2024年4月の日誌
| 前々月 | 前月 | 翌月 | 翌々月 |




4 月 23 日 (火)  



瑞鳳殿ガイドの会 定時総会

4月23日10時から開催

1.講演
演題 瑞鳳殿資料館新収集資料の紹介
講師 公役財団法人瑞鳳殿 渡部治子 学芸員

内容 寛永21年8月14日付け 伊達忠宗公領地黒印状、藩主参詣図、綱宗書状の紹介
   感仙殿・善応殿の8月末からの改修工事
   資料館の改修


2.総会
活動報告から役員改選迄 全5議案 提案に異議無く承認可決。


3.その他

0.あかとんぼ 佛事あり欠席し、議案書をX1氏より送付頂きました。

1.会員38人顧問1人の39人中 27人出席と。
2.又 あかとんぼ常時活動時の仲間は13人のみ、新旧交代が急速です。

3.瑞鳳殿公式資料 年度別・月別観覧者数によれば、
 コロナ最盛期の2020年度102582人に対し2023年度は313585人で、3.07倍の大幅増です。

4.無料予約ガイド実績にあかとんぼの実績2件記録
 @6月7日東北学院大学文学部史学科菊池慶子ゼミ25人
 A3月9日仙台藩志会経由福岡県中津商工会議所25人




4 月 21 日 (日)  




佐竹家 始祖 源 新羅三郎 義光

佐竹家譜によれば、
天喜3年乙未(1055 1歳)陸奥國鎮守府に生る。

清和帝第六の王子貞純親王(中務卿)五世将軍源頼義(伊予守)の第三子にして、
義家(陸奥守)、義綱(美濃守)の同母弟なり。
母は上総介直方女なり。
とあります。

疑問の数々
1.永承6(1051)年陸奥守として着任。4年後 義光が生まれた。
 京都に本拠地を持つ軍事貴族の娘が 多賀城に同行し子供3人も出産するか?
伊達家に「伊達治家記録」があります。
佐竹家も伊達家同様 皇室につながる家です。その証解明には「佐竹家譜」を読まねばと開いた途端壁に当たりました。
兄八幡太郎義家 後三年の役、国府多賀城の終焉・・・です。

今日は此処迄。



4 月 17 日 (水)  




伊達家発祥の地 伊佐・中村

伊達家発祥を示す 中村八幡宮、邊照寺、中村大明神、観音寺があります筑西市に居住する
〇澤一〇と申す者です。

この度、「伊達政宗公御霊屋瑞鳳殿」をお参りした際、瑞鳳殿ボランティアガイドから 
懇切丁寧なガイドを頂き感激致しました。

よろしくお伝えください。

と、仙臺藩志会事務所に電話があったと伝えられました。


お褒めのお言葉を頂くことは喜ばしい事です。

でも、瑞鳳殿事務局か、ガイドの会会長に直接 手紙、メールでなく、仙台藩志会に電話なのか考え込みました。

仙台藩志会と中村との交流は1993年に相互に100人単位で始まり、2008年11日15日29人で中村を訪れたのを最後に休止しております。

昨年 中村城顕彰会会長で、仙台藩志会常任理事であった横松榮一氏は旅立たれました。
電話の主 〇澤一〇氏は横松榮一氏の後継者なのか?

今回の電話を機会に 伊達家発祥の地 伊佐・中村の地 
又 陣屋が置かれていた 龍ヶ崎市との交流の再開 訪問を検討する時期では と 思います。




4月の伊達学塾は、27日14時から戦災復興記念館で
J・F・モリス宮城学院女子大学名誉教授の「伊達家仙台藩」の裏話を著者が語る」です。

一部に 20日と誤り伝えれています。正しい日時をお知らせ致します。
聴講をお待ちしております。



4 月 16 日 (火)  



故事祭事
4月16日は、鯉 多くが海外から移入

鯉のぼりの想い出を語っています。
父親は 「長くて重い竹竿を重がったけど、俺一人でたがいてきた」と何度も語られた

父親の息子に対する 期待・愛情の表れです。

鯉幟 小高い丘に住まいしており 太平洋迄 眼下一望なれど、確かに 鯉のぼりを見たことがありません。
どうしてでしょうか。屋敷が狭いのか?RC長屋で立てる余地が無い屋敷住まい故?

