2016年2月の日誌
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2 月 29 日 (月)  



4年に1日しかない日 2月29日

城下で開催された 宮城県華道連盟「春のいけばな展」の招待券をガイド仲間のK女史からを頂き行って来ました。

見事な作品ばかりでした。龍宮城に行った感じです。
展示会の役員であろうKさんは、まだ会場入りをされていませんでした。

ガイド仲間には 美の極地を追及する多彩な才能をお持ちの方居るを再認識しました。



五郎八姫 霊廟

政宗公と正室愛姫の長女五郎八姫(1594-1661年)のは、3回忌の1663年5月8日創建され、明治の廃仏毀釈で破却され 1895年再建されました。

瑞厳寺・円通院(光宗廟)と参拝し 天麟院を訪れた際、その格差の大きいに「声無」でした。

2,014年3月からの工事で、柱9本を茶色、扉外枠を黒色に塗り替え、しっくい白壁に映える様に完成したらしいです。

4月の落慶が予定されている。

以上の内容を 本日夕刊が伝えています。

瑞厳寺本堂も4月に落慶が予定と聞いています。同日でしょうか 楽しみです。



2 月 28 日 (日)  



春の日差しです。
るーぷるバス 朝1番のお客様 最近では 最高の人数です。
が、黙々と 手水舎に直行されます。


「清めましょう」「禊しましょう」と 申す詞 聞こえてきません。「手を洗いましょう」と 一様に申します。
手を洗い 本殿に急ぎます。

ガイド無料も ガイドの紫色陣羽織も 目にはいりません。(あかとんぼ は内心不満)


栃木県は那須からのご夫妻。

「丁寧にガイドして欲しい」との事。ご期待にこたえました。
待機定位置に戻ったら ソソクサと 小走りに通過しました。

「感仙殿・善應殿は ヨロシイですか?」
「十分満足しました。次もありますので」


越後からのご夫妻。

涅槃門から降りて来て「これから先ガイドできます?」
「出来ますが、この瑞鳳殿 今一度 石段を登る元気おありでしょうか? ある様でした ご満足頂けるガイド致しますが?」

本殿まで ご案内しました。
「先程は 二人で 何を見たんだろう」の感想を頂きました。

越後からとの事でしたが ガイド中の会話(上杉謙信・春日山城・林泉寺等の単語)を整理して 新潟県上越市高田からのお客様と判断しました。

「この山 太い木 400年だよな? 山の管理 悪いね」

樹齢をピタリ当てました。

「山の敷地は仙台市公園課 樹木は森林課の縦割り管理と聞いています」
「山は木を見て 将来を見極め 対応しなければならない。子供の教育と同じ」

怪訝な顔と見たのか、奥様 「この人 山・樹木の管理しているの」
「山林地主さん ですか?」 二人 頷きました。

「後、感仙殿・善應殿は よいわ満足した。林泉寺をぜひ 訪れて。案内するから」 



本殿のお賽銭箱 新調されました。
伊達カラーの黒い頑丈な函から、茶色の欅造風です。

全面の伊達家家紋「三引両」が消えました。
あかとんぼ としては マイリマシタ。

これまで、ここで 伊達家八家紋の内 三家紋「三引両・竹に雀・九曜」を一気に説明していました。
ここでは、「竹に雀」を語り 香炉前で 「三引両・九曜」は 語りましょうか。


来月から ガイド内容 一部変更します。
大震災5年目になります。

お客様は 風化 忘却の彼方です。
5年目の節目として 経ケ峯の被災写真を揃え 今一度 振り返ってみたいと思います。 



2 月 27 日 (土)  



瑞鳳殿ガイドは仙台藩志会伊達学塾準備の為休みました。

演題  仙台藩のお家騒動 寛文事件
講師  仙台市博物館 菅原美咲 学芸員

概要
1.「お家騒動をめぐる3つの固定観念
2.寛文事件の経過
@ 綱宗の隠居と「主君押込」
A 藩政への不満と境界争い
B 刃傷事件と忠臣と逆臣の決定
C その後

