2016年11月の日誌
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11 月 29 日 (火)  



日光東照宮 眠り猫

(日光東照宮 眠り猫)のお色直しが終わった。
史料に基づき 開眼した。
江戸時代初期の作品だが作者は不明。

以上の通り 今朝の河北新報は報じています。


@眠り猫が 目をさましたのでしょうか?

A作者は、大崎八幡宮の造営に携わった 刑部左衛門國次で、大崎八幡宮の(にらみ猫)と対になっていると教えられ、その様にガイドをして来ました。

@については、日光のガイドも 目が白黒でしょう。
Aについては、あかとんぼ が 目が白黒です。マイッタ マイッタ



11 月 28 日 (月)  



片倉小十郎重綱

過日 歴女様から 涅槃門から参道脇の寄進灯篭の説明文について尋ねられました。

「寛永14年丁丑5月24日片倉小十郎(重長)」と記載されていますが正しいですか?


政宗公側近NO1の片倉小十郎景綱は、元和元年(1615)10月14日白石城で59歳で亡くなっています。
政宗公が亡くなったのは 寛永13年(1636)5月24日です。

寛永14年丁丑5月24日に寄進したのは、片倉小十郎景綱ではなく、重綱であります。

重綱は、正保2年(1645)に 将軍家光の嗣子 家綱 の諱字を避けて 重長 と改名しています。
政宗公が亡くなった 寛永13年(1636)5月24日は 重綱でした。

歴女様の ご指摘は 正しいです。

歴女様の ご指摘は
11月に創刊された冊子「伊達武将隊 かわら版」では (伊達家三代を支えた鬼小十郎 片倉小十郎 重綱)と 紹介しています。これを読まれてのものかは 定かでありません。

同かわら版では (心が動く 幽玄なる伊達の世界へ)と題して 2頁にわたり瑞鳳殿を紹介しています。



1980年に仙台市教育委員会が刊行した(仙台市文化財調査報告書第22集 経ケ峯)に
瑞鳳殿前石灯篭銘文

奉拝進 石灯篭
瑞巌寺殿 御廟前
寛永14年丁丑5月24日片倉小十郎立之

と記載されています。



11 月 27 日 (日)  



近江1万石

9時 壮年男性ベンチで休息しています。二日酔いかな?仲間のトイレを待っている所でした。
滋賀県からお出でとの事。

「伊達家とご縁があります。伊達62万石の内 1万石が 現在の近江八幡市にあり、昔の地名で 近江国蒲生郡上羽田村に陣屋がありました」

「近江は 色々な大名の領地が細かくあります。所で 現在の地名は?」
悔しい。記憶力低下  出てこない。・・・・・です。

涅槃門の菊紋を見て 「延暦寺の寺紋ですね?」

「いや これは 伊達家の八家紋の一つです。花弁が16枚の単です。 延暦寺の寺紋は16枚の複 です。
皇室は16枚の複です。皇室と同じものは 太政官布告で皇室以外の使用が禁止されています。

延暦寺寺紋の花芯が 皇室と異なっています。延暦寺様はさすがです」

そのまま 本殿迄 ご案内しました。
年齢・服装・質問等から 如何なる団体か 推測出来ない 不可思議な集団でした。


JTB当番

近江1万石のお客様 終わったら10時でした。直ちに 待機に入りました。

「JTBパスポートお持ちのお客様 おいでなりませんか?」
「家に置いて来ました」 宿泊・交通・観光がセットになったチケットを 家に置いて旅行出来る筈がありません。ポイントカードと間違えているか?見栄を張ったか?

10時30分 50代男性がハアーハアー息を詰まらせ 62段を登って来ました。
「JTBガイド 出発時刻ですが 間に合いますか 待って下さい。年寄が今石段を登り始めました」

御夫妻の両両親えの親孝行の旅の様です。
長老は書道を嗜む との事。それではと、拝殿と本殿の両扁額 国宝時代の写真をお見せしました。

比較し 微妙なところを指摘されていました。
歩行速度は低下していますが 矍鑠としています。

「私 80歳ですが 同じ位でしょうか?」
「86歳 昭和5年生まれです」 「イヤーお元気です。私も 後6年頑張ります。又 お会いしましょう」

86歳の高齢者との エール交換 最近で3回目です。未来に希望を持つ 楽しい事です。 


資料

毎月第3・4土曜日は 各団体の講座が目白押すに開催されます。また、会議も開催されます。
各団体の講座は いずれも興味深々で捨てがたい講座ばかりです。

北山ガイドボランテイア 主催講座 「仙台藩を彩った異才たち 壽コ寺・龍雲院の墓碑を探る」の約50頁の資料を 瑞鳳殿ガイドの仲間で 各団体の講座の代表のN氏が昨26日  詰所の卓まで届けてくれました。

19日米沢市で開催された講演会 「米沢時代の伊達氏と上杉氏 淑徳大学遠藤ゆり子准教授」のレジメを 瑞鳳殿ガイドの仲間のKさんが、
13日白石市で 開催された講演会 資料を瑞鳳殿ガイドの仲間のUさんが、届けてくださいました。

耳からは充分ではありませんが 目からだけでも 勉強になります。皆様のご厚意 有難いです。



11 月 26 日 (土)  



急なご依頼

昨日、公益財団法人瑞鳳殿から「明日、10:15〜45まで 外国からのVIPをガイドして欲しい」と電話を頂きました。
学芸員が居りながら 電話があった事は それなりの事情があってでしょう。頼られ内が花です。快諾しました。

