状況確認 定刻より遅い出発

早速 Aさんと資料交換会
あかとんぼ から 「松森城と人々のくらし」松森市民センター 仙台市教育委員会 工藤哲司氏
Aさん から「大河ドラマと時代考証」 蔵王町 NHKドラマ番組部 考証担当 大森洋平氏

昨30日の仙台市博物館講座 「政宗書状にみる食と贈答」 佐々木徹学芸員 に Kさんが参加されたのでは?
参加されたであれば お願いしなくては。


ガイド5人 供給過剰の事態。
あかとんぼ 2組半のガイド

壮年期のご夫妻。
始め ボラガイド軽視の風情から ガイドのノメリ込んできました。(あかとんぼとして内心欣快の想い)

ご夫人の質問 意外・イガイ です。

石 中心です。

1.戦災で焼失したそうだが 創建時からの物はあるのか?

 @石垣 A石段 B 龍頭 C 墓室 D ご遺骨

2.石の産地・種類

 @ 石段は(三滝安山岩) A 墓室は(秋保石)・・・

3.墓室の構造は?

4.副葬品は?


静岡・東京のお嬢さん

静岡市内だけど 久能山東照宮にお参りした事が無くて、日光東照宮にお参りした事があるお嬢さん。

片倉小十郎重長をご存じでした。
お嬢さんには、ゲームの影響で 確かに鬼小十郎の名前で 知られています。

その類かと思いましたら 親の景綱も知っているヨ の返事。

真相は、仙臺城址で 伊達武将隊がおり 親子で出演していた。
お館様から 瑞鳳殿に政宗公が祀られていると聞き タクシーで駆けつけた。

ガイドを 期待していなかった様ですが 終わった途端 「ガイド聞いてよかった」と大声。
写真に入って と。喜んで頂いたわけです。


2組半の半は、

再建資金寄付芳名版を 丹念に名前を探していたお客様です。
どなたをお探しですか? どちらから?

仙台市内だけど。

この芳名版をつぶさに ご覧なれば 約40年間の 仙台の経済・商業界の変化・推移が読み取れます。
お名前 ありませんか?書き切れなかった方々は 芳名録 に記載されています。事務所におたずねください。

ムニャムニャ  ガイドはイランと申して 去って行きました。


仙台市博物館講座に

演題 藩境を越えて 仙台藩の街道関係史料を読む
講師 菅原 美咲 学芸員
時間 13時〜15時30分

内容
1.古文書とは
2.読み方
3.仙台藩の職制
4.境目番所の所在
5.境目番所とは
6.通達(手配書)が 中央政府(幕府)から 東京事務所(江戸屋敷)・・ 現地(境目番所)まで 流れた。
 徳川幕府は 現在同様の 行政機能を確立していた。

非常に新鮮な話題でした。
古文書の読み解きは 難しい ですが。

BSで大岡越前等 時代劇を毎晩楽しんでいます。
人相書の手配書が 張出される場面がありますが、当時 絵に描かれた人相書の手配書はありませんでした との事。納得。



1 月 30 日 (土)  



夜来の降雪 継続中で公式には10cmの積雪。
発駕出来ず ガイドを休みました。

12時 路面 シャーベットから薄黒に変わりました。

松森市民センター主催「松森城と人々のくらし」講座に参加。
地域・人数限定ながら 瑞鳳殿ガイドの会から3人参加申込。

講師は 仙台市文化財課で発掘が専門であった方。
期待した 松森城については サラリ 矢野目氏は皆無でした。

建築の為 仙台市文化財課に発掘を依頼すると 1u当たり 10,000円程度必要とすると、質疑応答でありました。


本HPから メールを頂けます。
アドレスの記載あるが リンクしていない の教示がありました。ご不自由を おかけ致しました。

美人像に リンクが設定されています。 アドレスにも設定します。



1 月 29 日 (金)  



仙臺鎮台

16日日誌 仙台市史講座の感想に


「明治4年11月に 国分町に鎮台の仮本営が置かれた。の説明がありました。
  さて なぜ 国分町になのか? この時期 仙台の町に置ける 国分町の位置・意味は?現在のどこか?」
と記載致しました。

21日 郷土史家T様から、詳細な資料目次を添付 ご教示頂きました。

1.その場所はどこか?

 現在の表示で 青葉区国分町2-5-14の街区と確信致しました。

2.なぜ 国分町になのか?

 南部家等の要人の宿泊する為の施設「本陣」に代わる施設が「外人屋」です。
 江戸時代中期、大町から国分町に移され、管理したのが(米川家)です。

 国分町に「外人屋」があった事は、大名行列等の人馬に対する サービスを供給出来る態勢にあった事を示しています
 明治13年の地図に (人馬継立所)の記載があります。上記を証明するものでは?