3.周辺資料から見る寛文期の藩政
4.一門と藩主・藩政
5.宝暦の政変
6.安永の政変


寛文事件については、
1909年大槻文彦文学博士が「伊達騒動実録」を刊行。これは、小説・歌舞伎等と異なる「真の事跡」を究明する歴史研究の立場からでした。
1970年小林清治先生が「伊達騒動と原田甲斐」を刊行。(2015年11月吉川弘文館再刊)。結末までを要領・理解容易に記述されました。

本日の参加者は、主役の一人 伊達安芸の城下・涌谷からを含め 97名の歴史学習に熱心な人々です。
寛文事件の概要には 精通している方々です。

レジメ・史料(古文書)・パワーポイントを縦横無尽駆しての講演に 得るところ 多大な講演でした。
講演後の受講者の感想 「満足」を頂きました。

本日 講演の企画から関与した あかとんぼ には みのりある日でした。


なお、あかとんぼ は 次の様に講師紹介をしました。

菅原美咲先生は 新進気鋭の仙台市博物館学芸員 です。
平成21年には、「領内境日記 伊達吉村の軍制整備との関係から」と題して論文を発表されています。
又 伊達領30ケ所の境目番所についての古文書の講読会も開かれています。

古文書 読み解き の先生でもあります。

本日の演題は、「仙台藩のお家騒動 寛文事件」

事件の際 江戸屋敷が発信した文書236通が箱に納められ、封印、御納戸御寶物方に移され、「伊達の黒箱」として仙台市博物館に伝えられました。
この「伊達の黒箱」を中心に平成24年4月20日から6月10日まで 仙台市博物館では 企画展「仙台藩のお家騒動 寛文事件を追いかけろ」を開催しました。
この企画展を担当されたのが 本日の講師 菅原美咲先生です。

寛文事件の関係者 原田甲斐の家来は 名取郡植松村・飯坂村に移り百姓になったそうです。
そのような事から 伊達家重臣に限らず 寛文事件の関係者の御子孫の方々 本日 多数お出で頂いていると思います。

先生のお話 最後まで ご期待ください。





2 月 24 日 (水)  



講座 土地の履歴書

仙台市博物館と市図書館の共催で、12月7日から 太白、泉、榴岡、市民と続き 本日 廣瀬図書館。
申込方法が複雑、人数限定で 本日まで参加不可能でした。

交通不便の地ながら 定員30人に 2倍以上の参加。整理券を配布。
なぜ かくも 盛況なのか?

1.先着順でb申込み不要である。
2.広大な専用駐車場がある。
3.講師が 仙台市博物館菅野正道先生である。

菅野正道隠れフアンクラブの面々が多数でした。


アカトンボ 現在 経ケ峯と黒沼 について調べています。
黒沼 記載の地図を探しています。

天明6(1786)から寛政元(1789)年の仙臺城下絵図(仙台市博物館蔵)に発見しました。

1.名取郡根岸村黒沼 の邑絵図
2.地引図(土地台帳付属図面)
等を見たいと思っており 菅野先生に相談しました。

1.は 仙台市博物館で所蔵している。閲覧可能である。
宮城県公文書館には、明治初期の村絵図を大量に所蔵しており、デジタル化し 有料で配布しています。

2.につては、法務局に相談しなさい。
と ご教示頂きました。ありがたい。


本日 講演会の特記事項

1.主催者から 冒頭 「講演終了後も 講師に質問しないでください」と 質問を禁止されました。
 仙台市博物館講座では 持ち時間一杯講演がなされ 質問時間はありません。しかし、降壇後 先生方は質問・相談を受けています。
 参加者には 仙台郷土史会役員、仙台近現代史講師等 錚々たる顔触れがありました。消化不良を起こしたのでは?

