2024年2月の日誌
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2 月 29 日 (木)  




青葉区ファンブック

明日(2024.03.01.) 青葉区役所若手職員が制作した46頁の広報誌(青葉区ファンブック)が発刊されます。
青葉区の魅力「都市と自然が調和した杜の都」
レトロなまち、ロケーションのまち、留学生に聞いてみた、クールスポット、ハイテク青葉区等の項目に、
歴史の専門家木村浩二氏が語る「今、推したい青葉の魅力」が記載されています。

青葉区役所に奉職して2・3年の20台青年の見る 仙台・青葉区です。
なるほど、こんなものか? と感じました。

仙台のまちをつくった 伊達政宗公、その霊廟 瑞鳳殿は 瑞の文字 1語も紹介されていません。
過去 歴史があって現在があり、そして輝ける未来がある と思います。

日本国内もとより世界各国から訪れ 仙台観光に寄与している 瑞鳳殿は 区役所の若手には
魅力・価値ないものなのか?

高齢者には 若い人の考え・見方を知る 良い機会になりました。
ただ このまま 放置して よろしいでしょうか?



2 月 27 日 (火)  




仙台藩志会伊達学塾

年間10回の開催を4月初めの総会に計画案を提示し承認を得なければなりません。
1年先まで,10回 200余の会員の意向・希望を掌握し 講師を定め 依頼に伺う必要があります。

責任者 文化部長は 頭が痛くなるらしいです。

「御隠居様 何かお知恵を」と上手に のせて来ました。
子供と同年配から 言われると 弱いです。

「〇〇さんに〇〇をお願いしたら?」
「ハイ 大変 良い案ですネ では、講師依頼に同行してください」

で、昨日 講師依頼に同行しました。

快諾を頂きました。が。条件が付きました。
「まだ現役で、責任あるポストで多忙です。時間をください」

結論として 2025年2月1日(土)開催。
演題は、国人領主の戦国史 稗貫氏と政宗密書
講師は、稗貫家〇代当主 稗貫 祐一 氏

丸々1年先です。楽しみです。
「爺様は、役に立つことがあるゾ」と婆様に報告していました。
カワイイ。



2 月 25 日 (日)  




友遠方より来たる楽しからずや

 伊予宇和島櫻開花日本一の観測隊に、2010年3月の1ケ月間 陸奥伊達家領内を代表して夫婦で参加しました。
その際 お世話になった清家様 現在は地元産柑橘類の活用にとママレードにジャムの製造・販売会社を興され、
秋保での宇和島フェアーでの販売促進に来仙されました。

多忙の中 一刻を割いて頂き一献を傾けました。

じゃこ天が話題になりました。

佐竹・秋田県知事の宇和島のじゃこ天を侮蔑した失言の結果、宇和島特産のじゃこ天は、
地方食から全国区に昇格 売れに売れている話から、佐竹知事はご先祖様を知らないのか?
となりました。


宇和島伊達家9代伊達宗コ(むねえ)の後室は、出羽久保田10代佐竹義厚(よしひろ)の
長女 佳(よし 1837〜1868)で、天保6(1837)年3月28日江戸で生まれました。生母は阿部氏。

安政3(1856)年12月16日婚姻しました。


佐竹家上屋敷(東京都台東区東四丁目)から宇和島伊達家上屋敷(東京都港区六本木7丁目)まで、
花菱月丸扇紋散蒔絵女乗物(駕籠)で花嫁行列をなして
宇和島伊達家上屋敷の白砂において乗物の受渡の大切な婚礼儀式が執り行われました。


佳姫のこの乗物(駕籠)を始め豪華な婚礼調度を誂えた為 久保田藩の財政は傾いたという逸話があります。


この歴史的事実 秋田と宇和島の関係を子孫の佐竹・秋田県知事が知らないでの失言になったのか?
話題の基となりました。

佳姫は、参勤交代にかかる幕政改革により文久3(1863)年江戸より帰国。

明治元(1868)年6月3日32歳の若さで逝去。
宇和島市 龍華山等覚寺にお墓があります、
 

婚礼行列で 佐竹家上屋敷(東京都台東区東四丁目)から宇和島伊達家上屋敷(東京都港区六本木7丁目)まで 
ただ1度 用いられた 花菱月丸扇紋散蒔絵女乗物(駕籠)を含む豪華な婚礼調度は、

