2017年7月の日誌
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7 月 25 日 (火)  



経ケ峯の四季

公益財団法人瑞鳳殿 瑞鳳殿だより 13号 が刊行されました。

内容を紹介します。

1頁 新緑に埋もれる感仙殿 (忠宗公御霊屋)
2頁 独眼竜政宗の愛用品(5) ご当主 伊達泰宗様著。鄙の華人(政宗公和歌)
3頁 政宗公誕生秘話 生誕450年記念企画紹介 瑞鳳殿の動植物
4頁 催事情報ほか


生誕450年記念企画紹介の詳細

1.講演会
日時 8月3日13時30分〜
会場 江陽グランド 
講師 伊達家18代当主伊達泰宗様
    東北民俗の会会長 佐藤敏悦氏
参加 定員に達し締切ました。

 (瑞鳳殿ガイドの会会員は 会場整理をお願いすることがあります)

2.瑞鳳殿本殿開扉
 8月31日迄9時〜16時半迄

 (御木像の制作経緯、目等  パンフレットに記載ない事柄を 瑞鳳殿ガイドの会の仲間がガイドをします。聴いて下さい)

3.御集印限定配布
 揮毫 伊達家18代当主伊達泰宗様

 (政宗公辞世の歌 曇りなき心の月を先だてて 浮世の闇を照らしてぞ行く をイメージさせる表装紙に納められています)



7 月 24 日 (月)  



終日 雨 断続的に大雨

秋田県内 大雨による大洪水。
佐竹家(北家系)当主で 現職秋田県知事が 対策会議を招集していながら 被災に巻き込まれ 会議に間に合わなかった。
陳謝会見を開いていたが、 被災地視察より 被災中を体験された事 今後の課題解消に有効であったのでは?

徳川幕府崩壊後 150年ののに 昔なら殿様 今 知事。
殿様のDNAは 指導者としての 因子を 今も お持ちなのか?



仙台藩志会の会合で
「あなたは 志会員 伊達家中 伊達家家臣の末裔で無い事は 特と承知です。
所で 何れの 御家中の末裔ですか?」と 問われました。

「〇〇家の家臣です。住まいも菩提寺も 御城下〇〇にありました。祭祀継承者ではありません。
所で ご貴殿は 何れの 御家中の末裔ですか? 私同様 伊達家家臣の末裔で無いようですが」

「良くぞ聞いてくれた。徳川幕府 幕臣 旗本八万騎で、  大奥 〇〇院様の 用人を 努めた家柄 遡れば 武田信玄にも仕えた家柄」

「徳川幕府崩壊後 中・下の幕臣の拝領屋敷は 召し上げにならず 下げ渡されたのではなかったですか?
@駿府に 同行された方。Aそのまま居住 武士の商法 に入った方 また B明治政府に仕官した方 と大きく 3区分されると聞いていますが?」

「良くぞ聞いてくれた。家屋敷を売却し ある方に同行し 仙臺に来ました。今では 幕臣と伊達家臣の血が流れています」


2015年4月 徳川家康公顕彰400年を記念して 「徳川家臣団 子孫たちの証言」と題する図書が静岡新聞社から刊行されました。
旧武田家臣 旗本 ・・・ 4人も 証言されています。

会話をした〇〇様も 証言されば 良かったのに。



7 月 23 日 (日)  



傘をさしてのガイドです。



先日  

「神州から来た 知らないのか?」
「何で ここに菊紋があるのか」
「皇室から 神社に入った時 名前は どう変わるか知っとるか」

70余年前 日本は 帝国で 神国日本でした。国民学校で その様に教えられました。
その呪縛がとけないのか?化石と化したのか?

「伊達家の家紋は 八家紋あり この菊紋は 豊臣秀吉から拝領したものです」 を ご理解して頂けず、
「その時の 政治・社会情勢と 豊臣秀吉の心情を 説明しなさい」

と云い、涅槃門の彫刻を見ない・聞かない 政宗公の偉業も 聞こうともしない 高齢の御婦人が居ました。

江戸時代の剣道の道場破りの心境  ボランティアガイド潰しが目的で 瑞鳳殿に来たのでは?

