2016年12月の日誌
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12 月 31 日 (土)  



瑞鳳殿 

本日は23時まで閉門です。
23時から 元旦16時まで 無料で参詣できます。

元旦8時30分から16時迄 瑞鳳殿本殿が開扉で、政宗公御尊像 直々 拝謁出来ます。

ボラガイド始めは 2日12時です。


言葉使

上山城元旦登
鶴ヶ城元旦登

河北新報の案内の 東北の城址での行事は 上山城址と鶴ヶ城址の2城址のみ。
鶴ヶ城は 天守閣のみ 意識している故でしょうか?



12 月 30 日 (金)  



2016年瑞鳳殿ガイド納

官公庁に準じて 本日が2016年のガイド最終日です。

本殿前は、粉雪が舞います。
ボールペンが凍結するとは?
ガイドの都度 (何処から、男何人・女何人)とメモしています。日誌の為の備忘録です。
書けなくなりました。帰宅しストーブに炙りました書けました。寒さで凍結したの結論です。

日本語・英語でガイドできる仲間2人と 「骨に凍みるネ」と語らい、お客様が途絶えた瞬間 日向ぼっこ。
限られた場所の限られた時間でも 温まります。(お日様は偉大です)


あかとんぼは 愛知県・東京からの 1〜3人の小団体を連続ガイドをしました。
1団体だけ 「タクシーを待たせているから ポイント15分でがいどをして」があり、きっちり15分でまとめました。

最後、東京からの男女。愉快と申すか 発想が(超越)しています。刺激されました。
お爺さん 何歳ですか?に始り ハタチとの事。

「歴史・美術に全く興味が無いが ガイドを聞いて 楽しかった 立ち寄ってヨカッタ」と 漏らされ 安堵したものの あかとんぼとお客様の年齢格差は 広がります。お客様目線のガイドの在り方 考え直す時期の様です。


亜細亜系以外の外国の方 続々と。
英語でガイドできる仲間 大活躍です。

分析によると 米国人も来ましたが スイス始め東欧諸国の人が多い との事でした。



12 月 29 日 (木)  



羽柴を 政宗公は (いつ)から(いつ)迄 称したか?

羽柴を名乗った人々 黒田基樹 著 角川選書 を読みました。
抜き書きします。

〇 天正19(1591)年2月12日 従五位下・侍従に叙任  公家成
   豊臣姓、羽柴名字 与えられる

〇 天正19(1591)年4月 羽柴伊達侍従 と称す (伊達家文書588号)
〇 天正19(1591)年4月 羽柴長井侍従 と称す (伊達家文書590号)

〇 天正19(1591)年4月10日 羽柴陸奥侍従と 宇喜多秀家書状  (伊達家文書592号)
〇 天正19(1591)年9月以降 羽柴大崎侍従と (伊達家文書636号)

〇 文禄2(1593)年3月14日付け書状 羽柴越前守 (伊達家文書643号)
〇 文禄2(1593)年閏9月30日 従四位下 に昇任

〇 時期不詳 右近衛権少将 昇任
〇 慶長2(1597)9月26日書状 羽柴大崎少将政宗 と称す

〇 慶長13(1608)1月晦日書状 羽柴越前守 と称す
〇 慶長13(1608)4月 名字 松平 受領名 陸奥守 将軍徳川秀忠から与えられる

〇 以後 松平陸奥守 と称す。名字 羽柴 を廃す


黒田基樹先生は参考文献として 次の図書を揚げています。

小林清治  伊達政宗(人物叢書) 1959年 吉川弘文館
小林清治  伊達政宗の研究    2008年 吉川弘文館
佐藤憲一  伊達政宗の手紙    1995年 新潮社
高橋富雄編 伊達政宗のすべて 1984年 新人物往来社


羽柴名字一覧に

羽柴陸奥侍従 に 政宗公の外 佐々成政が
羽柴陸奥守に 佐々成政と島津忠恒(家久) がありました。政宗公はありませんでした。



1月2日 仙台藩志会拝礼式
2017年1月2日も 催されます。

明日 発売の「旅行読売 2017 2月号」の大河ドラマ最高視聴率は「独眼竜政宗」表題の記事4頁に、
あかとんぼの言が掲載されています。

「年齢的に高い方ほど、政宗公といえば眼帯をつけた俳優の渡辺謙さんというイメージが強い」
「眼帯はフィクションです」

写真は 2014年筆者撮影です。

前後の記事は 書店で お読み頂ければ幸いです。
本が売れないと  筆者(旅行読売副編集長藤原善晴氏)に申しわない故 ご勘弁を。




12 月 27 日 (火)  



花押

読者肥前様から

「62段の石段の中腹辺りに『政宗公の花押に似た石の窪みがある』との情報を小耳に挟んだので探してみました。と画像を添付致し」
お知らせ頂きました。

政宗公最晩年の自署・公用花押にも見えなくはないような・・、?????です。
 お客様が途切れた際 探してみます。

また、SNSの見方も併せて お知らせ頂きました。成功するか?

