2018年2月の日誌
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2 月 26 日 (月)  



戊辰の役 

弔魂碑

昨日 朝 20代の女性が 券売口から ストレートに速足で来ました。
「戊辰の役 弔魂碑 何処にありますか?」の お訊ね。

2000年正月 ガイドを始めて以来 目的が 戊辰の役弔魂の 若い女性のお客様は 初めてです。

之までも、戊辰の役弔魂碑の参拝が目的で、燈明・線香・花を 持参され お出でになられた方は居ます。
この方は カメラのみですから、遺族では無いでしょう。

「直視の先にあるものが お尋ねの弔魂碑です。ご案内します」

建てられた経緯、特色、材質、調査等を説明しました。

説明の中の「武州川口の鍋屋某」の作ですに 即 「鋳物工場の埼玉県川口市ですか?」の 確認されました。

「会津の方ですか?」に、「首都圏です」
「この弔魂碑 をどうして 知られましたか?」に 「ホームページで検索しました」

あかとんぼ瑞鳳殿ガイド日誌・資料館・弔魂碑(2008.06.26.制作 経ケ峯の弔魂碑) をご覧なったかは 確かめませんでした。

歴女 にも 専攻が色々 有るらしいです、 「戊辰の役」グループ でしょうか?
今年は 斯様なお客様 増えるでしょうか?


遺族の思いは?

「河北新報では、戊辰の役 150年について取材し、4月から 50回のシリーズを計画、 
内 10回を 仙台藩志会にウエイトを置いた記事を載せたい」と
河北新報社編集局生活文化部 酒井原雄平主任が 仙台藩志会事務所に 取材に見えました。

「仙台藩志会会員で遺族の末裔を 紹介して 欲しい」が 主な用件でした。

「会員ではありませんか、相馬口の戦いで戦死されました (所預かり)の召出二番座武田家のご子孫の方は それを報じた新聞記者まで調べた方がいます。弔魂碑をお詣りし、領地であった地の館跡を訪れています」
と 話しました。紹介して欲しいとは 云われませんでした。

父方が岩城平・安藤家 母方が会津・松平家の家臣であった永山さんが主に語られました。

佐藤副会長、柳沼事業部長、大槻広報部長、永山儀典部長の応接に末席を汚しました。


図書

歴史の記録は、勝者が 勝者の立場・都合で記録する。果たして 正確に 公平に記録され 伝えられているか?

見直しを唱え (薩長史観の正体) (明治維新という過ち)と 題する 敗者側立場からの 著書が刊行されています。

一線の研究者の見解は どうでしょうか?

戊辰戦争の新視点
副題  
戦争勃発から150年、今までにない視点から新しい戦争像
518日にわたる激烈な内戦は、社会や人々にいかなる影響を与えたのか?

吉川弘文館 から刊行されました。

上巻 世界・政治 に 栗原伸一郎先生が 「軍事同盟としての奥羽越列藩同盟(会津藩・庄内藩・小藩・飛び地」と題して。
下巻 軍事・民衆 に 菊池勇夫先生が 「徴発と兵火のなかの北東北の民 秋田藩と盛岡藩の戦争にみる」と題して。

論文を発表されています。
この外 興味ある事項が 数あります。

図書館を待っていれば 購入されるか されても半年後でしょう。
刊行元に注文しました。数日以内に届きます。愉しみです。



2 月 25 日 (日)  



春彼岸 3月21日も間もなく。

雪は大分 融けました。
が、然し、瑞鳳殿と善応殿の前に 底辺が皿状になり凍結しています。

上を見上げ 蟹歩きのお客様がいます。滑ります。
ガイド中は「足元 滑ります」とお声がけします

瑞鳳殿本殿前は 何故か 冷風が駆けぬけます。あかとんぼ ガイド中 冷風と共に クシャミ一発です。

凍結は今月一杯でしょうか? 
転ばぬ先の杖 予算の都合があるでしょうが 融雪剤 散布していただければと思います。


9時早々のお客様。スカートに ストッキング ハイヒール  春のいでたちです。
拝殿の木製ベンチで ゴソモソしています。

マサムネ君の大小人形を持参 本殿を背景に撮影しています。

逆光です。顔が真っ暗にしか写りません。ノートを開き 反射板代わりをしていますが 効果有りません。
ベンチを外に出してみました。今度はOKです。

画面を覗きました。竹に雀の大きい家紋が隠れています。「寫す方向・角度を変えてみたら?」
「そだねー」 「お爺さんありがと」

北海道は幌別町のお嬢さんでしたでしょうか?