2.講演会時間 90分で案内されていましたが、70分で 時間キレとか菅野先生の講義が終わりました。
 続いて 図書館広報が5分と全体で 15分残して散会になりました。モッタイない。

3.次回の案内がありました。でも、申込締め切られています。駄目なもの案内されtも。
 ある人 @行けば なんとか入れる。 A 資料だけ 貰える 事がある と 隣の婦人に説いていました。



2 月 22 日 (月)  



昨日 経ケ峯の天空は轟音と共に強風でした。
駐車場は 落下した 枯れ小枝が散乱していました。物損事故が無かったは幸いでした。


昨日の続きです。

多くのお客様は 20日に瑞巌寺をお詣りされていました。

で、質問で
1.なぜ ここ瑞鳳殿に 埋葬しなかったのか?
2.なぜ 松島で、陽徳院にあるのか?

3.愛姫は 何歳で亡くなったのか?
4.政宗公との歳の差は? 何年後 亡くなったのか?

とっさに答えられなかった、

愛姫の没年は、
承應2(1653)年正月。
政宗公没後 17年後。
行年86歳で没。


21日日誌 伏見の方のお話で、

(C政宗の子供が ここ伏見屋敷で生まれている。)とは、誰か?のお問い合わせありました。

4男宗泰で、慶長7(1602)年3月17日城州伏見第に生まれています。(仙臺人名大辞書)による、以下同)

この方以降に生まれた方は、江戸ないし仙臺です。

なお、
長子 秀宗公は、柴田郡村田で 天正19年12月に、
長女 五郎八姫は、山城国聚楽第で、文禄3年6月16日に、
次男 忠宗公は、播州大坂第で、慶長4年12月8日に、
三男 宗清公は、生誕地、生年の記録に至りませんが、慶長4年山城国聚楽第と推定されます。
    その根拠は 没年・没年齢から逆算すると慶長4年生です。生母飯坂の局は慶長3年2月4日聚楽第入りしています。


(C寺は黄檗宗で、山門に「普茶大本山開祖道場」の札が掛り、普茶料理で知られている。)について、

ガイド仲間 Kさん と Tさんが 海寶寺をお詣りされており、内1人が 予約が出来 、普茶料理を賞味された の情報がありました。



2 月 21 日 (日)  



朝から 青空。
暦は「雨水」(ウスイ)です。

参拝されるお客様に 春のきざし。
お嬢さん ダウンから春の軽いコーに、ズボンからストンキング、防寒靴からパンプスと 春のヨソヨイです。


相馬からの お客様に 九曜紋を指して 「ご存知ですよね」に頷かれました。

「お客様の殿様 相馬様も九曜紋です。相馬家と伊達家は 親戚関係にありながら 絶えず境界紛争、攻め合いをした中です。で、この九曜紋は 相馬家からのものではなく、九州・細川家から 政宗公の時代に許されたものです」

に ヒー。


会津からの成人 夫婦娘3人 なかなか聞き上手です。
如何なる お仕事の方か 想像しながら ガイドが終わりました。

「私 教師です。修学旅行の引率以来です。分かり易いで よくわかり楽しかったです」
「ありがとうございます。私ども仲間 学童にガイドするの大好きです。今度 お出でになりました お声ください」

赤とんぼ 思うに この先生の教室は 素晴らしい雰囲気だろうと思いました。


11時30分 今朝は9時からガイドで聊か疲れを感じましたので 之までと思ったトタン

「アッ 居た よかった。ガイドをして。上まで行って来たが ワカラナイ 解説が無いと駄目だ」

涅槃門から出てきたお客様で ハテナと思った瞬間 有難い ご依頼。

「茨城県から」
「海岸部? 内陸部?」
「内陸部」 
「では 筑西市 ご存じですか?」 
「近所。なにか?」

「ここは 最後の戦国武将とも言われた 伊達政宗公の御霊屋です。その伊達家の発祥の地が 常陸国真壁郡伊佐・中村です。現在の筑西市・真岡市です。伊達家関係の城館・社寺が残っております」

