2017年1月の日誌
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1 月 31 日 (火)  



晴天青空 寒気は厳しい

「東仙台小学校6年生30人程 10時から 40分程度 乗り物 ループルバス」で昨晩 確認の電話を頂きました。

9時30分前に 学童の集団が 62段を登って来ました。35分 「全員集合した」との事。
券売口では、「参観の連絡はあったが、団体扱いの連絡は受けていない」との事。各自に入場券を購入して貰いました。

ら、教頭先生が見えました。「11時発のループルバスに乗れるように案内してほしい」で 20分前に始めました。


瑞鳳殿ガイドの会で購入した マイクの初使用。
 音声・語尾共に 明瞭に 涅槃や殉死 等の用語を使わな 平易な言葉で語りました。

反応は?

年齢12歳 孫の世代です。3.11震災は 幼稚園年長組であって記憶に無いとの事。 震災時の被災状況写真を見せましてが?

分厚い資料には、詳細なタイムスケジュール迄記載があり 事前の予習はされている様子でした。が、質問はありませんでした。

昨日は温暖でした。今日は 季節が戻りました。さらに、経ケ峯は町中より低温です。
この寒気に 手を摺合せている子 ホッカロンを友と交互に揉んでいる子がいます。
日向を求めて誘導しました。なぜ 弧を描いたかは理解しなかったでしょう。
 
総体に「非常に奥ゆかしい学童達」でした。

長野県等からの一般のお客様 聞かせてくれ と最後まで同行されました。

16時18分2組担任の先生から 御礼の電話を頂きました。



1 月 30 日 (月)  



気温20度近く
軒の干し柿も 日増しに数が少なくなります。春が間近の兆しでしょうか。


明日は 10時から 東仙台小学校6年生30人程 のガイド依頼が入って居ます。孫の世代です。
如何に ガイドをするか? 本日 在宅 勉強をしています。



1 月 29 日 (日)  



一週間振り
昨日はガイドを休みました。午後の仙台藩志会伊達学講座の準備の為で、時間的にガイドは無理です。

券売口で 「昨日のお客様は?」  「〇〇〇人 昼から混みました」

ガイド仲間から 「あかとんぼさん 昨日 仲間が少なく 涅槃門・本殿間 5往復しました」
「イヤーそれは申し訳ない。仙台市博物館の菅野正道先生の講演があったので。(新春の集い)の際 案内チラシ差し上げましたが」


本格ガイドは、神奈川県、秋田市からの御夫妻、埼玉県からの親子3人(成人)の3組。
神奈川県、秋田市からの御夫妻は、奥様も高い素養をお持ちでした。ガイドを一応聞いてから ポイントを付いた質問をされました。

埼玉県からの親子3人は、娘さんが主導で 聞く前に質問をするタイプでした。
聴かれた事は 優先的に 語ります。お客様の満足度を高めるには 各なります。

「ありりがとう」と言われると ガイドは お終いです。
その時 ガイドとして 「瑞鳳殿とは」の 重要な点 全て語り終わっていない事があります。心残り として残ります。


中華民国からのお客様 三々五々 見えました。
識者の解説によると 「台北から 八戸に直行 雪景色・スキーを楽しみ 南下し 瑞鳳殿参拝に見えている」でした。

英語圏からも三々五々 見えました。
お嬢さんお一人、「Guide Ffee」の案内板に 「Ennglish」と 大きい声。
Fさんがガイドをしました。
遠い目で見るに 色々質問をされている様子でした。質問をする事は 関心があり、知識がある事です。ご満足頂けたと思いますが。

その後 お客様は ペア故か 余人を交えず 楽しんでいる様子でした。


物々交換

01.
仲間のOさんは、生涯学習団体の責任者で 菅野正道フアンクラブ代表の一人です。
昨日 姿が見えませんでした。「アレー どうしました」に、

白石市・登別市歴史交流講演会「片倉家主従の北海道移住 ー入植当時の諸様相」登別教育委員会平塚理子氏 他の講演に参加しました。「事前にあかとんぼさんに伝えたでしょう」(あかとんぼに記憶が無い ボケはじめたか?)と 資料1部 持参してくれました。

札幌市白石区の開発は 片倉家家中と記憶し その様にガイドをしておりました。
結果はそうですが、白石⇒登別⇒札幌白石の順でした。
深い意味合いは これから勉強します。 Oさん 感謝です。

御礼として 昨日の菅野先生の資料 出力 持参を約しました。

02.
22日日誌感仙殿の項に「忠宗公の御尊像があります。現在の御尊像・御尊顔に比較して ゴッチイ です」と記載しました。

説明版に掲載した「忠宗公の御尊像」の原画を 頂きたいと 公益財団法人瑞鳳殿W学芸員にお願いしておりました。
本日 A4版で頂きました。白黒の絵葉書が基資料と思われますが 鮮明です。克用させて頂きます。感謝です。

御礼? 2日拝礼式の際、仙台藩志会で集合写真を撮影しました。脚立上から これまでの 底辺からの撮影でなく 撮影しました。
初めて あかとんぼ も写りました。 これまで 19年間寫す係りでした。
撮影したW学芸員本人は 如何に撮れたか見ていません。出力A4版に印刷しました。鮮明です。本日お届け致しました。



1 月 28 日 (土)  



仙台藩志会・伊達家学塾

講師 仙台市博物館学芸普及室長 菅野正道先生
演題 綱村期の産業振興策

内容概略

1.4代藩主綱村の藩政
〇1. 略年譜
〇2. 治世の特徴
〇3. 治世の評価

2.新田開発
〇1 開発状況
〇2. 藩直営の解発事業
〇3. 品井沼周辺の新田開発
〇4. 迫川流域の新田開発

3.様々な産業
〇1. 薬種
〇2. 馬
〇3. 陶器
〇4. 菓子
〇5. 石垣・鳥居
〇6. 塩

まとめ
〇. 綱村期における仙台藩の産業奨励策がどの程度、綱村の指向に基ずくか判然としない部分も多いが、悪化する藩財政の立て直しや、
領内振興を目的に藩は盛んに産業奨励を行った。