 これらが軍団が駐留に最適であったと確信致しました。。

この結論は、

○郷土史家T様からの詳細な資料、

1.仙台医師会広報誌(てとてとて)2007年7月NO15号 仙台郷土研究会副会長 逸見英夫著 仙台名物のルーツを探る
2.仙台商工会議所広報誌(飛翔)2010年4月号 仙台市博物館 菅野正道著 仙台城下・町人列伝M 
3.仙台郷土夜話 三原良吉 著
4.Web 2009年08月27日7:58 (誤りだった「仙台郵便局創設の地})
5.安政補正改革仙台府絵図

○絵図・地図

1.安政補正改革仙台府絵図。
2.仙台市街図(1965年10月 大日本特殊印刷(株)刊)。
3.仙台開府400年記念仙台城下現代複合図(2001年刊)

からです。

また、

仙台 初の郵便局の位置は
米川十右衛門の屋敷で、「外人屋」は米川家の屋敷なり、明治5年7月ここに(郵便取扱所)が設置されました。
国分町153番地(現 国分町2-5-14)です。

1964年4月20日に設置された(仙台郵便局創設之地 碑)は、位置を誤認し 国分町149番地 (現 国分町2-5-20付近)にあります。


郷土史家T様 ご多用の中 お調べ・ご教授 誠にありがとうございました。



1 月 28 日 (木)  



慶長5年12月24日

この日に 政宗公は仙臺城の縄張りをしました。(仙台市史年表)

太陽暦では 1601年1月28日 で  今日が 祥月祥日 です。

積雪の中 縄張り作業したのでしょうか?


福島美術館

めだた掛け 福の依り代 展 を拝見してきました。

昨年末 学芸員尾暮まゆみ様からご案内を頂いておりました。

絵画22点ですが 精選されたものばかり お正月 この一年 未来が お目出度くなる ものばかりでした。


紋切り の展示。山椒は・・・・ の小味の効いた展示です。


徳川三代将軍 家光 が描いた 掛軸が 常設展示室片隅に ヒッソリ 展示されていました。

家光の真筆であれば 国宝クラスと思いますが その様な情報がありません。

「美を愉しむこころ」と題する 福島美術館ガイドブックを購入。
これにも 記載ありません  ???

福島美術館には3000点所蔵され、本図録は 100余点の紹介との事。・・・・・


仙台藩主の絵画

伊達政宗以来、歴代の藩主たちは教養人のたしなみとして和歌をはじめとする文化活動に力を注いできた。なかでも絵画を愛し、専門画家なみの技量を身に付けたのは、三代藩主綱宗と五代藩主吉村である。 (仙台市史近世2 492頁)

政宗公の描く 画が発見され 真偽が問われています。
忠宗公の描く 画に ついても 情報に接していません。

如何でしょうか?
仙台藩志会・伊達学塾では 仙台市博物館内山淳一副館長に 仮題「伊達家の絵画」で 講演をお願いしております。
政宗公以来の歴代公の絵画 描いた画のご紹介があればと期待しております。




1 月 27 日 (水)  



三引紋

縦三引紋は 伊達家の家紋です。

忍城址 行田市郷土博物館のロビーに 横三引紋 を記した大きい幟が 旗めいていました。

アツ 伊達家!!!  


歴代忍城主の家紋 と説明が記されています。

丸に三つ引き
(成田氏) 戦国時代以前から天正18(1590)年7月まで
成田頼泰・親泰・長泰・氏長

ほかに
1.丸に三蝶の内十六菊葉 (大河内松平氏)
2.丸に違い鷹の羽 (阿部氏)
3.丸に三つ葉葵 (東条松平氏、奥平松平氏)

の年期・氏名が記載されています。


さて、天正18(1590)年7月まで忍城城主であった成田氏の家紋が 三引紋 は いつ 誰から であったのか?

成田3代 成田七郎助綱の氏名が1189(文治5)年源頼朝 奥州藤原氏侵攻際の名簿に記載されている(吾妻鏡)。この際 鹿角郡に所領を得たとする古文書もある。(Wikipediaによる)

とすると、伊達家と同様の経緯となります。

伊達家・成田家 同様に源頼朝から 「三引紋」を下賜された家は 如何程?
吾妻鏡を 紐解けば わかるのかな?



1 月 26 日 (火)  



川越・喜多院

22日参拝しました。
本寺は、慶長4(1599)年 天海僧正が27世を継ぎました。
天海僧正は 徳川政権に多大の影響力を持った政僧です。

従前から 訪れたいお寺の一つでした。

同行33人の反応から

1.バスを下車すると 真紅のブレザコートに 真っ白い帽子の ボランティアガイド風のオジサンとオバサンが寄って来ました。
 「10人迄 1500円でガイドします」

 「ボランティアで無いの」  この旅慣れた方は (ガイドはボランティアで、ボランティアは無料)の発想です。

 
2.庫裏に (三代将軍家光誕生の間)が ありました。

 こんな会話が聞こえました。
 (徳川三代将軍家光は 川越で生まれたのか? これが 産室か?)

 これは、寛永15(1638)年焼失し、江戸城の別院を移築した建物です。この説明が抜けた為です。
 ガイドがあれば です。


今回は、
@鉄道博物館 A忍城跡 B吉見百穴 C所沢航空発祥記念館 D喜多院 E伝統的建物保存群川越 F大宮盆栽美術館 G武蔵一之宮氷川神社のコースのツアーです。

@鉄道博物館には ボラガイドいました。一度聴いたら 途中で抜け出せない程 熱心でした。
F大宮盆栽美術館には 会社が用意したボラガイドいました。内容は期待はずれでした。 

添乗員も、バスガイドも 初めて訪れる箇所でそうで、長時間の移動の際 在って良さそうな 訪れる所の 説明はありませんでした。
で、あれば  ボラガイドか 職業ガイドを 用意して欲しかった。

事前にWEBでも 参加者が調べて 参加しなさい でしょうが 万人には通用しません。



1 月 24 日 (日)  