本日は その接遇の在り方 反省の上のガイドです。
ご高齢の御婦人の参拝は 本日 皆無でした。


群馬県高崎市からの壮年女性二人連れ
五色乱星のユニホームに 興味を示されました。


神奈川県平塚市からの壮年女性三人連れ
登って来ての第一声 「疲れたー」 ベンチに休みたい様子。濡れています。

券売口に「乾いた雑巾 1枚貸してください」 市'販の未使用の厚手の雑巾を出して下さいました。
拭いたら 雑巾 真っ黒に、「乾きました どうぞ」に 

涅槃門の25cm高階段を 目にした途端 1人 「売店で休んでいます」

拝殿・本殿とガイドをしたら 神奈川県平塚市の七夕飾りを語り 仙台七夕の特色を問われました。
本殿では 日光東照宮を参拝しており その様子を 語りました。

本殿 政宗公尊顔拝謁して頂きました。
参拝を楽しんでいる様子です。それはそれで結構です。
体調不良を訴えた方 心配です。「どうしたでしょう」 

売店の椅子3脚に長々と 横たわっています。体調不良 深刻なら 事務に連絡 救急車の手配が必要です。
「大丈夫ですか?」 「ウン 二日酔い」 又 目を瞑りました。 吐瀉の心配も無い様なので そのまま。

椅子3脚に長々と横たわる位の体調不良でも 友人を瑞鳳殿に案内された 御婦人の ご厚意に 感謝します。


壮年男性5人 
全国バラバラだそうです。

拝殿広場の 銅打ち出した大香炉で 伊達家八紋を説明 「寄贈したのは 仙台で最老舗の銅器職人が寄贈したものです」
すかさず 「タゼン」と。 宮城県内の方で無いそうです。で、なぜ タゼンと即答できるのか?

大香炉の 先代社長寄贈のサインを見て頂きました。

建築業かなと推察 本殿の躯体は 「現代技術です」に 驚いていました。


今日も お客様に恵まれました。
雨です。11時30分 K副会長と ホウレンソウのつもりでしたが濡れましたので お終い。


売店奥 トイレ工事完了しました。綺麗です。お客様に 勧められます。
仲間の Mさん も 同意見でした。

七夕飾り の 竹の切込み作業が 始まりました。 




7 月 22 日 (土)  



ガイドは休みました。

午後から 仙台藩志会主催 公開講座 伊達学 の準備の為です。

演題  政宗公の家臣 二人の叔父 葛西政景・國分盛重
講師  仙台市博物館  菅野正道 主幹・学芸普及室長

内容  詳細は 復元しません。

4ページの資料ですが 情報量が莫大です。



7 月 21 日 (金)  



猛暑

仙台市での公式記録 31.6℃を記録しました。

瑞鳳殿の政宗公もさぞかし 暑いでしょう。
政宗公生誕450年記念を記念し 瑞鳳殿本殿が 本日から開戸されました。

クーラーも除湿機も なく 御木像は 密かに 汗を流していたでしょう。
公益財団法人瑞鳳殿副理事長の御英断で 開戸されました。

予定では 8月31日までの長期間です。
湿気を嫌うと言われていました。雨続き 高湿気の天候になれば 当然・・・

お天気の良い日に 是非 参拝に お出で頂き 御尊顔拝謁を お勧め致します。



御茶

政宗公は、領内に 植林を奨励した事は 知らない人いないでしょう。
御茶の栽培・製茶も 奨励をしていました。

城下では北山の東昌寺の茶畑は 政宗公が山城宇治から實を取り寄せ飢えたもので仙臺に於ける茶畑の始めとし、幕末迄 年々30袋を藩主に献上するを例としていました。茶名「青海波」と刻んだ印が残っている。

と 仙臺市史7(1953年刊) の「東昌寺」 項に記載されています。

あかとんぼ は、
茶名「青海波」と刻んだ印は拝見しておりません。
境内の何処に 茶畑が所在したかは 未調査です。只 山門脇に 数本の茶の木を見ております。


この程 桃生町産の (ひやくちゃ 銘茶 桃生茶) 新茶 を 召出二番座 所預かり の末裔A様の方から 暑中見舞にと頂きました。
伊達家領内で 御茶の生産北限の地で 政宗公の奨励策で 生産が始まり 現在に至り 販売されておりました。

WEBで見るに 東京の粋人が高く評価していました。
朝晩 御茶を飲んでいましたが 知りませんでした。不覚でした。勉強になりました。A様に 感謝申し上げます。

 



7 月 17 日 (月)  



伊達政宗生誕450年記念仙台市史講座第51回


伊達政宗の国づくりに学ぶ

演題1. 仙臺藩と家臣団   仙台市博物館 菅原美咲 学芸員
演題2 伊達政宗と百姓・村 東北大学大学院文学研究科 籠橋俊光 准教授

講演内容は再掲致しません。
新進気鋭の学者の研究発表は、着目・視点が新鮮で 巷の隠居には 効く目薬です。

居眠りをしないで バッチリ拝聴しました。
内容からして、各先生 持ち時間が 不足であったにでは?