この後 人形持参のお嬢さん連  何組か 続きました。
〇〇情報によれば、人形と政宗公の写真を 撮る大会が 開催されているそうです。


手水舎で 大学生らしき 青年5〜7人。
右手が先 いや 左手が先と 言いながら 清めていました。

「お客様 お寺詣りした時、この様な手水舎で お清めされていますか?」
内 1人 元気に 「ハイ 手水舎で お清めし お墓参りします」と 返してきました。

仙臺では、神社をお詣りする際、身の汚れを祓い清めるため 禊ます。お墓参りでは 禊ません。
ここは、神仏混合時代の名残で 手水舎があります。

お寺さんで 手水舎があるは 初めて聞きました。どちらの 何という お寺さんですか?
茨城県です。家の寺です。菩提寺です。が、寺の名前は わかりません。

菩提寺さんも 大変ですネ。檀家の二十歳代の青年に 山号は別としても 寺号を 覚えて貰えないとは。


JTB当番日
10時20分 女性のお客様 外套を脱ぎ 額にハンカチを当てつつ JTBパスポートを提示しました。
定刻に遅れると大変と 路線バスを利用、霊屋橋停から駆け足で来たとの事。

呼吸が収まり 汗がひくの待つ間 62石段を上から 眺めて頂き ガイドを始めました。
マスクで 表情の変化が 読み切れませんが ご満足の様子。1時間程。

ここ瑞鳳殿は4回目で ガイド付きは初めてとの事。
JTBパスポートでの参拝は 賢い方法と 思います。40分の約束ですが 丁寧にガイドをしてとJTBから云われています。
聴いて頂けるなら  幾らでも お話します。と伝えました。


春節が 終わったからでしょうか 異国の方々の姿 見られません。


Uさん 久々 午前からガイドに。
ここに、書けない情報を交換。

感仙殿地区を巡回し、詰所に。
副会長のK さん SMさんと ガイドの会 運営の情報交換。今回は雪害で2週間ぶり。

瑞鳳殿を中心とする経ケ峯ガイドのまとめ(東北学院大学文学部史学科向け)の改訂版を Uさんと共同で3月中 作成して欲しい との要望。
卒論 の 思いか?
やります。Uさん よろしく。

大石学先生主幸する 時代考証学会の論集に1文 書かせてくれるとの 有難いお言葉を頂いております。
生きていた証に 5000文字目途に書いています。

認知症防止になるでしょう、拾う神あり 有難い事です。



2 月 24 日 (土)  



仙台藩志会・伊達学塾

演題 梁川八幡神社と伊達家  福島に残る足跡を見つめて
講師 梁川八幡神社 禰宜 關根亘
内容 前例倣い記載しません。


有識者懇談(別席 ノーアルコー)


愛姫生誕450年祭

〇〇神社崇敬会婦人幹部から、政宗公の正室愛姫の生誕〇〇年を記念して 「お誕生日祝賀会」を催す事にしました。
所で 
@今年は生誕何年ですか? 
A誕生日はいつですか?

と問われました。

生年月日 不詳です。

仙臺人名大辞書、仙台藩歴史事典にも 承応2(1653)年1月24日没 86歳とは記載ありますが 生年月日の記載はありません。
単純計算では、永禄11(1568年)年となります。

天正7(1579)年冬 政宗公13歳 愛姫12歳 で結婚しました。1歳違いです。

今年は、生誕450年となります。

青葉神社境内社として 愛姫神社がありました。現在は 青葉神社に合祀されています。

〇〇神社崇敬会婦人幹部は、全て調べてからの 質問です。
「とりあえず 3月3日 お祝いしましょう」と なりました との事でした。


周宗公が奉納した大灯籠

日本遺産(政宗が育んだ伊達)研修卒業生 Sさんから、
「鹽竈神社に伊達周宗公が奉納した大灯籠をご存知ですよね」
と問われました。

文化4(1807)年11月1日 幕府から 択捉島・国後島の警備を命じられています。
時の殿様 周宗公(政千代)は、12歳で 幕府若年寄堀田正敦と伊達家奉行中村日向景貞を中心に対応しました。

多大な犠牲を (68名の死者を出し、6萬両の経費を費す)を払っています。
この関係の灯篭でした。

写真を見せて頂きました。鹽竈神社ホームページには この大灯篭の記述が見当たりません。
一目に値します。近々 参ります。

伊達家の蝦夷地の警備については、仙台市史 近世3 第7章 第1説 蝦夷地の警備 をご覧ください。



2 月 23 日 (金)  



足軽

伊達家 直臣・陪臣 共抱えていた足軽の総数は 何人でしょうか?


