2017年6月の日誌
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6 月 26 日 (月)  



涌谷藩士屋敷地図 江戸末期

表紙に 涌谷伊達家家紋 真ん中に 半月 、周囲に 九曜星
涌谷こもんの会、涌谷町文化財友の会 平成29年4月吉日 作成 と。


参考文献は、
1.宝暦11(1761)年 涌谷町教育委員会
2.天保08(1837)年 涌谷町教育委員会
3.天保11(1840)年 旧亘理家蔵書
4.安政04(1857)年 涌谷町教育委員会
5.安政06(1859)年 加藤猪之吉書写本
6.慶應02(1866)年 遠田郡誌
7.慶応03(1867)年 石川捨松著

で、天保08(1837)年の名簿には 組士以上約1200名を 村別・丁別に分類した。



風土記御用書出(安永4(1775)年)には、
町場 3 侍屋敷小路 23 村 9 馬場谷地村 14 と記載。

以下20頁の多色刷りで  例えば 表御座敷着座  〇〇七郎左衛門 地行十二貫五百文 と記載されています。


如何に 読み解くか? 如何に活用する? です。

本冊子 調達に S様に労をお掛け致しました。感謝申し上げます。



6 月 25 日 (日)  



梅雨

経ケ峯全山 湿度を感じます。
参道の紫陽花 色付き始めました。外国の方は 珍しい花 なのか?接写撮影していました。


入口の案内を見ていた壮年男女の団体。
質問は その方々の日々が基盤となり 発せられます。

秀吉に 「岩出山城に移された」を読まれ

1.秀吉は 何故政宗公を動かしたのか?
2.それは、左遷か?栄転か?
3.その当時も東北は貧乏か?

この様に 日本の歴史についての知識が皆無で かつ 東北蔑視思想の方が 参拝に見えられるは 別の面で ガイドの醍醐味です。
内心 張り切りましたが ガイド断れました。


宇都宮・埼玉・愛知からの 60代の御夫妻3組を 

一定規模の都市からのお客様は 宇都宮・横浜・・・と都市名を、それ以外の方は 県名を 言います。

宇都宮のお客様には 日光東照宮との相似からスタート
愛知からのお客様は、名古屋市や豊田市で無い様なので 岡崎八丁味噌に始り 常滑焼の甕棺で おわりに。


昼 ガイドの会 役員諸氏と 近況報告

瑞鳳殿では 8月の七夕飾りの 制作が始まりました。
今年のテーマは 何か? 楽しみです。



6 月 24 日 (土)  



講座 2

その1.
講座名 第10回北山歴史講座
主催   北山市民センター
講師   北山ガイドボランテイア
内容   大法寺 永昌寺 に所在する講師の基準で選択された墓碑

灰塚
1. 大法寺境内に 忠宗公の灰塚があったが 三条中学校設置の際 破壊された。(有名な話)
  0.破壊される以前の写真が公開されました。枡形の土塁 樅の大木 民家
  0.私見ました。 地元老婦人の証言。この跡地で子供が怪我をした。

2. 永昌寺 境内に 義姫(保春院)の灰塚がある。
  土塁は 方20m 堀は 方36m である。(あかとんぼ 訪れた際 既に無かった)
  義姫(保春院)は 覚範寺で 火葬し埋葬された。(同一場所と表現したが 真実か?)

ガイドの会会員4人参加、事務局長から「ガイドを投げ打って参加され 誠に感謝」といわれる。



その2
講座名 まほろぼ大学
主催   大和町教育委員会
講師  千葉 真弓 氏 時代考証学会2014年in仙台 講師
演題  河北新報掲載 「独眼竜政宗」の時代考証

メモ
1.2014年秋 瑞鳳殿・経ケ峯をご案内して以来の再会。白髪・短髪にビックリ。

2.竹に雀の家紋は、瑞巌寺所蔵木像(1652年作)、仙台市博物館所蔵 大坂夏の陣黒田屏風による。
  (國寶瑞鳳殿本殿(1637年完成) 竹に雀 とも異なる)

3.政宗公と 公 の敬称で現在 一般である。戦前は 卿 であった。

4.呼捨ては、家康・利春・政宗のみで、それ以外の大名は 殿又は様である。(呼捨の方が偉い)

5.紫地羅背板五色乱星の陣羽織は 明治期 伊達家寶物目録に「紫地羅背板五色乱星」と記載されています。
 仙台市博物館HPで 確認されたい。

6.付録(その時政宗はどこにいたか)は、菅野正道・菊池慶子先生の作である。滅多に手に入らない 活用されたい。

7.私千葉真弓は 大学時代から漫画を描いている。大河ドラマ「独眼竜政宗」に採用されている。

8.龍 ではなく 竜 を用いているのは おさまりが よいから。



6 月 20 日 (火)  