公益財団法人宇和島伊達文化保存会 所蔵(理事長 宇和島伊達家13代当主伊達宗信)で、
宇和島市立伊達博物館で公開されています。


あかとんぼは、2010年3月 櫻開花観測の合間 宇和島伊達家菩提寺の菩提寺龍華山等覚寺・金剛山大隆寺
と吉田伊達家菩提寺大乗寺を参拝、宇和島市立伊達博物館を見学しました。

その際の御縁は 今もつながっています。

本稿は、宇和島伊達家伝来品図録(宇和島市立伊達博物館編)、同館学芸員作成資料等を基に記しました。 



2 月 24 日 (土)  



第46回 仙台 市史講座
演題 近世武士と狩り  仙台藩の事例
講師 堀田幸義 宮城教育大学大学院教授
会場 吉成市民センター

講演内容
1.近世の吉成付近
 @芋澤村・荒巻村の様子
 A狩場としての山々

2.武士と鷹狩
 @ 中世・戦国の武士と狩り
 A近世の武士と狩り

3.狩の様子
 @野始め
 A山狩り

4.仙台藩の高匠
 @高匠組織
 A鷹事家業の成立
 B鷹術の継承

感想
1.伊達家の「鷹匠」の屋敷は米ケ袋にあり、その末裔と称する方 仙台藩志会に居ります。
他家ながら「御餌差」の末裔と称する方が友人にいます。
鷹狩にかかる鷹匠・餌差迄 話が及ぶと期待しましたが期待は外れました。

2.伊達家の狩り 軍事訓練 1月3日の「御野始」の様子など もっと具体的に話して頂きかった。

3.会場吉成市民センター付近も、伊達家の御狩場でした。
芋澤村と荒巻村の概要を宮城県図書館蔵「皇国地誌」から引用。
戸数・人口・牛馬・山・寺社を、絵図を示されました。感謝です。

4.講師は机上のみで 「歴史は足裏から学べ」派でありませんでした?

中山(荒巻村)に 月山(標高155m)があり、中山(根白石)街道での難所と言われていました。
現在の中山市民センター付近で 公園名・町内会名として現存しています。

講師は月山 と書かれ ゲッサンと読まれました。講師の「皇国地誌」の転記誤りと思います。
「よしなりまちまっおう」吉成市民センター制作・配布を一読されていれば 判明した事ですのに。
5.前回第45回は、「景観から探る中山地区の歴史」でした。
居住地故 是非聴講したく申込ましたが抽選で外れ悔しい思いを引きずっています。

4月2日博物館が開館したら 当日配布資料を貰いにいきます。

6.水野沙織学芸普及室長ほか学芸員皆様と久々に御対面出来ました。
嬉しい限りです。




2 月 23 日 (金)  