お出でになりました。
通訳を介すると 所要時間は半分以下になり、かつ、知識不足の通訳では正確に伝わらない事があります。

「私 日本語専門ですが?」 「宜しいです」
30分で 政宗公とは に始り、涅槃門の透かし彫、本殿の極彩色、政宗公御木像まで 語らくてはなりません。

名刺交換をしましたら、
主賓の肩書は、「宮城観光宣伝大使」「社団法人台南市台日友好交流協会理事長
案内は、「宮城県観光課長」でした。

「日本語で宜しい」の謎が解けました。
遅れて到着しています。実質20分程度です。異文化の方に 政宗公と瑞鳳殿の建築美を伝えるのは 難しいですが それなりに。

宮城県知事が推進している 宮城県と台湾の観光交流に 聊かでも お役に立たかなと 自負しております。


台日友好交流事業は 現在 官(宮城県)主導です。民の交流は目立ちません。
宮城県・仙台市でも 民を集め日台友好交流協会を設立したら宜しいと思います。

周囲に台湾が好きと 何回も旅行している方がいます。 この様な方を集めて組織化すれば 有効だと思います。



高橋是清翁

翁は、1854年9月19日(旧暦嘉永7年閏7月27日)、 武蔵国江戸芝中門前町(現東京都港区芝大門)で生まれ、水澤伊達家下級家臣高橋家の養子になりました。

1921年第20代内閣総理大臣を、その後、数回 大蔵大臣を務め、1936年2月26日 所謂 2.26.事件で凶弾で倒れた 水澤市の3代偉人の一人です。


経ケ峯参道追分に 石碑があり 次の通り 彫られています。

「國寶 伊達政宗 伊達忠宗 霊廟」と正面に、
右側面に「従二位勲一等 高橋是清書之」 
裏面に「昭和10年5月24日 舊藩士 大柳良次 建之 四竈仁通 書込」

昭和6年(1931)12月國寶に指定された事を祝い、政宗公没後300年祭事業として建立されたものです。


高橋是清翁は 両親の血筋から見れば 伊達家家臣と言えるかの疑問はありますが、水澤伊達家に関係あります。
大正・昭和の政界で活躍された人です。伊達家領内からの偉人には 間違いありません。

石碑を 多くの人々に見て頂きたいと 思っています。

石碑の前に 紫陽花の植え込みがあり 視線が届き難い環境にありました。
「石碑が見える様に 紫陽花を刈り込みして欲しい」と長年 公益財団法人瑞鳳殿にお願いをしていました。
今春 刈り込みをしてくれまして 路肩から見える様になりました。
2015年の国連防災会議の際 仙台市は説明板を設置されました。

私の願いは 蝸牛の歩行の様に 時間がかかっていますが 着実に適えられようとしています。

今朝 9時売店で 販売図書を つぶさに見ていた方がいました。
お客様受け入れ準備が 終わった時 ツカツカと 寄ってきました。

「この本(仙台市博物館(仙台市博物館調査研究報告書 号数不明)に、高橋是清翁の石碑があると記載されているが、2回半 回ったが発見できない。その所在 知っていたら教えて」 との事。

2000年からガイドをして 初めて案件の依頼です。早速 ご案内しました。
「アー ここにあったのか?」  立ちすくんでいました。

あかとんぼ として 斯様な人物が現われるのを 永年 待ち続けていました。事情を尋ねました。

「自分は水澤の出身で 永年 仙台で生活をして、定年退職を機会に 郷土の偉人と仙台・伊達のかかわりを調べています。
高橋是清翁の夫人は 水澤に疎開されていまして、拝謁致しました、・・・・・・」

政宗公没後300年祭事業について、河北新報記事を読まれており、色々 語りました。

調査報告書を 贈呈して下さるとの事で 名刺交換をしました。

その肩書は 仙台市の生涯学習機関で横綱の施設の責任者でした。楽しみです。


仙台藩志会・伊達学塾

14時開講ですが、準備の為 13時会場に入る必要があります。
駕籠の中で 携行食を。糒ではありません。

本日の講師は 仙台市博物館 内山淳一副館長。
演題は、伊達家の絵画・絵師

講演項目のみ記載
1.仙台藩の御用絵師
 @ 江戸時代の狩野派 A 仙台開府にともなう絵画制作

2.その後の展開
 @ 国元と江戸  A 江戸狩野派の活用 B 絵を描く殿様と侍女

3.仙台四大画家
 @ 東東洋 A小池曲江 B 菅井梅関 C菊田伊州


先生は 講演後も.仙台藩の御用絵師について 自習が出来る様にと 緻密な6頁の資料をお作り頂きました。
すぐ 入手出来る参考図書として、「仙台藩の絵師たち」先生著 仙台・江戸学叢書28 を紹介頂きました。


講演で、伊達政宗画像(仙台市博物館蔵)は、延宝4年(1676)先祖を祀る堂を建てた。此処に祭るとして制作された様だ。
筆・狩野安信、賛・酒井伯元 「馬上少年過ぐ、世平らにして白髪多し、残躯天の赦す所、楽しまずんばこれ如何」です。

何故 江戸の狩野安信に書かせたか?
俗説に 「伊達家は政宗公時代と異なり 対将軍家に対する発言力が弱っていた時代で、ゴマスリとして 将軍家お抱え絵師 狩野安信に描かせた」があるが 果たして どうでしょうか? と質問しました。

先生は、当時 肖像画を描けるお抱え絵師が居なかった、各大名家も同様で将軍家お抱え絵師に依頼していた」と お答えになりました。

展示・図録で 見ていましたが 「近世日本絵画史」が専門の先生のお話は 一味 異なり 資料と参考図書で 自習する気持ちになりました。  

本日は多忙ながら 生き甲斐のある日でした。



11 月 25 日 (金)  



政宗公御木像

本殿前で手持ち写真を広げ

「従三位権中納言 伊達政宗公御木像 等身大 衣冠束帯坐像(座高約80cm) です。
発掘された頭蓋骨を基に科学的に復元されています。当然、1637年に作成された源・木像も参考にされています。

素材は、樟 の木で 4ツの寄木造で、日展審査員阿部正基先生の作です」 とガイドをしております。


衣冠束帯 と躊躇(タメラ)いなくガイドをしております。


衣冠と束帯は別だそうです。

束帯の特徴は、
皆具一式の総称で、冠・袍・下襲(シタガサナ)・裾(スソ)・衵(オコメ)・単(ヒトエ)表袴(ウエノハカマ)・大口(オオクチ 下袴)・石帯(セキタイ)・笏(シャク)・襪(シトウズ)・靴(沓)からなる。


衣冠は、朝参用の束帯の略装である。
衣冠と束帯との構成の相違は、
衣冠は束帯の中の大口(オオクチ 下袴)・石帯(セキタイ)を略し、袴も座礼に適した指貫(奴袴とも書)にかわる。又、笏を持たない。

束帯の代表絵に

伊達政宗(仙台市博物館)、徳川家康(堺市博物館)、徳側秀忠(松平西福寺)、長宗我部元親(泰神社)の4像が 掲示されています。

右眼を閉じた政宗公像として、京都府・東福寺霊源院蔵を 掲示しています。

以上は、
「戦国武将の肖像画」 
著者 二木謙一 國學院大學名誉教授、須藤茂樹 徳島市立徳島城博物館 
2011年 叶V人物往来社によりました。


明日から 衣冠束帯 ではなく 束帯 と 変えます。




11 月 24 日 (木)  



