2017年3月の日誌
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3 月 29 日 (水)  



伊達政宗卿

図書名 です。
副題 (2・26事件と騎馬像の謎)。  奥州・仙台の謎解きシリーズ2
地元学応援団 佐々木伸 著書

本日の河北新報文化欄で紹介をしています。

本書の 「瑞鳳殿は高橋是清の書」の項 3頁にわたり、あかとんぼとの応接・写真が掲載されています。
経ケ峯路 追分に立つ 石碑が 再び 世間の陽に当たるでしょう。欣快です。


本書を読み、水澤要害の所在地が 胆沢郡塩竈村であった事を知りました。
定義山極楽寺の扁額 齋藤實の書であり 奉納した大野久吉は鹽竈の人。

鹽竈と云えば 宮城県鹽竈市を思い浮かぶが、齋藤實の出生の地は水澤です。
奉納者は 郷土の英雄を顕彰するに奉納したでしょう。

これがヒントで 水澤要害の所在地を調べたら 胆沢郡塩竈村であった事を知りました。

春休み終わりましたら Uさんと 水澤要害を現地確認したいものです。

参考図書 (仙台城と仙台領の城・要害 小林清治編)を 古本屋市場で発行定価の倍値で購入しました。



3 月 26 日 (日)  



臥龍梅三世 8分咲きです。
由緒ある梅の花と知り 接写撮影されている方 数人見かけました。

伊予宇和島市円山公園標準木の櫻 昨25日昼 開花し、市長隣席 開花宣言をしました。
東京に遅れる事 約1週間 全国での話題になりませんでしたが、現地宇和島では マスコミが殺到したそうです。

「東京との逆転現象は 異常気象の影響ではないか」 と 元気象庁職員で櫻観察隊長Sさんは解説してくれました。


瑞鳳殿

0.沖縄からのご夫妻 朝一番です。
伊達家・政宗公について 深い知識をお持ちでした。時間をかけて瑞鳳殿を楽しまれておられました。


0.龍ケ崎市からの若い女性。「横綱希勢の里関は 我が町の小中学校出身です」と語られました。
同年配に見えましたが「同級生です」とは語りませんでした。それは、「同級生です」では 年齢を知られるからでしょうか?

希勢の里関 優勝 おめでとうございます。

「龍ケ崎市は 伊達家の領地で陣屋があって 政宗公・忠宗公も訪れています」に 驚いていました。
(龍ケ崎市歴史民俗資料館)の見学を お勧めしました。


0.3代綱宗公のお小姓であった〇〇〇家の末裔で、14代・15代・16代の一族郎党10人が参拝に見えました。
始め 14代正室から「 この子が上杉小学校6年生になるが 昨秋 地域学習で訪れた。今回 この16代目の企画で訪れました」とガイド依頼がありました。

綱宗公のお小姓で 15貫文 頂きました。と語られ 15貫文を再三 強調されました。

瑞鳳殿 御木像等 丁寧に説明しました。

資料館はビデオ鑑賞者対応から 館内ガイドは控えています。
綱宗公お小姓の末裔との事、特別に 展示されている綱宗公の甕棺・石函・歯甕を説明しました。

「仙台藩志会常任理事〇〇部長の〇〇さんは 御先祖様の時代から ご昵懇のお付き合いです」 と語られました。

伊達家世臣録(仙台藩歴史事典)により
〇〇〇家は、〇〇〇治兵衛 60石
〇〇さんは、〇〇多利治 360石
の 末裔と推察しました。〇〇部長に近日 確認します。


0.「伊達成實のフアンです。下がる事 戻る事出来ません」と 主張する若い男女。
涅槃門扉の菊紋から 伊達8家紋に興味を示されましたので、手水舎まで 5歩戻って頂ければ に この返事でした。

お客様の要望に添います。涅槃門彫刻の説明は省略 本殿まで直進しました。


0.着物教室の卒業旅行でしょうか?
「東京から」と、和服で 小物から足先まで 決まった 10人程のご婦人。
臥龍梅の花、桃山様式の絢爛な建築美に溶け込み 写真撮りたい位 華やかさを演出されました。春です。



3 月 25 日 (土)  



仙台藩志会伊達学塾

演題 仙台真田氏 宮城に根付いた真田幸村の末裔たち
講師 佐藤洋一 蔵王町教育委員会主幹

概要

 日本(ヒニモト)一の兵 真田幸村とは
 伊達政宗公・片倉小十郎重綱に保護された子供達
 幸村の血を引く 真田大八
 伊達政宗公・片倉小十郎重綱が保護したのは?
 〇 家康死後の騒乱を見越した・・・野望
 〇 徳川氏に対する反発心・・・意地


質問
0.片倉小十郎重綱に保護された際 輿で来たは 論外でないか。
0.事前打ち合わせが 本当に行われたのか?
0.在郷屋敷は、現在のどこか?
0.幕末迄所在したであれば 僅か150年でないか?