会場が 収容容量・空調能力があり、 且 交通至便の地の仙台商工会議所大会議室で 最高でした。

ガイド仲間 5人は 参加していました。


本日講師の東北大学大学院文学研究科 籠橋俊光 准教授には、10月14日14時から 仙台戦災復興記念館で 「伊達様の贈り物」の演題で 仙台藩志会主催で講演を頂きます。

会場で 「全く同じ内容か」と 問われた方いますが 重複する箇所あるかもしれませんが 「全く同じ内容」ではありません。
その点は 先生は 充分 ご理解されています。ご安心ください。



7 月 16 日 (日)  



昨日より格段に凌ぎ易い気温です。

80代で 社会の指導者として活躍している風の御婦人。
「タクシー 山門前で下車 石段を登った」らと ベンチにドタン。あかとんぼの横にです。
フーフーと云いながら 電話発信です。 汗香に誘われ蚊が寄って来ました。御婦人の足首に止まりました。

さて どうしましょうか?自己責任で対応すべき所ですが 電話と手帳で 両手が塞がっています。
指を指し 叩く動作をしましたら頷きました。バシン 蚊は短い命を終えました。

最近の風潮は 良かれ 人助け と行った行為であっても 自意識過剰の人は セクハラと騒ぎます。
さて 結果は どうでしたでしょう? 「どうもありがとう」


ユネスコの全国大会に参加の 三重県からのお客様です。
(ユネスコ全国大会終了後 16時頃 団体参拝の予定と聞いています。ユネスコの役員で仙台藩志会会員が案内するのでしょう。ガイド依頼は入って居ません)

皇室の菊紋 同じものが 伊勢神宮の外 千葉県香取神社でも 使用が許されていますと 引き返し 教えて下さいました。



15年振りのお客様
お母様が娘さんに「ここの紅葉は素晴らしい あの位置」と語っています。
無い、見えないモノを 小学生に創造させることは 難しいです。紅葉3色の手持写真をお見せしました。
納得・理解した様です。

「仙台の方ですか?」に 娘さん 「15年前です」
お母さん 青春時代を 子供に 語るに 見えたようです。


茨城・埼玉 とお客様が連続しました。


職員駐車場の東側 通行禁止、途中のマンションの端に工事中の標識が 先日 立てられました。
マンションの新築工事と思っていました。

昨日「現場確認しましたか? 明日は工事が休みで 現場に入れます。確認して下さい。瑞鳳殿普請奉行奥山大学の指示が おのずとわかります」と 探究心旺盛な Oさんから電話がありました。

ガイド後 現場に急行しました。

巨木以外の立木竹が切られ  更に 30-50m高の90度位の垂直断崖です。その下部に板塀が回されていました。
鹿落坂の道路から 見えません 瑞鳳殿の裏側からも見えません ブラックホールの感じ。

瑞鳳殿普請奉行奥山大学は (政宗公の指示した箇所より 4間(約7m)程  内側に移動した)の 伝えを 納得しました。

マンションの端に工事中の標識 には 次の通り記載されていました。

ご迷惑をおかけします
公園内の法面を工事しています 
平成29年9月29日まで 時間帯8:00-17:00 
経ケ峯公園法面 
発注者  宮城県仙台市
監督  仙台市青葉区建設部公園課

大雨の前 工事が完了し 瑞鳳殿が安泰になるこを祈願し 現場確認を終わりました。



7 月 15 日 (土)  



三連休初日

9時到着したら 全山に「角田の石川氏は伊達家家臣 家格御一門の筆頭2万石で・・・・」の説明が朗々と響いていました。
Oさんです。声が大きく・響きます。勉強して居ます故、内容も豊富です。
本日 JTB当番の筈 大丈夫かな心配しましたが 待機10分前 80分語り降りて来ました。


あかとんぼ は 富山県からの姉妹。
「伊達家とのご縁は なにかな?」で始まりました。

涅槃門の彫刻 表裏の違い その優れた技術・技能を見て頂きました。

「井波の名工の作です」
「井波は 富山県です。我家の欄間も井波です。これで伊達家とのご縁が繋がりましたネ」 とお客様から

政宗公の隻眼が話題になり 主要な像・画を見たいとの事。
仙台市博物館をお勧めと 語りかけてストップ。  高野山の特別展で果たして駐車出来るか、第2駐車場か?