役員会

ガイドの会 ユニホーム(紫羅背板地五色乱星模様風陣羽織)を、公益財団法人瑞鳳殿から 会員増員と色落・劣化の更新にと 15着 新造して頂きました。


陣羽織は ガイド活動中の 貸与です。
今回 貸与簿の整理と突合(棚卸)を実施しました。





11 月 23 日 (水)  



国民の祝日「勤労感謝の日」

勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」として1948年に制定されました。68年前です。
瑞鳳殿でガイド出来るを慶び   本年97日目のガイドをしました。

朝1番は 秋田県大仙市(花火の大曲)からの壮年の男女10人。
積雪の中 6時に出発 仙台駅から路線バスで辿り着いた。10時から参道脇で 陶芸体験をする、それまでの余暇活用との事。

本殿屋根の龍を説明した際 「御地の古四王神社にも載っていますね」 目白黒にしています。神社の存在自体 知らない故 屋根に龍があるかは当然 知りません。

古四王神社は、1570年に飛騨の甚兵衛作と伝えられる 国重要文化財です。

善応殿の綱宗公甕棺から「御地に 楢岡焼の素晴らしい焼き物ありますね」 に 再び 絶句しています。
経ケ峯参道脇に陶芸体験に お出でなる前 地元の銘品を 勉強すべきではないでしょうか?

古四王神社も楢岡焼も 観光パンフレットに掲載されています。


続いて、東京からの御夫妻、鹽竈からの親娘
質問等 リードは 婦唱夫随 娘唱母随 でした。これが一番です。平和です。


山は雪と報じられています。流れ雪が 融けて 落ちて来ました。寒いです。




11 月 22 日 (火)  



史跡陸奥国分寺跡整備事業

史跡陸奥国分寺跡の歴史は、
大正11年(1922)に 91.500m2が史跡に指定されました。
昭和20年(1945)以降、民地に売却されました。
昭和43年(1973)以来 公有化がすすめれて来ました。48年を経過しました。

学校や民家が立ち退き 更地になり、月1の楽市日には 売店・駐車場に利用されています。
仙台市教育委員会(文化財課)では、文化庁の補助を得ての整備事業を行っております。

本日 上杉庁舎で 陸奥国分寺薬師堂ボラガイド を対象に 事業の説明会がありました。
説明内容は 口外しないでください との事で 記載しません。

特記すべきは、
@市内での有力ボランティアガイド(三の丸・仙台城・北山・東口等)の幹部諸侯が出席したことです。
A今夏 薬師堂を訪れた人は 市内観光施設に劣らない との市幹部の発言です。(異議があります)
B12階の会議室から 太平洋が望め 眺望良好です。(津波は確認できませんでした。)



11 月 21 日 (月)  



ガイド

通称・富澤大学の同級生NY氏が主宰する勉強会の皆様に10時30分から2時間、経ケ峯を丁寧にガイドしました。

何故 2時間ようしたか?
駐車場で待機、「鹿児島県七士の墓」を通過しようと思いましたら、「私 鹿児島です。鹿児島県人会のお詣りに参加しています」の一声。

それではと、由来を語りました。

西南の役での国事犯の囚人を 並みの囚人として扱わず 優遇をした。
その結果「脚気」になり 青根温泉に湯治にも連れて行った。
伊達家のお寺である 瑞鳳寺の境内に埋葬したは 破格の温情でしょう。

瑞鳳殿境内に入ってからも、通常以上に 丁寧に語りました。

本殿前で 伊達家8家紋の話になりましたら
(九曜紋)と(三引両) が我が家の家紋です と お二人から お話がありました。

お家の由緒をお聞きしましたが、定かではない の返事でした。

あかとんぼは 大名筋の家系 ではと 再度 尋ねましたが 「ミニャムニャ」と はぐらかせられました。

皆様は 参道脇で「郷土料理 オクズカケ」食べる。これが楽しみです。
ご一緒にと 誘われましたが 午後の予定があり 時間の余裕が無く 断念しました。残念でした。


12時30分 紅葉にお日様があたり 東参道登り口からの 景は (未来が光輝いている) を暗示させるものでした。

13時過ぎ お日様があたりません。景は 一変しました。絶景 はいっとき でした。

13時30分 JTBVIPガイドのお客様。 神奈川県からの78歳の婦唱夫随の御夫妻。
歩行が万全でなく、写真がご趣味とか 時間を 契約時間40分を30分超過しました。

午前2時間 午後70分のガイド。
お客様との相性が 良かった 為か 疲れませんでした。 

富澤大学の同級生NYさん 
お仲間をお連れになり、また、生涯学習の資料をご持参頂き ありがとうございました。



11 月 20 日 (日)  



曇り・雨・晴 と巡るましく変化します。

11時過ぎ 日が差しました。
モミジ に日が当たり 順光・逆光 共に 紅葉の彩が 冴えます。

福岡からの高齢の方、ガイド仲間が熱弁を奮ってガイドを無視して 懸命にあらゆる角度から撮影しています。
昨日 京都で 紅葉を見てきた。確かに素晴らしい。が、ここは京都に 劣りません。それ以上かも。

木々に個性があります。ガイドさんのポイント と言われた 3色 を狙えるのは 日本でここだけかも?


券売所前で 初めて見た 大型カメラ(キャノン) レンズ口径 18cm位(扉の鉄格子の幅以上)の オジサンに
「綺麗に撮れましたか?」に、 「ウン」と見せてくれました。

「此処から撮影すれば 3色を撮れます。穴場です」に 「そこは入場券必要でしょう。はいれません。地元新聞の写真展には出展していませんが、東京には出展していて2回受賞します」との事でした。

夫婦で 1100円でも、境内で撮影し 入賞すれば 採算取れると思います。
通常 趣味・道楽の世界は 採算は度外視では?