一門(11)・一家(17)・準一家(10)・一族(22)・宿老(3)・着座(28)・太刀上(10)・召出一番座(38)・二番座(51)・平士1000石以上(6)・500石以上(68)・100石以上(994) 合計1258人

組士(1244)・卒(5405)
合計7907人 と仙台藩歴史事典に記載されています。


仙台藩志会の構成員は、上記の末裔の方を中心に、上杉家・佐竹家・板倉家等家中の末裔も参加しています。

卒(5405)中 4155人が足軽です。
現在 伊達家の足軽の子孫は 4万人は 居るのでは?
不思議な事に 「我 先祖は 伊達家の足軽であった」 と名乗られる方 何処でも 皆無です。

三百人町 五十人町に ご子孫と確信できる姓の方がお住いです。
でも、150年前を 語る必要は無いの お考えか 名乗られた事はありません。


伊達家の足軽の子孫 と名乗られた方 昨日 初めて 出現しました。
県工(宮城工業高等学校)の卒業生 と名乗られた昨日の方です。
「儂は伊達家足軽の子孫」と名乗られ 「生家は閖上」と申されました。

昨日は聞き流しましたが もっと 聴くべきであったと思い 本日に追記しました。



2 月 22 日 (木)  



無雲青(晴)天

18日大雪休み、24日伊達学塾準備で休みます。
代替の瑞鳳殿ガイドに。

ガイドの前 イロイロ

〇.日本の政界に刺激を与えた〇〇元先生、昨日 お忍びで瑞鳳殿を参拝されました。(某氏談)

  ガイド仲間のAさんが 大崎八幡宮・仙臺城本丸跡・瑞鳳殿のガイドを〇〇交通から依頼されたと聞いて居ました。
  如何なる 感想を頂いたか 興味がある所です。

〇.18日は大雪でガイドを断念した日です。
  JTB当番のBさんが 当番も一般も されていないです。元締めにどの様に連絡されたか 心配です。

  あの大雪でも お客様はお出でになり、相方は当番の責務を果たしています。

〇.公益財団法人瑞鳳殿主催 防火訓練が10時から実施されました。

  事前に、訓練をしますと 予告をし、「訓練 訓練」を前置きを付け 訓練放送を行いました。
  経ケ峯全山に響く 大音響です。

  丁度 居合わせたお客様 突然の大音響に驚かれ その場に立ち止まりました。
  「これは 訓練です。安全です 安心して お詣り出来ます。ガイド致します」

  バケツリレー、水銃発射を期待しましたが、消防署が多忙とかで 職員のみの 誘導と避難の訓練に終わりました。
  役職員、整備員等 全員参加で 職員駐車場満車でした。

〇.本殿前 凍結しています。
  参拝のお嬢さん 彫刻に見とれ 蟹歩きをしましたら 見事 滑り 尻餅をつきました。

  居合わせたお客様 一斉に 「アー」
  老人でなくて 一安心。骨折されたら大変です。

  帰路 事務所に報告しました。
  凍結を掻き砕いたか? 融雪剤を散布されたか? されたでしょう。

  本殿前は 日が当たらず 寒風が走ります。最後まで 凍結している 要注意箇所です。


ガイド

中国は 「春節」 で 祝日。
台湾からのお客様 シングル・ダブル・ファミリーで、今日も 沢山 (お客様の6割?)お見えになりました。

若い男女 本殿前で撮影していました。あかとんぼ推薦ポイントを紹介しました。
シャッター押しを頼まれました。 撮影後 「生の飛天と彫刻の飛天と 美の競演です」が 通じました。喜んでいました。

二人で4台のカメラ 屈指し 多方向に撮影していました。


岐阜と愛知の2組の御夫妻

62段をフーフー登って来た 仮称オジサン に 
「何段ありましたか?」  「フーフー 数えるヒマあるかよ」 御尤もです。

「62段あります。伊達家の家禄は・・・・・・・・・・・ 昔の人は 年間米1石消費したと言われています」
「うん 俺 年に1石を 食べる。1石は 2俵半だろ・・・・」

「お客さん お百姓さん 米生産農家ですか?」
「ウンソウダ。岐阜の山中。連れは 愛知」

連れの方 「僕 この下の 県工(宮城工業高等学校)の卒業生。昭和23年生まれ、生家は閖上地区にあったが 7年前 流された」と すらすら自己紹介をされました。

以後 快調にガイド。ご満足の様子。


本日 最後のお客様
福岡からの御夫妻。

あかとんぼ 数年前の3月 山口・福岡を 旅行した際、大雪に見舞われ 福岡(板付)空港が閉鎖になり 仙台に帰れなくなった経験をしております。山口・福岡は 仙台より南と思われたでしょうが 日本海側です。雪は仙台より降るでしょう と 云われました。