早速のご教示に 感謝致します。


読者相模様から

26日日誌に 政宗公は 真田家系図に記載ない人に接触している、要確認のメールを頂きました。
只今 訂正致しました。ご指摘に感謝致します。







12 月 26 日 (月)  



24日の日誌

東北大学公開講演会

標題 土中より表われいづる仙台城の面影
日時 2016.12.23.13:00-17:00
会場 東北大学川内北キャンパス マルチメディア教育研究棟6階大ホール

講師・演題・概要

1.開会趣旨
 深澤百合子 東北大学大学院国際文化研究科教授
 考古学研究で宮城県文化財審議委員と自己紹介

 仙台城は望見するに 何もない・何も見えないと言われるが、トレーニングが必要である。
 知力・体力に 想像力が必要である。今日は その一助になれば幸いです。


2.講演1.
 石垣から読み解く仙台城址 発掘調査の成果から

 渡邊紀 仙台市教育委員会文化財課仙臺城史跡調査室長

 1981年から発掘調査専門。1983年から仙台城址の発掘調査が始まった。
 本丸跡・本丸北壁石垣・清水門石垣・造酒屋屋敷跡・追廻・廣瀬川石垣まで渡邊紀先生が関与した発掘調査を場所別・時系列にパワーポイント使用で説明されました。

 配布資料は、仙台市教育委員会文化財課刊行 (文化財せんだいNO116)のみ。
 聞いている時は理解しました。・・・ そして、 老人には文化財課刊行の調査報告書の熟読の必要を痛感しました。 


3.講演2
 仙台城址二の丸地区と武家屋敷  東北大学川内南・北キャンパスの発掘調査成果 

 菅野智則 東北大学埋蔵文化財調査室特任准教授 

 先生は1999年茨城大学を卒業、2015年から現職。
 東北大学埋蔵文化財調査室は東北大学の敷地内の埋蔵文化財を調査する機関で、必要に応じて仙台市教育委員会文化財課と連携をする。
 発掘調査とは 遺跡の破壊に連なる。
 東北大学では新しい施設を建設する時、水道・ガス管など改修する時、地表面を掘る工事の前に必ず発掘調査をして、遺跡の状態を記録保存しています。 

 発掘すると 占領軍の暖房配管、陸軍、江戸時代と 色々な物が 出てきます。
 発掘についてパワーポイント使用で説明されました。

 配布資料は、
 仙台城址二の丸 東北大学川内南キャンパスの調査成果      A4裏表 1葉
 仙台城址二の丸 東北大学川内北キャンパスの調査成果      A4裏表 1葉
 仙台城址二の丸第18地点現地説明会資料               A3裏表 1葉
仙台城址二の丸北方武家屋敷地区第58地点現地説明会資料   A3裏表 1葉

 大変 話題性のある中身の濃い 資料です。


4.講演3
 仙台城下を訪れた黒人 史料から読み解く「国際化」

 藤田緑 東北大学大学院国際文化研究科教授

 1613年慶長遣欧使節派遣の前提に、ピスカイノが仙台城に政宗公を訪問している。
 その際 黒人を同行している。

 日本に初めて訪れたのは 織田信長の時代で 帰化し 弥助と呼ばれた。
 始め 黒坊主 と言われ 黒坊と 呼ばれた。服装等を南蛮船図をパワーポイント使用で説明されました。

 演題と内容が異なります と講師自ら 認めました。


5.講演4
 仙台城跡遺跡の歩き方地図作成  
  地下鉄東西線国際センター駅(仙台城跡入口)から仙台城本丸跡経由川内駅(東北大学川内キャンパス)までにみる仙台城の面影

 
 伊藤孟 東北大学理学部2年・東北大学考古科学技術研究会会員

 東北大学学生は、政宗公に関心は低い。学生の8割は 伊達家領の外の人、4〜6年仙台で生活し 出ていく。
 自分は生粋の仙台人 生まれ・育ちも仙台。

 地下鉄国際センター駅に 南口に仙台城跡に至ると案内があるが 国際センターに入り その先の案内表示が無い、北口が判り易い。
 大学から10万円の助成金を頂いたので 只今 参加者限定配布の「発掘でわかるその姿 仙台しろ遺跡歩き方」を作った。

 その内容の説明がありました。流石 東北大学生です。感服しました。
 良く出来た地図です。限定配布は残念です。広く 配布される事を期待します。


6. 発掘した遺物 公開
  仙台城址二の丸北方武家屋敷地区から遺物を中心に 報告書に記載できない事柄等を交え係官の説明がありました。
  
  報告書に記載できない事柄は、この日誌に記載しても 拙いと思い断念します。
  撮影自由でしたが カメラを持参しなかったは 不覚でした。


以上 概略を記載しました。通常の歴史講座と異なり 趣が替わり それなりに中身の濃い 講演会でした。
広報不足か 関係者以外の参加者が少なかったは、残念・勿体ないの一語です。
  
 


 



12 月 25 日 (日)  



今日も沢山のお客様が政宗公参拝にお出でになりました。

朝1番は、埼玉からの親娘3人。
埼玉県内で 仙台・宮城の強烈な観光キャンペーンが行われているそうです。納得です。昨今埼玉からのお客様が激増している譯が。

お嬢さんに、
涅槃門から 奉納灯籠にガイドが移り、「この灯篭は片倉小十郎重綱が寄進したものです。
(重長)と書かれていますが、時代的に(重綱)の名前の時代に寄進されたものです」とガイドをしたら 頷きました。知っている表情です。

政宗公御木像は、両眼開いています。この謂れもご存知の様子ですが、語り、最後に
「私の説明に誤りありませんでしたか?」と訊ねましたら「ハイ」と返って来ました。

政宗公について相当勉強された(歴女)です。高校高学年かな、一人旅では心配と 両親が同行されたと 感じました。
資料館をご覧になり 感仙殿地区に移動の際、「写真をSNSに載せてもよいでしょうか?」と 確認がありました。

見たいですが 検索の方法が知りません。どなたか ご存知の方 教えてください。
JTB当番でなければ もっとガイドしたかったお客様でした。

JTB当番の待機に入ましたが、カラフリでした。
カラフリをすると ツキが落ちます。ガイド依頼が無く 寒さが凍みます。

11時 長野県からのお嬢さんが見えました。
「上田ですか?真田丸ご覧になりましたか?」で 口火を切りました。

上田ではありません。見ていません」のお答え。
政宗公と真田信繁(幸村)との接点から 政宗公を思い出して頂き、瑞鳳殿本来を 説明すれば ご理解・楽しみが増すでしょうの考えです。