内容は 「仙台真田代々記」小西幸雄著によると冒頭に語る。
小西幸雄氏は本頁の読者様です。

聴講者 104人。

4月22日
演題 伊達政宗 初陣の地 伊具の城館
講師 榎並利夫 丸森町金山地区歴史伝承会副会長

の講座 資料100部用意しましたが?間に合うか?



3 月 23 日 (木)  



政宗が育んだ伊達な文化 日本遺産

「伊達な文化」魅力発信推進実行委員会 が 美麗パンフレットを刊行していました。

主な項目は

伊達政宗と仙台藩の文化
政宗による文化の確立
政宗以後の文化の広まり
歴代藩主による広がり  ・・・瑞鳳殿・五色乱星模様・・
政宗生誕450年 遺伝子はいまも
 濱田直嗣氏 政宗の助走の時代、伊達な文化を支えた信念、未来へ導くあかり
全国への広がり
 藩によるみちのくの歌枕の整備と保護
 おくのほそ道の風景地
庶民への広がり
 江戸時代以来の伝統の職人技
 藩とのつながりが深い民俗芸能
 庶民への広がりを示す祭礼
ガイドマップ

完璧なまとまりです。有効な資料です。ご一読をお勧め致します。

仙台駅構内観光案内所で 頂きました。
お問い合わせは、宮城県教育庁文化財保護課 http://datebunka.jp/



3 月 21 日 (火)  



政宗公の骨折 (2)

3月15日政宗公骨折を記載しました。読者U様から 落馬現場、原因、関与者等の調査報告書が届きました。
その内容をは、

落馬した現場 
 米澤城下 北谷地小路
 城の南側に位置し、主に御馬廻組に属する中級家臣団の屋敷街
 谷地村に通ずる故 北谷地小路
 現在地名の城南一丁目と松が岬一丁目の境を示す 道路
 現場に 米沢市設置の案内板あり

日時・原因
 天正17(1589)年2月26日
 日中 天気好  
 朝 青木織部 馬御覧、次に 葛西の家臣備中景綱献上の馬御覧
 的射玉 御相手 横尾大学、山戸由監物、湯目民部景康
 晩 谷地小路へ御出、御馬乗をせらる。馬俄かに驚出す。飛下り給へとも小シ御足を傷ひ給う。即ち遠藤若狭宅に入せらる。

政宗公年齢
 23歳

見舞参上家臣
 桑折播磨宗長、小梁川刑部宗重、鮎貝日傾斎、本宮尾張頼重、國分彦九郎盛重、小梁川泥蟠斎 等

以上です。読者U様のご教示 ありがとうございました。



臥龍梅(二世)開花宣言(2)

3月18日日誌に「朝鮮半島では 元原木が途絶え 加美農業高校生が 実生から 苗木を育て 里帰りをさせました」と記載しました。
この 実生は、古城の原木では無く、仙台市農業園芸センター(前身 伊達家直営養種園)でのものではないか?の疑問が生じました。

時間的にみれば 瑞鳳殿の臥龍梅は その出生が仙台市農業園芸センター(前身 伊達家直営養種園)と見られます。
臥龍梅(三世) と ガイドするのが正確でしょう。

臥龍梅とは 梅の枝・幹が 地を這うように曲がりくねっているに由来しております。
瑞鳳殿は 曲がり 這う 距離が2m程と 本物の3分に1程度です。お客様は 花を見ても 地を這う 枝を見てくれる人は皆無に等しいです。

ガイド仲間は 期間限定で 臥龍梅を説明していますが 先日 「地を這う枝が草むらで 見えない 管理が行き届いていない」と 云われた方がいたと 知らされました。 有難い 進言です。



ガイド活動

昨日開催の「日本遺産認定記念シンポジウム」において、大越裕光仙台市教育委員会教育長は その講話で「仙台市内伊達家史跡でのボランティアガイドの活発な活動に 感謝している」旨 発言があった。

「行政の責任者から 活動が評価された事は 嬉しい限りです」と 参加された方から 知らせがありました。
出席したボランティアガイドの皆様 士気を鼓舞された訳です。 





3 月 20 日 (月)  



お彼岸

西に西にと進むと 極楽浄土。仙台駅から西に西にと進むと 伊達家の御霊屋 瑞鳳殿。
今日も 世界各地から 続々と お詣りに お出で頂いました。

小学生を連れた親子が 目立ちました。昨年まで散見された 富裕層の祖父母と孫は 見られませんでした。宿題を済ませてからでしょうか?