斯様な事 思い出しながら ガイドをしました。
政宗公の墓室は秋保石です。
「今晩 秋保温泉に泊まります。佐勘です」と語ります。

「良い所に お泊りですネ G7財務大臣会議の会場です。その際の料理出るでしょうか?」
「ウン 出すもの 出さないと 出ないだろうナ」  「はいそうです」


気温は上がりません でも 陽光は 春近し を告げています。



2 月 20 日 (火)  



路面・気象 条件は ヨロシイですが、気力が回復しません。

昨晩 祈願祭を行いました。




2 月 18 日 (日)  



夜来の吹雪はおさまりました。

10時現在 瑞鳳殿にガイドに行く 目途が立ちません。
積雪・凍結 の為です。

6時30分日に出と共に 近隣住民が除雪を始めました。
第一回 6時45分 玄関から公道迄 と 公道の守備範囲を除雪
第二回 8時45分 車の掘出し、排雪
第三回 9時45分 車と路面 凍結しています。



天赦

天赦 と申せば 即 政宗公の詩 

馬上少年過  世平白髪多  残躯 不楽是如何 です。


宇和島伊達家浜御殿 天赦園 の 命名となっています。

その歴史は 
1862(文久2)年 着工
1866(慶応2)年 完成 天赦園と命名

1923(大正11)年 皇太子殿下来園
1966(昭和41)年 天皇・皇后陛下 来園・散策・宿泊
1968(昭和43)年5月20日 國 指定記念物(名勝)に指定。


暦上 天赦日 と申す 目出度い日がある事 知りました。

天赦日は日本の暦の上で最上の吉日とされており、
新しい何かをスタートさせたり躊躇していたことに挑戦するにはもってこいの日。

ウィキペディア(暦注下段 - Wikipedia)によると、『この日は、百神が天に昇り、天が万物の罪を赦(ゆる)す日とされ、最上の大吉日である。そのため、天赦日にのみ「万(よろづ)よし」とも注記される。』と書かれており、年に5〜6回しかない貴重な開運日


この目出度い日に 

宇和島伊達家御当主御夫妻が 東京で名の通ったシュフーのレストランで 宇和島産阿古屋貝等食材を用いた料理で 
結婚記念日を 祝った と Facebookに 奥方様 が記されていました。

おめでとうございます。



2 月 17 日 (土)  



まいりました。

9時10分 瑞鳳殿に到着。晴天です。

台湾からのお客様 続々 瞬間 20人余。若い人が多い。

9時30分 福岡からの理系の若い人のガイドが終わった頃から 
天が暗くなり始め、気温が低下しだしました。

10時 パラパラ 小雪。風情があります。
10時15分 バラバラ 大雪 吹雪です。
10時35分 積もり始めました。雪原が出来ました。
台湾からのお客様 雪を喜んでいましたが、流石に勝てません 寒い と震えはじめました。

JTV当番 SMさん 傘をさしました。相方SSさん「あかとんぼさん 帰れなくなりますよ」のご注意。

ガイドのみ傘をさし お客様 ずぶ濡れでの ガイドは成り立ちません。帰路の安全を考え、ガイドgive upしました。
あかとんぼ邑は 晴天青空で 「お早いお帰り どうしたの?」

午後 吹雪・凍結 でした。


午後 仙台藩志会常任理事会。

特別企画「経ケ峯探索」の企画が採択されるか?
されました。事務局は 即 募集を開始しました。流石 6ケ月先 予測できないのか 予約は無かったようです。



2 月 16 日 (金)  




「火葬ですか?」 「土葬ですか?」

「48個秋保石で組まれた石室 墓室に」とガイドが 終わった 途端 問われるのが
「火葬ですか?」 「土葬ですか?」

あかとんぼの 説明能力の未熟を 痛感する 一瞬です。

土葬についての 少女の生々しい記録を発見しました。


土葬
墓参りに行った時、長四角の穴が掘られていました。
大人が当番で掘ると聞きました。

墓の前に棺が二列並ぶくらいの空き地があり、前回どちらに、いつどのくらいの深さで埋めたかを配慮し、掘る位置と深さが決められます。

土葬してこんもり盛られた土饅頭は、やがてへこんでいきますが、盛り上がりがあるうちは踏んではいけないと言われました。
土葬の墓には燐光(人魂)がみられたそうです。
所沢