栃木・東京・新潟ほか 各地からのお客様 「時間あります」で ゆったりと ガイドをしました。


昨日は、JTB当番以外 フリーが不在で 「ガイドします の看板ありながら ガイド不在とは 何事だ」と関西系訛りのご婦人から 強い叱責を頂きました。
今日は一安心です。 ガイド仲間 来てくれました。

朝「ガイドさん 今日は何人きますか?」と尋ねる整美員さんいます。
「10人以上です」と答えます。

JTB当番4人以外は 自己責任で自由です。夕方 終わって 今日何人と確認できますが、朝は 五里霧中です。
整美員さん お昼の弁当を用意してくれる訳ではなく、現役時代に職場で点呼を取っていた 気分で 尋ねていると 理解し 「10人以上です」と答えます。



11 月 19 日 (土)  



イロハモミジ・オオモミジ

極限の輝き でした。

9時 どんよりした天候に 赤・黄などの色だシットリ色合いです。オトナの色合いでしょうか?

券売所前から、手水舎前から、至近距離から、あらゆる方向から お客様 撮影に挑戦されていました。

JTB当番で待機場所 故 
何組の方に 「ここ 下から上を見上げてください。赤色・黄色・緑色の3色が撮れます」とマル秘 ポイントをご紹介しました。
ブラジルからの美女軍団はじめ 挑戦された方々 歓声を上げていました。

当番相方のUさんは券売所前広場で シャッター押すのサービス提供をしていました。

10時半頃から 雨が降って来ました。 
11時半過ぎ氷雨が 強くなって来ました。金色、朱の葉が 石畳みに散らばり 始めました。


お客様 最年少 幼稚園の年中組です。
「3年前仙台に来ました。子供にわかるように、かつ、短時間でお願い」にガイドを始めました。

本殿前で 新年拝礼式を紹介したら 
「この方 子供が通う幼稚園の学園の小学高学年、中学生に 行儀作法の指南をされています。校地を寄付されたかたです」
と返ってきました。

して、日々の生活で 伊達家と政宗公とのかかわりに 驚いていました。


杖をついて、傘をさした 老夫婦 涅槃門を 潜ったら 間もなく 戻って来ました。
涅槃門からの一段 25cm高の石段を登れなかったようです。ベンチに案内し 本殿内の政宗公像の写真を開き 説明をしました。

同行の息娘さんたちは、本殿の豪華に驚いて降りて来て、「おやじ 良かったな」と。
老人 曰く 「僕 95歳です。 海軍でした。江戸っ子、24歳で宇都宮に移り住み 現在にいたる」など 語り始めました。

息子「本人 95歳と言っていますが、大正12年(1923)生まれ 93歳です」
昔人で 満年齢ではなく、数年年齢では?  

握手を頂きました。過日 90歳翁と握手しました、今日は93歳翁と握手 あかとんぼの寿命 更に 3歳延びた様です。


10時50分 大雨です。明朗な添乗員嬢
「埼玉からの20人です。20分でお願いします」

涅槃門と本殿に絞り 拝殿内で 本殿・政宗公像など 語りました。
屋根の阿吽の龍、 国宝であった龍頭を語り 「龍とドラゴンは違います」と申した途端 

「そのとうり」の掛け声。「僕 龍神会の会長です。そのとーりです」

50代のご婦人 「我が家の家紋も 竹に雀です」
北関東圏で 「竹に雀の家紋は珍しいですね。 引両紋は居ることは聞いていましたが? お家柄は?」

周囲の方々 「この方は 大家(タイケ)の お嬢さんです」と 囃していました。 豪農・肝いりの末裔でしょうか?
気持ちの良い方々でした。

11時半頃 仙台市博物館に移動。
常設展の 瑞鳳殿副葬品の展示を確認。

金製ブローチ、黄金の太刀(金梨地葵紋桐紋糸巻太刀拵)が展示されていません。
慶長一分金3枚他 淋しい限り。

ボラガイド 三の丸会会員にお尋ねしましたが( ? )でした。
「特別展 松島 瑞巌寺と伊達政宗 展 」(東京 三井記念美術館)の図録にありました。
会期が11月13日迄です。間もなく 帰って来るでしょう。


13時30分から
「企画展 戦国の伊達 政宗の城 仙台の町 斎藤報恩会寄贈の名品」の記念講演会に

演題は 絵図の魅力 まぼろしの国絵図、新発見
講師は 籠橋俊光 東北大学大学院文学研究科准教授

内容は・・・・・
感想は 新鮮した。90分 居眠りさせない 話術 見事。



11 月 18 日 (金)  



瑞鳳殿拝殿 彩色ほか補修工事 完成説明会

講師  公益財団法人瑞鳳殿 加藤学芸員
会場  瑞鳳殿拝殿
時間  10〜11:00
内容  延18頁の資料と現物で、何処を 何故 どの様に 彩色・補修したかを 懇切に説明。

あかとぼメモ

1.拝殿全体を 闇雲に 塗ったのではない。塗らない所もある。
2.塗料は 漆のみでは ありません。適材適所に。

3.扁額 文字「瑞鳳殿」は 洗浄でこれまで「白」に回復、赤は赤珊瑚を塗り直しした。
4.蝦股の瑞鳥は 「山鵲」(サンジャク) 大陸に現存している。

WEB 検索
(コトバンク)
カラス科の鳥。カラスより小形で、尾が長く、頭は黒、背面は青、くちばしが赤い。中国大陸に分布。
(日光の社寺)
中国ではおめでたい鳥とされ、絵にも描かれます。
日月星と鳴くので、別名三光鳥【さんこうちょう】とも言います。
彫刻では、実際以上に尾羽が長く、背中から尾羽は群青色で、尾羽の先端部に白地に赤い雫状の斑点があります。
優雅な鳥で、東照宮以外の社寺建築にも使用例は多い。

5.工事費は、2830万円
6.ガイドでの種 書ききれない程 頂きました。

公益財団法人瑞鳳殿のご配慮に 感謝申し上げます。

(瑞鳳殿ガイドの会会員で 参加出来なかった方に お知らせ。 資料を詰所に 用意してあります)