「仙台市博物館は 昨日行きました。駐車出来ました」
「ヘー」
「16時近くで 常設展を見ました。此処瑞鳳殿からの発掘された副葬品も観ました」

日本遺産指定の英文パンフお持ちでしたので、瑞巌寺と宝物館の見学を お勧めしました。


ひと息ついたら 「石巻から来ました 5年生の孫 二人に 分かるようにガイドをしてほしい」3世代4人です。
母親から「私の親は 伊達家家臣の末裔です」 と なると 5年生も伊達家家臣の末裔です。

案内板から丁寧のガイドをして 涅槃門の彫刻の説明で 時計を見ましたら 11時です。

11時から 瑞鳳殿ガイドの会の副会長2人と相談の約束をしていました。
本殿 政宗公御木造の写真を見て頂き 、了解頂き ガイドを終わりました。

副会長2人には お待ち頂きました時分を差し引き如く 即刻  相談事の回答を頂きました。
若い事はいい事です。回転と決断が 早いです。


今朝の河北新報は 所謂4面に大きく {仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会制作 「伊達な旅」 公開10日間で 再生が115万回を超えた} と報じています。
併せて 仙台市議会議員有志が「品位を欠く」故 配信中止を仙台市長に申し入れした と報じています。

帰宅後 見ました。微笑ましい内容です。政宗公を人間として捉えて 描いています。
政宗公の名誉を傷付けるとは 思いませんでした。

見てください。「涼・宮城の夏」です。感想を聞かせてください。


公財 仙台観光国際協会 様 FaceBookに投稿しました。
瑞鳳殿に 協会のマスコットキャラクターが 訪れた様子。
お客様に ガイド仲間3人 大きく 美麗に 撮れ 公開されています。

本人は 公開されたの知らず 見る方法 どうしたら? と云われました。
観れる方 見て 感想を 私まで 送って下さい。 





7 月 13 日 (木)  



政宗公生誕の地

政宗公は永禄10年8月3日康辰刻 出羽國置賜郡長井荘米澤城で生誕しました。

米澤城について、ウイキペテイアは次の通り記載しています。

米沢城が最初に築かれたのは、鎌倉時代中期の暦仁元年(1238年)と伝えられる。鎌倉幕府の重臣・大江広元の次男・長井時広が出羽国置賜郡長井郷の地頭として赴任した際に築城されたと推定されているが、これを実証する史料や遺構は確認されていない[1]。時広は赴任地の地名から長井姓を名乗った。以後、長井氏の支配が150年近く続いた。

8代広房は室町時代初期(天授6年(1380年)、応永9年(1403年)、応永20年(1413年)などの説がある。)に、伊達宗遠に侵略されこの地を追われた。以後、安土桃山時代までここは伊達氏の支配下に入った。天文17年(1548年)伊達稙宗・晴宗父子の対立である天文の乱を経て、晴宗は本拠地を桑折西山城より米沢城に移した。米沢に城下町が成立したのは伊達時代と考えられる[1]。

天正17年(1589年)政宗は蘆名義広を破り、蘆名氏を滅亡させると黒川城に本拠を移し、晴宗の弟にあたる宗澄ついで宗清を城代に据えた。しかし、豊臣秀吉はこの会津攻略を認めず政宗から召し上げたため、翌年には本拠を米沢に戻すことになる。天正19年(1591年)政宗は豊臣秀吉の命により岩出山城に移った。
置賜郡は伊達氏代わって会津に封ぜられた蒲生氏郷の支配するところとなり、重臣・蒲生郷安が米沢城主となった[2]。郷安はこの時、城の改修を行っている。


これについて、館山が晴宗・輝宗・政宗の伊達家支配時代の本拠地であるとする説があります。

昨7月12日河北新報は、「米沢三澤地区に山形県内で最大級の山城の遺構が発見された。館山城の防衛線であった?」と報じています。

現地を訪れると 「伊達政宗公生誕の地」の木製標識が建っています。
米沢市内に生誕の地が2ケ所あります。果たして 何れが 真実でしょうか?


もし 館山城が 政宗公生誕の地であるとすれば、伊達家家臣団の軍備・生活の本拠地であります。
天文17年(1548年)晴宗は本拠地を桑折西山城より米沢城に移した際、屋敷割・造営が行われた記録がある筈です。
そこに、館山についての記述があるかです。


古文書 読めません。
仙台市博物館・東北大学の古文書読解講座にお招き頂き参加しました。が、落伍しました。

昨日 一関田村家当主田村護顕様の御親族様をご案内した際、古文書が話題になり 
読めない文字の形から 考えるのではなく 前後の文字・意味を考えると 読めますと ご教示頂きました。