土饅頭
叔父が亡くなり、
土葬で丸い木桶に座らせて弔ったそうです。

裏山の墓地に大きな土饅頭が出来ていましたが、翌夏の初盆に訪れた際には、すっかり平らになっていました。
平らになってから墓石を立てるのだそうです。

恐ろしいような、人はいずれ土に還るという安堵感のような、奇妙な感慨を受けました。
島根県


夢みる昭和記
少女たちの思い出2000語

女性建築技術者の会 編著
三省堂 2017.10.28.刊

昭和の初めを生きた少女の目で見た日本です。
土葬以外 昭和初期を 知る 楽しい本です。


講演

演題 伊達政宗が生きた江戸時代の仙台の陶磁器の変遷
講師 菅野正道先生
日時 2月17日 10時30分から
会場 瀬戸屋 若林区卸町2-15-7 
申込 022-232-0135



2 月 15 日 (木)  



御藩祖をどり

市民に向け 黒松市民センターで 11時 公開されました。

黒松市民センター主催 生涯学習 黒松壽大学修行記念コンサートに於いて、
男性合唱団いずみオッチエンコール 50人が (熱き心のハーモニー)と題して 
全12曲 披露した中間 7番目に 参加聴衆200人を 巻き込み
堂々? 朗々? 披露されました。

5月19日 青葉まつりの開会式で 披露されます。時刻・会場は 追って ご案内致します。

例年は、瑞鳳殿で 御当主が 鎧・兜の軍装で 火縄銃隊と共に 出陣式を行います。
これに参列していました。今年は、どちらを優先するか 鼎の軽重が 問われます。

御藩祖をどり の披露で 発見から披露に至る経緯が司会から語られました。
その際 歌詞は発見に寄与したのは あかとんぼ と明言され 恐縮しました。

歌詞 全文が印刷配布されました。良いお土産と思いました。
が、しかし 当局は 終了後 回収しました。
1935年 治安維持法で禁止された DNA が生きているのでしょうか?

音声を 記録しようと挑戦しました。
司会迄 記録されましたが 歌 と同時に (メモリーがありません)悔しい。

カメラでは 音声 期待した程でありませんでした。やはり ビデオカメラでなければ でしょうか?

楽譜 を頂いました。ご希望の方 ご一報下さい。



生涯学習

 (仙台明治青年大学 郷土史を学ぶ会 2月例会) 俗称 大泉学園講義 に 出席。

講師 宮城県公文書館 専門調査員 栗原伸一郎 先生
演題 仙台藩の戊辰戦争

内容 前例倣い記載しません。

感想

1.戊辰戦争150年 か 明治維新150年 と 捉えるか。参加者の意識は 50:50でした。
 
 人生 如何に生きるか の相違では? 怨念150年か 革命150年 と捉えるかでは。

2.戊辰の役 仙台・伊達家は 何故 敗者になったか?

 先生は、
 @ 不鮮明な指揮系統
 A 銃火器の更新・導入の遅れ
 B 軍の組織体制改革の遅れ
を 挙げられました。
 あかとんぼ は 施政者の(識見・指導力)が 時代に対応していたか? にもあると思います。


歴史には 二面性が あります。
戊辰の役を 考える際 この本 参考になると 思います。

歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す 薩長史観の正体

武田鏡村 著  東洋経済新聞社2017年9月刊



2 月 13 日 (火)  



聖バレンタインデー

明日は (聖バレンタインデー)。
今朝 早々に トナカイに乗って 贈り物が届きました。

政宗公の兜 半月の前立て をデザインした チョコレート です。

数ある チョコレートから この品を発見されたものです。

孫から貰えるか期待していましたが、千葉県の妙齢の方からです。
隠居 望外の喜びです。



2 月 12 日 (月)  



大雪

9時10分現在 あかとんぼ家屋上計測場で 29cmを記録しました。依然として 降り続いています。
奥羽山脈 関山峠から作並温泉に流れ込んだ雪雲が 鹽竈を目指す途中下車で 降らせています。(NHK天気予報の解説を参考)

玄関から公道までの除雪はしました。公道の除雪は 体力から断念しました。
あかとんぼの駕籠は車輪(タイヤ)が小さく 馬力が無く バス通り迄 出られません


ガイドは 不急不要の仕事か 疑問ですが 高齢者の不急不要の外出は控える様に勧告が出ました。
本日 ガイド 休み ました。



2 月 11 日 (日)  



建国記念の日(紀元節) 連休中日

9時15分から 日本人のお客様 続々 切れ間無く 団体・個人で参拝にお出でになりました。
建国記念日は、何れの国でも 重要な祝日です。
日本に敬意を表され 自粛されたか 外国からのお客様は 皆無に等しかった。