秋の展示「瑞鳳殿の装飾文様」展 

明日から 瑞鳳殿(涅槃門、拝殿、本段)、感仙殿、善応殿の5ケ所と資料館で、

幾何文、植物文、動物文、天象文、人物文、器財文などの多種多様な文様、彩画、彫刻、金具があります。
これらを拡大 見やすくし パネルに掲示 展示されます。

本日 渡部学芸員が 準備中でした。
お楽しみください。


瑞鳳殿だより 経ケ峯の四季 VOL12 が刊行されました。

主な内容は、
1.独眼龍政宗の愛用品  金梨地梅笹蒔絵硯箱ほか
 著者 瑞鳳殿資料館名誉館長 伊達泰宗 氏

2.鄙の歌人 政宗公が詠んだ和歌


瑞鳳殿ガイドの会 11月行事 参加実績

1.18日開催「瑞鳳殿拝殿 彩色ほか補修工事 完成説明会」会員 15名参加
2.15日開催「仙台市観光ボランティアガイドネットワーク伊達三名所実地研修 「瑞鳳殿」 13名参加
3.6日開催「宮城刑務所矯正展 天然記念物臥龍梅を見よう」 1名参加



11 月 17 日 (木)  



明治青年大学史学部

教室は 仙台市博物館
講師は 菅原美咲学芸員
内容は 企画展 戦国の伊達 政宗の城 仙台の町 斎藤報恩会寄贈の名品

構成は
 
第1章 集まれ戦国大名・・・織田信長、徳川家康、毛利輝元などの書状
第2章 伊達政宗の戦いと国つくり・・・人取橋観音堂合戦絵図、大坂籠城図など

第3章 大きい 江戸時代の絵図・・・文久二年仙台城下絵図、仙台藩庁絵図など
第4章 記録で語る仙台藩・・・奥州伊達支族伝、シラヲイ元陣屋之図、クナシリ島全図など

第5章 にぎわう仙台・・・御領内名所図会、臥龍梅図など
第6章 斎藤報恩会の歴史・・・大橋銘板、斎藤報恩会のあゆみ など

ポイントを的確に解説されました。

講座開始前 下見、講座後 菅原講師の解説を念頭に 熟視。


あかとんぼ 特記したい展示物は、

(図録11.文久二年仙台城下絵図)は、瑞鳳殿の入場券の絵柄の原本です。
縦87cm 横159.4cm 堂々たる作品です。原本に接するは感激です。

(図録10、仙台城下絵図)は、1760-1766 東西185.4cm 南北131.3
町屋は黄色、居住者名が記せられない足軽・職人などの街区は濃赤、寺屋敷は灰色、神社は朱で彩色されています。

武士は氏名が記載されていますが、肉眼では読めません。
オペラグラスを持参されメモされている方いました。御先祖様を探している様子でした。

この外 の展示物は「藤報恩会寄贈の名品」 看板に偽り ありませんでした。

図録を購入しました。
図録解説は、菅野正道、明石治郎、水野沙織、菅原美咲の先生方です。

図録を熟読後 オペラグラスを持参し 再訪します。

仙台市居住の高齢者は 豊齢カードを提示すれば無料です。バスは1割負担です。お勧めの穴場です。



11 月 16 日 (水)  



島津公

戦国武将として 露出の多いのは 伊達政宗公に次ぐのは 島津公では?

大名家の墓碑調査の第一任者 秋元様から
島津義弘公、島津斉彬公、島津久光公の 墓碑の写真をご恵送頂きました。

伊達家、宇和島伊達家、毛利家の墓碑と比較するに 意外に簡素 と感じました。

秋元様は今秋 半月鹿児島に滞在 島津家関連墓碑を 内3日島津公墓所に通い 調査されたそうです。
調査資料の整理で多忙の中での お気遣いです。感謝申し上げます。



11 月 15 日 (火)  



仙台市観光ボランティアガイドネットワーク伊達三名所実地研修 「瑞鳳殿」

本日 10時から13時迄 3時間 経ケ峯で 30人程に 更に 瑞鳳殿ガイドの会の役員・会員13人が参加し 開催されました。

行程と講師

@ 瑞鳳寺山門から券売所迄 東参道を 瑞鳳殿ガイドの会 佐々木副会長が
A 券売所から 政宗公画像、涅槃門、拝殿、本殿迄 公益財団法人瑞鳳殿を 加藤学芸員が

B 資料館 自由研究
C 戊辰の役弔魂碑から 感仙殿、善応殿、妙運界廟、御子様御廟入口迄を 瑞鳳殿ガイドの会黒田副会長が

通常の語らない内容で 懇切丁寧 に 説明を致しました。
資料館はVTR(発掘調査)をご覧なっている人々の邪魔になるの理由で 解説が 行われませんでした。

見ただけで 展示物の内容を完全に理解される方は 極めて限られます。説明するか させて頂きかった。
Cに入る前 質問が殺到しました。(役員がユニホーム着用 後尾で待機)

代表的質問
@ 政宗公の脚部レントゲン写真の前に展示している 「骨」は 脚部か どこか?
A 綱宗公の眼鏡は輸入品か? 相手先国は?

B 大甕はなにか?用途は?
C 歴代の殿様は火葬か?


参加者に、博物館の三の丸会、本丸の仙台城、大崎八幡宮に 英語ガイドのゴザインの方々が居られましたので、
閉会の挨拶に 「瑞鳳殿ガイドの会は 完全自己責任で 都合の良い時 ガイドをする仕組みです。瑞鳳殿でもガイドをしませんか?」と お誘いしました。


主催の仙台観光国際協会 斎藤課長、渡邊係長、内山主事 有難うございました。


研修中 ガイドのユニホームを着用しておりました故 何回か ガイドの依頼 質問を頂きました。

90歳男性 自力歩行できる方と その家族に 弔魂碑を ガイドをしました。
16年間で最高齢者ではないでしょうか? 高齢の福を頂きたく 握手しました。(栃木の方)



瑞鳳殿 紅葉は 旬 です。
葉の上から 葉の下から いずれも 光線の具合が よろしく 見事でした。

黄色の葉 乱舞しております。
石畳みに 散乱した黄金色の 葉 小判に見えると 「水戸黄門フアン」は 歓喜していました。

タイ王国では 見られない景色なのか 王女様たち モデルスタイルで 写真を撮りあっていました( 桃山様式の絢爛には 興味は二の次)



11 月 14 日 (月)  



江戸っ子

「江戸っ子とは、江戸に住むこと3代以上を 言う」とNHKTVのある番組で申していました。
では、江戸から東京に替わって 約150年。東京っ子 と表現すべきではないでしょうか?