100均の鯉のぼりセットを飾るのでしょうか?
店頭で山盛り販売していました。

鯉 伊達領内では1705(宝永2)年 海路船で20尾運ばれて来たが16尾が途中で死に、
4尾が放され、天明年間(1780年代)何所の川でも堀でも普通に見られる程になったと。


鯉料理は 特別な日に供される料理。
古代、宮中や武家の公式行事に供される料理であった。

あかとんぼが、始めて食したのは〇〇歳の時、甘露煮、鯉こく、刺身。

今は、米沢物産市等で甘露煮は買えます。食べられますが 
刺身は機会が無く残念な思いをしています。



4 月 15 日 (月)  



戦国大名は経歴詐称する

渡邊大門著の冒頭を読んだ。

出自を「盛った」大名として 黒田氏、宇喜多氏、大内氏・・
名家の姓を「乗っ取った」大名として 上杉氏、北条氏、細川氏
源平で「権威付け」として 織田氏、徳川氏 ・・・
謎多き「出自不明」大名として 豊臣氏 明智氏、斎藤氏、武田氏

とあり、伊達氏、南部氏、佐竹氏の名前が出てこない。

なんだ 面白くない本と 読むのを止めた。

果てと気づいた。詐称する必要が無い明確である故と。

伊達家の始祖は伊達朝宗で16代遡れて藤原鎌足に至る。

佐竹家の始祖新羅三郎義光は天喜3(1055)年陸奥國鎮守府で生まれた。
清和天皇六子の5世の孫源頼義の第3子である。

伊達家も佐竹家も 天皇家につながる。同源 御親戚である。
これが 詐称と言われれば それ迄です。



4 月 13 日 (土)  



2024年4月13日
「参拝者1979年再建以来最多です。怒涛の如く参拝にお出で頂いています。
異国の方も多いです。
ガイドは10人で懸命に応しています。(ガイドに来て)
今度の総会で現況報告があり・・・ハイ只今」プチン。
11:20 ガイドの会役員Aさんから電話


「イヤー暑くて・・参拝者が多くて。ノビタ。ダウンした」
11:25 長老X1からSNS


「涌谷城址公園に和渕邑の高齢者を案内しています。
城址の石垣に桜花爛漫。紺碧の空に清流。絵の様な景色 
瑞鳳殿の櫻も綺麗ですが、和渕の垂れ櫻も素晴らしいです」
14:00関東圏の永年のお客様のSNS


「黄金週間中の〇日〇時から〇〇分 異国の言語で、異文化の高齢者を含む20人位。
瑞鳳殿を案内して欲しい。

通訳を2人付けるが政宗公と日本文化をしっかりガイドして」
快諾。望むところ。 
14:30 〇〇大学講師・仙台藩志会常任理事からスマホ電話

長老X1さん以外の方 皆60歳そこそこの方ばかり。
仙台藩志会のLINEは50歳から60歳前後の方。
あかとんぼ は生残りの隠居?



4 月 11 日 (木)  



独眼竜政宗公

NHK BSP$Kで高視聴率 大河ドラマ「独眼竜政宗」の再放送が今日17:50から始まります。
河北新報テレビ番組表はカラーで表示しました。

ある方から「BS4Kを受信できるブルーレイレコーダーを急ぎ調達し、なんとか初回の録画に成功しましたが、新しい機械で、四苦八苦しました」と教えて頂いておりました。

テレビを買い替えるのも、新し機器を買い、接続も 難儀です。諦めます。


現金払い

博物館で資料(仙台市史活用資料集全7冊、博物館調査報告数冊)と喫茶の代価にカード払いを断られ日本銀行券での支払いを求められました。
又、喫茶では、100円硬貨での支払いを求めていました。

年寄り向けスーパーでは前払カードで、現金払いは少ないです。
世情 スマホにカード払いが一般では?
事情がおありでしょうが、不思議です。



4 月 10 日 (水)  



櫻花爛漫

朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや


2015年(戊辰の役150年祭)以前からのお付合い。
桃生郡和渕村 所預 召出 武田氏の末裔で仙台藩志会 会員のM様から、「久々に会いたい」の報。
確かに コロナ騒ぎから お会いしていません。快諾

新装・再会館した仙台博物館で13時 再会。共に 展示を見、喫茶で語り、最後に水野沙織学芸普及室長にご挨拶。

こまかい事は記しません。
同じ干支の若いM様との4時間は充実した時間でした。




4 月 9 日 (火)  




宇和島伊達家始祖 秀宗公は政宗公葬儀に参列したか?