策は当たった様です。
最後、一緒に写真に収まってのご依頼。べっぴさん と一緒は光栄です。裏表の2枚 その意図を理解され 喜ばれました。
矢張り SNSかに公開されるのでしょうか?あかとんぼ の名札も撮影されました。


伊達政宗と時代劇メデイア

時代考証会の表題の報告書 河北新報に4段抜きで紹介されました。
政宗公生誕450年を迎える昨今 政宗公の人柄等を理解する入門書として最適と思っていました。

河北新報の記者も その様に 書いていました。

菅野正道先生から 今朝の記事と (仙台郷土研究293号)に倉橋真紀先生が紹介された記事のPDFをご送付頂きました。

倉橋先生の文中に 報告者の一人として「瑞鳳殿ボランティアガイドあかとんぼ」と明記されています。恐縮です。

本は、今野印刷 022-288-6123か、仙台市博物館売店、市内有名書店で販売しております。





12 月 24 日 (土)  



風 冷たいです。

今年 最後の3連休日です。
昨祝日(天皇誕生日)は、東北大学の公開講座に出席故 ガイドを休みました。

気分的に3連休日の意識が無かったゆえか?お客様の多いのに驚きました。
真夏並みです。朝から連続し 3段1段石段を降りる事なく 昼まで ガイドをしました。
先週は(閑古鳥) 今日は(雀)

1番目、津軽からの御夫妻 津軽為信を知りませんでした。
2番目、東京と称する三乙女、内 一人はボソっと(日光)からと。 
     「ガイドしましょう」に「ラッキー」の反応。

3番目、東京からの御夫妻。男性は じっくり聞き、撮影をしています。
     女性は ガイドを聞かずスマホで撮影にチョロチョロします。
     戻って来ては、話しかけます。マイ天下?

4番目、長野県の親娘3人、長野⇒上田⇒真田丸と 言われますが上田でなく NHK真田丸は 見ていませんとの事。
     聞き上手です。最近 墓室内の図面は開いていませんが、開いて見て頂きました。


愛読者 肥前様が 半年ぶりで参拝に見えました。お元気でした。多忙との事は 結構な事です。

NHK真田丸の時代考証が話題になりました。

NHKは 時代劇考証に力を入れている。今回 真田については正確な筈との事ながら ドラマの性格上か 気になる箇所がある。

政宗公が相変わらず 眼帯をしている。
眼帯は 正円・網目で 俳優の目玉が見える。独眼竜政宗より 進化したが?
ズンダ餅を食し、真田幸村の子供達に供する場面は やりすぎでは?団子屋の宣伝では?

色々 情報を頂きかったが ガイド依頼が殺到し 以上の話で終わりました。


昨日 仙台市博物館友の会古文書講読会がありました。

演題は、秀吉に睨まれた政宗 小田原北条氏宛豊臣秀吉宣戦布告状を読む
講師は 学芸員 佐々木徹先生」
文書は、天正17(1589)年11月24日付け 豊臣秀吉朱印状(伊達家寄贈文化財古文書282)
      天正17(1589)年12月5日付け 政宗公宛 前田利家・浅野長吉連署

以上内容の資料を 黒田様から本日頂きました。

チラチラ読むに 歴史書で3行で書かれた事の裏付け です。この後 自習します。感謝です。



12 月 23 日 (金)  



後日 記載します。



12 月 21 日 (水)  



門松

政宗公も見られた?
仙臺城に飾れらたと伝えられる 伝統門松 が 本日 瑞鳳殿 資料館前に 飾られました。

飾付は 仙台市博物館倉橋真紀学芸員の指導の下で、仙台市博物館横沢係長、公益財団法人瑞鳳殿加藤寛学芸員が手際よく行いました。

今年は、門松大人熊谷和夫様は 見えませんでした。勝手駆付手伝の あかとんぼ は手を出す余地なく 傍観するのみでした。

傍観の最中 瑞鳳殿と門松のガイドをしました。
仙臺城に飾れらたと伝えられる 伝統門松で、北限は一関市 南限は丸森町 とガイドをしたら、

丸森町からの青年
1.丸森町は 伊達家と関係無いでしょう。
2.丸森町に この様な 門松が 残っているとは知らない。

1.丸森町は 政宗公初陣の地です。相馬家と度々 争っています。金山城を訪れ 詳しい郷土史家に案内をお願いしたら。
2(.いきいき交流センター大内) の前庭に 例年28日に飾られます。

この青年 15時半頃 見えました。仙台での仕事が早く終わり 参拝に見えたのか?
あかとんぼ が話しかけたらの応答です。

邑の歴史・民俗が 次の世代に伝わっているか を感じました。


茨城からのお嬢さん
「社会科の先生ですか?」と 聞きました。それ位 知識をお持ちでした。
心残りの面ありましたが 勝手駆付手伝の都合から 50分程のガイドで 終わりました。



12 月 20 日 (火)  