朝一は 会津からの 親子。
瑞鳳殿のガイドの前に 望見する 戊辰の役弔魂碑 を説明しました。
会津若松市を中心に 戊辰の役150年祭の各種行事が 官民一体となり 催されています。
相当に 関心が高いと思い 語りましたが 反応は鈍かったです。

昼迄 3回転
栃木・金沢・埼玉のお客様に お客様が付随 久々集団ガイドをしました。

して、拍手を頂きましt。久々です。

最後は 神奈川からの方。
フードコートを被り、眼鏡をかけ マスク着用されますと 老若・美醜 は基より 反応の判断が出来ません。苦手です。
幸い お客様 政宗公についての 高度の知識をお持ちの様で 鋭い ご質問を頂きました。

ガイドとして 満足致しました。


明治維新150年

河北新報は戊辰の役150年と云わず 明治維新150年と称しています。
読者投稿瀾にテーマと苦笑を組み 本日5回目。

ガイド仲間の Sさんは 「函館防衛戦で 33歳で戦死した 郷土の先人二関源治は 生地で無視されている。これで 宜しいのか」と 投稿しています。


修学旅行

小学校の修学旅行 仙台市から会津に 年間100校以上が訪れていたそうです。
戊辰の役で 共に郷土防衛の為 戦った同志である。近代を学ぶ 教材の宝庫である が根底にあったと聞いております。

所が 2011.3.11.災で 災地からの直線距離で 仙台より遠い会津が 福島は危険と 訪れる小学校が皆無に等しくなったそうです。

河北新報によれば、「福島から避難している児童がいる。辛い経験を思いださせない様に配慮している。避難している児童が卒業するまで会津に行かない」と断言している 校長がいると報じています。

疑問を感じました。
一人の児童の為 100人200人の同級生の 歴史・地理・同胞としての連帯感を学ぶ機会を奪って 良いものでしょうか。 
学習の機会を奪われた児童に対する 補償を どうするのですか?


図書「いにしえから あしたに伝えたい 八本松・郡山まち物語」

8日 富澤大学で紹介されました。購入一読 充実した内容です。之までの各学区単位の〇〇風土記を 超えています。
仙台市史 地域誌を 補完してあまりあるものです。

鵜飼幸子、金森安孝、菅野正道等 諸先生が指導・協力されています。納得。
購入希望の方は 八本松市民センター 022-246-0105に お問い合わせください。



2 月 10 日 (土)  



予報は、気温10℃

上がらない。寒い。

お客様  お出でになりますが? ボラガイドは眼中に入りません。
あいさつ作戦を。「おはようございます!」  「ガイドいます」 と お声がけを。

「このガイドさん ベテランです」 「ガイド 丁寧にしてくれます」に ご理解されたお客様から 「タノム」
仲間を順次 送りだし 在庫ゼロ あかとんぼ 60分経過 ゼロ。

10時 若い男女 3人。20代、東京からです。
日比谷公園散策されます? 帝国ホテル 利用する事あります?

政宗公終焉の地は、 櫻田屋敷(現日比谷公園)と 話を進めました。
日比谷公園散策し、帝国ホテルのランチを食べている と答えましたが その様子は 感じられません。
見栄を張ったか? 年寄に敬意を表したのか?

色々 ツッコミ 入れてきます。アソビがまだまだ で まともに考え 質問してきます。
60分要しましたが 楽しかったです。


新潟からの老夫婦

どちらかとお尋ねしたのは 伊達家との ご縁を さぐったのです。新潟は???
に 奥様が

「@竹に雀の家紋は 越後の武田家の家紋です。
A米澤の地 伊達家が離れた後 治めたのは 越後の上杉家です。 ご縁ありますよネ」

「はいそうです」

天文11(1542)年の天文の乱の始りの 起因は稙宗に、越後の国主上杉兵庫頭藤原定實が宇佐美長光の太刀と竹に雀の紋を贈り 稙宗の子實元を養子に欲しいと言われたにあります。
双方 故あり この話は流れましたが 竹に雀の紋は伊達家に残り 伊達家の家紋にもなりました。