数々の疑問がありが、
伊達家公式記録(伊達治家記録)に記録されているに関わらず、2月22日の菅野正道先生は講演では触れませんした。

はてなの思いに、菅野正道先生から次のようなご教示を頂きました。

「葬儀の牽馬行列のトップが秀宗であることは承知しており、
私もこれをもって秀宗父子が仙台で行われた政宗の葬儀に参列したと以前は説明してきました。

ある研究者の先輩から、
「実子とは言っても、大名が参勤交代など以外で他の大名の領地に行くことは考えにくい。
この事例は、秀宗らが献納した馬の行列を記したもので、本人が参列したことを示す証拠にはならないと考えた方が良い。
他に秀宗父子が葬儀に参列していたことを確実に証明できる史料はありますか?」


と指摘を受け、その時に調べた範囲では他に秀宗が仙台に来たことを示す史料を見つけられなかったこともあり
、この指摘はもっともだ、と判断し、秀宗は仙台の葬儀には列席していなかった説に転じて現在に至っています」


あかとんぼは、政宗公の葬儀に秀宗公が参列したかは、次の様な疑問を持っていました。

1.幕府が、他家が統治している箇所に旅行する事 認めていたのか

2.秀宗公と宗時公は 政宗公と忠宗公とは交互にお国入りするなどに似た
統治体制にあったように見受けられます。
親子一緒に他国を訪れられたかは疑問です。

3.お忍びの形で訪仙されたにせよ、最小限100人位の警固が付くと思います。
例外中例外での道中に本陣等の道中支援はどの様に対応したものか?

4.仙台での宿泊はどうしたのか?

城主不在の仙台城に 兄弟であっても 他家の当主と部下一行を宿泊させるか?
当時の常識からあり得ないと思います。

と申して、外人宿(大町頭?国分町?)に宿泊したものか?

以上の疑問から公式記録の治家記録に虚偽を記録するか疑問を持ちながら、
菅野正道先生の先輩研究者の言(太字表示)に あかとんぼも 納得しました。


尚、宇和島の郷土史家 宇神幸男氏は「シリーズ藩物語 宇和島藩」68頁に次の様に記載しています。

寛永13年5月24日、伊達政宗は外櫻田の屋敷で70年の生涯を閉じた。
6月23日、仙台の覚範寺において政宗葬儀が営まれ、伊達秀宗と二男宗時父子が参列した。

総御牽馬11匹の1番が宇和島侍従秀宗(政宗長男)、2番が伊達宗泰(政宗4男)
3番が伊達左京亮宗時(政宗孫)、4番が伊達宗實(政宗9男)
5番が伊達兵部宗勝(政宗10男)である。

秀宗が仙台を訪れたのは、この一度だけである。江戸から仙台までは7日を要した。

広大な仙台の地に初めて足を踏み入れ、秀宗は何を思ったであろう。
豊臣の世が続けば、自分はこの地に君臨したのだ、と思ったかもしれない。




4 月 7 日 (日)  





仙台藩志会 第67回総会

本7日13時からホテルメトロポリタン仙台曙の間で 委任状出席者を含め212名88.7%の出席率で開催しました。


会長挨拶
谷深く冬ごもりせし鶯の
 けふの初音の声ぞしるけき  政宗


藩祖伊達政宗公の和歌ですが、雪解け水が大地を潤し生きとし生けるものに新しい命の息吹きを与え、森羅万象躍動する季節を迎えました。

会員の皆様には日ごろから仙台藩志会の為にご尽力を賜っておりますこと改めて感謝申し上げます。

ご多用の中 ご出席賜りましたご来賓の皆様に心から感謝申し上げます。

本日の講演会講師を快くお引き受け頂きました東北歴史博物館館長・東北大学名誉教授阿子島香先生には「古代東北の源流」をテーマに講話を頂くことになっておりますが、講師をお引き受け頂きました阿子島先生には改めて感謝申し上げます。


来賓紹介
1.(公財)瑞鳳殿常務理事・事務局長・仙台藩志会顧問 中村良幸 様
2.北海道・亘理伊達家20代当主 伊達元成 様
3.涌谷藩志会会長 櫻井伸孝 様

来賓祝辞
北海道・亘理伊達家20代当主 伊達元成 様


議事
1.2023年度事業報告
2.2023年度収支決算報告・監査報告
3.2024年度事業計画
4.2024年度収支予算
5.規約一部改正
6.役員改選
が付議され異議無く承認可決しました。