講座 貞山運河・歴史セミナー

名取市は2022年度から市史編纂事業を菅野正道先生に依頼し始まりました。
20日の河北新報 故事祭事は、閖上 仙台支える水産基地 でした。

本日、名取市文化会館で、「仙台城下建設を支えた閖上湊」と題して講演がありました。


講演 1.
演題 仙台城下を支えた閖上湊
講師 菅野正道先生

内容
0.前口上 河北新報掲載の故事祭事 no76,72. 歴史の窓no76.の紹介。
1.戦国時代以前の閖上―仙台湾における中世の海運事情

2.江戸時代初期の閖上と水運
3.木引堀
4.閖上と仙台

5.近年発表された主要関連文献
@初期仙台藩の水運
渡辺信夫著 仙台市史 通史編近世1 水運の整備

A木引堀を含めた仙台湾の運河
佐藤昭典著 仙台・江戸学叢書 利水・水運の都 仙台

B広瀬川の水運
菅野正道著 イグネのある村へ

C貞山運河概要・とりまく地域の歴史

多賀城市教育委員会編 貞山運河
大和田雅人著 貞山堀に風そよぐ
メモリアル交流館編 海辺のふるさと
仙台市史編纂委員会 仙台市史 地誌編


講演 2.
演題 江戸時代の閖上湊と東廻り海運
講師 井上拓美先生

内容
1.江戸時代の閖上湊
 @閖上湊の概要
 A江戸時代初期の閖上湊
 B閖上湊の「太郎丸」伝承

2.仙台藩廻米と閖上船
 @仙台藩廻米
 A閖上船の破船事故(房総沖)
 B幕府城米輸送や他藩廻米に従事した閖上船

3.閖上湊関係者の漂流体験 
 @大乗丸の漂流
 A荒浜湊福吉丸の漂流

4.終わりに

5.推薦図書
 @荒浜湊の賑わい
 A東北史講義・・奥羽の幕領と海運


まとめ

1.聴講申込 312人とか 
2.仙台からの聴講が大部分?

3.仙台空港アクセス線最寄駅(杜せきした)から積雪道を一列に(蟻の行列)
4.拙宅からバス・私鉄・徒歩の片道90分は遠い。

5.名取市史だより 2号発行なる。編さん順調は慶賀です。




2 月 21 日 (水)  



故事祭事
閖上  仙台支える水産基地
です。

政宗公の時代から仙台城下の食料供給地 漁港として今日に至った。
戦国時代まで交易港 仙台城下建設の建設資材搬入の港であったと、政宗公好みの白魚(シラウオ)から書かれています。

「源貞氏耳袋」引用されています。積読でなく 読まなくては。



2 月 20 日 (火)  




瑞鳳殿ガイドの会の新春の集い
 が久々にありました。

第1部が
「桃山様式建築の特徴と現存する建造物
について」の演題で、仙台市文化財課
川后のぞみ先生の講演でした。

概要を記すと
桃山建築と桃山様式建築とは異なります。
1.桃山様式建築の特徴
 @桃山時代について(考え方と建築)
 A桃山時代の社寺建築(背景と特徴)
 B社寺建築にみられる装飾要素
 C社寺建築等における{桃山様式の}のイメージ
2.現存する桃山時代の社寺建築の事例紹介

日光東照宮は「桃山様式建築?」の疑問をもって聴講しました。

瑞鳳殿は、仙台観光の関心度は8位です。仙台大観音は2位です。
御霊屋建築として日光東照宮には 太刀打ちできません。
で、日光東照宮を桃山様式建築として 同じ土俵に立つことに疑問を感じていました。


「寛永13(1636)年寛永度造り替えで、禅宗様が基調。漆塗、素木に地紋彫。装飾が内法長押下迄及び、立体的な彩色彫刻である。
家康公 霊屋に桃山様式建築を求めるならば、久能山東照宮に。

蟇股・木鼻等の構造から意匠に変化等 例示 理解容易な説明でした。」

 
川后のぞみ先生の講演を聴講するのは4回目です。毎回 今回益々濃厚な講演でした。

示された参考文献 図書館から借本 勉強することにします。


第2部は、中国北京料理での昼食会。2時間。

1分以上のスピーチとの事。1分以内の誤りでは?
ガイドです。おしゃべりはじまったら 止まらない人達に。



瑞鳳殿ガイドの最近の動向を 黒田会長は
1.中華民国臺灣からのお客様が大変多いです。
2.お客様からのガイドを積極的に依頼されるようになった。
 各地のガイドは有料がほとんどにあって、無料 が利いているのでは?
3.お客様 老若を問わず質問が多くなった。

と語りました。


あかとんぼ の感想

顧問を含め会員41名で、講演会に28人 昼食会に21人でした。
コロナ前 一緒にガイドして 名簿に名前の無い人・・人 本日欠席した人10人
世代交代の進展を 直々に感じました。