に、壮年のご3人ピリリと締り 真摯に聞いてくれました。

弁護士の方でしょうか、「弁護士会のバッチも菊紋?」

「皇室の菊紋は太政官布告で 一般の使用禁止であることは 弁護士さんは 当然 ご存じでしょう。
ただ 伊達家の家紋 菊紋に似ることは あるかも?」

「そうだよな。国会議員のバッチ 皇室に敬意を表しているのかな?」


中高年の男女3人。

「どちらからですか?」 
「青森から」 
「南部ですか? 津軽ですか?」
「チガルだ なんかエイゴトあるか」

「はい 津軽の人だけに ガイドする 見てもらいたいものがあります」 
「それナンダ」

涅槃門の柱 津軽ヒバ の使用由来を説明しました。

「撫でて エガ」 
「津軽の人 故郷の銘木です 軽く ね」
「エガッタ オラ 話わがるが?」

この会話の御婦人 長距離走者の福士加代子選手の 母親ではないっでしょうか?
福士選手の様に 津軽弁でガハガハ語ります。

実に 愉快でした。



あるご婦人 が 同行のご婦人に 涅槃門からの石段の高さについて 解説していました。
聞かせて 頂きました。

「この石段 高いでしょう なぜ 高いか わかりますか? 登る時 危険なので 足元 下を見ます。下を見ますと 頭(こうべ)が自然と下がります。政宗に 敬意を表することになります。その様に計算されています」

ビックリポン です。

今は 誰でも 登ります。伊達家治世の時代は 一家・一門・家老クラスでなければ 涅槃門を潜り 参拝できなかったと聞いております。
この人々が 足元見ながら 登ったでしょうか?
  
現在 仙台藩志会の 年賀拝礼式。遠忌法要の参拝の際  裃・陣羽織着用の皆様 胸を張り 上を向いて 登段しております。
視線の先は 本殿の政宗公です。
足元を見ながら セコセコ登る人 皆無です。



2 月 20 日 (土)  



全国的に悪天候との予報。厚い雨雲。

フルコース3組 単品コース2組

本日の記録すべきお客様は 日光からのお客様。

「どちらからお出でですか?」
「ハイ 日光からです。日光東照宮の職員でした」

聊か緊張しながら 本殿で40分。

「この彩色は 小西美術工藝株式会社さんの施工です」に頷かれました。
ご納得頂けましたか?

日光東照宮の彩色を担当している会社が小西美術工藝株式会社です。



2 月 18 日 (木)  



ガイド 実績 ゼロ

10時から「ガイドの会」打合会がありました。
平日です。渋滞個所が2ケ所あり、遅刻しないように出発しました。

予想以上の早さで 抜けました故 9時に到着しました。
会議前 ガイドしましょうと 待機しましたが ガイドをする機会は 1回もありませんでした。

臥龍梅 の 蕾(つぼみ)は 固いです。
梅の名所に 住いする 仲間のAさんにお聞きしました。
既に 満開だそうです。
同じ 城下で なぜ こんなに 違いがあるのでしょう。

WEB 観光地の感想(トリップアドバイザー)の評点で 瑞鳳殿 に229の評点が。

とても良い  69
良い     119
普通      38
悪い       3

大方の評は、きれい、ガイドが丁寧等 です。

問題は 悪いんの 3方です。
悪い点の内容を知りたい。直すべき点を知りたい。

坂道とトイレ以外 ガイドが対応する範囲内での 直すべき点が あるのか?

今日はWEB 229 全部見れなかった。もし 見た方 居ましたら 教えてください。



2 月 14 日 (日)  



有難い

9時20分から11時50分迄 時間無制限のお客様連続しました。

主なお客様

1.京都伏見からの 中高年の男性10人。

 長老 ガイド後 語りました。
 @京都伏見区桃山正宗から来た。
 A海寶寺 があり、ここは 伊達政宗の伏見城上屋敷跡にある。
 B政宗の御位牌があるが、2文字 違っている。
 C政宗の子供が ここ伏見屋敷で生まれている。
 D寺の料理は素晴らしい。お昼の接待に最高。
 E大丸家(豪商)の菩提寺である。
 EWEBで 後は自分で調べなさい。