前後も読めない輩には お手上げです。

米澤城・館山城については 古文書読める方の 解読結果をお持ちします。



7 月 12 日 (水)  



伊達忠宗公360遠忌法要

10時から忠宗公御霊屋「感仙殿」で催されました。

法要は、正宗山瑞鳳寺住職の読経に始り

焼香は、
1.仙台伊達家18代当主 伊達泰宗 様
2 一関 田村家当主 田村 護顕 様 
3.殉死者後裔会代表 古内 重義 様
4.仙台藩志会副会長 佐藤 久一郎 様
5.一関藩志会会長 小山 眞 様
6.伊達家御廟大年寺会会長 阿部 和子 様 
7.公益財団法人瑞鳳殿副理事長 相澤 清志 様

挨拶は、
.1.仙台伊達家18代当主 伊達 泰宗 様
2.仙台藩志会副会長 佐藤 久一郎 様
3.公益財団法人瑞鳳殿副理事長 相澤 清志 様

主な参列者
1.一関 田村家当主田村護顕様 御親族様
2..一関藩志会会長 小山眞様 御親族様
3.殉死者後裔会代表 古内重義様 会員
4.伊達家御廟大年寺会会長 阿部和子様 会員
5.仙台藩志会副会長 佐藤久一郎様 会員35人
6.瑞鳳殿ガイドの会 会員 11人
7.仙台市博物館三の丸会 会員 15人


仙台藩志会副会長 佐藤久一郎様 御挨拶 (全文)

仙台藩志会伊達宗行会長が出席できかねますので、代わって御挨拶申し上げます。

伊達忠宗公h慶長4(1699)年12月8日 政宗公と愛姫様との第2子として誕生、13歳で元服して将軍秀忠の一文字を頂き 忠宗公 と称されました。

寛永13(1636)年政宗公の御逝去により38歳で二代藩主に就かれ、政宗公からの政治方針を踏襲しながら仙台伊達藩藩政の基本的枠組の確立を図られました。

寛永15(1638)年仙臺城二の丸の造営に着手し、翌16年6月本丸から二の丸に移られました。

また、生母陽徳院(愛姫)の御遺言により田村家を再興し、三男宗良公に一関田村家の名跡を継がせておられます。

寺社の造営にも力を注がれ、瑞鳳殿を1637年、亀岡八幡宮1640年、愛宕神社・虚空蔵堂1650年、陽徳院1650年、東照宮を1654年創建され、現在の青葉祭の原型となりました仙台祭が始まっています。

万治元年(1658)7月12日60歳の生涯を終えられました。

仙台藩志会は、伊達家歴代公の顕彰事業と歴史を学ぶ事業を実施しております。
忠宗公の事績についても顕彰しいくことをお誓いして 御挨拶と致します。


仙台伊達家18代当主 伊達泰宗様と.公益財団法人瑞鳳殿副理事長 相澤清志様の御挨拶は 音声記録出来ませんでした。
ここに掲載できなかったことお詫び申し上げます。



引出物 法要参列記念の栞

浄土の鳥 迦陵頻伽(カリョウビンカ)
頭は人、体は鳥 鳥の持つ美しい姿や声を象徴化したもので、古代インドで誕生しました。
この目出度い鳥が 感仙殿 右 中央の琵琶板彫刻にありました。

これらを 栞で 丁寧に説明されています。
必用な方 瑞鳳殿にお問い合わせください。または、あかとんぼ にメールください。


本日のガイド活動は、僭越ながら
一関 田村家当主田村護顕様の御親族様に、妙運界廟で 9代周宗公のご生涯 11代斉義公は田村家出である等をガイドしたのみです。



7 月 10 日 (月)  



猛暑

1945年未明 仙台大空襲

死者 1399人 負傷者 1683人 被災世帯12000戸 焼失面積 5000ha

死者の割に 負傷者が少ないのは 何故か?
経ケ峯 國寶瑞鳳殿・國寶感仙殿・善応殿 と伊達家3代の廟所が焼失しました。

もし 焼失されなかった 國寶であったなら 現在のような ガイドは出来なかったでしょう。
その面で 不幸中の幸い でしょうか?