仙台は 1601年に 千代から仙台になり 現在まで 仙台です。
父祖の代から仙台に住んでいれば 仙台っこ というのでしょうか?
仙台の人口は 統計上 年間20%異動するそうです。5年で 全部 入れ替わる計算です。

仙台市長も 知事も 仙台っこ でありません。
仙台藩志会の役員の出生 伊達家治世の時代からの伊達家領、仙臺の方 少ないです。

仙台っこ は稀少価値 があります。

ある方 KKさんに お会いしました。

姓 が数少ないながら 伊達家世臣録・大番組名寄に173石と記載があります。お住まいが中堅家臣の地区です。

「伊達家御家中の末裔でしょう」 に  
「ウーン」  「鎧兜ほか所持しているが?」 の返事でした。

あかとんぼ 思うに
 
菩提寺の墓石に刻まれた 情報を確認、 系図・過去帳と 照合をする。
「私本 仙台藩士事典」(1995年刊行)、仙台藩歴史事典(2011年刊行)を 紐解かれれば より明確になるのでは?

稀少価値 がある 仙台っこ が照明されるのでは?



伊達政宗読本

隠れたベストセラー とか。 1984年みちのく伊達政宗歴史館から刊行以来 既に7万部 が世に出たそうです。
著者の佐藤久一郎みちのく伊達政宗歴史館長からある会合で紹介が ありました。

小学低学年を基準にしているようで、文章は平易で、文字が大きく、振り仮名がされており、老人でも楽しみながら 政宗公を知ることができます。

瑞鳳殿売店で 500円(税抜)で 販売されています。ご一読をお勧め致します。



11 月 13 日 (日)  



紅葉 日々 鮮やかになります。

62石段の下から 見上げた景 最高です。
左右の杉並木で やや暗黒なのに 頂点に 紅葉が光輝いて見えます。

お客様によっては 「お客様の人生 そのもの 希望に満ちた世界の様に」見えます。
その様に 感じた・見られた お客様からは 絶賛 を頂きます。

光線の具合で 早朝限定です。

9時14分るーぷるバス到着前から お客様連続です。疲れまして お客様にお願いし 小休止を入れました。
有難い事です。
真剣に聞き 質問される 旅慣れた方ばかりです。


瑞鳳殿では 土・日 ライトアップをしております。
紅葉が 照らされた 景は 極楽を連想させる 美しさ と思います。

今晩は69年振りのムーライトだそうで 満月と紅葉に 絢爛な御霊屋 最高でしょう。
あかとんぼ 日没時刻から日の出迄 運転禁止で見に行っておりません。残念です。

昨晩は 300人近くの方が鑑賞されたそうです。



11 月 12 日 (土)  



拝殿の化粧直し工事が完了しました。

覆い、足場が外され、現場小屋が運び出されました。
珊瑚と真珠で色付けされた 扁額 鮮やかな彩で 掲げられました。
柱等の色 「黒」 真黒 です。 思わず 撫でたくなる感じです。

朝 早めに。
まず 拝殿を撮影。表紙をご覧ください。
続いて 名札とユニホームを用意して 本日初日の Kさんを待ちました。


9時群馬からの御夫妻。

「うちの人 木に興味があり 木工品店に通っているのよ」 と奥様の言
それではと、涅槃の用材 (青森ヒバ、その昔 香木白檀の使用)を語りました。

拝殿で 漆について 日本国産・中国産・東南亜細亜産の違いを お客様が語ります。

金は金色しているが、極粉砕 微粒子になると 赤色になり、紫色になる宝石がある。

伊達家の色は 黒に金です ダテカラーは紫色の様だが、そこまで調べての お話でしょうか?
お客様との 会話が 常より多くありました。相性が良かった。
終わったら、ガイド様子を観察していた Kさんから 「涅槃門から本殿まで 僅か 10〜20mを 1時間 かけるのですか?」の感想を。


10時過ぎ 荘内からの親子3人

この方々も 聞き上手。また60分。
「写真に入れ」 お客様の記念に 爺様のガイド 楽しかったと 写真日記にメモして頂ければと 入りました。

裏表2枚。「裏もどうぞ」に驚いていましたが 竹に雀 の伊達家家紋を見て 大喜びされていました。


11時過ぎ 岐阜からの壮年男性10人

眼つきが鋭い です。 
ガイド 始まる前から 質問の連発です。通常は ガイドを聞いて 興味ある点を語られなかった時 質問されますが 今回は 違います。
ガイドは後で まず 質問です。

考えすぎかも もしかして 刑事 の研修でしょうか?刑事ドラマのの見過ぎ?

代表的質問

@ この建物(瑞鳳殿)は 何れの方向を向いているか? 東か?
A 仙台城は 政宗が亡くなった時 廃城なったそうだが?
B 本殿の金色の金具は純金か
B 3殿 建直したそうだが なぜか?


副会長Kさん Sさんと ホウレンソウ後、午後 仙台藩志会幹部会があり 11時30分 終了



11 月 6 日 (日)  



出張不在

本殿前で50代御夫妻 「政宗の両眼あるのは 遺命です。昨日 松島で聞いてきました」
あかとんぼ の説明はきかなくともいいの表情。お客様を不快させてはなりません。即 止めました。

「ところで 瑞巌寺で 政宗公御木像を拝しましたか?」
「出張不在でした」

「愛姫、五郎八姫の御木像は 如何でしたか?」
「サア 記憶ありません」(若年性認知症?)


図録「松島瑞巌寺と伊達政宗」 三井記念美術館特別展。
欲しい 購入方法は?思案していましたら、過日 関東圏のある方からご恵送頂きましてた。
2ケ月早いサンタクロースです。感謝申し上げます。

図録を紐解きました。
三像とも 三井記念美術館特別展に出展されています。
図録には 写真の外 データー 解説が 詳細に記載されていました。

@伊達政宗甲冑倚像
 木造 彩色
 像高 125.5
 江戸時代・慶安5年(1652)
 瑞巌寺

A町文 陽徳院田村氏愛姫像
 木造 彩色
 像高 72.5
 江戸時代・慶安3年(1650)
 瑞巌寺

B町文 天麟院五郎八姫像
 木造 彩色
 像高 60.0
 江戸時代・寛文3年(1663)
 瑞巌寺

三井記念美術館特別展「松島瑞巌寺と伊達政宗」の 「特別」に 「伊達政宗生誕450年記念」と掲げられています。
会期は 11月13日(日)までです。


ある有料ガイド団体

マイク・スピーカー 音量最大にしてのガイドが 経ケ峯全山に響いています。
普段の静寂な雰囲気は皆無、渋谷交差点の感じ。肉声のガイド かき消されます。


バレー鑑賞

「伊達政宗を愛した異国の女性「ジュリア」
監修されたのは、伊達家18代当主伊達泰宗さま。

プログラムの挨拶(要旨)に、
1974年10月瑞鳳殿発掘調査で墓室から御遺骸をはじめ30数点の副葬品が発見され、ヨーロッパ伝来と思われる黄金のロザリオが含まれていた。

政宗公が亡くなった1636年 切支丹禁教の時代。
ヨーロッパのカトリック信者が身に付けていたとされるロザリオが発見されたことは、政宗公にとって並々ならぬ愛着の品であったことが窺えます。

「ジュリア」ハイライトが上演されます。
伊達政宗公と異国の女性ジュリアとの魂の交流をテーマにした物語。

政宗公が黄金のロザリオに込めた想いとは果たして何であったのか?