講演
演題 古代東北の源流
講師 東北大学名誉教授 阿子島 香 氏


5懇親会
 1.祝舞  常磐津 鶴亀
    演者 若柳梅京 コト 麻生菜穂美 氏
       仙台藩志会理事 直派若柳流宮城県支部長

 2.祝辞 岩沼市市議会議長 佐藤一郎様 (岩沼足軽末裔)
 3.乾杯 和田修一 様  (戊辰の役 和田織部末裔)


雑感

1.懇談会新規会員の自己紹介
大坂夏の陣に参陣して以来等 伊達家旧臣の末裔である等 伊達家との縁故を誇示する方。
伊達家について著作中で 菅野正道先生に校訂を依頼している。皆に配布する、期待されたい。
伊達政宗を崇敬している故 入会したと 敬称無し呼捨て研究者気取りの方
等 多々。会則を読み理解したか ・・・

2.ハポン・ハセクラ後援会長白田正樹氏が参加され 寺田会員に紹介頂きました。
重大な波及効果のあった一連の出来事との印象が全く違いました。

3.日本語圏外の方にガイドを宮城学院女子大学・東北文化学園大学講師の鎌田会員からご依頼頂き快諾しました。5月中旬です。

4.講演「古代東北の源流」は 東北大学名誉教授阿子島香教授の口述のみ資料配布はありませんでした。多賀城を中心とする奥羽の歴史はそれなりに知っていますが 復習するに資料を頂きたかった。

5.仙台藩志会会員が経ケ峯伊達家三御霊屋を参拝する際、再建の效で無料であった。有料になり会員証の再印刷で経費が増加した旨 財務部長談話。
 再建時の経緯を説明 了解を得るべく交渉すべきではと私見をのべる。


6.総会・懇親会参加者にお会いして 年輪を感じました。杜甫の詩。年々歳歳・・・



4 月 5 日 (金)  




演題に「伊達家・伊達政宗」を入れれば???

「奥州藤原氏の興亡と伊達氏の台頭」の演題で、登米(とよま)伊達家16代当主 伊達宗弘氏が大崎市田尻沼部公民館で(文化人・政宗の成長)を講演されました・

伊達家領内 特に宮城県内で 「伊達家・伊達政宗」が標題に入れば 講演会は50人以上集まり、成功する と講座企画担当者間で言われています。

今回 60余人の参加があったそうです。

本日の河北新報朝刊によっています。新聞記事にして珍事 日時の記載がありません。
編集デスクのミス?



4 月 4 日 (木)  




地震御見舞い

3日 日本時間08:58 中華民国臺灣省で、M7.7の地震が起きた。
震源地は花蓮県で、隣接する新北市・台北市でも被害が発生したと日本のマスコミは報じています。

瑞鳳殿を訪れる外国人は著しく増えています。特に仙台・台北間を結ぶ定期航空の充実があります。
その数はコロナ以前より増えていると仙台国際観光協会が報じています。

コロナ時代以前に瑞鳳殿を参拝され、以来賀状交換している三嬢様の住所 新北市永和区です。
御見舞いと思いました。電話番号はわかりますが、かけるとお話する元気がなく、此処に記するのみ。


小田原参陣
政宗公が天正18(1590)年6月に小田原に参陣した際、秀吉は 現 神奈川県足柄下郡の底倉温泉に案内・休息・打合せの上、御対面・連れションとなりました。

この底倉温泉での休息を 僭越ながら歴史研究者は誤り理解されている思い 
4月1日日誌に書きました。

その意は、
1.秀吉の本陣付近は、諸将の陣で輻輳・混雑している。
2.政宗公一行100人休息・宿泊する場所・余地が無かった。

3.正式御対面する準備時間・打合せが必要であった。
4.給食・休養施設の整った近場の温泉地を提供した。

5.地名が誤解された。
6.あかとんぼの見方を肯定する歴史研究者がいました。

生形貴重(ウブカタタカシゲ)1,940年大阪生、千里金蘭大学名誉教授 著
教育評論社 刊

伊達政宗と茶の湯 奥州最強の家臣団を率いた文化人の基層

第12章 小田原参陣と秀吉との出会い の項に 詳しく書かれています。
ご一読ください。
我が意を得ました。





4 月 2 日 (火)  