陸奥国分寺薬師堂ガイドボランテイア

陸奥国分寺跡は 1968年から地権者90人に用地買収を続け 49年目今夏 ガイダンス施設が完成し一応の公園化の目途 が着いた。
ガイダンス施設の内覧会を兼ねた ガイドの会の総会があり 参加しました。

ガイダンス施設とは、資料展示と休憩と理解してきました。

参加者は、仙台市博物館・北山寺院・仙台駅東口・仙台城本丸等のガイドの責任者もいます。
礎石のみの所でのガイドは 至難の業 と思います。

あかとんぼは、情報収集とガイド技術の向上を目的に 参加しました。
この会 生い立ちに起因するか、行政と民間団体との けじめ 双方理解していない面と見受けました。



7 月 9 日 (日)  



猛暑

炎天下 御城下を老人が歩いていました。首に手拭かけ、頭を垂れ 仏壇の溶けた燈明如くの格好で トボ トボと。

ある人曰 「あの歩き方は 運動にならない。背筋を伸ばして・・・・」
ある人曰 「あの人 行者です。一歩一歩 悟りを求めて いるのです・・・」


「仏教美術の最高峰 空海と高野山の至宝」展 鑑賞に 仙台市博物館に。
9時前 駐車場は 既に満車。「軽」故 辛うじて 入れた。

券売口 長蛇。前売券持参者列も 長蛇。
会場 モギリ も長蛇。音声解説器貸出口も長蛇。

漸う入場。音声解説器 教授された通り操作するも カッパの庇 音声が出ない。2台とも。
音声解説器貸出口に持参すると「ハイ交換します」 今度は音が出た。机上に交換された不良品が山積していた。事前にテストしないのかな?


10時河北新報社主催、仙台市博物館酒井昌一郎学芸員の解説。

「高野山を訪れても 拝観出来ない 諸佛ばかりです」は その通りでした。

紀州高野山は 816年5月 弘法大師が開創された「真言密教」の聖地です。
奥の院に至る2kmに 江戸時代の有力大名が供養墓を建立し、現在企業が設けた供養墓を含めると十万余と云われています。

パワーポイントで 伊達政宗公の供養墓が映し出されました。

寛永14(1637)年5月22日 一周忌法要の前に 政宗公と殉死者20人の供養墓を奉じました。それです。


あかとんぼ は 2008年4月9日午前5時に参拝しており 懐かしく見ました。

当時の記録

政宗公の墓所は、参道から約500m 更に 約15m奥まった箇所に 間口約5m 奥行 約10mに 石柱で囲まれた長方形で、正面に石造りの鳥居 入って 高さ約5mをコス巨大な五輪塔。その面前に約2mの石灯篭。
左右に約1.8mの石標8本と7本 真後ろに 約1.5mの石標5本。と7本。直臣と陪臣の身分差は歴然としています。

参道入口から50mの箇所に伊達家墓所がありました、下部に銘が刻まれていました。
藤原朝臣綱村と判読しました。

一周忌法要名代を務めた 伊達安房守(涌谷伊達家宗實(ムネザネ)の供養墓がある筈でしたが 発見出来ませんでした。



2016年4月23日 仙台藩志会伊達学塾では 「伊達政宗時代の曹洞宗寺院と高野山信仰 伊達家と寺社・信仰」と題して、仙台市博物館 佐々木徹学芸員の講演会を開催しています。

今一度 資料を読み返し 後期展を拝観します。



学芸普及室長菅野正道先生に面会

今月22日(土)14時30分開催 仙台藩志会公開講座 「政宗の家臣・政宗を支えた二人の叔父」の設営・準備の確認。


先月開催の 館山城について 感想を求められる。
先生の論文「伊達政宗の転封と奥羽」2012年12月刊を 読み講座に参加しましたが。

本日 先生は下記を 補言されました。

米沢市教育委員会は 結論ありきで走っている感じ。
米沢市の史界にも 異論がある。

「氾濫原に築城する事は無い」は 正しく無い。仙台北目城は 廣瀬川の氾濫原であある。
上杉家が 米沢に入って 直江堤防を完成させてから 築城はあり得ない。単年度工事ではない。

山形城は 東からの傾斜の末端にある。(確かに 山形五堰の1本が 堀の水源である)



7 月 8 日 (土)  



猛暑
なのに 何故か鼻風邪を引き・・・

9時早々 20人程の団体が 三々五々に62段を登って来ました。
ガイド嬢「ヨカッタ・・・・」のセリフ。

鹿児島県からのお客様との事。

「鹿児島県人七士の墓」の由来を語りました。

「1877年西南の役での国事犯が仙台に移送・収容された。厚遇し 白米を馳走した故 脚気になり、温泉湯治させたが 亡くなった人がいます。
赦免後 引取人の居ない遺骨を 藩祖伊達政宗公の墓所瑞鳳殿の香華院 瑞鳳寺の境内に埋葬し、今でも供養しています。
仙台の人々の 広い・温かい志 です」