大寒

瑞鳳殿に辿り着けませんでした。

駕籠を雪中から掘り起し 道路を除排雪 バス通り迄出ましたが 圧雪です。
北山隧道を抜け ご城下に入りましたが 凍結・白舗装です。轍に合わせて30kmの低速です。

轍から左右に飛び出すと事故を誘発します。事故を見ています。
自発事故のほか、追突される、正面衝突と多発事故の危険も感じられます。

北山五山で折り返し、登坂車線に融雪電気アンカ埋設した道路を経由 帰りました。


公益財団法人瑞鳳殿のHPには 通常営業しています と表示されています。
18・19日の大雪で 照会かあったので 24日の大雪予報にも 対応されたのでしょう。

瑞鳳殿参拝と あかとんぼガイドを期待し この悪路の中 お見えになられたお客様  事情ご賢察ください。



10時30分 青空 路面シャーベット状態 運行可の知らせが入りました。
駆けつけました。お客様は それなりに。

宇都宮からの御嬢さん3人。
第一声 「にてる!!」
「栃木からですか?」 「はい 宇都宮です」

「片倉小十郎 知っていますか?」(歴女の感じ故)
「ハイ 片倉製糸でしょう」

なんか糸が絡みました。

片倉製糸紡績株式会社の始まりは、1873年(明治6年)に- 長野県諏訪郡川岸村(現在の岡谷市川岸)で片倉市助が10人取りの座繰り製糸の開始で、
明治期から大正期にかけての日本の主力輸出品であった絹糸の製造を行い、片倉財閥を構築した老舗企業である。
かつて操業していた富岡工場(富岡製糸場)は日本の工業近代化の貴重な遺産と、UNESCOの世界文化遺産に登録された。
この項 wikipedia.による。

以後、本殿まで 楽しいガイドをしました。


19日は、路線バス、るーぷるバスも運行中止で参拝者皆無に近い状態。事務職員も 何度となく除雪作業し 通路を確保するも 枝・屋根からの落雪の危険があり、結果的に 臨時休業 となった。

その 事後対応がHPの記事になったようです。


仙台は青空になりましたが 四国・九州は 大雪の様です。
伊予宇和島にも 降雪があり NHKニュースで 報じていました。
櫻観測隊長宅では 雪ダルマ を作られたと http://iga504.blogspot.jp/ に写真が掲載されました。



1 月 21 日 (木)  



伊達成實

亘理町教育委員会が管理する 伊達成實のご廟が 開扉され、1715年作の伊達成實像が 6ケ月振りに公開されました。

ご廟に鎮座する伊達成實木像とお位牌に合掌する歴女 の写真入り2段で大きく 本日河北新報が報じました。



1 月 18 日 (月)  



夜明けからシンシンと 降り続いています。

地上を走行する交通機関の多くは安全運転確保が困難となりダイヤが乱れています。
観光バス るーぷる仙台は 終日運行停止(運休)になりました。

この悪天候 足元さだかでない状況で 何人 瑞鳳殿に参拝に お出で頂いたか?
この様な日に 参拝にお出で頂いた方にこそ 丁寧にガイドすべきと 思います。


15:30迄 4回 除排雪する積雪です。
駕籠のタイヤ径が小さく 又 馬力が無く 20余cmの積雪では 走行できません。
路線バスの運行も定かでありません。

瑞鳳殿に辿りつける目算が立たず 想いが叶いませんでした。


伊予・武蔵の国から 豪雪見舞いを頂きました。感謝致します。
明日 駕籠が走れれば 雪景色 を撮影に行きます。



1 月 17 日 (日)  



大学入試 共通一次

昨日と今日。
付添いの父兄が 合格祈願に訪れる 予想は外れました。

東北大学の入試本番に期待します。


朝一番 外国のご夫妻。
「おはようございます」の挨拶の交換で終わりました。

本日 特記する事は、

「我が家の家紋は 竹に雀 です」 のお客様です。

伊達八家紋 更に、竹に雀紋が 伊達八家紋の一つになった由来を語りました。
して、「勧修寺笹・上杉笹・米沢笹」に、「仙台笹・宇和島笹」の 図を披露しました。

お客様に お聞きしました。

お客様は 伊達家とのゆかりは?
お客様の家紋は 今お見せ致しました 5家紋のいずれに近いでしょうか?

明確な ご返事はありませんでした。
反応を観察するに 上杉の系統の様です。


最後に 記念写真を一緒と云われ 裏表 五色乱星の陣羽織の背中を撮影して頂きました。
竹に雀の家紋です。 皆様 大喜びです。


境内の雪はすっかり消えました。
地上 通路に 白く見えるのは 融雪剤 が融けなかったものです。

お客様のお話によると
「夏 公園に散布したら 雑草が 皆 枯れた。秋になっても生えて来ない。凄い 枯葉剤だ」

確かに。
成分が 塩 です。 枯れるでしょう。
車は 即 洗車しないと 錆びる 腐食します。


本日も充実した日でした。



1 月 16 日 (土)  