〇. 従来、綱村期の藩政については、一門との対立などの政治面、神社仏閣造営、儒学・修史、茶道・能への傾倒といった文化面に注目されることが多かったが、今回 取り上げなかった御船入堀の開削など含めた経済政策についても注目すべき点は少なくない。

〇.五代吉村公は財政の黒字化を図り、名君と称されるが、綱村期の諸産業振興策の成果ではないかと思います。


あかとんぼ メモ

〇.今回は 企画の始めから参加しました。そのわけは、

 6月20日の綱村公の遠忌法要が大年寺山・無尽灯廟で営まれます。
 その際、塩竈市長から供花があります。又、バス2台で鹽竈神社崇敬会の方々がお詣りに参ります。

 それは何故か?
 鹽竈神社・町の発展に寄与されたからです。

 (3代綱宗公までは、語られる機会が多くありますが綱村公の偉業も語って頂きたい、皆に知って頂きたい) この思いからです。

〇.先生は、視点を広く捉え 語って下さいました。感謝です。
 受講生の感想も (綱村公を知る機会になっ、起承転結がはっきりし理解容易等) が多くありました。

〇.今回の講座参加者 111名で、定員130名の会場は満席でした。
 先生は、市史編さん室長時代から 各生涯学習団体、ボランテイアガイド団体での講演等から高い知名度があります。
 瑞鳳殿ガイドの会会員12名参加しました。午後 瑞鳳殿ガイドが手薄になったのでは。
 いずれ、あかとんぼ がこれまで関与した講座で 新記録です。
 菅野正道先生 感謝 致します。ありがとうございました。



1 月 26 日 (木)  



伊達家領内 5人目 横綱 ?

昨26日 稀勢の里 が第72代横綱になりました。
茨城県出身と記載されています。

あかとんぼ に飛び込んだ 早い情報は 茨城県龍ヶ崎市出身 でした。

龍ヶ崎市は、伊達家62万石の内 1万石は 龍ヶ崎で、陣屋が置かれ 政宗公・忠宗公も訪れています。
であれば、伊達家領内 5人目 横綱となります。(*^_^*)


続いて 出身地と自称している 茨城県牛久市のHPによれば、

1986年7月3日 兵庫県芦屋市で出生
1988年      2歳時 茨城県龍ヶ崎市に 転入
          龍ヶ崎市立松葉小学校、龍ヶ崎市長山中学校に 入学・卒業

2000年     中学2年生時 牛久市に 転入
2002年2月   鳴戸部屋(千葉県松戸市) に入門 現在に至る

沈黙

あかとんぼ は 出身 とは 出生地 を指し、生育した地を指さないと理解しています。

稀勢の里 の出身は兵庫県芦屋市となり 伊達家領内には なりません。 

伊達家領内 5人目 横綱 とは 言えません。(>_<)ゞ


参考

伊達家領内出身横綱

1.丸山權太左衛門  (1713〜49)   第3代   登米郡中津山村
2.谷風梶之助(二代)(1750〜95)          宮城郡霞の目村
3.秀の山雷五郎    (1808〜62)   第9代   本吉郡最知村(気仙沼市)
4.大砲万右衛門    (1869〜1918) 第15代  角田県刈田郡大鷹沢村三沢(白石市)

以上4人です。(参照 仙台藩歴史事典 出身力士一覧 265〜271頁)


龍ヶ崎

「慶長11年(1606)3月3日、仙台藩主伊達政宗は徳川幕府から常陸国河内郡龍ケ崎で1238石余、信太郡13か村で5344余、龍ケ崎以外の河内郡12か村で3473石余、計1万石の加増を受け、龍ケ崎に陣屋が置かれた。寛文3年(1663)8月、幕府による新利根川の開鑿・谷原新田開発のために龍ケ崎を除く河内郡は召上げられ、筑波郡四ヶ村と替地になったが、陣屋は幕末まで龍ケ崎に置かれ、仙台藩龍ケ崎領の政務は、この陣屋で行われた」 龍ケ崎の文化財(龍ヶ崎市HP) 



1 月 23 日 (月)  



瑞鳳殿ガイド詰所に 奈良市柳生にお住いの方から レッターバックライトが届いて居ました。

その内容は、
1月2日午後に瑞鳳殿を参拝し、伊達家の豪華絢爛な廟に、DNA鑑定に驚きました。
政宗公の目についての説明の際、柳生十兵衛についても触れて頂いた。

「政宗公も柳生十兵衛も 眼帯を着けていなかった」の説明でした。
柳生十兵衛の菩提寺(芳徳寺)の資料館を50年前から見学しており、眼帯が展示されていたと記憶しており その旨 伝えた。

あらためて 菩提寺(芳徳寺)住職に確認したら、斯様な展示物は無く、剣鍔との誤解と云われた。
柳生十兵衛は独眼であった記録は一切なく、明治初期の創作とされています。
ガイドにお詫びと訂正させて頂きます。

と丁寧な内容の書簡と柳生一族に関する分厚い資料でした。ご厚意に感謝致します。


Wikipediaによれば、

若い頃に失明したという伝説があり、片目に眼帯をした「隻眼の剣豪」のイメージが広く知られている。これは幼い頃「燕飛」の稽古でその第四「月影」の打太刀を習った時に父・宗矩の木剣が目に当たったとか(『正傳新陰流』)、宗矩が十兵衛の技量を見極めるために礫を投げつけて目に当たったため(『柳荒美談』)などといわれる。しかし、肖像画とされる人物[注 13]の両目は描かれており、当時の資料・記録の中に十兵衛が隻眼であったという記述は無い。
とあります。