4代 綱村公 御命日

享保4(1719)年6月20日  麻布屋敷にて61歳で亡くなりました。
大年寺殿肯山全提大居士 仙台両足山大年寺に葬られました。

現 茂ケ崎山旧伊達家廟所(無尽灯廟) です。


伊達家御廟大年寺会様から 今年もご案内を頂いておりました。
諸事情により 指定時刻に出席覚束なく 9時に参拝してまいりました。

草刈清掃済で 伊達泰宗ご当主様 と 大年寺会廟所担当役員様が待機をしていてくださいました。

静寂の中 (俗な表現・・貸切で) 無尽灯廟と寶華林廟 を参拝して参りました。


大名家墓標研究家 秋元茂陽氏は 昨年7月 10日程の日数を要し 茂ケ崎山旧伊達家廟所墓石の調査をされています。
これまでの例では 7月20日頃に その報告書が発表される筈です。

東北学院大学文学部歴史学科菊池教授は 伊達家の側室・老女等の生涯について研究されております。

これらの資料を入手の暁 丁寧に 参拝したいと思います。



6 月 19 日 (月)  



振替ガイド

17日(土) 仙台藩志会用務でガイド出来ませんでした。本日に振替てのガイドです。
晴天の月曜日 沢山の方 参拝に見えました。


6人
札幌・旭川から 3姉妹に配偶者。
駄洒落好きが1人。 1人悦に入っています。

15人
福島県須賀川市を中心とする68・69歳の男女。古希の祝いでしょうか?

ガイドの基礎資料 伊達家とのご縁 を求め得ての「どちらから?」 です。
例によって「どちらから?」 「ハイ 須賀川です」

頭をかすめたのは、
天正17(1589)年10月26日 政宗公は伯母の二階堂遠江守盛義室(寶樹院)が守る 須賀川城を攻め 落城させました。

亡くなった二階堂家家臣の霊を弔う目的で 毎年11月第2土曜日 日本三大火祭りと称される 松明あかし が盛大に行われています。

祭り 松明あかしの由来をご存知の方は 伯母を攻めた政宗公のお墓参りは精神的に抵抗があるか 
の懸念です。

「過去は恩讐の彼方に 未来志向で」 でと申しましたら何事もなく ガイドを終えました。


お腹の大きい方 お腹をさすりながら 石段を登って来ました。
政宗公の様な 子供を出産したいの思いからでしょうが、長い坂、急な石段は 影響はないでしょうか?



島左近

慶長5(1600)年関ケ原の戦いで 亡くなった 西軍主将石田三成の 副将と言われた 島左近。

討死せず 気仙郡濱田村に隠棲 甚兵衛と 名を改め 正保5年8月晦日86歳で亡くなり、浄土寺の過去帳から戒名が また 墓が発見されました。

弘化3(1846)年に、 伊達家家臣で儒学者 幕府昌平黌に学び舎長にもなった齋藤竹堂が (気仙風土草)で かかる島左近 現陸前高田に隠棲したと 発表している。

「私は 母方での齋藤竹堂の子孫です」と名乗るから A4 2枚の資料を頂きましたので ご披露致します。

 齋藤竹堂については、仙臺人名大辞書411頁をご覧ください。



6 月 18 日 (日)  



瑞鳳殿ガイド 51日目

正月2日以来 51日目です。昨年は7月2日でしたから2週間早いです。

瑞鳳殿ガイドの目的の一つが 健康維持 があります。目的が達成している事になります。
ご支援して下さっている方々に お礼申し上げます。


若い男女 連れ立っています。賑やかです。(雀のガッコウ)
お嬢さんが 漱いでいました。 青年 「お爺さん ここで 手を洗うと美人になりますー」

お嬢さんを単に揶揄って居るのか? 底に深い野望が潜んでいるのか? 外国の人々です。
日本文化を正しく理解して頂くつもりで 「ここは 手洗いでありません。禊の場です。美人になりません」と。


一家4人

家長が涅槃門の彫刻を熱心に撮影しています。彫刻の特徴を説明しましたら、夫人は迷惑の表情を示しました。(珍しい)
神奈川県川崎市からお出でとの事。
「徳川将軍も参拝された 川崎大師様ですね」
「あれ 駄目 鉄筋コンクリート造」  この一言で 退散しました。本殿まで ガイドしたら どうなったでしょう。


続いて 神奈川県からの母子

息子 
狩野安信描く 政宗公像 不思議と見ていました。説明しました。伊達政宗公に係る知識 可成りあります。
熱心に聞いてくれます。結果的に 瑞鳳殿のみで 60分。
川崎市の小学5年生でした。


山梨県からの御夫妻

奥様は 政宗公について 知識をお持ちです。当然 片倉小十郎景綱と重綱についても。
あかとんぼのガイド 知識と一致すると 頷きます。
夫君は 奥様程知識が 無く プツプツと 湧き上がるものが無いようですが 夫人を立 黙々と。

あかとんぼ 1週間に1回以上(2日に1回) 感仙殿地区を回る事にしています。
回り 戻ろうとしたら  感仙殿地区に 見えられ 視点を変えてのガイドをしました。

質問
1.伊達家家紋 竹に雀 の竹は 笹でないのか?
2.感仙殿 の意味は? 瑞鳳殿は 説明でわかりました。
3.9代、11代夫妻のお墓がここにあるのは何故か?
4.伊達家の墓所はどこにあるののか?
5.いつお詣りできるのか?