女性ガイドの比率が25%になりました。実 稼働は50%になるでしょう。

博物館ガイド会員、英語ガイドgozainn会員と二股・三股だそうで、知識・経験者です。
爺様ガイドより お客様は歓迎するでしょう。



2 月 18 日 (日)  



仙台観光国際協会主催 観光ボランティアガイド研修会に参加。
参加資格が仙台市か近郊に居住・通勤している18歳以上。国籍・年齢・性別の制限はありません。

内容は、古地図の見方を学び、町歩きの魅力をさぐる 
講師は、風の時編集部代表佐藤正美氏
です。

現在受講中のJR東日本・大人の休日?楽部主催「古絵図で読み解く仙台まち歩き講座」
講師 木村浩二氏と相違に興味を抱き参加しました。


大正元年発売仙臺市全図(地図であって絵図ではない 本格的地図)での説明。
吾が本格的に勉強していない世界の話で 有意義であった。
復刻版 所蔵しているので それなりに復習・研究します。


観光協会武藤部長の報告は、「仙台観光動向報告」。
実に参考になりました。

仙台市を訪れた観光客・宿泊者は2019年度比85%まで回復した。

国内から、1都3県は回復・増加したが、北3県は回復していない。(その原因は?)
来仙外国人の89%は」中華民国臺灣で週17便あり、半導体製造が本格化すれば・・・

WEBアクセス分析から見た仙台に対する関心は、
1位 仙台城址
2位 仙台大観音
4位 ループルバス 伊達3名所
8位 瑞鳳殿
大観音は 台湾の人に人気あるは知っていた。 意外とは思わない。
瑞鳳殿の8位は 止む得ないのかな?
日本の殿様(王様)のお墓 豪華絢爛 を見たい人には 日光に敵いません。
瑞鳳殿に 何かプラスして 日光に勝る もの無ければ と思います。


講演会の案内がありました、

3月8日「訪日外国人旅行者受入れにむけて地域が今やるべきこと。海外から選ばれる国際観光都市を目指して」と題して、14時30分から仙台国際センターで開催と案内がありました。
個人で参加できるか?申込んでみます。

最後に
今回の会合、仙台市政たよりで知りました。
13時30分から16時迄との記載。
13時前に到着しました。ら、会場入り口に各ガイドの会の代表はじめ20名が待機・たむろしていました。13時30分に受付開始で 14時開会との事。
こんな非常識 不可解な案内は初めてです。






2 月 17 日 (土)  




演題・・奥州藤原氏の興亡と伊達氏の台頭
講師・・伊達宗弘 仙台藩志会会長 登米伊達家当主

仙台藩志会主催 公開講座 伊達学塾は、上記の演題・講師で本日開催しました。

講師の長年の研究成果から、緻密な資料で丁寧に語られました。

大学の教養課程の感じで、仙台藩志会会員ならば必修講座と感ずる講演内容でした。

項目を記します。
第1部
1.平泉藤原氏の祈り
1-1.清衡がおくった悲劇の前半生
1-2.清衡の中尊寺建立の思い

1-3.基衡から秀衡へ
1-4.平泉藤原氏の滅亡
1-5.保護受けた平泉の諸寺院

2.東北中世史の幕開け
3.初代朝宗と伊達家の家紋
4.元寇と鎌倉幕府の衰退

5.中世伊達氏の台頭
5-1.南北朝の動乱と伊達氏
5-2.武将の鑑・北畠顕家

5-3.行朝が築いた伊達家の文化
5-4.中興の祖九世政宗

5-5.稙宗 奥州守護職になる
5-6.天文の乱 父子の争い

第2部
1.生い立ちと家族
1-1.梵天丸誕生と命名のいわれ
1-2.姫と結婚

2.家督相続と豊臣秀吉への臣従
2-1.朝鮮出兵
2-2.吉野観桜会

3.仙台開府
3-1.千代から仙台
3-2.洛陽を模した都つくり
3-3.北上川の整備
3-4.みちのくに華開いた桃山建築
3-5.慶長遣欧の派遣
3-6.家康・秀忠から後事託される
3-7.政宗の和歌から
3-8.政宗の最後
以上