出発を躊躇しました。

雪が降り始めました。小康状態になるのを待って 定刻より遅い時刻に出発。
バス通りとバス通りを連結する 下りの急坂が 圧雪です。3台がソロソロと下りました。

ご城下も ビルの谷間は 凍結しています。
経ケ峯 通路は融雪剤が散布されました。西参道以外は足元に心配はありません。

お客様も 仲間も 遅い到着。

1.札幌市白石区からの御嬢さん。
 白石区を開拓・開発したのは 白石市の片倉家の家臣である事を 十分に了知されていました。

 
 片倉小十郎重長寄進の灯篭で、景綱と重長とは 同じ小十郎でも 違う 親子である等の片倉バージョンでガイドをしました。


2.境内を一巡し、参道追分に 萩のマークの付いた真っ白い運動着の美人が3人に立っています。
 お話をしました。

 陸上競技部だけど この石段を 小学生は 5〜7秒で駆け上がると 聞かされても その元気はない。

 医学部1年生との事。では女医さんに?。 いえ 医学部は3科あり 看護科で4年で卒業です。

 2020年に卒業ですね。(4年後 東北大学病院で お世話になるかな?の爺様の打算で) ガイドしましよう。

 運動着で 「拝観料の持ち合わせていない」 との事で 「拝観料の必要しない範囲でガイドしましよう」

 62段を数えて頂き、なぜか を語り、 涅槃門正面の垣根の外から 語りました。

 孫の年代です。チカラが入ります。
 仲間のAさん 整美員のGさん 「あかとんぼ さん なにしてるの?」


3.宇都宮からの男3 女4 の小団体。

 女性陣がガイドを頼みましょう の提案で 依頼されました。が、男性陣に 歴史学者が居るようで 「ガイド風情 何を語る」 の雰囲気ピリピリ。
 適宜 学者に振り 結果 喜んで頂きました。


午後 仙台市博物館に。
(こんなことがわかりました。仙台市史)のシリーズ講座

@ 近代編「軍都仙台」
  近代仙台は「杜の都」「学都」「軍都」と言われた。

  軍都への歩みと この呼称に至る 新聞等の世論の誘導は?

  講座で 面白い話と聞いたのは (東北の剣橋 牛津である)の記述の河北新報記事を紹介しました。
  ナント この読み(トウホクのケンブリッジ  オクスホードである)と紹介。まいった。19110年10月25日記事との事。

  明治4年11月に 国分町に鎮台の仮本営が置かれた。の説明がありました。
  さて なぜ 国分町になのか? この時期 仙台の町に置ける 国分町の位置・意味は?現在のどこか?
  
  市史・近代1の第二師団と仙台 の項には記載されていません。
  戊辰の役 関係の図書に 記載あるのか? いずれ調べます。

A 現代編「仙台市政」

  敗戦直後の状況から戦災復興区画整理事業を説明されました。

  面白い?数値を示されました。
  戦災の死者は 1066人 東日本大震災の死者行方不明者 1029人 と同数である。
  被災 11933戸 1947年5月迄(2年後) 自力建築 2073戸

  講師のまとめに
  仙台の戦災復興区画整理事業は 学校・お寺・墓地を 追い出して 広い道路を 通して 近代都市に生まれ変わった。
  これは 成功と言えるだろう。

  東京は 失敗した事例である。社寺・墓地が 取り残された。それが 現在 歴史遺産として評価されている。
  この面で 仙台は 成功と評価できるか?

  100年先を見え据えた 都市計画とは?


市史を読んだのみで 理解できない事柄を提示された 有意義な 講演会でした。



1 月 15 日 (金)  



菊紋   皇室と瑞鳳殿涅槃門

多くの日本人は、涅槃門の菊紋を背景に撮影されます。
その心情は 万世一系 皇室のご紋章と思われての行為です。

あかとんぼは、次の様にガイドを致しております。

これは、伊達家八家紋の一つで、政宗公が豊臣秀吉から 1591年・天正19年2月12日 侍従兼越前守に任じられ、羽柴姓を与えられた時、併せて与えられたものです。
(政宗公が小田原に参陣し、豊臣秀吉政権に服したのは 1590年・天正18年6月5日です。) 

この菊紋は 皇室のご紋章ではありません。皇室は 16片の複葉です。伊達家は16片の単葉です。


失望 の想いが 顔面を走るお客様がいます。
ガイドとして 真実を語る事が 正しい事か お客様の期待を裏切ってよいか 悩む 一瞬であります。


菊紋について

● 菊は奈良時代に中国から伝わり、高潔な美しさが君子に似ているとされ、梅・竹・蘭と共に 四君子とされた。
  9月9日を重陽の節句とし 菊花酒を飲み 邪気を払い長命を祈った。菊文様は吉祥文様とされた。

● 後鳥羽上皇が好み印として愛用した。後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇が印として継承し、慣例として皇室紋と定着した。

● 江戸時代 葵紋と対照的に使用自由で、和菓子、仏具に描かれた。

● 1867年 慶応3年3月28日 太政官布告第195号で、 提灯・陶器等に菊紋を描く事が禁止された。

● 1869年 明治2年8月25日 太政官布告第802号で、(16八重表菊)が 皇室紋とされた。
   親王家は、14葉・15葉以下あるいは裏菊とされた。

● 1869年 明治2年8月25日 太政官布告第803号で、 神社では 伊勢・八幡(大分県宇佐市宇佐神宮?)・上賀茂・下賀茂の4社 
   寺では 泉湧寺・般船寺の2寺以外が禁止された。

   (泉涌寺 (せんにゅうじ)は、京都市東山区泉涌寺山内(やまのうち)町にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院。
   山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。

   平安時代の草創と伝える。
   鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、
   皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれている。)

   (般舟院(はんじゅういん)は、京都市上京区にあった天台宗の寺院。般舟三昧院とも称する。
   山号は指月山。本尊は阿弥陀如来。
   室町時代中期の応仁の乱の後、後土御門天皇の発願により伏見(京都市伏見区)に建立された)

● 1871年 明治4年6月17日 太政官布告第285号で、 皇族以外の菊紋の使用が禁止された。

● 1879年 明治12年5月22日 太政官達第23号で、 官国幣社での使用が許された。

  (官国幣社かんこくへいしゃ
  官幣社と国幣社の総称。国家が祭祀を行い,神官の任免を司るなど,国家の経営した神社。
  第2次世界大戦前まで 218社あったが戦後廃止された

