感仙殿 二代藩主忠宗公の御霊屋です。公は1636年38歳で藩主の座に着き、法治主義で藩政を確立しました。仙台城の二の丸の構築、瑞鳳殿・東照宮の造営、寛永の総検知等、文化・産業の面で多大の功績のある殿様です。
御霊屋の感仙殿は没6年後の1664年四代藩主綱村公の世に完成しています。  
 瑞鳳殿と同じ桃山様式で、国宝に指定されていましたが、1945年7月10日の戦災で焼失しました。1985年5月25日に再建されました。
先ずは、涅槃門をご紹介します。
涅槃門の奥に 感仙殿を臨む
涅槃門の天女さんをご披露致します。
天女さんは四人お出でですが、どの様な訳か参道に面して背を見せており、ご尊顔は外側にあります。
比較的低い目線にあります、でも、大部分の参拝客の皆様はお気きにならずに通り過ぎています。
瑞鳳殿とも異なった美人の天女さんです。お参り洩れされた方、ここでどうぞ。
感仙殿
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上下セットでお一人です。
御霊屋 感仙殿 本殿と寶筺印塔
続いて、本殿をご紹介します。
忠宗公 御木像
忠宗公
木像は、高さ88p、横(両裾端迄)143p、奥行(太刀の長さを含む)95p。材質は樟の木、
1984年7月完成。
彫刻者 圓鍔勝三氏・文化功労者
彩色者 川崎普照氏

忠宗公の体格は、身長165p 血液型A型 
射術、乗馬に優れていただけに、肩、肘、膝が非常に発達していた。
締め、御木像をご紹介します。
構造・規模
鉄筋コンクリート造、平屋建、寶形造。
 桁行  5m80
 梁間  5m80
 面積  33.64u
 最高の高さ(宝珠の先端まで)  9m

寶筺印塔
 忠宗公は1658年7月12日60歳で仙台城で没し、7月24日埋葬され、8月6日北山で葬礼が行われた。葬礼に先立って家臣12名陪臣4名が殉死した。
 この方々の寶筺印塔です。
 高さは、家臣が156p、陪臣が144pです。
 1983年7月23日現在地に再建された。
上記 記述は財団法人・瑞鳳殿刊行 「感仙殿・善応殿再建の経過」 によりました。
構造・規模
木造、平屋建、切妻造、四脚門。
 桁行  2m73
 梁間  2m12
 面積  11.83u
 最高の高さ  5m27
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