奥様 涅槃門の彫刻の説明終わった瞬間
「彫刻師は 誰ですか?」

「福井県井波の工匠です」
お客様には 戦災で焼失したものを復元したと説明しておりますが 忘却の彼方です。
左甚五郎 の答えを期待している向きが見られました。

大崎八幡宮も行程に入って居ますか と確認の上
 刑部左衛門國次・大崎八幡宮睨み猫・徳川幕府・日光東照宮眠り猫・弟子達技術者の関係を 説明しました。


彫刻の作者 加齢による記憶違いを 感じ 資料を確認しました。間違って説明しました。

妻飾りの 牡丹に唐獅子、蟇股の麒麟と瑞雲 は 林鳳雲(宮城県美術協会彫刻部理事)の作
頭貫、冠木、台輪、外桁透かし彫 は 鈴木彫刻店 の作

でした。不覚でした。お客様にお詫び致します。

東北学院大学文学部史学科菊池慶子教授ゼミの現地学習の際には、10頁余の資料を作り 誤らない様にしております。


仙臺城大手門の再建

河北新報は 今日まで3日間 「どうなる仙台城・大手門 復元の行方」と題する 特集記事を 掲載しました。
待機中 話題になりました。

記事には 世論を喚起・誘導する覇気が 全く感じられないものです。

あかとんぼ の感想は 仙臺城大手門の再建は 施政者(仙台市長)の識見と胆力に かかっていると思います。

生活道路(市道川内旗立線)と観光道路(市道仙台城址線)の分離・整備です。

実行した施政者(仙台市長)の名は 百年は語り継がれるでしょう。
幻の政宗公賛歌の渋谷徳三郎仙台市長は82年後の現在でも語られています。  



2 月 8 日 (木)  



講座 2本

1.富澤大学

 演題 貝塚ってなに? 宮城県内の貝塚遺跡
 講師 仙台市冨澤遺跡保存館 渡邉みなみ 先生

 内容 前例倣い記載しません。
 感想 極めてお若く 高齢者の前での 講演は不慣れか緊張していました。
     あかとんぼの生涯学習での 範囲外であり新鮮でした。
     宮戸島貝塚を 一泊二日で視察した受講生がおり、事前に語りました。
     比較するに 先生は 控え目でした。

     土葬をした遺体を発掘し、火葬にした様子を 身振り手振りで語られた方が居ました。
     先生 驚きビックリの様子。高齢者の生涯学習に 恐怖を感じかも。


2.仙台市博物館・図書館連携講座

 演題 はじめて知る戊辰戦争 仙台藩と会津藩を中心に
 講師 仙台市博物館 水野沙織 学芸員
     太白図書館 サトウ 副館長

 内容 前例倣い記載しません。
 感想 水野沙織先生は 歯切れが良く 簡潔明瞭に 語られ 高齢者向け 最高です。

     慶邦が「宰相」を断った を 1月18日に続き 今回もサラッと流されました。
     政宗公の夢 実現の機会であったと見ますが 政宗公と慶邦公とでは人物(気力)が異なる故でしょう。

     何故 宮城県内は 戊辰の役について 関心が低いのか の分析は、
     戦場が 丸森町 旗巻峠・筆甫、新地に限られた故 とされました。

     戦死者遺族も 3〜5世代になり、伝承が薄れていると 思います。


     戊辰の役を 60分で語る 至難の業です。


     サトウ 副館長は、戊辰の役 細谷直英(十太夫)の活躍を 創作物(小説・映画)に求め 紹介されました。
     歴史と創作は 異なる表現であると 断りませんでした。マズイと思います。

     定員100人に 2.5倍の申込とか。若林図書館(1/31)90名 広瀬図書館(2/3)60名に続く 最終回。
     富澤大学と掛け持ち Kさん Nさん Aさん ・・・とおられました。



その他

1.あかとんぼ 顔写真 
 読売新聞は、戊辰150年 仙台藩群像 「仙台戊辰史を執筆 藤原相之助」 紹介記事(2018.02.06)で、
 経ケ峯所在 弔魂碑の写真を掲載しました。

 案内した際  あかとんぼ の氏名と生年月日を確認し、名前は 当社に活字が無く 簡体文字を使用します と 断りました。
 結果として 全く記載されていない。 巷の隠居扱い。個人情報流失を配慮されたのか?感謝します。

2.宮城保険医新聞 1642号
 お医者さんの内部 普通は入手困難な業界誌です。

 「奥州街道巡見 繁華街に残る城下町・仙台の痕跡」 2頁見開きの特集です。
 「手縫いの赤十字旗」を寄稿されたN先生の ご縁で頂きました。

 案内人が 有名な木村浩二先生です。 読み応えがあります。





2 月 4 日 (日)  



もみじ

券売口脇の真っ赤に色付く もみじ。
赤枯れした葉 老体を晒しています。

栃木県壬生町からのお客様から ご質問です。
「どうして 赤枯れした老葉が ついているのですか?」

わかりません。

この木は 4〜5年前 枯れそうになりました。
施肥をし、水をやり 回復を祈りました。薬石功あり 蘇生した樹です。以来 落葉しなくなったようです。


雪崩

涅槃門前広場に 残雪が凍結し 雪原を醸し出しています。
Z整備員が 「スガワリ」(凍結した雪塊を割り 分解する作業) を 砂利掻き でしていました。

適材適所の道具の使い方では ありません。難儀したわりに?・・・


本殿屋根に 残雪があります。 正面です。

落雪から 身を守る様にと 柵を 手前に移動してあります。
「お客様から 賽銭箱が 遠過ぎます。お賽銭入れらません」 の 苦情?