余禄

講座3日前に公表していた講師から急病で講演出来ない旨の連絡。

伊達会長から講演引き受けの快諾を頂き、直ちに、聴講申込に連絡先を明示されている聴講希望者に
「演題。講師の変更」をmail等で連絡。

あかとんぼ 担当の連絡先は固定電話しか無い人です。
これ難儀です。

日中は留守で、19時頃で無いと電話が通じ無く、且つ出るのが遅く、詐欺と警戒されての応答です。
講師・演題の変更を理解頂き、聴講にお出で頂きました。

同年配の高齢者として感謝申し上げます。



2 月 11 日 (日)  




伊達伯爵家 東京邸 物語  その7. 2021.02.11.

その6 興宗公を記載しました。
が、内容は不十分でした。

大正12(1923)年9月1日の関東大震災で被害が無かった事が記載漏れです。

昭和20(1945)年5月24日品川区西南部の空襲で44,268棟の建物が焼失した際被害が無かったかを全く 記載しなかった事です。

昭和23(1948)年頃 財産税等を納める為 売却したと語られています。
伊達家が売却した相手は 誰か?東京都と推察されます。

昭和26(1951)年育英会は東京都から借地 学生寮五城寮を設置しています。
この寮は、伊達家本邸を模様替えした使用したか?新築したか 疑問を生じました。

仙台市史 近世2 特論 仙台藩江戸屋敷とその変遷 を記述された 渡邉洋一先生にお伺いしました。
1.土地建物一体で処分したのか?
2.土地のみ(建物は焼失していた)か?
3.宮城県育英会の寮は新築でしょうか?

幕末迄は研究したが、昭和・敗戦後の事は調べていません。
占領軍の空中写真が参考になるにでは?
とご教示頂きました。

戦災の関係は、品川区史2014 の46-49頁に記載されていると知り、品川図書館近辺の読者に閲覧・コピーをお願いしました。
続く




2 月 10 日 (土)  




仙台藩初期の奉行衆
政宗を支えた重臣の人物像

この演題で 菅野正道先生は理事を務める仙台郷土研究会の公開講座で講演されました。

講演内容は前例に倣い記載致しません。
項目のみ記録

1.奉行制成立以前
〇戦国時代
〇岩出山時代
〇仙台開府以後

2.奉行制の成立
〇奉行の創設

3.政宗を支えた奉行たちの群像
山岡志摩重長ほか総計12人

4.政宗から忠宗への代替わり
〇政宗期末期の人事
〇忠宗襲封後の新体制人事
〇忠宗新体制人事の特徴
〇忠宗期の奉行人事の特徴
〇綱宗期から伊達騒動期の奉行人事


あかとんぼ 所感
1.菅野正道先生のカタリは、歯切れがよく理解容易です。
2.資料の内容も、無駄が無く 復習するのに理解容易出助かります。

3.以上から 信者が多いのでは?
4.昨日は、会場の都合か定員50人 定員に達したら入場お断りと予告されました。

私の経験では、菅野先生の講演は100人以上参加します。
で、早めの45分前に。既に30人の待機者の列が出来ました。

最終的に定員を超えたか?何人オバーしたか?

5.参考図書として、主催団体が2012年に刊行した「仙台藩歴史事典」の紹介がありました。
特に「藩の奉行職一覧」著者 本田勇氏の紹介もありました。

「仙台藩歴史事典」は、あかとんぼ は座右の書として活用しております。

6.岩出山時代の屋代勘解兵衛景頼が慶長12年「領地仕置不始末」を咎められ追放処分になっています。
不始末の具体的内容がこれ迄 語られていません。質問しなくては?