報連相

ガイドの会の備品等の格納庫 公益財団法人瑞鳳殿で用意をして下さいました。
副会長のKさん Sさんと メガホン・制服・腕章等を格納しました。
公益財団法人瑞鳳殿の素早い対応に 感謝申し上げます。

8月3日開催 政宗歴史塾 
 一般応募 出足が 予想以上に早いそうです。早い 申込をお勧めします。
ガイドの会会員は会で一括受付ます旨 往復葉書 発信済です。


 



6 月 17 日 (土)  



伊達学塾

演題 「政宗誕生の地米沢」米沢館山城の歴史と発掘の成果
講師 館山城保存会顧問・まんぎり会会長 手塚 孝 氏


5月のある日 ある所での 伊達政宗公生誕450年記念事業での講演会で 米沢からの客人が
「米沢は 上杉家の町で、 その精神は 上杉鷹山である。伊達家の歴史・史跡は何も無い」と 声 高らかに述べ ブーイングはありませんでしたが 会場を白けさせた 事がありました。

講師は米沢館山城保存会顧問です、「伊達家派」で 過日の出来事が再現されるか事は ない筈ですが、仙台藩志会の勉強会です。聊かの心配は杞憂でした。

講師紹介の際、
この館山城は2015年 仙台藩志会探訪会で訪れています。

現地に 「政宗公生誕地」の大きい標柱が立っていました。米沢城跡にも 生誕の地の標柱立っています。2ケ所あります。
永禄10年8月3日庚辰(カノエタツ)刻 (1567年9月5日午前8時)出羽國置賜郡長井荘米澤御居城にて誕生と 性山公治家記録にあるが、
果たして 米澤御居城とは 館山城でしょうか?
この辺 語られるでしょう。と 前置きをしました。


講師は 予想されていて、

上杉家が拠点とした米沢城一帯は松川の氾濫原である事は 地形や遺跡分布から一目瞭然です。
常に 洪水が起きる氾濫原に 城の拠点を作る愚かな武将は居ない。
と 喝破されました。

氾濫原である事は 政宗公が落馬した現場 谷地小路 からも理解できます。
氾濫の元 松川の本格治水工事 慶長6(161)年以後で 一応の完成は慶長19(1614)年です。
これらから 米沢城が 本格的に築城されたのは いつですか?となります。
この説明は ありませんでした。

講師の喝破は あかとんぼ は完全に 納得できませんでした。


伊達家の城造りは、丘陵と河川の自然地形を上手に取り入れるのが基本で、梁川城がその基本である。
丸森城・梁川城・桑折西山城・岩出山城・仙台城と館山城の縄張図で説明されました。

只 岩出山城は 秀吉の命で 強制的に移転させられた城で、氏家氏の居城を 家康公が 今風表現 リーホムした城を 伊達が築城した城といえるでしょうか? あかとんぼ は疑問です。

講師は パワーポイント使用 20頁の分厚い資料で 110分 語られました。ありがとうございました。



6 月 16 日 (金)  



寛文事件

綱宗公御霊屋 善応殿での説明に 寛文事件(伊達騒動)を語らない様にしています。。
大名家のお家騒動のトップとして挙げられ、歌舞伎の演目になっています。しかし、知らない方が 多い為です。
マイナス評価を 表面化する必要がないと思慮しているからです。

 
仙台市民の中では 潜在的に関心が高いようで、
寛文事件の基本図書が 大槻文彦の(伊達騒動実録)で、これを教科書にしての勉強会が20日午後開催されます。

あかとんぼは、平重道著 (伊達騒動) と 仙台市史通史編4(平川新著)で 知識を得ております。

あかとんぼは 10文字で総括すれば
(お店(オタナ)の 番頭の権力闘争)と 理解しました。
そして (いつの世も 中間管理者が 割を食う)


仙台市史通史編4
56頁 谷地分けの見分
1669年(寛文9)7月6日 郡境を具体的に定める為の検分役人が派遣され約1ケ月に検分が行われた。
検分役人は、目付の今村安永、横山弥次右衛門元時 徒小姓頭の濱田一郎兵衛重次、志賀右衛門由清 始め数十人

75頁 刃傷後
1671(寛文11)4月1日 宇和島伊達家 宗利から 今村安永、横山弥次右衛門元時 濱田一郎兵衛重次、志賀右衛門由清の4人の谷地検分役人の吟味を開始するので 宇和島伊達家麻布屋敷に移すように通知があった。

77頁 伊達家の安堵と家臣の処分
8月27日 今村安永、横山弥次右衛門元時は 宇和島伊達家 宗利へお預け、濱田一郎兵衛重次、志賀右衛門由清は家禄没収。

(処分は 上記4人のみ記載)