海外メデアも注目

香港の旅行宣伝会社のレポーターが取材に瑞鳳殿を訪れ ガイドを依頼され その様子を 在仙有力TV会社が撮影をしました。

ガイドをしたAさんから
1.取材を受けました。
2.18時15分からのニュースで報じられます。

と連絡がありました。
羽後国に滞在中で 見れない事から、KとS副会長 U監事に 「見れたら 見て頂きたい」とお願いしました。

結果 (音声無で 短時間 報じられた) の連絡がありました。
香港では 大きく 報じられ 多数の人々が 瑞鳳殿にお出でなるを 期待します。


国内では

羽後国に滞在中に あかとんぼ の生活が話題になり 「伊達政宗公御霊屋瑞鳳殿で ボラガイドしています」 と語りました。

反応の中に

「伊達政宗公御霊屋瑞鳳殿」は知らない、仙台なら 秋保温泉の瑞鳳なら知っている。
後は、市内結婚式場の大広間なら 知っている。

がありました。認知度 低いです。


19日高速バスで隣席の老夫婦 泉ICから前沢ICまで 約1時間を要して 瑞鳳殿の栞を丁寧に 夫婦 交互に 読んでいました。
入場券とパンフレットを直ぐ 格納されます。帰宅し ゴミ箱かなと 思っていましたが、読む人は 読んで呉れているわけです。

ボラガイドのガイドを聞いて 更に パンフレットを 読めば 最高です。
さて この老夫婦 18日午後 お出でになったのかな? あかとんぼ 待機中お見掛けしませんでした。



12 月 18 日 (日)  



お客様との出会いに「ツキ」があります。
朝 9時に「ツキ」を逃がすと その日は 諦め 悟りの 境地に至ります。今日がその日でした。


埼玉からのお嬢さんをガイドをしていたら、中年のオジサンが割り込み ガタガタ言い ナンパを始めました。
「此処は神聖な御廟であるぞ 無礼者」 如何に友好的雰囲気で オジサンを去らせるか?

本殿で 「此処は涅槃に世界 極楽に到達しました」で 漸う悟ったか 去りました。


感仙殿地区に廻りました。
撮影しているご夫妻と会話しますが 何か微妙に 食い違い をします。

御子様御廟から 自然探索路に入り 山を一周し 感仙殿地区に抜けていました。
まだ 瑞鳳殿をお詣りしていませんで、あかとんぼの(瑞鳳殿をお詣りしたを前提のガイド)を聞くのに微妙な食違いを生じたのでした。

このお客様 通常コースと逆回りで お詣りを済ませました。

御子様御廟に廻りました。
何人かが 自然探索路に入って行く 後ろ姿がありました。山の精霊 が呼んでいるのでしょうか?


御子様御廟入口の新しい解説版 「公子公女のお墓 御子様御廟」のタイトルで始まっています。
お客様から「公子公女とは なんですか? 殿様の子供であれば 御子様でないですか? 同じ意味なのに 二重に 異なる表現されるのは なぜですか?」

事務所に戻った折、加藤・渡部両学芸員に報告しました。


本日定刻より10分早めに切り上げました。
何故? 世界情勢の変化(原油の減産・円安)で 日常生活に影響が出始めた。その対応に入れの指示が届いたのです。

灯油屋に走りました。20〜30mの長蛇の列。平均 ポリタンク4〜6缶持っています。
1L当たり50円台から70円台に急騰しています。1円でも安い店 と押し掛けたようです。

後ろに並んだ オジサン「家に居れば 灯油代が嵩む、外出すると これまた 金が出ていく 世知辛い」と 話しかけて来ました。

「金がかからない方法があります。瑞鳳殿でボランティアガイドをすれば 全世界の人びとと語り 頭も体も 健康が保たれ お金がかかりません」と 話そうと思いましたが ストップ。この方 家族が居れば 灯油代必要に代わりありません。



12 月 17 日 (土)  



今朝も積雪 除排雪後出発 今期は降雪が早いと感ずる。

瑞鳳殿の涅槃門・拝殿に幔幕張られました。
門松は、涅槃門と感仙殿地区に 飾られました。

参殿とも 金色の家紋を始め 彫刻がピカピカ輝いています。
清美隊 妙運界廟の清掃(落葉掃き、草取)をしていました。さっぱりした清涼感が漂っています。

「年末年始に参拝のお客様に喜んで貰える」と清美隊員。
風が吹いたら 元も黙阿弥 では? でも やらないよりやったほうが よろしいです。

涅槃門・拝殿・渡り廊下・唐門・本殿・感仙殿・善応殿には 解説版(国宝時代の写真掲載、解説文は複数の国語で)が一新されました。
又、妙運界廟の参墓標の前の解説版(解説文は複数の国語で)が一新されました。

国宝時代の建物等 ガイドが手持ちファイルを 広げる必要が無く、大きく お客様も見やすいでしょう。
対応された 公益財団法人瑞鳳殿に感謝申し上げます。


門松

伝統門松の飾付 22日午後と決まったそうです。
勝手駆付手伝 ご希望の方の参集 お待ちしております。
昨年は、骨まで凍結すると感ずる寒さでした。防寒完備でお出で下さい。


本日のガイドは 関東圏のお客様のみでした。



気になった事

大きいサイズのカップに熱い(湯気が出ています)飲み物 タプタプにして 飲みながら 涅槃門を潜ろ お客様 今日も居ました。

あかとんぼ としては
1.喫茶室で 購入したら 椅子に座り 飲み終えてから 参拝して頂きたいです。
2.飲みながら参拝とは行儀が悪いです。
3.突然 脳の歯車が狂い 飲みかけの熱湯を 漆塗り直したばかりの拝殿・本殿に投げ・吹き掛ける 不逞の輩が出ないか?心配です。

経ケ峯は全山 禁煙 です。でも 禁飲 には為っていません。(ペットボトルの自販機が 設置されています。)



12 月 16 日 (金)  



さすが

河北新報朝刊 開いて ビックリ。
才能・センス・感覚が 馬齢を重ねても進歩しないことを知らされました。

昨日の瑞鳳殿等の煤払い の写真です。
瑞鳳殿全景と伊達武将隊面々(特に政宗公と真田幸村が長枝ブラシ対で清掃)の様子 17cm×10cm 4段抜き。
記事も冗句なく。お見事です。