非常に真面目で、情を解さない性格と 仕置の結果から見られる。石田三成的人物と推定されるの説明があり、納得しましたので質問しませんでした。

7.意外な情報がありました。
屋代勘解兵衛景頼が失脚した後、茂庭石見綱元と湯村信濃親元が内政を統括した。
湯村信濃親元は伊達郡湯野村を本領とする伊達家譜代の臣である。

菅野正道先生祖先墳墓の地が、ここ湯野村で、祖父の代迄のお墓があると。
となれば、湯村信濃親元の一族の末裔でしょうか?

飯坂温泉の対岸が「湯野」です。

8.6月30日菊池慶子東北学院大学文学部教授の公開講座を本会場で開催する旨発表がありました。
5階第一会議室160人に変更しないと聴講出来ない人が沢山出ると思います。が。 

9.3月末迄の菅野正道先生講演計画が発表になりました。

@ 2月23日13;30から名取市文化会館で、「江戸時代の閖上湊と東廻り海運」
A 3月2日15:30.から長町・道中庵で、「名取川から見る仙台の歴史」

B 3月20日14;00から名取市市民活動支援センターで「二つの名取を結ぶ道」
C 3月23日10;00からせんだいメデアテークで「仙台城下の謎 あれこれ」

Aは、仙台藩志会用務と競合しており欠席です。他は申込済です。

10.久々 学習した感じです。仙台郷土研究会役員の皆様に感謝申し上げます。



2 月 9 日 (金)  




伊達宗信 宇和島伊達家十三代御当主 来仙。


宇和島展が秋保で本日から3月3日迄開催され、開会式に、宇和島伊達家当主のほか
宇和島市長、宇和島信用金庫理事長が参列すると、仙台市当局から仙台藩志会に連絡が有、
専務理事ほか5名で参列しました。

御当主は、
宇和島と仙台が歴史姉妹都市協定締結50年になる。
共に、祖は政宗公である。手を取り合い 共に発展したい。
仙台市長に御挨拶をしたが、瑞鳳殿参拝はまだです。
14代になる方の成長
等を 気さくに語られました。

地元 宇和島で 皆様から親しまれておられると感じました。

柑橘類に、じゃこ天、鯛めし、ママレード等 宇和島産の海・山の産物が 山盛りに販売されています。
お出かけください。


宇和島フェアーと式典について 11日地h歩版 詳細に掲載されました。






2 月 8 日 (木)  



伊達伯爵家 東京邸 物語  その6. 2021.02.08.

興宗公 

明治39(1906)年10月20日 生まれる
大正12(1923)年11月30日 伯爵に叙される

昭和4(1929)年 旧小倉藩主 小笠原長幹4女鞠子と婚姻
昭和4年 仙台邸に 旧臣を招き 結婚披露茶会開催

昭和10(1935)年5月13日11時 伊達家蔵品展覧会(主催河北新報社)を興宗公夫妻、
斎藤報恩会博物館にて見学

昭和10(1935)年5月24日 政宗公没後300年祭
 興宗公夫妻 古式装束で 御霊屋瑞鳳殿、瑞鳳寺、青葉神社 参拝
 娘 登美子(6歳)政宗公騎馬像除幕

昭和20(1945)年7月10日 経ケ峯 伊達家三御霊屋 空襲で焼失
昭和22(1947)年7月1日 41歳で逝去



2 月 7 日 (水)  





伊達伯爵家 東京邸 物語  その5  2021.02.07.

2 宗基公

慶応2(1866)年7月15日 仙台城にて生。母 阿勝の方
明治元(1867)年12月12日 伊達家家名継承 28万石

明治5(1872)年 500円で品川屋敷を払下げ受ける

明治10(1877)年10月10日 戊辰の役弔魂碑 経ケ峯に建立
 旧家臣 灯篭奉納
ア、丸型 増田?幸、氏家厚時、中島信成、亘理孝胤、佐藤信義
イ、ロウソク型 62名