この4人の その後は 仙台市史通史編4には記載されていません。(正直 関心がありませんでした)
上司の指示の通り 実行して 処分を受ける。現代でも ありそうな事柄。



桃生郡和渕邑 所預かり 二番座召出 武田家の末裔の方から

濱田一郎兵衛重次 夫妻の墓が 和渕の武田家菩提寺耕コ院あった。

妻女が 武田家出身の縁で武田家お預けとなり 亡くなり 葬られたようだ。
小ぶりで 今にも崩れそうな墓石で 、二人の無念を思うと 哀れを感じた。


また、武田家の先祖は、武田信玄の父 信虎の十男 信次で、大坂冬の陣の頃から伊達政宗公に接触 信次の子 重次が仕え その子 貞信の時 忠宗公より 拝領した (この項 平成14年1月21日 河南町教育委員会掲示 武田家と輪淵山と耕コ院 による)。

信玄公を祀った祠が 武田家屋敷跡の裏山にあり お詣りをしました。

と、以上内容の情報を頂きました。

貴重な ご教示 誠にありがとうございます。



6 月 15 日 (木)  



小学6年生

旧南部領 二戸市立仁佐平(ニサタイ)小学校 6年生・引率者共 11日が 9時50分着ループルバスで 昨年に引き続き参拝に見えました。

歴史上有名な文屋綿麻呂の奥州侵攻のおり、酋長「伊加古」が最後まで戦ったという古い歴史の地である「」と地元の歴史教育の熱心な学校で、事前学習が徹底して 来訪されますので 小学生と侮られません。

小学生にも強いSさんが 今年も対応します。その感想が 楽しみです。


涌谷藩志会

この24日10時から 涌谷公民館で 設立総会があります。
5月22日 80人が集まり発起人会が開かれました。 

涌谷町のS様から 趣意書を頂きました。

目的は、
涌谷伊達家4代伊達安芸宗重の350回忌が2020年である。
以後、400回忌にも対応した旧家臣での組織をつくろ。

涌谷伊達家の23000石、 遠田郡58ケ邑中31ケ邑に及び 家臣1200名。
士の末裔でなくとも 志を共にする者 も参加出来るように 士会 でなく 志会 とする。


地域限定の会の様です。
仙台在住の志者の加入について 涌谷町のS様 首を傾げて居ました。


仙台藩志会との連携を 仙台藩志会幹部に確かめましたが、 現時点では 連携の動きはないそうです。



6 月 14 日 (水)  



口を出せば 手も出さないと

仙台藩志会は 伊達家家臣の末裔でない志会員であっても 発言は出来ます。
発言には 責任を伴います。で、政宗公生誕450年記念事業準備で 終日 事務所に。


理解不能

5月24日政宗公遠忌法要の際、ガイドの会会員で記念写真を撮影しました。
「写っている人は 受取日を記載 受け取ってください。」と記載した封筒を 詰所卓に 置きました。

昨日回収しました。受取日記載15人中12人 写真が9枚残っていました。
12人中 半分の6人が 受取のサインをしながら 現物受取は 拒否されました。
その意味合いが 理解出来ずにいます。



6 月 13 日 (火)  



大学生に

甚だ僭越ながら 今年も 東北学院大学文学部歴史学科 菊池恵子教授ゼミの大学生16人に 経ケ峯 を案内説明しました。

2014年の時代考証学会で菊池教授の謦咳に接し 以来毎年この時期に 案内説明をさせて頂いております。

あかとんぼ にとっては 
歴史学科の大学生は 素養豊である筈で 緊張します。
1年間のガイドで あかとんぼ自身が どれだけ 知識の蓄積が出来たか 目減りしていないか 決算の意味合いもあります。

伝えたいこと多々あります。口下手で 限られた時間 語りつくせません。

先生から学生は 寛文4(1664)年 仙台城下絵図を配布されており、事前学習していますが、
経ケ峯の地形・由来等の歴史、瑞鳳殿始め経ケ峯にある伊達家廟所・墓碑・石碑等の由来・計数を 10頁に集約したものを
お土産代わりに配布しました。役に立つ資料と自負しております。


午後に授業がある学生がおり 時間の延長が出来なく限られた時刻内に 全てを語ろうとした為か 学生から質問なく終わりました。

余話
主力が女学生です。何故か 遠巻に立っています。
「前に詰めてください。 80の爺様です 人畜無害です」に 先生 笑っていました。が、学生の反応は???