特記するお客様

〇 台湾からの青年5人。全員「あかとんぼの日本語 よくわかる」の言のつられて40分ガイド。
政宗公について調査して来たらしく、事柄 西暦で説明すると 「うん そうだ」と返って来ました。

この年代で かくも 日本歴史上の偉人に精通しているには 驚きでした。

〇 東京 柴又 帝釈天 から来ました と申される 高齢の元男女3人。
あかとんぼ を指して 「私達 ガイドさんと同じ歳」。 私から見れば 皆さま 5歳以上の兄・姉様に見えます。
自分は若くて 相手は 年上 とする高齢者の心理 そのもの。

柴又帝釈天には 掘り込みの深い 十二飛天あります。 見事です。
瑞鳳殿の飛天の特徴を 話し 帝釈天の天女についてガイドしました。
反応はイマイチでした。帝釈天参道の団子は食べても 参詣は???の様子。

〇 静岡からのお客様 久能山東照宮 よくご存知でした。ホッとし 快調なガイドをしました。

あかとんぼは 静岡県民は (久能山東照宮)と(清水の次郎長) を良く存知だろうと思っていました。
昨日 浜松からのお客様には 「ハー」と云われました。浜松・静岡間 約70kmですが。


お客様の服装は 日々 春のヨソヨイになります。

履物 長靴 長靴風は皆無となりました。

黒色で 地下足袋仕様 指先が 親指と他4本指に別れ カガトが コハゼです。履いているのは 長身のモデル風の若い女性です。
我慢できなく 「お嬢さん めずらしいはきものですネ」 に コハゼは外し 裏地を見せてくれました。

同行の母親 「私のは 裏地に花模様があります。ソックスも 指先が分れた専用です。青山で売っています。」
流行の先端を目ざとく 見つけた爺様は「粋」 と思われたか 「夫は プロの写真家です。一緒に写真に」 
例により 表裏2枚に収まりました。

カシミヤ の外套を着た女性が通過しました。待機しているガイドを無視されるのは結構ですが、しそのシツケが取れ 右半身の折込部がダランと下がり ふわふわ舞っています。
「モシモシ 取れています」とは言えず、見なかった事にしました。


午後

0.菅野正道様から 東北歴史博物館での「公開シンポジウム−被災した文化財を次世代に伝えるために」
0.一力徳子様から 「四ツ谷用水・地形巡りコース・八幡まちあるき」
0.村井嘉浩様から 「政宗が育んだ伊達な文化 日本遺産認定記念シンポジウム」

にそれぞれご案内を頂きました。会場は 多賀城・八幡町・川内です。時刻はほぼ同時刻。
何れに参加するか 悩みました。 ガイド仲間 僅少で お客様の依頼が切れず 一区切りが12時30分でした。
移動手段と3日連続でのガイドから 聊かの疲労を感じ 全てを 断念しました。ご案内下さいました方々 に感謝し お詫び致します。





3 月 19 日 (日)  



参拝のお客様 朝から続々。

東京以外、新潟県、埼玉県、秋田県、香川県、静岡県から 三世代、両親と子供等 、20分から50分の色々な組み合わせでした。

お客様 伊達政宗公について それなりの知識をお持ちになり 「伊達家と政宗公関係の史跡巡り」を計画され 来仙された様子で、まず 瑞鳳殿に政宗公を参拝し、伊達家関係遺物が充実している 仙台市博物館を訪れる が 基本プランであった。

仙台駅頭で 仙台市博物館の休館を知らされ ガッカリ 予定が狂った と 洩らされるお客様  あかとんぼ 1月から ガイド日3〜5組は居ます。後10日ですが、今日 楽しみ 来してくれた お客様には 申し訳ないです。

来春も1〜3月 設備更新工事で休館と聞きました。仙台市博物館の休館は仙台観光からも 影響が大きいです。失点です。
政宗公関係の遺品 展示する方法ないでしょうか? 


本日 高齢の方からのお話。

〇 瑞巌寺と政宗公の関係は?
   政宗公の戒名は?
   僕が 寺号 を得るには どうしたらよいか?


〇 今回の旅行は お墓参りです。昨日は平泉・金色堂(藤原三代) 今日は 伊達家(三代)の霊屋。
   伊達家三代目殿様 甕棺だね。
   天皇は 甕棺だよ。先日 〇〇天皇の御遺骨と甕棺を見て来た (信じられないお話)



午後、木村浩二先生講義の「仙台最古の絵図を読む」に お誘いを頂いておりました。
その 前座に 「正調 さんさしぐれ」が 坂東流師範 大町正子様 の音曲で披露されるとの事でした。

先日 宇和島さんさ を拝見しており、是非 拝見したいと思いましたが 移動手段。時間から 断念しました。





3 月 18 日 (土)  