明治15(1882)年1月25日 旧肥前平戸 松浦詮 三女 都子(クニコ)と婚約

明治16(1883)年7月 家政相談会 設立
明治16年7月11日(楽山公十年祭前日)中屋敷跡(愛宕下屋敷)で第1回を開催
出席者 
伊達家 宗基公、宗敦公
協議員 富田鉄之助、鈴木大亮、佐和正、横尾東作
家扶 佐藤素拙 柴田隆  家令 野村守成(欠席)

明治16年9月17日 品川屋敷 新築落成 愛宕下屋敷から転居

転居者
当主 宗基、 
弟  邦宗
斉宗側室 温子 渡邊氏 明治18年7月 88歳卒、
慶邦側室 晴子 岩間氏 (おかねの方)
慶邦側室 道子 宗基・邦宗の生母 松岡氏(おかつの方)
        1909(明治42)年4月9日73歳卒

(慶邦側室 藤絹子 明治40(1967)年没 転居者名簿に記載無い

邦宗は、明治30(1897)年3月10日 一門水澤 留守基治娘 巨梅と婚姻 転居時独身

屋敷の規模・配置図 伝わらず。
家令(2人)・家扶(3人)・家従(3人)の住居8軒、家扶住居8室
寶庫、テニスコート、古墳、寶庫 軒を連ねる。
古文書・記録・書籍・武器・書画・古金銀・茶器・諸調度。数え尽くし難い。貴重な寶

明治17(1884)年3月15日宗基夫人松浦都子 入輿 

明治17(1884)年7月 伯爵に叙される。

明治21(1888)年5月28日 東京発 仙台一本杉邸に。
同年6月5日 諸旧臣に延見

明治33(1900)年7月 家範制定 相談人を家政協議員と改める
 財産保護が目的 家門永久の存続
家政気協議員
 東京 在住
1.富岡 鉄之助 2. 鈴木 大亮 3. 佐和 正 4. 横尾 東作 5. 斎藤 実
6. 摺澤 静雄
仙台 在住
7. 増田 繁幸 8. 氏家 厚時 9. 松倉 恂 10. 音羽 安成 11. 藤澤 幾之輔
 明治16年7月相談員として嘱託、
 最後の嘱託 大正7年11月6日佐和正75歳で逝去 以後皆無に。


大正5(19168)年5月16日 仙臺伊達家御蔵品 入札 319点
大正5年7月5日 第1回 仙臺伊達家御蔵品 入札 139点
 東京美術?楽部 目録 12,000部販売 2023年現在古書市場で5000円以上

大正6(1917)年1月 大井町(品川邸)邸にて52歳で逝去 大年寺山に葬る



2 月 6 日 (火)  




今日の故事祭事は、「平安貴族とみちのく」憧れの歌枕多く存在

NHK大河ドラマ「光る君へ」は、食わず嫌いで見ておりません。

実は、仙台藩志会伊達学塾の2024年度講座企画会議で4月冒頭の講座に
「平安貴族とみちのく」と題して菅野正道先生にお願いしたい との提案がありました。

仙台藩志会の設立目的は、伊達家歴代公の偉業顕彰にあります。

鎌倉時代以前 平安貴族と伊達家は如何なる交流があり、
顕彰すべき事柄がありましたか?
菅野正道先生は1965年以前の伊達家と伊達家領内の歴史的出来事に精通していますが、
吾妻鑑以前 平安貴族は御無理では無いでしょうか?

と、ツイ 年寄りは発言してしまいました。

結果は 御想像のとおりです。


先生は、
源氏物語の光源氏のモデルの一人源融(トオル)(822-895)の屋敷跡 京都市に「塩釜町」「本塩釜町」の地名がある。
實方中将のお墓が名取市に所在する。
みちのくには平安歌人が憧れた歌枕も多くある。
と結ばれています。

さてさて。




2 月 4 日 (日)  




いぎなり仙台 辰年なんだりかんだり」の記事(2024.01.30.)が。
「竜の口渓谷」

河北新報夕刊に織田雅子記者は

1.八木山橋上、眼下70m 断崖絶壁に渓流が伸びる。
2.仙台城から「辰(東南東)」にあるのが名前の由来。

3.奥州仙臺城絵図(1645年頃作図)には塀より澤迄40間(約73m)と明記。
4.政宗公は攻められない城の配置を考えたと青葉山資料展示館大澤慶尋主任学芸員は推測する。