伊達武将隊 全員とは 誰誰か?のお尋ねがありました。

1.伊達政宗公
2.伊達成実
3.片倉小十郎景綱
4.片倉小十郎重綱
5.真田幸村
6.支倉常長
7.松尾芭蕉

の7人です。以前(くの一)がいましたが、除隊したのかいませんでした。
行進の際 この順番で 足軽が居ませんので なにかの小道具持ち は 7.松尾芭蕉の仕事です。
黒子として 伊達武将隊を運営する会社の要人が 目立たない様に 張り付いています。


伊達武将隊の煤払い

伊達武将隊公式ブログ(http://ameblo.jp/datebusyoutai/)の
六衛門日誌(http://ameblo.jp/datebusyoutai/entry-12228927518.html)を ご覧頂ければ幸いです。



12 月 15 日 (木)  



煤払い

恒例の煤払いが、9時から職員総出で和やかな雰囲気のなか行われました。

10時 伊達家御当主伊達泰宗様の指揮した 伊達武将隊全隊員7名が 瑞鳳殿本殿の外壁彫刻の煤払いを行いました。
伊達武将隊の隊員に 何回と 参加している隊員がおり、後輩隊員を指導 手際よく 行われ 早々に 終わりました。


伊達家御当主の政宗公御尊顔を毛筆での 煤払いが 最大の場面です。TVカメラ うまく撮れたでしょうか?
ローカルニュースで 放映されるそうです。ご覧ください。

記者会見 インタビューです。御当主に続いて伊達武将隊の政宗公役にも行われました。
政宗公になりきり 21世紀に生きる政宗公か? 政宗公役の〇〇で答えるか 戸惑い 仲間に振る場面もありました。


若い人から 若くない年齢までの女性 10人程  伊達武将隊が来たら 現われ 事務所に挨拶し 去るまで 着かず離れず待機 最後に会話をし 見送っていました。 オッカケタイ です。


津軽為信公の御霊屋(弘前市藤代・革秀寺)を参拝されている 弘前市の老婦人5人。
拝殿で 9時40分頃から 煤払い(事前に御当主・職員で作業中)をご覧なりながら休息されていました。

津軽為信公の御霊屋との差異から 瑞鳳殿を説明し、「10時に伊達武将隊が来ます」とご案内しましたが、戻って来ませんでした。
伊達武将隊についての説明が足りなかったか? 帰れば 煤払いしなければならない身で 他家の煤払いに興味がなかったか?


門松

現代の一般的 門松が 涅槃門前に 市内造園会社製 が設置されました。

仙臺城に飾られたと伝えられる 伝統門松の北限 田村家御城下一関市 酒造会社「世嬉一」の酒蔵前に飾られました。
「門の形」と説明しながらNHKローカルニュースで報じました。

見るに行きたいですが、雪道はダメです。



12 月 14 日 (水)  



敗者からの記録

戦いで敗れた者は、その功罪のすべてが歴史(記録)から抹消されるのが常です。

天正18年(1590)10月16日葛西大崎が勃発、11月16日政宗公 大崎に侵攻しています。

小林清治先生は、
「政宗は16日以後、中目(白石市)、師山(古川市)、高須水(栗原郡)、宮沢(古川市)の諸城を手中に収め、24日佐沼城に向かい、戦わずして吉春父子を救出した」と  人物叢書伊達政宗77頁に記載されています。

また、「政宗は6月25日に加美郡宮崎城をおとし、7月3日に城兵500人、百姓2000人を討取って佐沼城(登米郡)おとした」と 81頁に記載されています。

記録は簡略です。
同輩 蒲生氏郷との確執、季節が積雪寒冷で進軍の難儀があったと、別資料で語られています。


大崎市の大崎タイムス社は、1983年10月から11月迄、「豊饒平野 戦国時代の大崎一族」と題して連載しました。


その概要は、(回数番号、標題等)

223. 大崎旧臣が頑強に抵抗 一揆鎮圧の伊達軍と激突。
224. まぼろしの朱印状 師表に義隆(筆者注 大崎氏12代当主)京都を発つ
227. 伊達が着々と懐柔策 大崎旧臣や領民を取り立て
228. 宮崎合戦(1) 燎原の火を、一挙鎮圧 掃討作戦に秀吉命令下す
229. 宮崎合戦(2) 笠原党に降伏迫る 政宗、関白秀吉の軍令を楯に
230. 宮崎合戦(3) 濱田を一発射止める 鉄砲名人の一発与惣佐衛門

まとめは、
宮崎城を拠点に笠原民部隆親が中心に抵抗したが敗れ、大歳氏13代義與と笠原民部隆親の岳父小国日向守の城に落ち延びた。笠原民部隆親の妻子は自害したです。

(筆者注 宮崎合戦は 天正19年(1591)6月24・25日が山場)

この6回分の切り抜きを ある古老が見せてくれました。
仏壇の隠箪笥から発見されたそうで、赤茶色に変色しており、コピーするのに 技術を要しました。

この古文書的切り抜きを 見せてくれた、その真意は 不明です。然し 敗者からの記録(歴史)として それなりの価値があると思います。
感謝します。


読者情報

中目(白石市)は、(古川市)の誤記では? のご指摘を 愛読者から頂きました。
人物叢書伊達政宗77頁には、中目(白石市)と記載されています。

現地 地名から 読者情報が 正解に 思わらます。



12 月 11 日 (日)  



あかとんぼ邑 積雪・吹雪

「この天候でも瑞鳳殿に行くの?」「はい」
除排雪し、出発、バス通りは融雪剤散布済。御城下に入ったら路面乾燥。あかとんぼ邑 熊は出ませんが 山・田舎と認識。


朝一番のお客様 62段参道の脇道を登って来ます。
「この石段を登って頂きたかった。何段 あるでしょう」 「ハイ 62段 伊達家の家禄です」

「よくご存知で、どちらから お出でですか?」
「ウン アヤシから」 (仙台市青葉区愛子 旧廣瀬村)