「私 上見ていますから 雪が滑りだしたら 叫びます 拝殿本体方向に避難してください。お賽銭 一杯 お願いします」
と 声をかけ お参りして頂きました。

このお客様には 政宗公のご加護がありました。 沢山のお賽銭を無事 奉じ お詣り出来ました。


別のお客様 14時頃 暖気になったのでしょう。 幅3m 長 5m位の 最後の積雪が 走りだしました。
凍みた雪塊 です。まともに 直撃されれば 大怪我 です。

偶々 4・5人の若い人々が 差し掛かった直後です。アーア
全員 無事でした。 ホットしました。 これまた政宗公のご加護でしょう。

この人々 お賽銭を奉じ 感謝したかは 確認出来ませんでした。


午前 ガイド仲間が 少なく 連続。

午後 JTB VIP当番です。14時の約束なので 13時電話しましたが 留守電でした。
他のお客様からご依頼があり ガイドをしていたら お客様が見えましたの 連絡。
50分早い到着です。
ガイド中のお客様に お断りをして 早速 ガイドに。

全国漫遊されているのか?分厚い 御朱印帳 半分は 記帳済の様子です。
瑞鳳殿はお寺では無く、墓所です。御朱印は有りませんが ご集印 はありますを、納得し購入され 御朱印帳に挟み込みました。

お客様の時間を許す限りで ガイドをしました。



2 月 3 日 (土)  



JTB当番

お客様 亜細亜系を中心に 続々と。ガイド仲間も続々と。

10時迄 お客様が 居ないと10時40分迄 ガイドの機会が無くなります。
JTB当番のお客様 今回も皆無でした。
今日は お客様 皆無と 覚悟をした途端 ご依頼がありました。ホットしました。

11時40分 ガイド 切り上げ。
帰宅 衣服を改め 仙台藩志会幹部会に。巷の隠居の服装では品位を問われますので。


本日の会議で 平成30年度 事業計画が討議され 予算編成に至ります。
提案 最後の機会です。


1.仙台藩志会会員限定 会員の為の特別講座の開会です。

 ●.経ケ峯探訪
 ●.瑞巌寺参拝とみちのく伊達政宗歴史館館見学

 趣旨は、仙台藩志会の目的は歴代公の事績を顕彰するとありますが、

 経ケ峯に所在する伊達家関連史跡を 探訪 再認識が必要ではなでしょうか?
 また、平成の大修理が終わった瑞巌寺を 見学 政宗公の意図を再認識が必要はないでしょうか?

 であります。

意図、開催時期、予定講師、行程に 経費積算を記した書面で提案致しました。

時期を得た企画であると 満場一致で 認されました。

この後の山場 理事会・総会で 承認されるか?  計画の精査が 次の仕事です。


2.「御藩祖をどり」を 政宗公遠忌法要の際 墓前で披露する事です。

▲1月9日付け 日本経済新聞文化欄に掲載されました。
▲2月1日朝 NHKラジオで 放送されました。
▲2月15日 黒松市民センターで 発表会があります。
▲5月19日 あおば祭 オープニングセレモニー で 披露されます。

既に 全国区ペースです。
本命は 82年目にして 政宗公墓前での披露です。

5月24日遠忌法要で実現出来る様に 会場を仕切る公益財団法人瑞鳳殿に
仙台藩志会から 強烈に具申して欲しいと、提案致しました。

仙台藩志会 総務部長・事業部長の決断と行動力に期待する所です。











2 月 2 日 (金)  



幻の政宗公賛歌 「御藩祖をどり」 

なぜ 幻か?
昨2月1日(木) 午前5時 「NHKマイあさラジオ」で全国放送されました。

仙台のリポーターが、東京のスタジオにいるアナウンサーに報告するスタイルです。
簡潔ながら 要旨を 確実に 伝えました。

パソコンで 聴けます。 聴いてください。

http://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=0322_18_11982

Uさん SSさん 朝起きして聴いて下さいまして ありがとうございました。





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