1月2日は、新年拝礼式があり、続いて、20名近い会員が参加瑞鳳殿ガイドの会ガイド始めの儀 を行い、ガイドに入りました。
会員のどなたでしょうか?心当たりある方 連絡下さい。ご送付頂きました 資料 お渡し致します。 



1 月 22 日 (日)  



大寒です。
昨日は大雪の予報でした。が、結果として降りませんでした。

栃木・静岡からのお客様、やはり 予報を信じ 充分は防寒着で来たら 雪は無い、予想より暖かいと喜んでました。
東北は一つの感覚で 青森・秋田の積雪寒冷地と 東北の湘南 仙台を 同一視の結果です。


栃木・静岡からのお客様には、東照宮(日光・久能山)を 引き合いに説明しました。何れも 会話が弾み 60分強に。

「転勤で先週 当地に着任しました。仙台を勉強に来ました。簡潔にガイドを。」 青年のご希望に添いました。
仙台市に転勤されたと思い 説明していたら 「登米市佐沼で、今朝一番のバスで来ました」との事。

驚き。
業種は知りませんが 高い成績を達成するでしょう。
何故?任地を点と面 要衝の地の地理・歴史を早々に」に習得しようとしているからです。


感仙殿地区の ガイド終わった時点で、昨年末 更新された説明版 見直しました。
あかとんぼ 所持しない絵葉書の画面です。よく収集されたものです。

アッと思いましたのは、

1.感仙殿扉の「竹に雀」の家紋 の雀が 現代に近い位 太っています。
 瑞鳳殿扉の「竹に雀」の雀は 痩せています。

 政宗公が亡くなったのは1636年 忠宗公は1658年 22年間で 雀の食生活が改善され 太られた と理解するのでしょうか。

2.忠宗公の御尊像があります。現在の御尊像・御尊顔に比較して ゴッチイ です。
 現在は 政宗公と同一の手順 (頭骨を基準に)で復元された筈です。人間味を感じます。
 
 国宝時代の御尊像は 武将 を意識過ぎての結果では ないでしょうか。確かめようがありませんが。

3.善応殿は、諸事情により感仙殿よりも 装飾等が 少ない 簡素化された。
 それもあり、現在の善応殿 外周彫刻は 「飛天」 から「花鳥風月」の彫刻を飾ったと聞いておりました。

 焼失前の拡大写真を見ますと この部分に彫刻が 見られません。無かったのか?
 W学芸員に確かめました。「あかとんぼ さん ご覧なったとうりです」の回答でした。

 今後 ガイド内容変更に迫られました。


20日日誌記載 「仙台愛」の頁 

ご当主の凛とした姿での撮影位置を 確認できませんでした。

掲載紙「河北新報」のHPで あらためて御覧なった 肥前様と12月21日参拝されたお客様から、好意あふれる ご感想を頂きました。
感想内容は記載しませんが、「歴史素養が豊富であり、それを基にした現状分析」 に敬意を表します。
年寄 見倣わなければ 取り残されます。

昨日、某所での会合の際、過半数が 新聞を持参し その言は、 御当主への賛辞ばかりでした。
でも、「麒麟麦酒で乾杯」に至りませんでした。これ、言行不一致 ではないしょうか?



1 月 20 日 (金)  



河北新報 2017年1月17・18日
河北新報創刊120周年記念企画 みやぎ35市町村地域愛新聞を御覧いただきましたか?

「仙台愛」の頁 圧巻 です。

前略 政宗様
貴方がここに城下町を築いてから、四百年以上が経ちました。
今の仙臺をご覧になったら、何を想われるか。
時折、そのような考えを巡らせることがあります。
ご存知でしょうか、政宗様
青葉山の緑は今も深く、廣瀬川の清流もかってと変わらず。
豊かな自然をたたえる風景は、
百年前から「杜の都」と呼ばれるまでになりました。
その原点も公がお造りになりましたね。
そして貴方が繁栄の礎を築かれた城下町には、本丸よりも高い建造物。
四百年前とは様変わりした町の姿に驚かれるかもしれませんが、
仙臺は奥州一の都であるが如く、百万人もの人々が暮らしております。
この賑わいを目にすれば、さぞ心躍ることでしょう。
しかしながら、ここまですべてが順調だったわけではありません。
天災と戦火と、郷土は幾多の困難に直面しました。
貴方がご存命だった慶長十六年。
町が大きな津波と地震に遭ったことも知っております。
実はそのちょうど四百年後、
今から六年前にも仙臺は同様の震災に襲われました。
それでもこの地の人々は、立ち直ってきました。
きっと貴方の時代もそうだったのでしょう。
未来永劫すべての人の平安の為に尽くされた政宗公の想い。
貴方が愛し、そして貴方が眠っておられるこの町に暮らす者として、
公の志を継承する子孫の一人として、
私もしっかり受け止めて参りたいと思います。
どうか、私達の進む道を、この先も照らしていって下さい。
不一
伊達家十八代当主  伊達泰宗 花押


月を見上げる様な 凛とした姿勢のご当主で瑞鳳殿の石垣と森を背景に立たれた写真。

製作者氏名列記しています。日本で一流の方でしょう。あかとんぼ には絶対撮れない価値ある写真です。


下段の広告に

政宗公の霊屋、瑞鳳殿の涅槃門には「麒麟」の彫刻があしわれています。
「麒麟」は、名君が世を治めたときに現れる聖獣とされ
仙台藩の安泰を祈願してここに彫られたものと伝えられてます。

その「麒麟」を社名とする 私たちキリンビールも思いは同じ。以下略



広告原文を御覧になった方々 感想を聞かせてください。



1 月 18 日 (水)  



仙台明治青年大学

何で 明治青年大学と称するのか?
明治45年(1912)生まれは 誕生日で105歳。在学した事あるのかな?

本日の講義は、
演題 仙台の祭りと年中行事
講師 仙台市歴史民俗資料館 学芸室長 佐藤雅也氏

正月飾りを中心に語られました。あかとんぼ生国の伝統儀式を継承していません。
講義に参加している人々の平均年齢は80歳(講師曰く)、果たして 伝統儀式を継承し実行している人の割合は如何ほどか?