テレビ局幹部

瑞鳳殿以降を追随して来た方、学生が散会後
「瑞鳳殿に比較し 感仙殿地区は 短時間(粗雑)でないか」と 問われました。
「ハイ 限られた時間内に 経ケ峯全体を説明する為 瑞鳳殿に主力を置いた時間配分で 短い時間でした」
「何時間あれば よろしいですか?」
「2時間 頂ければ ご満足頂けると思います」

「ガイドさんの HPあかとんぼ日誌、時代考証学会報告書 読んでいます。今日で 2回目です。有識者を誘い 再来します」

驚きビックリ山椒の木 です。
名刺を頂きました。仙台随一のテレビ局の幹部でした。


欧米系のお客様

欧米系の親娘3人 ループルバス前に登って来ました。朝の挨拶を交換しました。
出来ると判断されたか ガイドを依頼されました。マイッタ 「Japanese Only」

その後 続々 14・5人 欧米系の若い人 来訪されました。ガイド出来ないは残念です。


政宗歴史塾

政宗公は永禄10年8月3日庚辰刻 (1567年9月5日午前8時)に生れました。
生誕450年記念の年です。

公益財団法人瑞鳳殿 毎年恒例の まさむね塾 改め 政宗歴史塾とし

日時  8月3日13時30分から
会場  江陽グランドホテル 4階 銀河の間
演題  伊達政宗公の「食」と「もてなし」
講師  伊達家十八代当主 伊達泰宗様
     東北民俗の会会長 佐藤敏悦氏

詳細は 公益財団法人瑞鳳殿のHPを ご覧ください。

担当の加藤学芸員と ガイドの会会員の参加等を打合せを 昼 行いました。
ガイドの会会員には 別途 往復はがきで連絡いたします。



6 月 12 日 (月)  



休息日 です。

 9日 ガイドの会学習会の調査で 伊達領北端を訪れました。7時に出家 20時帰宅
10日 通常のガイド とJTBプライベイトプランガイド 仙台藩志会450年記念事業準備で。 8時30分出家 18時帰宅 
11日 置賜郡長井荘を訪れました。7時に出家 20時帰宅

些か 疲れました。


「伊達」かっこいい意味なのは?

新聞休刊日 昨日の新聞 (こども新聞 週刊かほピヨンプレス) を読んでいます。1面トップ

「伊達」かっこいい意味なのは?・・・政宗の派手さが結びつく 

朝鮮出兵出陣式のとき政宗の軍勢はきらびやかな戦装束で行進しました。斬新で見事な行列の様子に京の人たちが歓声をあげた。
そのかっこよさから伊達の言葉が生まれたのか?

菅野先生の答えは、

「そうではないようです。
政宗がローマ教皇に宛てた書状でローマ字で「IDATE MASAMUNE」と署名があります。
政宗のころ「伊達」は「いだて」と読まれることが多かった。

「だて」の読み方が一般的になったのは、政宗の死後のことと思われます。

当時 わざと人目を引く格好をすることを「立て」といいました。
伊達の読み方が「だて」に変わっていく中で京の語りくさになっていた派手な政宗の行動に、結びつけられていったのでしょう」


江戸時代後期、瑞鳳殿は拝観料を取っていました。
も 語られています。


この新聞を読んだ小学生が参拝に見えて 質問をしてくれる また、ガイドさんの解説 それでいいの と言われる。
そんな機会あるか たのしみです。



6 月 11 日 (日)  



瑞鳳殿ガイドは休みました。


長井市市史編さん歴史講座に 参加しました。

講師・演題は

@ 仙台市博物館 菅野正道主幹     戦国期における片倉氏研究の現状 片倉小十郎景綱を中心に
A 長井市市史編さん 高井耕次専門員 古文書から見える戦国期の長井 旧家に伝わる由緒書を中心に

講演内容は 記載しません。


0.長井市市史は全6巻 来春刊行で 菅野先生も執筆者の1人。
0.100人程参加 仙台からは 我々2人だけ? 顔見知りの顔が居ませんでした。
0.片倉小十郎景綱の木像が 石巻市耕コ寺に。なぜ石巻か? 片倉家の領地があった故。
0.先生推薦図書
 @ 天正期伊達領国における片倉景綱宗の立場
 A 時代考証学会(伊達政宗と時代劇メデイア)
 B 白石市文化財調査報告書(片倉小十郎景綱関係文書)


講演会 前 Uさんの案内で
@ 北の関ヶ原の戦い 長谷堂城址 直江兼続本陣跡
A 北の関ヶ原の戦い 畑谷城址
外を見学しました。

何れ城址も 草刈りをし、説明版が立てれ 駐車場 トイレ パンフレットが用意されていました。
如何せん 山です。Uさんが 杖を用意してくれ 助かりました。

畑谷城址は ガイドが待機しており 熱心に語ってくれました。黙って聞いていると日が暮れたでしょう。

8時から19時迄 運転・案内して頂きました Uさんに感謝申し上げます。



6 月 10 日 (土)  



午前は通常のガイド

ハプニングは10時頃 突然 大雨に見舞われた事です。
拝殿で 足止めです。多くのお客様と小一時間 拝殿に留まりました。

14時 JTBプライベイトプランのお客様14人 名古屋からです。
昼食 仙台名物 牛タンに 麒麟らしく 元気の良い方 何人かいます。

名古屋は愛知県。話題に 味噌と焼物

味噌
仙台味噌・政宗公・朝鮮半島渡海 唯一 腐敗しない味噌・全国に知られる・・・・・語りました。
予想通り 岡崎八丁味噌・徳川家康 と返ってきました。

焼物
常滑焼 綱宗公甕棺・資料館で真物を前に 善応殿前で再度 説明しました。
始め 甕底の小判に目が眩んでいましたが 地元産品に認識を新たにした様子。


国史談話会
14時40分からの仙台市博物館主幹 菅野正道先生の講演 「伊達政宗の家督相続」のご案内を頂いておりました。
時間的に競合しましたので、欠席し、 菅野正道フアンクラブ広報部長FOさんに 資料をお願いしました。 