臥龍梅(二世)開花宣言

本日 5〜6輪 咲きました。瑞鳳殿臥龍梅(二世)の開花を宣言します。
古城の天然記念物指定の臥龍梅の開花状況は不明です。

本日から ガイド項目に「臥龍梅」を加えました。
お客様は 「文禄の役」をご存知の方が多く、ガイドは容易に理解して頂きました。
「只、朝鮮半島では 元原木が途絶え 加美農業高校生が 実生から 苗木を育て 里帰りをさせました」と 伝えますと 一様に 「へー」の声が返ってきました。


あさイチは、沖縄からのお嬢さん 一人旅。
唐獅子イコールシーサー。
唐獅子とシ−サーの類似・相違点を調べていませんでしたので、お互いに 深い点に触れずにガイドが終わりました。


昨日 仙台の小学校の卒業式がありました。向かいの1年生 「明日から春休み」と喜々としていました。
全国の小中高に大学も 春休みでしょう。

先週 あかとんぼ と同年配の爺様 「東北大生孫の案内で来た。私は広島から来た」と喜々と語っていました。

爺様には 飛行機代・ホテル代・食事代等の経費 爺様の財布からでも 遠方の旧帝国大学に入り 案内してくれる 孫の気持ちが嬉しい。トンビが鷹を生んだ 気持ちの様に見えました。 益々 健康寿命を伸ばしてください。


両親と小学高学年生 東京から見えました。
文庫本大の 政宗公図鑑を持っていまして 両親と 本に家紋 4ケ記載されていて突合していたのです。
手水舎・涅槃門扉の家紋に 手持資料で 8家紋をガイドしました。喜んで頂きましたが、本殿迄のガイドは断らました。親子の会話が大切?


明日から 富裕層の爺婆様と一緒の小学高学年生が 続々でしょう。例年の例によれば。



3 月 17 日 (金)  




政宗公生誕450年ロゴマーク

表紙に掲記

生誕450年 宮城県知事先頭に 催事が催されます。
2月20日 記念ロゴマークが発表になりました。

その「お定め書き」に

目的に、政宗公の業績を照らしだし、郷土の素晴らしい歴史の再発見につなげるとともに、仙台・宮城の魅力を広く全国へ発信していくこと。
使用料は無料

許可は、上記目的で、企業、団体等又は個人が使用する場合は、申請の必要は無い
例:名刺、封筒、ホームページ、店舗の入口への掲示等

以上を確認しましたので 2017.03.17.より 掲記します。

尚(むすび丸バージョン)は、、仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会が制定しました。
そのお定め書きに、個人でも使用出来るとして、条件が付されています。

「伊達政宗公生誕450年に係る観光客誘致を目的とした各種媒体等にご活用ください」とあります。

本ホームページは、観光客誘致を目的としておりません。使用の判断を 有識者会議に一任します。



旅行

本日彼岸の入り 明日から お彼岸の3連休です。多数の方々が 政宗公始め歴代公に 参詣にお出でになるでしょう。
お待ちしております。

昨日 ある所で 「伊達なバス旅 2017年4から9月迄 仙台・宮城観光バスツアー のパンフレットを頂きました。
45本のツアーコースが紹介されています。

陸奥国分寺に行くコースがあります。
 
瑞鳳殿・瑞鳳寺等の経ケ峰を参詣するコース を見つけられません。どうしたのでしょう。
生誕450年 宮城県知事先頭に 催事が催されますのに 終の棲家 瑞鳳殿を避けているのは 何故でしょう。不思議。



3 月 16 日 (木)  



仙台すずめ踊り

ある生涯学習に参加。
資料は開講30分後に配布された。講師は、資料から離れ一方的に語る。パワーポイント使用も無い。老人には厳しい。
教務主任は、開講と同時に 目を瞑り 頭を深く下げ 講義を聞き入っていた。締めの挨拶は 流石 年功です。 


配布資料に(仙台すずめ踊り)の履歴が記載されていました。整理します。

1.天保12(1841)年 城下田植踊りで にわか芸として踊られた。
2.明示18(1854)年 国分丁に 登場した。
3.明治19(1885)年 8月23・24日政宗公没後350年祭で、揃の編笠袢?で登場した。
4.昭和25(1950)年迄、石切町・瀬田谷不動尊祭礼で奉納された。
5.昭和36(1961)年11月3日 仙台一中で再現された。
6.昭和39(1964)年、40(1965)年、41(1966)年 創作を加え 青葉まつり に登場した。
7..昭和54(1979)年5月 せんだい春まつり に登場した。
8.昭和60(1985)年 伊達政宗公350年祭青葉まつり に 中学生で 再登場した。
9.昭和62(1987)年 囃し・振付 衣替え 新・仙台すずめ踊り となり急速に普及した。



3 月 15 日 (水)  