講義全般 興味ある内容でした。特に記憶に残った事柄

〇 明治25年以降 西南の役等騒乱から安定期に入り 政宗公に対する顕彰意識が高まった。
〇 どんと祭は俗称で 松焚祭が正しい。始め 神主等が私事として炊いていたが170年程前から 神社の公式行事になった。

  現在 各地で 男女共 裸詣りしているが、これについての解説は無かった。

〇 雀踊りの起源を 石工が政宗公の前で舞ったは 全くの嘘。
  秋保田植踊等の余芸として踊られていた。
  石切町の神楽に一部 舞われた。

● 伝統的な門松
 〇 仙台市歴史民俗資料館内(有料区域)に1月31日迄 展示している。
 〇 仙台市内では 根白石・熊谷家、大倉・石田家で 伝統的な門松を飾っている。
    2001年12月31日撮影の大倉・石田家伝統的門松の写真を配布されたが 不鮮明が残念至極。
 〇 町人の飾りとして、塩竈市宮町・丹野家の伝統的門松の写真を配布されました。興味深いものです。
 〇 門松は専門で無いのか、旧伊達領で残っている 一関、大内については 全く触れませんでした。



1 月 16 日 (月)  



会員からの質問

Sさんから電話がありました。
ガイド活動に参加する機会の少ない方です。会の活動・運営に 提言があるのかと期待して受けました。

内容
1.瑞鳳殿ガイドの会 設立経緯を知りたい。
2.北山〇〇寺の石碑について詳しい方を紹介して欲しい。

1について
2006年7月 財団法人瑞鳳殿の主導で設立しました。
2012年12月 財団法人瑞鳳殿の指導で 現在の名称に変更し 会則を改めました。
と 回答しました。

.瑞鳳殿ガイドの会は、公益財団法人瑞鳳殿の指揮・監督下でガイドをしております。
しかしながら、その活動は 独占・排他的ではありません。公益財団法人瑞鳳殿同様 有料・無料のガイド団体に門戸を開いています。

2について
北山地区のお寺さんについて 調査・発表している団体「北山ガイドボランテイア」があります。
会長は 当会の会員で 高齢に関わらず積極的に活動されていま。適任者と思います。
 回答しました。結果について回報は未だ ありません。


この応答を機会に 月イチ でも 瑞鳳殿でのガイド活動に参加して頂ければ 嬉しいです。



1 月 15 日 (日)  



今日も寒冷です。

◎ Nさん 「我が家 今朝 室温 1度でした。今季 最大の極寒では?」確かに。

◎ お日様輝いていますが、城下の道路は凍結していまて ソロソロと瑞鳳殿に。
路面凍結の原因、◎休日なので融雪剤を道路管理者が散布しない。◎ビルが日陰となり 融けない です。

瑞鳳殿到着時 晴天で 樹木に積もった雪 キラキラ輝いて居ています。

◎ Hさんが 雪の経ケ峰  動画 で FaceBookに 公開されました。
芸術です。写真はセンスが命です。御覧ください。
(https://www.facebook.com/makoto.fukuda.568/posts/625338671000958?from_close_friend=1)

◎ Hさんに触発され 経ケ峯を周遊しました。
西参道で撮影されている女性に 「綺麗に撮れました?」と声をかけたら、「見て」と(雪の経ケ峰)を見せられました。芸術です。

青森生まれで 現在霊屋下にお住いで 四季 絶えず 特に 積雪の経ケ峰が好きで撮影されている由でした。


◎ 午後 TVを見て 驚き。第35回全国都道府県対抗女子駅伝が生中継中です。
吹雪で視界ゼロの中を 贅肉の無い女性が疾走しています。選手が可哀想・気の毒です。

それにしても 都 京都は仙臺より 気象条件が 悪い事を 初めて知りました。

◎ 宇和島市立伊達博物館本田館長が 雪の宇和島城を公開しました。
「親族 曰く 仙台より宇和島が 雪がおおいかも」と mailを下さいました。
(https://scontent.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/16114456_910643055738703_3423415163667808859_n.jpg?oh=d82e0ab378ecbf2365e4ee9d86b050d9&oe=591EA0C9)


以上 本日 雪に関わる話題です。
ガイドは連続・長時間タイプのお客様 9時から11時30分迄 しました。



昨日 
東京のお嬢さんが「あかとんぼ とペアを 表・裏 撮影しました、SNSに掲載されるのか?見かけたら教えてください」と記載しました。

肥前様と相模様から  早速

時間的に東京のお嬢さんでは 無いが (ツイッターにあかとんぼの姿が載っている) と教えてくださいました。
「瑞鳳殿の可愛いおじいちゃんの可愛い背中を撮らさせていただきました」のコメントと 背中写真が 掲載されていました。
https://twitter.com/sm2750853 です。

肥前様と相模様 ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 



1 月 14 日 (土)  



寒気厳しいです。
大寒波の予報効果で ズーと 待ってる時間の長い事。足踏みしても 寒いです。

松飾 全部 どんと祭に 行くように準備されました。お正月は終わりました。

NHKマイ健康編集部から、次の内容のメールがありました。です。

松の内や鏡開きは、地域によって異なるのをご存じですか。
元来、「小正月」の15日までが松の内とされ、鏡開きは20日に行われていましたが、江戸時代、徳川幕府により松の内を7日まで、鏡開きを11日と変更されました。
徳川幕府の影響が及ばなかった地域には広まらなかったと言われています。お住いの地域ではいかがですか。

年始以来の疑問がとけました。
伊達62万石の地には 幕府の威令が届かなったでしょうか。


記録は、

米国の成人3人と幼児1人。
ガイドを依頼されました。「日本語オンリー Can not speak English」 「OK オーライ」
結果 意思疎通は 難しかったです。