ガイドの会から 何人か 参加した様子。
  






6 月 6 日 (火)  




館山城

講座・東北の歴史 監修入間田宣夫 を図書館から借用

6月1日日誌に 米沢の歴史愛好会の機関紙(懐風)に「館山城を否定する論文が発表されています」と記載しました。

菅野正道先生から {自分の見解は 上記図書(講座・東北の歴史)に
「伊達政宗の転封と奥羽」と題する論文の「伊達氏時代の(米沢城)」の項目で述べています}
とご教示頂き 2012年12月に刊行された本書を借用しました。

7年も前から ハテナの警告?を 発していたのです。
なお この本 他の諸先生の論文 面白そうです。読了後 また。



瑞鳳殿に。 個人的な依頼が競合 先約順

9時前  第一駐車場に大型バス。
加齢による肺活量の減少で急げません。9時5分過ぎに 券売口に到達しました。
券売嬢 「ガイドいませんか?と 探していました」と教えてくれました。

どこかの有料ガイドの団体の担当者 未着なのか?  であれば契約違反では? 
我々 待機型無料ガイドを探していたのか? 9時開門です。その以前の待機・ガイドの態勢はとっていません。取れません。


朝一番のお客様
神奈川からの親娘。夜行バスで利用で、仙台駅前から歩い来ましたと。
「軽いもんです。政宗公にお詣りしてから 栗駒に向かいます。仙台城には行きません」

通常の観光客ではありません。窺い知れない目的を持ち 瑞鳳殿を参拝されたのでしょう。

埼玉から高齢者 
傘寿の祝いに 同級生4人で 昨晩 作並温泉に宿泊 仙山線で仙台駅に。
「バスは20分間隔だから 次のバスに間に合うようにガイドをしてくれ」

「お客様 20分でガイドをしなさい と言われれば します。
仙台市の公式案内は40分とあります、40分で参拝出来るのは ガイドの付かない中学生です。気力・体力にあふれた年代であれば。
傘寿では20分は 出来ません。」

「わかった 歩行はゆっくり ガイドは丁寧にしてくれ」

80歳 口は達者です。ガイドを聞く前 一席 自説を語ります。 
歩けません 5人中4人 杖を使いました。そぞろ歩きです。
感仙殿地区 も希望されましたのでガイドしました。資料館は入りません。でも結果は 4倍の80分。


忘れ物 落とし物

今日も 入場券を。 ループルバスの乗車券も拾いました。即、券売嬢に。落とした人 いつ気付くか。早く気付いてくれれば。

忘れ物 
帽子 
忘れた人 わかりますので メールしました。いつ気付いたか?近日 ガイドに来るそうです。それまで預かり。

フアイル ガイド必携の莫大な情報が入ったもの。
氏名が記されていません。内容から 見当を付け 連絡していますが 連絡つきません。早10日を経過、身辺に何事かあったのか?



6 月 5 日 (月)  



会議

瑞鳳殿ガイドの会定例役員会
1.5月実績検討
2.今後の活動計画の具体策 討議

市内18団体で 条件が最大限に厳しい中で、お客様と瑞鳳殿に喜ばれ かつ 自身の喜びとなるガイドとは?
仲間を増やすには、減らさないには 如何にあるべきか?

厳しい条件とは.
1.屋外での待機 不定期のお客様待ち
2.自己管理での363日(除く 大晦日・元旦) 稼働
3.アゴ・アシ・ケガ等全て 自己負担
4.無報酬 無料でのガイド

を踏まえて 建設的意見がありました。


情報

講演会
仙台市広報・仙台市博物館情報に記載の無い 至近の講演会

@ 国史談話会
  日時  6月10日(土) 東北大学川内北キャンパス マルチメディア教育棟
  講師・演題・時刻
  @ 東京女子大学 高橋修准教授 現代博物館の課題 13時30分
  A 仙台市博物館 菅野正道主幹 伊達政宗の家督相続  14時40分

  事前申し込み不要 参加費無料

A 長井市市史編さん歴史講座
  日時 6月11日(日)13時30分
  講師・演題
  仙台市博物館 菅野正道主幹 戦国期における片倉氏研究の現状 片倉小十郎景綱を中心に
  長井市市史編さん 高井耕次専門員 古文書から見える戦国期の長井 旧家に伝わる由緒書を中心に
  会場
  長井市九野本1235
  申込 0238-84-7677  6月5日13時現在 定員70人に申込56人