5.約500萬年の地層で貝やクジラの化石が埋まる。
と、丁寧に紹介しています。

満足です。あかとんぼは。

あかとんぼは、今後、経ヶ峰を書く機会がありましたら、
昔々、仙台が海であり、隆起した後、古竜の口澤は経ケ峯の南側を流れ宮澤橋付近で廣瀬川に合流していた。
廣瀬川の南進・直当し、結果 現地点で合流し、経ケ峯の南側は古川として残った。
その姿は現在でも偲ばれます。


この現象を学問的には「川の争奪」と申すそうです。
と、書いて頂きたいです。


月日は忘れましたが 日誌に書いた記憶があります。

政宗公の隻眼伝説の満海上人 ゆかりの「黒沼」は 古竜の口澤の流れ 残存湖?と 推測しています。


本稿は、1968年刊 地学団体研究会仙台支部(東北大学理学部地質古生物教室)編集「仙台の地学」を再読・学習しました。




2 月 2 日 (金)  




仙台城石垣 災害復旧プロジェクト

2021年2月、2022年4月の福島県沖地震で、仙台城址の石垣が崩落・変形の被害がありました。
復旧事情費 10億円が見込まれます。
昨今の世界情勢から、財政的に影響は多大でしょう。

ついては、文化財を後世へと継承していく思いを込めた寄付をお願い致します。
と、
仙台市教育委員会文化財課が窓口に寄付募集(クラウドファンディング)が、昨年12月22日23時期限で在りました。

2月1日の河北新報は、全国802の個人・団体から2074萬5千円の寄付が、歴史姉妹都市宇和島などから集まった と報じました。

本2日、仙台市長名義の礼状と寄付金受領証明書に、1995年刊図書「仙台市の文化財」を併せて送付がありました。

貧者の一灯 です。



2 月 1 日 (木)  



北上夜曲
秘められた17歳の真実

このタイトルに何を思い浮かびますか?

匂い優しい 白百合の
濡れているような あの瞳
想い出すのは 想い出すのは
北上河原の 月の夜

菊地朔作詞 安藤睦夫作曲
でしょうか?
一世を風靡しました。

佐々木伸郷土史家が秘話を発刊しました。本日から市内大型書店に並ぶでしょう。

これ迄、逍遥歌。伊達政宗卿。がんばれ援歌。姉妹の天満宮。政宗公銅像。帰ってきた!政宗公銅像と6冊を刊行され、今回は 生まれ故郷を主体に書かれています。
先月末 先行予約で購入しました。

読後感です。著者の調査能力は素晴らしく 完璧と言える内容です。
私感として、知っている事と理解は異なる事を知りました。

北上川は、岩手山の湧水「ユミハズ泉」を源流として、北上・一関・登米を流れ 途中300余の河川を飲込み、南部領から伊達領石巻の河口まで249kmの大河です。

登米(トメ)市登米(トヨマ)町は、水澤県庁・警察署と行政に商業資本と栄えた町でした。鉄道も幹線道路も無い孤島の如く町。伊達家御一門だけでは理解出来ないでいました。

北上川の水運です。南部家・伊達家の産米が北上川を下りました。
水深が浅い所は100俵積みの小操船、それより深い所は350俵積みの「ヒラタフネ」でした。
積み替えに湊が必要です。倉庫・番所が設けられ 関連職種の為の施設が出来、宿となりました。
川筋の要所に湊がありました。
登米の町が栄えていた要因を理解しました。
北上夜曲の故郷 水沢市姉体にも 川湊があり宿があり、地名として現在に至っているとの事。
北上川の水運について 改めて理解したのが 本書「北上夜曲」でした。

私の読み方は、筆者の意図からは邪道かもしれませんが 良い本 です。





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