拝殿扁額 珊瑚と真珠。本殿屋根の阿吽の龍(水を吐いて 火を吐かないドランゴン)
龍頭は 手帳に 1636 と1945 を大きく書き 制作と焼失を 理解して頂きました。

意外な質問を頂きました。ガイドをして17年目 の質問です。

「竹に雀の家紋の雀は 表・裏 描かれているは理解した。ところで、お父さんとお母さん 夫婦か?」

家紋の雀に 雄雌 を考えてもみませんでした。動植物 雄雌があり 雄雌が一対になるのが 自然の摂理です。


東京のお嬢さん

明日 お友達が仙台駅前でのイベントに出演するので応援に来たと 本丸騎馬像前での写真を開いて見せて呉れました。
あかとんぼ とペアを 表・裏 撮影しました。SNSに掲載されるのか?見かけたら教えてください。
 




1 月 13 日 (金)  



瑞鳳殿ガイドの会 「新春の集い」


本日昼 会員・顧問 35名中27人が参加 御城下 知る人ぞ知る日本料理店で開催しました。

開宴前 黒田副会長から 次項を懇切丁寧に報告。

1.前回会合以降 会員になられた 2名の紹介
2.DC交通費の参加者還元内容
3.10月研修の際のアンケート結果
4.JTBガイドの現状と 2017年契約応諾について
5.生涯学習等の団体の予約受けについて


梅酒での乾杯の音頭は、年末に宝籤が当たった Nさん。
乾杯の音頭も抽選で当たりました 今年は 傘寿 だそうで 当り歳の〇〇のです。


恒例の1分間スピーチ。 (なぜ1分間? ガイドです、時間無制限では 1時間 2時間話せる方々です。結果3分程度でした)

皆様 ガイドをやる気満々です。

記憶に残った事柄 (順不同)

◎ 手話を多少嗜む。仙台を何と表現するか?   政宗公の兜の前立 半月から 手を下から上に 弧を描きます。
   名古屋からのお客様と話題になり 名古屋でも 仙台を表すときは 手を下から上に 弧を描く。
   では、名古屋をどの様に表現するか? 金の鯱から 両手で 上から下に 八の字を 描く。
   勉強になりました。 試してみたいですが?

◎ ガイド冒頭 お客様の(姓)を聞いています。
  珍しい姓があり そこから 話題が広がっています。

◎ 「〇 瑞鳳」 のお名前のお客様が中華民国から見えました。
  國民身分證を見せられました。ビックリしました「瑞鳳」と記されていました。発音は聞きましたが忘れました。

◎ 熊本城築城した加藤清正公墓碑が 鶴岡市丸岡(旧櫛引町)の天澤寺境内にあると聞いていたが、
  「家の隣です」と話されたお客様に遭遇、オドロキ・ビックリでした。

◎ 平成の元号が続く限り ガイドをします。
   東京オリンピック迄 ガイドをしたい。

◎ 昨春 経ケ峯でピイポーに乗り 皆さもにお世話になりますした。お蔭様で元気にガイドをしております。
   (これを機会に 留守宅以外を含めた緊急連絡先名簿を更新、役員と公益財団法人瑞鳳殿で保管。
  これ以後救急車の世話なる人がいません慶賀です。 

◎ 元旦に伊達家関連史跡巡りをしました。県北の切支丹墓地です。記帳録2人目でした。
   刻まれた元号から 政宗公の時代より忠宗公の時代が 迫害が強まったと感じました。

宴もたけなわ 締め

締めの当番 張り切りました。 万歳三唱。
@ ガイド本人と家族の健勝 A お客様の健勝 B 仙台の発展を祈願



1 月 12 日 (木)  



富澤大学


演題 「仙台地図さんぽ」でみる仙台400年の痕跡

内容 2016年6月に刊行された「仙台懐古地図」を基に
    〇仙台城下五釐卦絵図の時代背景と特徴
    〇五釐卦 とは?絵図縮尺の謎

講師 仙台段差崖会(センダイダンサガッカイ)木村浩二氏


まとめ

1.先生はNHKのスター(ブラタモリ)と 今仙台で売れている本の編集者故か?教室は満杯。

2.地図 デジタル化し 拡大し 講義しました。これまで 拡大鏡使用でも読めなかった文字読めます。
 3000余人の家臣に氏名、青地色の堀に 赤字で書かれた 水深迄が 読み取れます。
 素晴らしいです。欲しいです。販売して頂きたい。

3.肩書 欲しくなったか? 力点を強調する為か 新しい肩書 仙台段差崖会
 東京擂鉢(スリバチ)学会に対抗したのでしょうか?
 入会申込したら 即座に ドウゾの快諾。

3.2016.11.11.の講義 
 佐藤健治氏講義 演題「父親としての伊達政宗 秀宗・忠宗との関りを中心に」の講義資料と会報を S教務主任から頂きました。
 わざわざのご配慮に感謝致します。




1 月 11 日 (水)  



門松

仙臺城に飾られた伝統門松については、涅槃門前に到達した時、その由来等を必ず説明をしています。

栗・椚の木、炭・炭焼釜、ケンダイの中身(スルメ・昆布・炭・干し柿・柑橘類)の縁起物等は 日常生活において 縁・知識を持たない人からの反応・質問はありません。

7日加藤学芸員から「門松は 仙台では15日どんと祭迄飾ります とガイドされたい。何故ならば 東京地方は 7日迄が一般的で なぜ 松の内が過ぎても飾っているのだ。ダラシナイの口調で 事務室に来るお客様多々 居ますので」と 指示がありました。

この経緯があり、伝統門松についてガイドをしてお客様に 「お客様の地方では 門松・松飾は いつまで飾りますか? 7日迄 それとも 14・5小正月。どんと祭迄ですか?」と 質問しました。