  官幣社は二十二社や天皇・皇族を祀る神社など朝廷に縁のある神社、
  国幣社は各国の一宮や地方の有力神社が中心である)

● 商標法第4条第1項第1号定める所により 商標等の登録は出来ない。

● 工業所有権の保護に関するパリ条約第6条の3に基ずいて1967年 条約同盟国に通知されており、これらの国では商標登録を出来ない。

以上は Wikipedia によりました。

  旧伊達家領内での 官国幣社は いずれか? 迄 調査は至っておりません。



1 月 14 日 (木)  



ドント祭と門松

市内の神社では 小正月の行事 ドント祭が 催されます。
あかとんぼ邑堺の 中山鳥滝不動尊でも 行われます。

政宗公が 眼病に効く とお墨付きを与えたとされる 由緒ある神様です。
近場ですが 遠くの神様 と 大崎八幡宮に 行く人がいます。

瑞鳳殿の伝統門松も 今夕 大崎八幡宮に 奉納され 灰になります。
12月18日以来28日間の寿命。

伝統門松作成の第一任者 仙台市博物館市史普及室 倉橋真紀先生の「伝統門松」についての講義が、富沢学園(仮称)主催で仙台市博物館で開催されました。

12月18日設置、25日のトークと 今日で 倉橋真紀先生と 今季3回目。 ながら 所用で欠席しました。







1 月 13 日 (水)  



仙台市博物館「せんだい再発見」トーク

演題 「展示資料から見る 仙台城下の町方」 
講師 水野沙織学芸員

次第

1.お金が必要「藩札」の発行

展示の@・Aを説明

@貞亨金札  仙台藩初の藩札 1683年発行
A天明銀札  悪名高い藩札。1784年4月発行 9月には 価値が50分の1に。
          天明の飢饉時で この銀札を持っていて 餓死した人がいた。
          仙台市博物館で 一番 所蔵が多い藩札・・・価値が無かった証拠?

  両替商 の説明は NHK朝ドラの視聴で 理解が容易。
  藩札は その背景を説明して頂き有難かった。A天明銀札が 美麗な理由を理解した。


2.「お助け様」佐藤助右衛門(助五郎)


展示の@・A・Bを説明

@佐藤助右衛門座像
A国分大倉村難渋百姓共江松皮餅被下置通帳・・・天保飢餓時の食料対策
B御救助方万人講・・・富籤方式での救助米調達資金の調達

個人蔵の「佐藤助右衛門座像」を前に その履歴(大町2丁目の商人から天保飢饉対策に功績があり金上侍となり、「御郡奉行」に)を説明。

座像の衣服の袖に 「竹に雀紋」がみられる。
伊達家8家紋 「竹に雀紋」が 拝領したの記録は無いの説明に、

無断使用ですか??

仙台城 中の間 詰となり 「小袖」を拝領している。
「小袖」に「竹に雀紋」があったか?

無断使用と 言えるかな?


曾孫 佐藤助五郎 は、明治前期 資本家として 仙台の発展に寄与した。


佐藤助右衛門について

菅野正道先生は 優れた経済感覚で、多くの人命を救った豪商「佐藤助五郎」 仙台城下「町人列伝」 として 仙台商工会議所 会報「飛翔」の2009年3月号に 書かれています。

また、
仙臺市史7巻(1953年刊行) 84頁に佐藤助右衛門 86頁に 曾孫 佐藤助五郎 について詳細に掲載されています。 

水野先生は、他の豪商と異なり、珍しい 仙台城下 生まれ・育ちの豪商と 申されました。

仙台市史 通史5巻 45頁  117-118頁に 銀札、佐藤助右衛門について 詳しく記述されています。


3.仙台城下の町方 大町

総合展示室に展示の
@佐藤助五郎家申定書
A佐助呉服店団扇絵
B東照宮祭礼渡物図
C文久二年仙台城下図

を、お奨め頂きました。

常設展は 常設と理解していましたが 展示替をしていました。之まで 見逃していたようです。
他にも なるほどの展示がありました。

学芸員の説明を聞く機会は 大切に しなくては。目から鱗のトークでした。


本日の参加者 50余人 盛会です。
瑞鳳殿ガイドの会2人 国分寺ガイド会2人 その顔見知り 多数。
意外にも 尚絅学院大学 千葉正樹教授も参加していました。



1 月 11 日 (月)  



風花が舞います。
本殿前の風は 特段に冷たいです。

お客様の出足 今年は少ないと感じます。
統計的には 前年同月比を 上回っているらしい。お客様 午後にお出でなっているのかな?

福岡からの団体
政宗公と黒田公と 秀吉の元で 同時期故 黒田公と 政宗公を語り ご理解頂き 最高でした。
相性が 合いました。

東京かの団体
桜田屋敷・日比谷公園から 話は始まりました。

相性が 合いました。



写真 2題
◎ 涅槃門 左側面を 地面から見上げる角度で撮影されている御嬢さんが居ました。
   日本人と外国人では、視点が異なり、撮影位置が異なるのは 承前です。でも この角度は初めてです。
   次回 ガイドの際 挑戦します。

◎ スマホは弱い。涅槃門の菊紋を背景に 美人姉妹に「このボタンを押して」と言われ、指示の通り しますが シャッターが落ちません。
   パソコンのキイ同様 叩けば 宜しいのかな? カメラ感覚と 異なる様です。



瑞鳳殿の拝観料は 高いか 安いか?