「ガイドさん 教えて下さり有難う。帰り お詣りします」


添乗員 お客さんが参拝に上がった所で 背広を脱ぎ 汗を拭いています。
「東北は 低温と思ってきたが・・・ 
今回の北九州豪雨の地区では無いが 雨雲が停滞しているので 心配なので ここ瑞鳳殿をお詣りしたら 一目散 鹿児島に帰ります」

何事 被害の無い事 赤とんぼも祈ります。



気仙沼市からのお客様

お殿様は 鮎貝様 紋所は 九曜紋・・・サラサラと
1975年の再建時のご芳志 父親が 奮発した・・・ と語り ガイド全体が盛り上がりました。


午後の 政宗公生誕450年記念事業打合せの 仙台藩志会役員会に出席で 早目にガイドを終わりました。




7 月 6 日 (木)  



NHKTV

昨晩[Rの法則 武将萌える 伊達政宗」 名言をイケメンボイスで再現を見ました。

数日前 宇和島市伊達博物館前館長〇〇様  「カクシカジカの放送がある 仙台 伊達様も 出演されます」 と 丁寧にお知らせ下さいました。

お知らせが無ければ見逃しました。録画もしました。
伊達家作法 の項では 〇〇高等学校での 作法教室に御当主様も 出演されていました。

あかとんぼ の能力では NHKオデマンドで 検索出来ませんでした。 



7 月 4 日 (火)  



神田川

「政宗公が家康と囲碁に興じた際 江戸城をどう攻めるかが話題になり、この時、政宗公が本郷から攻めれば落とせると言ったのが発端で、政宗公が大工事を請け負い完成させた」 と 聞いていました。

家康ではなく、秀忠であり、工事責任者は 政宗公ではありませんでした。



秀忠は 
元和2(1616)年5月 旗本譜代 安部正之を奉行に命じ 幕府主導で施工。
寛永2(1625)年 松平昌綱を 堀普請奉行 安部正之を堤普請奉行に命じ  神田川改修・拡張工事を施工

万治3(1660)年 再度の拡張工事が施工され、初めて 伊達家が「助役」として参加。

神田川開削工事施工時には 政宗公は亡くなっています。
政宗公に対する江戸っ子の人気が高く、政宗公が神田川開削との伝説が広まった。

諸書に、政宗公が神田川開削工事を元和6(1620)とあるが、この年 江戸城二の丸普請に参加しており、神田川開削工事は無理。


この項は、(江戸始図でわかった「江戸城」の真実) 千田嘉博(奈良大学教授・城郭考古学) 森岡知範(歴史研究家) 著 宝島社新書刊によりました。


仙台市史年表によれば

元和2(1616)年 政宗公は家康を駿府に見舞っています。江戸城工事の記事はありません。
元和6(1620)年は、2月11日 政宗公 江戸城二の丸大手口升形・石垣普請を命じられる。4月20日着手、11月21日普請成。

寛永5(1628)年11月18日 政宗公 江戸城芝口日比谷升形・石垣普請を命じられる。翌年3月1日着手
寛永13(1636)年1月6日政宗公 江戸堀橋普請を命じられる。3月1日着手

寛永13(1636)年5月24日 政宗公逝去。江戸堀橋普請役 免除
万治元(1658)3月 忠宗公 小石川浚渫命じられる

万治3(1660)年5月19日綱宗公 小石川堀普請役を命じられる。(翌年3月迄) 8月25日綱宗公 隠居

と記載されています。
記憶の整理整頓 確実実行を感じました。



7 月 3 日 (月)  



定例役員会

定例報告事項

協議事項

@ 現地研修
 月日 10月5日
 標題 伊達家御一門を知る第5回
 行程案 
 
A 日本語以外のガイドの充実

各役員から活発な発言がありました。

@は 実行計画を精査する
Aは 公益財団法人瑞鳳殿に報告 協議をする



お詫び

島左近についての6月19日日誌を 下記の通り 改訂致しました。
あかとんぼの理解力低下によるものです。
情報提供者に お詫び申し上げます。


慶長5(1600)年関ケ原の戦いで 亡くなった 西軍主将石田三成の 副将と言われた 島左近。

討死せず 気仙郡濱田村に隠棲 甚兵衛と 名を改め 正保5年8月晦日86歳で亡くなりました。
浄土寺の過去帳から戒名が また 墓が発見されました。

「私は 島左近の子孫です」と名乗るから A4 2枚の資料を頂きました。

因みに 18代とすると 島左近の血は131.072分の1となります。



7 月 2 日 (日)  