 WEBで 判明した事
 @京都伏見区桃山正宗20番地
 A境内に仙台市が設置した説明板がある。
   「伊達政宗の伏見屋敷」
  この海寶寺境内を含む「桃山正宗」は、独眼龍の異名をとった仙台藩の藩祖・伊達政宗の伏見上屋敷があったところである。
  政宗は文禄四年(1595)、豊臣秀吉からこの伏見に屋敷地を与えられ、多くの重臣やその妻子などを住まわせた。
  その数は常時千人にも及び、屋敷一帯は{伊達町」とも称されたという。
  政宗自身は慶長四年(1599)ころまでここに住み、慶長6年に上洛した際にも約1年間を過ごしている。
  政宗の伏見屋敷は、この地のほか、上屋敷の南西にほど近い場所と深草の地に下屋敷があり、計3箇所であったとされる。
  深草の下屋敷付近には現在も「深草東伊達町」「深草西伊達町」の地名があり、その名残を留めている。
  仙台市

 B御位牌には「政宗」ではなく「正宗」と記されている。
 C寺は黄檗宗で、山門に「普茶大本山開祖道場」の札が掛り、普茶料理で知られている。
 D大丸の創業者下村彦右衛門正啓が援助を続け、大丸関係者の位牌を祀った祠堂がある。
 E佛殿前の樹齢400年の 木斛は政宗公手植えと伝わる。

 あかとんぼ 所感
 京都に旅行し、海寶寺をお詣りし 普茶料理を馳走になりたい。


2.静岡からのお客様 2組 何故か 同地区からが連続しました。
  
 一組目 若い女性3人。「前にガイドを聞きよかった。美術関係の仕事をしている友人を案内しています。
 本殿の極彩色の彫刻を説明して欲しい」に。

 久能山東照宮を参考にしながら説明しました。
 本殿壁面の色落ち等 細かい質問が続きました。

 拝殿の扁額の色材 「珊瑚と真珠」ですに、「東北大学医学部付属病院の門札 この色合いです。珊瑚と真珠でしょうか?」と 問われました。
 大学病院は、瑞鳳殿えの通勤路ですが 門札は 未だ見ていませんので 「ハテナ」と答えました。

 ガイドさん 御歳は? 聞かれ 西暦で答えました。お客様 自分の生年から計算していました。
 何歳とは聞きませんでしたが、語るに オイルショック(瑞鳳殿再建)後の生まれでした。

 今一組は、静岡県と申しても 広いので 久能山東照宮は まだお詣りしていないとの事。
 定年後の夫婦旅行 2組らしく 阿吽の呼吸で旅行している様子。


3.宇都宮からの若いペア
 男性の参拝態度は かなり不謹慎です。
 女性は、真面目で、熱心に聞いてきます。彼女の主導で参拝に見た様子。

 本殿前で 伊達八家紋を説明したら、
 女性は、「我が家は、徳川家の家臣であった。ある時代から 日光東照宮 付近に住い、毎年 お米を奉納をしている。故、拝観券不要です。家紋は一つです。」

 もっと 語りたい様子ですが ・・・・・・お気の毒。 今度 一人で参拝に来てください。


ガイド後 ガイドの会 K副会長と打合せ。続いて、仙台市博物館に。体調不調と聞いていましたU副会長とバッタリ。元気回復はめでたい。
共に、菅野正道先生の「仙台の都市交通史と鉄道 宮城電鉄から地下鉄東西線」の講演を聴講しました。



2 月 13 日 (土)  



10時頃からお客様続々。

日本人は、横浜からのお客様が何故か連続しました。
秋に、宮城県・仙台市・JTBが 猛烈な観光広報活動をしたのでしょうか?

津軽からも見えました。
涅槃門の柱等 (青森ヒバ)と説明しましたら 、
(日本三大銘木でありながら原木の入手難から 地元でも 話題にならないのに、遠く仙台を代表するここ瑞鳳殿で再会するとは)と、感激していました。

若い 有髪の伊達おとこ です。
涅槃門前で(私 僧籍にあります) と申されました。

在家で得道される方 います。
でも、有髪で僧籍と申されても なんか違和感があります。
ガイド終わった時点で「僧籍在籍から 説明内容に不適切な箇所ありませんでしたか?」尋ねました。
「ありません」



2 月 11 日 (木)  