「お客様 来ないかな」と階段を覗いています。
62石段を 息を詰まらせ ハア・ハア 登って来て、券売窓口を見て 引き返した方 3組 10余人居ました。

健康維持の目的で登ってくる 学生諸君と服装等が違います。

無料ガイドを聞き、お参りすろと 基は取れます。お釣りが出る位です。

これまで 投じた時間とお金が 勿体無いと思います。

瑞鳳殿の工事も担当された小西美術工藝社社長David Atkinson氏は 日本の社寺仏閣・文化財の拝観料は安価である。欧州では 2〜3千円が普通である。それには、それなりにガイドも充実し 滞留時間が長くなる様になっている。

と2015年12月9日講演されました。ごもっとです。

さて、現実 現在の日本で (瑞鳳殿の拝観料は 高いか 安いか?)です。お客様が 決める事です。



1 月 10 日 (日)  



予想は外れる から・・・たのしい。

3連休 中日 で朝から 続々の 予想が・・・
気温7度 温かく 晴天の天気予報が・・・ 時折 降雨で 果たして 7度?の気温。


涅槃門前 全国型 門松が撤去されました。

「今年は早くありません」とおたずねしたら 

「東京・関東圏からのお客様から いつまで飾っているんだ」のお声が相次ぎ、伊達家領内沿岸部では 7日にドント祭をする所もあります。
今年は 成人式前に 門松飾りをお終いにしました。

資料館前 江戸・伊達家時代門松は 14日迄飾ります。とのお答えでした。
お客様に 資料館前 江戸・伊達家時代門松をご説明すると 「ヘー」と 歓喜され、

「なぜ ここか? 涅槃門前に なぜ飾らぬのか?」が 返ってきます。
あかとんぼ と 同意見の方 おられます。意を強くしています。


相性が合うと ガイド時間は 伸びます。

広島からの親子3人に 途中から転勤族 仙台に居を構えたばかりの新婚さん(この情報は 広島の母が尋ねました)の2組 5人。
会話が弾み 終わったら60分を経過していました。

高2の御嬢さんが、伝統門松と政宗公副葬品に 興味を強く示されましたので、
「瑞鳳殿だより 経ケ峯の四季 VOL・11 と 歴ネット企画 仙台の伝統的な門松解説パンフ」を お土産です と差し上げました。


建築関係職人風の服装の 盛年男性3人。
軽く 簡単にガイドをしてくれの要望でした。

「大震災の復興工事に来仙した。先ずは 政宗公にご挨拶しなくてはならないと参拝に来た。ここの被災状況は?」から、
被災状況 灯篭の倒壊に 涅槃門の彫刻・用材等を 詳細に語りました。

20分のつもりが 50分になりました。

お客様から「一目しただけで理解出来ない 用材等に 地震被害まで 聞けて 勉強になった。明日からの仕事に役立つ。ありがとう」と言われました。

ガイド冥利の お言葉・感想です。こちらこそ 感謝 です。


本日 午前 5爺様 集結しました。午後 何人か入れ替わりです。


現代の「御門松上げ上人」とも云える 「根白石邑のK様が 6日 見えた」と 券売口のお嬢さんから 伝えられました。
今季 12月18日の飾りつけ に見えなかったので 心配していましたが 安堵しました。



1 月 9 日 (土)  



今季は暖冬と云われながら 経ケ峯は 青空でも 風花 が舞いました。

本日3連休の初日。本格的ガイド始めです。
年期の入った仲間 6人 9時30分集結しました。

が、参拝のお客様は チラリホラリ。ペアやフミリーは 異物混入を嫌うのか ニコニコと 朝の挨拶しますが ガイドのご依頼はありません。
もっとも 爺爺ガイドでは 敬遠されるのか?

20代の御嬢さんに 50代前後 盛年女性の仲間がいますが、本日は家事都合?で お休みです。
お客様は 正直です。この方々が居れば 即 依頼があります。


待機さなか Aさんが 「お客様 2組 上の龍頭の 下顎を撫で 写真を撮った。怖いもの無い は 豪いものです」と 語りました。

仲間 多数が 「エー」の驚嘆の叫び。

一人が「驚くに値しません。無知 程 強いものは ありません。最近は 「逆鱗に触れる」の言葉を知らない人が多いです」

あかとんぼ所持 故事ことわざ辞典 東京堂 1956版に
出典 韓非子・説難編
夫龍之為虫也、柔可狎而騎也、然其喉下有逆鱗径尺。若人有嬰之者、則必殺人。人主亦有逆鱗。説者能無嬰、人主之逆鱗、則幾矣。

とあります。

あかとなぼは、ガイドの際  (「逆鱗に触れる」の語源は ココです)とガイドしております。
これまでの お客様は 幸いに 「逆鱗に触れる」を知った方ばかりで 龍頭の下顎を撫た人は いませんでしたが。



1 月 8 日 (金)  



瑞鳳殿 発掘品

再建の為 事前の墓室が発掘調査が行われ 素晴らしい副葬品が 発見されました。
これらの品々を 伊達家17代ご当主は 仙台市博物館に寄贈されました。

で、瑞鳳殿でのガイドの際 「お客様に 仙台市博物館に展示されています」と 伝えています。

本日 学芸員 佐々木徹先生に 願いの筋があり 訪館しました。
 お約束の時間に余裕があり 常設展の瑞鳳殿発掘品 特設コーナーを訪れました。

太刀は 模造品と 聞いていました。
金のブローチは 真物 と 有識者から聞いていました。

しかし 見る都度 美麗になります。発掘時の写真に写っていたカビ状のものはありません。清掃しましたと聞かされていましたが。

でも、訪れる都度 美麗になりますは 不思議です。
思い切り 解説員に 聞きました 「金のブローチは 真物 ですよね」

返答する時の 表情と その内容は・・・・・・
ご想像にお任せ致します。



1 月 7 日 (木)  