夜来 豪雨で 本日 ガイドできるか?心配でした。
朝 快晴です。

ガイド仲間で 日の浅い Kさん 「今週は雨の予報です。繰り上げガイドです。所で 雨の日はガイドやすみですよネ」のお尋ね。

「私は ガイドをすると決めた日は 安全に瑞鳳殿に来れる時は来てガイドをしています。
カッパにゴム長の人もいます。私は原則 傘派です。
晴天の日に比べると ガイドは やり難く 期待効果は低下します。

遠方から 悪天候でも 参拝に見えた方々の期待に 応えたいと思っています」


10m先でバスガイド嬢が叫んでいます。
 
「アッ ボラガイドが居る  オネガイしますー。三重県紀宝町の方が15人です。バス50分発車です。40分迄 30分で洩れなくお願いします」
「お客様 ガイドを手配しました どうーぞ」

ガイド嬢 全山に 響く声で 要領よく ガイドにお客様を渡しら 一目散に62段を降りて行きました。
支払いを済ませた添乗員 トボトボついてきました。


三重県・・・頭に浮かぶのは @伊勢神宮 Aミキモト真珠 Bサミット です。

お客様曰く

「ガイドさん 私たちの町は 県南端部で人口1万人 マイヤーレモン 生産量 日本の90%です。
@伊勢神宮 Aミキモト真珠 Bサミット は よそさまです」


「涅槃門の菊紋の説明で 皇室 天皇家 以外太政官布告で使用が禁止されています」に、

「ガイドさん 伊勢神宮 皇室と同じ 16弁の複葉です・・・・」
「ハイ 伊勢神宮は 神宮で 神社だは ありません。

伊勢神宮には、太陽を神格化した皇室の氏神である天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、年頭 内閣総理大臣・農林水産大臣が年始に参拝することが慣例であります。

皇室の菊紋を用いています。

神社の例外として 私が認識しているのは 靖国神社 です」


「拝殿扁額 現在の色材は 珊瑚と真珠です。ミキモトパールかな?」に ニンマリ。

今回の旅行の最終観光地が 瑞鳳殿 で 即 中部空港だそうです。お土産は 仙台空港でしょうか?



唐獅子牡丹と任侠の世界


涅槃門での 外妻の彫刻 唐獅子牡丹の説明

「唐獅子 は お釈迦様で 牡丹は 生母 マーヤ姫で 子育ての構図だそうです。
任侠映画では 背に彫られた 唐獅子牡丹 が粋に披露されます。
あの 任侠の人々は @母の愛を求めているのか A仏の加護を求めているのか わかりません 迷いを生じています」

と 話しております。
三重のお客様 
「ガイドさんの話 真相はこうでありませんか?

昔 任侠の世界に入る時は 親子の縁を切りました。でも 心の中で 母との縁(エニシ)求めており あの形になったのではありませんか」

成程 ありがとうございました。


30年前

「30年程前 両親と参拝しております。当時の写真を持参しました。その箇所を 案内してください」
スマホに不鮮明な写真が 3枚ありました。

@ 涅槃門前
A 本殿前

写真と同じような位置・背景が一致するように撮影しました。 (スマホの撮影は苦手です)
B 感仙殿前の石塔を背景にしているようですが?。@Aで 満足され Bは自分一人で探してみる との事でした。

この方 単身で見えました。ご家族はどうされたか?ご両親は 旅立たれたか? 他人事ながら心配です。


今日は 台湾省のお嬢さんとの交流もありました。モデルになりました。



7 月 1 日 (土)  



経ケ峯は 夜来 大雨であったようです。
石畳もベンチも濡れています。「JTBガイド居ます」の看板もビショビショに濡れています。


新潟からのお客様 「越後です。上杉謙信です」で思考停止です。
「上杉家が 米沢に転封になり 上杉謙信の骨を持って来た。伊達家の(竹に雀)の家紋 上杉家から譲られた」
を話しても受け入れて頂けませんでした。

弘前からのお客様
津軽家の霊屋の存在を知りませんせんでした。当然かも。
朝一番で Oさんが瑞鳳殿をガイド、11時45分Oさんの後を引き受け 感仙殿地区をガイドをしました。

何故か 転勤で弘前に居住 その後 〇〇・〇〇と転居 現在は埼玉と 語られましたが、今日 仙台に、伊達家史跡かは 語りませんでした。


1945年7月10日の仙台大空襲で焼失し 再建しました。とガイドをしたら「どうして再建できました。頭のヨイダイクさんいたのか?」
に 驚き。

「戦災で焼失する前 國寶でした。國寶指定の申請書には 実測図・写真が当然 添付されます。この書類が残っています」
と 話したら 驚いていた方いました。





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