ほぼ全員が、「ウウーン いつまでかな? 14・5日でないの」でした。
「東京都心部は7日」答えたのは ただ一人でした。

参拝された日本人の門松に 関心は極めて 低いです。
民俗学的 伝統を重んじる人は 年末年始には 地域外に旅行はしないでしょう。


新聞を読んで

8日朝刊に 石沢友隆郷土史研究家が「仙台・大橋 価値広める運動展開を」と題して投稿していました。その要旨は、

その歴史は、1601年幅9m長さ90mの板橋に始り、廣瀬川の歴史は水害のれきしであり、元和・正保・寛延・明和・天保・明治と橋は流失している。現在のはしは1938年9月完成で7度目の橋。仙台空爆・敗戦直後の水害にも耐えた橋。
仙台で最も優雅で美しい橋。
国の現在の基準で欄干の高さ20cm低い 対応をどうするか管理者が検討している。

欄干が低くての転落事故が起きていない。むしろ、文化財としての価値を認めて貰う運動を展開すべきでないか。

あかとんぼ も2016年11月26日の欄干嵩上げの記事に 杓子定規・役人の保身的 発想に違和感を感じました。

石沢友隆さんは 私の思いを代弁してくれました。感謝致します。


10日夕刊トップに 崩れた石垣誰が直す? の記事が掲載されました。

1645年作図(奥州仙臺城絵図)にも描かれた 廣瀬川右岸 大橋から下流の石垣が3.11地震で崩れたまま放置されている。

河川管理者の宮城県は、「自然崖が崩れたと同じ、対応の予定は無い」(宮城県仙台土木事務所)
土地所有者の国は、「一級河川の指定区間で県の管理。法令違反ない限り指導する立場に無い」(東北地方整備局)
青葉山公園整備中の仙台市は、「将来的には公園整備と一体で補修したい」(公園課)

あかとんぼ 思うに 〇仙台市はやる気 があるのか 〇今一つ 記者は勉強して取材したのかと思う。

此処は 財務省所管国有地で、公園敷地の目的で 仙台市に無償貸付している土地の筈。
双方が 職務に忠実に 善良な管理をしているのか? 

仙臺城址の石垣であり 仙台市教育委員会の仕事と思いますが。



1 月 9 日 (月)  



今日は何の日 成人の日。
あかとんぼの「365日行事こよみ事典」では、15日が成人の日です。

ともあれ3連休の最終日。お客様は あかとんぼ 単独で対応できる人数でした。

朝1番 「下関からきました」
「首相の地元ですネ。
昨日は自宅から〇〇ホテルに、昼 日本料理店〇〇で 夫人と生母と食事され、露西亜大統領と会談された「大谷山荘」に、21時21分 焼肉〇〇で会食されましたが、下関でトップクラスのお店でしょうネ」

「なんで そんなに詳しいの?」
(新聞 毎朝必ず目を通す 首相動向欄が ネタ元)

50代の御夫妻で、話の折々 政宗公に精通しているを感じました。

「これまで 戦災で焼失し 再建された建造物で 文化財指定がされていないので 仙台に来る機会があったが 訪れなかった。
今日 説明を聞き、認識を新たにした」と洩らされました。 雨の中 一人ガイドながら 自己満足。

大阪、名古屋、札幌からの御夫妻が続きました。独り アルコール臭 居ました。 11時に 団体でない単独で 酒臭いは 珍しいです。

雨でファイル開けず 後半は 拝殿に留まり ガイドに努めました。


香炉・地震の力 

香炉(タゼン奉納)の左側香炉は 2013.03.11.地震で 腹部にある 三引両の家紋が打撲を受け 20mm位窪んでいます。
近日 奉納者のタゼン銅器店が 左右共に 補修をしてくれる事になりました。全治6年の打撲傷 愈々 治ります。

午前 左側香炉の灰と砂利を 取り去り 内部を洗浄していました。

底に直径 10〜15mmの黒い重い玉砂利が 30cm位敷かれ その上に 灰が 15cm位敷かれています。
灰神楽にならない様に 香炉全体をシートで覆い 慎重に作業を進めていました。作業員のマスク 灰で茶色になっています。

「肺癌になるかな?」に、「酒の飲み過ぎの胃癌に 気をつけたら」と 会話を交わしました。

右側香炉は 午後の作業になりました。
灰と砂利の一部が 雑貨函(30×40×30cm位)に入って居ました。「持ってみろ」云われ 挑戦しました。持ち上がりません。60kg位?

昨日 鈴木主任等 灰撤去の試作業をして 香炉から拝殿まで 7〜8m 運びました。

「あの非力な 二人が どうして運んだか?儂等 二人でも大変だぞ?どの様に運んだか 謎だ」 作業主任が洩らしていました。
明日 まだ 拝殿南側にありましたら 挑戦してみてください。


殉死者後裔

3日 殉死者石田将監與純の後裔と称する方が 瑞鳳殿にお詣りに見えました。
正確には 「殉死者後裔の配偶者で 後裔の本人が先立ち 供養に祖先の墳墓詣りに来ました」で、
伊達家殉死者の墳墓を実地調査した Uさんが 偶々 居合わせ 瑞鳳殿の宝篋印塔から土樋の西光院の お墓まで案内したそうです。

お客様は 涙を流していたそうです。お客様に感涙されるとは ガイド冥利です。





1 月 8 日 (日)  



朝から晴天です。ヨカッタ

昨日 仲間のAさん「明日の天気 晴れるだろうか?」と真剣に心配していました。
「明日の風は 明日 吹きます」と云える雰囲気ではありませんでした。

「明日 孫が成人式で ・・・・・・・・・・・」と 詳しく語りだしました。

さて、本日 朝から晴天 降雪・積雪ありません。杞憂する事ありません。Aさん 快活にガイドをし 昼前 イソイソと帰られました。
式典後の盛装の孫さんとの写真に 間に合ったかな?