瑞鳳殿ガイドの会・新春の集い

本日 昼 城下一の繁華街に構える Sホテルで会員37人中 23人が参加し開催しました。

会員に20代女性が4人おりますが、現役故 欠席でした。
残るは 86歳を筆頭に 人生経験 豊かなる人々です。

司会から 自分の時計で 1分間のスピーチ を 促されました。
ガイドをしている人々です。時間制限無ければ 120分は止まらないでしょう。

皆様 含蓄 あるスピーチ を されました。


詩吟教室を主宰する S1氏が、政宗公 仙薹城を築き 町を開いた時 詠われた

入りそめて くにゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ


を朗々と吟じられました。

S2氏が お正月のお目出度い歌と やまがた だいこくまい を唄われました。

すっかり お正月 お目出度い気分になりました。


最後、仙台藩志会副会長の交通事故を事例に 日没前 明るい内に 帰宅してください の注意。
伊達 1本締 で お開きになりました。

設営・進行・会計等 お世話されました 役員の皆様 ありがとうございました。



1 月 6 日 (水)  



四脚門

生涯学習の団体が 有識者に引率され 参拝(見学)に見えます。

多くの場合、涅槃門で、これは「四脚門です」で 終わります。

四脚門とは の説明も無く、構造・用材の説明は無く、当然、伊達家八家紋に菊紋に、麒麟・唐獅子牡丹等の透かし彫り の説明もありません。

ガイドが語れば、30分は語れれる 涅槃門で 15秒で通過とは 引率された生涯学習の皆様が 気の毒になります。


仙台医師会の広報誌「てとてとて」に、仙薹郷土史研究会 渡邊洋一理事が (やくいもん って何?)と題して

四脚門
矢食い門
薬医門
と 由来と変遷を簡潔に記載されています。

また、戦災で 藩政時代の建造物は皆無に等しい状況にあって 薬医門は構築され続けた。
ともあります。


読み終わって 
「今度 屋敷を構える際には 薬医門を、 少なくとも 冠木門が 欲しい」 と漏らしたら 外野から

「本屋敷 を 未だ 構えられない人が 薬医門を 構えられるでしょうか?
愛子や根白石に 現存する冠木門は 邑の名主・肝煎を 勤めた方の子孫の屋敷門でしょう。家格が 違うでしょう」
と返ってきました。そのとおりです。



1 月 5 日 (火)  



読書

笊頭になりましたが 年末年始 読書に努めました。
笊頭に残った図書は、

1.伊達氏と戦国争乱
 吉川弘文館 2015.12.25.刊行。(同日購入)

 主な内容は
 0 .戦国時代の東北     遠藤ゆり子 (淑コ大学)
 @ 伊達氏、戦国大名へ  菅野正道  (仙台市博物館)
 0. 伊達政宗の野望     遠藤ゆり子
 A 南奥の国衆と佐竹氏  垣内和孝  (郡山市文化・学び振興公社)
 B 大崎氏と近隣国衆
 C 最上氏と北出羽の領主 金子 拓 (東京大学史料編纂所)
 D 北奥の国衆        熊谷隆次 (八戸工業大学第二高等学校)
 0. 東北大名の花押と印章 金子 拓 
 E 中世城郭群        松岡 進
 F 宗教と文化        佐々木徹  (仙台市博物館)
 G 戦国の町村        遠藤ゆり子
 H 東北と統一権力     遠藤ゆり子
 0. 遠藤家文書の発見    菅野正道

 戦国時代のおける奥羽地方の 動向が簡潔に記載されています。


2.戦国大名の兵粮事情
 吉川弘文館 2015.12.01.刊行。 (図書館蔵書) 久保健一郎 著

 勝敗を決する重要物資(兵粮)。戦国大名は如何に取扱い 戦いに臨んだか?
 調達・備蓄・用途など兵粮のさまざまな側面から 書かれていまし。

 用語が「兵粮」に 拘っていること。
 戦国大名の軍隊は 兵員が(兵粮)を自分で用意する「兵粮自弁」の軍隊であった。

 食糧・装備・武器 等 戦いに必要な品々は 統領の責任で用意するものと 理解していた故に 目から鱗 の話題です。



1 月 4 日 (月)  



仏滅

昨日は暦上 仏滅でした。
不具合の知らせが 3本も入りました。

1本目 14時の電話
2本目 17時に 親の不具合で 会合欠席のメール
3本目 20時に 支倉常長13代目 常隆氏の事故の電話


1本目は、今朝早く 瑞鳳殿に。経過を教えて頂き、幹部に お礼を言上。
9時 本人と 連絡がつき、2〜3日の検査入院との事で 安堵。

3本目は、有名人故 新聞・テレビ・YOU TUBOでも報じられた。ご回復を祈るのみ。


瑞鳳殿ガイドの会 定例役員会

上記が話題になり、7日の新年祝賀会において

1.会員は高齢者が多い故 健康管理に 留意して頂く。
2.経ケ峯 公益財団法人瑞鳳殿 管理区域内で 事故に遭遇した時 即 事務所に報告、指示を仰ぐこと。
3.緊急連絡先名簿を作成する。(応諾した会員のみ)