以上は 仙台市博物館学芸普及室長 菅野正道先生から頂きました。

資料
特に名を秘す 郷土史探求者A様から
@ 大年寺山公園歴史散策地図 改訂版。  
   A様が 所見を述べたら採用されたものです。
   旧版お持ちの方 比較対象を お勧めします。

A  伊達家始祖 朝宗に至る藤原家系図
   平泉藤原氏を攻めた 伊達朝宗も 同根 「魚名」に ?がる。

知っているようで 抜けている 情報です。A様の気遣いに 感謝申し上げます。 



6 月 4 日 (日)  



9時

沖縄駐在米国陸軍150人程 経ケ峯を訪れました。
毎年 王城寺原実弾演習場での訓練が終われば 参拝に見えています。

目的は 訓練慰労の観光でしょう。

善応殿前で法要の準備をお手伝いしていたら、横の山道を入って行きます。感仙殿地区をお詣りしないで通過してしまいます。
思わず「バック バック リータン」と叫びました。ゾロゾロと戻り 涅槃門から参拝に見えました。

挨拶を返します。好青年です。感仙殿を背景に撮影する若者に 陣羽織の「竹に雀」の家紋と 共にモデルになりました。
ガイド仲間のFさんが 英語で説明をしました。喜んでいました。

経ケ峯参拝記念の良い土産になったでしょう。
暫時経過後 防衛省責任者と称する方が見えました。

「一市民の思いですが 先達つかず 道を誤り 山中に迷っています。英文表示を見ろ人は見ますが 大方は一瞥です。もう一度 親切な案内があっても宜しいのでは」
「それは 受注したJTBの責任です。私共防衛省の関知することではありません」
「はい そうですか」


綱宗公307遠忌法要

善応殿で 10時から

読経 瑞鳳寺・善応寺 住職様 3僧侶

焼香
1.仙台伊達家十八代当主     伊達 泰宗 様
2.殉死者後裔会会長        加藤 隆   様
3.仙台藩志会副会長        伊達 宗尚 様
4.伊達家御廟大年寺会会長    阿部 和子 様
5.公益財団法人瑞鳳殿事務局長 相沢 清志 様

挨拶
1.仙台伊達家十八代当主     伊達 泰宗 様
2.仙台藩志会副会長        伊達 宗尚 様
3.公益財団法人瑞鳳殿事務局長 相沢 清志 様


記録
1.参列者用椅子全員分を瑞鳳殿事務局では用意をして下さいました。快挙、現局長の英断です。
 参列者が高齢化しており 法要時間一杯起立の困難な方います。来年から参列者 増えるかも?

2.津軽から和装の親娘が法要参加の為見えました。
 着席を当初 伊達家に直接に縁が無いからと固辞していました。政宗公遠忌法要に参加を計画したが諸般都合で出来なかったそうです。
 伊達家は 素晴らしい の感想であったとそうです。
 出来れば 政宗公遠忌法要に参加頂ければ 「素晴らしい」の上の評価があったでしょう。

3.瑞鳳殿ガイドの会から10人参列しました。

4.学芸員ガイドツアーが11時から開催されました。今回は ガイドの聴講は断られました。


法要後 相模川崎からの81歳元石匠と娘夫婦をガイド。
石についての質問が連続。嬉しいお客様です。
ひと休み後 感仙殿の石灯篭 修理した石匠の心意気を見てください お願いしました。
「ガイドの言わんとする事 わかった」 。


午後 仙台市博物館に移動

しろ・まち講座

.1.伊達政宗ってどんなひと?その生涯と足跡    学芸企画室 佐々木徹 先生
 外交・情報戦術に長けた奥羽を代表する武将
 現在の仙台・宮城の基礎を作ったワンマン経営者
 武芸・文芸・西洋文化にも関心が高く、生活面にも拘りをみせた子煩悩な父

2.伊達政宗文書 数量・多様な花押・印章・自署  学芸企画室 明石治郎 先生
 伊達政宗文書とは
 文書の総数は不明 萬単位?
 特徴を多様に分析し 紹介  新鮮であった。



6 月 3 日 (土)  





昨年の今朝 瑞鳳殿下の崖に 1mの小熊が出ました。
幼稚園の庭でもあり 一時騒然としました。
仙台市公園課は経ケ峯全山に「熊目撃」のA4大の警告を張りました。今でも ヨレヨレになり張られています。
お客様に聞かれます「熊でるのか?」
「あの警告は1ケ年前のモノです。熊の活動期はこれからです。ここの地形は熊が出て当然の地形です。ですから仙台市は 1年前の警告を継続しているのでしょう」と回答しております。

今年も 熊 でるか?


南部に、下野に、広大な東京からのお客様。

内心 難儀したのは 南部からの5人のご婦人。
始めて新幹線に乗って仙台に来た。
歴史も美術も興味無い。郷土の歴史も知らない。
昼の会合までの 時間潰しです。
話題を変えガイドをするも、半径1.5m圏外に立っている。

熱心なお客様 います。
本殿・政宗公御木像の写真を撮影させてくれと申すお客様います。
乱反射しないか 角度を変え 撮影して頂きます。
どの様に 整理されているのでしょうか?