本日の故事祭事は、平泉文化 浄土思想 東北一円に

1126年4月10日落慶法要が行われた。それは平泉中尊寺。

菅野正道先生は、浄土思想が東北一円に広まったと、

福島県の白水阿弥陀堂、宮城県の高蔵寺、田束山、名取の熊野三宮、
そして多賀城と、その関連を理解容易に語られています。


東京・国立博物館で14日迄 中尊寺金色堂展が開催されています。
のご案内も・


関東圏の読者様から鑑賞した。感動で動けなかった。
中尊寺金色堂に行くより 良く鑑賞出来ます。お出かけくださいとご案内を頂いております。
上野の桜を見ると セットは、いいアイデアです。


仙台市博物館 設備改良工事が完成し再開館しました。
3年の休館で 待ちかねたフアンが押し掛けると 予測し 落ち着いた頃 行くことにしました。
X1さんは 1番を狙い 出かけましたが、7番だったと。
テープカットは 関係者・有識者(平川新先生、佐藤憲一先生)で 早々に行われたらしいと。
何で 菅野正道先生の姿がないのか?



4 月 1 日 (月)  




門出
4月1日 新年度の初日 月曜日は 非常にキリがよい。
新しい物事に挑戦を始める日が月曜日とは。

毎日が日曜日の筈の爺様も先月末は多忙でした。その中での反省等。


3月28日
東北大学歴史資料科学研究会例会 「伊達家」モリス著書評会

1.非常に誤植が多い 校正したのか?の指摘があった。
無知文盲の身で素直に読んで どこが誤植か知らずに読んだ。
恐ろしい事です。

2.政宗公以降当主全ての評価論文が少ないので参考になる。
これまでは、仙台市史が頼りであったと高評価でした。

さて、仙臺市史(1950年刊)、宮城県史には.どのように記載されているか?
それは 評価されないものなのか?
あかとんぼ 急いで読みます。


3月30日
東北文化学園大学市民講座「原ノ町・荒町の地形と地名を縄文で読み解く」

講師の八十川淳教授は、20年前 梅田川を調べた際 ご指導を頂ており
御挨拶しましたら、永年の御無沙汰なのにご存じでした。エライものです。

莫大な資料を用意して 縄文時代の先住民して地名起源の解説は 申し訳ありませんが理解出来ませんでした。
地元古老らしき数人 講座後 泡吹いて先生に詰め寄っていました。

行政が名付けた地名以外 自然命名の地名の起原を探りは難しいは理解しました。


3月31日
任意団体 四ツ谷の水を街並みに!市民の会 主催 講演会「伊達政宗と温泉」

本会は20数年前、政宗公の町づくりと用水 を学習した際 仙台市史にも執筆した佐藤昭典先生
からお誘い頂き入会、市民活動に高校生の地域学習の現地講師をも務めましたが、組織内世代交代で現在は会費会員。

コロナで活動を休止していました。コロナは終わった、桜も咲く、活動を再開する。
手始めに講演会を開催するので 「若い人30人集め 参加して欲しい」現代表一力徳子様から電話。

講師は宮城学院女子大学高橋陽一教授。
仙台藩志会伊達学塾で2016年8月「仙台藩温泉逍遥」の演題で講演を頂きました。あまり記憶が無い様子した。
本日は「伊達政宗と温泉」です。

記録よれば、
天正17(1589)年3月27日から4月1日迄 米澤郊外小野川温泉に骨折湯治に4日間入浴、
同月28日飯坂温泉から温湯を運び浴した。
政宗公と温泉の関りは これのみと断言された。

大きい事が脱落していませんか?
天正18(1590)年6月 小田原に参陣した政宗公一行を秀吉は現神奈川県足柄下郡の底倉温泉に案内休息させています。

温泉地に案内されて入浴しなは非礼となります。

治家記録には、「6月5日公小田原へ御着陣此由 関白殿の上聞に達し底倉と言う山中に御宿所を命せらる」とあります。
(地図・現地を見ない史家は 文字で幽閉と誤解している)、


3月31日
菅野正道先生は、13時から1時間青葉山公園で「仙台開府からのまちづくり」と題して講演されました。

先生からご案内を頂きましたが、四ツ谷用水講演と競合しました。
「理と先約から 欠席します」お断りご了解を頂きました。
河北新報は盛会であった旨報じています。






inserted by FC2 system