と語れれています。

主催は、加藤有華バレエスタジオ
会場は、仙台市民会館大ホール
時間は、14時から15時迄 3部構成の中、実開演13時30分
内容は、イスパニア貴族の娘 ジュリアが宣教師ソロテととみに来日、政宗公と運命的出会いをする。
      
奥山大学、徳川家康、伊達家の家来、町娘等 当時の衣装で多彩です。
バレーですから 足先は トウーシューズ つま先立っしていました。
政宗公は、前立ては半月の兜 黒漆五枚胴具足に黒羅紗地緋紗山形文様陣羽織を着用 フェナーレを飾りました。

バレーに馴染みが無く 心配しましたが 楽しめました。

無粋なあかとんぼ が なぜバレー鑑賞したか?

加藤有華氏の姉妹様は 5月24日の政宗公遠忌法要に毎年参拝されており お会い バレー「ジュリア」のお話も しておりました。
10月18日 公演の成功祈願に 出演者一同 瑞鳳殿に早朝 参拝に見え、古いご縁から 姉様にお招き頂きました。



11 月 5 日 (土)  



温暖です。

本日は ガイドが供給過剰でした。
あかとんぼは、札幌市白石区隣からのお嬢さんの小さい団体に始り、9時から12時迄 ほぼフルタイムのガイドをしました。


個人営業のタクシ−氏 ガイドをボラガイドに託して 休憩していました。
「専門的な事は ガイドの会に限る」との事。

「この様な 貸切市内観光の頻度は、報酬は?」 答えにくい質問です。
「週に1・2回かな。お客様との相性が 合うか 合わないか そこが肝心」と 背の後ろで 手と指を 開閉していました。さて いくらでしょうか?


お知らせ

1.テレビ放映

12月11日(日)BS T「日本の遺産」で瑞鳳殿が放映されます。
撮影隊が 長尺竿の先にカメラを取り付け撮影していました。
ドロ−ンを使い無いため 竿を鳥目の位置で撮影の様です。

録画をします。楽しみです。


2.綱宗公煙管 江戸出張

「伊達男のこだわり きせる・たばこ盆・たばこ入れに見る職人の技」展
たばこと塩の博物館(墨田区横川1-16-3)
会期 11月19日〜1月9日迄

綱宗公煙管が 展示されます。
で、資料館の展示は11月11日〜1月20日迄 出張不在となります。写真が代替展示されます。


3.講演会

米沢市上杉博物館では10月1日から27日迄 特別展「伊達氏と上杉氏」展を開催しています。
併せて 次の様に講演会を開催します。

@ 10月1日 「中世伊達氏」 米沢市上杉博物館専門学芸員角屋由美子氏
A 10月8日 「伊達郡からみた伊達氏」米沢短期大学教授吉田歓氏
B 11月22日「ここまでわかった 国史跡館山城跡」  4氏
C 11月5日  「伊達氏と家臣団 米沢市上杉博物館専門学芸員角屋由美子氏
D 11月12日 「米沢時代の政宗」 福島県立博物館専門学芸員 高橋 充氏
E 11月19日「米沢時代の伊達氏と上杉氏」 淑徳大学准教授 遠藤ゆり子氏

来年は政宗公生誕450年です。催事計画が各団体で目白押しと聞いています。
聴きたい講座ばかりです。

Bの配布資料は 入手しました。




11 月 3 日 (木)  



木枯らし

経ケ峯の天空 木枯らしが舞っています。
城下は紅葉が始まりましたが 経ケ峯は未だです。

団体のお客様 続々。
有料ガイドの団体が3組 9時早々に入ってきました。


有料ガイドのHさんから 「丸森町からの高齢者です」との紹介がありました。
先週29日 小斎城に、金山城を 巡るツアーが まるもりグリー・ツーリズム推進協議会主催であり 榎並利夫先生の案内で見学してきました」と話をしましたら、即 「榎並利夫と親戚だ」とオバサンから 反応がありました。

ガイドの仲間 Aさんは 丸森町出身で ベテランガイドです。
町長部局(経済局)であれば、Aさんを承知しているでしょう。多分に Aさんはふるさと の為と無料ガイドを申し出たでしょう。

高齢者の生涯学習であれば 公益財団法人瑞鳳殿に電話されると 瑞鳳殿ガイドの会に 無料でガイドをして と廻って来ますが。

ガイド料 幾ら支払されたか?


高齢者がウロウロしています。ガイドして欲しい表情です。
この様な 団体は 薀蓄(学)を 披露したい人が いる場合が多々あります。下手に声をかけると 機嫌と名誉を傷つけることになります。

迷いましたが S嬢が声をかけたら スンナリ 「頼む」と。


盛年男女の団体。手水舎で 討議しています。(毎度の事です)

「皆さんは ご先祖さま どちらに? お寺ですか? ここは、お寺系のお墓です。神仏混合時代の名残で このお浄めがあります」
「東京から来ました。お寺にあります」と 若い女性が元気に答えられました。

あると云えば あるかも。


中国からの若い人 10人前後の団体が 連続 しました。
添乗員 中国語です。「通訳してくれれば ガイドします」に 断れました。当然かも、見た目を 眺めれば 良いの観光でしょうから。


欧米系男2人 (親子?)
「ガイド頼む」  「Can not speak English。 Wait a minute to bring the English can guide」と 伝え ガイド中の英語堪能のBさん に日本語堪能のCさんが 事情を伝え交替し 英語堪能のBさんが欧米系男2人を 朗らかに ガイドをしました。