昼までには 成人式盛装の男女 瑞鳳殿にお礼参り 見当たりませんでした。


本日 お客様 沢山・連続です。9時から12時まで 連続、仲間との情報交換の暇もありませんでした。ありがたいことです。

広島からの御夫妻。
「息子が震災復興ボランテイアで 女川に滞在しており激励に来ました。市場で即席海鮮丼の作られ 初めてのシステムで美味しかった。
所で お土産 何を買えば良いでしょう」のご質問。

「笹かま を 是非。単価の高いものを買って下さい。材料が異なり 美味です。仙台を代表するものです」と答えました。

なぜ 笹かま か? 仙台味噌 駄菓子に」至るまで その由来を政宗公に結び付ける傾向がある 仙台で、その歴史は古いながら 政宗公に結び付けられて居ないのが 笹かま だけでは?


真っ黄色のジャンバーを羽織った 男女4人。
参道登り口で一緒になり 「日本語で宜しければガイドします」に 「理解出来ます。頼みます」で 本殿迄 ガイドをしました。

日本男子2人、中国娘1人 西班牙青年1人の構成です。皆 あかとんぼ の日本語を理解して 聞いてくれました。

「此処は 西暦1600年に 現在の仙台の町を作った お殿様のお墓です。日本では 石のお墓が一般ですが、 ここは建物のお墓です」に、

中国娘も西班牙青年も 「普通の人は お墓あるだろうか?」 超越した返事でした。 
中国娘 「孫文のお墓は 地上1階 地下2階で 建物そのものは 特段立派でありませんでした」と 教えてくれました。

真っ黄色のジャンバーの胸に 「おせっかいjapan」と 背に 「助けます」の意が中国簡体字で書かれています。
仙台に新たに結成された ボランテイア団体かな と名刺交換しましたら 東京に本拠をおく ボランテイア団体で、HP検索しました。

下記内容の団体でした。

日本が世界に誇る“おもてなし”の心。でも本当に大切なのは“おせっかい”の心だった? 
道に迷うなど、何か困りごとを抱えている外国人観光客に“おせっかい”をして、プチ人助けをするボランティア団体「おせっかいジャパン」。

「おせっかいジャパン」は、代表の鬼内秀起さんが2014年4月に立ち上げたプロジェクト。
アフリカ渡航時に現地の人から助けられた経験をもとに、自分も日本でお返しの気持ちをこめておっせかいをしたいと思ったのが立ち上げのきっかけなのだそう。
メンバーは、海外からの留学生、各国語や各国の文化を学ぶ日本の学生を中心に海外留学経験者、海外在住・勤務経験者・海外旅行経験の多い方などで構成。立ち上げから1年半で、登録メンバーは100人を超えているというから驚きです。 

「おせっかいjapan」と名古屋からの親娘3人家族の二組の 写真に 表裏2面で 入りました。
公開が確認されたら お知らせいたします。


2日の「ガイド始め」の写真  表紙に掲載を保留中です。

出席 被写体になった仲間には データーで還元しております。
欠席し 写っていなく パソコン等の操作しなく、公益財団法人瑞鳳殿の公式ホームページにも写っていない人から 「掲載しないで」と言われ、その発言の本意を理解できず 保留しています。



1 月 7 日 (土)  



3連休 初日

寒に入っています。
涅槃門からの石段 2段目右側に 長さ20cm位 幅(最大部)6cm位の窪みがあります。
此処に溜まった水が カチンカチンに凍結しています。
足元を確かながら登るお客様は気付きます。「アッ 凍っている! スゲー」と 奇声を発します。
昼 現在も 凍結していました。

お客様の出足は あかとんぼの予想を下回りました。

朝1番のお客様 埼玉からの 建築関係の技術者(職人さん)風でした。
ガイドを聞いている際の 目線 の飛び先が 普通の人と異なります。最後にたずねましたが 否定されました。

2番のお客様 筑波研究学園都市からのお嬢さん。
ガイドを始めたら メガネをかけました。「説明される彫刻等 よく見たい」と申されメガネをかけました。

ガイドを終わり おりたら 後から始め 早くガイドを終わった仲間から「時間かかったネ 熱心なお客様で 良かったネ」と。
有難いお客様です。博物館見学と清水門から本丸を目指す道を お勧めしました。

「そのコース 歩いてみたいです。只 博物館休館中ですよね」に ガクン
博物館は設備工事で、今年度一杯 休館でした。


伝統門松については 必ず説明をし、興味を示したお客様には 解説シートを差し上げております。

加藤学芸員から「門松は 仙台では15日どんと祭迄飾ります とガイドされたい。何故ならば 東京地方は 7日迄が一般的で なぜ 松の内が過ぎても飾っているのだ。ダラシナイの口調で 事務室に来るお客様多々 居ますので」と 指示がありました。

仲間 その様に伝えました。明日以降が勝負です。


本日 JTB当番でしたが カラ振り でした。



1 月 6 日 (金)  



瑞鳳殿ガイドの会定例役員会


宮城県メールマガジン

宮城県メールマガジン「メルマガ・みやぎ」第645号【新春特別企画号】
読者寄稿・・・「2017年の抱負」に あかとんぼ 寄稿が採用・掲載されました。


●仙台市在住  M さまの抱負
 八十翁になった今年も仙台藩祖伊達政宗公御廟瑞鳳殿で、訪れる全世界の方々に宮城県・仙台市の発展の礎を築かれた政宗公の偉業を丁寧に伝えるボランティアガイドに努め、お世話になっています地域への恩返しと健康維持を目指します。

http://www.pref.miyagi.jp/site/mailmaga/645-1.html が 頁です。



1 月 5 日 (木)  



BS朝日「日本の城 独眼竜伊達政宗VS信長・秀吉・家康」
19時から22時59分まで 4時間の長時間

あと20年早く生まれていれば。天下人信長・秀吉・家康との対決?。
経ケ峯・瑞鳳殿・仙臺城等が、そして18代当主が政宗公について語られました。
興味深々の番組でした。

録画を撮らなかったは 不覚。再放送を期待します。 



1 月 2 日 (月)  



瑞鳳殿・年賀拝礼式

08:30 瑞鳳殿新年業務開始 常務理事訓示に飛込参加

08:35 お供物 お供えに女子職員が伺候。お茶・お膳(5品・職員調理)を2膳 お供え
     満開上人供養碑前の供花新たに

08:40 伊達家18代御当主に 御挨拶

08:45 感仙殿・善応殿・妙運界廟 参拝

09:00 天龍閣に
     仙台藩志会会員にご挨拶、専務・4部長(総務・事業・広報・儀典)と打合せ

09:30 伊達武将隊年頭挨拶に参加
     涅槃門前勢揃いを 観光客に雑じり撮影 特に (おやかた様)を クローズアップ撮影
     例年に比し 伊達武将隊オッカケ隊の人数が少ない。城下初売り会場で待機しているのか?