を、伝える事になりました。


今年は 異常気候で 降雪が無く 暖かいと 言いますが 経ケ峯 は 寒い です。



1 月 3 日 (日)  



遅い出発 早いお帰り

高齢者向け ツアー のお題目。旅行会社は このセリフで誘っています。
(楽なようですが、旅をしている時間が ありますか?旅行の時間当たり単価 高いものになります)

本日のガイド。
出発が 諸事情で 定刻に大幅遅れました。

昨日のお客様の怒涛は 夢の如く 閑散チラリホラリ。
券売口のおねいさまも手持無沙汰。

チラリのお客様にも 相手にされません。

小学生2日人の親子に 62石段・62万石をガイドしたのみ。
ガイドらしいガイド出来ないまま ガイドを 断念し 帰宅の途に。

で、遅い出発 早いお帰り となりました。


「日本語ガイドが通じない人達のグループ」との昨日の日誌記載について お問い合わせありました。

亜細亜圏です。
2〜5人の団体でみえます。自分の世界で 観光されます。

若い女性の特性でしょうか? 日本の女性同様に 「群れ」をなして訪れます。 


緊急連絡が・・・

14:50 公益財団法人瑞鳳殿から 「ガイドのS・Sさんの自宅の電話番号は?」の電話。
電話の主は Wさんです。不審な電話でありません。お教えしました。

「何事でしょうか?」
「帰ろうとしていて 具合 悪くなりまして・・・・・・・」


昨秋にも 具合悪くなった仲間がいます。大事に至りませんでした。
今回も 大事なければと 祈るのみです。

超高齢者は 冬休みに入っています。 
60代後半から70代前半の 働き盛りの頑健な仲間のガイド活動を頼りにしています。

健康管理 万全をを期してください。

瑞鳳殿ガイドは すべて 自己責任 です。
原始的自営業です。 自己責任 よろしく。



1 月 2 日 (土)  



新年拝礼式

瑞鳳殿本殿で11時から催されました。

次第

◎ 読経
    瑞鳳寺 ご住職様 こ坊主様

◎ 焼香
  @ 伊達家18代当主        伊達 泰宗 様
  A 殉死者後裔会会長       加藤 孝  様
  B 仙台藩志会副会長       佐藤 久一郎 様
  C 伊達家御廟大年寺会長    阿部 和子 様
  D 公益財団法人瑞鳳常務理事 富田 律男 様

◎ 挨拶
  @ 伊達家18代当主        伊達 泰宗 様
  B 仙台藩志会副会長       佐藤 久一郎 様
  D 公益財団法人瑞鳳常務理事 富田 律男 様


仙台藩志会副会長 佐藤 久一郎 挨拶 全文

新年あけましておめでとうございます。
平成28年の年頭にあたり、仙台藩志会伊達宗行会長に代わりご挨拶申し上げます。

昨年は慶長年間に伊達政宗公の派遣した支倉使節団がスペインやイタリアを訪れて、日本初の外交交渉を試みてから400年にあたり各地で記念事業が行われました。

また、長男伊達秀宗公が宇和島に入られて400年ということでも多くの記念事業が開催され、仙台と宇和島の各種の交流がなされました。

国際間・地域間の交流・相互依存が益々重要になっている現代にあって、政宗公の偉業が改めて見直しされた年であったと言えます。

さて、本年平成28年4月5日、かねて修理中だった松島瑞厳寺本堂が見学可能になります。
平成20年に始められた平成の大修理は この後も重要文化財の中門の復元工事がなされ、震災で失われた あの荘厳な参道の復旧工事も併せて行われ、落慶法要は平成30年6月ということです。

完成まで まだ時間がかかるようですが、政宗公が創建された国宝瑞厳寺本堂の400年前の姿を4月から目の当たりにできる事は 私どもにとって大きな喜びであります。

伊達家18代当主伊達泰宗様を総裁と仰ぐ仙台藩志会は伊達宗行会長を中心に 仙台伊達藩歴代公の顕彰事業と伊達学塾や藩報「きずな」による歴史を学ぶ事業を平成28年も続けてまいります。
ご支援ご協力 お願いいたします。

最後になりますが 本年1年 皆様のご多幸ご健勝を ご祈念申し上げ ご挨拶といたします。


公益財団法人瑞鳳常務理事 富田 律男 様 ご挨拶

草稿 入手次第 掲載いたします。



あかとんぼ の動き

8時30分から ガイド開始。
なぜか、日本語ガイドが通じない人達のグループが 続きます。

8時40分 仙台藩志会会員で 裃・五色乱星陣羽織着用者の 着付会場 天龍閣にて 総務部長・事業部長・儀典部長と 進行を確認。
9時20分 和歌山・新潟からの 2グループを ガイド。11時からの 拝礼式を案内する。

10時 瑞鳳殿ガイドの会会員 集結。涅槃門を潜り 拝礼式に参列。

12時 伊達家18代当主伊達泰宗様 と 瑞鳳殿ガイドの会会員とで 記念写真 撮影。
    ご当主様から 「今年もよろしく ガイドしてください」 とお言葉を賜る。

    公益財団法人瑞鳳殿 公式ホームページ掲載用 集合写真 撮影する。

    伊達武将隊 瑞鳳殿・感仙殿・善應殿を参拝に 同行。

今年も 会員一同と ともに ガイドに努めます。



1 月 1 日 (金)  



謹賀新年

瑞鳳殿のガイド 今年は 余裕のあるガイドに努めます。
気力・体力の限界には、挑戦致しません。

皆様 今年も よろしく お願いいたします。





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