紀元節・・・建国記念の日

あかとんぼ 瑞鳳殿ガイド始めの日 2001年2月11日
当日の記録

「観光客引き続く。多客に驚く。トイレの在りか問う人多。
天候 雪 午後猛吹雪 積雪10cm」


本日 小雪ながら晴天。
参拝者は、関東圏からが主力で 北海道・九州からの方には会いませんでした。

境内の残雪に戯れ、雪塊を放り上げ 歓声を上げる 親子(小学生相当)が 何組もいました。
雪も 馳走です。

大陸は 春節(小正月)で、7〜10日の休みで 日本国に大挙し訪れているそうで、あかとんぼ ガイド時間中の約4割が そうでした。
あかとんぼ の識別は、

1.愛想が悪いか、良いかです。
 「おはようございます」「こんにちは」と大きい声で挨拶しても 返答することなく無視します。

 この国以外の人は 笑顔または 自国語・日本語で 返してくれます。

2.閉鎖的か?開放的かです。

3.衣服・履物等に 発色的 独特の色合いを用いているか?否かです。

4.漏れ聞こえる会話です。


「爆買い」は、ないそうです。
確かに、売店の品々は 興味ない品ばかりかもしれません。



妙齢の御婦人 涅槃門から出てきました。チカチカより 
********** ******と 立て板に水 です。

Aさんと二人 ポカン 英語? スペイン語?かな 聞きなれない言葉。
「no Speak English」 

Bさんが応答してくれました。

ハングルで、その質問要旨は 「伊達政宗は 朝鮮半島に来ているか?秀吉は悪い男だ」



大陸の春節(小正月)、5月のG7世界財務相会議にと、 全世界から 瑞鳳殿参拝に大挙して訪れる お客様に ご満足頂ける ガイドをしたいと思いますが?

仙台市は、G7世界財務相会議に160人の語学ボラを 募集しています。
公益財団法人瑞鳳殿の 対応策は? 
 
 



2 月 8 日 (月)  



早とちり?

天明3(1783)年 仙台城下で 米を買えない住民が 家臣(金上侍)安倍清右衛門松康の屋敷を打ち壊す事件がありました。
天明の飢餓時に、執政の拙さによる事件。米騒動です。

その詳細は、仙台市史近世3、第2章打ち続く飢餓 第1節 天明の打ちこわし 92〜109頁に記載されています。
四ッ谷用水普請奉行 宇津志惣兵衛の末裔 勇三氏が 「寒き夏 仙台城下 天明飢餓禄」と題して 刊行しています。


せんだい豊齢学園公開講座で 仙台市史調査分析委員であった中川正人氏の「仙台米騒動について」と題する講演が 本日午後にありました。

語られた内容は、1918(大正7)年の米騒動でした。
当時の河北新報は、放火・脅迫・暴行 遂に軍隊出動・・・・と報じており、そのコピーが配布されました。

あかとんぼ は 米騒動 イコール 天明の米騒動 を語ると理解し 万障繰り合わせ 出席しました。
仙台藩志会の会員もあかとんぼ と同じ思いか 多数 出席していました。

はやとちり でした。
仙台市史近世3、第2章打ち続く飢餓 第1節 天明の打ちこわしを記述したのは、宮城学院女子大学 菊池勇夫教授 でした。
菊池勇夫教授の講演であれば 天明の米騒動 の演題であったでしょう。



2 月 7 日 (日)  



日差し やわらくなりました。

ガイド仲間 昨日の寒冷に凍結したか 姿が見えず 昼近く迄 孤軍奮闘。 ジックリ聞きたいお客泰連続。

日本人のお客様は、花巻・千葉・茨城・神戸・富山等から。
富山から 新幹線なら 3時間だけど バスできました。 8時間かかりますが と青年。
11時の神戸のお客様 今朝 神戸を出発し 今つきましたと。


亜細亜系外国人 季節的要因か  多数お見えになりました。


特記すべき ご質問はありませんでした。



2 月 6 日 (土)  



経ケ峯は?