政宗公の骨折

政宗公は、天正17(1589)年2月26日23歳時 米澤城下で落馬 単純骨折をし、城外 小野川温泉で1ケ月程 湯治治癒と記録されています。
 
これについて、「公式記録(貞山公治家記録・成実記)には その部は何処か の明示ないが、瑞鳳殿再建期成会パンフレット、また、ある資料に右足骨折とある」

「貴ガイドは{「左足(腓骨)}と ガイドされているが その根拠は?」のお尋ねがありました。

根拠は、瑞鳳殿発掘調査報告書「瑞鳳殿伊達政宗の墓とその遺品」伊東信夫編 161頁 187頁 瑞鳳殿資料館展示レントゲン写真 です。

尚、瑞鳳殿発掘調査報告書「瑞鳳殿伊達政宗の墓とその遺品」は、瑞鳳殿売店で 低価で販売されています。



3 月 13 日 (月)  



飛天楽器

3月6日日誌に記載しました 十二飛天の東北に位置する飛天が持っているのは 楽器か? について 有識者からのご教示は 「蓮の蕾」でした。

4面 中央の飛天は 開花した蓮と蕾 (正面・西側は 右に蕾 左手に開花 南側 右手に開花 裏正面・東側は左手に開花 北側は右手に開花 と 交互)をお持ちです。

日本の古典楽器は
@尺八
A三味線
B琴
C箏 (そう)
D笙 (しょう)
E篳篥 (ひちきり)
F琵琶 

は 上記 7楽器です。8区画あり 8番目に 楽器と開花の中間で 蕾 を配したのでしゃうか?
その真意の解明に至りませんでした。



3 月 12 日 (日)  



瑞鳳殿ガイドを休みました。

廣瀬市民センター主催 講師平川新 宮城学院女子大学学長 関山街道講座「よみがえるふるさとの歴史」に参加しました。
講座内容に関心がありました。のみならず 実質主催者が あかとんぼが関与している 仙台藩志会伊達学裏方仲間です。このご縁からです。

講座は、東北大学災害科学国際研究所天野真志助教の指導16回の講座・現地調査等 1年間の学習成果の発表会でした。

仙台市史・地域紙に内容と異なる観点で参考になりました。

メモ事項
1.諏訪神社は 國分氏が統治していた時代 33諏訪神社のトップ の神社である。
 國分氏の統治地は 青葉区・泉区・宮城野区に若林区の一部と 広大であった。

2.棟札に政宗公の名前が出て来る始めは、1623年で、「大旦那 藤原朝臣政宗公 元和9年11月」で、次は 1635年で、「大旦那 仙台中納言政宗公 寛永12年11月」です。
 興味深いのは、藤原朝臣 から 仙台中納言 に変化した事。

歴史研究者の発表でありませんから 表面的に 進みました。
後は 聴講者が整理する事でしょう。します。


櫻 開花観測

宇和島市では、宇和島長隣席 標準木の開花観測が発足しました。
日々の活動は http://iga504.blogspot.jp/ をご覧ください



3 月 11 日 (土)  



積雪 降雪

起床時 駕籠は真っ白。出発時 路面黒でした。予報は「温かくなります」 現実は「玉ッコ雪 小雪」が舞いました。
「寒い」と訴える お客様には 資料館に避難して貰いました。30分VTRを見れば 温まる筈です。


20113年3月11日 あの日から満6年 仏教の世界では 七回忌法要 を営む日です。
ガイドバージョンを 被災状況にしました。

涅槃門からの参道両脇の奉納灯籠の倒壊(積雪)、笠の飛来、本殿脇の宝篋印塔20本中19本の連続倒壊を 写真で説明をしました。
反応は 期待度を大幅に下回りました。被害者以外は 風化した と言っても宜しい のでは。

関西からのオバサン
「昨日 三陸に行って来た」 
「被災地の視察・見舞いでしたか? ご苦労様でした。ありがとうございました」
「イヤ 金華山神社 お詣りです。金持ちなるように」

原発事故の福島県浪江町からの成人男子2名。

震災被害 松・竹・梅の格付けすれば、地震のみ 梅 津波被害は竹 原発事故被災は 松でないでしょうか。
瑞鳳殿は 梅です。 松のクラスには 写真説明が憚られました。

12時帰り際 僧衣姿の団体が バス2台で見えました。
宗派等 わかりませんでしたが 14時46分 どこかで 法要を営む前 政宗公をお詣りに見えたのでしょう。

霊廟 佛様 を 僧侶に説明する元気が あかとんぼに なく 望見しただけでした。




3 月 10 日 (金)  