午後 仙台藩志会会議
政宗公生誕450年記念事業の具体的作業工程の確認。
各界で 現役で活躍されています方々です。
豊富な知識と 熱烈な実行意欲に圧倒されました。



6 月 2 日 (金)  



雷鳴を伴う大雨
瑞鳳殿ガイドの会会員研修で、伊達家領北端を訪れるを立案、本日現地調査の予定でした。
ワンポイント情報で天気予報を確認した副会長Kさんの提案で延期しました。正解でした。


黒沼は いずこに?

満海上人は、政宗公に生れ変った高僧です。
高僧が修行した 黒沼 棲む魚も片目であった 不思議な黒沼。

その所在は どこか?瑞鳳殿最後の廟守り石田常夫翁に訊ねましたが確証が得られません。

仙台藩志会会報(きずな) 9月5日発行政宗公生誕450年記念号に掲載枠を頂きました。再調査開始。


「伊達治家記録を探れ」のアドバイスを頂き、宮城県立図書館に5月31日。

性山公治家記録巻之一 永禄10年8月3日嗣子誕生の項に「黒沼は今の瑞鳳殿より5・6町西に在り」と記載されていました。
果たして 西に5・6町は地形的に妥当か?

昨6月1日 仙台市図書館に地図の閲覧を願いました。

大日本帝国陸地測量部 明治27年(1894)と明治38年(1905) 測量の20000分の1 地形図の閲覧と複写が許されました。

瑞鳳殿から半径5・6町(6・700m)内には 池沼の表示がありません。

只、東南約1kmの山中に 池沼の表示がありました。これか。


引き続き 仙台法務局に 地引図(土地台帳付属図面)の閲覧を願いました。

受付嬢は 地引図(土地台帳付属図面)の知識が欠如しているらしく「ハー」と返して寄こしました。(予測の範囲内)
後詰の方「はい分かりました。所で 現在の地名・地番は? それで整理・保管されています。それを知らせて頂かないと検索出来ません」」

誠に ごもっとです。そのとおりです。
所在確認の為の地引図閲覧です。現地名・地番はわかりません。引き下がれません。
局備付地図から推測される地点の地名・地番で申請しました。

待つこと暫し、書庫から探し出してくれました。図面閲覧室で広げました。わかりません 確認出来ませんでした。
元々山林で 根岸村村絵図も 山と川のみの表現でした。地引図 果たして作られたかも疑問です。

後詰嬢 「定めです 閲覧料 印紙で納めてください」 「はい」 450円でした。
あかとんぼの様な 通常業務外の用務者 ママ居るのか?


郷土史家 故 三原良吉先生は (辰の口開口部右岸崖上にある小盆地の黒沼、地名は現存し、沼は大正始めまで残っていた」と 仙台市文化財調査報告書に記しています。
調べは続けます。お分かりの方 ご教示お願い致します。




6 月 1 日 (木)  





宮床伊達家 田手岡館(所)

2015年5月跡地2haが 伊達家から地元大和町に寄付されました。
地元 七ツ森観光協会と宮床振興開発協議会が町の許可を受け、宮床生産森林組合に下刈依頼を17年3月迄実施をした。
この際、田手岡館(所)の町有林.0.6haを伐採し売却をした。

町有林伐採の許可を得ず実施し、その収支を明確にしなかったらしい。
町議会で問題視されていると 本日の河北新報は 比較的大きく報じています。

あかとんぼの感想として、田手岡館(所)跡は 数年前は未整備で 藪漕ぎの状態で ゴム長(ロング)を履かないと入れませんでした。
この機会に 完全草刈り、道を開き 案内板を整備して頂きたい。

2014年10月23日瑞鳳殿ガイドの会の研修で 宮床伊達家御廟を訪れた際 断念しています。


米澤 館山城

米沢市教育委員会は7年間発掘調査を実施 国指定史跡になりました。
地元では、館山城保存会を結成 調査・研究を続けて2017年2月に「伊達政宗公生誕450年記念 館山城ハンドブック 70頁」を刊行しています。

現地に 「伊達政宗公生誕地」の標柱があります。
永禄10年8月3日庚辰刻(1567年9月5日午前8時)に出生されたのは、どこか?
今一つ 米沢城址にも「伊達政宗公生誕地」の標柱があります。
 
仙台藩志会では、6月17日「米沢館山城の歴史と発掘の成果」と題して講演会を開催します。

館山城を否定する論文が発表されています。
米沢御堀端史跡保存会 2017年4月刊行 機関紙(懐風 42号)に  (中世{館山城}の変遷)と題して伊藤正俊氏が論述しています。

〇館山城跡は 幻  
〇館山平城、北館、南館、東館の名称はねつ造 市教育委員会は認めている。
〇鍋・井戸が発見されたは 庶民の住居生活跡
等です。

米沢市内での 今後の論議が楽しみです。






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