中途の温泉旅館に宿泊され 次の行動の時間つぶしらしく 邑の鎮守様をお詣りする感覚です。
「拝観料取るのか?」「○〇に泊まったから○○円にしろ」「団体割引にしろ」・・・・・

無料ガイドであっても 聞いてもらえる雰囲気でありません。そーと離れました。


横浜からの熟女様 7人

何回か参拝された方の誘導です。「ざっくり 要点のみ ガイドをして」のご注文。
涅槃門と本殿 のポイントを。

「塗り」に拘り 質問を重ねる方いました。中学校の美術の先生でしょうか?
賑やかな一行です。楽しい 旅行になるでしょう。


東京近郊からのお嬢さん

片倉小十郎をご存知でした。(歴女様?) ならばと丁寧にガイドをしました。
その後、仙台市博物館ロビーで 見かけました。 正真正銘の歴女様?


JTB当番は から振り。

亜細亜系で 日本語圏外からの 個人・家族・団体が 散見されます。

断続的に降雪。
雪降りの瑞鳳殿を撮りたい と カメラを構えると 雪がやみます。表紙の写真 交換今しばらくお待ちを。


仙台市博物館に移動

昨日講演の江刺郡分間絵図 展示を 再確認。
昨日の説明は 北上川添いの一部分でした。
全体で 畳6枚大の大きさです。広大な江刺郡を詳細に描いた 生江助内 と称する 絵師の技能に感服しました。

絵師・・・この絵図を描いた人も絵師、政宗公像等人物を描いた人も、障壁画も、道中記も、絵を描いた人は 皆 絵師。幅が広い。



 「政宗公がご覧なられたかも の門松」

今年も 瑞鳳殿に飾るとの事。昨年は18日でした。
(勝手駆付手伝)を今年もしたいと 倉橋真紀先生を訪ねましたが 出勤日ではありませんでした。 〇〇先生にお伺いしました。

「現在 20・21日で微調整中で 確定次第 然るべき筋〇〇から ご連絡します」と お答え頂きました。
確定報入り次第 日程調整 万全を期します。皆様にもお知らせします。(勝手駆付手伝)しませんか?

定例の煤払いは、15日午前です。


救助事故

仙台市消防局から 「13:50霊屋下で救助事故 消防車出動」と、「14:34任務完了」と 速報がメールが入りました。
あかとんぼ邑で 車両衝突事故が ままあります。救急車と警察車と消防車と セットで駆けつけて来ます。

経ケ峯の麓 あかとんぼの通勤路で 車両衝突事故があったのでしょうか?
消防車が40分で任務完了は 出火しなかったことでしょう。まずは ひと安心です。


大坂夏の陣


真田幸村と片倉小十郎重綱との激戦で、互いに おとこ と見込み その結果 娘と息子を 託したとされていた。

NHK「真田丸」49回目では、(政宗公が真田幸村 と対決、政宗公の陣に娘と息子を託した) となっていました。
して、「ズンダ餅」が供される場面が、(あー やっぱりな)の思い。 

NHKの政宗公は、(独眼竜政宗)以来、金の半月の前立て、直径5cm大の眼帯です。
家紋(竹に雀)は 今様でした。



12 月 10 日 (土)  



暦は(大雪) 現実は(極寒)

経ケ峯は、市街地より 2〜3度位 気温が低いです。本殿前は 更に寒いです。
寒気 老骨に凍みる です。 高齢ガイドが 一様に 口にする 言葉です。

本日 9時30分頃と10時30分頃と 2回 濡れ雪が モサモサと降りました。

お客様 天気予報で 旅行計画されたか お客様の出足は 夏場の平日並みです。

滋賀県からの老女2人様と 東京からのお嬢さん3人ほかをガイドしました。


11時半過ぎ 仙台市博物館に 移動しました。

ある方から 「23日東北大学で貴重な興味深い講演会がある」とご教示頂きました。
詳細が 確認出来ません。

菅野正道先生に相談しました。
「チラシ 仙台市博物館に20枚しか送付されていない」と 貴重なチラシを1枚頂きました。内輪での講演会でしょうか?

その内容は、

日時:12月23日13:00-17:00
会場:東北大学北川内キャンパス マルチメディア教育研究棟6階

主催:東北大学大学院国際文化研究科
共催:仙台市教育委員会。東北大学埋蔵文化財調査室。東北大学考古科学技術研究会

演題:土中より現れいづる仙台城の面影
内容:
 0.挨拶 深澤百合子 東北大学大学院国際文化研究科教授
 講演1.石垣から読み解く仙台城跡  渡部紀 仙台市教育委員会文化財課仙台城史跡調査室長

 講演2.仙台城跡と二の丸地区と武家屋敷 菅野智則 東北大学埋蔵文化財調査室特任准教授
 講演3.仙台城下.を訪れた黒人 藤田緑 東北大学大学院国際文化研究科教授

 講演4.仙台城跡遺跡の歩き方地図作成 伊藤孟 東北大学考古科学技術研究会・理学部2年
 出土遺物見学会


これまでの 史学系では無い 先生方の講演です。参加します。


しろ・まち講座「戦国の伊達・政宗の城 仙台の町」に 参加

1部.
演題:「遠藤山城文書」の特色と謎
講師:仙台市博物館学芸員 明石治郎 先生
内容:斎藤報恩会寄贈資料の中の戦国期文書
    「遠藤山城文書」とは
    「遠藤山城文書」の特色
    「遠藤山城文書」の謎