極寒・降雪。
NHKの天気予報は晴れ(お日様ピカピカ)で、城下は無風それなりの寒さ。

お客様はチラリホラリ。
ガイド仲間数人。過剰です。若手は 寒さ対策に62石段を 繰り返し登り下りをしています。

老骨に寒さが伝わります。若手に未来を託して 早帰りしました。



2 月 5 日 (金)  



「ゴトー」の末裔?

仙臺城の大手門前で 五色沼に平行して 登城する家臣の馬を繋ぐ場所がありました。
駐車場ならぬ馬繋場です。

今朝 その位置に (驢)馬が居ました。
昔日を偲んでいる様子で佇みましたが、手綱を引いていました気品の溢れる御婦人は (驢)馬に任せたままです。

この(驢)馬は 大阪の陣に参加出来なく本丸から自死した「ゴトー」の末裔でしょうか?


仙台市博物館トークに参加

演題  近世の絵図ほか
講師  佐々木徹学芸員

次の5葉を 掲示の場で詳細に説明されました。

1.宮城県指定文化財 野始絵図 江戸時代中期(18世紀前半) 宮城県図書館蔵
2.名取郡北方藤塚浜塩田図 江戸時代後記 東北歴史博物館蔵
3.宮城郡国分村荒井村絵図 文政年間(1818-1830) 宮城県公文書館蔵
4.名取郡北方新川村御林絵図 明治2(1969)年7月 個人蔵
5.宮城郡高砂村全図 明治40(1907)年4月1日 仙台市博物館蔵

A4 1枚に要点をマトメた資料を事前に配布、現場で無駄なく説明されました。理解しました。
地域誌の 読み直し が求められました。

野始絵図 あかとんぼには 特に興味津々で拝見。

松森城址は1週間前 講義を受けており、絵図の岩切城址・松森城址は過日 何回か探索しております。
青葉神社拝殿内に「御野始」を描いた 3間に1間位の巨大な絵馬が奉納されています。
所謂 伊達な軍団絵馬です。

このトークは、現物の前で 肉声を聞きます。理解容易です。開会前 隣人から「初めて参加ですが 特徴・良さは?」と聞かれ 前記の通り答えました。

菅野・倉橋・水野先生に 佐々木先生と 今日で4人目です。先生達は 1回しか 講義する機会が無いそうです。
後は、19日の午前と午後の2回です。担当する先生は どなたでしょうか?楽しみです。

瑞鳳殿ガイドの会の長老Nさん が参加されていました。

図録セール

売店で2010年以前に刊行した図録・仙台市博物館調査研究報告書が2〜5割引きで販売しています。
「市史せんだい」は 対象外(売り切れ)なのか ありません。

仙台市博物館調査研究報告書23号(2002年刊) 30号(2009年刊)を購入しました。

掲載論文(主なもの)
報告書23号
 ◎史料紹介「領内境目記」 坂田美咲
 ◎小田原参陣時における伊達領の警固体制 菅野正道
 ◎十八観世音菩薩立像に使用された木材の樹種 大山幹成 ほか

報告書30号
 ◎竹菱梅紋蒔絵女乗り物について 高橋あけみ


豊齢学園公開講座

演題  杜の都の成り立ち
講師  東北学院大学 教授 菊池慶子氏

内容  は記載しません。

興味  
     ●全国に もりのみやこ は3都市ある。
       杜の都は 仙台だけ 後2都市は 金澤と熊本で 森の都

     ●「文久2年城下絵図」の描写
       あかとんぼ所蔵しているか? 拡大し 観察の要あり。

     ●町屋のつぼ庭として 大町一丁目米川家を 例示されました。
       この つぼ庭 の図 仙台市史に記載あるのか 確認の要あり。
      外人屋 も記載されているか?

蛇足 豊齢学園での講義は4回目とか。あかとんぼ は入学していないので 初めて。
    何回か 菊池先生の講義を聞いていますが 今日は 熱 が入っていました。

    仙台藩志会会員で、仙台郷土史会の幹部でもある 識者お二人 聴衆席に。
    郷土史 全般の見直し と語られました。われ頭が垂れます。






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