宮城野原案内人公開講座


演題 れきしから探る宮城野の魅力 原ノ町周辺の歴史と文化を中心に
講師 仙台市博物館学芸普及室長菅野正道先生
会場 宮城野区中央市民センター

本講座は 菅野先生のご紹介でした。

館長の挨拶
宮城野区中央市民センターでは、5年前 宮城野原案内人養成講座を開講、本日 卒業で4月には実践に入る。
開講初日 菅野先生に講義を頂いたので 閉講の締めを 菅野先生にお願いし 宮城野区区民に公開した。
50人の定員であったが 80人集まった。

先生の講義
1.歌枕・名所としての「宮城野」
@ 古代・中世の歌枕
 古今集・源氏物語・無名抄・・・平安以来 多くの和歌の題材に。
 漠然とした空間認識 ユートピア

A.近世の.歌枕・名所
 政宗公は由緒ある家の戦国武将であり 古典文芸にも精通していた。
 1600年代後半 全国的に歌枕の「場所探し」がブームになった。

2.遊楽の場としての宮城野
@ 藩主の遊楽
 江戸時代 現在の宮城野原運動公園一帯は(生巣原イクスハラ)(御野場オンノバ)と称し 地元有力者「野守ノモリ」に任じ、藩主専用狩猟場であった。
 実際に狩猟を行った記録はあまり見られず 萩・鈴虫を楽しむ遊楽の地に。
 城下に隣接しながら開発されず広大な草原が明治初期まで残された。
 明治以降 陸軍の「宮城野原演習(練兵)場」として活用された。

 明治・大正時代の地図・写真を 数多く 映写されました。1945年時の地図・写真あれば 目を凝らしましたが・・・・・

A 釈迦堂の造営
 元禄8(1695)年 釈迦堂を建立 櫻を植え 士民遊楽の場所に整備・・日本初の公共公園の可能性が高い。

3.交通の結節点としての宮城野
@ 古代・中世
 東山道・奥大道・東街道

これ以降 近世・近代は 資料に記載ありましたが 制限時間に至り 講義されませんでした。
後10分延長されれば 宜しいのに。(すべからく 時間管理の厳しい施設です)


あかとんぼは50年程前 帝国陸軍騎兵隊施設(馬小屋)が 〇〇省の管理となり、そこで生活しました。現在高層マンションが建っています。
50年前以前を知る機会で 楽しみました。



3月4日 この会場で 第34回市史講座が開催されました。
演題は、海岸林の育成と里浜の暮らし 仙台市宮城野区を中心に
講師は 東北学院大学文学部歴史学科 菊池恵子教授

参加希望者多数ながら 当選しましたが 所用重なり 菊池先生にお詫びを入れ 欠席と資料の保管を 連絡・依頼しました。
本日 頂きました。 これから 読ませて頂きます。



3 月 8 日 (水)  



伊達家要害

伊達家領内には、「要害」が21ケ所 あります。 

これまで 訪れたのは、
1.亘理要害 2.涌谷要害 3.角田要害 4.登米要害 5.岩出山要害 6.岩屋堂要害 7.川崎要害 8.船岡要害 9.高清水要害 10.金ケ崎要害 11.金山要害 12.上口内要害 13.宮沢要害 14.人首要害 15.佐沼要害 16.平澤要害 17.岩沼要害 18.水澤要害 19.谷地小屋要害 20.坂元要害

以上の殆どは、昨年10月と今月 Uさんにご案内頂いたものです。その際 「所」も 何か所 訪れています。

訪れた記憶のないのは、
1..不動沢要害(遠田郡)

伊達家領内21要害は 夏迄に完訪します。
併せて未だ訪れていない 「所」も 訪れます。


河北新報は、「伊達FAN」17号を刊行しました。

特集1.永遠の繁栄を願って 政宗 仙台城への想い
特集2.伊達48館をたどる旅

(伊達家21要害を訪ねる)を高齢者が企画・実行しているなと察して 特集を企画したな と朝一番 販売所に駆けつけました。

特集2.伊達48館をたどる旅は、仙台藩家臣の居館を訪ね歩く の副題が つけられ 仙台市博物館の協力の基 取材されています。
48館は 単に数が多い意味で、城・要害・所・在所を含むとあります。

例えば、和渕  
拝領者 武田貞信 石高 1300石 現況 屋敷跡
武田家は 信玄の系譜をひいて幕末に至った。現況捨身と 訪問時の注意。

と 簡潔に記載されています。

最大の欠陥は 現在 岩手県になっている 伊達家領内の 要害・館等が一切 記載されていない事です。 



3 月 7 日 (火)  



奥羽仕置

宇都宮仕置

政宗公が 秀吉に服従したのは天正18年(1590)6月5日です。
この場面と これに至る 母義姫との葛藤は ドラマでも視聴率が高く 広く周知されているところです。