感想:@信長書状等が何故 「遠藤山城文書」にあるのか?伊達家に仕官する際、実力等の証明資料と用いられたから? 
    A古文書は内容のみならず形(切紙・封)の分析も大切だ。
 
    Aについては 隣席(初顔)氏、期待外れであったらしく、羊頭狗肉とブツブツ話しかけてきた。(うるさい黙れ)

2部
演題:満喫「江刺郡分間絵図」
講師:仙台市博物館学芸員 菅原美咲 先生
内容:「分間絵図」とは なにか?
    記載内容をみる。色の無い四角はなにか。絵図の凡例を基に見れば何が見えるか
    描かれた堰から 開拓(新田開発)が 読み取れる
    藩境の点は 何を表しているか?
    国絵図との違い。徳川将軍も見れなかった邑の様子がつぶさに読み取れる

感想:10月31日 U氏と共に 日の出から日没まで 伊達領北端の防衛線(要害・藩境塚)を探りました。
    その際 訪れた 岩屋堂要害、人首要害、野手崎要害、上口内要害の城下絵図、藩境塚配置図を 拡大・投影し 説明されました。
    現況と合致します。

    より絵図を楽しむには 絵図で歩く、絵図と比べる と先生は 纏めましたが 其の通りです。
    新緑の頃、岩屋堂要害、人首要害、野手崎要害、上口内要害に 金ヶ崎要害を加え 再訪するを 約しました。

本講座 事前予約制でありませんので 参加者の予測が出来ず 急遽 会場を増設しました。300人の参加でしょうか?



12 月 6 日 (火)  



TV放映

11月5日に撮影のあった瑞鳳殿。
日誌に、
「12月11日(日)BS T「日本の遺産」で瑞鳳殿が放映されます。
撮影隊が 長尺竿の先にカメラを取り付け撮影していました。
ドロ−ンを使い無いため 竿を鳥目の位置で撮影の様です。」
と 記載しました。

放映時刻が次のように発表になりました。

会社: BS-TBS 「日本遺産」
日時: 12月11日(日) 朝9:30〜10:00
内容: 政宗が育んだ伊達な文化(宮城県)


御飾職人 善蔵

刀の金具や神社仏閣の銅の飾りを赤金と呼んだ時代。

その煌びやかさと細かい装飾は華やかな桃山文化を形成し、伊達政宗公は大坂上洛の度に魅入られ 憧れを募らせていたという。
大坂から善蔵という御飾職人を仙台に招く。その善蔵こそ当社の初代である。

創業 慶長元年(1596) 420年 タゼン の社歴を語る広告が 河北新報第2朝刊に多く掲載されました。

仙臺城本丸
瑞巌寺
大崎八幡宮
霊廟瑞鳳殿
などのの飾り金具を歴代の田中善蔵がてがけた。

1975年創業380年を記念し 政宗公御霊廟瑞鳳殿に家紋入り 大香炉一対を奉献 
1995年創業400年を記念し 政宗公御霊廟瑞鳳殿手水舎に 青銅製「龍の口」一式を奉献

の記事と写真が その内容です。



12 月 5 日 (月)  



政宗公騎馬鉄砲隊は?

NHK「真田丸」12月4日の画面に 大坂城の利休屋敷跡に隠匿した「馬上筒」を発見し、試射する場面がありました。
実戦に実用化を予測させる画面でした。

早速 批評情報が流れました。
「火縄を使用しない火打式は 日本に伝来していない。時代考証として無理がある。物語として見て欲しい」でした。

真田幸村と政宗公は 同世代です。予告編で 政宗公(眼帯着用)が大阪夏の陣に参陣 が伝えられました。

さて、 政宗公に騎馬鉄砲隊が存在したか?

「政宗が鉄砲を持たせた騎馬武者の部隊を作って運用するというのは、100%ないと言って間違いないとおもいます」
と 菅野正道先生は、時代考証学会in仙台での基調講演で語られました。

(時代考証学会in仙台)の報告書 32頁に記載されています

政宗公の眼帯着用については、25頁で 否定されています。
大河ドラマ「独眼竜政宗」で 眼帯を着用させた理由を、97頁で 担当デレクターであった吉村芳之が語っています。


(時代考証学会in仙台)の報告書は、仙台市博物館売店の外 仙台駅前大型書店で販売しているそうです。
購入の問い合わせは 今野印刷梶@022-288-6123 に。



12 月 4 日 (日)  



昨日 ガイドを休みましたので 早目に。

酒田からの年長組の児童を連れた御夫妻。

庄内地方は、酒田が本間様に代表する商業の町、鶴岡が 酒井家の城下町。酒井家の墓所を知っていました。
歴史の素養があり ガイドの相性は 宜しいです。60分 ガイドをしてしまいました。

奥様 望遠レンズを屈指しています。
「涅槃門扁額 赤珊瑚と真珠を粉末にして塗っています」
に拡大に接写 「アッ 真珠のキラメキ写った。 ガイドさんみて」 (ガイドは嘘をつかない)と 声を出さないでブツブツ。

高齢者の趣味・道楽に 「石」があります。
(石に興味を持つ始めると 間もなく 石の下に)の俗説があります。

年長児の年齢は 一桁です。にも拘わらず 石に興味があるらしく 涅槃門から爺様ガイドに興味はある筈なく 石拾いをしています。

涅槃門入口の一画 雄勝石が敷かれています。(総合雑貨店で購入した履歴明確な石)
「価値あるのはこの石です」に 聞く耳持っていません。

玉砂利から 黒ねじ模様の石。本殿前で乳白色の石を見つけました。(お爺さん 洗い場ありませんか?)に
お母さん「此処はお墓です。 嫌です。捨てなさい」 と一喝  一件落着。