10:00 一般参拝者ボツボツ    若い男女 福袋 大きいの下げている。初売り会場から直行?
     ガイドしようと声掛けするも 日本語圏外でした。

10:30 瑞鳳殿ガイドの会会員に公益財団法人瑞鳳殿からの指示事項伝達

10:40 バス3〜4台 旅行会社の旗を押し立て 参拝に
     日本語圏外で (サムライ)の単語が飛び交っています。仙台藩志会の拝礼式 裃姿が事前に伝えられているのか?

10:59 仙台藩志会会員裃姿・陣羽織着用・平服の順に続いて、瑞鳳殿ガイドの会会員一同 涅槃門を潜り昇段、拝殿にて参列

11:00 開式

     読経 
       正宗山瑞鳳寺ご住職様

     焼香
       伊達家18代当主            伊達泰宗 様
       殉死者後裔会会長           加藤孝  様
       仙台藩志会副会長           伊達宗尚 様
       伊達家御廟大年寺会会長       阿部和子 様
       公益財団法人瑞鳳殿常務理事    富田律男 様

     挨拶
       伊達家18代当主            伊達泰宗 様
       仙台藩志会副会長           伊達宗尚 様
       公益財団法人瑞鳳殿常務理事    富田律男 様
      

11:30  瑞鳳殿ガイドの会参加会員12名 記念写真を (撮影 仙台藩志会渡邉辰郎様)

11:35  奉納剣祓   仙台藩志会有志

11:45  仙台藩志会参加会員 記念集合写真
      撮影 公益財団法人瑞鳳殿学芸員渡部治子様、 指揮 仙台藩志会専務加藤孝、 現場整理 あかとんぼ
      始めて 仙台藩志会拝礼式記念写真に写りました(データー未着公開に至りません)

11:55  散会 
      瑞鳳殿ガイドの会参加会員 本格 ガイド開始



仙台藩志会副会長伊達宗尚 挨拶 全文
      
新年あけましておめでとうございます。

ご参集の皆様、一般参列者の皆様、どなた様も松の緑もこまやかに、新しい年をお迎えの事とお慶び申し上げます。

平成29年の年頭にあたり、仙台藩志会伊達宗行会長に代わりご挨拶申し上げます。

藩祖伊達政宗公が 現在の山形県米沢市で生まれたのが永禄10年8月3日 西暦で1567年9月5日であり、今年は、生誕450年の節目の年であります。

政宗公は仙臺城を築城され、現在の100万都市仙台の町を開かれ、旧伊達領(宮城県・岩手県・福島県)の発展の      礎(いしずえ)を築かれました。

政財界始め各団体での記念行事が催されるでしょう。
我が仙台藩志会は記念行事として 9月に伊達家18代当主伊達泰宗様の記念講演会と祝賀会を開催すべく準備を進めております。

また、当仙台藩志会は、昭和32年(1957)6月に 従来の7団体を統合し 藩士の「士・さむらい」から「志・こころざす」に替え、気持ち新たに 発足して今年60周年を迎えます。人生であれば「還暦」の目出度い年であります。

これら数々の節目の年に、総裁であられる伊達家18代御当主伊達泰宗様との緊密な連携を図りながら 政宗公生誕450年の記念行事を催し、政宗公をはじめとする歴代公の偉業を顕彰・奉賛し、伊達学塾の開催や藩報「きずな」の発行により伊達家文化を広く社会に伝えたいと思っております。

皆様のご支援ご協力をお願い致します。

最後になりますが、皆様のご多幸とご健勝を ご祈念申し上げ 御挨拶と致します。

      平成29年1月2日   仙台藩志会副会長 伊達宗尚



あかとんぼ メモ

昨年に比較し 降雪・凍結なく温暖で 式中 背広姿で参列できました。
外套を脱いで 帽子着用の人いました。ハテナ

仙台藩志会の幟の家紋 デザイン化されていませんか のご質問をお客様から頂きました。
竹に雀の家紋は 使用した時代で微妙に異なります。仙台藩志会に確認を約しました。

日本語圏外のお客様 式前 亜細亜系 式後 欧米系 で 多数参拝に見えました。国際化と表現するものでしょうか?


表紙 閲覧者カウンター 本2017.01.02.06:30 111111を記録しました。  




1 月 1 日 (日)  



あけましておめでとうございます

昨2016年は延べ109日 瑞鳳殿でガイドをいたしました。

これ偏に 史学界の諸先生、公益財団法人瑞鳳殿職員、生涯学習・全国の読者・瑞鳳殿ガイドの会の仲間の皆々様から 
ご指導とご援助を頂きました故で、お陰様であります。

有難く、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。


皇紀2600年祝賀提灯行列、大東亜戦争での空爆を体験した身は、ハタチの乙女から「お爺さん元気ですね」と言われて、お世辞なのか? 老害だよ の皮肉なのか? 一瞬 考えます。

気力・体力の低下は 2015年に比較し14日減少した数値が示しています。

老害と そしられる前 瑞鳳殿ガイドの会・仙台藩志会での役を退き 悠々自適 隠居のガイドを今年は目指します。

宜しくお願い致します。





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