この以後、宇都宮仕置、会津仕置における 政宗公と秀吉の接触の様子を 整理出来ずにいました。

2月25日 仙台市博物館学芸普及室長菅野正道先生は、宇都宮仕置が行われた 宇都宮城址に所在する 宇都宮市役所14階大会議室で

宇都宮での秀吉と政宗 奥羽の戦国が終わった日」と題して講演されました。

200人以上の聴講があり盛況であったそうです。
お誘い頂きましたが 所用があり 断念しました。残念でした。余りにも残念なので 当日のレジメ頂きたいと お願い致しました。

多色刷り 7頁 

0.始めに
1.伊達政宗の基礎知識
 0伊達政宗のプロファイル
 0伊達政宗の略歴

2..秀吉 宇都宮へ
 0小田原城攻めと奥羽の大名 落城前
 0小田原城攻めと奥羽の大名 落城後

3.宇都宮仕置と会津仕置
 0宇都宮での関東仕置
 0宇都宮での奥羽仕置
 0会津での奥羽仕置
 0宇都宮仕置と奥羽仕置の意義

4.宇都宮で再会した秀吉と政宗
 0宇都宮出仕前の政宗
 0宇都宮での再会
 0この後の政宗公と秀吉

レジメは骨格です。血や肉は 講演での 生声です。
レジメを読みながら 血や肉の部分を思い起こしています。



独眼竜政宗  河北新報連載 千葉真弓作 第143話 葛西と大崎一揆起きる  3月5日掲載になりました。

「秀吉の命令で奥羽に来て仕置を推し進めたのは、豊臣秀次、徳川家康、浅野長吉、片桐且元、蒲生氏郷、大谷吉隆、木村吉清などの面々である。働きぶりは比べられる。手柄を焦る者も現れる」と記し、 
画の素材・出典は「伊達政宗の研究」「奥羽仕置と豊臣政権」小林清治著と 原典を明示しております。

脚注も キッチリしています。参考になります。

本連載 いつ 完結するか 定かでありませんが、完成後 一冊になり 刊行されれば (洛陽の紙価を高む)と云われるでしょう。
隔週 日曜日が楽しみです。




3 月 6 日 (月)  



本殿 12飛天

真ん中の飛天女は リーダー(統率者)で蓮の花を持っています。左右の飛天女は楽器演奏中です。
4面とも 同じ構図です。

17年間 斯様にガイドして来ました。

4日 仲間のNHさんから 裏正面北側 (東北)のは 楽器ではないのでは のご指摘を頂きました。

本ホームページ 資料館の政宗公と天女さんをご覧ください。

蓮の花以外は、古代(現在 通常演奏されない)楽器で、裏正面北側 (東北)のも 楽器とと理解していました。

識者の皆様の ご教示を お願い致します。


瑞鳳講規約書

毎年5月24日 伊達家御当主・仙台藩志会・公益財団法人瑞鳳殿の共催で 遠忌法要が営まれています。
仙台藩志会は、昭和32年6月、瑞鳳会・温故会・大番士会・旧雨会・両山会・瑞鳳会の政宗公顕彰会が 大同合併し発足しております。

瑞鳳会の規約書(明治32年(1899)10月23日)が 発見されました。

目的を、「本講は 藩祖公の鴻恩に奉謝する為の毎年5月24日伊達家御祭典の後に尾し献膳奉仕の盡すを以て目的とす」と定めています。
経理・運用・任期等も定められ、講長石川邦光 副講長2名 幹事5名 協議員30名の役員名が記載されています。

之から 熟読玩味します。伊達家旧臣で 藩崩壊30年後 政宗公報恩の志を集う人々 とは? 興味津々。

本資料を発見したのは 仙台藩志会会員のUさんです。早速 写しを頂きました。感謝です。


涌谷町 月将塾

佐々木茂驕iシゲモト)氏を頭に 歴史勉強会が発足したと河北新報は伝えました。
名称は 涌谷伊達家の学問所「月将館」に由来するそうです。
塾長 佐々木茂骼≠ヘ、瑞鳳殿ガイドの会の2014年3月19日「涌谷・登米の伊達家御霊屋と要害跡を訪ねる」の際、懇切丁寧にご教示くださった方です。

ガイドの仲間に 涌谷町在住の方がいます。入会されたでしょう?