群馬県中之粂からの御夫妻

伊達家・政宗公について 御夫妻ともども 勉強されています。
片倉小十郎重綱の大阪夏の陣で真田幸村が娘・息子を託した。仙台真田家と続いている 迄 ご存知で、
「今日明日 仙台の伊達家史跡をガッチリ見学します。ここ瑞鳳殿 時間無制限でガイドをしてください」

手持ち写真・資料を 広げましたら 要所を撮影されていました。

NHK大河ドラマ「真田丸」から「幸村の娘・息子を片倉小十郎重綱に託した」等 詳しい方 珍しいと思い、地図を確認しました。
中之粂と沼田は同一地域でした。納得。

最後に、「3.11災害 放射能汚染で 椎茸の露地栽培や川魚の捕獲が未だ出来ない」と話されました。
群馬県で放射能汚染被害が未だ継続しているとは 初聴で 驚きで 拝聴しました。


ナニモナイ

40代の女性集団 上がってきました。 坂道と石段で 疲れはてたのか 「こんな何もないとこに 連れて来て」と一人が叫んでいました。
でも、先導が 「ほら ここからが 豪華絢爛だよ」と 門内に 連れて行ってしまいました。

この様な 人にこそ ガイドをしたい。こんな素晴らし所と感激されるでしょう。残念でした。


感仙殿地区を見回り 撮影のお嬢さんと語り、62段を登りました。
男の子と女の子が 駆け上り 母親がフウフウ登っています。石段を数えて貰いました。

瞬時に 子供達は登りましたが 数えは 正解62段でした。
親子に 62段です。その意味するものを 説明しました。ヘー の返事。

此処で あかとんぼ 燃料切れ 本日のガイドを終わりました。


英語でのガイがド専門の Fさん Tさんが ブルガリアからのお客様等を ガイドをしてくれました。

こんな情報がありました。

「松島に 平泉経由の 英語圏のお客さが多く来ます。そのまま 仙台駅・空港から 東京等に向かいます。
仙台市内を観光さる方が少ないです。残念です」

それは どうしてでしょうか?
瑞鳳殿・仙台城跡等は 魅力が無いのか? 知られていないのか?



12 月 3 日 (土)  



ガイドと会議 何れが疲れるか?

仙台藩志会関係
@ 12時30分から 公開講座・伊達学塾 2017年度講師依頼について
A 13時20分から 会報きずな57号編集方針について
B 15時から 理事会

Bは 発言を控えました。
理事が 大幅に若返りました。従前の経緯・経過を不知で、現在時点での思考での発言が多々ありました。
世代交代の過度期の現象でしょうか?

Cがありましたが、会議はガイドより疲れます。欠席しました。
明日のガイドの英気を蓄える必要があります。



12 月 1 日 (木)  



師走

寒さが 骨身に凍みる季節になりました。
ガイド仲間 何人かが 冬休みに入ります。あかとんぼ は積雪が無い限り 土・日・祝の午前は ガイドするつもりです。


WOB会
月例会(偶数月開催)がありました。
ロータリークラブ方式で 昼食を食しながら 金融情勢を語る会でしたが、高齢化で 話題は 病気 になりました。

時代考証学会IN仙台の報告書が刊行されたを 報告する機会を頂き 報告しました。

現在 仙台と周辺に 終の棲家を持って居ますが 出生の地は 伊達家領内とは限りません。
それ故 伊達家と政宗公に関心が高いとは言い切れません。3.11以後 経ケ峯を訪れた事のある人は皆無です。

年間100日程 全世界の人々にガイドをしている。 日本人と外国人の違い 特異点等を語りました。

話す事と 石段の昇降で 健康維持に有効です には 同感してくれましたが、一緒にガイドしたい人は居ませんでした。
話題が 病気中心で 敬老パス では 手遅れでしょうか?


細川家墓所

大名家墓所研究のA氏から、先般の津波を伴った地震のお見舞いを頂きました。
伊達家の墓所に被害が無かったか 御心配を頂きました。

「今春の熊本地震では、細川家の墓所にも大きな被害が出ており、現在は立入禁止となっております。
せっかく復旧したばかりですので案じております」の一文がありました。

熊本城の落城は報じられましたが、細川家の墓所は全国に報じられませんでした。

墓所の復旧工事は 地味で 時間とお金を必要とします。細川家は 資産家でしょうから金銭面の心配はないでしょう。
精神的支援となる家臣の末裔の団体 例えば(仙台藩志会)のような会があるのでしょうか?


松島町郷土史夜話

1995年に刊行された図書です。
1923年に生まれた岩本隆氏が「広報まつしま」に1986年1月から1990年3月まで掲載したものです。
図書館で偶然 発見しました。松島全町内の事柄が記載されています。

興味深い記事は、

1植え継がれた政宗の五葉の松.

 瑞巌寺には、政宗公が慶長14年(1609)3月に 手植した五葉松は 現在3代目であります。
 その由来は、瑞巌寺126世住職盤龍老師から(実生)を 町在住 菅野九左衛門が 譲り受け育て 子・菅野要助が1964年1月に 寄付したものです。 

2.新版伊達騒動災転じて福となす。

 1955年1月伊達家代理人佐藤国雄が伊達家の財産整理に乗り出し、仙台高校敷地境界紛争、大年寺山立木伐採と問題がマスコミに報じられた。
 陽徳院・円通院・天麟院の御霊屋の立木の伐採が通知さ、町長が介入、円満解決した経緯が 詳細に記載されています。

3.北小泉の〇〇家は伊達譜代の重臣山岡志摩の外孫

等です。
公式の記録 町史には 記録されない事柄が書かれて、興味深い本です。







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