Bさんによれば アメリカ人で 仙台駅から徒歩で 瑞鳳殿に来た 仙台城跡 大崎八幡宮と徒歩で見学予定。
逞しい人たち。

今月から 英語堪能の男性ガイド2名に なります。 女性3人 ご都合付けば 万全の態勢になります。



結局 本格ガイドは1組 後は 案内に終始しました。



11 月 2 日 (水)  



伊達領 北端の防衛線を探る

10月31日 U氏と共に 日の出から日没まで 伊達領北端の防衛線(要害・藩境塚)を探りました。


1.岩屋堂要害・・・江刺郡片岡村・・・御一門 伊達右近 5510石

奥州市江刺区 市街地に所在。町より約80mの独立した山全体で、登り口に 岩屋堂城跡の標題で 絵図等4図で詳細に記載した案内板があります。
三の丸、二の丸が小学校、高等学校の敷地で、本丸は、1984年に発掘調査し平安時代の住居跡が発見され、館山史跡公園として整備されていました。
町との反対側がテーマパーク「藤原えさしの里」です。

歴史として、葛西氏千葉系江刺氏が長く住まい、伊達家領になり
天正9年−慶長7年 桑折宗長-政長−重長
慶長7年−元和4年 吉田重直
元和5年-元和7年  増田宗繁
元和8年−寛永20年 伊達忠宗 (城代藤田宗和?)
寛永20年−万治2年 古内義直‐義如
万治2年-      伊達宗規―村隆‐村望-村将-宗隆‐宗崇-義隆-邦規−基規
(この項 仙台藩歴史事典による)


2.人首(ヒトカベ)要害・・・江刺郡人首村・・・御一族 沼部 1000石

奥州市江刺区 江刺から 盛街道約15km 旧米里村中心部。
高さ約30m、東西188m、南北104m、頂上部東西50m南北46mは本丸跡。
原型が保たれていると見ました。

歴史として、葛西氏統治の頃、岩屋堂江刺三河守重胤二男人首如精が住んでいた。
慶長11年(1606)志田郡新沼村から沼辺重仲を移封、以来262年統治した。

城の西に、仙台藩直参足軽20人の屋敷がありました。

(江刺米里文化財調査委員会・江刺米里財産区・江刺市教育委員会が1984年6月に設置した案内板によりました。賢治街道を歩く会の案内板は微妙に異なります)

本丸跡に石碑が数あり、三島学園(現東北文化学園大学)の創立者三島駒治の顕彰碑が際立っています。本村の生まれ。(碑面 読み切れませんでした)


3.伊藤家住宅 国指定重要文化財 1976年2月3日指定

南部領最南端 東和町覚間沢地区に所在し、伊達領江刺郡学間沢に藩境で接しています。

建物の特徴は「内馬屋直家形式」(ウチマヤスゴヤケイシキ)で、大戸口(オオドグチ)が「まや(馬屋・厩)」専用であるが特殊な点で、伊達領にもみられる。
(花巻市教育委員会2008年3月設置案内場版による)


4.野手崎・所 ・・・江刺郡野手崎・・・一家 小梁川 800石

旧梁川村の中心地 屋並みの小高い丘が本地。
路肩に「野手崎(小梁川館)城内図」が掲示され、烏帽子山山腹に東西300m、南北250mの山城 1640年代より幕末迄 小梁川氏が居城、侍屋敷名とその跡地に所在した役場等が記載されていす。

ここも、昔日の形が 保存されています。
城内図に 「御預 足軽町」の表示があり、仙台藩歴史事典 所一覧に 「天保5年時には足軽屋敷20が追加」と記載があります。


5.上口内要害・・・江刺郡上口内村・・・御一族 中島  1682石

北上市口内町松阪に所在、国道107号線と456号線交差点にあり、高さ30m、東西200m、南北130m、平山城。
国道107号線沿い 「あぐり夢くちない」構内に 浮牛城と表示された 美麗な案内板があり、謂れは 築城の際 牛3頭を生き埋めにしたに由来すると。

本丸案内板には、葛西氏滅亡で伊達領となり、元禄8(1695)年3月加美郡小野田本郷から中島監物利成が移封、2524石で、元禄10年 伊達家直参足軽20人を受け入れた。

人首要害・野手崎・所・ 上口内要害でも 直参足軽 屋敷と記載ありました。
 対南部家 防衛に 直参足軽を配置したのか? その目的・指揮系統等は? 宿題です。

本丸に 浮牛城跡と刻まれた 黒御影石 横2m 縦1.5m 幅0.2mの石碑があり、裏面に 平成7年 小室トミ子 中島光子 浮牛城領主中島公転封三百記念事業実行委員会 と刻まれていました。
廃藩置県 領主が去って150年経過したいまも、領主末裔と領民末裔の繋がり・交流があるのを示していました。感服。

城主の変遷は 仙台藩歴史事典によれば、
天正19年−慶長6年  瀬上景康‐景純
慶長6年−寛永年間  小梁川宗重−宗影
寛永年間後期     藤田宗景
寛永21年-万治2年  田手高実-伊達宗房
万治2年-元禄7年   古内義如‐義憲-義長
元禄7年-       中島利成−宴成-紹成−以成-寛意-意任-意実-意元-亀五郎-意時。


6.みちのく民俗村 北上市立花所在
国史跡 南部・伊達領境塚 間沢狭塚、仙台藩寺坂番所(北上市稲瀬町内門岡から移築)等を見学。


7.北上市立博物館
数々の展示の内 次を重点に見学
@国見山廃寺(平良文化に先立つ仏教文化の世界)
A乱世に生きた武将和賀氏
B川湊の黒沢尻

  資料を購入
@史料が語る和賀氏の時代
A図録 南部領伊達領境塚展

  窓口で応接した吉田嬢の卓上に美麗な図書が開かれていました。
  詳説 日本史 大学受験生向け 山川出版社刊との事


8.相去宿 藩境塚

屋並みは 昔日を思わせます。
小雨で暗く 桝形・藩境塚は所在確認できませんでした。


9.金ヶ崎要害
実査を計画しましたが、天候が悪化しましたので またの機会に延期しました。

 
まとめ
秋の日短に 日の出から日没まで 12時間を要し 伊達領北端の防衛線(要害・藩境塚)を探りました。
案内して頂きました Uさんも 疲れたでしょう。お世話になりました。勉強になりました。感謝申し上げます。  





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