3 月 5 日 (日)  



春です。耐寒衣類をレベル4から3に下げました。
若い女性の履物も 春物に 変わりました。

朝1番のるーぷるバスのお客様は、兎に角 先を急ぎます。
長崎からのお客様「昼の飛行機に乗る。仙台城にも行かなくてはならない」と 申しながら 知識を披露されます。

あかとんぼ としては、現場で無ければならないものが優先すべきと思います。
(涅槃門の透かし彫)(拝殿扁額)(本殿御木像、御遺骨)を 現物・写真で 実見する。これをガイドに一任 優先されたらと思います。

ボランティアガイドです。語るのみならず聞き取りも範疇ないです。自説・学識 承ります。でも、絢爛豪華な建築の鑑賞が 粗末にされるのは、國損です。


何組めか。筑波研究学園都市からの30代後半のペアのお客様は、お上手 でした。
涅槃門の彫刻 下から 見上げて語り合っています。割込み 涅槃門の透かし彫の特徴をガイドしました。

そのまま 本殿に至りましたが、「まずガイドを聴きましょう」で 一段落した所で 自説・知識をチラリ。
最近は、墓室 発掘調査時の御遺骨・副葬品の写真は お客様にお見せしていません。御木像を限度にしていますが、お見せいたしました。


中華民国からの 若い女性から 人生経験豊かな年齢の女性が単独から4・5人の団体で 三々五々 見えました。
「英語なら ガイド出来ます」 と 伝えました。日本語・英語は駄目と断れました。台湾の方で 日本語駄目は 珍しいです。

仲間のAさん 「〇十年前現役時代  お得意様30〜50人を案内 5〜7日を要して 全島一周した。
ホテルの隣の居酒屋での地元の人々との振れ合い等」を 懐かし気に 語っていました。


時間が許された日は、感仙殿地区を回り 詰所に戻ります。

妙運界廟で 11代斎義公夫人の墓石 真明院心月珠泉大姉 と刻まれた文字を詠まれたご婦人 「アレー 女の殿様?」
テレビの効果 「井伊直虎」を連想されたのでしょうか? 説明しました。

日本人離れした 10人程の男女。「派手だー」の連呼。
之が 桃山様式の流れの 豪華絢爛 派手と云われる 建築美です」

「お客様 伊達男と云われているでしょう?」 に 心当たりあるらしく あかとんぼの予想を超え メロメロになり、連れの女性に 話しかけていました。音声不良で 聞き取れませんでした。


2月26日日誌に記載の「美麗・鮮明な写真が 縁取りされたPhoto stand」の M先生。
昨日 高価な包装のチョコレートを 詰所の卓に 「Mです どうぞ」のメモを添え 置かれていました。

馳走になりました。本日 お礼を申しました。「僕も馳走になりました」の声 何人まで馳走になったでしょう。
お客様が 高価な菓子に美麗な写真を添え ガイドの御礼を下さるとは ガイド冥利です。


3日日誌 加筆しました。



3 月 4 日 (土)  



春です。温暖です。

でも、お客様の出足は イマイチです。

JTB当番の制約もあります。8時50分から11時まで 本殿迄のガイド ゼロ。
説明版での 墓室の様子説明が1人 、涅槃門の正面までガイドが2人 以後続かず。
午後 仙台藩志会役員会2本あり準備の都合でガイド11時で終了。

待機中 高齢者体操をNさんと。つま先立ち、奴歩行(大名行列の左右跛行)等。


瑞鳳殿で 公衆無線LANサービス「SENDAI free Wi-Fi」が瑞鳳殿エリアで使用できるようになりました。
Fさん 早速 確認 実用化しました。あかとんぼ は 試行中です。

売店に 今年も 雛人形が飾られました。ご覧ください。
お客様から 「角田市で飾られている 牟宇姫の雛人形 父親の元 瑞鳳殿に お出でならないか?」 のお声が有りました。



3 月 3 日 (金)  



要害探索

春の兆し。木々が芽吹く前 近辺を探索と なりました。

1.長楯城 名取郡秋保町長袋字館
2.本砂金(モトイサゴ)城 柴田郡川崎町本砂金字宿
  〇地元の佐藤幸城様から古代から現代に至るお話を拝聴しました。
  
3.前川城(川崎要害) 柴田郡川崎町前川字立山
4.上楯城(支倉城) 柴田郡川崎町支倉字宿

5.村田城 柴田郡村田町村田字迫
6.平澤館(平澤要害) 刈田郡蔵王町平沢字新町
  〇 本丸跡所在公民館 村上早恵様からお話を聴きし お茶を馳走になりました。

今回は、昨年10月31日の伊達領北端の岩屋堂要害、人首要害、上口内要害、野手崎(所)に 藩境塚、一関博物館等を 日の出から日没迄Uさんと回りました。その続編です。



今回も、Uさんが資料を用意して かつ 車まで用意してくれましての探索です。感謝するのみです。

Uさんが用意してくれた基礎資料は、
柴桃正隆氏が昭和49年刊行された「史料 仙台領内古城・館・ 第4巻 宮城県南部」。


本書は 限定1000部で 刊行時7000円 古書店価格が15.000円  現在時価 29.800円の貴重本です。
類似図書 仙台城と仙台領の仙台・要害 小林清治編 昭和57年刊 4800円 が現在時価16.200円でず。

何れも 発行時の4倍になっています。






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